【5月02日(金)〜5月05日(月)】


ぼんやりと見つめる天井が酷く遠い、手を伸ばしてもそこには何も無い。

【一条】
「……」

時は朝を向かえ、夜になり、また気が付けば朝を迎えている。
時間の感覚などすでに無い、今日が何日なのか、あの日から何日経ったのかさえわからない。
全てにおいて無気力になってしまった抜け殻、そんな表現がピタリとはまる。

……

外は夜、何日目の夜だろう……そんなことはどうでも良いか。
このベッドに身を預けてから何もしていない、最低限生きるために水を飲んだり食物を胃に入れただけ。
あと何日くらいもつんだろう、俺の頭に浮かぶのことはそんなことばかりだった。

……

玄関のチャイムがなんべんもなんべんも喧しく鳴り続ける、玄関まで行くのも面倒なので相手にしない。
用事があるのなら勝手に入ってくれ、どうせ盗られて困るような物など何1つ無いんだから。
扉の開く音が1つ、どうやら本当に入ってきたようだ。

【二階堂】
「……よう」

【一条】
「……」

【二階堂】
「時化た面だな、それに気色が悪い、何か病気にでもなったか?」

【一条】
「……別に」

【二階堂】
「そうか……」

素っ気無い受け答えをする俺に二階堂は顔色1つ変えずに何かを探す。

【二階堂】
「……形跡無しか……一条、台所を借りる」

【一条】
「……」

【二階堂】
「なに、すぐにできる」

何も答えてないのに二階堂は言葉を返す、もう好き勝手に何でもしてくれ。

……

【二階堂】
「それじゃ……俺は帰る」

【一条】
「……」

【二階堂】
「やれやれ……気が向いたら台所に行ってくれ」

来客者が帰った後そのまま俺は眠りについた、台所に行く気などおきもしなかった。

……

時間はまた朝を迎え、眼を刺激するうっとおしいほどの朝日がとても憎々しい。
そんな朝日を避けるように寝返りを打ち、再び眠りにつく。
もうかれこれ何時間寝て過ごしていることだろう?

……

ピンポーン

突然のチャイムに眼が覚める、もう外は真っ暗に表情を変えている。
数回のチャイムの後、昨日と同じように再び扉が開く音。

【二階堂】
「……よう」

【一条】
「……」

【二階堂】
「相変わらずの時化っ面だな」

昨日と同じようなやりとり、二階堂はそのまま台所へ向かう。

【二階堂】
「予想通り……か……」

小さな溜め息とともにそんな言葉が聞こえた、一体何を予想していたっていうんだろう?

……

【二階堂】
「それじゃ……またな」

あの後台所で何かしていたようだけど、何をしていたかまでは興味が無い。
二階堂が帰った後、昨日と同じように再び眠りについた、このまま何もしなければ、後何日で俺は終われるだろうか……

……

再び迎える朝、もう朝と夜のサイクルさえうっとおしくなってくる。
この朝が現実の物なのか俺が作り出した想像の世界なのか俺にはわからない。
もはや現実世界にいるのか想像世界にいるのかさえわからなくなっている。
もう俺の終わりも近いのかもしれない……

……

ピンポーン

今日もチャイムは鳴り響く、前と同じように数回チャイムが鳴った後扉が開けられる。

【二階堂】
「……」

【一条】
「……」

【二階堂】
「予想はしていたが、やはりか……」

台所にちらりと視線を向けた二階堂がそんなことを呟く。

【二階堂】
「一条……おまえに何があったのかは聞かん。
しかしな、もしおまえが死のうとしているのなら、俺は今からおまえを殴るつもりだ……答えろ」

【一条】
「死のうとは思ってないさ……ただ、生きることに意味が見出せないだけだ」

久しぶりに呟いた言葉はそんな言葉だった。

【二階堂】
「どっちつかずの状況か……だがあえて判断を下すとしたら、おまえは生きようとは思っていないな……」

【一条】
「……どうだろうな」

【二階堂】
「食事は人間の三大欲求の中で中点にある欲求だ。
それさえも起きてこないということは、おまえは死に向かっているとしかいえんな」

【一条】
「……」

【二階堂】
「返す言葉も無しか……やれやれ、やはり俺ではおまえを立ち直らせることはできんようだな」

ピンポーン

再びチャイムの鳴る音、チャイムが1回だけ鳴り扉が開く音。

【音々】
「……こんばんは」

【一条】
「……音々?」

【二階堂】
「どうやらおまえに一番相応しい人間が来てくれたようだ」

【音々】
「勇さん……」

【二階堂】
「音々、後は君の仕事だ、やはり男の俺では力になれなかったみたいなんでな」

音々の背中をポンと押して二階堂は部屋から出て行く。

【音々】
「誠人さん……」

【一条】
「……」

音が入るだけでそれ以外意味が無かった耳が彼女の声で再び活動を開始する。

【音々】
「勇さんの云っていたこと、本当だったんですね……」

腰を下ろし、ゆっくりと俺の手を握り締めながらそんなことを呟く。

【音々】
「誠人さんの手、あんなに大きくてしっかりしていた手も、こんなに痩せてしまって……」

【一条】
「……」

【音々】
「これでは体がもちません、少しだけ待っていてくださいね」

手に温もりを残し、音々は台所へと消えた。

【一条】
「……」

今まで動かそうともしなかった体をとりあえず起こす、それだけだというのに酷く体が重い。
ジッと手を見ると……なるほどな、確かに前に比べれば痩せてしまったか……
宙に視線を這わせてみるも安定しない、今まで見ることさえ放棄していたからだろうか……

【音々】
「お待たせしました……」

台所からいそいそと戻ってきた音々の手には茶碗が1つ。

【音々】
「何か食べないとこのままだと確実に倒れてしまいますよ。
勇さんに聞きました、ここ最近一切物を食べた形跡が無いと」

【一条】
「……」

【音々】
「お粥です、消化が良くて食べやすいですから……誠人さん、食べていただけませんか……」

【一条】
「……」

無言で茶碗と箸を受け取り、僅かに色付いたお粥を口に運ぶ。

【一条】
「……」

【音々】
「美味しい……ですか?」

【一条】
「……あぁ」

【音々】
「……良かった」

無言で粥を流し込む俺の姿を、音々はホッとした顔で見つめている。
久しぶりの食事を無言のまま終わらせた、それを待っていたかのように音々が話しかける。

【音々】
「誠人さん……何があったのか、教えていただけますか?」

【一条】
「何も……」

【音々】
「嘘、何も無かったらここまでご自分の体に無関心になるはずがありません」

【一条】
「……」

誰だってこの俺の変わりようを見れば何かあったと疑うのは当然か……

【一条】
「放っておいてくれないか……もう疲れたんだよ、何かを考えることが……」

水でも飲もうかと立ち上がる、が、俺の体は不自然にバランスを崩した。

【一条】
「っく……」

【音々】
「誠人さん!」

【一条】
「なんでもない……なんでもないから……」

フラフラとおぼつかない足取りで再び立ち上がり、1歩を踏み出そうと足を出そうとしたその時。

【音々】
「……!」

【一条】
「!……」

突然腰に音々の腕が巻きつき、俺の体を拘束する。

【音々】
「……もう、止めてください!」

【一条】
「音々……」

【音々】
「いつまでも、1人で悩むのはもう止めてください!」

腰に回された腕にギュッと力が入る。

【音々】
「どうして誠人さんはいつもいつも悩みをお1人で抱え込むんですか。
悩みを1人で抱え込んでしまっては辛さは絶対に晴れないじゃないですか……」

【音々】
「少しでも良いから、悩みを打ち明けるだけで心の辛さは晴れていきますから……
こんな誠人さんを見ているのは辛いです……」

【一条】
「……」

【音々】
「折角恋人同士になれたのに……私では誠人さんのお力になれないんですか……?」

腕から伝わる僅かな振るえ、体だけじゃない、声もまた同じように振るえていた……

【音々】
「お願いします……以前のような明るい誠人さんに戻ってください……」

声は完全に泣き声に変わっていた、俺はいつまでたっても女心がわからないんだな……

【一条】
「……ごめん」

【音々】
「……」

【一条】
「俺1人が背負い込んでしまえば、それで全てが終わると思ったけど……間違いだったな」

巻きついていた音々の腕を解き、今度は俺が音々の体を抱きしめる。

【音々】
「誠人さん……」

【一条】
「音々が悲しんでしまったら、丸く収まるはずなんか無いんだな……」

【音々】
「誠人……さん……」

今以上に音々の体を強く抱きしめた、そんな俺の行為に同調するように音々もまた、俺の体を強く抱きしめた。
どれだけ長い間2人はそうしていたのだろうか?
いつのまにか、2人の間に言葉は無く、ただ涙だけが少女の眼からは流れ続けていた……

そうか、考えることに疲れていたんじゃない、考えることによって現実を知らされるのが怖かったんだ。
だけど、その考えの先に何があるのか、それをみつけることがあいつが最後に残した願いだったんじゃないだろうか……

……

しばらくして落ち着いた後、俺は音々に全てを話した。
水鏡という人物が誰であったのか、水鏡という人物が何者であったのか。
そして、水鏡がどうなってしまったのかを……

【音々】
「水鏡さんが……まさかそんなことが……」

【一条】
「信じられないかもしれないけど、全て本当のことなんだ」

胸ポケットに入れてあった写真をスッと差し出す。

【音々】
「これは……誠人さんとご家族の方ですか?」

【一条】
「ああ、あいつの居場所はここだ……ここにあいつは存在した、この中から出てくることは叶わなかったけどな」

写真の裏を指してその人物の名前を確認させる。

【音々】
「……水鏡さん」

【一条】
「何がどうなってこんなことが起きたのかわからないけど、これを言葉で表すとしたら奇跡だな」

【音々】
「奇跡……」

【一条】
「そう……小さくて悲しい奇跡」

あいつの顔が再びフラッシュバックする、涙を溜めながらも決して微笑を崩すことの無かったあの顔が……
これで忘れられない人との別れが増えちゃったな……

【一条】
「……」

不意に溢れる涙、もう泣くことさえ無いと思っていたのに、涙が枯れることは無い……

【音々】
「……」

そんな俺を見て、音々は頭を抱きしめてくれる、それはまるで母親に抱かれるような優しさに満ちていた。

【音々】
「辛い時は思いっきり泣いても良いんです、涙を流すことで少しでも気持ちを切り替えられるのなら。
思う存分泣いてください、私の胸ならいつでも貸しますから……」

【一条】
「……っく」

音々に抱かれた胸の温もりの中で、俺の涙は溢れ返った。
この涙が最後だといわんばかりに、涙は長い間溢れ続けていた……

……

【一条】
「悪い、迷惑かけたな……」

【音々】
「いえ、私は誠人さんの彼女ですから、好きな人が困っている時に助けてあげるのは当然です」

【一条】
「だけどどうして俺の家に? 確か外出禁止じゃ……」

【音々】
「全部勇さんのおかげなんです」

【一条】
「勇が……?」

【音々】
「私の病室まで来て……」

……

【二階堂】
「頼む、一条を助けてやってくれ……」

【音々】
「誠人さんがどうかなされたんですか?」

【二階堂】
「あいつは今生きる気力を失っている、この3日間食事をした形跡が無い。
このままではあいつの体がもたない、俺ではあいつの助けになれないんだ」

【音々】
「誠人さんが……まさか……」

まさかとは思ったけれど断言できない、ここ最近誠人さんが病室に姿を現さないからだ。

【二階堂】
「この通りだ、あいつの助けになれるのはおまえしかいないんだ」

二階堂さんは床に膝と手を付き、そのまま深々と頭を下げた、いわゆる土下座の恰好だ。

【音々】
「い、勇さん、そんな、頭を上げてください……
そうだったんですか、誠人さんがそんなことに……」

今すぐにでも飛び出して行きたい、しかし私に外出は禁止されている。

【音々】
「誠人さんがそんなことになっているなら、私もすぐにでも行きたいです。
だけど私には外出の許可が……」

【秋山】
「1時間だけ、1時間だけなら外出も許可できますよ」

いつのまにか病室に来ていた秋山先生がそんなことを云った。

【音々】
「先生、本当によろしいんですか……?」

【秋山】
「彼には色々とお世話になりましたから、どうします?
今からすぐに向かいますか?」

【音々】
「はい……」

……

【音々】
「それで秋山先生に送っていただいて、今も先生には外で待ってもらっているんです」

【一条】
「勇の奴……」

【音々】
「誠人さんのことを本当に心配していらっしゃいました。
今までも誠人さんに食事を作っていたのはご存知でしたか?」

【一条】
「いや、全く知らなかった……」

そういえば台所を覗いてみろとか云っていたな、あいつ飯なんか作ってくれていたんだ。

【一条】
「今度あいつに何か礼でもしないといけないな、勿論おまえにもな」

【音々】
「私は結構ですよ、私は誠人さんがいていただけるのならそれだけで満足ですから」

【一条】
「……なあ、1つ教えてもらえるか?」

【音々】
「なんですか?」

【一条】
「俺は……俺は少しでも音々の支えになれているのか……?」

【音々】
「……」

質問に答えることなく、音々は俺の胸に体を預けた。

【音々】
「なっているに決まっているじゃありませんか、私には誠人さんしか見えていないんですから」

【一条】
「音々……」

胸に体を預ける音々の体を優しく抱きしめる。
さっき音々がしてくれたように俺も音々に優しさを込めて抱きしめた。

【音々】
「誠人さんの心臓の音が聞こえます、トクントクンって……
私もこんなふうになりたい、皆と同じような普通の女の子になりたい……」

【一条】
「なれると信じていればきっとなれるさ、大丈夫、俺もついているから」

【音々】
「はい……」

音々に許可された時間の限り、俺たちは抱き合ったまま体を離すことはなかった……

……

【一条】
「今日は色々と迷惑かけたな」

【音々】
「気になさらないでください、だけど今度からは何か辛いことがあったら私に相談してくださいね」

【一条】
「わかってるよ、そういえばさ……どうして制服なんか着てるの?」

【音々】
「急な話だったんであいにく制服しか無かったんです、どこか変でしょうか?」

【一条】
「いや、似合ってるよ、もう2度と見れないと思っていたから新鮮かな」

【音々】
「誠人さんが見たいとおっしゃるなら病院で着ても良いですけど?」

【一条】
「あのな、俺は制服マニアじゃないんだから……」

【音々】
「ふふ、それもそうですね、それじゃお休みなさい」

【一条】
「お休み」

帰り際に見せた音々の笑顔が俺をホッとさせる、そうだよな、俺が見ていかなくちゃいけないのはこれからなんだ。

【一条】
「今までゴメンな、それから……ありがとう」

それはもう消えてしまった少女に向けての言葉、あいつのおかげで俺は1回り強くなれそうなそんな気がした。





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