【そして全てが廻りだす】


真っ白な雪が、満月の光に反射してきらきらと輝いている。
吐く息を白くさせる寒空の中、蒼白く輝く満月が一際綺麗に見えた。

【真菜弧】
「……」

ぼんやりと眺めるその月の中に、私は何を見ているのだろうか?

【真菜弧】
「……」

『少女月夜』

昔、確かそんな絵本があったような気がする。
絵本のくせに子供には難しい四文字の漢字が非常に印象的で。

改めて考えると、あれは元から大人向けに作られた絵本だったのだろう。

【真菜弧】
「絵本、か……」

細かい部分は忘れたけれど、大筋は大体覚えている。

裕福な家に生まれ、何一つ不自由なく望めば何もかもが手に入った少女。
そんな少女が唯一手に入れることが出来なかったのが、漆黒の夜を煌々と照らす蒼月だった。

どんなに手を伸ばしても掴むことも出来ず、どんなに願っても歩み寄ってもくれないそんな蒼い月。

少女はさまざまな手段を考え、もっとも月に近づくことの出来る丘の上へと一人で向かう。
丘の上にたどり着くと、その丘から月まで透き通ったきらきら輝く階段が続いていた。

少女は階段を上り、ついに月へと降り立つことが出来た。
月で少女を待っていたのは一人の女性、なんでもその人は月の世界の女王様らしい。

女王様の最初の言葉は、「お帰りなさい……」だった。

ここから先のお話は、当時子供だった私には何一つ理解できなかった。
『帰巣本能』だとか、『実験』だとか、『偽りの家族』だとか。
明らかに子供向けの絵本では考えられない表現がたくさんあった。

よくよく思えば、あれは絵本なんかじゃなく、ただの人体実験だったのではないかとさえ思えてくる内容だった。

最後はめでたしめでたしで終わってはいたけど、あれのどこがめでたしだったのだろう?

【真菜弧】
「まるで出来の悪い竹取物語だね……」

月を見て悲しむかぐや姫と、月を見て何とか手に入れようとした少女。
望まずに月へ帰っていったかぐや姫と、望んで月へと赴いた少女。

方や愁いを、方や悦びを。 
全くあべこべな話。

その中でもただひとつ共通していること。
それは二人とも月の生まれで、理由はどうであれいつも月を眺めながら物思いにふけていたということ。

【真菜弧】
「だとしたら、私も月の生まれかな……」

最近、月が出ているときはよくこうやって一人で屋上に来ては月を眺めている。
私には時間もなければ縛るものもない、好きなだけ眺めて、気がついたらてんちゃんの部屋へと戻る。

月を見ていると酷く心が落ち着いていく、勿論悪い意味でだ。

何も考えることがない、ずっと月を見ているとその光が全てを飲み込んでくれるような錯覚。
私の存在そのものを失わせようとする、明るく美しい光。

いつかは私も、あるべき場所へと帰する日が来るに決まっているのだから……

【真菜弧】
「……はは、私はかぐや姫じゃないっての……」

苦笑しながら手すりへと腰を下ろす。
私を追って二つの人魂も私の両肩へ仲良く止まった。

【真菜弧】
「私の存在って、なんなんだろうね……」

月の夜はいつも以上に何故だか弱い、その上一人だとさらに私は弱い。
てんちゃんがいる前だと一度だってそんなことは言ったことないけど、一人になると嫌でも自然に出てしまう。

【真菜弧】
「あんたたちには、いつも愚痴や弱音ばっかり聞かせちゃってごめんね……」

肩に乗った人魂は私に返答するように、めらめらと大きく燃えてみせた。

【真菜弧】
「それは心配するなって受け取って良いの?
それとも、面倒な役回りばっかさせるなって怒っているのかしら?」

再び人魂はめらめら燃える、きっと前者だとは思うけど、ちょっと意地悪だったかな。

【真菜弧】
「……ねえ、あんたたちはどうするの?
いつか、私が消える日が来たら、あんたたちはどうするの……?」

肩からふよふよと降りてきた人魂は、頷くような動作を見せてから私の両頬へと擦り寄ってきた。

【真菜弧】
「私と一緒に行ってくれるの? ふふ、ありがとう。
だけど、それはダメだよ……あんまり、消えるところを見られたくはないからね」

私を見れるのはてんちゃんとこの子達だけだけど、やっぱり最後を見られるのはちょっと恥ずかしい。
せめて最後くらい、一人で行かせてほしい。

看取られるのは、人生一度きりにしてほしいから……

【真菜弧】
「人生なんて云っても、今となってはただの幽霊だけどね」

そっと手を広げると、そこに二つの人魂が仲良く降り立った。

【真菜弧】
「だけど、何で私はこんな状態なんだろうね?」

てんちゃんやこの子達は勿論、私ですら何でこんな状態になっているのかは見当もついていない。
それが何であるのかがわかったとき、きっと、それが私の……

……

【明仁】
「……」

ベッドの上で壁に背を預けながら、ぼんやりと天井から下がる蛍光灯を眺めている。
チカチカしてとても眩しく、視線を外すとチカチカした名残が色濃く残ってしまった。

気がつけば真菜弧の姿がない。
きっといつもみたいに、屋上で月でも見ているのかな?

【明仁】
「……はぁ」

何気なくため息が漏れてしまった。
原因は勿論彼女、真菜弧のことだ……

【明仁】
「なんで、真菜弧はあんなことになっちゃったんだろう?」

真菜弧と再開したあの日から、僕の中で大きく引っかかっていることの一つ。
人は死んだ後、天界に行くのが一般的に云われていることだ。

とは云うものの、僕はそんな事実を見たわけでもないし、僕に限らず誰一人それを証明することなど出来やしない。
もしかすると真菜弧の例はごくごく当たり前なのかもしれないけど、それもやっぱり解明のしようがない。

それともう一つ、真菜弧の現状以上に気になっていること、それは。

【明仁】
「どうして、僕だけが真菜弧を見れるんだろう……?」

いつまで経っても解けることのない一番の謎。
確かに僕は真菜弧とは親しかったけど、それは勿論ゆゆちゃんにも当てはまる。

それなのに、真菜弧を見ることが出来るのは僕一人だけで……

【明仁】
「真菜弧がこうしてまた僕の近くにいてくれることは嬉しいけど……
だったらせめて、ゆゆちゃんにだって見えても良いのに」

ゆっくりとベッドから立ち上がり、僕にとっての定位置だった勉強机の椅子に腰をおろす。

【明仁】
「はぁ……」

頬杖をついてため息を一つ。
机の上に視線を移すと、僕と真菜弧がの写真が入った写真立てが眼に止まった。

写真に撮られるのが好きだったくせに、なぜかこの写真だけは笑顔がなく。
僕の腕に自分の腕を絡めて入るものの、どこか寂しげなその表情。

よりによって、何で僕はこの写真を写真立てなんかに入れたんだろうな……

……

【ゆゆ】
「ほふぅ……」

お風呂上りでほこほこと湯気が立ち上る。
頭からかぶったバスタオルのせいで、頭の上の方がちょっと暑いけど、サウナみたいで気持ちが良い。

【ゆゆ】
「っ、しょっと」

ベッドの上に体を預け、天井を見上げながら小さく深呼吸。
胸が軽く上下し、冷たいシーツの肌触りが余熱をじんわりと奪っていった。

【ゆゆ】
「……」

そのまましばらくの間、何かを考えることもなく天井を眺め続けた。
少しずつ余熱は奪われ、少しだけ肌寒く感じるまで私はその体勢のままだった。

【ゆゆ】
「……くしゅ」

くしゃみが出てしまうまで体が冷めてしまったので、急いで寝巻きを着込んで熱の逃亡をシャットダウンする。
もう冬も終わりが近く、多少雪はあるものの雪が降らない日は結構暖かくなり始めていた。

さすがに夜は昼間に比べて寒いけど、しばらくは下着と上着だけでも大丈夫なくらいの温度はある。
こんなところをあっくんにでも見られたら酷く怒りそうだ。

【ゆゆ】
「後、十日しか残ってないんだ……」

部屋にかけてあったカレンダー、特に予定を書き込むことがないカレンダーの中。
その中で唯一予定が書き込まれている日付、それが今日から数えて後十日。

学校はもう、先日のテストでほとんど終わってしまった。
後は通知表を受け取るだけで、学校に行くことはなくなってしまう。

通知表を受け取った後は、もう最後の日をゆっくりと待っているだけ……

【ゆゆ】
「気がつけば、もう時間なんて残っていないんだ……」

いくつもチャンスがあったにもかかわらず、それをことごとく私は蹴ってきた。
そしていつの間にかもう残り僅か十日だけ。

この十日を逃したら、もうチャンスがあるとは思えなかった。

【ゆゆ】
「ふうぅ……落ち着け、落ち着け。
今回は初めて渡せたんだから、今までの私とは違うんだから……」

考えると心臓がトクトクと早く打つ。
焦る鼓動を落ち着けるように云い聞かせ、大きく深呼吸。

今年がもう最後なんだから、結果が伴ってはくれなくても。
絶対に何もしないだけは避けなくちゃ!

……

【真菜弧】
「で、どうしたの急に、日曜日の朝から大掃除なんか初めて?」

【明仁】
「もう少しでここを離れるからね、今のうちにまとめられるものはまとめておこうと思って」

【真菜弧】
「離れるって云ったって、ここから次の学校まで電車で四駅だよ?
わざわざ移らなくても良いような気がするけどなぁ」

【明仁】
「確かにそんな遠くないけど、やっぱり交通費とか考えたら馬鹿にならないからね。
安い部屋も近くにあったし、今度下見に行くんだけど真菜弧も行く?」

【真菜弧】
「私はパス、行く場所が決まったらついていくからその時まで待つよ」

【明仁】
「……」

その時、その時になっても真菜弧は僕のそばにいてくれるのだろうか?
いつ終わるともわからない僕と真菜弧の同棲(?)生活。

もう今の真菜弧と一緒に暮らして3ヶ月。
あまりにも近く、幼馴染よりも一歩以上踏み込まれてしまった今の現状。

この関係がもし終わってしまったとき、僕は……

【真菜弧】
「おーい、聞こえてるかー?」

天井から宙吊り状態でにゅっと顔が視界に広がった。
最近少しは慣れてきたけど、やっぱり心臓には悪い……

【明仁】
「な、何?」

【真菜弧】
「何じゃなくてさ、さっきからチャイム鳴ってるよ」

真菜弧に云われ、ようやく僕の耳にポーンっとチャイムの音が届いてきた。

【真菜弧】
「日曜日の朝からお客様なんて、てんちゃんってばモテるね」

【明仁】
「まだ女の子かどうかわからないじゃんか」

【真菜弧】
「てんちゃんの顔だったら、どっちでも良いような気もするけどね。
案外、学校の中ではファンクラブなんか出来てたりもするかもよ?
勿論、会員は皆男の子ばっかり……うわぁ、気持ち悪い」

自分で云っておきながら、真菜弧は舌をペッと出して手で僕をシっシっと追いやった。
非常に理不尽だけど真菜弧をかまって人を待たせるわけにもいかない。

急いで玄関へと向かい、扉を開けてお客を確認した。

【ゆゆ】
「お早うございます、あっくん」

【明仁】
「ゆゆちゃん、どうしたのこんな日曜の朝から?」

【ゆゆ】
「私が日曜の朝からあっくんの部屋に来るのがそんなに不思議なことですか?」

【明仁】
「不思議というか……日曜の朝ってゆゆちゃん起きるの遅かったよね?」

【ゆゆ】
「たまたま早く眼が覚めてしまって。
日曜日はゆっくりと眠る方が私としても好きですけど、たまには良いかなって」

クスリとゆゆちゃんが笑う、日曜日の朝はお昼近くまで眠っていることも少なくないくせに。
今日は珍しく早起き、それもまだ9時前だよ?

【ゆゆ】
「あっくんこそ、日曜日の朝からエプロンなんてしてどうしたんですか? お料理?」

【明仁】
「違うよ、ちょっと大掃除を、ね」

【ゆゆ】
「そういうことだったら、私もお手伝いしますよ。 入っても良いですか?」

【明仁】
「汚れるから止めた方が良いと思うけど」

【ゆゆ】
「お掃除をすれば汚れるのは当たり前です、もし自分がそれで汚れていなかったら。
それはよほどの綺麗好きか、もしくはきちんと掃除が出来ていないってことですよ」

【明仁】
「しょうがない、どうぞ」

ゆゆちゃんを招きいれ、まず第一に確認すること。
それは真菜弧がちゃんと僕の視界の中にいるかどうかだ。

以前それで酷い目にあったからね……

また前みたいに床からにゅって出てくるかと思ったけど、予想に反して真菜弧はベッドの上でゴロゴロしていた。

【真菜弧】
「くしし、日曜日の朝から女の子のご来訪とは。 てんちゃんもたらしだね」

両手で頬杖をつきながら、にかにかと笑いながらそんな言葉を投げかけた。

【ゆゆ】
「これは……大掃除というには、少々規模が大きいように思うんですが」

ダンボールにつめられた食器や、空っぽに近い状態の食器棚。
確かに大掃除というには少し規模が大きすぎるかな。

【ゆゆ】
「大掃除で食器棚を空っぽにしなくても良いと思うんですが。
それに、わざわざダンボールになんて詰めなくても……これではまるで引越しみたいですよ?」

【明仁】
「あぁ、うん……まぁ、ね。
えぇっと……その、なんて云ったら良いのかな……」

なんて云ったらも何もない、『引越しする』って云えば良いだけだ。
だけど、何故だかすんなりとその言葉が出てこない。

【ゆゆ】
「あっくん?」

【明仁】
「……今度その、次の学校の近くに住もうかなって…」

【ゆゆ】
「ぇ、それって……」

【明仁】
「うん……引っ越そうと思ってるんだ」

【ゆゆ】
「ぇっ!」

引っ越す、僕の言葉を聞いたゆゆちゃんの眼が大きく見開かれ、困惑の色を滲ませていた。

【ゆゆ】
「それって、そんな話聞いてないですよ……?」

【明仁】
「ちょっと、話す機会がなくて……」

【ゆゆ】
「……」

それっきりゆゆちゃんは黙ってしまい、僕とゆゆちゃんの間に気まずい空気が流れた。

【真菜弧】
「とりあえず、私は席外すから……」

僕の耳元でふっと呟いた真菜弧は、逃げるように天井へと吸い込まれていった。

【ゆゆ】
「……」

【明仁】
「……」

重苦しい雰囲気が僕たち二人の間にたちこめた。
こんな時、真っ先に声をかけなければいけないのは僕なのに。

【ゆゆ】
「……いつなんですか、引越し……」

先に口を開いたのはゆゆちゃんだった。

【明仁】
「……卒業してからになるかな」

【ゆゆ】
「そっか、じゃあ実際に引っ越すのはまだ先なんですね」

【明仁】
「あの……教えなかったこと、怒ってる?」

【ゆゆ】
「ええ勿論、確かに話したくないこともあるのが普通でしょうけれど。
幼馴染に自分が引っ越すことを云わないのは、ちょっと酷いですね」

【明仁】
「あぁ、その……ごめん……」

【ゆゆ】
「良いですよ、確かに最初は驚きましたけれど。
あっくんの学校はここからだと少し遠いですからね」

くるりと一週僕の部屋を見渡し、ぽんと両手を小さく叩いた。

【ゆゆ】
「それじゃあ、今日のお夕飯は私が作ってあげますね。
もうあっくんと一緒に気軽にご飯食べることもなくなりそうですから、ちなみにお夕飯の予定は?」

【明仁】
「特に何も決めてないよ」

【ゆゆ】
「じゃあ決まり、ですね」

……

夕飯の献立を考えるということで、ゆゆちゃんはすぐに家に戻っていった。

【真菜弧】
「ねえ、さっきルナが家に戻ったんだけど」

天井から上半身を逆さまに出して真菜弧が戻ってきた。

【真菜弧】
「てんちゃんってば、またルナ怒らせちゃったねぇ……最低」

【明仁】
「もう怒ってないってさ」

【真菜弧】
「はぇ? じゃあ何でルナ帰ったの?」

【明仁】
「夕飯の献立考えるんだって、なんかゆゆちゃんが夕飯作ってくれるらしくてさ」

【真菜弧】
「なんだ、私はてっきりてんちゃんとはもう絶交! とか云われたのかと思った」

【明仁】
「ゆゆちゃんは真菜弧みたいにそんなはっきりとは云わないと思うけど」

真菜弧だったら絶交とかすぐに云いそうだけど、ゆゆちゃんならもっと別の云い方をするだろう。
例えば……いや、何も云わないで避けられるんじゃないかな。

【真菜弧】
「だけど、なんでルナに引っ越すこと教えなかったの?
結構きてる顔してたよ、あれ」

【明仁】
「うん……ちょと云い辛くて……」

【真菜弧】
「ふぅん……意気地なし」

全くその通りだ、それ以上に似合う言葉はなく、それ以上に相応しい言葉はない。

【真菜弧】
「あんまりルナ泣かせちゃダメだよ、私と違ってルナは普通の女の子なんだから」

【明仁】
「その云い方だと真菜弧は普通じゃないみたいに聞こえるよ」

【真菜弧】
「私はルナと違って行動派だから。
てんちゃんが一人で引っ越そうものなら全力で居場所を突き止めるからね」

確かに、真菜弧ならやりかねないなぁ……

【真菜弧】
「で、ルナがご飯作ってくれるってことは、大掃除は中止だね」

【明仁】
「だね、急に暇になっちゃった」

【真菜弧】
「良いんじゃないたまにはさ、学年末テストに受験、最近てんちゃん勉強しかしてなかったし。
たまには何もせずだらだらお休みをすごしても良いんじゃないの?」

【明仁】
「とは云われてもね……寝ようかな」

【真菜弧】
「添い寝は?」

【明仁】
「いらない」

【真菜弧】
「まあまあかたいこと云わないで、一回くらいお姉さんが一緒に寝てあげるよ」

いつもは引き下がる真菜弧が、今日は珍しく引いてくれなかった。

【明仁】
「じゃあ起きてるよ」

【真菜弧】
「そう、じゃあ私は寝るよ」

真菜弧は僕の首に両腕を回してしがみつき、僕から離れようとしなかった。

【明仁】
「ズルいね」

【真菜弧】
「ズルいよ、嫌だったら大人しくてんちゃんもベッドで眠ったらどう?」

やれやれ……まあ、一回くらい良いか……

真菜弧を巻きつけたままベッドに潜り込む。
首に抱きついてた真菜弧がいきなり姿を消した、と思ったら次の瞬間には僕の横にいた。

【真菜弧】
「念のために云っておくけど、エッチなことしないでよ」

【明仁】
「どこ触れって云うのさ……」

【真菜弧】
「冗談、云ってみたかっただけだよ。 お休み」

お休みと呟いてから、ほんの僅かな時間でスースーと寝息が聞こえてきた。

確かに僕の横で真菜弧は眠っている、眠っているのだけど……

【明仁】
「……」

頬に触れようと手を伸ばすが、そこには温かみも何もない不思議な空間だった。
こんなにも真菜弧が近いのに、僕は触れることさえ叶わないなんて……

僕にいくら腕があろうと、いくら真菜弧の距離が近かろうと。
その腕に真菜弧を抱きしめることは叶わない。

【明仁】
「はぁ……お休み」

真菜弧とは逆方向を向き、僕も眼を閉じる。

……

【ゆゆ】
「……」

買い物カゴ片手に、ゆっくりと店内を回る。
色々と考えてはみたものの、結局何にも決まらずにこんな時間になってしまっていた。

【ゆゆ】
「……はぁ」

他のお客さんに邪魔にならないよう、端っこによって小さくため息。

【ゆゆ】
「どうしてこう、うまくいかないのかな……」

残った時間はもう十日を切っているというのに、今日はチャンスだと思っていたのに。
そのチャンスはあっけなく私のもとを逃げて行ってしまった。

【ゆゆ】
「いっそのこと、何もない方が良いのかな……」

何もなければ、それで全てが終わる。
失うこともなければ悲しむこともない、普段通りの二人でいることが出来る。

だけど、本当にそんなことで良いのかな……?

それからしばらくの間あてもなくお店の中を回り、その場で思いついたものをカゴに入れてレジへ向かう。
買ったものなんて正直どうでも良い、そんなことよりずうっと頭の中では行ったり来たりの追いかけっこ中。

あっくんの家に行ったとき、私の追いかけっこは終わりを迎えているのだろうか?
そしてそれが終わっていたとしたら、私にとって結論が出ているということだ。

【ゆゆ】
「……あっくん、どうしてもっと早く云ってくれなかったんだろうな」

全てが遅く、全てが早すぎた。
もともと短期決戦が苦手な私に、結論を出すことが出来るのだろうか……?

……

眠りにつき、僕の眼を覚まさせたのはゆゆちゃんが夕ご飯を作りに来てくれたチャイムの音だった。
寝起きの僕を見たゆゆちゃんはくすっと笑い、夕食の準備をしにキッチンへ向かった。

【真菜弧】
「ふあ、ぁああぁ……てんちゃんってば、寝すぎだよ」

【明仁】
「僕よりも起きるの遅かったくせによく云うね」

【真菜弧】
「私は別に寝てようと思えばいつまでも寝てられるからね。
てんちゃんはルナの夕ご飯食べないといけないから、もっと早く起きてないとダメなんだよ」

真菜弧の云うことも一理ある。
折角ゆゆちゃんがご飯作りに来てくれたのに、ずっと寝ていたのはちょっと失礼だな。

【真菜弧】
「てんちゃんも、今のうちにお風呂入ってきたら?」

【明仁】
「そんなに寝癖酷いかな?」

【真菜弧】
「そうじゃなくてさぁ……体綺麗にしておいた方が良いんじゃないってこと。
もしかすると、晩御飯ってゆうのは建前かもしれないよ」

【明仁】
「?」

【真菜弧】
「だからそこで首傾げるな!」

耳元で大声で怒られた、だからなんで毎回毎回何もわからずに怒られるんだよ……

……

【明仁】
「ふぅ、ご馳走様」

【ゆゆ】
「はい、お粗末様でした」

ゆゆちゃんが作ってくれた晩御飯は予想通り美味しい物だった。
ただ、一つ気になったのはどこか献立のバランスがいつもと違っていた。

和食なら和食、洋食なら洋食とゆゆちゃんは徹底していたのに。
今日は和食も洋食も両方が並んでいた。

【ゆゆ】
「後片付けしちゃいますね」

【明仁】
「あ、それくらい僕がするから良いよ」

【ゆゆ】
「後片付けが終わるまでが料理です、私がやりますからあっくんは休んでてください」

そんな帰るまでが遠足みたいなこと云われてもなぁ……

【真菜弧】
「てんちゃん、ここはルナに任せて。 ちょっと話しよう」

真菜弧に気をとられているうちにゆゆちゃんはキッチンに消えてしまった。

【明仁】
「話って何?」

【真菜弧】
「今日のルナの晩ご飯、なんかちょっと変じゃなかった?」

【明仁】
「……真菜弧もそう思う?」

【真菜弧】
「まぁね、ビーフシチューとお味噌汁の組み合わせ見たら誰でも変に思うよ」

誰でもかどうかはわからないけど、僕はちょっとだけ気になった。
汁物に汁物を合わせるのは普段のゆゆちゃんだったらちょっと考えられないな。

【明仁】
「美味しかったから僕は別に気にならないけど」

【真菜弧】
「そうじゃなくてさあ……てんちゃんに期待はしてないけど、もう少し何か考えようよ」

【明仁】
「何かって云われても……」

いったい何をどう考えろっていうんだよ?
僕には馴染みがないだけで、実際シチューと味噌汁の組み合わせもあるのかもしれないし。

【真菜弧】
「やれやれ……これだからニブチンはやだやだ」

大げさに手を開いてはぁっと大きくため息。

【明仁】
「わかんないなぁ、真菜弧は何が気になってるのさ?」

【真菜弧】
「もう良いよ、てんちゃんに何云っても無駄みたいだしね」

付き合っていられないといった感じに真菜弧はベッドに横たわった。

【明仁】
「ちょっと、自分だけってズルくない?」

【ゆゆ】
「ズルいって、なんのことですか?」

【明仁】
「うわ! い、いたんだ……な、何でもない何でもない」

【真菜弧】
「壁に向かって独り言云ってる、イタイ人……とか思われちゃったかもね」

【ゆゆ】
「お茶、淹れてきましたよ。 隣、良いですか?」

僕の返事を待ってから、ゆゆちゃんは僕の横へと腰を下ろす。

【ゆゆ】
「今日の夕ご飯どうでしたか? ちょっと失敗しちゃったんですけど、変な味しなかったですか?」

【明仁】
「別にどこも変じゃなかったよ、失敗ってゆゆちゃんにしては珍しいね」

【ゆゆ】
「ちょっと考え事をしていて……でも、変な味じゃなくて良かったです」

なんだろう、いつもと同じなのにどこかが違う。
いつもと同じゆゆちゃんなんだけど、なんというかこう、緊張してるみたいな感じだ。

だけど幼馴染の僕相手に緊張なんてするかな?

【ゆゆ】
「これでこの前の約束は一つ果たせましたね」

【明仁】
「この前の約束って?」

【ゆゆ】
「学年末テストの結果発表のことですよ。
あの時、近いうちに一緒にご飯食べようって約束したじゃないですか」

【明仁】
「あぁ、そういえばそんな約束あったね」

【ゆゆ】
「あっくんが忘れてもらっては困りますよ、それから、まだ私にはペナルティも残ってるんですから」

ペナルティというと、きっとテストでやった賭けのことだろう。

【明仁】
「まだそんなこと覚えてたんだ、別に何も云わなくても良いよ」

【ゆゆ】
「それはフェアじゃないですよ、それに……あっくんにはどうしても聞いてもらいたい話でもありますから」

ゆゆちゃんの肩がぎゅっと強張るのがわかる、きっとよほど云い辛いことなのだろう。

【真菜弧】
「てんちゃん、私屋上行ってくるね」

そんな言葉を残し、いきなり真菜弧は天井の奥へと消えていった。
真菜弧なりに気を使ってくれたのだろうか。

【ゆゆ】
「あの、あっくん……お、驚かないで聞いてくださいね」

【明仁】
「ぅ、うん……」

ゆゆちゃんの肩が小刻みにふるふると震えた。
一度顔を伏せ、再びゆゆちゃんが僕の瞳を見つめた。

ゆゆちゃんのその瞳の奥、まっすぐと僕を見つめるその瞳の奥に、迷いは一切消え去っていた。

【ゆゆ】
「あの……私っ!」

……

屋上へと抜け出し、いつものように手すりへと腰を下ろす。
今日は晴れていて気温も低いせいか、月の輪郭まではっきりと見えてとても綺麗だ。

【真菜弧】
「今日は、てんちゃんの部屋戻れないかもしれないね。
どうする、私と一緒にここで眠る?」

人魂がいつもと同じようにちょっと大きく燃え上がって意思表示をしてくれる。
もうこの子達の反応も大体わかるようになってきた。

これは肯定を示している。

【真菜弧】
「ルナのやつ、何もこんな遅くなるまで待つ必要なかったのにね」

人魂たちに聞かせる言葉ではない、私の独り言……

【真菜弧】
「このまま行くと、私もそろそろお終いなのかな」

見上げた空の中には大小様々な大きさで輝く星粒と、青白い光を妖しく放つ綺麗なお月様。
手すりを降り、誰も足を踏み入れていない屋上に溜まった雪のベッドに体を投げ出した。

【真菜弧】
「綺麗……このまま、私を吸い込んでくれたらどんなに幸せなんだろう……」

人魂二つが私の胸の上でちろちろと燃えた。
紅に燃える人魂と、黒い夜空に輝く星と、さらに光の強いお月様。

【真菜弧】
「ほんと、一人で見るには、寂しすぎるよね……」

ポツリと呟き、ゆっくりと眼を閉じた。
サアっと風が屋上を吹きぬけ、小さく私の耳へ届いてきた。

その音を最後に、私は深い眠りの底へと落ちていく。
真っ暗で何も聞こえない、全てが止まったとても寂しい世界の中。

薄っすらとあやふやな存在を残す私を
何も語らない月の光は夜が明けるまで私を照らし続けていた。





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜