【5月09日(金)】
【一条】
「くああぁぁ……」
やかましく鳴り響く目覚ましの音色を止め、ゆっくりベッドから立ち上がる。
【一条】
「ててて……なんか余計酷くなったかな」
昨日の筋肉痛、寝たら痛みもひくかと思ったら余計はっきりと現れてきやがった。
【一条】
「休みたいけど、そうもいかないんだよな……」
痛む体を無理矢理引きずり起こし、学校に行く身支度を済ませた。
……
【某】
「うっす、一条」
【美織】
「おはよ」
【一条】
「はよう……いたたた」
【某】
「なんや一条腰なんか押さえて?」
【一条】
「ちょっとした軽い筋肉痛だ……」
【美織】
「筋肉痛って云ったって学校ではそんなになるようなことしてたかな?」
【某】
「美織はわかってへんな、女と違って男は常に腰に痛みを抱えて生きていかなあかんねや。
それで、やったのか?」
【一条】
「……は?」
【某】
「せやから、昨日やったんか?」
【一条】
「やったってのはつまり……」
【某】
「つまりも何もあるかい、やるってゆうたら男と女の情事しかあれへんやろ」
【美織】
「なっ!」
やっぱりそれか、廓が妙な笑みを見せていた時点でそれらしい感じはしていたけど。
それにしたってやったって少し直球すぎやしませんか……?
【某】
「ええなぁ〜、わいも1度でええから腰がよう動かんくなるくらい激しくやってみたいわ〜」
【美織】
「……」
スパーン!
予想通り美織の平手が廓の後頭部をとらえる、良い音がしたから痛みも結構あるだろうな。
【某】
「あが!」
【美織】
「音々に変なことさせるんじゃない!」
【某】
「わいやなくてするのは一条やろうが、にしたっていきなり平手はないやろ」
【美織】
「問答無用よ、音々に変なことしたらただじゃおかないからね」
【某】
「おお怖い、これやったら一条もおちおち愛し合えへんな」
【美織】
「なーにーがーしー」
平手が今度は拳に握られる、その拳もいつ飛んでもおかしくないようにわなわなと震えていた。
【某】
「体裁悪しか、ほんならいなしてもらうわ」
怒りが溜まった美織から逃げるように廓は教室を出て行く。
溜まった怒りがどこに消えるかというと……
【美織】
「誠人!」
【一条】
「は、はい」
やっぱり俺かよ……
【美織】
「あんたまさか、もう音々に変なことしたんじゃないでしょうね?」
【一条】
「め、滅相も無い……」
【美織】
「本当に、変なことしてないんでしょうね?」
【一条】
「……変なことってどんなことを?」
【美織】
「それはつまり……あ、あれよあれ!」
【一条】
「あれ……?」
【美織】
「だからその……男女の営みというか、夜の秘め事というか……」
【一条】
「……」
【美織】
「なんでそこで黙るかー!!!!!」
【一条】
「だぁー! おちつけ、おちつけー!!!!!」
……
【美織】
「あのさ……大丈夫?」
【一条】
「……」
【美織】
「そんなムスッとしてないでさ、なんか云ってよ」
そりゃムスッとするさ、あの後興奮した美織の拳がもろに頬を直撃した。
あまりに綺麗に入ってしまったため俺は大の字、その拍子に後頭部も打った。
【一条】
「痛い……」
【美織】
「それはもうわかってるって、さっきから何回も謝ってるじゃない」
【一条】
「……世の中謝れば済むようにはできてないんだぞ」
【美織】
「じゃあどうすれば良いのさ?」
【一条】
「昼飯おごれ……」
【美織】
「なんだそんなことなら別に良いよ、だけどもう学食に行っても座れないと思うけど」
【一条】
「購買がある」
【美織】
「この時間だと購買はもっと難しいと思うけど?」
【一条】
「ちゃんと手は打ってあるから大丈夫、美織は行って買ってくれば良いんだ」
【美織】
「何したのかわからないけどまあ良いわ、それでどんなパンが良いの?」
【一条】
「特に指定は無し、何でも良いから買ったら屋上持ってきて」
【美織】
「わかった、大した物変えなくても文句云わないでよ」
てけてけと購買に向かう美織の後姿を見ながら、俺の口元は不自然に釣り上がる。
【一条】
「……ご愁傷様」
……
【美織】
「ま、マコ〜……」
【一条】
「やっと来たか、随分と時間かかったな」
【美織】
「だ、だってしょうがないでしょ……」
美織の手にパンは無い、代わりに大きなビニール袋が持たれていた。
薄っすらと透ける袋の中には大量のパンが映し出されていた。
【美織】
「あぁ……重かった」
【一条】
「それにしても凄い量だこと、美織こんなに食うんだ?」
【美織】
「そんなわけないでしょ、購買に行ったら売り子のお姉さんにパン全部買わされたの。
こんなにたくさん食べられるわけないのに、今日のお客さんあたしだけだったんだって」
【一条】
「そうだろうそうだろう、今日は購買に誰も近寄れなかったからな」
【美織】
「それってどういう意味よ」
【一条】
「聞いたままの意味、ちゃんと手は打ってあるって云ったろ」
初めからこうなることはわかっていた、これは俺が仕組んだちょっとした仕返し。
まあ美織にはちょっとしたどころの騒ぎではなかったようだけど……
【美織】
「あんた初めからこうなることわかっててあたしに買いに行かせたわね?」
【一条】
「さあどうでしょう、もっともこうなった原因を作ったのは誰だっけ?」
【美織】
「くぅ……怒りたくても怒れない」
自分が原因であるとわかっているから握った拳はどこにも怒りをぶつけられずわなわなと震えている。
【一条】
「女の子が握り拳は似合わないぞ」
【美織】
「うぅー……うるさいうるさいうるさいうるさーい!」
……あ、星が見える
……
【一条】
「あいつもう少し大人しくならないのかな……」
反省していたのかと思いきや、結局美織の拳は俺の後頭部に向かって飛んできた。
あいつに対してお仕置はかえって逆効果、溜まった怒りを即発散させるような美織には全く意味が無かった。
【某】
「まあ結果的にまた殴られてもうたけど、わいの仕込みはようできとったやろ?」
【一条】
「良くできてたけど結果が結果だからな……」
購買に誰も来なかったのは全て廓の仕業、俺が廓に頼んでちょっと細工をしてもらった。
【一条】
「そうだ、これ貰ってくれるか、俺1人じゃ確実に腐らせちゃうから」
美織が買ったパンは全て俺の元に来た、買取値がゼロだから損はしてないけど量が異常すぎる。
【某】
「どんくらいくれるん?」
【一条】
「全部やる」
【某】
「マジで! 一条太っ腹、将来は大統領間違いなしや!」
それは俺に日本国籍を捨てろって云ってるのと同じじゃないですか……
【一条】
「あぁちょっと待った、クリームパンだけは俺にもらえるか?」
【某】
「なんや一条、クリームパンなんて好きやったんか?」
【一条】
「いや、俺じゃなくて音々がさ……」
【某】
「なるほどな」
袋の中からクリームパンをひょいひょいと引き上げる、全部で6個も出てきた。
【某】
「それにしても、おまえが音々と一緒になるなんて最初は考えもせんかったわ」
【一条】
「そりゃあ俺だってそうさ、ここに来た時は誰とも交友は持たないって決めてたのにな」
【某】
「ほんまに、おまえは変わったわ、初めのウジウジしてたころとは大違い。
でや、おまえ自身ここに来て良かったと思うか?」
【一条】
「……良かったと思ってるさ、音々やおまえ達と出会えたんだからな」
【某】
「いつもなら茶化すところやけど、今日は何も云う気がせんわ」
【一条】
「普段から茶化さないでくれるとありがたいんだけど」
【某】
「そら無茶やな、わいとおまえの仲や、そんくらい云わずもがなやろ?」
【一条】
「確かにな」
【某】
「……ふふ」
【一条】
「……ははは」
【二人】
「あはははははは」
……
【一条】
「失礼ー」
【音々】
「いらっしゃいませ」
いつもと同じように病室に入るとそこにはすでに先客が。
【羽子】
「お先に失礼しています」
【一条】
「羽子さんも来てたんだ、ちょうど良かったかな」
手土産として持ってきたクリームパン6個、どう考えても多かったからな。
【一条】
「クリームパン持ってきたから皆で食べるか?」
【音々】
「いつもいつも申し訳ありません」
【一条】
「気にしない気にしない、どうせ俺の財布から出た物じゃないから」
【音々】
「そうなんですか?」
【羽子】
「確か、今日の購買はお休みのはずですが?」
【一条】
「それは廓が流したデマ、購買はいつも通り営業してたんだよ。
もっとも購買に訪れた客は美織1人だけだったけど」
【音々】
「美織ちゃんだけ?」
【羽子】
「?」
不思議そうに二人は首を傾げる、話すと長くなる上に原因に少々問題があるので黙っておこう。
【一条】
「まあそのことはおいといて、パン食べるか?止めるか?」
【音々】
「勿論いただきます」
【羽子】
「あの、私もいただいてしまってよろしいんですか?」
【一条】
「当然」
……
女の子2人より若干早く食べ終わった俺が3人分の飲み物を買いに行く。
【一条】
「後3個も残ってるんだよな、全部食べれるのかな……?」
そんなつまらないことを考えながら缶飲料のボタンを押す。
ガシャンと音が鳴り、缶を取り出そうとした時、後ろに人の気配を感じた……
【萬屋】
「……久しぶり」
【一条】
「よ、萬屋さん!」
振り返るとそこにはあのロングコートを羽織った萬屋さんの姿があった。
【萬屋】
「まるで化け物にでも遭遇した眼だな」
【一条】
「い、いやちょっと驚いてしまって」
【萬屋】
「ふふ、あれだけ様々なことを体験してきた君が私の出現程度で驚くとはね」
常に無表情を保っている萬屋さんにしては珍しく、笑みを浮かべているのが見て取れた。
【萬屋】
「色々と私に云いたいこともあるだろうが残念ながらそれほど時間も無いのでね、手短に済まさせてもらうよ」
【一条】
「俺に何か用でも?」
【萬屋】
「良くない知らせだ、君にとっては特にね……」
【一条】
「俺に、ですか……?」
【萬屋】
「もしかすると、私が再び君の敵になるやもしれん」
【一条】
「!」
前にも1度聞いた、萬屋さんが俺の敵になるかもしれない。
結局敵にならずに済んだらしいけど、また俺と敵対する可能性が出てきたというわけか。
しかしこの話俺には全く理解できていない、どうして俺と萬屋さんが敵対する可能性があるんだろう?
【一条】
「それはどういう……」
【萬屋】
「タロットカードは正位置、逆位置で全く異なった力を持っている。
例えてみるならそんな者、とでも云っておこうか」
【一条】
「萬屋さん、貴方は一体……」
【羽子】
「一条さん!」
萬屋さんに問いかけようとしたその時、後ろから聞こえる羽子さんの声。
その声はなんだかあたふたしているような、羽子さんらしくない焦りを感じさせる声だった。
【羽子】
「姫崎さんが、急に苦しみだして!」
【一条】
「なんだって!」
【羽子】
「たぶんまた発作だと思います、姫崎さん苦しそうな声で一条さんの名前を呼んでいました!」
【一条】
「……っく!」
羽子さんの言葉を全て待たずして、俺は駆け出していた。
……
青年の後姿を見ながら男は逆の方へと歩みを進めた。
【萬屋】
「世界に色分けをするとしたら、分けられる色は白と黒の2色だけ。
黒の世界は全てを沈めてしまう終わりの世界、白の世界は全てを無に還す始まりの世界。
全く対極の位置にいながらその2つの世界が迎える結末は一切の差を持っていない」
ポツリと呟いたのは流れる時間軸に対しての彼なりの文句。
【萬屋】
「できることならどちらも選んでほしくないものだ……」
常に無感情だった彼の声に、初めて感情が宿っていた。
それは彼が初めてみせる、悲しみを含んだ声色だった……
……
病室に戻ってみると、すでに何人もの医者と看護婦が音々の体を取り囲んでいた。
俺たちはそんな喧騒においていかれたように、ただその光景を見ているだけしかできなかった。
……
邪魔にならないようにということで2人とも病室の外で待っていた。
【一条】
「……」
【羽子】
「……」
2人の間に言葉はない、喋ることさえも2人とも忘れてしまっていた。
【秋山】
「ふぅ……」
大きく息を吐いた秋山先生の後に続いてぞろぞろと医者と看護婦が出てくる。
【一条】
「先生、音々は……大丈夫なんですか?」
【秋山】
「今回も命に別状はありません、ただ……いや、なんでもありません」
何かを隠すように言葉を切った秋山先生は、扉に面会謝絶の札を下げた。
【一条】
「何を隠しているんですか、教えてください!」
強くなってしまった俺の声を受けても、秋山先生が言葉を続けることはなかった。
【羽子】
「……帰りましょう」
【一条】
「だけど!」
【羽子】
「面会謝絶の札が下げられてしまった以上、私たちにはどうすることもできません……」
【一条】
「……」
……
【羽子】
「それでは、また……」
【一条】
「ああ……」
別れる時以外終始無言で重苦しい空気が流れていた。
【一条】
「音々……」
秋山先生は何も教えてくれなかったけど、あれは確実に何か良くないことを隠していた。
しかし、聞いたところで教えてはくれなかっただろう……
【一条】
「無事でいてくれ……」
それだけが今の俺にできること、今の俺にはただ願うことだけしかできなかった……
〜 N E X T 〜
〜 B A C K 〜
〜 T O P 〜