【4月11日(金)】


いつもどおりの時間に1分のくるいも無く音が鳴る。
機械ってのはもうちょっと人間らしくなれんのかね……無理だよな。
それじゃあ機械の意味がなくなってしまうよな。
音を止めて洗面所に向かう、今日も1日が始まるんだな。


朝食を終えて学校に行く準備をする、鞄を持ってくるだけなのだが。
眩しすぎることのない控えめな日差しが俺の登校を迎えてくれる。
今日は週の最終日、明日は休日だ何かしたいことでもあったかな?

【某】
「はよー、ふあぁあぁー」

【一条】
「お早う、どうした欠伸なんかして眠いのか?」

【某】
「昨夜新しいドーグの開発しとったら中々いい案が生まれんでな。
意地になって考えとったら朝になってしもうて、さっぱり寝てへんねん」

もう一度大きな欠伸をして眼を擦った、しかしドーグってあんた……
何故にカタカナなのかはあえて聞かないでおく、聞いたところでどうせ予想と同じなのだから。

【某】
「一条ー、わいコンビニで眠気覚ましかなんかこうてから行くさかい先に行っとって」

学校の近くまで来ると廓の眠気は限界になったらしい、もう眼なんか……髪で見えないな。
多分死ぬ前のタヌキみたいなやつれた顔してるんだろうな。
コンビニに入る足取りすら危なっかしい、大丈夫なのか?
廓を置いて学校に向かう、すっと俺の前を何かが横切った。
……女の子……だよな?
学校の制服を着たまぎれもない女の子だった、ただ何かが違っていた。

【一条】
「……猫の耳……?」

それだ、女の子の頭から猫耳が生えていた、どういうことだ?
この学校はいつから妖怪が通学できる学校になったんだ?
しかし、妖怪なんて居る訳無いよな、そうだ俺の見間違いだ、耳も何かの錯覚だろう。
頭を振るって今見た現場を忘れた、俺は霊感とか持っていないんだから。

……

【美織】
「おっはよー、あれどうしたの、考え事でもしてる顔しちゃって」

【一条】
「別に考え事なんてしてないけど……」

【美織】
「嘘、何も無かったらもっとあんたはむすっとした顔してるもの、今は何か真剣そうな顔してる」

なんだそれは、俺は普段いつもふてくされてるって云うんですか?

【一条】
「美織、この学校って七不思議とかそんなのある?」

【美織】
「七不思議? 何あんたオカルトファン?」

【一条】
「別にそうじゃないけど、気になることがあるんだよ、この学校にはもののけの類は出ないのか?」

【美織】
「もののけー? そんなの出るわけないじゃない、大体いるならあたしが見てみたいわよ」

【一条】
「……今日学校の前で猫又がいたぞ……」

【美織】
「猫又って……あの猫の耳と尻尾が生えた人間みたいなやつ?」

【一条】
「それそれ、校門の前で学校の制服着たやつがすぅっと……」

【美織】
「……それってもしかすると……」

美織が頭を抱えてうんうん唸っている、目撃者がいるとわかって急に怖くなったか?

【美織】
「あはははははははは」

突然笑い出した、何かおかしなことでも起きたか……涙まで溜めているぞ。

【一条】
「……どうした……ネジでも1本飛んだか?」

【美織】
「あはははは、ご、ごめん、でも、ははははは」

何も面白いことなんか起きなかった、美織は病気もちなんだな南無……

【美織】
「はははは、はぁ、ふぅ、ふぅ、はぁ」

【一条】
「治まったか、悪かったな病気もちなら早く云えよ、あせったじゃないか」

【美織】
「病気もちってどういうことよ?」

【一条】
「突然発狂する持病だろ、大変だな何もないのに突然笑いがこみ上げてくるなんて」

【美織】
「誰が発狂もちよ、普通に面白いことがあったから笑ったんでしょ」

【一条】
「面白いことがあった……どのへんが?」

【美織】
「だってあんたマジメーにすっごい真剣な顔して猫又がいるなんて云うんだもん、もうおかしくっておかしくって」

【一条】
「お前信用してないな、俺は見たんだぞ学校の前を猫耳が走るのを」

【美織】
「だったらそれはコスプレかなんかでしょ、妖怪なんてこの世にいるわけないじゃない」

コスプレだって?
こんな朝から制服着て猫の恰好して……ありえないだろ。

【某】
「はよーさん、ふあぁあぁー」

見えない眼を擦りながら廓が教室に入ってくる、眠気覚ましを買うとか云っていたがあの様子じゃ効いてないんだろうな。

……そうだ、廓ならわかってくれるだろうな。

【一条】
「廓、今日学校の前で猫又見たんだけどお前何か知らないか?」

【某】
「アホか、そんな空想上のいきもんおるはずないやろ、変なこと云っとらんで1時限目一緒に寝て過ごそうや」

手をひらひらさせ上着を被って突っ伏してしまう、廓も全面否定のようだ。
二階堂なら……止めておこう、絶対にいないって云うよな、なんんせあの二階堂だもんな。

【美織】
「わかった、猫又なんて妖怪は空想上の生物なわけ、それがこの世界に存在したらこの世は空想の世界になっちゃうの。
あたしやあんたも空想上の生き物ってことになるの、おわかり?」

びしっと指を刺してくる、確かに妖怪は空想上の生き物だ。
確かにそうなんだがなんだか腑に落ちない、この眼で見てしまったからなんだろう。
しかし空想上の生物なんているわけもない、俺は疲れてるんだろうか?
朝は忘れようと思っていたのにちっとも忘れられない。
俺は結構根に持つタイプなんだろうか……違うな怖がりなんだろうな。
答えのないパズルで悩むのを止めて廓みたいに机に突っ伏す、寝て朝のことは忘れてしまおう。

……

1時限だけ眠るはずがいったん眠りだすと眠気はしつこい、2時限目、3時限目と俺を放してはくれず
結局4時限目終了まで眠ってしまった、何しに学校に来てるんだ俺は?

グルルルルルゥゥゥゥ

眠っていても腹は減るみたいだ、燃費の悪い体だよまったく。

【美織】
「マコ、購買に行かない?」

【一条】
「別にかまわないけど、今日は弁当じゃないのか?」

【美織】
「姫が久しぶりに購買の雑踏を味わいたいんだって、物好きよねー」

【音々】
「いいじゃありませんか、楽しいじゃないですかああいうのも」

音々はニコニコしているが美織は少しうなだれている、そりゃそうだよな購買はいわば戦場。
その日の一押しを獲得するために有象無象が我先にと購買に駆け込む。
購買は人の塊で占拠される、正直あれには巻き込まれたくないがしかたない。
今日は学食の気分じゃないし、弁当なんて持ってないし否が応でも購買に行かなければならない。

……だったら膳は急げだ!

【一条】
「一押しは無理でもその他の目玉商品ゲットに向けて、出発!」

【音々】
「おー!」

【美織】
「おぉ……」

……

【一条】
「何だあれは……」

視界に入るのは人、人、人 購買が人で埋め尽くされ見えなくなっている。
今あの中に入り込むのは自殺行為だ、買ってもそこから出ることができそうには思えない。

【美織】
「うわー、今日はいつにも増して人がいるわねー」

【音々】
「相変わらず凄いですねー」

2人もこの状況に驚いている、当たり前だこの状況を見て平然としていられるもんか。

【一条】
「少し待たないと無理だな、これじゃ死にかねない」

【音々】
「まるで蜂の巣のようですね、さしずめ私たちはスズメバチでしょうかね?」

【2人】
「……どういうこと?」

俺と美織は音々の科白が示す意図を理解できずに同時に聞き返した。

【音々】
「誠人さんの死にかねないに掛けたんですよ、スズメバチは蜜蜂とは比べ物にならないほど大きな蜂です。
スズメバチは蜜蜂の巣を襲って子供を食べるんですけど蜜蜂の巣はちょうどあのような塊になっています」

音々は購買に群がる人の塊を指差して続けた。

【音々】
「蜜蜂も襲ってきたスズメバチに応戦します、スズメバチの周りを取り囲んで密閉して内部温度を上昇させるんです。
もともと蜂は熱に弱い生き物ですからスズメバチは死んでしまいます、勿論蜜蜂もただじゃ済みませんけど。
今の場合、人だかりが蜂の巣、購買に飛び込む私たちはスズメバチということになります」

音々の説明を聞いて2人とも大きく頷いた、博識豊かな人だな音々は。
音々の博識に感心していると俺の眼の前を少女が通り過ぎる……朝の猫又だ!
眼が猫又をとらえた、やっぱりこの学校は妖怪学校なんだ。

【一条】
「美織……あれ、あれ……あれ見て……猫又!」

【美織】
「えぇー、どれよどれよ?」

視線を漂わせている美織に猫又を指差しで教える、どう見ても猫の耳がついている。

【美織】
「うーん、あれなの?」

コクコクと俺は頷く、妖怪に再び出遭ったせいか言葉が出てこない。

【美織】
「はぁー、そんなことだろうと思った、あれのどこが猫又だっていうのよ?」

【一条】
「どこがって見てみろよ、あの猫耳、それからあの尻尾」

【美織】
「あのねぇ、よく見てみなさいよあの猫耳はカチューシャについてる付属品でしょ。
尻尾だって腰に付けるああゆうアクセサリーが流行ってんのよ」

【一条】
「何ですと?……カチューシャ……アクセサリー……」

そう考えれば確かにつじつまが合う、しかしそうだとすると俺はとんだ笑いものだ。
でもまだあれが本当にカチューシャやアクセサリーとはわかっていない。
確かめてみる必要があるよな。
空いてきた購買に3人で向かう、そこには猫又も並んでいた。

空いてきたとはいえまだまだ塊は勢力を保っていた、その中を掻き分けてなんとか物資までたどりつく。
目の前に見えたカレーパンとロールパンを手にとって会計に渡し、200円を払って塊からの脱出を試みる。
塊から抜け出すと急に涼しくなる、いかにあの塊内部の温度が上昇しているのがわかる。

美織と音々はまだ抜け出せていないようだ、壁にもたれかかって2人を待つことにした。
すると最後尾にさっきの猫又がいた、俺たちよりも早く並んだのだからもっと前にいるはずなのになんで最後尾にいるんだ?
見ていると猫又は新しい人が来るたびに後ろへと下がっていた、あれじゃあいつまでたっても物を買えないぞ。

【少女】
「きゃぁ」

猫又が塊に突き飛ばされその場に尻餅をついてしまう、危なっかしくて見ていられない。

【一条】
「ねぇ君、何買おうとしてるの?」

【少女】
「いたた……へ……は、はい、ココアを買おうと……」

猫又はお尻を擦りながら立ち上がる、その時猫耳をチェックする。
……湾曲した板に猫の耳がくっついている……カチューシャだ。
紛れもない人間の女の子だった、妖怪妖怪騒いでいた自分が恥ずかしい。

【一条】
「ココアか、ちょっと待ってな」

懐にパンをしまい込みもう一度蜂の巣に身を投じる。

【少女】
「え……あ、あの……」

働き蜂を掻き分けてもう一度物資を探す、見つけたココアと百円を交換してさっさと巣を抜け出す。

【一条】
「はいこれココア、もうちょっと厚かましく人の中掻き分けないと買うものも買えないぜ」

女の子にココアを渡す、普通なら女のこの為に物を買ってやろうとは思わない。
でも今回は別だ、女の子がかわいそうだったといえば聞こえは良いかもしれないが。
本当は自分の勘違いが恥ずかしくて穴に逃げただけに過ぎない、そうでもしないと美織に見つかったら名に云われるかわからない。

【少女】
「あ、あのすいません、これお金です」

【一条】
「別にいらないよ、俺のおごりだ、それと俺のお詫びの気持ちかな」

【少女】
「お詫びの気持ち……?」

女の子は何のことかわかっていない、それはそうだ俺が勝手に妖怪だと思っていただけなんだから。

【一条】
「俺の勘違いに対するお詫びだよ、勝手な俺の思い込み」

【少女】
「でもそんな……」

女の子はおどおどしてどうしたらいいのか考えあぐねている様子だった。

【美織】
「はぁはぁ、やっと出られた、マコー教室に戻るわよー」

揉みくちゃにされてぐったりとした美織が肩で息をしていた、その横で何もなかったかのように音々はパンを手にしていた。

【一条】
「待ってくれ今行く、じゃあそういうことで今度はもっと積極的にね」

少女に助言を与えて美織たちの元に向かう、どうやら2人とも目的の物は買えたようだ。

……

【美織】
「もう最悪ー、髪の毛ぐちゃぐちゃになるし足踏まれるし、良い物は残ってないし」

【音々】
「そうでしたか? 私は中々良い物が手に入りましたけど」

美織が手にしたのはジャムパンとクリームパン、購買の中でも最後の方まで残る敬遠されがちな商品だ。
それに対して音々が手にしていたのはツナのサンドイッチ、大体最初の方で売切れてしまう人気商品の1つ
美織のパンと音々のパンではもう月とスッポン、比べるまでもなかった

【美織】
「何で姫はそんな良い物が取れるのにあたしはこんなのしか取れないのよ
こんなのアワビとトコブシ、キャビアとトンブリぐらい差があるじゃない」

そんな難しいこと云わないでも月とスッポンでもわかるのに、美織らしいな。

【一条】
「まあそんなに荒れるなよ、お前の運が悪かったんだまた今度がんばれ俺だってたいした物は取れなかった」

【美織】
「あんたはまだ良いじゃない調理パン取れたんだから、あたしは両方とも菓子パンなのよ。
こんな物が昼食になるわけないでしょう、ぜったい午後の授業中お腹が鳴るわ。
そんなの聞かれたら乙女の恥よ、もうお嫁に行けなくなっちゃうじゃない」

【一条】
「わかったわかった、カレーパンと交換してやるから荒れるな」

【美織】
「本当! じゃあ、あたしのジャムパンと交換ねインサイダー取引ー」

インサイダー取引の使う場所が違うのだが、美織は調理パンが手に入ってご機嫌のようで気にしてないようだ。

【音々】
「美織ちゃんの機嫌も直ったことですし食事にしましょうか」

俺たちは思い思いにパンを開封して昼食を始めた

【美織】
「ところでマコ、さっきあんたが飲み物あげてた女の子猫又だった」

しまった、見られていたか。
一番見られたくないやつに見られてしまった。

【一条】
「人間の女の子でした……」

【美織】
「ほぉーらね、でも普通見ただけでわかるわよねあんなわかりやすいのに」

【音々】
「あのー、猫又とは何の話でしょうか?」

【美織】
「マコがねー、朝学校で猫又が出たーって大騒ぎしてね、実はただの猫耳カチューシャつけた女の子だったのよ」

【音々】
「あら、誠人さんは幽霊とか妖怪の部類を信じてらしたんですか?」

【一条】
「いやぁ信じてたわけじゃないけど、何しろあんなカチューシャ見たこともなかったから」

【音々】 
「確かに男の方はカチューシャと云われてもピンとこないかもしれませんね、それにしても『妖怪』ですか」

【美織】
「笑っちゃうわよね、この歳になって妖怪怖いーなんて云うなんて」

【一条】
「別に怖いなんて云ってないだろう」

【美織】
「あーらそうかしら?」

美織のやつ楽しんでやがる、確かに最初は驚きはしたさ、でも怖いなんて一言も云ってないぞ。

【音々】
「よろしいじゃありませんか、妖怪がいるって考えれるなんて」

音々の言葉に2人とも唖然とした。

【美織】
「姫……どうしちゃったの?」

【音々】
「妖怪がいると考えられるなんて心が豊かな証拠です、いないと決め付けるよりはいると考えた方が楽しいじゃないですか」

【2人】
「……あはははは、ははははははは」

【音々】
「? 私何かおかしなこと云いました?」

【一条】
「いや悪い、音々って意外とロマンティストなんだな、全面否定派かと思ってたから」

【音々】
「もうからかわないでください、確証もないのに全面否定はしませんよ」

全面否定派の美織はまだ笑っていた、お前も音々みたいに考えられないのかねー。

……

放課後は生徒にとって開放感と空しさの塊のように感じられる

することのない俺には開放感すら存在しない空しさだけの時間だ。
こんな日は屋上に行ってみるに限る、鞄を持って屋上に向かった。

開けた視界には太陽の光で白く塗りたくられた空が広がっていた。
屋上には相変わらず人影はなく、広い空の庭園に招かれたのは俺1人だけのようだ。
他の人がいないんならしめたもの、俺は給水塔の上に上った。

【一条】
「この空を独り占めした気分だな……」

ポケットからオカリナを取り出していつものように口にする。
紡がれる旋律はいつも同じもの、飽きないのかと云われたら……飽きないと答えるだろうな。
しかし一体どこで覚えた曲なのだろう、記憶を失ってからは吹くたびにそんなことを考えている。
曲の山場を終え、オカリナの音がだんだんと小さくなっていく、曲も終わりを迎える。

ぱちぱちぱち

後ろからの突然の拍手に心臓が驚く、振り返ると美織と音々の姿があった。

【一条】
「びっくりさせるんじゃない、美織は2回目だろ、いるんなら声ぐらいかけろ」

【美織】
「だってー、姫が曲が終わるまで待とうって云うんだもん」

【音々】
「すみません、あんまりにも素敵な曲でしたので最後まで聞きたくなってしまって。
それで、その曲は何て云う曲なんですか?」

【一条】
「名前はわからないんだ、気がついたら吹けるようになっていたから」

【美織】
「あたしはマコの自作じゃないかと思ってるんだけど姫はどう思う?」

【音々】
「どうでしょうね、でも誰か著名な作曲家が作り出した物ではないような雰囲気の曲でしたね」

【一条】
「著名な作家ではない雰囲気の曲……ですか」

著名だか無名だかは俺にわかるはずもない、俺は音を確かめるようにもう一度曲を奏でた。

【美織】
「綺麗な曲よね、マコが吹けるなんて不思議なくらい」

【音々】
「もぅ失礼ですよ、でも本当に素敵な曲調ですね」

2人は俺が曲を吹き終えるまでの間、俺の曲に耳を傾けてくれていた、聞いてくれる人がいるっていうのはなんか恥ずかしいな。

……

【音々】
「風が、気持ち良いですね……」

曲が終わると俺はその場に仰向けになり、美織と音々は給水塔から広がる景色を眺めていた。

【音々】
「学校にもこんな良い景色を見れる場所があったんですね」

【美織】
「そういえば姫はここに上ったの初めてだっけ?」

【音々】
「はい、屋上にもあまりきませんでしたから、でもここって本当は上っちゃ駄目なんじゃないですか?」

【一条】
「そりゃあまぁ危ないといえば危ないから、先生にばれないうちに降りたほうが賢明だろうね、降りる?」

【音々】
「いいえ、怒られるのを避けるよりもこの景色を感じているほうが私は素晴らしいことだと思いますので」

【美織】
「うわぁー、姫まで悪の道に足を踏み入れちゃった、音々が悪人になったらマコのせいだからね」

【一条】
「何で俺のせいになる、俺がいなくても美織が近くにいれば嫌でも悪人に染まっちまうさ」

【美織】
「それどういう意味、あたしが悪の権化にでも見えるわけ?」

【一条】
「見えないと云ったら嘘になる」

【美織】
「はっきりと云いなさーい!」

【音々】
「くすくす、お2人とも仲がよろしいんですね」

2人の口喧嘩を見て音々は笑っている、その笑みがどこか影になっているように感じられるのは気のせいだろうか?

【音々】
「ところで誠人さん、一つお尋ねしてもよろしいですか?」

【一条】
「かまわないよ、答えられることなら何でも答えるけど?」

【音々】
「それでは、誠人さんはどうしてこの学校に来たんですか?」

俺の動きが止まる、音々は俺がそのことを話したがらないのを知らないから何気ない質問として考えていただろう。
しかし、俺が話したがらないのを知っている美織は俺の方に眼で何かを謝っている様に見える。

【一条】
「どうして来たか……」

【美織】
「あ、あのね姫、マコはその……そのことには触れてほしくないみたいなの」

【音々】
「……え?!」

音々の顔がみるみる悲しげな顔に変わっていく、パンドラの箱に手を掛けてしまったかのような。
人の家に土足で上がりこんでしまったような気まずさと申し訳なさが感情として現れたのだろう。

【音々】
「す、すみません……あの、私……何も知らなくて」

音々は何も悪くない、宝箱が目の前にあったら開けてはいけないと注意書きがないと誰でも開けてしまうものである。

【一条】
「別に気にはならないさ、でも……そうだな……」

頭の中で考えを渦巻かせる、いつまでも隠そうと思えば隠し通せるものだ、しかし……
それは俺にとってプラスになることなのだろうか?

きっと……どちらでもないんだろうな。

【一条】
「良いよ、俺がここに来た理由話すよ……」

【美織】
「マコ……でもいいの……あんなに触れてほしくなさそうだったのに」

【音々】 
「……誠人さん……」

【一条】
「隠し通すことに意味があるかはわからない、それに話したからって罰を受けるわけでもないしな」

給水塔に張ってあるネットにもたれかかって俺は今まで語ろうとしなかった転校理由を話し始めた。

【一条】
「簡単に話すと俺は以前の学校で結構まずい病気にかかったんだ」

病気と聞いて音々が自分の両腕を抱きかかえていた、どんな病気か想像でもしたんだろう。

【一条】
「それで入院しててね、学校には行けなくなってしまった、それで留年になるところを
前の学校の校長が転校すれば留年しなくなるって云ってくれてね。
俺は校長の好意に甘えてこの学校にやってきた、云い方を変えればここには逃げてきたってとこだろ」

理由の中に記憶を失ったことや唯一残っている記憶のことは伏せておいた、これは話せるわけもない。

【美織】
「……」

【音々】
「……」

2人とも声を失っている、俺を哀れみでもしたんだろうか、俺が2人の立場だったら慰めの言葉でも考えるだろうな。

【一条】
「2人ともそんな暗くなるなって、俺にはマイナス要素なんてなかったんだから別に良いじゃないか」

【美織】
「……でも……マコは悲しくないの……前の学校には友達だっていたんでしょ?」

【一条】
「いた……けどもしょうがないだろう、留年するよりはな」

いたと確証できない、その記憶を失っているせいだ。
それが俺の言葉の間合いを生み出していた。

【音々】
「しょうがないって……誠人さんは……それで良かったんですか」

【一条】
「良かったかどうかはわからない、ただ……もう決めてしまったことだ。
人は過去には戻れない、決めてしまったことを過去に戻ってなかったことにするのは不可能なんだから」

3人の世界を沈黙と空だけが観賞していた、過去に戻れるのなら俺だって戻りたい。
病気にならないようにいくらでも努力するさ、でも……もう遅いんだ。
重苦しい雰囲気が流れる中、1人その場を後にする、互いにかける言葉もなく無言だけが時間の中を流れていた。

……

2人を残したまま屋上を後にして帰ることにする、しかしまだ時間がいつもより早いせいか空は紅くなっていなかった。

2人と一緒にあそこにいることが耐えられなかった、過去に縛り付けられた俺にはかけられる言葉全てがナイフのように突き刺さる。
多分2人は俺に何か慰めの言葉でもかけるだろう、それは俺にとって苦痛以外のなにものでもない。
それを避けるために俺は身を引いた、2人に過去を話したのは間違いだったかもしれない……

【某】
「いーちじょーう」

聞きなれた独特の音程の声、間違うはずもない廓の声だ。

【一条】
「どうしたんだよ、帰ったんじゃなかったのか」

【某】
「勇のやつが下級生に喧嘩売られてのー、それ見とったらおもろーておもろーて」

げらげらと笑う廓の後ろには喧嘩の跡なんか微塵も見られない二階堂の姿があった。

【一条】
「勇が勝ったのか?」

【某】
「そんなもんきまっとるやんけー、なんたって『鬼神』なんやで勇は。
始まったとたんにケリはついたんやけど、その下級生失神しおってな。
水ぶっ掛けたり顔ひっぱたいたりしてやっと眼ー覚めよったんやけど、目覚めた瞬間血相変えて逃げてしもたんや」

【二階堂】
「……力みすぎたな……」

【一条】
「ちなみに何%の力で戦ったんだ?」

【二階堂】
「……5%弱……」

下級生よ、もう二度と勇に挑まないほうが良さそうだ、男のプライドがズタズタにされるぞ。

【某】
「これで下級生のやつら勇にたてつくやつはおれへんやろな、それにしても凄かったなーあのケンカキック、もう顔が変形するかと思ったでー」

【一条】
「危ない会話してるんだったら俺はもう帰るぞ」

【某】
「なんやねんつれないなー、わいらも帰るとこやさかい皆で帰ろうや」

校門を出ると廓はポケットか線香ケースから線香を出して火をつける。

【某】
「んーやっぱり落ちつくのー」

【一条】
「こんなところで吸ってて先生に見つかったらどうするんだよ」

【某】
「大丈夫や、未成年が煙草吸ったら文句云われるけど、線香吸ってたからいうて文句云われるやつ見たことあれへんもん」

廓は親指を突きたてた、文句云われる以前に線香を吸う人間を俺は初めて見たぞ。

【?】
「……待ちな……」

3人に声がかかる、後ろには他校の生徒が七人立っている……昨日と似ているぞ。

【男】
「この間は俺の手下が世話になったらしいな、その借りを返させてもらうぞ」

【某】
「世話になったって云ってもなー、覚えがありすぎていつのやつか検討もつかんわ」

けらけらと廓は笑っているが二階堂は頭を抱えている、毎度毎度に街道は廓に付き合わされているんだな。
廓も暴走でもしたら手がつけられなくなりそうだし、二階堂は廓の世話女房役だな。

【男】
「それなら今ここで覚えさせてやるさ、お荷物がいるお前たちに勝利はないぜ」

【某】
「はっはっは、お荷物やて、お前らは一条の強さを知らんねや、お前らなんかよりもずっと一条は強いで」

【男】
「はったりはもっと上手くつくんだな、この三上がそんな喧嘩のけの字も知らんようなやつに負けるものか」

【某】
「ほんなら試してみよか」

もう臨戦態勢に廓ははいっていた、しかし今日は昨日とは勝手が違う、明らかに俺たちが不利だ。

【一条】
「廓、わかってると思うがここは学校の前だぞ、ここじゃあいくらなんでもまずいって」

【某】
「わかってるわかってる、さすがにわいかてそこまでアホはせんて」

内ポケットから何か取り出して火のついた線香にくっつける、ちらりと火花のようなものが上がったのは気のせいだろうか?

【某】
「今度声かけるときはここから遠いとこでしてくれや……ポイっと」

廓が手にしたものを相手に向かってゴミでも捨てるように軽く投げた。

【某】
「一条、勇、散れー!」

とっさの声に俺はそいつらとは逆方向に駆け出した、廓と二階堂も同じほうに走っている。

バチバチバチバチパンパンパンパン

【男】
「うわ! あのやろうこんな小道具を!」

【某】
「じゃあまたなー、今度はやったるさかい腕磨いておくんやなー」

激しい爆発音が鳴り響いている、廓のやつ小型の爆弾でも投げたのか?

……なんて呑気に考えてはいられない、街中でいきなりあんな音が鳴ったら警察が動き出すじゃないか。
ここはさっきの他校の連中に任せてトンズラしたほうが良さそうだ。

2人の後について、俺は警察の猛威(?)を振り切った。

……

【某】
「ふぅー、ここまでくれば問題ないやろ」

俺たちは商店街のほうに逃げてきた、皆疲れていたため近くの喫茶店で休憩を取ることにした。

【一条】
「まったく、お前らは毎日こんなバイオレンスな生活をおくっているのか?」

【某】
「毎日ってわけでもないけどこんなことはよくあるで、わいら有名人やさかいファンがぎょーさんおんねん」

レモンスカッシュをあおって廓は策士的笑いを浮かべる。
あれはファンではなくてお前たちの首を狙う賞金稼ぎだろ。

【一条】
「ところで、さっきお前が投げたのって何なんだ?」

紅茶を一口すすって廓に謎の爆発音のことを尋ねてみる。

【某】
「あれか、あれはな爆竹や、よく花火と一緒に並んでるやつあれを投げつけたんや」

【一条】
「爆竹って……お前そんなもの携帯してるのか?」

【某】
「当たり前だのおとこ組、さすがに喧嘩でけへんときもあるさかいそのための戦闘離脱道具や」

【二階堂】
「……できるだけ喧嘩にするな……迷惑だ」

【某】
「とかなんとか云って、喧嘩になったら活き活きしとるんはどこのどいつや?」

【二階堂】
「……お前が殺人犯にならないためだ……」

【某】
「わいよりも勇のほうが殺人犯になりそうな気がするわ、一条もそう思うやろ?」

同意を求められても困る、ここでうんって云ったら二階堂の敵になりかねないんだぞ。
曖昧な返事を返しておく、廓は不満げだったが一番良い選択肢はこれしかないんだよ。

……

【某】
「ほんじゃま、また来週ー」

【二階堂】
「……」

手を振る廓と二本の指を差し出す二階堂と別れてアパートに向かう。
明日は土曜日で学校も休みだ、これといってすることも思いつかないんだよな。
することもなく空を見上げる、空は赤と橙に染まった夕暮れの空になっていた。

空から地上に目線も戻したとき、俺は金縛りにあったような感覚を覚えた。
視線の先にはあの女の子の姿があった、あの俺が何も云えなくなってしまう不思議な女の子だ。
女の子は俺には気づいていないようですたすたと歩いていく。

待ってくれ。

口から出かけているのに出てこない科白、呼び止めて話をしたいのに動こうとしない脚。
女の子の姿が見えなくなる、息の詰まるような世界が終わり脚も自由に動く。
今日も何もできなかった、チャンスはあるのにそれから俺は逃げている。
情けない、情けなくて涙が出る……実際には出ないものなんだな。

【一条】
「あの子、この辺に住んでるのかな?」

そう考えるとまだ可能性は残っている、情けなさを克服してあの子に話しかけられるようになるのはいつのことか。
今の俺には見当もつかなかった……

……

風呂から上がって水を一杯飲む、風呂で失われた水分が体に染み渡るようで心地よい。
明日の休みは何をしよう、部屋の掃除でもしようか?

部屋を見渡しても別に汚くなってない、住みだして1週間と経っていないんだから当たり前かも知れない。
何も思いつかないまま時間だけが過ぎる、無駄に時間を過ごすのは人生の汚点って云う人もいるがそうだと思う。

普通の人には確かにそうだ、でも俺は違う、俺には無駄な時間がどれほどありがたいことか。
人と触れ合って想い出が溜まるのが俺には無駄な行為でしかない、それなら何もない無駄な時間を過ごすほうが精神的にも肉体的にも楽だ。
無駄な時間にすることは大概決まっている。

机の上に置かれたオカリナを手にしてひたすら吹くこと、無駄な時間を過ごすにはこれが適している。
眠気が襲ってくるまでの間、オカリナは歌を歌い続けていた。





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