【4月30日(水)】


窓から眺める景色が少しずつ変わっていく、もう桜の花も時期が終わり、これからは少しずつ温かくなっていく。
今年の桜はもう終わり、次に桜に出会えるのはまた来年……

【音々】
「後何回くらい私は桜を見れるんだろうな……」

白に固められた1室、例えるならばここは鳥籠。
その鳥籠の外に広がるのは360度見渡す限り様々な色を持った別世界。
この鳥籠からあの別世界へ、私は再び羽根を広げることができるのだろうか……

コンコン

【音々】
「どうぞ……」

こんな時間に私の病室を訪ねてくるのは医者か看護婦さん、たぶん秋山先生ではないかと予想していた。
しかし、私の予想はものの見事に外れてしまった。

【水鏡】
「こんにちは」

【音々】
「水鏡さん? どうして貴方がここに、今はまだ学校なんじゃ?」

【水鏡】
「ちょっと体を壊してしまいまして、先輩の方はお体の具合はどうですか?」

【音々】
「体調は良いですけど……どうして水鏡さんが私の病室を?」

彼女には私の体が弱いことを教えてはいない、それなににどうして私の病室を知っているんだろう?

【水鏡】
「私がどうして先輩の病室を知っているのか不思議そうですね。
話すと長くなるので割愛しますが、何度か誠人先輩とご一緒にいるところを目撃しましたから」

【音々】
「そうだったんですか、水鏡さんは今日学校の方は?」

【水鏡】
「今日はもう行きません、学校にいると色々と喋ってしまいそうだから」

【音々】
「でしたら不躾なお願いなんですが……私の話し相手になっていただけませんか?
水鏡さんのお体の調子が悪いのは承知の上です、それでももしよろしかったらお願いします」

【水鏡】
「私なんかで良ければ、喜んで」

前髪で隠れて見えない瞳とは対照的に、彼女の口元はにっこりと微笑んでいるのが見てわかった。

……

【音々】
「ふふふ、誠人さんらしいですね」

【水鏡】
「それもこれも皆先輩のおかげだと思いますよ」

最初は何気無い話だったが、いつの間にか話すことは誠人さんのことだけになっていた。
彼女と話していると私の知らない誠人さんが色々とわかってくる。

【水鏡】
「後、先輩は膝枕がお好きなようです、案外先輩はエッチですよ」

【音々】
「それはもう身をもって体験しています、いつもいつも私に何の断りも無く抱きついたり……」

【水鏡】
「所構わず抱擁なんてお2人とも情熱的ですね」

【音々】
「私はそんなつもりじゃないのにいつも誠人さんが……私何喋ってるんだろう恥ずかしい」

瞬間的にカァっと顔が熱くなるのがわかる。
なんで人様の前でそんな話してるんだろう?

【水鏡】
「クス、でも本当は、先輩も嫌じゃなかったりするんですよね?」

【音々】
「……はい、こ、このことは誠人さんには絶対に云わないでくださいね」

【水鏡】
「ご安心ください、女同士の秘密です」

【音々】
「ありがとうございます、なんだか水鏡さんとお話してると退屈しませんね」

【水鏡】
「私も先輩とお話していると楽しいです、正直お喋りは苦手なんですけど」

【音々】
「それは私も同じですよ、だけどどうしてだろう水鏡さんとはまだ昨日お会いしたばかりなのに」

【水鏡】
「ほとんど初対面の人にここまで好きな男性の話はできませんよね……」

また顔がカァっと熱くなる、今度はさらに頭の上でボンッと効果音が付いてもおかしくはない。

【水鏡】
「本当にお好きなんですね、誠人先輩のことが……」

【音々】
「……はい」

【水鏡】
「それで……もう決心はついたんですか?」

【音々】
「決心ですか……」

私の決心、云われて心当たりのあることなんて1つしかない。
このあやふやな心臓、この心臓にメスを入れるかどうかの決心……

【音々】
「正直に云うと、まだ決めかねているんです……
私が手術を受けてそれで本当に意味があるのか、その先を見続けることができるのか」

【水鏡】
「誠人先輩がいれば、先を見続けることも可能なんじゃないんですか?」

【音々】
「確かにそうなんですけど、それは私たちが本当にお互いを理解しているからこそできること。
だけど私たちはまだお互いを理解できていない、だって私たちはまだ付き合ってもいないんですから……」

【水鏡】
「ということは、お2人が付き合うことが出切れば、先輩の決心もつくんですね」

【音々】
「私が誠人さんを必要とするように、誠人さんも私のことを必要としてくれるのなら。
手術を受けた後、その先を見ることもできるから……」

【水鏡】
「だったら何も悩む必要はありませんよ、誠人先輩も先輩のことを必要としています。
そうでなかったら毎日のように先輩のところに顔を現すはずがありません。
誠人先輩も必要なんですよ、先輩のことが……」

【音々】
「水鏡さん……」

彼女の言葉に思わず涙が溢れそうになる、どうして彼女はここまで私の気持ちを知っているんだろう?

【音々】
「不思議ですね……水鏡さんには私の心の中が見えているみたい。
それに、水鏡さんは誠人さんのこともよくご存知なんですね」

【水鏡】
「いえ、私なんかより先輩の方が誠人先輩のことは知っていると思いますよ。
手を伸ばせば届く人と、手を伸ばしても決して届かない人の違いは大きいですから」

届く人と届かない人、それは私と水鏡さんのことを例えている。
水鏡さんの口ぶりからすると届く人が私、届かない人が水鏡さん……

【音々】
「もしかして、水鏡さんも誠人さんのことが?」

【水鏡】
「え、わ、私は特にそんなことは」

【音々】
「当たりですね?」

【水鏡】
「……」

無言、しかし体は正直だ、本当によく見なければわからないけど彼女の頬が少しだけ赤くなっていた。

【音々】
「そっか、水鏡さんも好きだったんだ、だけどそれならどうして私に力をかしてくれるようなことを?」

【水鏡】
「それが一番良い結果を生むから、先輩と結ばれてくれれば、誠人先輩もきっと過去を振り払うことができるから。
私ではその力にはなれないんです……」

彼女の視線が下を向いた、しかしそれはほんの一瞬、すぐに視線は私へと向き直った。

【水鏡】
「だけど先輩なら、いいえ、先輩にしか誠人先輩の支えになることはできません。
私ができることは、誠人先輩に全てを気付かせることしかできませんから……」

云い終わると水鏡さんはすくっと立ち上がり、スカートの裾を整えた。

【水鏡】
「そろそろおいとましますね、あまり長い間いると先輩のお体に障るかもしれませんから」

【音々】
「いえそんな、私の方こそ水鏡さんの体調が優れないのを承知で長い間拘束してしまって」

【水鏡】
「先輩は優しいんですね、だけどその優しさは私ではなく誠人先輩に向けてください。
それから、1つだけお願いしたいことがあるんです……」

……

もう昼休みも終わりが近い、4時限眼が終了したらすぐここに来たけど一向に現れる気配は無い。

【一条】
「今日はもう駄目かな……」

ベンチに腰を下ろしてポツリと呟く、どうしても確かめなければならないことがある。
しかし、確かめるにも肝心の人が来ないと話にならない。

キンコーン

昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響く、やはり現れてはくれなかった。

【一条】
「しかたないか、まだ明日があるよな」

手にしていた写真を胸ポケットに押し戻す。
この写真、これが全てを繋げる鍵なんだ。

……

【美織】
「おーい、もう授業終わったわよー」

寝惚け眼を擦りながら辺りを見渡すと、すでに生徒の姿が消えていた。

【美織】
「のん気だねー、ほら早く眼覚まして、姫のところ行く時間無くなっちゃうよ」

【一条】
「あぁ……」

【美織】
「まったく……こんな彼氏じゃ姫も大変よね、少しは姫に彼氏らしいことしてあげたの?」

【一条】
「……」

【美織】
「そのだんまり、もしかして何もしてあげてないの?」

【一条】
「何もしてないというか、俺たちまだ付き合ってはいないんだよ」

【美織】
「はぁ?」

美織の眼が大きく見開かれ、口はポカンと開きっ放しになっている?

【美織】
「何云ってんの、あれだけ一緒にいるのに付き合ってないってどういうことよ?」

【一条】
「……俺がまだちゃんとした返事を返してないんだ」

【美織】
「ほほう……それは姫の体が目当てだったってことかな?」

【一条】
「勘違いをするな、返事を返してないのは興味が無いとかじゃない。
ただ、どうしても踏ん切りがつかなくてさ」

【美織】
「それで先延ばしにしてるんだ……マコ、ちょっと我慢してね」

我慢って何をと聞こうとしたが、そんなことは待たずに美織の平手が飛んでくる。

【一条】
「痛! いきなり何するんだよ」

【美織】
「この場に姫がいないから、代わりにあたしがぶってあげたのよ。
痛かったでしょ、これと同じような痛みを姫も受けてるってわけよ」

【一条】
「え……?」

【美織】
「あんたは待たせてる側だから分からないと思うけど、待つ側って心身共に辛いもんなのよ。
返ってくる答えがYESかNOかもわからずに常に悩み続けなくちゃいけないんだからね」

【一条】
「……」

【美織】
「本当は外野が手を出しちゃいけないけど、はっきりしないんじゃ姫が可哀想だから聞かせてもらうわ。
マコは姫のこと好きなの、それともそこまでの感情は無いの?」

美織の眼は真剣だ、親友である音々を思う気持ちが本気であるからこそそこまで真剣な眼になれるんだ。
その美織の眼に応えるように、俺も自分の気持ちに正直に応える……

【一条】
「好きでもないのに毎日毎日顔合わせになんか行かないだろ。
俺が毎日のようにあいつに会いに行くのは、あいつのことが好きだからだよ」

【美織】
「よし、よく云った!」

真剣な眼が笑顔に変わり、それと同時に背中に激痛、平手で思いっきり背中を叩かれた。

【一条】
「たたたたた……バカバカと人の体を叩かないでくれるか」

【美織】
「景気付けだよ、気持ちがはっきりしてるならもう悩む必要なんて無いじゃない。
マコも男ならここらへんで勝負かけてみたら?」

【一条】
「ここらへんでか……そうだよな、俺もそろそろ応えを返さないといけないよな」

音々を苦しめている要因が俺であるのなら、俺は少しでも音々の苦しみをとってやりたい。
美織のおかげで俺はいち早くやらなければいけないことを気付かされた。

【美織】
「お、良い眼になってきたよ、その決心が鈍らないうちに早く行ってあげな」

【一条】
「ああ」

……

コンコン

片手に袋をぶら下げて病室の扉をノックする。

【音々】
「どうぞ」

【一条】
「よ、毎度毎度同じような時間に来てるから予想できただろ?」

【音々】
「勿論です、そろそろ誠人さんが来てくれるんじゃないかと思ってました」

【一条】
「予想通り来ましたよ、昨日は俺の私用で来れなかったから。
そのお詫びと云っちゃ何だけど、これな」

【音々】
「クリームパンですね、ありがとうございます、ですけどお詫びなど考えなくて良いんですよ。
誠人さんの時間は私のためにあるんじゃない、誠人さんのためにあるんですから」

【一条】
「俺の時間は俺のためにある、間違っちゃいないけどちょっと違うな……」

【音々】
「何が……違うんですか?」

【一条】
「俺の時間を俺1人で過ごしちゃ意味が無い、と云えばわかるかな?」

【音々】
「……申し訳ありません、私にはちょっとわかりませんが」

【一条】
「わからなくても良いよ、すぐにわかると思うからさ」

椅子に腰を下ろし、ふぅっと小さく息を吐く。
今から音々に本当のことを告げよう、俺が今まで隠し通してきた俺がここに越して来た本当の理由を……

【一条】
「音々にはさ、過去の記憶ってどんな物が残ってる?」

【音々】
「難しい質問ですね……そうですね、一言では云えませんが様々なことが残っていますよ。
学校のこと、お友達のこと、家でのこと、美織ちゃんや誠人さんとのことも」

【一条】
「もしも、その記憶がある日突然全て失われたら……どうする?」

【音々】
「どうすると云われても……失ったことが無いのでどうも云えないですよ」

【一条】
「だろうね……だけど記憶を失ってまず人がとる行動は決まっているんだ」

【音々】
「なんなんですか?」

【一条】
「過去を必死で思い出そうとすること、それから、その行為が全く無意味であると気付くこと。
まずそれから始まるんだよ……」

【音々】
「そうなんですか、ですがどうして誠人さんがそんなことを?」

【一条】
「とりあえずそれはおいといて、音々は記憶喪失がどんな場合に発生するかは知ってる?」

【音々】
「衝撃的な場面を見た場合、自分に都合の悪いことを無理矢理忘れようとした場合。
頭を強く打ったり、後は日頃のストレスによるもの、その程度でしょうか?」

【一条】
「後1つ、大病を患って生死の境を彷徨った場合……」

【音々】
「大病を患って生死の境を彷徨った……ですか?
お詳しいんですね、だけどわかりません、どうして私にそんな話を?」

【一条】
「音々に全てを話そうと思ってさ、俺がまだ話していないこと、ここに越して来た本当の理由をね」

今まで誰にも話すことのなかった、いや、誰にも話せなかった事実を音々には話そう。
音々の重荷を少しでも軽くしてやりたい、それが音々を好きになった俺の役目だから。

【一条】
「確か前に1度話したよな、俺がこっちに来ることになった理由」

【音々】
「はい、確か重い病気にかかったと……あ、もしかして」

【一条】
「たぶん音々の想像通りだと思う、俺が患った病気は脳内出血それも極めて危険性の高い脳幹出血。
助かる見込みの無い手術を受けて俺は2ヶ月間死の淵を彷徨った」

【一条】
「そして2ヵ月後、奇跡的にも俺は眼を覚ました……過去の記憶全てを失ってね」

【音々】
「!」

【一条】
「自分が誰であるのか、などの日常生活において重要なことは忘れていなかった。
ただ、俺が過ごしてきた過去の記憶のみが頭の中から消えた。
自分が今まで何をしてきたのか、何を見てきたのか、何を聞いてきたのか、それら全てが消え去った……」

【一条】
「俺が眼を覚ましたのが奇跡だとしたら、それは俺にとって残酷な仕打ちでしかなかった。
なんで眼を覚ましてしまったんだろう、これだったらあのまま眼を覚まさない方が良かった」

この世に奇跡なんてものが存在するのなら、俺はその奇跡に助けられ、また、その奇跡に呪われた。
奇跡が持ち合わせた2面の顔が同時に俺を向かえいれ、俺の全てを狂わせた。

【一条】
「記憶を失ったせいで、住み慣れた街も見知らぬ土地と同じ。
学校へ復帰したとしても学校に俺の居場所は無く、俺を知る人がいるだけで俺には耐えられなかった。
だから俺はこの街にやって来た、俺を知る人が誰もいないこの街にね……」

【音々】
「……」

【一条】
「それからというもの、人との交わりは極力避けてきたんだ。
交わりを記憶として残してしまうと、記憶を失った時の衝撃が大きいから。
何も無いのなら、痛みも感じないからね……」

淡々と語る俺が隠し続けてきた過去、あの病気がいつまでも俺の影を踏んで俺を過去へと縛り付ける。

【一条】
「だけど、それも今日で終わり……もう過去に縛り付けられて臆病なこと云うのは今日で終わりだ」

持ってきた袋をあさってある物を取り出す、これが俺が選んだ答えだ。

【音々】
「りんご……ですか?」

【一条】
「紅玉だよ、本当はもうシーズンオフなんだけど果物屋になんとか残ってたんだ」

【音々】
「そのりんごで何をなさるおつもりなんですか?」

【一条】
「前に音々が話してくれたよな、りんごは2人の愛を勝ち取る物だって。
アダムとイブがお互いを求めるがために、定めを破って食べてしまった果実」

そう云ってりんごに噛り付く、紅玉特有の強い酸味が舌を刺激する、やっぱり生で食べるには向かないな。

【一条】
「すっぱいな……」

【音々】
「紅玉ですから仕方ありませんよ、だけどどうしてりんごを?」

【一条】
「云っただろ、過去に縛り付けられた臆病な俺はお終いって。
このりんごが、俺の応えであり俺の問いかけだ」

噛ったりんごをスッと音々に差し出す。

【音々】
「え……あの……」

いきなり噛りかけのりんごを差し出されたらそりゃ困るよな。

【一条】
「りんごは愛を勝ち取る物、ずっと俺が先延ばしにしていた音々への返事だ」

【音々】
「っ!」

【一条】
「こんなにも待たせた俺の返事を受けてくれるのなら、りんごを噛じってくれ」

【音々】
「……」

受け取ったりんごを持ってジッ見つめる、音々はこんなに長い間待たせた俺を受け入れてくれるだろうか……

【音々】
「……」

【一条】
「……」

【音々】
「……カプ」

俺が噛じったのとは反対の面に、音々の小さい歯が立てられ、その肌を口にした。

【音々】
「……すっぱいです、だけど、とっても甘い感じがします」

にっこりと微笑んだ音々の体を正面から抱きしめた、今まで決してすることの無かった俺たちの決まりごと。
それも今日でお終いだ……

【音々】
「やっと……やっと私たち結ばれたんですね……」

【一条】
「長い間待たせたな……」

【音々】
「待たせすぎですよ……だけど、それでも嬉しい」

背に回された音々の腕が強く俺を抱き寄せる、それに応えるように俺も強く抱きしめた。
そのままごく自然に、2人の唇が紡がれた。

【音々】
「んん……ぅん……」

今までの悪戯心や遊び心のあるキスではない、愛し合う男と女が交わす互いを求めるキスだ。

【音々】
「ぁぁ……ふぅ……はぁ」

唇を離した後の音々の顔も、ムスッとしていたり慌てていたりするのとは違う。
はんなりと頬を染めた、少々気恥ずかしそうなかわいげのある顔だった。

……

【一条】
「りんごを使って答えを返すなんて、ちょとずるかったかな?」

【音々】
「ずるくはないと思いますけど、ちょっと意外でした」

【一条】
「はは、俺みたいなやつが神話を語るのは気障すぎたな」

終わってから思うとよくこんなこと考えついたもんだ、そのまま告白すれば早いものを……

【一条】
「……今まで待たせてすまない、もっと早く返事が出切れば良かったんだけど」

【音々】
「そんなことは気になさらないでください、こうやって私たちは結ばれたんだから良いじゃないですか、結果オーライです」

【一条】
「そう云ってもらえるとこっちも助かる、だけどよく音々もこんな男を受け入れてくれたね」

【音々】
「私はどんな形であれ、誠人さんと結ばれることを願っていましたから。
誠人さんの心が揺らいでも、私はいつまでも誠人さんのことを思っていよう、そう決めていましたから」

【一条】
「音々……」

【音々】
「そしてそれを一番望む形で、私が一番望む結果を得られた、私は幸せ者です」

【一条】
「幸せ者は俺の方だと思うけどね、残念だけどもう解約は認めないからな」

【音々】
「解約なんかしませんよ、私には誠人さんしかいないんですから」

この子はどこまで俺のことを思ってくれているんだ、そんな純な子を苦しませていたのかと思うと胸が痛い。

【一条】
「音々……もう1度キスしようか」

【音々】
「誠人さんがしたいのであれば、よろしいですよ」

【一条】
「眼……閉じて」

【音々】
「……ん」

再び音々の口を塞ぐ、今度は互いを求めるキスではない、音々に対する俺の謝罪の気持ちを込めてのキス。
キス程度で謝罪になるとは思えないが、今の俺にはこんなことしかできないから。
まだまだ弱々しい夕日が白い部屋を薄っすらと染める、そんな色合いの曖昧な世界の中で、俺たちはやっと結ばれることができた……

……

【一条】
「それじゃ俺はこれで、また明日な」

【音々】
「はい、お休みなさい」

見送ってくれる音々の笑顔を背に受けて病院を後にする。

【美織】
「お、やっと出てきた、どうなったの?」

【一条】
「ああ……なんとか上手くまとま……美織!」

【美織】
「そんなに驚かなくても良いじゃない」

【一条】
「どうして美織がここに?」

【美織】
「もし誠人がふられちゃったらお姉さんが慰めてあげようと思ってさ、だけどそれもいらないみたいだね」

【一条】
「おかげさまで」

【美織】
「良かったじゃない、これでもう人目を気にしないでいちゃいちゃできるじゃん」

【一条】
「あのな……」

【美織】
「冗談よ、さ、帰りましょ……折角だし腕とか組んであげようか?」

【一条】
「浮気したら音々に怒られるだろ」

【美織】
「ちぇっ残念、もしOKしたら音々に教えてあげようと思ったのに」

なんなんだこの女は、くっつける手助けをしてくれたと思ったら今度はこれだよ。

【美織】
「あたしってばそんなに魅力が無い女なのかな……」

【一条】
「……」

【美織】
「……」

【一条】
「俺帰るわ……」

【美織】
「ちょっと、少しぐらいフォローしてよ」

【一条】
「はいはい……とても魅力的ですよ」

【美織】
「うわ、棒読みだぁ……」

泣いてるのか?……違った、嘘泣きだ。

……

【美織】
「そんじゃねー」

【一条】
「また明日」

あの後もしつこく俺に腕を組もうだの手を繋ごうだのと誘ってきたが頑なに拒否してやった。
どうせ少しでも気を許して手を繋ごうものなら明日すぐにでも音々に報告して、俺は音々からお説教……

【一条】
「はぁ……だけどこれで音々の負担も少しは軽くなったかな」

俺の応えに対する負担は無くなったけど、もしかして俺が浮気するんじゃないかと考えないだろうな?

【一条】
「そうだとしたら余計に負担が大きくなったかもしれないな……」

まあそんな心配は皆無、俺が音々以外を好きになるなんてことは無いんだから……





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜