【4月09日(水)】


ジリリリリ

目覚ましのけたたましい音と共にまた1日が始まる。
顔を洗い、歯を磨き、支度をしてパンをかじり出かける。
もちろんオカリナをポケットに忍ばせるのも忘れちゃいない。

【一条】
「行ってきます」

誰かに向かって投げた言葉ではない、1日の始まりの挨拶みたいなものだ。
学校までの通学路を歩いていると桜の木が見える、昨日は道を覚えるので精一杯で桜なんか気が付かなかった。
この桜はなんだろうな、俺の新しい門出でも祝った祝い桜なのか、俺を迎えに来た黄泉桜なのか?

……なんてな……桜は桜だよな、普通のソメイヨシノだ。

【美織】
「おっはよー!」

考え事をしてた俺に突然の大声と共に背中を叩かれる感触が伝わる。

【一条】
「ビックリした……いきなり大声と紅葉をお見舞いするんじゃない!」

【美織】
「なーによ、朝一からそんな元気ないと1日もたないわよ?」

【一条】
「美織は朝っぱらから元気だね……」

【美織】
「当然、云ったでしょ元気は私の取柄だって」

また美織は胸をそり上げる、確かに昨日そんな科白を聞いた気がするが……
朝っぱらから元気だとは……低血圧とは無縁なんだろうな。

【一条】
「俺は低血圧だから朝は元気ないの」

【美織】
「マコは何時だって元気そうな顔してないじゃない?」

それはいくらなんでも酷くないか……いや、どうなんだろうな?

……

ガラガラガラ

【某】
「おっ、一条やんか、おはようさん」

【二階堂】
「……」

二階堂は声には出さず手で挨拶をする、何か様になってるな、これが二階堂流なんだろう。

【美織】
「2人ともお早う」

【某】
「んん……美織も一緒かい、なんや美織は一条とつれになったんか?」

【一条】
「実は昨日こいつに廊下でからまれて殴られそうになった」

【某】
「おいおい、美織、お前は初対面のあいてになにからんどんねん」

いやいや、そういうお前も初対面で絡んだじゃないか、忘れるなよ。

【美織】
「あ、あれはちょっと私の勘違いというか……ちょっとした手違いよ」

【某】
「まったく、美織はがさつやのー」

【美織】
「誰ががさつよ誰が!!」

美織が廓に掴み掛かると廓はひらりと体を避ける。

【某】
「おっと、そういうところががさつってゆうんやでー」

【美織】
「なーにーがーしー 待ちなさーい!!」

廓と美織が教室を駆け回る、人が少ないからって教室で走り回ったら危ないだろうに。

【一条】
「仕方ない奴らだな……」

二階堂と眼で合図をする、二階堂が廓に、俺が美織の方を止めに入る。
美織の前に回りこみ美織を止めようとする、幾ら美織が元気娘だとしても俺も男だ。
女の子ひとり止められないんじゃ男失格だよな。
美織には結構スピードがついていたが俺は腰を落とし美織の衝突に備える。
美織の体が間近に迫った時、さらに腰を低くして美織の腰に手を回す。
想像以上に強い衝撃が体を駆けるが立っていられないほどじゃない。

【美織】
「ちょっとマコ、放しなさいよ!」

【一条】
「教室内で走り回ったら危ないだろ」

何とか美織を食い止めた俺は廓の姿を探す、あいつはどうなっただろうか?

……あーあ……

廓は、二階堂に襟首を持たれて宙ぶらりんの状態になっている。
ぐったりした様子から見て多分二階堂に殴られたんだろうな、ご愁傷様。

【美織】
「もーう、放しなさーい!」

【一条】
「暴れるなって、危ない、危ないから」

ブンブンと腕を振って俺の呪縛を逃れようとする。
その時、教室のドアがガラガラと開いた。

【?】
「きゃ!」

小さな叫び声で気付いた、美織を受け止めたまでは良かったけど受け止める場所がまずかった。
出入り口の前で俺は美織を受け止めていた、そこはもちろん人の通りが多い場所だ。
そんなところで美織がぎゃんぎゃん騒いでいたら誰でも驚くよな。

【一条】
「あぁすいません、すぐこいつ大人しくさせますから」

美織の腰にしがみついたまま、美織を連れ戻そうとする。

【美織】
「あら、羽子じゃないの」

暴れていた美織の体がふっと動かなくなる、突然のことに俺はその場に尻餅をついてしまう。

【一条】
「いたたたた」

視線を美織に向けると、美織の顔はなんだか怒っているようだった。

【羽子】
「またあなたですか宮間さん」

【美織】
「そっちこそ、それで私に何か?」

【羽子】
「何か? ではありません、教室の出入り口でそんな暴れていては他の人の迷惑になるでしょう」

【美織】
「はいはい私が悪かったです、話はそれだけね、じゃ」

美織は云いたいことを云うと、ぷんぷんしたまま教室を出て行ってしまう。
俺はそんな美織の姿を尻餅をついたまま見ていた。

【羽子】
「一条さん、お怪我はありませんか?」

女の子は俺に微笑みかけると、尻餅をついたままの俺に手を差し伸べてくれる。
その手を借りて俺は立ち上がった。

【一条】
「すいません、ありがとうございます、えぇと……」

【羽子】
「枯志野 羽子と申します、一条誠人さん」

藍いショートヘアーの女の子が名前を名乗る。
それはとてもきちんとした優雅なもので、美織の時の自己紹介とは全然違うものだった。

【一条】
「羽子さんには朝からご迷惑をかけてしまいましたね」

【羽子】
「いいえ……悪いのはあの人、宮間さんなんですから。
そんなに気になさらないでください」

羽子さんは優しく微笑むと、自分の席に鞄を置いてホームルームまでの時間を待っている。
美織とは基本からできが違うんだろうな。

【某】
「一条、お前よく羽子と会話できたのう」

【一条】
「は……?」

席に戻った俺に廓はそんなことを云ってくる、俺にはそれに対する意味がわからなかった。

【一条】
「それはどういう意味?」

【某】
「口で説明するのは簡単やけど、その内なんかしらあるとおもうから楽しみに取っておき」

廓がうししと笑う、こういう時は決まって良いことが無いんだよな。
ホームルームの鐘と共に美織が戻ってきた、席に着いた美織にちらりと眼を向ける。

……だめだ、何かまだ怒ってる……顔は何事も無かった顔をしても目が引きつったままだった。

……

廓の科白にはどんな意味があったのだろう?

キーンコーン

4時限目終了の鐘が鳴り、昼休みの時間が訪れる。
廓の科白のせいで授業が全く耳に入らなく、羽子さんのことばかり考えていた。
今はちょうど昼休み、この時間はチャンスだ、朝のお詫びもかねて昼食にでも誘ってみるか。

【一条】
「羽子さん、昼ご飯は何か予定ありますか?」

【羽子】
「これといって何も、食堂で何か食べようと思っていましたけど?」

【一条】
「朝のお詫びもかねて、昼ご飯食べに行きませんか?」

【羽子】
「あら、ご一緒して宜しいのですか?」

【一条】
「もちろん、じゃあ食堂に行きましょうか」

……

食堂は意外と広く、学校の生徒半分以上は楽に入るだろう。

【一条】
「羽子さんは何食べますか?」

【羽子】
「そうですね、今日は和食を、お魚でも食べようと思っていますが」

【一条】
「わかりました、じゃあ俺が買ってきますね」

【羽子】
「ありがとうございます、ではこれお金です」

羽子さんが財布から千円札を一枚取り出し、俺に差し出す。

【一条】
「お金なんて要りませんよ、俺が奢りますから」

【羽子】
「そんな、それでは申し訳ありませんよ」

羽子さんは千円札を俺に渡そうとするが、俺は千円札を押し戻す。

【一条】
「今日は奢らせてくださいよ、云ったでしょ朝のお詫びですよ」

らちがあかなそうなので、勝手にカウンターに行き昼食を注文する。
しばらくすると、良い匂いをさせて二種類の食事がカウンターの奥から出てくる。
2人前で値段は千円掛からなかった、学生にありがたい良心的な値段だな。

両手に料理を持って羽子さんを探す。

【羽子】
「一条さん、ここですよ」

前方で羽子さんが手招きをしてくれる。

【一条】
「はい、羽子さん、ご注文の魚です」

右手に持った焼き魚定食を羽子さんに渡す、焼き魚に野菜炒め、味噌汁、ご飯が付いて400円。
かなり安い、少々安すぎやしないかい?

【羽子】
「ありがとうございます、でも本当に宜しいんですか?」

【一条】
「もちろんどうぞ、知り合った印とでも思って頂いて下さい」

【羽子】
「では、お言葉に甘えて頂きますね」

羽子さんは手を合わせ、いただきますをしてから食事に手をつける。
俺も席について買ってきたキツネうどんに箸を伸ばす、ちなみにこのうどんは200円、相変わらず安い。

……

【一条】
「……」

声を無くしてしまう、羽子さんが食事をしているだけなのに声を立てることができない。

食事は何かお喋りが混じるのが普通だが、羽子さんの前ではお喋りをする雰囲気ではない。
何故か詳しくは解らないが多分、羽子さんの仕草1つ1つが絶対の空間を作り出しているんじゃなかろうか?

羽子さんが焼き魚に箸を伸ばし、それを口に運ぶまでが優雅で気品の高い仕草に思えてくる。
俺が雑然とうどんをすすり、汁を音をたてて吸い込む仕草とは訳が違う。
羽子さんのそんな仕草を見ていると俺は食べているうどんの味さえも分からなくなってくる。

【羽子】
「……どうかなされました?」

食の進んでいない俺を不思議に思ったのか首をかしげている。

【一条】
「あ……いや……羽子さん随分上品に食べてるもんですから、見惚れちゃって」

【羽子】
「見惚れちゃったって……嫌ですわ恥ずかしい、そんなこと云ってないで、早くご飯食べちゃいましょうよ」

羽子さんは顔を赤くしながらもくもくと食事を続ける、やっぱり恥ずかしいよな。
俺も自分の食事に集中する、ぬるくなり味の濃くなったうどんとツユを胃に流し込む。

……

【羽子】
「ふぅー、ごちそうさまでした、今日はありがとうございました」

食事を終えた羽子さんが笑顔でお礼を云ってくれる。
俺の方は羽子さんの空間に存在してしまい、うどんの味さえ覚えていない。

【一条】
「いえいえ、云ったでしょ、知り合った印って」

頭を下げられる程の行為ではないので、羽子さんに頭を上げてもらう。
その後2人そろって食堂を後にする、羽子さんは途中で寄らなくちゃいけないところがあると云って。
途中で別れたため教室には1人で入った。

【某】
「おーう、一条、今日はどこにいっとったんや?」

俺に気付いた廓がコッペパンに噛り付きながら尋ねてくる。

【一条】
「羽子さんと昼飯食ってた」

【某】
「なんやとー! お前それまじかいや!」

口にパンを詰まらせたまま大声を発っしたせいで正確には聞き取れなかった。

【一条】
「まじ……だけど?」

【某】
「おふぁへあぬぉひゃことめひくうとっちゃひゃんてきぇっこうひんくぇいひゅといんやにゃ」

何て?
口いっぱいにパンを詰まらせて喋ったせいかまったく言葉になっていない、まるで新種の動物だ。
それ以前に口に物を詰めたまま喋らないでくれ、汚いぞ廓。

【一条】
「何云ってるかさっぱりだ、口の中空にしてから喋れ」

【某】
「んぐ……ん……ん……ぶはぁー、お前あの羽子と飯食うとったなんて結構神経太いんやな」

なるほどそう云ってたのか、俺が言葉を理解するとまた廓はパンを頬張った。

【一条】
「でもどうしてそれで神経太いってなるんだ?」

【某】
「しょれはやにゃ、あいちゅちょめひぃくうちょると……」

また奇怪な言葉を喋り始めた、食うか喋るかどっちかにしてくれ。

【一条】
「飯食い終わってからでいいから、食いながら喋るな」

廓は手で詫びてから急いでパンを完喰する。

【某】
「ふぅー、腹いっぱいや……」

【一条】
「それで、どうして神経が太いって」

【某】
「それはな、あいつと飯食うとると不味く感じなかったか?」

どういうことだ? 羽子さんと食事をすると不味く感じる? 意味がわからない、そんなことがあるのか?

【一条】
「不味かったのかはわからないな、あんまり飯の味は覚えてないんだ」

【某】
「味がわからんかったちゅうことは、飯は美味ないいうことや」

【一条】
「なんか極論だな……」

【某】
「あいつの食い方えろぅ上品やなかったか?」

【一条】
「ああ確かに……そのせいで味を覚えてないんだと思う」

【某】
「それや、そこにお前の神経が太いってことに繋がるんや」

訳がわからない、ジグソーパズルの離れた所のピースを出されても繋げることは不可能だ。
上品を不味いに繋げて神経が太いに繋がることが俺にはできなかった。

【一条】
「結論を云ってくれ、頭がこんがらがる」

【某】
「つまりやな、あいつの食い方が上品でそれが気になりお前は飯の味を覚えていない。
ということはや、こっちはあいつの食い方に飲み込まれてしまっている訳や。
相手と同じ様に食わんと何か申し訳ない気がしてくる、それで相手と同じ様に食おうとする。
すると、相手のことばっかり気になって飯の味にまで神経が回らなくなる。
そのせいで美味いはずの飯の味が不味く感じたり、味を感じられなくなってしまうと云うことや」

はっと俺は気が付く、確かに羽子さんの周りはいつもと違う空間ができていた。

【某】
「わいやったらそんな状況はすぐにおさらばしたいもんや、せやけど一条はそれをせえへんかった。
てーことは神経が太い、又は鈍いっちゅーことになるわな。
まっ、よーするにあいつは堅過ぎんねん、自分にも他人にも常に規律を強く求める、融通もきかへん。
そのせいで自分の周りに違う空間が生まれる、規律で固められた主張の壁がな」

なるほど、廓の話を最後まで聞いて納得することができた。
羽子さんの周りに現れた空間は規律を守る羽子さんの性格が出たものだったんだ。
それにしても廓は詩人だ、主張の壁とか普通は云えないぞ。

【一条】
「廓、作詞家になってみないか?」

【某】
「ガクッ、なんやねんそれー」

お互い愉快に笑う、朝の科白の意味をやっと理解できた。
確かに羽子さんは少し上品過ぎるのかもな……

……

6時限目と1日の終了を伝える鐘が鳴り響く。
することもなくしばらく窓の外を眺めていた、今日も空は白と蒼の混ざった美しい色をしている。
何故か空を見ているとオカリナを吹きたくなる、不思議なもんだ。

ポケットからオカリナを取り出して口に当てる。
誰も居なくなった教室にオカリナの音色が響き渡る、教室だと音もけっこう違う。

【一条】
「……ん?」

オカリナを吹いていた手と口が不意に止まる、止める理由は見当たらない。
人が来たわけでも音を忘れたわけでもない、ただ突然無意識のうちに俺は演奏を止めていた。

【一条】
「……帰ろうか……」

鞄を持ち教室を後にする、しかしなぜ急に止めてしまったんだろうか?
階段を下りる途中外の景色が眼に入った、なんてことはない放課後の風景が映る。
グラウンドで部活をする生徒、家に帰る生徒、予定の決まっていない生徒、そんなものしか見えない。
しかし、俺はその風景に釘付けになっていた。
彼らと俺の違い、それは目的が有るか無いかになる……

部活にしても帰るにしてもその後の目的が彼らには存在している、それが俺には存在しない。
俺には何をするにしても無意味なのだ、何かをしたら何かをしただけ記憶が溜まっていく。
それが俺には酷なことになっている、記憶を創らないにはどうするか?

答えは簡単、何もしないか又は……死ぬだけだ。
死ぬのは簡単だ、でもそれが許されることだとは思えない、だったら何もしない方が良い。
俺の眼から水が流れ落ちる、これも無意識のうちだ。

【一条】
「莫迦か、何泣いてるんだ……」

俺は眼を袖で擦り水分を飛ばす、こんな所誰かに見られたら変態に間違えられそうだな。
踵を返し階段を下りようとする。
すると、目の前に紺の長い髪をした少女が1人立っていた。

【少女】
「……」

少女が不思議そうな眼で俺を見ている、しまった……見られたか?

【一条】
「あっ……こっこれは……その……見た……?」

【少女】
「……」

少女は何も語らない、場面が場面なだけにかなり気まずい雰囲気が漂う。

【一条】
「……」

【少女】
「……」

俺と少女の間に沈黙が流れる、ますます気まずくなっていく。

【一条】
「えっと……君は……?」

俺がそんなことを云うと少女が駆け出していってしまう、まずい完璧に変態扱いだな。
少女が消えた廊下を背にしながら階段を下りる、だいぶ気分が落ちてしまった。
そりゃあ驚くさ、いきなり男が泣いてたら誰だった驚いて逃げ出すさ。
こんな日はさっさと家に帰って寝てしまうに限る、そうだな帰って寝よう。

家までの帰路につく、気分はまだ落ちたままだ。
しかしまあ、見ず知らずの少女にまさか泣いてる所を見られるなんて初めての経験だ。
これも人生勉強なんだろうか……

【美織】
「やっほー!」

聞いたことのある声が後方から聞こえてくる。
これはまさか朝の再現か?どうする、朝と同じだと紅葉を食らうぞ……
そう思い、振り返って対策をこうじようとする、が、振り返ったとたん顔に何かが衝突する。

【一条】
「ふが!」

顔に命中した何かが地面に落ちる、拾い上げて何か確認する。
……キャラメルだ……。

【美織】
「やったー命っ中ー!」

後方で美織が笑顔でピョンピョン跳ねているのが見える。

【一条】
「お前、何するんだよ」

【美織】
「あはははは、ごめんごめーん」

笑顔のまま美織が俺の元へとやってくる。
その間に命中した鼻の頭を気にする……折れてないな。

【一条】
「何でいきなりこんな物投げるんだよ」

【美織】
「だってー、何かマコ落ち込んでるみたいだったから元気つけたげようと思ってさ。
でも投げる物がそれしかなかったのよー」

何故元気づけに物を投げるんだ、この街の風習か?

【一条】
「食い物で遊ぶんじゃない、食えなくなるだろ」

【美織】
「あら、大丈夫よ包装してあるんだから、それ食べて元気出しなさい」

人にぶつけて、それも地べたに落ちたものを食わせようってか?
世間一般の厳しさってものを知っておいた方が良いだろうしな、ここはガツンと云ってやろう。

【一条】
「ありがたく頂きます」

包装を解いて口に放り込むと甘い味と香りが鼻に抜ける、美味いもんだ。
……俺は何か間違っているか……?

【美織】
「それで、何でそんなに元気ないのよ?」

【一条】
「別に何も変わらないだろう?」

【美織】
「何云っちゃってるの?嘘つくの下手ね、隠しても無駄よ」

美織がツツツと舌を鳴らす、何故ばれてるんだ?

【一条】
「放課後……校内で知らない女の子に遭ったんだ」

【美織】
「ふんふん……それで?」

【一条】
「俺を見て逃げ出した……」

大方の部分は合っている、泣いていた所はさすがに話せないな。

【美織】
「……はっ……?」

ポカンとしたまま美織の動きが止まる、何か考えているのだろうか?

【美織】
「……ふふ……あははははははは」

いきなり腹を抱えて笑い出しやがった、どうした発狂か!!!

【一条】
「ど……どうした……?」

【美織】
「だって、逃げ出したって、あははははは」

【一条】
「そこまで笑うことかよ……」

【美織】
「あはははは、ごっめんごめーん、どうせあんたのことだから女の子をいやらしい眼で見てたんでしょ?」

【一条】
「何云ってるんだか?」

美織の言葉に元気づけられるどころか余計に気分が落ち込んでしまう。

【美織】
「で、どんな子にいやらしい視線向けてたのよ?」

【一条】
「地面につくくらい長い紺色の髪の女の子にいやらしい視線向けてましたよ」

【美織】
「あーあ、へっけちゃった、もーう男の子がそういう視線向けるのは正常なことだって。
気にしない気にしない、でも誰だろう、新入生の子かな?」

【一条】
「俺に云われたって判らないって、俺だって来て2日目なんだから」

【美織】
「それはそうよね、新入生だったらマコロリコーン」

【一条】
「てっ……てめー!」

きゃははと笑う美織を追い掛け回す、無駄な体力を使わせないでくれ。
俺は帰って飯食って寝るんだ。

【美織】
「あはははは、そうそうまだ若いんだからそのくらい元気な方がいいわよ。
明日もその元気持続させなさいよ、んじゃねー」

ぶんぶんと手を振りながら別れ道を駆けて行く、まったく、人をロリコン扱いしやがって。
俺には断じてそんな気は無い……無いといいな。
美織のせいで腹を立てたまま家に帰る、腹が減ってしまったじゃないか。

……

家に着くと冷蔵庫を物色する……めぼしい物が見付からない、冷凍庫も開けてみる……空だ……。
まずいぞ、食料が無い……=餓死!!
頭をぶるぶる振るって考えを散らす、今この日本の中で餓死なんかしてられない。
朝テーブルの上に投げ出しておいた新聞の間からチラシを抜く、何か近くのスーパーで安いものは無いかな?

……駄目だ、こんな時に限ってあるのは服屋とか電気屋のチラシばっかりだ。
これは2、3日夕飯なしになるかもしれない……無理なダイエットは体を壊すんだよな……

諦めかけて最後のチラシをめくるとそこに写っていたのは野菜や肉の写真だった。
そのチラシを食い入るように隅から隅までくまなく調べるとこんな文句が載っていた。

「冷凍食品……レトルト食品在庫一掃100円均一セール」

その1行を見終わった瞬間に俺は外に飛び出していた、俺の生命線はこれだ!

……

住宅地を抜けて商店街まで俺の中では世界新のスピードで駆け抜けてきた。
安売りセールは戦場と同じだ、そのなかでも俺みたいな若造は二等兵だ。
難所である主婦の一等兵を蹴散らして何としてでも物資を手に入れなくてはならない。
そのためにはまず早めにスーパーに着いていること、主婦の圧力は俺には耐え切れない。
1分1秒でも早く先に着いていなくては俺はこれからの日々を戦い抜くことは不可能だ。
早く、冷凍食品コーナーへ、いざ!!

【一条】
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

壮絶な戦いだった、主婦の圧力に耐えながら物資を確保していく俺は正に勇者だった。
あの戦いを映像に残せなかったのは残念だが、俺のカゴの中には大量の物資が詰められている。
勝った、二等兵でも一等兵に勝てた、ほくほく顔でレジへ急ぐ。これで当分食料は安心できそうだ。

【一条】
「ふおーっ!!」

いくら生命線とはいえ買い過ぎたかもしれない、大きなビニール三袋分にもなってしまった。
下手したら腐らせる可能性すら出てきたぞ。
まぁ、買ってしまった物はしょうがない、今日は豪勢に冷凍食品を食すことにしよう。

スーパーからの帰り道、一軒の店が目に留まった。
そこはお菓子屋だった、店の付近では何か甘い匂いが漂っている。

出入り口に「アルバイト募集」の張り紙がしてあった、アルバイトか……したことあったのかな?
掴めぬ過去に想いをはせているとドアが開き女の子が1人店から出てきた。

水色のカールのかかった髪の女の子、俺と同じ学校の制服を着ていた。
女の子は何か大きな紙袋を満面の笑みで抱きかかえていた、好きなお菓子でも買ったんだろう
そのまま女の子は歩き去ってしまう、少々女の子には大きすぎるんじゃないか?
持って上げようとか思う訳は無い、今の俺はもっと大変だ。
ビニール袋をしっかりと持ち足早に家を目指した。

……

【一条】
「お、重かったー」

パンパンになった腕を擦りながら冷蔵庫と冷凍庫、今日の夜に食べるものに分けていく。
今日は豪勢にトリのグリルと春巻き、後は残っていた野菜でも食べれば十分だろう。
思っていたよりもだいぶまともな飯にありつけそうだ。
もう7時半、風呂にでも先に入るか……

熱めのお湯に体を慣れさせてから湯船につかる。
最初に頭から掛け湯をしたりいきなり熱いお湯に入ると、頭の血管を縮めて脳梗塞になる可能性があるから止めるようにと新藤先生に云われていたっけ。
熱いサウナの後の水風呂は最悪の組み合わせとかも云っていたな。

お湯に浸かりながら今日遭った少女のことについて考えてみる、理由も話さないうちに逃げられてしまったからな。
明日もし遭うことができれば訳を説明しよう……無理だな、無意識で流れたんだから。
俺は涙もろかったのか?今となっては知ることもできない過去の1つである。

グウウウゥゥゥゥ

腹が食事を要求しているようだ、難しいことを考えるのは止めて食事にしよう。
風呂を切り上げて飯の支度をするか。

【一条】
「けふ……満足満足……レトルトも今は立派な料理だな……」

腹の欲求を満たした俺に次は体が睡眠を要求する。
寝てしまってもいいのだが、なんだか寝るにはもったいない気がする。
どうしようか……散歩でもしようか
こんな日は散歩でもするのも良いんじゃないだろうか、よし夜の街でも散歩しよう。

さすがに4月といえど夜は少し冷える時がある、上着を羽織って街へとくりだして行く。
朝や夕方と違い空の印象がだいぶ違う、晴れやかな朝の空、哀愁漂う夕方の空などにはない。
冷めた湖の中にいるような冷たい印象を受けるがそんな空も嫌いじゃない。
空に瞬く星が湖に集まる蛍のように幻想的な世界を造り出しているような感じだ。

【一条】
「さしずめ俺は湖を泳ぎ回る魚か何かだな……」

口にした瞬間恥ずかしい気分になる、今日廓を詩人扱いしたが……これじゃ俺も詩人だな。

……

住宅街を抜け、商店街に入る道の前に立つ、商店街を散歩してもつまらないよな。
踵を返して商店街とは逆方向に進んでみる、どんどんと街から離れていくな。

【一条】
「……迷った……」

迷ってしまった。
今まで見たことも無い景色が目の前に広がる。
眼に映るのは橋と傾斜のある土手と大きな川、街という概念を消し去るような田舎風景だ。
この街にこんな所があったのか、風景としては最高の場所だな。

【一条】
「今はそんなこと考えてる場合じゃないよな」

確かにそうだ、今はどうやってここから見覚えある道に出るかを考える方が先だよな。
しかし、俺の思考はそんなことは考えず、その場面を舞台にして己の欲求を満たすことしか考えれなかった。
ポケットから取り出したオカリナを口に当てて旋律を奏で始める。
いつもの曲を吹いているはずなのに何かが違う、いつものようなその場の孤立感がない。
この場面この舞台のせいだろうか、旋律がまるでその場所自らが奏でているような気分だ。
不思議な感じだ、水の流れる音、土手を駆ける風の音、そしてオカリナの音。
全てが互いを引き立てあってお互いを壊すことがない、ここは本当に現実世界なのだろうか?

曲を終えると水の音と風の音が新しい音楽を奏でる。
いつまでもここでオカリナを吹いていたいがさすがにそうもいかない。
後ろ髪を引かれる思いで来たであろう道を引き返す、また来れるよな。

【一条】
「ここはどこだ?」

見たことが有るのか無いのかもわからない、住宅街の街灯だけが俺の道標になっている。
時計を見ると時間はもう11時、さすがに眠気が俺を襲い始める、が、家がどこかわからない。

【一条】
「いざとなったら警察を呼ぶしかないだろうな」

絶対に避けたい状況である、この歳で迷子で家がわからなくなったなんて
俺が新聞記者なら一面飾っても良いと思う

【?】
「あれ……おーいマコー」

誰だ俺を呼ぶのは?
マコと呼んでいる時点で可能性があるのはあいつだ。

【一条】
「美織ー、どこにいるんだー?」

近所迷惑になるのでうるさくない程度に叫ぶ、地獄で仏に遭ったようとはまさにこのことだ。
前方から美織の姿が闇に浮き出てくる、美織に何か神々しいオーラが見えるのは気のせいだろうか?

【美織】
「どうしたのよー、こんな時間に?」

【一条】
「お前こそどうしてこんな時間に?」

【美織】
「私はちょっとコンビニにようがあったからだけど、マコはどうしてここにいるの?
家はこの辺じゃないよね?」

【一条】
「家に帰るための道がわからない……」

【美織】
「うわー、この歳になってまであんたは迷子ですか」

美織が呆れたというような顔をしている。
いや、実際に呆れているんだろうな。

【一条】
「しかたがないだろ、この街に来たのだって2日前なんだから」

【美織】
「まだ街に慣れてもいないのにこんなとこ来たんだ、無鉄砲ね」

云い返す言葉がない、無鉄砲なのは親父譲りだ……恨むぞ親父。

【美織】
「いいわ、私も帰る途中だし、迷子のお子ちゃまを送っていくぐらい引き受けるわ」

男として……いや、人間としてこの歳でプライドを踏みつけられるとは思わなかった。
でもここで俺が上に立てるわけない、下手したら置いていかれてしまう。
ここは腹をくくって下についておいたほうが良さそうだ……

【一条】
「迷子になったので家まで送ってください……お姉さん」

【美織】
「美人のが抜けてるわよ」

【一条】
「……美人の……お姉さん……」

【美織】
「うん、素直でよろしい、じゃあ帰ろうか、ついてきて」

お姉さんだなんて何云ってるんだ俺は、下につきすぎた、これから俺は美織に逆らえないかもしれない……
美織にくっついて道を歩く、お約束で不良でも出てくるかと思ったら何も出なかった。
しばらくすると見覚えのある道に出る、美織と帰りに別れる場所だった。

【美織】
「ここまでくればもう大丈夫でしょ、今回のことは貸しにしておくから。
今度何かおごんなさいよ、んじゃねー」

別れ道を駆けながら振り返り手を振ってくる、何かおごらないと俺の世間体が揺るがされてしまいそうだ。
今日の散歩は最悪であり最高の散歩だった、気がついた空はもう星さえ失った漆黒の闇だけが支配していた。





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜