【4月12日(土)】


目覚まし時計がいつもどおりの時間に鳴り響く。
いつもなら起きて学校に行く支度をするんだが今日は土曜日。
学校も休みなので起きる必要はない、開いたまぶたを再び閉じて眠りにつく。
たまには早起きしなくても良いよな。

……

次に眼が覚めた時、目覚まし時計は8時半を指し示していた。
そろそろ起きてもいい時間だがどうしようか……もう少し寝る。
もう少し寝よう、昼前には腹が減って起きるだろう。
布団を被り三度寝を堪能することにする。

……

ピンポーンピンポーン

呼び出しようのチャイムが鳴って夢から引き戻される、新聞勧誘やセールスならお断りだ、早く帰ってくれ。

ピンポーン……ドンドンドンドンドン

しつこいセールスだ、俺はいないんだドアを叩くな。

【?】
「一条さーん、いるのはばれてんねん、先月貸した千五百万きっちり耳そろえて返してもらおうか」

!!!!!

おいおいマジかよ……取り立て屋だ。
まさか実際に家まで来るとは最近は大胆になったもんだ、でも今手持ちに千五百万もの大金は無い。
ここは居留守をつかって取り立て屋がいなくなるのを待つしかない。

ドンドンドンドンドン……ドカドカドカドカドカ

扉を蹴りだした、だいぶいきり立っているようだ、扉壊されたら大家に出て行けって云われるだろうな。

【?】
「どうしても出でこんみたいやな、おい、大家から鍵借りて来い、嫌や云うたらやってもうてもかまわんから。
金返さん腐った野郎のせいで善良な一市民が犠牲になるなんてな、物騒な世の中やで」

物騒なのはお前たちだ、大家さんがやられるまえに出て行ったほうが良いだろう、でも出て行ったら俺の体がどうなるかわからない。

【?】
「お、鍵取ってきたか、なんやお前所々赤くして、もうちょっと綺麗に落としてからこいや」

!!!!

大家さんが……やられた……おれのせいだ、俺が素直に金を返さないばかりに。

……おや、待て何かおかしいぞ、俺は今まで金貸しに借りたことは一度も無かったぞ。
ということは取り立て屋は勘違いしている?
話がややこしくなりそうだ、ここは取り立て屋ときっちり話をして先方の勘違いだとわかってもらうのが良いだろう。

【?】
「どうしても出でこんみたいやな、ほんならしょうがない、踏み込ませてもらうで」

ガチャガチャとノブを回す音がする、今出ますから待っていてくださいって。
内側から鍵を開けて取り立て屋と顔を合わせる、サングラスしたパンチパーマなんかだったら……きっと云い負かされるだろうな。

……

【一条】
「……」

【某】
「お、やっと出てきおった、チャイム何べん鳴らしても出てこんから寝てんのかと思ったわ」

【二階堂】
「……」

外に取り立て屋の姿は無く、見慣れた廓と呆れかえった二階堂の姿しかなかった。

【一条】
「……取り立て屋は?」

【某】
「あれはわいの芝居や、どや、結構リアルやったやろ、わいヤクザ映画大好きやからちょっと脅かしたろうと思ってな」

【一条】
「おっ……」

【某】
「なんや一条、おって?」

【一条】
「おっ……お前ってやつはー!!!!!」

悪びれる様子も無い廓につかみかかって首にスリーパーを極める。

【一条】
「こんな朝っぱらから近所迷惑だろ、あらぬ疑いが俺にかかったらどうしてくれるんだ!」

【某】
「な……一条……首……首極まってる」

【一条】
「俺は金貸しになんか借りてない、人を追われの身みたいに大声で騒ぐんじゃない!」

【某】
「わ……悪かったって……それより、首……息……でけへん」

【一条】
「やかましい、このまま堕ちてしまえ!」

俺の腕の中で廓が動かなくなる、堕ちたみたいだ。

……

【某】
「ゲホゲホゲホ……ウホァ……ゲーホ」

【一条】
「堕ちた気分はどうだった?」

【某】
「ゲホ……アホかお前何してくれんねん、花畑と小川が見えかけたぞ」

あの世の園と三途の川のことを云っているんだろうな。

【一条】
「俺を見る世間の眼を著しく悪いものにしたお前の罰だ、反論できないだろ」

【某】
「確かにそれはそうやけど、にしてももうちーと手加減てもんを考えんかい」

【一条】
「俺で良かったろ、勇だったら今頃あの世で亡霊と楽しく酒でも飲み交わしているだろうな」

【某】
「その見解はたぶん大正解やろうな」

【二人】
「ククク、ハハハハハハ」

2人で同時に笑い出す、二階堂は1人渋い顔をしているがお構いなしだ。

【一条】
「ところで2人ともどうしたんだ俺の部屋に来て、今日は休日だぞ」

【某】
「休日やから来たんやないかい、お前今日は暇か?」

【一条】
「別に予定は何もないけど……」

【某】
「ならわいらと買い物行こうや買い物、電車乗って2駅先に大きなデパートがあんねん。
親睦を深める意味もこめて買い物行こうや」

【一条】
「わかったよ、着替えてくるから少し待ってろ」

箪笥から手ごろのジーンズを取り出しハンガーにかけてあったジャケットを羽織る、ラフな格好だけどいいよな。

【一条】
「お待たせ」

【某】
「よっしゃ、ほんなら駅に行こか」

……

【一条】
「それにしても意外だったな、2人のそのファッション」

【某】
「なんや? わいらそんなおかしな格好しとるか?」

【二階堂】
「……普通だと思うが……」

【一条】
「格好が変とかじゃなくて、想像してたのと2人とも間逆の服着てるから」

廓は白いワイシャツに黒パンツだけのいたってシンプルな格好に対し、二階堂は黒い上着にたくさんのジッパーやらチェーンのついたかなり攻撃的な格好。
それは俺の中では着ている人物が逆だった、廓がああいう派手な服を好んで着ると思っていたが。

【某】
「わいは動きやすい服のほうがええんや、それにワイシャツはどこに出ても恥ずかしくない服なんやで」

【二階堂】
「……バイオレンスな服調が好きなんだ……」

【某】
「せやねん、こいつ学校ではわいにあんま喧嘩すんなって穏やかなこと云ってるくせに服は毎回強烈なの着てるんやで。
この前も黒いジャケットなんやけどそれに紅い染みが無数についとんねん。
いかにもさっき誰か殺ってきましたって感じの返り血どばどばのやつ嬉しそうに買ってたわ」

返り血どばどばのジャケットって……勇らしいといえば勇らしいんだが、よくそんな服着れるな。

【某】
「一条気いつけえや、勇の嗜好に深くかかわるととんでもない悪趣味な人間になるで」

【一条】
「人の趣味に流されたりはしないさ、俺は俺の格好しかしない」

【某】
「カッコイイー、勇、一条はほんまもんの男になるで」

ほんまもんの男とか今時そんなこと云って廓は恥ずかしくないんだろうか?

……

【一条】
「廓、何時の電車に乗るんだ?」

【某】
「慌てない慌てない、買い物に行くんはわいらだけやないんやから」

駅の壁にもたれかかって廓は誰かを待っている、二階堂は自販機でコーヒーを買っていた。

【美織】
「ごめーん、待ったー?」

駅のほうに2人の人影が向かってくる、美織と音々の2人だ。

【某】
「いいや、わいらもさっきついたとこやさかい、そろそろ行こか、電車の時間もちょうどええし」

俺たちは電車に乗って二駅さきのデパートを目指した。

……

美織や音々と話すことができない、昨日の屋上でのことが尾を引いているんだろう。
あの時俺は1人でその場を逃げた、沈黙に耐えられなくて自らを守るためにその場から消えた。
あの後2人がどうしたか俺は知らない、俺のことを弱い人間だと思ったんならそれでもいい。

2人とは少し近づきすぎたのかもしれなかった……俺は……何なんだろう?

【美織】
「あ……あのさ……マコ」

突然、美織から声をかけてきた、それはとてもギコチナイ腫れ物でも触るような声だった。

【美織】
「昨日は……その……ごめんね……私たち何もしてあげられないで」

【一条】
「別に謝られるほどのことじゃないだろう、何も気にしてないから音々にもそう云っておいてくれるか」

【美織】
「わかった、実はね今日買い物に行こうって誘ったのあたしなんだ、昨日のことでギクシャクするの嫌だしさ。
マコには迷惑だったかもしれないけど、今日はあたしたちに付き合ってよ」

そういうことだったのか、廓や二階堂がこんなことを考えるとは思ってなかったけど。
裏で美織が動いていたんなら納得だ。

【一条】
「OK、今日はお前たちとの買い物に付き合うさ、たまには遠出するのもいいだろう」

「ありがとう」と、聞こえるか聞こえないかわからないような声で美織は小さく呟いた

……

電車を降りるとそこは今住んでいる所とはだいぶ雰囲気が違っていた。
それなりの人混みとそれなりの交通量が街にはでき上がっていた。

【某】
「んーん、やっぱりここは違うな、わくわくしてきたで」

【一条】
「この街でもヤンチャして自分の名前広げようとか考えるなよ」

【某】
「ギクゥ……は、ははは……そ、そんなわけないやないかー……わいはめっちゃええこなんやから」

だいぶ動揺しているみたいだ、こいつは他の町でも知名度を広げようとしていたのか。
そのうち廓の名前を聞きつけた全国の猛者が廓の首を狙って小峰街に集結なんてしたら。
……考えることができない、もうそれはそれはおそろしい血みどろの街に変貌するんじゃなかろうか?

【一条】
「廓、頼むからあの街の中でだけ名前を広めてくれ、一般市民のことも考えろよ」

廓は何のことかわからずキョトンとしていた、その反応がせめてもの救いだな。

【某】
「さあさあついたで、なんや気持ちが高ぶってきたわ、突撃ー」

デパートにつくやいなや廓は1人、デパートのエスカレーターに消えていった。

【一条】
「なんなんだあいつは、おもちゃ屋に向かうガキかなんかですかい」

【美織】
「しかたないのよ某は、あいつここに来るといっつも1人で消えちゃうんだから。
あいつ『ここはわいにとって研究材料の宝庫やー』っていつも浮かれてるんだから」

あいつにとっての研究材料って……考えるだけ無駄か。

【美織】
「某がどっかに行っちゃってちょうど4人になったことだし、2対2でわかれて行動しましょうか
マコ、あんたは誰と組む?」

選択肢としてあるのは美織か音々か二階堂だけど。
俺は……

【一条】
「音々に付き合ってもらいたいんだけど」

【音々】
「わ、私ですか?」

驚いたといった顔で眼をパチクリさせている。

【美織】
「なるほどね……それじゃあ、あたしは勇と組むから、お昼になったらまたここに集まりましょ」

美織たちと別れる前に、美織が肘でコツンと突いてきた。

【美織】
「荷物は男の子が持ってあげなさいよ、そうすれば好感度アップだよ」

【一条】
「云われなくても……荷物持ちは男の宿命みたいなもんだから」

クスクスと笑いながら美織と二階堂は階段へと消えていった、残されたのは俺と音々の2人。

【一条】
「音々は、どこか行きたいところはあるの?」

【音々】
「わ、私は特にはありませんけど……」

眼を背けながらオドオドと言葉を選んでいるような感じがする。

【音々】
「あの、1つ聞いてもよろしいですか?」

【一条】
「俺が答えられることならね」

【音々】
「どうして……私を選んだんですか?」

【一条】
「どうしてって云われてもな……音々は俺とじゃ嫌か?」

【音々】
「そ、そんなことはありません、ですが、なぜ私なのかなって
私なんかと組むよりも、美織ちゃんや勇さんと組む方が楽しいと思うんですが……」

【一条】
「そんなことはないさ、俺が音々と組みたいって思ったんだから絶対に楽しいと思うけど?」

妙な自信、確証は無いが、音々といてつまらないなんてことは絶対に無いと思う。

【音々】
「わかりました、私なんかで良かったら、誠人さんとご一緒させていただきますね」

今日初めて見せる音々の笑顔、美織の元気に溢れた物と対照的に、音々のはおっとりとした柔らかな笑顔だった。

……
    
【音々】
「こっちの方が良質かな……」

音々とやってきたのは食料品のコーナー、なんでも音々は毎回ここに来ているらしい。
陳列台に山盛りにされたジャガイモを1つ1つ丹念に選別している。

【一条】
「ジャガイモってそんなにこだわる物なの?」

【音々】
「そういうわけではありませんが、やっぱり上質の物の方が良いじゃないですか」

言葉を返しながらもジャガイモを選別する手は止まらない。
そのまま作業を続け、最終的に五個のジャガイモを手に取った。

【一条】
「一体どこを見て選別してたんだ?」

【音々】
「色合いと比重、後は皮によったしわのでき具合です」

【一条】
「しわのでき具合?」

【音々】
「はい、皮がピンと張った物の方が新鮮で味も良いんです、しわがよってしまうと味も落ちてしまいます」

俺には到底考えることができない、胃に入ってしまえば全て同じ。
良い物だろうが悪い物だろうが食べることができれば俺はそれで良いなんて考えるもんな……

【音々】
「今日は良いお魚入ってるかな……」

様々な魚が並んだ鮮魚コーナーで音々の眼が光る、骨董品を鑑定するかのごとく、真剣な眼差しだ。

【音々】
「あんまり良い物が無いなあ……あ!」

魚を物色していた音々の眼が何かをとらえる、あれは……何あれ!

【音々】
「すいません、あのお魚二匹いただけますか?」

【従業員】
「お、譲ちゃん御目が高いね、そいつは今日の一押しだよ、2匹だなちょっとまってな」

店の人がちゃっちゃと魚を包み、袋に値段つきの帯を括りつけた。

【音々】
「ありがとうございました」

満面の笑みで従業員の人に頭を下げ、鮮魚コーナーを後にする。

【一条】
「さっき買ったあれって……何?」

【音々】
「あれはキンキです、本来なら東北方面にしか出回らないんですが、ここで見つけられるなんて思いませんでした」

キンキという名前を聞いたことはある、確かそれなりの高級魚だった気がするが……

【一条】
「それってやっぱり高いの……?」

【音々】
「普通お魚に比べれば……高いですね、でも焼いたり煮たりするととても美味しいんですよ」

生き生きした顔で料理のことを話す。

【一条】
「音々って料理好きなの?」

【音々】
「好きと云いますか……」

不意に音々の表情に暗さが広がり始めた。

【音々】
「私には……これくらいしかできることがありませんから……」

買い物カゴに視線を落とし、音々は言葉を切ってしまった。

【一条】
「あんまり聞かれたくないことだったか……悪い」

【音々】
「いえ、誠人さんが謝る必要なんてありません……
それよりも、私ばかり買い物をして、誠人さんには退屈ですよね」

【一条】
「いやいや、結構面白いもんだよ、こうやって見るといろいろと珍しい物が売ってるんだな」

【音々】
「ここは桃瀬町と違って輸入品も色々と入りますから、誠人さんは買い物はご自分ではなさらないんですか?」

【一条】
「なさらないもなにも、俺1人暮らしだから、全部自分でやらないといけないから」

【音々】
「そうだったんですか、ですが、良いですね1人暮らし、私はあこがれてしまいます」

【一条】
「あんまり良いもんじゃないよ、掃除から料理、洗濯まで全部こなすんだから。
そう考えると、お袋って凄かったんだなって思うよ……」

今となってはもう出会うこともできないお袋に想いをはせる。
しかし、お袋との想い出も、俺の中には存在していない……

【音々】
「誠人さん……」

【一条】
「ああごめん……それで、次は何を買うの?」

【音々】
「後はパンを買って今日はお終いです、行きましょうか」

……

パン売り場でも音々のこだわりは発揮される。
焼きあがったパンの香りを確かめ、ここでもパンの重さを比べている。
なんでもパンの中に残った水分量で味が大きく変わるとか……

【音々】
「これが良さそう、水分も程よく残って、焼き上がりの香りも良い匂い」

音々が選んだのはフランスパン、俺は滅多に食べないパンだ。

【音々】
「私の欲しい物は一通り終わりましたけど、誠人さんは何か欲しい物はないんですか?」

【一条】
「そうだな……だったらちょっと付き合ってもらおうかな」

音々を誘って目的の場所を目指す、確かさっきチラッと見たんだけど……

……

【一条】
「あったあった、ここだ」

やってきたのは紅茶売り場、所狭しと並べられた数々のお茶の缶が美しく輝いている。

【音々】
「紅茶売り場ですね、誠人さんは紅茶がお好きなんですか?」

【一条】
「コーヒーや緑茶より好きかな、紅茶って色々と楽しめるからさ」

【音々】
「私も同感です、コーヒーと違ってミルクやレモン、ハーブティーもありますから飽きないですよね」

【一条】
「それで……こんなに一杯あると俺には何が良いんだかわからないんだ、音々はどんなお茶が好きなの?」

【音々】
「私ですか?……私はあまりクセの強いのは得意じゃないので、アッサムやディンブラをよく飲みます。
誠人さんは普段は何をお飲みになってるんですか?」

【一条】
「俺はキャンディが嗜好品だけど、時たま着香茶のアールグレイやローズティーを飲むよ」

【音々】
「カットの大きさはどの程度の物がお好きなんですか?」

【一条】
「PかOP、それより細かくなるとちょっと、舌に雑身が感じて……」

紅茶のことを知らないと話せないような会話。
カットとは茶葉をどれだけ細かく刻んであるかを示す物で
Pはペコ、OPはオレンジペコのこと、他にもFOP(フラワリーオレンジペコ)、BOP(ブロークンオレンジペコ)
BOPF(ブロークンオレンジペコファンニング)、D(ダスト)に分類される。
FOPから徐々にカットの大きさが細かくなり、Dにいたっては茶葉の細かさは一ミリにもなる。
CTC製法なんてものもあるが、それはまた今度……

【音々】
「お詳しいんですね、では中国茶の方はどうですか?」

【一条】
「基本茶と再加工茶の2つ、名前に色が付いたのは基本茶、いかにもって名前なのが再加工茶くらいはね。
せいぜい飲むのは青茶か白茶、他のは対外飲んだことが無いかな」

青茶は烏龍、白茶は白牡丹茶、どちらも基本茶になる。
再加工茶は果味茶、薬用保健茶……いかにもな名前だよな……

【音々】
「凄いですね、よっぽどお茶のことを好きじゃないとそこまで詳しくはなれないですよ」

【一条】
「覚えようと思って覚えたわけじゃないんだ、知り合いの人がお茶に詳しくてさ。
その人とお茶を飲むたびに茶葉の話をされたから」

その知り合いの人物というのは……新藤先生のことだ。

【音々】
「それでは、今日はどんなお茶をお買いになりますか?」

【一条】
「どうしよっか……そうだ」

くるりと音々に向き直る、音々は何事かと少々驚いたような顔をしている。

【音々】
「どうかなさいましたか?」

【一条】
「音々が選んでくれないか?」

【音々】
「え?……私が、ですか?」

【一条】
「そうだよ、音々も紅茶は好きそうだから、音々ならどのお茶が良いかわかると思ったんだけど……駄目?」

【音々】
「……いえ、駄目じゃないですけど……本当に私が選んじゃって良いんですか?」

軽く頷いて音々を促す、音々は陳列棚を見渡して紅茶を選び始める。
とは云ったものの……実は最初から買う紅茶は決まってるんだけどな。

【音々】
「ええと……あ、これが良いと思いますよ」

音々が渡してくれた缶の上にはダージリンと書かれている。
しかもよく見るとこれはセカンドフラッシュじゃないか。

【一条】
「ダージリンのセカンドフラッシュか、クセの強いのが苦手な音々にしては珍しい選択だな」

【音々】
「確かにクセは少し強いですけど、これは私も飲めるんです。
そんなにたくさん取れる物じゃないですから、選んで損は無いと思いますよ」

ファーストフラッシュが良いとよく云う人がいるが、ダージリンは別。
ダージリンのファーストフラッシュは下級品であまり美味くなく、セカンドフラッシュは中から上級で味も美味い。
その代わり、少々値段が張るために普段の俺じゃあ絶対に手に取らないだろうな。

【一条】
「それじゃあこれにしますか、あとはこれだな」

もう1つ、近くにあった缶をとる、そこに書かれているのはアッサムの名前。
元々買うのはこれで決定していたんだよな……

【一条】
「欲しいものも見つかったし、お会計でも済ませますか」

【音々】
「はい」

……

会計を済ませて時計を見ると、もうすぐ昼になるころだった。

【音々】
「もうすぐお昼ですね、私の買い物ばかりで誠人さんがまわりたい所に行く時間が無くなってしまいましたね」

【一条】
「大丈夫大丈夫、音々と買い物するだけでも俺は十分楽しかったから」

【音々】
「誠人さん……」

ポッと顔を赤くして俯いてしまう、俺なんかおかしなこと云ったかな?

【一条】
「美織たちも、もういるかもしれないし俺たちも行くか」

【音々】
「は……はい」

買い物袋を抱えようとした音々の腕をサッと止める。

【一条】
「ここは俺が持つよ、こっちは楽しませてもらったんだから荷物持ちくらい任せてくれ」

ひょいと買い物袋を抱きかかえる、それなりの重さがあるぞ。
これは音々みたいな女の子が持つにはちょっと重いかな、美織なら問題無さそうだけど……

【音々】
「そんな、悪いですよ……私の荷物ですのに」

【一条】
「こんな場面で男は荷物持ちってのは決まり事なんだ、悪いとかそんなのは考えない」

開いた腕で音々を静止する、なんかかっこ良いんだか悪いんだか……

【音々】
「そ、そうですか……では、お願いします」

【一条】
「了解」

申し訳無さそうに小さく頭を下げられる、だから気にしなくて良いってのに……

……

待ち合わせ場所について見ると、まだ美織たちや廓の姿は無かった。

【音々】
「私たちが一番みたいですね、ちょっと早すぎましたか」

【一条】
「良いじゃない、ぎりぎりになって慌てるよりもよっぽど良いじゃないか」

【音々】
「そうですね、なんだか私と誠人さんって似てますよね」

【一条】
「……はい?」

俺と音々が似てるって? それはどこをとったらそうなるんですか?
音々の言葉に疑問符を浮かべている内に、美織たちも待ち合わせ場所へと到着した。
その後、廓も待ち合わせ場所に姿を現した……何あの袋の量?

……

【店員】
「刻みネギソバのお客様ー」

【某】
「あ、わいですー」

デパートの6階が飲食店になっていたのでそこで昼食をとることにした。
皆カレーとかパスタとかを注文する中、廓は刻みネギソバなんて通な物を注文した。

【某】
「わいので皆そろったな、ほんならいったーきやーす」

廓がソバをかっこみ始めると皆も自分の食事に手をつけ始めた

【一条】
「それにしても廓、お前どこに行って何買ってきたんだ?」

【某】
「フグフグ……地下の工具売り場に行ってな、ヒューズとか銅線とかみつくろって、空気ポンプのええのがはいってたんやけどちょっと高くてなー。
その後スプレー缶探しとったら突然閃いてしもて、また工具売り場に戻ってボルトやらナットやらこうてたんや」

話が止まるとまたソバを胃に流しいれた、頬にキザミ海苔が張り付いているが気づいていないようだ。
俺も自分のカレーにスプーンを伸ばした、デパートの飲食店にしては美味い、辛さも十分出ているし香りもあった。
廓が閃いたのって多分ドーグのことなんだろうな、しかし空気ポンプってあいつ何考えてるんだ?

【某】
「ハグハグハグ……ぷはーごっそさーん」

大量の刻みネギとソバを胃に流し込んだ廓は満足げな表情をしていた……と思う

【某】
「一条の方はどこ行ってたんや?」

【一条】
「俺は音々と一緒に食料品売り場の方に」

【某】
「ああーそらええ選択や、美織と一緒やったら振り回されてかなんからなぁ」

【美織】
「ちょっと何よそれ、それじゃあたしがじゃじゃ馬みたいじゃない」

あながち間違ってないんだけど、云ったら何されるかわからないので黙っておこう……

【某】
「それで、何かこうたんか?」

【一条】
「紅茶を少しな……」

【某】
「紅茶ー? なんやおまえ紅茶なんか飲むんか? 意外やなー」

【一条】
「そんなに意外か? 結構飲むんだけど……」

【美織】
「だってー、紅茶って繊細な味じゃない、マコには合わないわよ」

俺が大雑把って云ってるのと同じだぞそれは……

【音々】
「誠人さんお茶のことに凄い詳しいんですよ、私も驚いてしまいました」

【美織】
「へー、姫がそう云うんなら嘘じゃ無さそうね」

【一条】
「だから嘘じゃないってのに!」

【某】
「まあまあ熱くなんなや、それより勇、ちょおつきおうてくれへんか?」

【二階堂】
「……待ってろ」

廓に促され、残っていたラーメンをものすごい勢いですすり始めた。
あっという間にどんぶりを空にし、千円をその場に残して廓と共に喫茶店を出た。

【一条】
「あいつらどうしたの?」

【美織】
「いつものことよ、某のことだからまた変なの見つけたんでしょ」

ありえる、あいつの性格なら確実にその説で説明が付く。

【美織】
「それで、姫は今日は何買ったの?」

【音々】
「いつもと同じように、お野菜とお魚にパンです、今から料理するのが楽しみですよ」

【美織】
「姫は料理上手だもんねー、あたしも少しその力を分けて欲しいわよ」

【音々】
「ふふ、駄目ですよ、美織ちゃんは私の持ってない力をたくさん持ってるじゃないですか。
料理だけは美織ちゃんにも負けませんよ」

【美織】
「むぅー云ったなー、だったら今度勝負でもしてみる?」

【音々】
「いいですね、でも止めておきます、美織ちゃんが落ち込む姿はまだ見たくないですから」

【美織】
「何よそれ、私が絶対に負けるみたいな云いかたじゃない……でも、たぶん負けちゃうわね」

【2人】
「ふふふ、あははははははは」

女の子2人で盛り上がっている、俺は1人蚊帳の外だ料理なんてできないからな。

美織と音々も昼食を食べ終わるのを待ってこれからどうするかを話し合った。
廓と二階堂がいないということで3人で午後を過ごすことにした、当然男の俺が1人で3人分の荷物を持つことになったのは云うまでもない。

……

【某】
「今日も大量や、来てよかったー」

帰りの電車の中で廓が満足げに漏らす、買い物袋はさらに増え合計八袋にもなっていた。

【二階堂】
「……」

二階堂も言葉にはしないがかなり満足いくものだっただろう、袋を3つも抱えていた。
中を見せてもらったが俺が買わなかった蜘蛛の巣や頭蓋骨のシャツなどが大量にはいっていた、よほど好きなんだな。

女の子2人も午後は終始笑顔でアクセサリーを見たりポーチを見たりしていた。
いきなりの誘いだったがそれなりに楽しめる買い物だったな。

……

【某】
「ほんならわいらはちょっと空腹を満たしてくるさかいここでさいならや」

駅につくと廓が小腹が空いたと云って二階堂をつれてラーメン屋に行くらしいので俺たちとはここで別れる

【某】
「んじゃなー、また月曜に顔合わせようやー」

【二階堂】
「……また」

2人合計で11袋の買い物袋をぶら下げた奇妙な男たちは街のラーメン屋へと消えていった。

【音々】
「それでは私も家がこちらなのでここで失礼しますね」

音々との別れ際、美織にこつこつと肘で小突かれた。

【美織】
「ほら、行ってあげなよ、女の子に荷物持ちなんかさせる気なの?」

【一条】
「やっぱり……そうだよな」

よろよろとした音々の後姿を追う、距離もほとんど離れてなかったのであっという間に追いついた。

【一条】
「音々、その荷物少し重いだろ、俺が家まで持ってやろうか?」

【音々】
「え? そんなの悪いですよ、お店でも持っていただいたのに家までなんて……」

【一条】
「良いから良いから気にしない、それ結構重いだろ、女の子があんまり筋肉付けちゃかわいくないぞ」

見れば音々は必死で袋を抱きかかえている、これじゃいつ倒れるかわかったもんじゃない。
音々の両腕からひょいと袋を受け取る、手持ち無沙汰になった音々がおろおろとし始める。

【音々】
「あ、あの……本当によろしいんですか?」

【一条】
「男に二言は無いさ、それに俺にとっちゃ役得みたいなもんだし」

【音々】
「……役得?」

音々は何のことを云っているのかわからないといった感じで首を傾げている。
やっぱり女の子には男の役得なんかわからないよな……

……

【一条】
「……」

ポカンと口を開けたまま塞がらなくなってしまう、眼の前に広がるこの建物……
よくテレビで見るような大きな家構えなんですけど。

【一条】
「もしかして……ここが音々の家?」

【音々】
「まぁ一応は……驚かれましたか?」

【一条】
「音々ってお嬢様だったんだ、云われてみれば言葉遣いとか丁寧だったな」

【音々】
「両親2人とも礼儀作法には細かい方ですから、良かったらお茶でも飲んでいかれますか?」

それはちょとまずい……礼儀作法云々と無縁な俺にはちょっとな……

【一条】
「え、遠慮します、ちょっと腰が引けてるから……」

【音々】
「そんな硬くなる必要ございませんのに、ですが無理強いするわけにもいきませんからね。
荷物を置いてきますので少し待っていてください」

荷物を受け取ってそそくさと家の中に荷物を置きに行く。

【一条】
「まさか……音々がお嬢様とはね……」

言葉遣いが丁寧な子だとは思っていたけど、お嬢様とは考え付かなかった。

【音々】
「お待たせしました、今日は色々とありがとうございました、私の勝手に付き合っていただいてありがとうございます」

深々と頭を下げてくれる、お嬢様とわかった後だと妙にかしこまった雰囲気に包まれている。

【一条】
「こちらこそ、それじゃこれな」

音々に小さな缶を差し出す、それは今日、音々が選んでくれたダージリンの紅茶の缶。

【音々】
「紅茶が……どうかなされましたか?」

【一条】
「音々が選んだ紅茶じゃないか、だから渡そうと思ったんだけど」

【音々】
「私にですか? ですがそれは誠人さんがお買いになった物ですよ」

【一条】
「云ってみれば、プレゼントかな、今日1日付き合ってくれたお礼だよ」

【音々】
「そんな、付き合ってもらったのは私の方なんですから、私が貰う権利なんかありませんよ」

【一条】
「貰う権利が無くても俺にはあげる権利がある、だから貰ってくれ」

音々の胸元に紅茶の缶を押し付けると、おろおろした手つきで紅茶の缶を受け取った。

【一条】
「今日は楽しかったよ、また今度機会があれば買い物行こうな」

【音々】
「……はい」

ギュウッと紅茶の缶を抱きしめる音々の笑顔が夕日と相まってとても眩しかった。

……

【一条】
「こんなもんかな」

夕食の後、今日買ってきたアッサムを淹れてみる。
アッサムは淹れたことが無いんだけど、これくらいで良いよな……

コポコポと紅茶をカップに注ぐ、立ち上る香りは万人に好まれるクセの無い香りが部屋中に広がった。

【一条】
「……」

美味く淹れられたかわからないので恐る恐る口に含んでみる。
香りが強いわけでもなく、舌の上に渋みが広がるわけでもなく、実に飲みやすい味をしている。

【一条】
「アッサムも悪くないな……」

滅多に飲むことが無い紅茶を片手にゆったりとした時間を楽しんだ。
この時間が一番落ちつく、飲み終えたら体が温まってよく眠れることだろうな。
ベッドに横になるとすぐにも眠気が襲ってくる、程よい疲れと、心地良い温もりに抱かれてゆっくりと眼を閉じた。




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