【君がいた時間、君といる時間】


【真菜弧】
「ん、んぅ……」

ぼんやりとした薄闇の中から眼を覚ますと、遮る物の何もない陽光が瞳を刺激する。
最近にしては珍しいほんのちょっとしか雲のない良いお天気。

私にとっては関係のないことだけど、寒がりのてんちゃんにはちょっと厳しいかもしれない。

確か、『放射冷却現象』……とかいうのだったかな?

【真菜弧】
「んんぅ! んうぅー!!」

ぐいーっと伸びをして首をこきこき捻る。

【真菜弧】
「あれ……私なんで外なんかで……」

いつもならてんちゃんの部屋で寝てるのに、何でこんなとこにいるんだろう?
と、考えようとしたところで気がついた。

【真菜弧】
「そうだ、ルナが来てたんだっけ……」

ルナがてんちゃんに何かを伝えようとして、聞いちゃ悪いから屋上に逃げてきたんだっけ。
あの後二人がどうなったのかは全くわからない、一体どうなってるのかちょっと楽しみだ。

【真菜弧】
「どう思う? ルナってば、まだてんちゃんの部屋にいるかな?」

いつものように困ったときの人魂頼み。
いきなりのことで二人とも慌てたみたいだけど、両方とも返答には困っているみたい。

【真菜弧】
「私は、出来るならいてほしいなぁ……」

なんとなくわかってたことだけど、今の今まで動きがないのが不思議なくらいだった。
だけど何もこんな時期になるまで待つ必要なんてあったのかな?

【真菜弧】
「うおし、それじゃあ一体どんな結果になったのか、見に行きますか!」

人魂二人を置いて雪の中へとダイブ、置いていかれた二人もあわてて私の後を追う。
いくつかの部屋を通り抜け、てんちゃんの部屋の天井から顔を出した。

【真菜弧】
「あらら……」

私の予想と願望は大外れ、ベッドの中にいたのはてんちゃん一人だけだった。

……

【明仁】
「ぅ、ん……」

【真菜弧】
「もう朝だよ、てんちゃん」

寝ぼけ眼を擦りながら視線を動かすと、僕を見下ろす真菜弧の姿があった。

【真菜弧】
「おはよう」

【明仁】
「おはよ、昨日はどこ行ってたの、遅くなっても帰ってこないで?」

【真菜弧】
「屋上で寝ちゃってたからね、私がいると色々と面倒かなーって」

【明仁】
「面倒って?」

【真菜弧】
「何? もしかしててんちゃんってば見られてる方が興奮するの、やばぁ」

【明仁】
「何をどう解釈したのかわからないけど、帰ってきても良かったのに」

【真菜弧】
「それはさすがに野暮でしょう、それにルナはてんちゃんと二人だから良いんだよ。
見えていないとはいえ、私がいるとなんか悪いじゃない」

【明仁】
「ゆゆちゃんね……」

ベッドから起き上がり縁に腰を下ろす、僕の横に真菜弧もふわりと舞い降りた。

【真菜弧】
「それで、ルナは何だって?」

【明仁】
「悪いんじゃなかったの……?」

【真菜弧】
「そう思っても好奇心に勝るものはないんだよ、ルナに何云われたの?」

【明仁】
「別に、何でも良いじゃん」

あんまり当事者ではない真菜弧には話し辛いこと。
勿論、何一つ関わっていないなんてことは決してないのだけど……

【真菜弧】
「黙秘でも良いけどさ、大体何の話をしたかの予想はつくけどね。
てんちゃん、ルナに告白されたでしょ?」

【明仁】
「なっ!」

【真菜弧】
「わっかりやすいなぁ、まああの状況でそれ以外を聞く方が少ないだろうけど」

かまをかけられた上にあっさり引っかかった僕を真菜弧は嬉しそうに笑っていた。

【真菜弧】
「で、もう聞かなくてもわかるけど、ルナに告白されたんでしょ?」

【明仁】
「……うん、まぁ……ね」

……

コチコチに肩を強張らせ、握り締めた拳がふるふると震えている。
きっと本当ならば云いたくはないことなのかもしれないけど、ゆゆちゃんは云おうとしている。

こんな時、本当に思いやりがある人は一体どちらを選択するのだろうか?

【ゆゆ】
「あの……私っ!」

【明仁】
「ぅ、ぅん……」

僕の眼を捕らえて離さなかったゆゆちゃんの瞳が下を向き
消え入りそうな声で小さく呟いた。

【ゆゆ】
「あっくんのこと……好きなんです」

【明仁】
「ぇ……」

ポツリとそう呟き、下を向いたまま顔を上げずに言葉を続けた。

【ゆゆ】
「結構前から、たぶん小学校を卒業するころから……ずっとあっくんのことが好きでした」

【明仁】
「……」

【ゆゆ】
「ごめんなさい、いきなりあっくんがこんなこと云われても迷惑なのはわかってるつもりだったけど
もう、こんなことを伝えるチャンスも、時間も取れそうもないから……」

【明仁】
「どうして、僕なんかを……?」

【ゆゆ】
「理由なんてない、昔はあっくんにこんな感情はきっとなかったと思う。
だけどいつの間にか、あっくんに惹かれて、好きになっていた。
いつどのタイミング好きになったのかはわからないけど、今はもうあっくんしか想える人がいないの……」

ちょっとでも気を抜いたら聞き取れないくらいの声。
気がつけば僕もゆゆちゃんの言葉を聞き漏らさないようにと正座になっていた。

【ゆゆ】
「これが、学年末テストで待ってもらった秘密の全てですよ」

ゆゆちゃんが顔を上げる、ちょっとだけ眼を赤くしていたけど、その表情は笑っていた。

……

まさかゆゆちゃんが僕を異性として見てくれているとは思わなかった。
幼馴染は恋に発展しやすいって云うけど、あながち間違いではないかもしれないな……

【真菜弧】
「ルナってば奥手だからね、てんちゃん相手ならもっと早く簡単に落とせたのに。
何でこんな時期まで黙ってたんだろう?」

【明仁】
「ゆゆちゃんなりのタイミングがあったんじゃないのかな?」

【真菜弧】
「ルナだったらそれもありえるね。 でもさ、どうしてルナを家に帰しちゃったのさ?
告白されたその日は普通なら一緒にいるもんだよ、もしかしててんちゃんってば声かけそこねたの?」

【明仁】
「いや、普通にまた明日って云われただけだけど」

【真菜弧】
「そこでてんちゃんはなんて声かけたの?」

【明仁】
「また明日ねって……」

【真菜弧】
「どアホ!!」

【明仁】
「うわ! だから、耳元で急に怒鳴らないでよ」

耳の奥と頭のてっぺんがキンキンして痛い。
真菜弧は僕の態度が気に入らないのかフーフーと息を荒くして怒り心頭のご様子だ。

【真菜弧】
「女の子に告白されて、やすやすと家に帰すなんて本当に男の子なのかあんたは!」

【明仁】
「もう、そんな怒らないでよ……じゃあなんて云えば良かったのさ」

【真菜弧】
「もう良いよ、てんちゃんに何かを期待した私が馬鹿だった」

呆れ返ってしまった真菜弧はベッドから僕の机の上へと体を移す。

【真菜弧】
「のんびり話してても良いのかな? もういつもの時間過ぎてるよ」

【明仁】
「ぇ? うわ!」

現在の時計の針はいつも僕が家を出る時間だ。
それだというのに学校へ行く準備どころか顔さえも洗っていない。

【真菜弧】
「どうする、ご飯食べて堂々と遅刻していく?」

【明仁】
「今日は式の練習があるんだよ、遅刻していったら何云われるかわからないよ!」

急いで寝巻きを脱ぎ去り、服を準備していると……

【真菜弧】
「♪」

【明仁】
「あの、出ててくれるかな」

【真菜弧】
「はいはい、入り口で待ってるからお早めにね」

……

【明仁】
「はぁ、はぁ……何とか間に合った……」

【真菜弧】
「エッチな妄想して夜更かしするからだよ、だけど心配しないで。
年頃の男子は誰だってエッチな妄想の一つや二つするから大丈夫だよ」

【明仁】
「ちょいちょい僕を変態にもっていこうとするよね……」

【真菜弧】
「そっちの方が面白いもの、だけどこれからはそんな妄想する必要もなくなるね」

【ゆゆ】
「ぁ……」

全力疾走した体を休めるために机に突っ伏していると、僕をみつけたゆゆちゃんが小さく声を上げた。
机に鞄があるから来てはいると思ったけど、トイレにでも行っていたのかな?

【ゆゆ】
「……おはようございます」

【明仁】
「ぁ、うん、おはよう……」

【ゆゆ】
「今日は遅かったんですね……」

【明仁】
「ちょっと寝坊しちゃってさ……」

会話がいつもと違う、いつもなら普通に出来る会話も何故だかよそよそしい。
それは勿論昨日のことがあったからだ、僕もゆゆちゃんも意識しないはずがない。

【真菜弧】
「折角なんだから起こしに来てもらえば良かったのに、そういうところが一言足りないんだよ」

【ゆゆ】
「あの、あっくん……」

【明仁】
「ごめんね、ちょっと今疲れてるから休ませて」

【ゆゆ】
「あ、そうですね、ごめんなさい」

【真菜弧】
「冷たいの」

今はゆゆちゃんとあんまり喋らない方が良い。
僕にしてもゆゆちゃんにしても会話が弾むはずがないのだから。

それからはゆゆちゃんから声をかけてくることもなく、ホームルームの時間へと移っていった。
今日の予定は一年の集大成、通知表を貰って後は式の練習を一時間ほどするだけだ。

ホームルームはすぐに終わり、通知表の返却へと移っていった。

【真菜弧】
「いつ見てもてんちゃんの通知表って面白くないよね」

【明仁】
「面白くなくて悪かったね」

10段階評価で最低は7、最高は10。
三年間通して変動はあったものの7以下をとることはなかった、ちょっとだけ気分が良い。

ちなみに、真菜弧はいつだって最高は6で最低は……

【真菜弧】
「てんちゃん、なんかすんごい失礼なこと考えてるよねぇ?」

【明仁】
「ぁ、あはは……」

バレてるよ……

【真菜弧】
「今日はルナと見せ合いっこしないの?」

【明仁】
「気恥ずかしいじゃん……」

【真菜弧】
「いまさら何を云うのかねその程度のことで、初心だねぇ」

初心とかそんなんじゃなくて、気まずいんだよ……

【担任】
「さて、通知表も返却したことですし、そろそろ移動の準備に移ってください。
練習とはいえ、くれぐれも遅れることのないようにね」

和気藹々と通知表を見せ合い、一喜一憂する生徒たちを眺めながら
ぼんやりとゆゆちゃんに視線を向けた。

【ゆゆ】
「……ぁ、っ」

ゆゆちゃんと視線が交差してしまう。
僕たちは揃って視線を外し、再び視線を合わせようとはしなかった。

これが、今現在の僕とゆゆちゃんの距離なんだ……

……

式の練習は滞りなく進み、全部をとおして閉式の辞を告げるころには時間は12時を回っていた。
下の子はまだ勉強があるらしいけど、3年生の僕たちは今日はこれでおしまいだ。

学校に残っていてもしなければいけないこともないので、手荷物をまとめて教室を後にする。

【真菜弧】
「てんちゃん、ルナのこと待たなくて良いの?」

【明仁】
「用事があるから先に帰ってだってさ」

【真菜弧】
「ふぅん、まあ初日から仲良く帰るなんて二人には照れくさくて出来るわけないよね」

そういうとふわりと僕の肩を飛び立ってゆらゆらと漂い始めた。

【真菜弧】
「ちょっとお空のお散歩してくる、夜には戻ってるから心配しないでね。
てんちゃん、寄り道しないでまっすぐ帰るんだよ」

【明仁】
「何で子ども扱いなのさ?」

【真菜弧】
「私よりもてんちゃんの方が子どもなんだから、そういう扱いになるのは当然でしょ?」

そりゃ確かに真菜弧の方が生まれは早いけど、たった数ヶ月でお姉さん顔もどうなんだ?

【真菜弧】
「もし私が戻ってきてルナがいたら、今日も屋上で寝てあげるからご心配なくねー♪」

ニパニパと手を握ったり開いたりしながら真菜弧は住宅街の中に消えていった。

【明仁】
「はぁ……」

真菜弧は凄い勘違いをしている。
それから僕は嘘をついた、ゆゆちゃんが用事があるっていうのは僕のでまかせだ。

【明仁】
「……」

揺れている。
ゆゆちゃんのことと、それから真菜弧のこと。
その二つの間で僕は揺れている。

伝えるべきこと、伝えなければならないこと。 だけど今の僕にその両方を伝えることは叶わない。
なぜなら僕にだって決めていることがある、想いがあるからこそ今の僕には伝えることが出来ないんだ。

【明仁】
「やっぱり、僕は二人よりもずっと弱いんだな……」

真菜弧がいるときでは絶対にはけない僕の弱気な発言。
宿主を失った僕の肩が、ちょっとだけ寂しそうに僕には見えた……

……

それから数日間、僕とゆゆちゃんのちぐはぐな時間が経過していった。
お互いに出方をうかがうような、話していてもどこか二人の気持ちがだぶついているような。

【真菜弧】
「ねえ、てんちゃん……最近なんか変じゃない?」

当事者である僕とゆゆちゃんだけでなく、真菜弧もそのことに疑問を感じ始めていた。

【明仁】
「変って何が?」

あえてわからないふり、出来ることなら避けたい話題だから。

【真菜弧】
「何わからないふりしちゃってるかなぁ、私がわからないとでも思ってるの?」

【明仁】
「じゃあ何のこと?」

【真菜弧】
「ルナのこと、最近てんちゃんあんまりルナと喋ったりしてないよね。
ルナはルナでなんか話しかけ辛そうにしてるし、喧嘩してるわけでもないんでしょ?」

【明仁】
「別に喧嘩なんてしてないよ」

【真菜弧】
「でも、それだとここ最近ルナに冷たくない?
付き合ってるのに二人で一緒に帰ることなくなったよね」

【明仁】
「……」

普通に考えればそうなる、だけどその考えは間違っている。
なぜなら真菜弧は大きな勘違いをしている、根底から間違っているんだ。

【明仁】
「あのさ、真菜弧……前から云おうとは思ってたんだけど、ちょっと勘違いしてるよ」

【真菜弧】
「勘違いってどんな?」

【明仁】
「僕とゆゆちゃんのこと」

【真菜弧】
「は? 最近ルナとてんちゃんの仲が微妙だってこと?
だけどあれはどう見ても仲睦まじいって感じには見えないけど、もしかしててんちゃんってああいうのが好きなの?」

【明仁】
「あぁもう、そうじゃなくて!」

【真菜弧】
「じゃあなんなのさ」

【明仁】
「だからさ……僕とゆゆちゃんはその、付き合ってないんだよ……」

僕の言葉に、状況の飲み込めない真菜弧が瞳をきょとんとさせた。

【真菜弧】
「は? え? 何それ、どういうこと? 告白されたんじゃなかったの?」

【明仁】
「確かに告白はされたけど……」

【真菜弧】
「まさかてんちゃん、断ったの?」

【明仁】
「断ってはいないけど……」

……

【ゆゆ】
「ダメ、なんですか……」

返答に困る僕を見て、ゆゆちゃんの声のトーンが徐々に小さくなっていく。

【明仁】
「ぁ、いや、その……」

生まれて初めての体験のせいで、頭の整理が追いつかない。
こんな時なんて云ったら良いのかもわからないので、意味を成さない言葉だけがただただ漏れてくる。

【明仁】
「ぅ、うぅん……」

【ゆゆ】
「あっくん、迷惑なのはわかっているつもりですけど、応えが欲しいです。
ダメならダメとはっきり云ってもらえる方が、お互い気まずくもならないと思います」

それは勿論そうだ、先延ばしにすれば先延ばしにするほどお互いの溝が深くなってしまう。
この場ですぐに返答、それが一番良いことだって僕だってわかっている。

【明仁】
「……ごめん……今すぐに返事は……」

僕は先延ばしにしてしまった。
考える時間が欲しいと云えば聞こえは良いかもしれないが、プラスの要素は何一つない。

この日を境に、僕とゆゆちゃんの間にお互いを避けるような嫌な壁が出来上がった。

……

【真菜弧】
「ということはつまり、ルナの告白をてんちゃんは保留にしてるってこと?」

【明仁】
「そうだよ、だから勘違いって云ったでしょ……」

【真菜弧】
「だけどあり得ないよ、ルナから告白されてどこに悩むことがあるのさ。
どうしてその場で受け入れなかったの」

【明仁】
「そんなこと云われても……」

【真菜弧】
「あぁーもう、昔からここぞっていう時の決断力はさっぱりなんだから。
はっきり伝えなよ、僕も同じ気持ちですって」

【明仁】
「無茶云わないでよ」

【真菜弧】
「どこが無茶なの、悪いのは全部てんちゃんなんだから。
ここ最近ルナとギクシャクしてたのは全部てんちゃんのせいじゃないか」

それはそうなんだけど、何でそんなことを真菜弧に口出しされないといけないんだ。
僕とゆゆちゃんの問題だ、真菜弧に口出しされるのは良い気がしない。

たとえ根底に関わっているのが真菜弧自身だったとしてもだ……

【真菜弧】
「今から電話して、てんちゃんからも告白しちゃいなよ。
それとも、ルナが帰ってくるの待ってから家に押しかける方が良い?」

【明仁】
「そんなの僕の勝手じゃないか」

【真菜弧】
「あのねぇ、幼馴染二人がくっつきそうになるのが離れないように私はアドバイスしているのだよ。
このまま時間を置けば置くほど、ルナだって待ってくれなくなるよ」

【明仁】
「ちょっとそれってばおせっかいだよ。
僕だって何も考えてないわけじゃないんだから……」

【真菜弧】
「はっ、色恋沙汰に疎いてんちゃんが何云っちゃってるかなぁ」

【明仁】
「当事者じゃないのに、真菜弧に何がわかるって云うのさ……」

【真菜弧】
「ちょっと何それ、部外者は引っ込んでろって云うのか?」

【明仁】
「真菜弧が口挟むと、余計にこじれるよ」

【真菜弧】
「あっそ、それは悪かったね。
私はてんちゃんもルナも円満に解決できるようにアドバイスしてあげようと思ったのにさ」

【明仁】
「それが結局はおせっかいなんじゃないか」

【真菜弧】
「ああそう、じゃあもう良いよ。
死んだ人間のおせっかいなんてされるだけ迷惑だもんね!」

バン!

【明仁】
「いた!」

机の上にあった教科書が僕の顔めがけてぶつけられた。

【真菜弧】
「てんちゃんに私の気持ちなんてわかるわけないんだから!」

捨て台詞を残して真菜弧は部屋を飛び出して行ってしまった。
本をぶつけられた鼻の頭が鈍く痛み、床に落ちてしまった本を拾い上げて溜息一つに呟いた。

【明仁】
「全部、真菜弧が悪いんじゃないか……」

真菜弧は僕の部屋から出て行ってしまった。
ゆゆちゃんと真菜弧、二人が僕の近くから遠くへ離れていき、全てがばらばらになる。

僕はこんなことを望んでなんかいなかった。
一体いつから全てがずれ始めてしまったのだろうか?

結局その日、真菜弧が部屋に戻ってくることはなかった。

眼が覚めて部屋を見渡してみても、視界に真菜弧の姿が映らない。
真菜弧が部屋に来てから、朝顔を合わせないのはこれが初めてだ。

【明仁】
「はぁ……」

一人の部屋が今日はやけに広く静かに見える。
それだけ真菜弧の存在がうるさく騒がしいものだったことを裏付けるのだけど、いなくなるとこうも寂しいんだな……

いつかは必ず訪れるのであろう真菜弧との二度目の別れ。
僕はそれを望んでいるのか? それとも望んではいないのか?

僕自身、今ではそれがどちらを向いているのか全くわからなくなってしまっていた……

……

てんちゃんの部屋を出てから今日でもう三日。

別にどこで何をしていようと私に文句を云う人もなく、私を必要とする人もいない。
あてもなく朝は街中をふよふよ、夜は眼についた一番高い建物のてっぺんに腰を下ろしてずっと月を眺めていた。

【真菜弧】
「てんちゃんの莫迦、探しに来てくれても良いのに……」

なんて云ってみる、探しに来られても絶対に見つかるはずがないのだけどね。

【真菜弧】
「何であんな喧嘩しちゃったんだろう……」

てんちゃんとルナがくっついてくれれば一番良いと思ったから、協力してあげようと思ったのに。
こんな幽霊の私に出来ることといえばてんちゃんを励ますぐらいしか出来ないことはわかっていた。

それしか出来なくても、幼馴染二人が恋人同士になるのならどんな応援でもしようと思った。

でも、それがてんちゃんには鬱陶しかったみたい。

【真菜弧】
「とはいうもののなぁ……」

いまさらてんちゃんの部屋にどんな顔して戻れっていうんだろう?
てんちゃんに頭を下げれば良いんだけど、ここがどうしても素直になれないからどうせまた口喧嘩。

【真菜弧】
「死んでもこの性格は治らないね」

人魂二人が心配そうに私の目の前を行ったり来たり。
たぶん戻った方が良い、とでも云っているんだろうけど。

【真菜弧】
「簡単に戻れたらもっと早く戻ってるっての」

ピンと指で人魂を弾いてあげた。
痛かったのかどうかなんて勿論わからないけど、申し訳なさそうに肩へと戻っていく。

マンションの屋上から眺めて見ても月は遥か遠く、私を吸い込んでくれるには遠すぎる。
屋上から地面に降り立ち、自分の足で街を歩く。

自分の足を使う必要なんて勿論ないけど、今日はなんだかゆっくりと街を歩いてみたかった。
なんだか野良猫にでもなった気分だ、誰からも相手にされず、自由気ままに街中のお散歩。

【真菜弧】
「お散歩って云うには遅すぎるかな……」

陽が月へと移り変わり、照らす光は柔らかくそして冷たい。
幽霊にはぴったりの背景かな。

【真菜弧】
「さあってと、今日はどこに行こうか……?」

……

【真菜弧】
「来たくなくてもやっぱり来ちゃったね……」

足が向いた先はてんちゃんのアパート。
来たくないって頭ではわかってはいるものの、体はどうしてもこっちに向いてしまった。

【真菜弧】
「うぅん、まだ会いたくないなぁ……」

このままてんちゃんの部屋に戻って、一体どんな言葉をかけられるんだろう?
きっとまた喧嘩腰で話しちゃうんだろうな……

散々悩んだ挙句、私はてんちゃんの部屋に戻ることは出来ず。

【真菜弧】
「今晩はー……」

ルナの部屋へとお邪魔させてもらった。
勿論ルナは私のことは見えていないので、ほとんど不法侵入と変わらないけど……幼馴染だから許してもらおう。

【ゆゆ】
「……」

ベッドの上でクッションを抱え、壁に背を預けるルナの表情は思ったとおり明るくない。

【真菜弧】
「やっぱりルナも待つ身はつらいよね」

邪魔にならないように机に腰を下ろし、ゆっくりと息を吐く。
ルナの部屋に私と二人、こんな状況は過去にもたくさんあったけど、こんな状況は今日が初めてだ。

二人ともいるのに会話がない、こんな静かな状況は初めてだった。

【真菜弧】
「……」

【ゆゆ】
「……」

【真菜弧】
「……」

【ゆゆ】
「……」

非常に重い空気、ルナは一人だと思っているからそうは思っていないかもしれないけど
私には幼馴染のルナと話も出来ずにお互い距離をもつのはちょっと耐えられない。

【真菜弧】
「どうしてルナには私が見えないんだろうな……」

あえて聞こえるように声を出してみても、やっぱりルナは振り向いてはくれなかった。
代わりにルナから発せられたのは消え入りそうな弱い声。

【ゆゆ】
「あっくん……」

ぼそりとそう呟き、クッションを抱いたままベッドに倒れこんだ。

【ゆゆ】
「折角云えたのに、あっくん迷惑そうだったな……だけど、そうならちゃんと断ってくれれば良いのに。
これじゃあ、あっくんのこと嫌いになっちゃうよ……」

【真菜弧】
「ルナ……」

私と違って引っ込み思案とまではいかないものの、前へ前へな子ではなかった。
そのルナがてんちゃんに告白するなんて、きっとよほど決心してようやく云えたことなんだろう。

【ゆゆ】
「ダメでも良い、ダメでも前と同じように出来るだけでも良い。
それなのに、どうしてこんなに不安なんだろうな……」

【真菜弧】
「……」

ベッドに横になりながら、ルナの瞳から涙が一筋落ちた。
告げられる応えへの不安、待たば待たされるほど不安は増幅されて自分を追い詰めていく。

こんなルナを見ていたくはない、それと、あんなてんちゃんももう見たくはない。

【真菜弧】
「お邪魔しました……」

ルナの部屋を抜け出し、てんちゃんの部屋へと向かう。
おせっかいだと云われようと迷惑だと云われようとかまわない。

もうこれ以上、避け合う二人を見ていたくはなかった……

【ゆゆ】
「やっぱり、敵わないよ……ずるいよ、自分だけ抜け出しちゃうなんて……
これじゃあ、どうやっても私じゃ勝てないよ……」

真菜弧が部屋を抜け出た後、彼女はそんな言葉を呟いた。

……

【真菜弧】
「や、やぁ……」

【明仁】
「真菜弧……」

久しぶりに戻ってきた真菜弧は僕と眼を合わせようとせず、視線が落ち着かずに行ったり来たりを繰り返した。

【明仁】
「……おかえり」

【真菜弧】
「……ただいま」

幽霊になった真菜弧と再開をしたときと同じ挨拶で、僕は真菜弧を迎え入れた。

【明仁】
「どうだった、家出した感想は?」

【真菜弧】
「家出って……ちょっとくらい探しに来てくれても良かったのに」

【明仁】
「探しに行ったってどうせ出て来てくれないでしょ。
一応心配はしてたけど……」

【真菜弧】
「何をどう心配してくれたのかわかんないけど、一応ありがとう」

心配したさ……もし、どこかで成仏でもされてしまっていたら、とね。

【明仁】
「今までどこ行ってたの?」

【真菜弧】
「月が良く見えるところ……それからさっきまで、ルナの部屋にいさせてもらったよ」

【明仁】
「ゆゆちゃんの部屋に……」

真菜弧の性格上、すんなり僕の部屋に戻ってくるとは思ってなかったし
やっぱり最終的に行き着くのはそこか。

【真菜弧】
「ルナが今どうなっているかは教えて上げられないけど、やっぱり一番解決に近いのはてんちゃんの方だよ。
ちょっと気になったんだけど、何でてんちゃん返事を先送りにしたの……?」

【明仁】
「……」

【真菜弧】
「もしかしてなんだけど、てんちゃんって他に好きな子がいるの……?」

【明仁】
「……いるとしたら、どうなのさ?」

【真菜弧】
「それだったら仕方ないよ、ルナが告白したとはいってもてんちゃんには他に好きな人がいる。
ルナの気持ちを押し付けるのはてんちゃんにとって迷惑になるだろうしね」

【真菜弧】
「だけどそうだとしたら、てんちゃんがルナにそのことを云わないのは不自然なんだよ。
その場で云ってあげればこんなに行き違うこともなかっただろうし、ギクシャクすることもなかった。
だからこそ、どうしててんちゃんが先送りにしてるのかが気になるんだよ……」

【明仁】
「……」

【真菜弧】
「そろそろ応えてあげようよ。 受けるにしても断るにしても、自分の気持ちを云わないのはずるいよ。
そうでないと、ルナもてんちゃんも、可愛そうで見てらんないよ……」

可愛そうで見てられないのは、真菜弧の方だよ……

【明仁】
「ダメだよ、ゆゆちゃんには応えられないよ……」

【真菜弧】
「どうして? やっぱりてんちゃんにも誰か気になる子がいるの……?
だったらそのことをルナに伝えないと……」

【明仁】
「そんなこと、云えるわけないじゃないか……」

【真菜弧】
「伝えにくいのはわかるけど、それじゃルナが……」

【明仁】
「どうしてそこでゆゆちゃんの話をするんだよ!」

いつの間にか僕は怒鳴り声になっていた。
普段こんな声を絶対に出さない僕の変化に、真菜弧は言葉を失った。

【真菜弧】
「だ、だって……返事を待てば待つほど辛くなるのはルナだから……」

【明仁】
「そんなことわかってるよ、だけど、だからこそ云えないんじゃないか!」

はぁはぁと息が荒くなり、感情的になって冷静さを欠いていく。
今まで抑えていたものが堰を切ったようにふつふつと僕の中から抜け出ていった。

【明仁】
「云えるわけ、ないじゃないか……ゆゆちゃんにそんなこと……
僕の気持ちを伝えるなんて、そんなこと……」

【真菜弧】
「てんちゃん……でも、それじゃあてんちゃんもルナも……
てんちゃんの想いも伝えられないし、ルナの想いも報われないよ」

【明仁】
「僕の想いは絶対に伝わらない、たとえ伝えたとしても、絶対に報われることなんてないんだ……」

【真菜弧】
「そんなことない、たとえ良い結果がでなくても、想いは絶対に伝わるはずだよ」

【明仁】
「伝わるはずない、伝わるわけないじゃないか!」

【真菜弧】
「どうしてそう云い切るの! やりもしない前からそんな逃げ腰じゃ伝わるわけないじゃない!」

【明仁】
「伝わるはずがないんだよ! どんなに想いを伝えようと、もう……いないんだから……」

【真菜弧】
「えっ……」

もういない、その言葉を聞いた真菜弧の熱が一気に冷めるのがわかる。
たぶん、少なからず彼女は何かに気付いたのだろう。

【明仁】
「僕がどんなに想いを伝えても、その人には応えることが出来ないんだ……
どれだけ伝えようと、どれだけ想いが強くても、絶対に伝わらないんだ……」

【真菜弧】
「てん、ちゃん……」

感情的になってしまった僕に、言葉を押し留めることなど容易であるわけもなく。
今まで口に出さずに秘めていた僕の気持ちは溢れ出す。

【明仁】
「ゆゆちゃんは大事な人だけど、それ以上に僕には大事な人だったんだ。
それなのに、結局告白するまもなく、その人はいなくなってしまった……」

【真菜弧】
「……」

【明仁】
「どうして、どうして死んでしまったんだよ……!」

【真菜弧】
「てんちゃん、それって……」

【明仁】
「僕は……真菜弧のことが好きだったんだよ」

【真菜弧】
「!」

絞るようにして出した名前、それは紛れもない目の前にいる少女の名前。

僕は、真菜弧のことが好きだった……

【真菜弧】
「や、やだよてんちゃん、こんな時にそんな冗談は」

【明仁】
「冗談で、僕がこんなこと云えるわけないじゃないか……」

【真菜弧】
「ほ、ホントなの……てんちゃんが、私を……?」

ゆゆちゃんが云っていたのとまったく同じ。
いつ好きになったのかなんてわからないけど、気付けば僕は惹かれていた。

いつも僕とゆゆちゃんの中心にいて、いつも僕たちを振り回して
いつも僕たちに助けを求めてきた真菜弧のことが……

【明仁】
「出来ることなら、云いたくなんてなかったよ……
告白なんてしなくても、いつまでも良い関係でいられればそれだけで良かった」

それなのに……

それなのに真菜弧は一人で先に逝ってしまった、僕たちを置いてたった一人で終わらせてしまった。

【明仁】
「こんなこと、ゆゆちゃんに云えるわけないじゃないか……」

こんなことをゆゆちゃんに話せるわけがない。
以前僕が一日中真菜弧の墓の前に訪れていたのも、真菜弧の死を認められなかっただけじゃない。

真菜弧が好きだったから、もう二度と出会うこともなければ想いを伝えることも出来なくなってしまったから。

感情を失い、機械的に真菜弧の墓を訪れていたあの日々。
それを断ち切ってくれたのがゆゆちゃんだった……
ゆゆちゃんのおかげで、僕はようやく真菜弧の死を受け入れ、真菜弧への想いを忘れようとしていた。

それなのに、それなのに彼女は再び僕の前へと現れた……

【明仁】
「これじゃあ忘れたくても、忘れられないよ……」

膝ががっくりと折れ、ベッドの縁へと腰を下ろす。

【明仁】
「どうして、僕にしか見えないんだよ……なんで僕だけが悩み続けなくちゃいけないんだよ……」

【真菜弧】
「……」

【明仁】
「いつまで経っても、真菜弧への想いがなくならないよ……
こんな僕が、ゆゆちゃんに返答する資格なんてない……」

僕は今でも真菜弧にとらわれている。
真菜弧への想いにとらわれ、ゆゆちゃんの想いを受け止められずにいる。

真菜弧への想いが決して届くこともなく、実らないことだとしても……

不意に涙が溢れてきた、真菜弧の死を受け入れたときに泣いたはずなのに
感情的になると呼んでいなくても涙は自己主張を強めてくる

【真菜弧】
「てんちゃん……」

僕の気持ちを知った真菜弧はやっぱり戸惑っていた。
僕たちは皆そういった話から遠い、中でも真菜弧は最も遠い人物だろう。

だけどそんな僕たちの中だからこそ、僕にはこんな想いが芽生えたんだ。

【真菜弧】
「……顔、上げてくれるかな」

【明仁】
「っ……!」

真菜弧に促されて顔を上げると、そこに真菜弧は唇を重ねてきた。
幽霊である真菜弧との初めてのキス、驚きのあまり言葉と思考を失ってしう。

幽霊であるはずなのに、感触なんてあるはずがないはずなのに。
真菜弧の唇は柔らかく、はんなりと温かかった……

僕は宙に浮かぶ真菜弧の腰に手をまわし、壊れてしまわないように優しく抱きしめた。
感触と呼べるものかはわからないけど、真菜弧は僕の元へと抱き寄せられた。

【真菜弧】
「……」

【明仁】
「……」

幽霊とのキス、いるはずがない者との初めてのキス。
真菜弧の唇が離れた後も、僕の唇には柔らかい感触の名残が残っていた。

【真菜弧】
「その、ありがとね、てんちゃん……
まさかてんちゃんがそんなこと想ってくれてるなんてわからなかったよ、ごめんね」

【明仁】
「真菜弧……」

【真菜弧】
「嬉しい、幼馴染にそう云われると、他の誰かに云われるよりもずっと嬉しいよ……」

気付けば真菜弧の眼にも涙が浮かび始めていた。
幽霊でも涙って出るんだ……

【真菜弧】
「だけど……やっぱりそれはダメだよ」

ちょっと声のトーンが落ち、寂しげな声色になっていた。

【真菜弧】
「私はもう死んじゃったんだから、もうてんちゃんと同じ世界の子じゃないんだよ。
私じゃ今のてんちゃんには相応しくないよ……」

【明仁】
「……」

【真菜弧】
「私はもう過去なんだよ、今ここでこうしているけどやっぱり私はいてはいけない。
てんちゃんがそのことで悩むようなら、なおさらね……」

【明仁】
「真菜……弧……」

【真菜弧】
「私のことはもう忘れて、今のてんちゃんを見てくれる人に眼を向けなくちゃ。
心配しないで、てんちゃんの想いは私にちゃんと伝わったから……
決して叶いはしないけど、私は嬉しいよ」

真菜弧は僕に背を向け、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
その声は震えていて、彼女が泣いているのだとはっきりと実感できた。

【真菜弧】
「でも、出来ることなら……もっと早く、その言葉を聞きたかったな……」

【明仁】
「ごめん……」

【真菜弧】
「謝る必要はないよ、それにルナと取り合いになっちゃうのはちょっと気分悪いしね。
だけど、せめて今日だけは……」

いきなり真菜弧は振り返り、いつもと同じように僕の首に抱きついた。

【真菜弧】
「今日くらい、普通の女の子になりたいよ……」

幽霊になって普通ではなくなった彼女の切なる願い。
絶対に結ばれることもなく、絶対に叶うこともない願い。

これが僕と彼女の間の狭間、決して越えることの出来ない狭間なんだ。

僕たちは時間も忘れ、言葉もなく抱き合いながら時を過ごしていった。
そしてこの夜は、僕と真菜弧にとって二人で過ごす最後の夜だった……

……

【真菜弧】
「それで、ちゃんと来てって伝えたの?」

【明仁】
「うん、一応人がいない学校の裏手にね」

【真菜弧】
「うわぁ、ベッタだねぇ……まあ今日は絶対に他の子はいないから選択としては間違ってないけどね」

【明仁】
「でしょ」

今日は僕たちにとって最後の大舞台、卒業式だ。

【真菜弧】
「てんちゃんがどっちを選ぼうと自由だけど、ちゃんと伝えてあげなよ」

【明仁】
「わかってるよ、昨日約束したからね」

【真菜弧】
「よし、良い顔してるよ。 遅れるといけないからそろそろ行ってきなよ」

【明仁】
「真菜弧は出ていかないの?」

【真菜弧】
「ああいう堅苦しくて長いのは好きじゃないからね、屋上でボーっと過ごすよ」

真菜弧らしいというかなんというか……
最後なんだから卒業式くらい出ていけば良いのに。

キンコーンとチャイムが鳴り、式の開始が近いことを知らせてくれた。

【真菜弧】
「行ってきなよ、晴れ舞台なんだから思い切り泣いても良いんだよ」

【明仁】
「僕は泣かないよ……っと、急がないと遅れそう、じゃあ行ってくるね」

【真菜弧】
「行ってらっしゃい、それからがんばってね」

がんばって、笑顔の真菜弧に僕も笑顔で返してあげる。
今まで先延ばしにしてきたゆゆちゃんへの応え、それを今日は伝えるんだ。

今まで散々待たせちゃったから、怒ってないか心配だよ……

……

【真菜弧】
「ようやく、私はお役御免みたいだよ」

卒業式が行われる中、私は人魂と一緒に屋上で一休み。
ちょっとくらい見ておこうかとも思ったけど、そんなことして名残が出来るのはちょっと辛いから止めておこう。

【真菜弧】
「だけどまさか、あのてんちゃんが私のことをねぇ……
私ってばそんなにルナより魅力あるかな?」

自分の魅力なんて案外自分では気がつかないことが多い。
実際てんちゃんだって私のどこに惹かれたのかはわからないとか云ってたし。

【真菜弧】
「まったく、前からそう思ってたんなら少しくらい云ってくれれば良かったのにね」

だけど、気付けなかった私も私か……

【真菜弧】
「あんなに毎日毎日私のお墓に来てくれてたのに
何で私も気付いてあげられなかったんだろうな……」

てんちゃんには内緒にしていたけど、私が死んだすぐ後
毎日のようにてんちゃんがお墓の前に来てくれていたことを知っている。

そのせいで倒れてしまったことも勿論、死んだ私なんかのためにそんな無茶しなくて良いのに。

【真菜弧】
「てんちゃんにしか見えなくても、私は来ちゃいけなかったんだよね」

私が幽霊にまでなってこの場にとどまっている理由、それはてんちゃんの想いがあったからだろう。
てんちゃんの中にあった私への想いが、私をこの世界に留まらせてしまった。

それでも、たぶん私がまたてんちゃんの前に現れたりしなければ
私ももっと早くこの世界を離れられたのかもしれない。

【真菜弧】
「てんちゃんには申し訳なかったけど……この数ヶ月、楽しかったなぁ……」

死んでしまって初めてわかる自分がいた痕跡、それから自分がいられない世界。
そんな中でもてんちゃんは私と一緒にいてくれた、たとえそれが根底ではお互いに辛いことだとわかっていても……

【真菜弧】
「ぁ、式終わったみたいだね」

体育館がちょっと騒がしくなる、てんちゃんたちが式を終えて舞台を去る音だろう。

【真菜弧】
「私たちも、そろそろいこっか……」

……

【明仁】
「来てくれてると良いんだけど……」

正直不安が無いと云えば嘘になる、あれだけ待たせたんだからこない可能性も考えられた。

【明仁】
「真菜弧のやつ、最後まで式場には来なかったな……」

少しくらい顔を出していくかと思ったけど、予想は外れて一度も顔を見せることはなかった。
きっと今頃屋上で空でも眺めているんじゃないかな……

【ゆゆ】
「あっくん、お待たせしました……」

【明仁】
「来てくれないかもと思ってたよ」

【ゆゆ】
「折角呼び出されたんですから、行かないのは失礼というものですよ」

笑ってはいるものの、ゆゆちゃんの瞳は少しだけ赤い。
卒業式ということもあって、多少なりとも泣いてしまったのかもしれない。

【ゆゆ】
「それで、お話というのは……」

【明仁】
「うん……ゆゆちゃんには今まで先延ばしにしてたことがあったからね。
今日でもう最後だし、ちゃんと応えてあげようと思って」

【ゆゆ】
「……はい」

【明仁】
「ゆゆちゃん……本当に、僕なんかで良いの?」

【ゆゆ】
「なんかではなく、あっくんだから良いんですよ」

【明仁】
「そっか……それじゃあもう待たせるのは可愛そうだよね」

【ゆゆ】
「ぁ……」

華奢なゆゆちゃんの体をギュッと抱き寄せた。
僅かな震えが伝わるゆゆちゃんの体、それを取り除くように優しく、精一杯温かく。

【明仁】
「お付き合い、お願いします」

【ゆゆ】
「はい……こちらこそ……」

どこかで真菜弧が見ているのなら、もう何も心配しないでほしい。

そのことを真菜弧に誓うとともに、ゆゆちゃんを待たせたことをわびるように
僕はゆゆちゃんのあごを持ち上げた……

……

【真菜弧】
「くしし、どうやら万事うまくいったみたいだね」

屋上からてんちゃんとルナの密会現場は丸見えだ。
一番望んでいた結末なんだけど、正直ちょっと妬けてしまう。

【真菜弧】
「これでもうてんちゃんが私に縛られることもないし、私がてんちゃんに留められることもない。
これでもう、本当に私の絡めはなくなっちゃったね」

今ならはっきりとわかる、もう私がこの世界に留まる意味も、絡めもなに一つ無いんだと。

【真菜弧】
「さてと、このまま見せ付けられるのもちょっと嫌だし。
私も私の世界に帰らないとダメかな……」

まだまだこの世界に未練はあるけど、今の私がいなきゃいけないのはここじゃない。
ここはてんちゃんたちの世界であり、幽霊の私がいるべき世界じゃないから。

【真菜弧】
「これでもう、本当にお別れだね。 てんちゃん」

バイバイぐらい云ってあげようかと思ったけど、この状況で出て行くほど私も場を読めない女じゃないし。
それに、てんちゃんにはルナがいるんだしね……

【真菜弧】
「二人とも今までありがとね、あんたたちと一緒にいられないのはちょっと寂しいかな」

今まで付き合ってくれた二体の人魂、この子達とも今日でお別れだ。

【真菜弧】
「じゃね、二人とも元気でね」

二人に別れを告げ、大空の海へとこの体を浮かばせていく。
眼を瞑り、この空が私を吸い込んで全てを消してくれるまで……

今度もし、もしもまた三人が揃ったりするような奇跡的な時間が訪れたなら。

今度は絶対にてんちゃんに応えてあげるからね。
それからルナも、今度は絶対に負けないから覚悟しておいてよね。

【真菜弧】
「バイバイ……お幸せに、ね……」

……

【明仁】
「もう、いっちゃったのかな……」

部屋に戻ってきてもそこに真菜弧の姿は無かった。
学校から帰るときに姿を見せなかったから、ようやく真菜弧も成仏できたのかと覚悟もしてたけど。

やっぱり、いなくなると寂しいことに変わりはないな……

【明仁】
「だけど、いつまでもしんみりしてたらまた怒られちゃうね」

別れを告げなかったのもきっと真菜弧なりの配慮。
さばさばしてるようでああいうところは結構涙もろい子だったからね。

【明仁】
「……」

部屋の窓を開けて太陽の光をいっぱい部屋の中へと取り込んだ。
きらきらとした陽光に彩られた大空の海の藍さが眼にとても眩しく映る。

【明仁】
「良い天気、今日の月もどびきり綺麗に見えそうだね」

【ゆゆ】
「あっくーん、準備できましたかー?」

【明仁】
「あ、今行くよ」

これからゆゆちゃんと初めてのデート(?)……みたいなことをしに行ってくる。
提案者はゆゆちゃんだった。

【明仁】
「それじゃ、行ってくるね」

机の上に置かれた写真立て、その中にだけ真菜弧は存在していた
唯一真菜弧が笑っていない写真が中には入っていたはずなんだけど……

写真の中の真菜弧はこれ以上ないというくらい飛び切りの笑顔に変わっていた。
やっぱり彼女は笑っている顔の方が良い。

勿論写真を変えたのは僕じゃない、当然真菜弧でもない。

きっと、これは真菜弧からのメッセージ。
もしくは魔法か何かの力、かな?


『寂しさから笑顔へ』
それは僕たち三人を表すのにとても相応しい真菜弧からのメッセージだった。





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