【5月07日(水)】


【美織】
「それでその後羽子に襲われちゃったんだ、かわいそー」

【羽子】
「誰がそんなこと云いましたか!」

【美織】
「あれ、違うの? つまんないの」

【羽子】
「つまるつまらないの問題じゃありません、まったく貴女って人は私をどんなふうに見ているんですか」

【美織】
「欲求不満の非純情乙女」

【羽子】
「もう許しません!」

美織の挑発に簡単にひっかかり、わなわなと拳を震わせて怒りを露にする。

【一条】
「2人ともストップ、どうしていつもいつもこうなるんだよ」

【美織】
「さあどうしてかしらね、羽子見てるとなんか意地悪したくならない?」

【羽子】
「なんですかその賛同を求めるような表現は、それ以前に私に意地悪をする理由が無いじゃないですか」

【美織】
「そりゃそうだよ、だって理由なんてないんだから。
羽子ってばお堅いからすぐにカッカして面白いんだもん」

【羽子】
「ようするに私は貴女の玩具ですか?」

【美織】
「なんかその玩具って表現やらしいよ?」

【羽子】
「人の揚げ足ばかり取らない! 今日という今日は我慢なりません!」

【一条】
「だから止めろってんだよ!」

今日という今日はっていうか毎日我慢してないと思うんだけど……

……

【美織】
「ちょっと引っ付かないでよ、熱いでしょ」

【羽子】
「貴女こそ離れてください」

【一条】
「病院内でまで喧嘩しないでくれ……」

【美織】
「別に喧嘩なんかしてないわよ、ただ引っ付きすぎて変な眼で見られたら嫌じゃない、それもよりによって羽子だよ」

【羽子】
「私だって貴女となんかごめんです」

2人ともツンとそっぽを向いてしまう、勿論これは2人のいつも通り決まったやりとり。
素直じゃない2人の性格だからこんな態度しかとれない、本当は2人とも優しい女の子なのにな。

【一条】
「病室内でも喧嘩したら放り出すからな」

【美織】
「あんたのことよ、わかってる?」

【羽子】
「そっくりそのままお返しします」

【一条】
「はぁ……」

……

【美織】
「じゃっじゃーん、お久ー♪」

【羽子】
「だからどうして貴女はノックをしないんですか!」

【一条】
「こんちはー」

騒々しく入った2人の後に続いて俺も入る、いつもならここで音々が笑顔で迎えてくれるのだが……

【音々】
「すぅ、すぅ……」

【美織】
「ありゃ、お休み中だね」

【羽子】
「タイミング悪かったですね」

【一条】
「みたいだな……」

小さく寝息を立てて眠っている。
寝巻きに包まれた体がゆっくりと上下に動いて穏やかな時間の流れを感じさせる。

【美織】
「どうしよっか、起こしちゃ悪いよね?」

【羽子】
「そうですね、今日のところは帰りましょうか、あ、一条さんは残っていてください」

【一条】
「は? どうして?」

【羽子】
「眼が覚めた時、真っ先に好きな人の顔を見れたら幸せだと思いませんか?」

悪戯っ子のようにふふっと笑って小さくウィンクを見せる。

【羽子】
「私たちはこれで帰りますから、後はよろしくお願いしますね」

【美織】
「がんばんなよ、だけど羽子と一緒に帰るのもなー」

【羽子】
「たまには私が何かおごってあげましょうか?
貴女にはゆっくりとお話があることですし」

【美織】
「そうゆうことクラス委員長が云って良いの?」

【羽子】
「あら、私のことを少しも委員長と思っていない貴女にそんなことを云われるとは思いませんでした」

【美織】
「はいはい悪かったわね、そこまで云うならおごってもらおうじゃないのさ」

珍しく主導権を羽子さんが握ったまま2人は病室から出て行った。

【一条】
「行っちゃった……残されても困るんですけど……」

とりあえず何をしていれば良いのか分からず椅子に腰掛けて音々の寝顔を見ていた。

【音々】
「すぅ、すぅ……うん……」

【一条】
「相変わらずかわいい顔して眠るんだな」

眼の前に眠った女の子がいるとどうしても意地悪したくなる、それが彼女だったらなおさらだ。
前に1回やって怒られたけど、あの時はまだ2人とも付き合ってなかったからな。

【一条】
「……」

【音々】
「うぅ……んん……くぅ……」

こそばゆそうに少しだけ眉を寄せる、しかし起きる気配は一向に無く、気持ちの良さそうな寝息が再び聞こえ始める。

【一条】
「はぁ……ごめんな」

なんだか物凄い罪悪感がふつふつと沸き起こってきたのでこれ以上は止めよう。

【一条】
「冷たいものでも買いに行こう……」

……

ガシャコン

取り出し口からスポーツドリンクを取り出して一気にあおる、程よい甘味と清涼感がさぁと体に染み渡る。

【一条】
「ふぅ……」

ベンチに腰掛けてぼんやりと廊下を眺めていた。
誰も通らない廊下、聞くところによると今この階は音々しか患者がいないらしい。
通る可能性があるのは音々の関係者、後は時たま医者が通るくらいか。

今日もどうせ誰も通らないと思いながらもぼんやりと廊下を眺めていると……

【一条】
「……え?」

真っ黒なコートに身を包んだ長身の男、そんな男が廊下を横切った。

【一条】
「あれは……」

すぐに男が消えた廊下の奥へと歩みを進めた、交差路についたのは僅か数秒……のはずだったのに。

【一条】
「いない?……」

そこに男の姿は無かった、男が消えた交差路の先には数個の扉、どこかに入ったのかもしれないがそのどれもが病室ではない。

【一条】
「見間違えたかな?」

さすがに部外者が病室以外になんか入れるわけもない、見間違いだな。
本当はどこか釈然としなかったけど、俺だって部外者だから病室を無断で開けるわけにはいかないもんな。
手にした飲料水を一気に飲み干し、お姫様の眠る病室へと歩みを向けた。

……

【一条】
「ただいまー」

この挨拶が適切だとは思わないけど、なぜか云ってしまう。

【一条】
「もう起きた……」

【音々】
「くぅ……はぁ……かは……んん」

【一条】
「音々!」

額に汗を浮かべ、苦しげに体をよじり、息遣いも呼吸も安定していない、羽子さんが云っていたのと同じ症状だ。
咄嗟に音々の肩を抱き、耳元で音々の名前を呼びかけた。

【一条】
「音々、大丈夫かしっかりしろ!」

【音々】
「あぁ……ま、誠人さん?」

苦しげな顔のまま俺を見上げる、意識が戻ったことで呼吸も少し安定してきた。

【音々】
「はぁ、はぁ……誠人さんがどうしてここに?」

【一条】
「そんなことはどうでもいい、それよりもどうしたんだ、酷くうなされていたけど嫌な夢でも見たのか?」

【音々】
「夢は特に見ていませんが……やだ、私汗びっちょり……」

肩にあった手を背中に回してみると、じっとりといった表現では無理があるほどに。
いうならばぐっちょりといった方が適切なほど、音々の背中は汗で濡れていた。

【音々】
「あ、あの……お願いがあるんですけど」

【一条】
「なんだ?」

【音々】
「体を拭くの、手伝っていただけませんか……」

【一条】
「……それってつまり、俺が音々の体を拭くってこと?」

それ以外何があるのか、自分で云っておいて間抜けな返しだったと思う。

【音々】
「はい……」

【一条】
「なんだ……って! それってまずくないか?
体を拭く場合服を脱がないといけないし、服を脱いだら音々は裸になるわけで……」

【音々】
「もう昨日見てるじゃないですか」

【一条】
「それはそうだけど……音々はかまわないのか?」

【音々】
「本当は恥ずかしいですけど……誠人さんだったらかまいません」

顔を真っ赤にしながらもなんとか平常心を保とうとしている、そんな音々がむしょうにかわいく見える。

【一条】
「……わかったよ、なるべく見ないようにするけど、たぶん見るだろうな」

【音々】
「……誠人さんのエッチ」

……

【一条】
「それじゃあ脱いでくれるか……」

【音々】
「はい……」

しゅるりと寝巻きが肩から落ち、音々の白い肌があらわになる。
当然俺は音々の後ろに回っているから胸はあまり見えない。

【音々】
「下着もとりますから少し待っていてください」

もそもそと背中のホックを外して下着も取り除く、これで音々の上半身を遮るものは何も無くなった。

【音々】
「あ、あんまりじろじろ見ないでくださいね、やっぱり、その、恥ずかしいですから」

【一条】
「努力します、そんじゃ拭くぞ」

濡らして軽く絞ったタオルを音々の背中につける、タオルの冷たさでピクッと体が反応を見せる。

【一条】
「加減とかよくわからないんだけど……」

【音々】
「そのくらいの強さで大丈夫です」

【一条】
「了解、昨日は羽子さんに手伝ってもらってたよね」

【音々】
「はい……あ、その、昨日ぶつけたところ傷とか残りませんでしたか?」

【一条】
「何とか傷1つ無く終わったよ、だけどまさか気を失うとはね……」

【音々】
「あれは私も驚きました、最初は死んじゃったのかと……」

【一条】
「勝手に殺さないでくれるか……」

【音々】
「す、すいません……だけど良かった、誠人さんが無事で」

肩が少しだけホッと息をつく。

【一条】
「後ろは終わったよ……前はどうする?」

【音々】
「じ、自分でやります……後ろ向いててもらえますか」

【一条】
「はいよ」

さすがに前は自分でやるか、まあやってくれって云われても俺は拒否するだろうな……

【音々】
「もう良いですよ」

【一条】
「それで、どうしてあんなにうなされていたんだ?」

【音々】
「それが……よく分からないんです、誠人さんに呼び起こされて初めて何か変だって気づきましたから」

【一条】
「すると音々にはうなされていた原因がわからない、と?」

【音々】
「はい……」

ますます奇妙な話だ、普通うなされるには何かしら感じる物があって初めてうなされる。
大体は恐ろしい夢だったりするんだけど、それが無かったとなると……

【一条】
「不思議な話だな……」

【音々】
「本当ですね……」

……

夕刻が近づいてきたので音々に別れを告げて家に帰る、しかしこれは嘘。
俺が本当に向かっているのは違う場所。

ある扉の前まで来てノックを2回。

【秋山】
「どうぞ」

【一条】
「失礼します」

【秋山】
「おや、君か、もう体の方は治ったかい?」

【一条】
「あいつのおかげでなんとか……」

【秋山】
「そうか……それで、今日は私に何か用かい?」

【一条】
「先生は音々がうなされて異常な汗をかくことはご存知ですか?」

【秋山】
「……勿論」

【一条】
「単刀直入にお聞きします、そのこととあいつの心臓がもう長くないことは関係しているんですか?」

【秋山】
「……ふぅ、鋭いな」

そう云って秋山先生はブラインドの間から煌々と輝く夕日を眺めた

【秋山】
「君の想像通り、確かなことは云えませんが、たぶん彼女のあの異常な汗の原因は彼女の心臓からの信号。
彼女の心臓のタイムリミットが近づいていることを知らせているのではないかと思います」

【一条】
「やっぱりですか……」

昨日羽子さんにそのことを聞かされた時点で大体分かっていた、しかし改めて聞かされるとまた辛い。

【秋山】
「そろそろこちらも手をうたなければなりません。
今月の最後の週、動くとしたらそこですね」

【一条】
「最後の週に動くって、それって手術ってことですよね?
だけど日本ではドナー登録者も少ないから滅多なことがない限り心臓はみつからないと聞きましたけど」

【秋山】
「だから飛ぶんですよ、日本のようなドナー登録者の少ないところではなく、少しでもドナーと登録者の多い海外へね」

【一条】
「海外……」

【秋山】
「元々彼女の手術は海外で行うつもりでした、日本で心臓がみつかるのを待っていては彼女の心臓が確実にもちませんから。
すでにあちらには手配してありますから、後はあちらで心臓がみつかるのを待つだけです」

【一条】
「でも、海外ってことはやっぱり執刀医はあちらの医者が?」

正直そのことには納得できない、音々の心臓は今まで発見されていない奇病を持った心臓だ。
そんな心臓を、全く情報を持っていない海外の医者に任せてしまって良いのだろうか……?

【秋山】
「心配は無用ですよ、執刀医は彼女の体をよく知る人物に依頼してありますから」

【一条】
「よく知る人物って、先生のことじゃないんですか?」

【秋山】
「残念ながら私の未熟な腕では彼女の手術を成功に導くことはできません。
私なんかよりもずっと優秀で、君もよく知る人物に執刀はお願いしてあるんですよ」

【一条】
「俺もよく知る人物?」

あいにくだけど俺の知っている人物に心臓外科はいない、あえているとすれば秋山先生だけど。
先生は自らの執刀を否定している、だとしたら一体誰が?

【新藤】
「秋山君失礼するよ」

【秋山】
「噂をすればなんとやらですね、私よりもずっと優秀な先生がいらっしゃいましたよ」

【一条】
「もしかしてその執刀医って……」

【秋山】
「勿論、新藤先生のことです」

【一条】
「いや、それはおかしいでしょう、だって新藤先生の専門は脳外科のはずじゃ?」

当たり前だが脳外科と心臓外科は免許が違う。
どちらかを持っているからといってもう片方なんてできるわけもない。

【秋山】
「先生、説明をお願いできますか?」

【新藤】
「やれやれ……」

【一条】
「あ、あの、本当に先生が執刀を?」

【新藤】
「信じられないかい? まあそれも無理ないよね、君の前では私は常に脳外科医として振舞ってきたんだから」

【一条】
「振舞ってきた……?」

【新藤】
「ああ、元々私は脳外科の医師じゃない、医師になったころ、私が担当していたのは心臓外科なんだ。
心臓外科医としてやってきたのは約20年、まだ脳外科医としてのキャリアはずっと浅いんだよ」

【一条】
「どうして脳外科に担当変えを?」

【新藤】
「それは……止めておこう、もう昔のことだ」

無理矢理先生は話を断ち、俺にすっと手を差し出した。

【新藤】
「私のような失格者にどれほどのことができるのはわからないが、全霊をかけて彼女の手術受け持たせてもらうよ」

【一条】
「……お願いします」

差し出された手をぎゅっと握り返す。

【新藤】
「それじゃ私はこれで」

【一条】
「まさか先生が心臓課の免許まで持ってるなんて」

【秋山】
「当時の心臓外科医の中では跳びぬけて優秀な先生だったんですよ。
僅かなブランクがあるとはいえ、彼女の手術を成功に導けるのは私の知る中では新藤先生だけですね」

【一条】
「そんなに優秀だったのに、新藤先生の過去に何かあったんですか……?」

【秋山】
「あんまり当人ではない私が云うのもなんなのですが……
1度だけ、患者を死なせてしまたっと云えばよろしいですかね」

【一条】
「死なせた、新藤先生がですか!?」

【秋山】
「勿論新藤先生のミスではなく医療中の事故、しかしその事故以来先生は心臓外科医の世界からは席を外した。
簡単に話してしまうとこんなところですね……」

……

あの後新藤先生を訊ねたけど留守だった、面会時間も終わりということでそのまま家路についた。





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