【2】 【小町】 「お待たせー」 【宇理祢】 「おっそいよ、風車ももうとっくに来てたんだぞ。 まったくあんた等は煙草の時間が長いんだから」 【小町】 「じゃあウリリンの前で吸って良い?」 【宇理祢】 「ノン!! 吸うのは構わないけど、私の前で吸うのはご法度だからね! まだ未成年のクセに、この堕落不良共が!」 【宗志】 「よっ」 【風車】 「おひさ〜♪」 両手をニパニパと握ったり開いたり。 ダボっとした大きめの上着、その袖口から小さく手を覗かせる彼女独特の仕草がなんだか癒される。 『嘉濡 風車』、彼女も僕のクラスメイト。 島一番のマイペースで、学校に遅刻してくることもしばしば。 良くも悪くも今の自由に一番馴染んでいる子といって良いだろう。 【小町】 「また夜更かししたの?」 【風車】 「したの」 【宗志】 「夜更かしってったって、そんなにすることあるの?」 【風車】 「深夜の散歩はなかなかオツなもんだよ。 途中から街灯一つ立ってないから毎日が肝試しだよ」 【宗志】 「そ、そうなんだ……」 僕はちょっとそういった方面は苦手だなぁ…… 【宇理祢】 「くぅぉらぁー! 私等を無視するなー!」 相手にされてなかった宇理祢ががーがーと怒鳴り始めた。 宇理祢の後では心底楽しげに酔狂が笑っていやがる。 【宗志】 「酔狂も山散策組?」 【酔狂】 「らしいな、問答無用でこいつに連れてこられた」 【宇理祢】 「あんたが一人で寂しそーにしてたから誘ってあげたんでしょ。 それに山は何が出るかわからないんだから、私等の盾が必要だしね」 【宗志】 「盾扱いされてるよ」 【酔狂】 「のようだな」 捨て駒扱いされてるのにこの余裕、僕もここまで余裕たっぷりに生きられたらなぁ。 【宇理祢】 「こほん……さてさて、面子も揃ったし、時間ももったいないし いざゆかん山奥へ!!」 一人でおーっ!!っと元気一杯ポーズ。 あ、一人じゃないや、風車も両手を挙げて元気ポーズをしていた。 な、なんだろう、癒される…… …… 山道は基本的にどこからでも入れるが、目印を見つけやすいということで学校の裏手から入ることになった。 今回は道無き道、いわゆる獣道の探索ではなく、予め出来ている歩道を回れるだけ回るということで落ち着いた。 【宇理祢】 「なんか出てきそうだね、ワクワクだね、ドッキドキだね♪」 【酔狂】 「まあ熊ぐらい出てもおかしくないわな、狸が平然といるくらいだし」 【宗志】 「熊ねぇ……もし出たらどうするの? 僕たち猟銃なんて勿論持って来てないよ」 【小町】 「方々に逃げるしかないんじゃない? 散り散りになれば誰か一人の犠牲でその他全員が助かるし」 【宗志】 「一人は死んじゃうの確定だよね?」 【風車】 「熊が出たんじゃしょうがないよ♪」 そりゃそうだけどさ、あんまりにも酷いじゃないですか…… 【小町】 「たぶん、宗志は食べられたりしない」 【宗志】 「なんで?」 【小町】 「宗志を食べるのはわ……むぐ」 【風車】 「わ? 何?何?」 【宗志】 「聞かなかったことにしてくれ…… 煙草になんか入ってたみたいで頭回ってるんだろうさ」 何云おうとしたか察知したので慌てて小町の口塞いでやった。 この女は油断も隙もない…… 【小町】 「そーしぃ」 【宗志】 「ん?」 【小町】 「くるひぃ」 【宗志】 「そのまんま意識どっかとんじまえ」 【小町】 「……あぐっ!」 【宗志】 「ぬぅあ! いってぇ!!」 こいつ噛み付いてきやがった、女の子なんだからそういう野蛮なことしちゃダメでしょ。 【小町】 「はぁ、やっと解放されたよ」 【宗志】 「何も噛むことないじゃないか……」 【小町】 「自業自得」 【宇理祢】 「前から思ってたんだけど、小町って宗志で遊んでるよね」 【酔狂】 「だな、小町の手のひらで踊らされてるってわけさね」 【風車】 「わぁお、宗志クンて小町ちゃんの下僕だね。 良いなぁ、私もそんな相手欲しいなぁ」 【酔狂】 「俺でよければどうぞ」 【風車】 「酔いどれ君はちょっと違うんだよね。 私はどっちかって云うと、宇理祢ちゃんみたいな方が良いなー♪」 【宇理祢】 「ひゃっ、ちょっと風車!」 宇理祢の背後から腕を回して風車が抱きついた。 しかもその抱き付き方、変質者のそれと同じだな……思いっきり胸揉んでやがるわ。 【風車】 「ふにふに〜♪」 【宇理祢】 「ば、莫迦なことやってないで離せってば! 私にそんな趣味は無い!!」 【風車】 「ちぇーっ……」 しぶしぶといった感じで風車が絡みつけた腕を放した。 宇理祢は宇理祢で肩を大きくゼェハェさせて呼吸を整えていた。 誰よりも自由人な風車は誰彼構わず妙なスキンシップをしてくることが多い。 この間は僕の顔を無理やり胸に押し付けて 【風車】 「だーれだ♪」 ってされた。 そのての漫画やなにかだと、胸が小さくても女の子なのでちゃんと柔らかい。 とでもいうのだろうけど…… 風車の胸は小さいというか……完全に無い。 僕だってそりゃ男だし、どこかに柔らかいとこでもあるだろうって思ったけど。 本当に何もない、漫画ではああいうけどやっぱり無い物は無いんだね。 【宗志】 「……」 【風車】 「ピッポッパ。 おぉ、なんだか非常に失礼な考えを受信したよ。」 う、なかなかに鋭いな。 だけどピポパはないだろ、しかもそれを口で云うな口で。 【風車】 「宗志クン、今失礼なこと考えてたでしょ。 例えば……むぅ!」 ベシン! 【宗志】 「いたっ、な、何さいきなり」 【風車】 「女の子に胸の悩みはご法度でしょ。 まったいらで完全に無くて悪かったね」 こいつエスパーか何かか? それとも……あぁ、そうかそういうことか。 つまり、それほどまでに悩みの種であるってことなんだろうね。 【風車】 「ピッポッパ! 怒るよ!」 もう十分怒ってるじゃないか。 しかもまた受信したのね、とんでもなく敏感なアンテナのようで…… 【小町】 「大きいのが良いなら私のあるよ」 もにっと片胸を持ち上げて「どう?」とアピール。 平日の昼間からどんどん卑猥な方へ卑猥な方へ進んでいる気がする。 まったく、ダメ人間どもが。 …… 学校裏手から山に入ってそろそろ一時間というとこだろうか? 初めこそ皆やいのやいのと煩かったくせに、いつの間にか皆口数が減っていた。 そりゃまぁ、こんなしんどい道に出れば当然といえば当然だろう。 獣道というわけではないが、人が歩くことはあまり想定されているとは思えない。 そりゃほとんど人がいないんだから、人が歩くことなんて考えないのが普通といえば普通か。 【宇理祢】 「……あのさ」 【宗志】 「何?」 【宇理祢】 「しりとりでもしない?」 【小町】 「なんで?」 【宇理祢】 「一言も喋らないとなんか虚しいよ。 それにこんなときこそ楽しいことしなきゃ、お先真っ暗だよ」 そんなこの先が地獄みたいな云い方しなくても…… 【宗志】 「喋ると余計に疲れるよ?」 【宇理祢】 「喋らないで孤独に押し潰されるよりましさ。 私からいくよ、しりとりのしー!」 普通しりとりの「り」って始まるんじゃないの? なんだしりとりの「し」って、私からいってないじゃないか。 【酔狂】 「屍」 【風車】 「うぇ、いきなり荒廃的なのきちゃったよ。 じゃあ……ネクロマンサー、小町ちゃん「さ」でよろしくね♪」 【小町】 「さ、さ……サバト儀式」 ちょっとちょっと、一向に荒廃要素から抜け出さないんですけど。 もう少ししりとりに相応しいこと云えってのに。 【宇理祢】 「ほら、宗志の番」 【宗志】 「禁断、んがついたから僕の負けだね」 【宇理祢】 「今わざとやったでしょ? もう一回いくよ、今度は真面目にやってよ。 宗志のしー!」 【宗志】 「侵犯、んがついたね」 【小町】 「あぐ」 【宗志】 「なぁあー! 痛いってば!!」 【小町】 「真面目にやらない罰」 首筋に噛み付かれた、お前はドラキュラか…… 【小町】 「今度わざと負けたら、脱ぐよ?」 【宗志】 「どんな脅しだよ……わかったわかった、真面目にやれば良いんでしょ。 僕からいくよ……ロールシャッハし……」 【小町】 「上からが良い? それともスカート脱ぐ方が良い」 【宗志】 「御免なさい、もうしません…… ええと、じゃあリンゴ」 【宇理祢】 「王道できたね、それじゃあ定番の返しでゴリラのらー」 【酔狂】 「ランカスター家」 【風車】 「急な変化球ずるい! け……結核!」 【小町】 「クトゥルフ神話のわ」 【宗志】 「ワーテルローの戦い」 【宇理祢】 「な、なんか歴史の勉強みたいになってきたよ、ちょっとやな気分。 いいい……犬公方?」 【酔狂】 「空蝉」 【風車】 「み、皆殺し!」 【宗志】 「ぶっ! 物騒なこと云うな! なあ、なんだかするほどに暗くなってる気がするんだけど」 【宇理祢】 「私もそう思った、無駄骨だったね」 やれやれ、やったらやったで余計に気が滅入ったじゃないか。 …… 【宗志】 「そういえばさ」 【宇理祢】 「んぅ?」 【宗志】 「昼ご飯とかってどうするつもりだったの?」 【宇理祢】 「さぁ、そこまで考えてないなぁ」 ……はぁ、宇理祢のことだからそうなんじゃないかなって思ったけど、やっぱりか。 【宗志】 「お腹空いたから僕帰っても良いかな?」 【宇理祢】 「えぇー! これから良いとこなのに!? 一食抜いたくらいで死ぬわけじゃないし、付き合いなよ」 これからもそれからも、どうせずっとこんな道が続くんでしょ? 山を分け入って進んでるわけじゃないし、さほど収穫があるとは思えない。 【宗志】 「今日中に食べておきたいものがあるから帰らせてよ」 【宇理祢】 「一日や二日じゃ腐んないって、だから付き合え」 【宗志】 「帰るよ」 【宇理祢】 「付き合え」 【宗志】 「やだよ」 【宇理祢】 「ダメ!!」 【酔狂】 「まあまあそう熱くなりなさんな。 話の腰を折って悪いけど、弁当があるんだが。 ほれ」 【二人】 「は?」 酔狂の一言に僕と宇理祢が間抜けな声を出した。 確かに酔狂の手にはバスケットが持たれている、あんなの持ってたんだ、全然気付かなかった。 【宗志】 「酔狂が作ったの?」 【酔狂】 「まさか、俺は持ち運びをしただけさ。 弁当を作ってきたのは風車だよ」 【風車】 「うん♪」 【宗志】 「そうならそうと早く云ってくれれば良かったのに」 【風車】 「云おうと思ったら二人とも云い争いになっちゃったから。 タイミング逃しちゃったし、もう良いかなって」 【宇理祢】 「でもさ、これで宗志も家に帰る必要なくなったよね。 まさか風車がお弁当作ってきてくれたっていうのに、それでも帰るとか云うのかしら?」 【宗志】 「ぅ……」 そこまでしてもらったのにここで帰ったら僕だけが悪者になるじゃない。 【宗志】 「ええと、僕も呼ばれて良いかな?」 【風車】 「勿論♪ じゃあ皆でご飯にしましょう♪」 わーっと両手を上げてマイペースな笑顔を見せた。 なんでだろう、また癒された……風車からマイナスイオンでも出てるんだろうか? …… 山道からちょっと外れたところで、丁度良いスペースがあったのでそこに敷布を広げて皆でお弁当を囲む。 散策がいつの間にかピクニックになってるよ。 【風車】 「さあどうぞ〜♪」 風車が作ってきてくれたお弁当はサンドイッチ。 小さく綺麗にまとめられ、様々な具が見え隠れしている。 こういうのを食べなくても美味しいのがわかるって云うのかな。 【宇理祢】 「あく……わ、美味しいこれ。 風車がこんなに料理上手だって知ってれば宗志の家に入り浸らなくてよかったのに」 【風車】 「んぅ? 宇理祢ちゃんお料理得意だったよね?」 何を? はは、そんなまさか。 だったらなんで宇理祢はちょくちょく僕の家に…… 【宇理祢】 「んー、なんか一人分って面倒じゃん。 宗志のとこに行けばご飯食べさせてくれるし、じゃあいっかなってね」 【宗志】 「良くない! 料理できるんなら自分でしてよ」 【宇理祢】 「だって面倒だもーん」 【酔狂】 「というかさ、この島にいる奴で料理が出来ないやつなんていないだろ? 食い処もコンビニも無いんだから、自分で作る以外食べるもの無いわけだし」 【宗志】 「ちなみに、酔狂と小町も勿論?」 【酔狂】 「出来んことはないわな」 【小町】 「何でも出来るよ」 小町はわかるけど、酔狂が料理できるっていうのは意外だ。 まさか料理とは名ばかりで、地下で魔女が作ってるようなやつじゃないだろうな? 【宗志】 「もうこれから僕の家に来ないでね。 酔狂の家で魔女のスープでもご馳走になってよ」 【酔狂】 「おいおい、人を魔女呼ばわりかよ。 それに今の時代、魔女が大きな釜でぐつぐつなんて誰も想像しないって」 【風車】 「大きな釜でぐつぐつ、コンソメスープ?」 【酔狂】 「そんな生優しいものじゃなくて、鼈とかコブラとか。 牛の睾丸などなどが入った勢力増進の絶倫スープのことさ。 一杯飲めばもうその日一日24時間体制で腰を振り続け……ごふ!」 【宇理祢】 「風車にいらんこと教えるな! 風車は私たちの中で唯一ピュアな最後の良心なんだぞ!」 【小町】 「……私は卑猥なの?」 えぇと、うん……そう解釈せざるを得なくなるね。 小町だけでなく、宇理祢も、酔狂も、勿論僕も……って待てい! 【宗志】 「おかしいのは酔狂だけで十分だ」 【酔狂】 「さらっと俺だけ仲間外れかよ。 そんな酷いこと云わないでくれよ、この島にいる人は皆仲間だろ?」 【宇理祢】 「だとしてもあんただけは特別だ!」 【風車】 「……」 【小町】 「どしたの、考え事?」 【風車】 「私たちって、このままずっとこの島にいるんでしょうかね?」 風車の疑問に、その他全員が返答に詰まってしまった。 この島を出してくれるかくれないかということになると…… たぶん国が取る選択は後者だろう。 殺すことも視野に入れていた国が、僕たちを本当に戻すとは到底思えない。 つまり、僕たちは死ぬまでこの島にいなければならないというのが辿りつく答えだろう。 だけど、僕は…… 【宇理祢】 「とりあえず、簡単に出してはくれないだろうね」 【小町】 「私たちがそういった存在であるのなら、なおさら」 【酔狂】 「大人の眼がそう入らないっていうのは結構良いことだがね。 なんせ大人のカテゴリーに分けられるのが3人しかいないしな」 【風車】 「私は今の生活も楽しいから良いんですけどね〜♪」 なんで…… 【小町】 「郷に入ってはってことよ」 【宇理祢】 「楽しんだものの勝ちでしょ! 実際私も今は今で結構楽しんでるしさ」 なんでなんだよ…… 【酔狂】 「何も用意されていないならまだしも、全てが用意されているとあれば 最初から最後まで不平不満を云う必要も無いだろうさ」 【小町】 「云うならば、私たちは『生かされて』いるんだね」 なんで、どうして皆…… 【宗志】 「……」 【風車】 「どこ行くのー?」 【宗志】 「ちょっと煙草吸ってくる」 …… 【宗志】 「ふぅー……」 白い煙を吐き出しながら、大きく深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着ける。 あのままあんな和気藹々とした場所にいたらどうにかなってしまいそうだ…… 【宗志】 「……」 【小町】 「やっほ」 【宗志】 「小町……なんか用?」 【小町】 「私も煙草吸いに来た、隣借りるよ」 こんなに広いのに、あくまでも僕の隣で煙草を吸いたがる。 考えてみれば、僕たちが対面して煙草を吸ったことは一度も無いな。 【小町】 「もう、宗志だけなんだよね」 【宗志】 「何が?」 【小町】 「この『狂った』生活に、馴染めないでいるのがさ」 【宗志】 「……はぁー」 【小町】 「誤魔化さないの」 むぎゅっと鼻をつままれた、呼吸が苦しくなって咽で息をすると 煙草の煙が一杯入ってきてちょっと気持ち悪い。 【宗志】 「けほ、えほ……もう僕だけ、か……」 【小町】 「うん、宗志だけ」 【宗志】 「それって、良いことなのかな?」 【小町】 「私にはわからない、私ももうこの島に馴染んじゃったから。 云い方は悪いけど、私ももう『狂って』しまっているのかもね」 【宗志】 「……」 ……はたして、本当にそうなのだろうか? 皆詳しいわけもわからずこの島へと連れてこられた。 それだというのに、一ヶ月も経たずに誰もが初めからこの島にいたように違和感無く生活をしていた。 クラスの皆も、先輩も、後輩も、先生方大人たちでさえもだ。 そんな中で、未だに馴染めず、疑問を持ちながら生活を続けているのは僕一人…… この『狂った』島の中で、僕一人だけが狂わずに生活をしている。 もう皆島に狂わされてしまったのか、僕一人を除いて。 何故僕一人だけなんだ? どうして僕一人だけがこんな感情を持っているんだろう? 『狂って』いないのは、僕……一人…… 【小町】 「ふぅー……」 煙を吐き出す小町の横顔、未成年の僕たちの中で 唯一この横顔を知ることが出来るのは僕だけなんだ。 この綺麗な横顔が、本当に『狂って』しまった者の横顔なのだろうか? 【宗志】 「……」 僕のような『疑問』を持ちつづける者。 小町たちのように、『狂って』島に馴染んだ者。 小はいつだって大の前で立場が弱く、大であることはその場においての『正義』でもある。 そんな中で唯一の小である僕の存在。 これが、いや、これこそが…… 『狂って』いるのではないだろうか? 【小町】 「そろそろ、皆のとこ戻る?」 【宗志】 「うん……」 吸っていた煙草を靴裏でもみ消し、小町が僕に背を向けた。 ガッ! ドス! 【小町】 「あづっ! な、何急に……」 小町の肩をとり、無理やり近くの木に身体を押し付けた。 あまりに急だったせいか、小町はなんの身構えも出来ずに衝撃全てを背中に受けてしまう。 【小町】 「そう、し?」 【宗志】 「なぁ、小町……僕が、ひょっとしたら僕だけなのかな……」 【小町】 「何が、どうしたって云うの?」 【宗志】 「僕だけが、『狂って』るんじゃないのかな……」 【小町】 「……」 【宗志】 「おかしいだろ、皆はこの島に馴染んで当たり前のように生活してるのに。 僕だけが、いつまでもこの島を憎んで、ずっと帰ることだけを考えて……」 【小町】 「それこそが、普通の考えだよ。 だから、狂っているのは私たちの方、宗志を除いた私たち全員がね」 【宗志】 「小は大の前で、いつだってそう云われるんだ。 だけど結局、小は大にとって敵扱いさ……一人だけが全く違うということの怖さ、小町にわかるかい?」 いつの間にか僕の声が震えていた。 僕はいつだって一人だった、それゆえに、恐怖全てを自己で克服しなければならなかった。 一人ということは、それ自身が一種の恐怖なのだ。 孤独とは違う『一人』ということ、これを知ったとき、僕は恐怖というものに直面した。 そして、僕は今でも恐怖に取り付かれてしまっている。 散々僕の周りから『失わせる』こと、それが恐怖の正体だったのだから。 【宗志】 「……」 【小町】 「……」 小町の首もとのリボンを強引に解き、一番上のボタンを引きちぎる。 そんな僕の行動に、小町は抵抗するどころか全てを僕に委ねている。 ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ…… 【小町】 「……」 僕の手が僅かに鈍くなったときを見計らって、小町が僕に抱きついた。 これではもう、服を脱がせるなんてことは出来なくなってしまった。 【小町】 「怖いのなら、私がいるから……」 【宗志】 「こま、ち……」 恐怖がすっと体から抜け去り、異常なまでの脱力感が僕を襲う。 ドスン…… その場に尻餅をつき、深く深呼吸をする。 一種の発作的状況、これが回復するのに少々時間がかかる。 【小町】 「私も、いようか?」 【宗志】 「いや、戻っててくれて大丈夫……」 【小町】 「そう」 パキパキと小枝を踏む声が遠ざかっていく、もう僕の視界に小町の姿は無かった。 【宗志】 「はは、やっぱり、狂ってるのは僕の方だよ……」 あの時、恐怖に同居を許してしまった僕の唯一の汚点であり問題点。 再び恐怖を知ったとき、僕の恐怖は他者を巻き込んでしまうこと。 他者との接触で、僕の恐怖は一旦僕の中へと戻っていく。 僕だけは『隔離』されてもしょうがない人間。 そして僕だけが、島の中で『狂って』いない存在…… やはり、僕だけが異常な存在なのだろう。 【宗志】 「しかもまた、小町なんだ……」 また。 小町には以前も恐怖を知った僕を見られたことがある。 小町は気にするなと云ってくれたけど、僕が気にしないわけは勿論無く。 たぶん小町も口ではああ云っているものの、気にしていないわけが無い。 恐怖を知っているからこそ、僕は恐怖と共に一人でいなければならない。 しかしそれを破ってしまうと、恐怖は見境無く他者を探してしまう。 それを避けるために、僕は不特定多数のあの中に身をおかなくてはならない。 ……なんだ、そういうことか。 小町たち皆が狂っているかどうかなんてこのさいどうでも良いことだったんだ。 僕が、僕だけは。 とうの前に『狂っていた』ということなのだから…… …… 【宇理祢】 「おーい、遅いぞー」 【酔狂】 「なんだ、迷子か?」 【宗志】 「違うよ、ちょっと感傷に浸ってただけだ」 【宇理祢】 「浸るもんなんて無いくせによく云うよ。 さってと、お弁当も食べてエネルギーも蓄積されたことだし、午後の散策を始めるよー!」 【風車】 「おぉー!」 皆には悟られないように、森の中で何があったのかを悟られては絶対にいけない。 何があったのかを知っている小町に眼を向ける、リボンで隠されて入るものの第一ボタンは無くなっている。 それでも小町は何もなかったかを完璧に装っている、凄い子だよ全く…… 【小町】 「……帰る方が良い?」 こそっと耳打ち、僕にとって良い選択肢はどちらなのだろうか? 【宗志】 「いや、付き合うよ……」 【小町】 「そう……辛いときは、私に当たって」 知れってそんなことを云う。 今の僕にとって、精神的な支柱は彼女の存在が大きいのかもしれないな…… ただ、僕に恐怖があるということを忘れてはいけない。 僕の恐怖は、僕の周りから『失わせる』ことなんだから。 …… 山の散策が終わったのはもう夕暮れ、一日の半分を山で過ごすとは正直思わなかった。 【宇理祢】 「うぅーん、一日山を歩くと結構クルね」 【酔狂】 「体力あり余ってるお前でそれなんだ、風車あたりはもうくたくただろう?」 【風車】 「早く家帰って布団で寝たい出すぅ……」 【宇理祢】 「そんじゃま、ここらでお開きにしようか。 一同かいさーん!!」 宇理祢の言葉を合図に、それぞれが皆自分の家にと戻っていく。 こんな日はさっさと家に戻り、一人布団の中真っ暗な世界で眠ってしまう方が良い。 僕がそうしたくても、それを良しとしない奴もいるのだけど…… 【小町】 「今日は私の家に来る?」 【宗志】 「なんで……?」 【小町】 「捌け口、私しかなれるのいないでしょ?」 【宗志】 「自分を、そんな扱いしちゃダメだ…… 僕のことは大丈夫、しばらく一人にしてもらえれば何とかなるから」 【小町】 「じゃあ、私が強引に宗志の家に行くのもダメ?」 【宗志】 「ダメ、それから……僕は小町を捌け口にしたいなんて思ってないから」 それは僕の本心だ。 だけどその本心など関係なく、恐怖は僕の表へと出てきてしまう。 それによって小町を求めたとしたら、捌け口にしてるのと変わらないか…… 【宗志】 「お休み……」 【小町】 「オヤスミ」 小町と別れの挨拶を交わし、僕はようやく一人になれた。 最も望んでいながらも、最も陥りたくは無い状況、それが今の状況だ。 何もかもが自由で、何もかもが与えられた状況。 しかし、それこそが最も『狂って』いるこの世界。 そんな『狂った』島で、長い時間はまだ始まったばかり。 終わりである終端の『先』を目指す歩みは、まだまだ始まったばかりだった……