【素っ気無い2人の歩み寄り】



真っ赤な花が当たり一面に咲き乱れている。
夜空に咲き誇る花火のように大きく花弁を広げて咲いている、一度見たら忘れにくいその形。
確か彼岸花とかいったな……

そんな彼岸花の乱れる園に俺は1人で立っている、なんでまたこんな世界に?
地平線の先まで見える景色はずっと同じ、近くの濃い赤が地平線の先に行くにつれてぼんやりと薄くなっていっている。
なんとも美しく、なんとも幻想的な世界だ。
遮る物は何も無い、存在しているのは俺と彼岸花、それから複雑に渦を巻いた雲が広がる空だけだった。
なるほどな、ここは俗に云う『天国』だな。

折角なので少し歩いてみることにした、すると不思議なことに俺が歩く所だけ一瞬にして彼岸花がふっと消える。
逆にさっきまで俺がいた場所には無かったはずの彼岸花がまるで初めからあったかのように咲いていた。
一歩歩くたびに彼岸花が消え、もう一歩を踏み出すたびに彼岸花が出現する。
俺がいる場所には彼岸花は無く、俺がいない場所には彼岸花がある、
そしてさっきの原理から考えるに、一点には1つの『物』しか存在することが出来ない世界なのだろう。
俺が1つの『物』として捉えられると、彼岸花は確立を一度不確定にしなければならない、俺がいなくなればまた存在は確定へと移行する。
なんとも現実離れした、いかにも『天国』っていうような感じだな。

どうやってここにたどり着いたのかはわからないけど、まあそんなことはどうでもいい。
もう面倒なことをあれこれと考える必要も無いんだ、それに俺を弄るやつらもここにはいないみたいだし。

ようやく、たどり着けたんだな。
誰もいない、俺1人だけの世界、消えることが出来たんだ……

…

【神谷】
「……」

彼岸花なんてどこにあるというんだ、見えるのはもう何度も見て見飽きてしまった独特の模様の天上だけ。
額の上がやけに冷たくちょと重い、何か乗せられているようだ。
それとは対照的に頭の下にはもこもことした柔らかい何かが置かれているみたい。

【神谷】
「う……」

後ろ頭にかなづちか何かで殴られたような鈍い痛みがじわじわと、来るかと思ったら瞬時に痛みが頭を駆け抜ける。

【蓮見】
「あ、気が付いた」

あまりの痛みに漏らした声に諏訪さんが気付き、トテトテと俺のもとへと寄って来た。
横になっているために、俺の顔を覗き込んだ諏訪さんの顔で視界がいっぱいになる。
あ、こうやって見ると諏訪さんって結構可愛い顔してる…

【蓮見】
「おーい、私の顔見える?」

【神谷】
「あ、あぁ」

【蓮見】
「これ何本?」

指を3本立て、左右にふりふりと振ってみせる、一体なんだというんだ?

【神谷】
「3本」

【蓮見】
「ふむ、視覚に異常は無いようだね、良かったね」

【神谷】
「あの、さっきから何やってるの?」

【蓮見】
「君の体に何が異常が無いかの確認、口開けて」

【神谷】
「異常って、なんでまた」

【蓮見】
「良いから口開ける、鼻摘むよ」

どうやら俺の意見は何も通らないようだ、大人しく従わないと諏訪さんのことだから何されるかわからない。
大人しく軽く口を開けて待っていると、いきなり口の中に何かを押し込まれた。

【神谷】
「むご!」

あまりに突然だったので吐き出すかと思ったけど、諏訪さんが口を塞いだせいで吐き出すことは出来なかった。
口の中ではなんだか楕円球状の個体が右から左、左から右へと転がっていく。

【蓮見】
「味はどう?」

【神谷】
「あじ……甘いな」

この味でこの形、どう考えたって放り込まれたのは飴だろう。

【蓮見】
「ぶどうの香りする?」

【神谷】
「微かに、これぶどうだったんだ」

【蓮見】
「味覚、嗅覚共に問題無しと、聴覚は私の声が聞こえてるんだから確かめる必要も無いか」

【神谷】
「さっきから異常がどうのこうの云ってるけど、なんで?」

【蓮見】
「はぁ……どうやら一番重要な記憶機能に問題があるみたいだね」

やれやれといった感じで溜め息1つはいてから肩を落とした。
記憶? そういえば俺はどうしてこんな所で寝ているんだ?

【蓮見】
「君はここに来ると記憶が飛ぶんだね、毎度毎度自業自得だけど」

【神谷】
「今回はどうして後ろ頭が痛いわけ、またなんか投げた? 金槌とか」

【蓮見】
「君の意見は無視するとして、まず何がどうなったのか話そうか?」

【神谷】
「あんまり難しいことは云わないでくれるとありがたい」

【蓮見】
「難しいことなんて何1つ起きていないよ、君の上に私が落ちた、そして君は後頭部を机の角にぶつけて気を失った
たったそれだけのことだよ」

諏訪さんが俺の上に落ちて? なんでまたそんなことに。
なんでだろうかと考えていると、目に止まったのは棚の上の石膏像だった。

……そうだ、諏訪さんがあれを俺に取ってくれって云ってたな。
で、俺が取ろうとしてそのまんま落ちて後頭部をガン!

ってなったんじゃなくて、何故に諏訪さんが俺の上に落ちてくる?

【蓮見】
「難しい顔してるけど、何を悩む必要があるのさ?」

【神谷】
「いや、なんで諏訪さんが落ちてきたのかなって」

【蓮見】
「そんなの決まっているでしょ、君があれを取ってくれないから私がとる破目になったんだろう
私の身長では届かないことを知っているくせに、全く酷い男だな」

【神谷】
「は? 俺断ったの?」

【蓮見】
「はっきりとね、机に椅子を乗せて取れって、君の台詞だよ?」

おいおい、俺ってどれだけ不親切なんだよ、あのくらいの高さならすぐに取れるっていうのに。
諏訪さんの身長から考えて、机に椅子乗せたって届くのがやっとで下ろせないだろうに。

【蓮見】
「で、私は届かないことがわかりきっているのに無理をして取ろうとしていたら君がここに戻って来て
私を茶化していたらバランスを崩して落っこちた、それを下にいた君が受け止めて君は後頭部をガン」

【神谷】
「……」

【蓮見】
「真相はこんな感じかね、どう、自分がどれだけ私に意地悪したかわかった?」

【神谷】
「ええ、まあ……その、なんだ、悪かった」

どうやら非は俺にあるみたいなのでひとまず謝っておかねばならないだろう。
すると俺の視界の中に映る諏訪さんの目は、幽霊か何かでも見たかのように大きくなっていた。

【蓮見】
「へえ……」

【神谷】
「どうかした? 俺何か変なこと…」

【蓮見】
「いや、君が私に謝罪をするとはちょっと予想外だったから」

【神谷】
「ど、どういうことだよそれは……」

【蓮見】
「ふふ、ごめん」

口元に指を当て、クスリとわからない程度に諏訪さんが笑っていた。
今までもう何度もここに来ているけど、今まで見ていたのは怒った顔ばっかりで笑った顔絵を見たのは今日が初めてだな。

【神谷】
「ところでさ、今何時なの?」

【蓮見】
「今はもう放課後だよ、君がここに来たのは昼休みだからもう随分と経つね」

【神谷】
「そんな長い間……また午後の授業サボっちまったな」

【蓮見】
「心配するな、私もサボったから」

【神谷】
「え、なんでまた?」

【蓮見】
「君がいつ目覚めるかもわからないのに、怪我人を置いて1人のうのうと授業受けられるわけないでしょ
もしかしたら万が一って可能性が無いわけじゃないんだから」

万が一ってのはつまりあれだよな、さっきの彼岸花の園みたいなことだよな。

【神谷】
「そっか、ありがとう」

【蓮見】
「お礼を云われるようなことは何もしていない、でもさっきは謝罪で今度はお礼か
今までの流れではとても考えられないな、今日の君はいつもよりも格段と変わっているね」

もう一度よく見なければわからない程度に微笑み、諏訪さんは俺の視界からさっと消えた。

【蓮見】
「眼が覚めてから急に動いてはいけないって前回で学習しているでしょ、まだ寝ていなさい
それから帰るときは私を呼んで、君が帰らないと私も帰れないんだ」

【神谷】
「どうしてまた?」

【蓮見】
「って聞いてくると思ったよ、私の上着が君の頭の下にあるんだ
何か枕になるような物を探したんだけど、生憎硬い物しかなかったから私の制服を代用したの」

そうだったんだ、頭の下にあるこのもこもこしたのは諏訪さんの制服だったのか。
諏訪さんは俺が変だって云ったけど、俺に云わせれば諏訪さんの方がいつもよりもずっと変わっている。
これまで多少なりとも俺を心配する発言をしただろうか、記憶の中では一度も無い。
先日も気絶したけど、あの時はそのまま倒れられてると邪魔だとか何とか、大丈夫の一言も無かった。

それが今日はどうだ、大丈夫とは云わないまでも、俺を心配するような行動が少しでもある。
しかも怒った顔ばっかり見せていたくせに、今日は笑った顔をしていたし。

【神谷】
「……」

横になったまま視線を僅かに動かすと、諏訪さんはいつもと同じようにキャンバス上で筆を躍らせていた。

…

部屋の中にシュッシュッっと筆がキャンバスに擦り合わされる音が響く、絵を描き始めた諏訪さんに言葉は無く、俺もまた何も喋らない。
俺の眼が覚めてから、ずうっとこんな感じで時間は過ぎている。

【神谷】
「ん、しょ……」

後頭部の痛みも何とか引き始めたようなので、俺はゆっくりと横になった体を起こし始めた。
慎重に、ゆっくりと、少しでもタイミングがずれたら痛みがぶり返すかもしれないからな。

……ビギ!

タイミングがずれた、後ろから前に痛みが超特急、あまりの痛さにゆっくりと起こしていた体を一気に起こしてしまい。

……ビギビギ!

【神谷】
「はあぁあ……!」

声にならない不気味な声が口から漏れる、なんだかもう死ぬ間際の声みたいだ。

【蓮見】
「ちょ、ちょっとどうしたの?」

俺の不自然な声に、絵を描き続けていた諏訪さんが俺の方に向き直った。

【神谷】
「頭痛い…」

【蓮見】
「さすがに今日1日で痛くなくなりはしないわよ、あんまり急に動かない方が良いよ」

【神谷】
「努力します…」

何が起こったのか理解した諏訪さんはまたキャンバスへ、俺は痛みが散らないかと思って打ったところを揉んでみた。
ただの気休めだってことはわかってるさ、だけどなんかしていないとこの痛みは挫けてしまいそうです。

【蓮見】
「うーん、こんなところかな」

諏訪さんはパレットと筆を置き、少し離れて見たり角度を変えて見たりを繰り返す。
少し気にいらない所があったのか、ナイフで絵の一部をカリカリと削り始める、そしてまた離れたりの繰り返し。
数回そうするうちに、やっと満足したのかふうっと大きく息を吐いた。

【神谷】
「完成?」

【蓮見】
「なんとかね、君がしょっちゅうここに来なければもっと早く終わってたんだけど」

【神谷】
「そう云われると何も返せないんだけど」

【蓮見】
「だろうね、もう横になってなくて良いのかい?」

【神谷】
「一応立てるかな、あ、制服」

頭の下で丸めてあった上着を諏訪さんに渡す、所々しわが出来ているがそんなことは気にしていない感じだった。
手早く上着を身に付け、上から下に向けてパンパンと軽く叩いた。

【蓮見】
「これで今日の予定は終了かな、あ、忘れてたよ……あれを下ろさない限り終わらないんだった」

視線の先にはあの石膏像がある、すでに届かないとはわかっているから余計にやりたくないだろう。

【蓮見】
「バランスは悪くなるけど、もう1つ椅子を重なれば何とかなるかな」

【神谷】
「待った待った、それで落ちたら今度はもう受け止められない」

【蓮見】
「だけど方法は無いんだ、大丈夫、頭から落ちない限り死にはしないよ」

そう云いながら椅子を1つ持ち、実行に移す準備を始めてしまう。
あの石膏像、バランスが悪い中で諏訪さんが落ちずに下ろすことは不可能だろう、だったら解決策は1つしかない。

【神谷】
「待った、俺がやる、俺なら椅子がなくても届くから」

【蓮見】
「君が? 君の身長なら届くだろうけど今の君はけが人だ、無茶をさせるわけにはいかないわ」

【神谷】
「二度も落ちられたら困るんだよ、頭だってそこまで酷くない」

……と思う。

諏訪さんが持っている椅子を下ろさせ、俺が机の上に登る。
あんまり納得していないようだったけど、ここまで来たら止めても無駄だしな。

【蓮見】
「壊れないよう気をつけてよ」

【神谷】
「大丈夫、落として割ったりしないって、よっ」

腕を伸ばすと石膏像の首の位置まで届いた、首に手をまわしてゆっくり動かすと結構重い。
これじゃあ諏訪さんの手が届いたとしても、下ろすことは絶対に不可能だろう。
ジリジリとゆっくり石膏像を前に動かし、重心が前に与る一瞬を見極めて手に力を入れる。
石膏像の重みが両手にずっしりとかかり僅かに体も後ろに行ってしまう。

【蓮見】
「あ!」

後ろで諏訪さんが驚いたような声を上げているけど、これくらいどうってことないさ。
って思っていたけど、俺の考え方は甘かった。

ビシィ!!

突然来た痛み、そしてその痛みの後の一瞬の朦朧感、その一瞬に俺は負けてしまった。

【神谷】
「ぁ……」

足に力が入らなくなり、支えを失った体は重力に逆らえるはずも無く下へと落下する。

ボスン、ガラガラ、ガシャン!!

視界が真っ暗になり、落下が終る、身体の節々が痛い。
柔らかかったり硬かったり、痛みにも様々な種類があるんだと実感させられた。
しかし今一体どういた状況なんだろう、少なくとも床にダイレクトには落ちていないけど、なんで視界が真っ暗なんだろう?

【蓮見】
「だ、大丈夫!?」

なんだかこもったような諏訪さんの声が聞こえる、そしてガサガサと音が鳴り、視界に少しずつ明かりが差し込んできた。
視界に明かりが戻ると同時に、またも俺の視界には心配そうな諏訪さんの顔が映りこんでいた。

【神谷】
「なんとか、生きてる」

【蓮見】
「だから無茶するなって云ったのに、二次災害の可能性があるから絶対に動かないで」

動かないでっていうか、俺の身体の周りに何かしらあって俺1人では動くことも出来ないんだけどね。

…

【蓮見】
「立てる?」

【神谷】
「ここまでくればなんとか、よっと」

どうやら俺は重ねてあったダンボールの中に落ちたらしい、それから横に積んであった美術用具が降ってきて埋もれた、とういうことだった。
諏訪さんが俺に積もっていた美術用具をどかしてくれたおかげで、何とか抜けることが出来た。
埋もれたのが俺で良かった、諏訪さんだったらきっと怪我とかしちゃってただろうから。

【神谷】
「はい石膏像、割れてはいないと思う」

【蓮見】
「何を云っているんだ君は、石膏像よりも自分の体を守ることを第一に考えなさい!
私がここにいなかったらこのまま二度と見つからなかったかもしれないんだよ」

確かにそれはいえてる、俺の体で見つからないってことは諏訪さんだった場合絶対に見つからないだろう。

【神谷】
「良かった」

【蓮見】
「何がどう良かったって云うのよ」

【神谷】
「埋もれたのが諏訪さんじゃなくて俺で良かった、ってこと」

【蓮見】
「なっ……何を考えているんだ君は、自己犠牲の考えは感心しないね、それに、私なら落ちるようなへまはしない」

【神谷】
「そっか、それもそうだね……って諏訪さんじゃ絶対に下ろせないって」

【蓮見】
「私がちっさいって云うのか君は!」

ちっさいって云うも何も、どう考えても諏訪さんは小さいだろう、月花と比べてみても頭1つくらいは小さいんじゃないだろうか?
当然俺とは視線の高さが違うので俺は下へ、諏訪さんは上へと向けることで視線が交差される。
下から俺を見上げる諏訪さんの口は小さく紡がれ、口の端がきりきりと震えていた。
これはどう考えても怒ってるよな、どうやら諏訪さんに身長の話は禁句みたいだ。

【神谷】
「ひょ、標準くらいじゃないのかな……」

【蓮見】
「君、絶対にそんなことは思っていないね」

【神谷】
「標準よりちょっと小さい、くらい?」

【蓮見】
「私に確認するなー!」

ゴキン!

【神谷】
「あぐ!」

諏訪さんは半べそをかきながら俺の顎めがけて拳を振り上げた、当然避けることなどできない俺は直撃するわけで。

ビキィ!

【神谷】
「!!!」

さっきの後頭部の痛みもそれにワンテンポ遅れてやってくる、前と後ろの違った痛みに俺は悶絶することしか出来ない。

【神谷】
「ふおぉぉ……」

【蓮見】
「あ、ご、ごめん…君はさっき後ろ頭を怪我したばっかりだったのに」

【神谷】
「き、気にしない気にしない…」

無理矢理作った笑顔は物凄い引きつっていて、どう見たって諏訪さんはひいていた。

【蓮見】
「き、気にするなって方が無理な顔だね、それは」

【神谷】
「は、ははは……」

俺が乾いた笑いをもらすと、学校の鐘がキンコーンと鳴り響いた。
時計を見ると、すでに時間は5時をまわっていた。

今の季節は5時でも十分に暗い、この教室はカーテンが締め切られているから外の状況が全く見えていなかった。

【蓮見】
「もうこんな時間、私はそろそろ帰りたいんだけど」

【神谷】
「俺が出て行かなきゃ帰れないってか、心配しなくても俺も帰るよ」

【蓮見】
「それじゃあ電気……しまった、まだこれを片付けないと」

視線の先には俺がさっき埋まってしまったせいでばら撒かれた美術用具が散乱していた。

【蓮見】
「はぁ、まだ帰るにはしばらくかかりそうかな……」

【神谷】
「何なら手伝おうか?」

【蓮見】
「いい、何度も云うけど君は怪我人だ、無茶をしてまたさっきみたいによろけられたら困る」

もう前例があるせいで俺が何を云っても聞いてはもらえないだろう、ここは大人しく退散する方が良さそうだな。

【神谷】
「それじゃお先に、あんまり遅くまで残らないように」

【蓮見】
「私は子供じゃない、それ位の判断くらいは出来る……また子ども扱いしたな!」

また諏訪さんの目に力が入る、ちょっと心配しただけなのにそれだけで子ども扱いかよ。

……

【蓮見】
「ふぅ、やっと終った」

美術室を片付けるのには軽く一時間以上かかってしまった。
重いものも運んだりしたせいか腕が少し痛い、軽く腕を回してマッサージでもしてみる。
まだちょっと重い感じがするけど、お風呂にでも入ればきっと治るかな。

【蓮見】
「悪いことしちゃったかな……」

私は彼にちょっとだけ嘘をついた、彼は確かに一度は断ったけどその後は手伝いに戻ってきてくれた。
それを私はおちょくりに来たなんて云っちゃって、彼に変な誤解をさせてしまった。
その上怪我までされてしまっては、いつものようにさっさと追い返すわけにもいかなくなってしまった。

【蓮見】
「……はぁ」

小さく溜め息を1つつき、電気を消してから私も準備室を後にした。

……

【神谷】
「お、やっと出てきたね」

【蓮見】
「君は…帰ったんじゃなかったの?」

【神谷】
「帰ろうかと思ったんだけど、外が随分と暗いから諏訪さんがしんぱ……1人だと暗くて怖いんだ」

慌てて言葉を差し替える、諏訪さんのことが心配なんて云ったらまた子ども扱いだとかどうとか云われるに決まっている。
だからといって1人だと怖いっていうのは少し失敗だったのかもしれない……

【蓮見】
「やれやれ、君はそれでも男の子か? それで私を待ってたっていうのかい?」

【神谷】
「まあそんなところ」

【蓮見】
「……嘘、へたくそだね、私を心配でもして待ってくれていたんだろう?」

【神谷】
「え、あ、いや、そういうわけでは……」

予想していたのとは違った反応だったので俺の方がしどろもどろになってしまう。
そんな俺を見た諏訪さんは小さく笑っていた。

【蓮見】
「良いよ、今日くらい君のおせっかいに付き合ってあげるよ」

【神谷】
「それはつまり」

【蓮見】
「一緒に帰ってあげるってこと、ほら早く帰るよ」

まだ状況がよく飲み込めていない俺を置いて、諏訪さんはさっさと美術室から出て行ってしまった。
状況の整理がついた俺も慌てて諏訪さんの後を追った。

……

【蓮見】
「それにしても、君は不思議な人間だ」

【神谷】
「急に何を云い出すのさ」

もう暗くなった帰り道、俺と諏訪さんは一応は2人並んで帰路へとついている。
そんな中、諏訪さんが最初に喋ったのがこれだった。

【蓮見】
「君は美術準備室に来るたびに何かしら痛い目にあっている、それなのによく懲りずにあの部屋に来るね」

【神谷】
「それは諏訪さんが俺の顔に落書きばっかりするからだろう」

【蓮見】
「それは私が行くとこと行くところ君がいるからだ、もしかしてストーカー?」

【神谷】
「なんですぐそうやって危ないのと結びつけるかな」

【蓮見】
「気にしなくて良い、私なりの冗談だ」

冗談だったらもうちょっとおふざけな感じで云ってくれよ、いっつもいっつも真顔で云うからどんどん気が滅入る。

【蓮見】
「しかし君は昼休みやら放課後やらやたらと私の所に来るけど、友達いないの?」

【神谷】
「いないの」

【蓮見】
「そう、やっぱり」

【神谷】
「……」

【蓮見】
「そんな渋い顔をするな、これも冗談だ」

またも真面目な顔のままの冗談、だけど今回のは諏訪さんにとっては冗談だったかもしれないけど、俺にとっては事実だった。
俺には気を許せる友達というものはいない、月花や浩徳とは多少交流があるかもしれないが友達というレベルにはいっていないと思う。
昔から1人でいることが好きだって性格のせいか、あの学校で俺が知っている人なんて指で数えられる程度しかいない。
社交性が無いにも程があると散々月花に云われたっけ……

【蓮見】
「どうした、難しい顔してるぞ?」

【神谷】
「いや、なんでも……そういう諏訪さんこそ、いつも美術準備室に1人でいるじゃないか」

【蓮見】
「他人は基本的に嫌いなんだ、それに1人で居る方が静かで良い」

【神谷】
「ってことは、俺が毎度押しかけるのは迷惑ってこと?」

【蓮見】
「今までの私の反応を見ていれば、誰だってわかると思うんだけど?」

つまり俺は迷惑ってことか、まあ考えなくてもあれだけ酷い目に遭えばわかってとうぜんか。

【蓮見】
「それでも私の所に来るんだから、本当に阿呆よね」

【神谷】
「それはどうも」

【蓮見】
「全く褒めてなどいないんだけど」

【神谷】
「うん、わかってる」

【蓮見】
「ふぅん……なんだか君、私と似ているな」

何を? 諏訪さんは一体何を云いだすんだ? 俺と諏訪さんが似てるって、冗談だろ?

【神谷】
「俺は諏訪さんみたいに粘土とかポンポン投げないけど」

【蓮見】
「悪かったな、暴力的で!」

一瞬だけガーっと怒った顔をしたが、すぐに表情が影を帯びた。

【蓮見】
「そういうことを云っているんじゃない、まあ君に話してもしょうがないからこの話は止めておこう」

【神谷】
「あら、そこまで云っておいて最後は内緒なんだ」

【蓮見】
「そこまで重要な話でもない、だから別に知っておく必要もない、それだけよ
あ、私の家こっちだから」

【神谷】
「そう」

諏訪さんが右に曲がったので、俺も後に続いて右へと折れる。

【蓮見】
「待て、どうしてついて来るんだ?」

【神谷】
「家の前まで送っていくから」

【蓮見】
「私はそこまで付き合ってくれとは云っていないぞ」

【神谷】
「乗りかかった船だと思って諦めて、辺りがこれだけ暗いと心配もするさ」

学校を出たときよりも暗さは濃く、街灯の周りを小さな蛾がヒラヒラと舞っていた。
元々車の通りが少ない路地だけど、右に折れてからは車どころか人1人として確認することは出来ない。
こんな中諏訪さん1人残して行ったらなんか寝覚めが悪い。

【蓮見】
「早く帰らないと親御さんが心配するぞ」

【神谷】
「親ねぇ……もう何年も顔合わしてないからなぁ」

【蓮見】
「それは君が1人暮らしをしているからか? それとも家庭の事情か?」

【神谷】
「前者も含めた後者、だね」

【蓮見】
「そうか、悪いことを聞いたな……」

【神谷】
「気にしない気にしない、俺よりも諏訪さんの方が親は心配するでしょ、女の子なんだから」

【蓮見】
「親はいない、もう何年も前に死別した」

死別か、なるほど、確かに俺と諏訪さんって似ているのかもしれないな……

【蓮見】
「親とは事情がある、そして学校ではいつも1人……やっぱり私たちは似ているな」

【神谷】
「そうかもしれないね……」

2人の間に言葉が一切交わされなくなる、歩く音だけが暗い路地の中で存在を主張していた。
しばらくして路地の奥にぼんやりと明かりが見えた、どうやらアパートの明かりのようだ。

【蓮見】
「ここまで来ればさすがに心配ないだろう、なんなら私の部屋まで送ってくれるか?」

【神谷】
「さすがにそこまではないさ、ここなら叫べば誰かしら来るだろうから」

【蓮見】
「ためしに今叫んで見せようか?」

【神谷】
「俺がつかまるじゃないか!」

【蓮見】
「心配するな、冗談だ」

だろうと思ったよ、今日1日で何回この展開を見てきたことか。

【神谷】
「そんじゃ俺はこれで」

【蓮見】
「ちょっと待った、君」

【神谷】
「何か?」

【蓮見】
「友達、私がなってやろうか?」

【神谷】
「諏訪さんが? はは、それも冗談なんでしょ」

【蓮見】
「私も君も似た者同士だ、他に友達もいないからいつも1人でいる、しかし1人だと何かと不便なことがある
君は落書きされても誰にも指摘されないし、私は……云わなくてもなんとなくわかるだろ」

背が小さい、きっとそう云いたいんだろう。
だけど俺に向かって散々背のことで喚いていたから自分で云うことが躊躇われているのだろう。

【神谷】
「俺の落書きは諏訪さんがしなければ済むことだろ」

【蓮見】
「そうかもしれないがそうじゃないかもしれない、どうだろうか?」

【神谷】
「冗談じゃ、ないんだ」

【蓮見】
「冗談なら冗談だといつも私は云っているじゃないか」

【神谷】
「そっか、なるほどね……うん、まあ良いんじゃない」

【蓮見】
「そうか、それじゃ」

【神谷】
「あぁ」

俺と諏訪さんは一応友達という関係になった、しかし友達になったというのに別れの挨拶はなんとも素っ気無いものだった。







〜 N E X T 〜

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