【4月26日(土)】


今日は朝から音々の見舞いに来たんだけど、ちょうど美織と合流する形になった。

【美織】
「ちょっとちょっと、昨日はどうしてさっさと帰っちゃったのよ」

【一条】
「どうしてって云われても、女の子3人の中に男が1人いるのは辛いだろ」

【美織】
「それはそうかもしれないけど、一言ぐらい残していっても良いじゃない」

【一条】
「女の友情を確かめあってる時に邪魔するのも悪いだろ」

【美織】
「ふふふ、なーんにも知らないんだから」

何か裏のある含み笑いを浮かべる、何も知らないってあの先に何かあったのか?

【羽子】
「宮間さん!」

【美織】
「お、来たなー見えないところで派手派手な物身に付けたうら若き非純情乙女」

【羽子】
「ななななな、もう絶対に許しませんから! 観念しなさい!」

やけに羽子さんいきり立ってる、それにも増して難解な美織の科白。
とりあえず昨日羽子さんに何かあったんだろう、それを美織が面白がって茶化しているんだ。
折角昨日、友情を確かめ合ったと思ったのに結局2人はいつもの2人のままなんだな……その方が見てる方も面白いか。

【美織】
「そんなに慌ててると転んじゃうよ、転んだら誠人に非純情乙女だってバレちゃうぞ」

【羽子】
「毎度毎度のその減らず口、叩き直してあげます!」

この微妙な力関係はいつまで経っても変わらないだろう、それがこの2人には一番良いんだ。
だけど羽子さんに昨日何があったんだろう?
非純情乙女って……後で音々に聞いてみよう。

……

【美織】
「おっはよー! 今日も元気に乗り切ろうー!」

【羽子】
「だからどうして貴方はいつもいつもノックをしないではいるんですか」

突然の来客に驚いていた音々だったけど、来客者が俺たちだとわかって笑みをもらす。

【音々】
「いらっしゃいませ、今日は休日なのに皆さん揃ってどうしたのですか?」

【一条】
「どうしたってそりゃあ見舞い……だよな?」

【羽子】
「私はそのつもりですけど、宮間さんがどうかは……」

【美織】
「あたしだって同じだよ、別に羽子をからかって遊びたかったとかそんなのじゃないから」

【羽子】
「く、病室なので騒げませんが、後で覚えてらっしゃい」

わざとだ、絶対に今わざと羽子さんをあおるような発言をした。

【音々】
「ふふ、相変わらず仲がよろしいですね」

【一条】
「あれは仲が良いというよりは羽子さんが遊ばれている気がするけど」

【美織】
「ほらほらそんな怖い顔しないの、厚塗りメイクが壊れるよ」

【羽子】
「メイクなんてしてません! 嘘を云わないでください嘘を!」

【美織】
「あらごめんなさい、羽子はメイクじゃなくて非純情乙女だもんね」

【羽子】
「みーやーまーさーんー」

うわ! 女の子が拳なんか握り締めて、それになんだか小刻みに震えてるんですけど。

【一条】
「はいはいそれまで、たく、2人は病院に喧嘩しに来たの?」

【美織】
「いや、私はそんなつもりじゃないんだけどさ、羽子が絡んでくるんだもん」

【羽子】
「誰のせいだと思ってるんですか……」

【音々】
「皆さんとご一緒にいると退屈しませんね、それよりも羽子さんアザなどはできませんでしたか?」

【羽子】
「ひ、姫崎さん、一条さんもいる前でそのようなことは」

【一条】
「羽子さんどこか怪我でもしたの? さっきから気になってたんだけど非純情乙女っていうのは……?」

【羽子】
「いい、一条さん! あ、あまり世の中知らなくて良い事もた、たくさんあるんですよ」

ふれられたくないことだったのか羽子さんは急に焦って言動がしどろもどろになっている。

【美織】
「なーに照れちゃってるのよ、この際だから誠人にも教えてあげたら? 今日の下……」

【羽子】
「宮間さんちょっとよろしくて」

【美織】
「むぐむぐむぐー!」

何かを喋ろうとした美織の口を無理矢理塞いで廊下へと連れて行く、手をバタバタさせて逃れようとするが離れない。
どうやら羽子さんの逆鱗にでもふれたんだろう、ご愁傷様……

【一条】
「2人ともどうしたの?」

【音々】
「羽子さん気にしていたのでしょうね、心配です……」

【一条】
「それでその純情乙女っていうのは何?」

【音々】
「女の子に体のことを聞いてはいけません」

コツンと頭を小突かれた、女の子の体って……ますます謎が深まる非純情乙女。

……

【一条】
「2人とも遅いな、まさか殴りあいでもしてるんじゃないだろうな……」

【音々】 
「羽子さんはそういった暴力沙汰は起こしませんよ、美織ちゃんは無いとは云えませんけど」

【一条】
「……ここだけの話、あの2人って仲良いんだろ」

【音々】
「それは勿論、2人とも照れ屋ですから本当の気持ちを表に出せないんです。
加えて2人ともああいった性格ですから、衝突も多いんですよ」

【一条】
「たぶんあの2人だけだったら絶対に交わらないだろうな。
音々がいるからこそ2人は交わることができるんだ」

【音々】
「そんな、私は何のお役にも立ててませんよ、私には誰かの役に立つなんてことは不可能なんですから。
いつも他の方にご迷惑をかけて、こんな体に生まれたばっかりに……」

【一条】
「役には……立っているよ……」

音々の存在そのものが俺にとってはありがたい。
失われた記憶の穴を塞いでくれるのは音々だけなんだから……

【一条】
「俺にとって音々の存在は大きいんだよ、自分がわからないところでも役に立ってるんだから自身持てよ」

ポンポンと音々の背中を叩く、次の瞬間音々の頬がほんのりと赤くなっているのに気付く。

【一条】
「顔赤いけど大丈夫? 熱でもあるんじゃないのか?」

【音々】
「いえ、そうではなくて……」

【一条】
「?」

俺が疑問符を浮かべていると、よれよれになった美織と、何も変わっていない羽子さんが戻ってくる。

【美織】
「はぁ、はぁ、はぁ……もぉー、これじゃあもうお嫁に行けないじゃない」

【羽子】
「またそうやって軽はずみな発言をするんですから、別段何もしてないじゃないですか」

【美織】
「姫ー、羽子がいぢめるー」

【羽子】
「はぁ、やれやれ……」

【二人】
「ふふふ、あははははは」

不意にこぼれた笑みに美織と羽子さんも笑みを漏らす。
音々の云う通り、この2人と一緒にいると退屈しないな。

……

【美織】
「さてと、それじゃあたしたちはこの辺で失礼しよっか」

【羽子】
「そうですね」

【一条】
「なんだ、2人とも帰るのか?」

【羽子】
「あまり長い時間いるのもご迷惑でしょうから、それに……」

羽子さんは俺だけに聞こえるようにそっと耳打ちをした。

【羽子】
「私たちはお邪魔ですから、後は一条さんにお任せしますね」

これまた俺だけに分かるように小さくウインク、美織もチラリと俺の方に視線を向ける。
その視線がなんだか「がんばれ」とでも云っているように感じられた。

【美織】
「そんじゃまたね、ねぇ羽子、日本ってまだオオカミいるのかな?」

【羽子】
「どうでしょうね、狼はもういませんが、オオカミならまだいるかもしれませんね」

くすくすと笑みをこぼす美織と羽子、俺には意味が分からない、狼とオオカミって違うのか?

【音々】
「狼とオオカミって何が違うのでしょう?」

【一条】
「さぁ……」

【音々】
「誠人さんはまだよろしいのですか? 今日はお休みですから何か予定があるのでは」

【一条】
「予定はこれだよ、病院に来て音々に会ってそのまま帰るまで一緒にいる」

【音々】
「……辛くないですか」

【一条】
「辛いってなんのこと? 俺は別に体は問題無いけど」

【音々】
「いえ……いつもいつも私なんかのところに来ていただけるのは嬉しいんですけど。
それがなんだか誠人さんの自由を奪っているような気がして……」

自分のせいで俺が自由を失ってしまった、音々はそう考えているだけど……

【一条】
「……莫迦」

後ろから音々の体を抱きしめる、突然で驚いたのか体がピクリと震える。

【一条】
「なんで俺が毎日見舞いに来るのか、それは何も暇だからじゃない。
おまえだから、音々がいるから俺は毎日来るんだ、辛いはずないだろ……」

【音々】
「誠人さん……」

【一条】
「おっと……誰か来る前に離さないと」

解こうとした腕にそっと手が添えられる、それが意味するのは……

【音々】
「もう少しこのままで……いてください」

【一条】
「……あぁ」

抱きしめる腕の力を少しだけ強める、ギュッと、温もりが少しでも増すように音々の体を抱きしめた。

……

【一条】
「音々って何やらせても器用なんだな」

【音々】
「そんなことはありませんよ、私だって最初は上手くできませんでしたよ」

俺と話しながらでも、手元がぶれたり止まったりすることがない。
何かというと編み物、編み物というよりは手芸といった方が良いか。

【一条】
「それって最終的に何ができるの?」

【音々】
「布地が白ですから、ウサギを作ってみようと思って」

【一条】
「ウサギか、結構大変そうだな」

【音々】
「大変は大変ですけど時間はたっぷりありますから……」

ニッコリ微笑みながらチクチクと布地を塗っていく、その笑顔がなんだかとても痛い……

【一条】
「音々……」

どうして手術を受けないんだ、そう聞こうとした俺の口の動きが瞬時に止める。
何故なら……今さっきまで編み物をしていた音々の手がぱったりと止まったから。

【音々】
「くぅ……あ……ぐ……」

【一条】
「音々!」

縫い針と布を取り落とし、胸を押さえて小刻みに震え始めた。
この動作は紛れもない前に見た発作と同じ状況だ!

【一条】
「大丈夫か! 薬はどこにあるんだ!」

【音々】
「そ……そこの……引き出しの……中です」

【一条】
「引き出しの中……これか!」

1回にいくつの薬を飲むのか分からないので丸ごと渡し、そのうちに水差しからコップに水を入れてそれも渡す。

【音々】
「あ……ありがとう……ございます」

苦しむ顔を必死に笑顔に変え、薬と水を飲み込む。

【音々】
「んん……はぁ……こ……これでもう大丈夫……です」

大丈夫と云いながらも胸を押さえた手が離れていない、まだ痛みは続いているんだ。

【一条】
「……」

何の意味があるかわからないが音々の背中を擦り、少しでも痛みを紛らわせようとする。

【音々】
「ありがとうございます……はぁ……私、迷惑ばかり……かけて……くぅ」

【一条】
「薬を飲んだ後、いつもこんなに苦しむのか……」

【音々】
「はぁ……い……いえ……いつもならすぐに治まるんですけど……あぐ……」

【一条】
「いつもならだって……」

【音々】
「はい……けほ、けほ……」

口元を押さえて咳き込む、ただの咳だと思っていた……しかしそれは俺の勘違いで終わる。
押さえられた手の隙間から、ゆっくりと赤い血が滴り落ちた……

【一条】
「ね、音々!」

【音々】
「けほ、けほ……」

咳き込むたびに手の隙間から漏れる血の量が増している。
増え続ける出血を見て俺の指はナースコールのボタンを押した。

……

時間が自分を取り残して進んでいく、あの後すぐに数人の看護婦と担当医の秋山先生が駆けつけて。
酸素マスクを装着させたり、脈を計ったりと様々なことを行っていた。
そんな音々を姿を見ているのが耐えられなくなり、病室を出て、病室の前でずっと待ち続けている……

【一条】
「俺では音々の力になれないのか……」

音々が苦しんでいても俺にはどうすることもできない、これが音々が背負ってしまった奇病の恐ろしさなのか。
今まで苦しむ姿を何回か目撃したけど、今回のように出血を見たのは初めてだ。

【一条】
「音々……」

嘆いた声が空しく廊下に響いて消える、それはまるで今の2人の距離を表しているかのように長い沈黙だった。
俺にはただ祈るだけしかできないのか……?

……

男の視線の先、そこには病室の前にたたずむ1人の青年の姿。
もうどれほどの間そうしているだろうか、病室の前に立ち、時折下を向いたり視線を宙に彷徨わせている。
ここまで来ると後は根気の勝負、もっとも私が負けるはずもないのだが……

……

空が夕暮れの紅を失い、夜を迎え入れる準備に取り掛かる。
中々青年もしぶといな、しかしもうこれまで、そろそろ病院の面会時間は終了だ。
誰が見てもはっきり分かるほどに肩を落として溜め息を吐き、青年は病室の前から立ち去った。
それからさほどの時間を要さずに病室から医者と数人の看護婦が出て、そのまま病室を後にする。

ようやく立ち去ってくれたか……病室の前まで足を進め、病室の扉を開けた。
ベッドの近くまで進みそこに横たわる少女の姿を確認すると、口には酸素マスクが繋がれ、腕には点滴針が一本刺されていた。
その姿だけを確認して病室を後にする、もう用事はない。

【萬屋】
「ふぅ……」

思わず出てしまった溜め息がなんだか自分にも不思議に思う、どうして今回に限って溜め息が出てしまうのだろうな。

【萬屋】
「なるほど……世界はそこまでして彼を連れ戻したいのだろうかね」

取り出した懐中時計の針が指し示す時間は6時45分、着実に針は時を刻んでいた。

【萬屋】
「あいつが勝つのか、それとも私が勝つのか……いよいよ佳境に入ったようだな」

懐中時計を懐にしまい、ロングコートを翻して病室を後にする
最後に男が見た視線の先、そこに映されたのは患者の名前が書かれたプレート。
プレートに書かれていた名前、そこには『姫崎 音々』の名前が刻まれていた。





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜