【4月29日(火)】


電車に揺られながら目的地までの景色を眺める。
水鏡が云っていた俺の始まりの場所、当然目的地はそこになるわけだ。
手がかりが何も無ければ最初に戻れば良い、水鏡の言葉を信じて俺は始まりの場所へ向かう。
本当にそこに手がかりがあるのかは分からないけど、何もしないよりは良いに決まっているから。

……

電車を降り立って向かう先は1つ。
新藤先生が桃瀬に来てからはこの街に来ることも無かったから周りの景色が変に懐かしく思える。
以前来た時には咲いていた桜ももう時期を終え、少しずつ夏に向けて新緑が濃くなり始めていた。

【一条】
「もう春も終わりなんだな……」

花を失った桜の木を見ながらそんなことを呟いた、目的地はもうすぐ、この坂の先が俺の目的地だ。

……

扉の横についているチャイムを鳴らす。
ピンポーンと高い音が鳴り、しばらくして扉が開いた。

【男】
「どちらさま……誠人、誠人じゃないか!」

【一条】
「久しぶり、親父」

ここが目的地、俺の始まりの場所、やはりそれは俺の実家だろう。

【男】
「1ヶ月弱しか経っていないというのに、随分懐かしく感じるな。
実家の前で立ち話もなんだ、とりあえず中で話そうか」

……

【男】
「学校の方にはもう慣れたのか?」

【一条】
「まあまあかな、友達もできたしね」

【男】
「そうか、新藤先生から何度か電話を貰ってね、初めのころとはだいぶ変わったと聞いていたんだけど。
本当に変わったようだな、あのころとはもう眼が違う」

【一条】
「はは、新藤先生と同じことを云うんだな、親父は前と変わってないな」

【男】
「この歳になるとそう簡単に変わりはしないさ、色々と変われるのは今のうちだけだ。
今のうちしか自分でやりたいことなんてできないぞ、生活も、趣味も、恋愛もな」

【一条】
「親父は再婚しようとか考えたことは無いの?」

【男】
「無いな、あいつは私が始めて好きになって、最後に好きになった女性だからな。
あいつ以外と一緒になろうと考えることは考えられなくてね」

仏壇には今日も線香が上げられている。
母親が亡くなってから、1日たりとも線香を忘れた日は無いらしい。

【男】
「それでおまえはどうなんだ、もう彼女くらいはできたのか?」

【一条】
「なんでそんなこと親に話さなくちゃいけないんだよ」

【男】
「親が子供の恋路に興味を示すのは当然だろ、いるのかいないのか?」

【一条】
「正確にはまだ付き合ってないけど、ほとんど付き合ってるのと同じくらいかな」

【男】
「確か、姫崎 音々さんだったか?」

【一条】
「ああ……って待て! どうして親父があいつの名前知ってるんだよ!」

【男】
「新藤先生が教えてくれたんだよ、結構上手くいってるそうじゃないか」

新藤先生はまた余計なことを……

【男】
「おまえに良い人ができたんなら私にも嬉しいことだ、しかしこれだけは覚えておけ。
後悔だけはするな、また彼女にも後悔だけはさせるんじゃないぞ……」

【一条】
「親父の口からそんなこと云われるなんてな、てっきり親父は結構泣かせてるのかと思った」

【男】
「おまえは親をどう見てるんだ、私が体を交えたのは後にも先にもあいつだけだ……」

【一条】
「子供の前で体を交えたとか生々しいこと云わないでくれるか……」

【男】
「まだまだ子供だな、それよりも今日突然尋ねてきた理由はなんだ?
まさか世間話をしに来たわけじゃないんだろ?」

【一条】
「相変わらず鋭いね、ちょっと探し物をしに来たんだけど、親父の部屋に何か鍵の付いた箱みたいな物ある?」

【男】
「鍵付きの箱? 私の部屋には仕事の書類用の金庫しかないがそれが?」

書類用の金庫の中に俺の秘密が隠されてるわけもない、親父の部屋には無いだろうな。

【一条】
「俺の部屋ってまだそのままになってるかな?」

【男】
「特に何かを動かしたりはしてないさ、週に1度掃除をしたぐらいか」

【一条】
「掃除なんかしてくれてたんだ……」

【男】
「帰ってきて部屋が埃被ってたら嫌だろ、親としてそれくらいのことはしてやらないとな」

【一条】
「……ありがとう」

【男】
「どういたしまして、あまり面と向かって礼を云われると照れるな」

少しだけ照れている親父が妙におかしかった、今まで親父が照れる姿なんて見たこと無かったもんな……

……

綺麗だった部屋は見るも無残な光景に、押入れにしまってあったダンボールを出したり。
利用者を無くしても物だけは大量に入っている机の中身をひっくり返したりしているうちに。
部屋は地震があった後のようなとんでもない現場に変わり果てた。

【一条】
「はぁ、はぁ、はぁ……これだけ引っ掻き回しても手がかり無しかよ」

これだけやって収穫があれば良いけれど、結局手がかりになるような鍵付きの箱は見つからなかった。

【男】
「やけに騒々しいな、一体何を……これはまた、派手にやったな」

【一条】
「ちょっと探し物に夢中になって……ごめん」

【男】
「おいおいどこに謝る要素があるって云うんだ? そこに人がいればその場が汚れるのは当たり前だろ。
それで、その探し物ってのは見つかったのか?」

【一条】
「いや……残念ながらここには無いみたいなんだ」

俺の部屋に手がかりは無い、親父の部屋にも手がかりは無いとすると後考えられるのは……

【一条】
「親父……お袋の部屋、まだあのころのまんまかな?」

【男】
「……ああ、どうもあの部屋だけは何も動かす気にならなくてな。
だがあいつの部屋におまえの探し物があるかどうか……」

【一条】
「とりあえず考えられることは全てやってみるよ、まずはここの掃除からだな」

【男】
「掃除は私がやっておこう、おまえはあいつの部屋に探しに行っても良いぞ」

【一条】
「さすがにこれを1人でやるのはきついと思うけど……」

【男】
「気にするな気にするな、男手1つでお前を育てた私が大抵のことでは動じんよ、さっさと行った行った」

しっしと手で俺を追い出す、あんなこと云ってたけど本当に大丈夫かな……

……

【一条】
「この部屋は何も変わらないな、あの日からもう何年経ったんだろう……」

あのタンスが、あの本棚が、あのベットが全てがあの日から止まっている。
宿主を失った部屋の中で、時計の針だけがいつもいつも確実に歩みを進めていた。

【一条】
「感傷に浸っている場合じゃないか……とりあえずタンスの中から調べてみるか」

……

ダンボールを1つ開けるごとに、タンスの引き出しを1段開けるごとにお袋の想い出が姿を見せる。
アルバムやその他もろもろの品が俺の神経を刺激する、刺激するだけでその先の感情は何も無い。
過去の全てを失ってしまった俺がアルバムの写真を見ても空しいだけ、写真を見てもそれがどんな状況か何も覚えてないんだから。

【一条】
「まるで他人のアルバムを見ているようだな……」

1ページ1ページめくる度になんだか痛い、体に感じる痛みではない痛みがちくりと刺す。
もう止めよう、過去の無い者にとって写真はナイフで刺すよりも痛みを与えてしまう。
アルバムをダンボールに戻してそのダンボールもまた押入れに片付ける。
この部屋を散らかすことはできない、この部屋だけはいつもと変わらないこのままの光景にしておきたいから……

【一条】
「家に来れば何か手がかりがあるかと思ったけど、ちょっと甘かったかもしれないな……」

もう半ば諦めムードで机の引き出しを引く……中には箱らしきものは入っていない。
これで考えられる場所は全て調べ上げた、どうやらこの家に鍵付きの箱は無いみたいだ。

【一条】
「ふぅ……俺の考えは外れちゃったみたいだな」

俺の始まりの場所と云われたらここだと思ったんだけど、的外れだったか。

【一条】
「また後でゆっくり考えれば良いか……それより親父の方は大丈夫なのか?」

あの天変地異が降りかかった部屋を親父一人で片付けるのはどう考えてもきついだろう、俺も手伝いに行こう
そう思って扉に手をかけた瞬間、俺の後ろでドサリと何かが落ちる音……
振り返るとそこには1冊の本が落下していた、どうやら何かの拍子に本棚から落ちたんだろう。

【一条】
「まさかポルターガイスト現象!……そんなわけないか」

自分の考えを自分で笑って落ちた本を手に取る、何気無く本のタイトルを見ようと裏返してみると……

【一条】
「え……これって!」

その本には勝手に開かないような帯が付けられていた、そしてその帯びには小さく穴が開けられている。
その穴の形、それは紛れもない鍵穴の形をしていた。
ポケットから鍵を取り出しその穴に埋めてみる、後はこの鍵が回れば……

ゆっくりと力を込めて鍵を回すと……カキンと小さな音の後、帯が外れた。

【一条】
「開いた!」

まさかこの鍵が本の鍵だったとは、そういえば本棚は調べてなかった、もっとも箱を探して本棚を探すやつなどいない。

帯の外れたその本をめくってみると、そこに書かれていたのはある女性のでき事。

【一条】
「これはお袋の日記か、だけど日記なら別に鍵なんて無くても……」

書かれている文章に眼でおって見ても特別変わったことが書いてあるわけじゃない。
そう思いながらページをめくっていくと、あるページに1枚の写真が挟まっていた。

【一条】
「写真か……」

その写真にはお袋と親父、それからまだ小さかった俺の姿が映っている。
お袋の着ている物から考えて、場所は病院、まだお袋の腹の中に胎児がいたころの写真だろう。

【一条】
「どうして日記の間にこんな写真挟んだんだろう……あれ? 裏に何か書いてある」

写真の裏には日記と同じ筆跡で小さく何かが書かれていた、それはとても短い文書。

『家族4人で 私と彼方と誠人、それから……』

【一条】
「ちょ、ちょっと、これ……」

写真を手にしたまま親父のところに向かった、ここに書かれていることがどういうことなのか親父ならわかるはずだ。

……

【一条】
「親父!……って何これ」

【男】
「どうかしたのか?」

ここはさっき俺が天変地異だと見間違うほどに散らかしたはずなのに、あの荒れ模様がそこには一切存在せず。

俺が入った時と同じように綺麗に片付けられていた。

【一条】
「あれだけ散らかってたのに、こんな短時間でどうして?」

【男】
「これが私の力だ、どうやったのかは残念ながら企業秘密だがな」

【一条】
「まさか親父にこんな力が……ってそうじゃない!」

【男】
「一体どうしたんださっきから焦ったり消沈したり、感情コントロールが上手くできないわけじゃないだろうに」

【一条】
「今はそんなことどうでも良いんだ、それよりこれ見てくれ」

先ほど見つけた写真を親父に渡す、それを見た親父の表情が瞬時に和らいだ。

【男】
「ほう懐かしいな、この写真は現像した後どこに行ったかわからなくなっていたんだが、どこにあったんだ?」

【一条】
「お袋の日記の間に挟まってた、写真よりも裏を見てくれ」

【男】
「裏だと?……ああ、これがどうかしたのか?」

【一条】
「その最後に書いてあるやつ、それはどういう意味なんだ?」

【男】
「どうって云われても、見たままの意味さ、こいつのな」

写真に映し出されたお袋の腹部を指差す、やっぱりそういうことなのか……?
もしそうだとしたら、あいつは……

……

【男】
「もう遅いんだから泊まっていけば良いのに」

【一条】
「明日は学校もあるから、今から行けば終電に間に合うだろ」

【男】
「十分にな、それじゃ、またいつでも好きな時に帰って来い、こんどは彼女も連れてな」

【一条】
「そうできたら良いんだけどな……お休み」

【男】
「またな」

親父に別れを告げて駅を目指す、その間も頭の中では奇妙なパズルが作られては壊されていく。
今まで組み立てることすら叶わなかったパズルが1枚の写真によって作ることまでは可能になった。
しかしそこまで、組上げられたパズルには大きな問題が生じている、そのせいで瞬く間にパズルは壊れてしまう。

【一条】
「この写真……もしここに書かれていることが本当なら……」

同じ答えと同じ問題がいつまでもいつまでも俺の頭の中をまわっていた……





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