【4月25日(金)】


ボケーっと眺める空はどこまでも大きく広い。
この空の下で俺はどれだけ小さい人間なんだろう。

【一条】
「俺は音々を何も知らなかったわけか……」

心臓が悪いのは知っていたけど、まさかもう治る可能性もほとんど無いなんて……
昨日先生に教えてもらった音々の過去、俺も死の淵を彷徨った人間だけど、俺と音々の決定的に違うところ。
それは死から解放された者と、いつまでも死の呪縛に捕らわれてしまった者の違い。

【一条】
「俺なんかとは過酷さが違うんだよな……」

ベンチに寝転がって空を眺める、もう音々がこの屋上に来ることもなくなってしまったんだ……

【?】
「まったく貴方って人は、いつもいつも私を困らせて」

【?】
「はいはいわかったよ、誰もいないところでたっぷり文句聞いてあげるから焦らないの」

女の子の声が聞こえる、音質が違う2つの声、その声にはどちらも聞き覚えがある。

【羽子】
「大体なんで私がこんなところに連れ出されなければならないんですか」

【美織】
「しょうがないでしょ、教室で注目の的になるよりは、あ、マコー」

やっぱりこの2人か、美織の声と怒っている声でなんとなく予想はできた。

【一条】
「よ、また2人で喧嘩してるのか?」

【美織】
「そうなの聞いてよ、羽子ったらあたしが授業中にちょっと居眠りしただけで凄い怒るんだよ」

【羽子】
「当たり前です、学校には勉学をしに来ているんですよ。
その大切な勉学の時間を寝て過ごすなんて」

【美織】
「だってさ、1週間ほぼ毎日学校に来るんだよ。
それに1日に6時間も授業があるんだから、少しくらい寝てたってそんなに変わらないと思うけどな」

【羽子】
「だってじゃありません、そんなたるんだ考えだから日々の生活にも問題が出るんです。
それから、寝ている間の授業はどうやって取り戻すつもりなんですか」

【美織】
「そんな数分授業聞かなかっただけで劇的な差なんかでないって」

【羽子】
「そういった考えだからテストで結果が伸びないんですよ。
クラスの平均点を下げているのは宮間さん、貴方かもしれないですね」

【美織】
「な、んだとう!」

うわ、手厳しいなぁ……でも羽子さんの云っているのが全て正論なんだよな。

【羽子】
「反論の余地がありますか? 宮間さんももう大人なんですから少しは真面目にしてください」

【美織】
「あーやだやだ、どうやったらこんなに頭固くなるんだろう。
頭の固い女って男子から遠ざけられるわよ、いき遅れ決定だね」

【羽子】
「なんですって!」

【美織】
「なによ」

いつもいつもこうだ、2人の喧嘩の終止符は案外最初の議論から遠ざかって終わる。
この犬猿コンビの喧嘩はなんと云うか……コントなんだよな。

【一条】
「まぁ2人ともおちついて、羽子さんも美織の挑発に乗っちゃ駄目だって」

【羽子】
「す、すみません、私としたことがつい乗せられてしまって、こんなことばかりで毎日クタクタです」

【美織】
「毎日毎日そんな怖い顔してたら疲れるのも無理ないわね」

【羽子】
「まったく……誰のせいだと思ってるんですか」

なんだかんだ云ってこの2人、案外悪いカップルじゃないのかもしれないな。
2人ともお互いを知り尽くしているからこんなコントみたいな喧嘩が生まれるんだろうな……

【一条】
「ふぅ……2人は良いな、お互いをよく知れていて……」

【美織】
「マコ……なんかまた何か悩んでるんだ」

【羽子】
「今日はなんだかいつもより表情が暗いですね」

【美織】
「あたしに話せることなら何でも云ってよ、こんな堅物なんかよりずっと良いと思うよ」

【羽子】
「誰が堅物ですか!」

【一条】
「ありがとう……2人は1年のころ音々とは同じクラスだったの?」

【美織】
「勿論同じだったよ、悪いことに羽子もね」

【羽子】
「宮間さん」

だからどうして美織はすぐにあおって羽子さんはすぐに乗るんですか……

【美織】
「だけどそんなこと聞いてどうするの? そんなの姫に直接聞いたら良いじゃない」

【羽子】
「姫崎さんといえば最近お休みが続いていますね。
まだ体の方は良くならないんでしょうか……」

【美織】
「あたしもそれ気になってたんだ、マコは姫がいつ退院できるとか知らないの?」

やっぱりこの2人も知らないんだ、音々の体がもう駄目になりかけていることに……

【一条】
「いや……やっぱりいいや……」

無理矢理話を断ち切ってその場を去ろうとする、この2人に音々の事実を伝えるのはしのびない……

【美織】
「待って……マコ、何か隠してるでしょ」

【一条】
「……」

【美織】
「姫のこと、何か知ってるんでしょ……あたしに隠し事なんかしても無駄だよ」

【羽子】
「何か知っているのなら教えていただけますか、姫崎さんは私の一番の友人ですから……」

【美織】
「何云ってるのよ、私だって姫が一番の友達だよ、抜け駆けは止めてよね」

【一条】
「2人とも音々のこと好きなんだ……」

【美織】
「当然、姫を愛する気持ちは羽子なんかよりもずっと重いんだから」

【羽子】
「わ、私は恋愛感情はありませんが、友人として大切な方ですから……」

【美織】
「恋愛感情だったらあたしだってないわよ、変な誤解をうむようなこと云わないで」

そっか、表現の仕方はどうであれ、2人にとっても音々は大切な人なんだ

【一条】
「ごめん……俺のひとりよがりで隠し事なんかして」

【美織】
「そんなのどうだっていいわよ、それで、姫の何を知ってるのかしら?」

……

【美織】
「……」

【羽子】
「……」

一通り話し終えると2人とも言葉を失ってしまった、当然の反応だろう。

【美織】
「信じられない……姫の体がそこまで悪かったなんて」

【羽子】
「本当に……下級年のころから体が弱いのは伺っていましたけど、にわかには信じられない話ですね」

【一条】
「俺もそうだったさ……だけど、どうやらそのことに音々自身も気付いているみたいなんだ」

【羽子】
「そういえば以前そのようなことを云っていました、『私にはこれが最後なんだ』って。
あの時はどういう意味なのかわかりませんでしたけど、一条さんの話で謎が解けました」

【美織】
「そんなのってないよ、もう数年で姫が駄目になっちゃうなんて、ねえ何か方法はないの?」

【一条】
「1つだけ……1つだけ音々の命を繋ぐ可能性は残っているんだけど」

【羽子】
「……心臓移植ですね」

言葉無く1つ頷く、頭の回転が速い羽子さんは多くを語らずとも暗い表情へと導かれる。

【美織】
「なんだ、それだったら手術したら良いんじゃない、もう脅かさないでよ」

【一条】
「音々は……手術を受けないんだ」

【美織】
「どうしてよ、だって手術したら助かるんでしょ、それなのにどうして……」

【羽子】
「心臓移植が並みの手術と比べて極めて成功率が低いからですよ。
自分に適した心臓が見つかるか、移植した心臓が反発を起こさないか、手術に耐える体力があるか。
おそらく成功する可能性は限りなく低いと思います……」

【美織】
「だけど……このまま何もしなかったら後数年で死んじゃうんだよ。
だったら少しでも可能性がある方が良いじゃない」

俺もそう考える、しかし、羽子さんの考えは全く違っていた……

【羽子】
「可能性は限りなくゼロに近い数値、それでは自殺行為と変わりません。
それならば、少しでも長く残された時間を精一杯過ごすことを姫崎さんは選んだんのでしょう……」

そうか……何故手術に踏み切らないのか疑問に思っていたけど、そう考えれば納得もできる。

【美織】
「でもそれだったら姫はもうどうしようもないじゃない。
マコ、何とか音々を説得して手術を受けさせられないの」

【羽子】
「本人が決めたことに他人が横槍をいれるのは好ましくないですよ」

【美織】
「だって……もうそうでもしないと……」

美織が云いたいことは痛いほどわかる、だけど、羽子さんの意見がもっともなんだと思う。
音々自身がそうなることを選んだのなら、俺にはもう止める権利は無い……

【一条】
「知り合いがもうすぐいなくなってしまうかもしれないのに、俺たちには何もできないんだな……」

【羽子】
「私たち人間は地球に対して無力すぎるのかもしれませんね……」

重苦しい沈黙の中、昼休み終了を告げる鐘は空しく鳴り響く。
最後に2人には今の話を口外しないように云っておいた、特に音々には絶対にその話題を振らないようにと……

……

手にした袋が歩くたびにガサガサと音を鳴らす、少しばかり買いすぎたかもしれない。

コンコン

【音々】
「開いてらっしゃいますのでどうぞ」

【一条】
「失礼しますー」

【音々】
「誠人さん、今日も来ていただけたんですね」

来客者の姿を確認して音々の顔に柔らかい笑みがもれる、顔色は良いようだな。

【一条】
「あぁ……昨日の約束を果たそうと思ってさはいこれ」

【音々】
「覚えててくれたんですか、ありがとうございます」

【一条】
「キスまでされたのに忘れるわけないだろ」

【音々】
「うぅ、そのことは云わないでください、今になって凄い後悔してるんですから」

【一条】
「はは、たくさん買ってきたから1つ食べたら?」

【音々】
「嫌ですよ、また秋山先生にに勘違いされてしまうじゃないですか」

【一条】
「かもな……」

この病院であの先生のことだ、可能性はきわめて高い。

【音々】
「夕食の後にでもいただきます、そのほうが安心していただけますから」

【一条】
「就寝前に食べると太るぞ」

【音々】
「むぅ、女の子にそういうデリカシーの無いことを云わないでください。
最近夜中にどうしてもお腹が空いてしまって」

【一条】
「ちゃんと夕食食べてるのか? 元々食べる方じゃないから夕食で十分じゃないの?」

【音々】
「そうなんですけど……あまり食事が咽を通らなくて、残してしまうんです」

【一条】
「病人がそんなこと云うなよ、栄養採らないと良くなる物も良くならないぞ」

良くなる物、何が良くなるというのだろうな……

【音々】
「そうですね……あまり食べないせいで体重も減ってしまって、ダイエットにはちょうど良いんですけど」

【一条】
「ダイエットなんかしなくても音々は十分じゃないか、今のままで十分に魅力的なんだから」

【音々】
「ふふ、誠人さんは変わりましたね、初めてお会いしたころに比べると考えられないくらいに」

【一条】
「そうか、じぶんじゃあまりわからないんだけど」

【音々】
「初めのころは、ここまで情熱的なことをおっしゃる方だとは思いませんでした、それから、案外強引ですしね」

【一条】
「それって少しも喜べないんですけど……」

クスクスと笑みがこぼれる音々を見ているとなんだか胸が締め付けられるように痛い。

【音々】
「ご安心ください、私はそんな誠人さんだから好きなんですから」

【一条】
「……」

両肩に手を置いて音々を真正面に見すえる、なにやら不思議そうに眼がキョトンとなっている。

【音々】
「誠人さん……もしかしてこれは……」

【一条】
「眼を閉じて……」

【音々】
「……冗談ですよね?」

【一条】
「俺はあまり冗談とかつける人間じゃないよ」

【音々】
「ほ、本気なんですね……」

しばしの間を置いて音々が眼を閉じた、俺も眼を閉じ……

【美織】
「やっほー! 起きてるかなー!」

【羽子】
「宮間さん! ノックも無しにいきなり入っては失礼ではないですか」

【2人】
「!」

突然の声に慌てて体を離す、音々は恥ずかしさに両手で顔を覆ってしまう。
俺もキョロキョロと不自然に視線が彷徨う。

【美織】
「あれ、どしたの2人とも、なんか顔赤いよ?」

【一条】
「そ、そんなことはないだろう……それより2人はどうして?」

【美織】
「どうしてって、お見舞い以外何があるのよ」

そりゃそうだ、病室に食事に来る人間はいない。

【美織】
「これそんなに高い花じゃないけど、あたしたちからのお見舞い」

【音々】
「ありがとうございます、綺麗な花束……それに普段は使わないような花まで入っていますね」

【美織】
「ああそれは羽子がどうしても入れたいって云うから無理して入れてもらったんだ。
お店の人凄い困ってたんだよ、どうしてもそれが入ってなきゃ駄目だって店員と云い争いまで始めちゃって」

【羽子】
「あれはフラワーショップの店員のくせにお見舞い用の花束の選別がわかってないからです。
花束はただ綺麗な花を集めるのではなく、その花束の中にメッセージを込めないと意味が無いんですよ」

【美織】
「花束にメッセージってどういうこと?」

【羽子】
「後で教えてあげます、それとこれは私から姫崎さんへお見舞いです」

羽子さんが渡したのは小さな瓶、あの中身あれはドライフラワーかな?

【羽子】
「ゴンフレーナ……千日紅のドライフラワーです。
本当は鉢植えが良かったんですけどあいにく季節が合わないので、私の作った物で悪いですけど」

【音々】
「まぁ、羽子さんがお作りになったんですか、ありがとうございます、確か千日紅の花言葉は……」

【羽子】
「花言葉は『終わりなき友情』、そこに詰まった三厘の千日紅のように。
私と、姫崎さん……それから宮間さんの友情が終わらないように……」

【美織】
「羽子……」

【音々】
「羽子さん……」

そうか、花にメッセージってそういうことだったのか。
羽子さんは自分たちを千日紅に見立てたわけだ。
詰められた3厘の千日紅が儚げに、それでいて絆を確かめ合うように俺には見えた。

……

3人の雰囲気を壊さないように、男の俺は病室を後にした。
なんだかんだ云ってやっぱり羽子さんも美織のこと好きだったんだ、もしかしたら美織も羽子さんのこと好きなのかもな。
2人の性格が正反対だったせいでいつも喧嘩ばかりしてたけど、あれは2人の照れ隠しだったんだ……

【新藤】
「それで、どうして急に私のところに来たんだね?」

【一条】
「ちょっとした気まぐれですよ、最近先生のところに顔出していなかったんで」

【新藤】
「はは、そう云ってくれるのはありがたいね、だけど君は用も無く私のところに来るほど時間を持て余した人間じゃない。
今日も本当は何か悩みがあるんじゃないのかな?」

【一条】
「まいったな……先生は読心術でも持ってるんですか?」

【新藤】
「君とは医者と患者以上の付き合いをしてきたんだ、それくらいなんとなくわかるものだよ。
それで、今回は何に行き詰ったのかね?」

【一条】
「実はあいつの、姫崎のことなんです……」

【新藤】
「姫崎と云うと確か秋山君の担当患者だったね、ついでに君の彼女でもあったか」

正確にはまだ彼女じゃないんだけど、9割方彼女と同じだな。

【新藤】
「彼女のことは秋山君からいくつか聞いているよ、心臓に奇病を持っていることも。
それから、もう打つ手がほとんど残されていないこともね……」

【一条】
「先生……俺はどうしたら良いんでしょう。
俺にはあいつが死んでいくのを黙って見ているしかないんでしょうか……」

【新藤】
「……心臓移植の可能性が残されていると聞いたが、彼女はどうしたんだい?」

【一条】
「あいつ手術は乗り気じゃないらしいです、もうそれしか残されていないっていうのに。
たとえ可能性が低くとも、このまま何もしないよりはずっと良いと思うのに……」

【新藤】
「なるほど……君の意見ももっともだが、彼女の選択もまたもっともな判断だ。
人には知性がある、人は可能性が低いことを無理にやろうとは思わない、それが1度きりのチャンスならなおさらね」

【一条】
「……」

【新藤】
「一条君、君は彼女にどうなってほしいんだい?」

【一条】
「それは……」

そんなものは当然決まっている、俺が望む物それは……

【一条】
「また元気になってもらいたいです。
あいつにとって病院は牢獄と同じ、あいつの一生を牢獄で終わらせたくはありません。
それにようやく見つけたんです、失ってしまった穴を埋めることができる人を……」

【新藤】
「そこまで君の気持ちが固まっているなら後は彼女次第だよ、自分で決めたことを自分で崩すことは難しい。
だけど誰かの助言を得ると崩すことも可能になる、彼女にとってそれは君以外の誰でもないだろうね」

【一条】
「あいつは……手術を受けてくれるでしょうか」

【新藤】
「君の気持ちが伝われば、君が彼女の支えになれるのなら、彼女はきっと自ら変わろうとするだろうね……」

【一条】
「ありがとうございました、やっぱり先生は凄い人ですね」

【新藤】
「おだてても何も出んよ……」

新藤先生の言葉で決意は固まった、俺は音々を変えてみせる。
それが成功した時、俺はことを正面から抱きしめられるんだろう……





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