【4月08日(火)】


【一条】
「ふう、これで全部か」

アパートの中に積み上げられたダンボールを見てため息をつく
数にして5つ、1人暮らしをするには少々多かったかもしれない。

俺は病院から家に帰ると親父と今後について考えた、2ヶ月間の溝を埋めるのもこめて。
さすがに2ヶ月間学校に行かなかったのはまずい、出席日数が足りなく、留年することになってしまった。
親父は必死で校長に掛け合ってくれたがそれでも留年は決定、ただ留年しなくても良い方法も無い訳ではない。
それは、俺が学校を変わること、いわゆる転校のことだ。

俺にとってはまたとないチャンスだった、転校するだけで留年しないなんて良い話絶対無いぞ。
それに、ここでもう一度生活を送るのは俺には耐えられなかった。
親父と校長にその話を承諾して、校長は俺の行きたい学校に行かせてくれるという。

なるべく遠く、俺のことを知る人間が居ないほうが良い、そこで俺の選んだのは他県の学校。
といっても隣の県の学校なんだが、そこに行きたい意思を示した。
その後はとんとん拍子、俺は試験や面接無しで無償で転校できた。

【一条】
「何かできすぎている気もするけど、まぁ良いか」

後2日で俺は新しい学校に行くことになる、今日はアパートの入居日。
こうして俺は1人暮らし用の荷物を運んでいる所だ。

【一条】
「さてっと、ちょっとお茶でも淹れるか」

咽が渇いてきたのでお茶を入れることにする。
金の缶を開けると、紅茶特有の芳醇な香りが漂ってくる。
お気に入りのキャンディの香りだ、ミディアムグロウンだが俺はこの香りが気に入っている。
熱めのお湯でゆっくりとお湯をいれ、紅茶葉が開くのを待つ、この時間も好きだな。
十分な時間をかけ紅茶液を搾り出し、カップに注ぐと際立った香りが辺りに広がる。

【一条】
「上手くいったみたいだな」

口にすると独特の渋みが広がる、これが紅茶をおいしく飲むコツだ。
これが渋みでなく苦味だと上手くない、もう茶葉が駄目なんだろう。

【一条】
「こういう時間も大切だよな……」

俺は自分の世界に入り込む、この時間があるから人は生きていけるんだろうな。

ふと眼をテーブルの隅に向けると、そこにはオカリナがあった。
オカリナを手にする、片手に収まる小さな白いオカリナ。
物心ついたときにはもう俺の手の中にあった不思議なオカリナ
俺の記憶を閉じ込めていた唯一の思い出の品…………

吹き口を口にし、吹いてみる、病院じゃ回りを気にして吹けなかったからな。

オカリナからは落ち着いた旋律が奏でられていく、指も滑らかに動いている。
俺が昔から吹ける曲、どこで覚えたのかは忘れてしまった。
2ヶ月のブランクがあっても忘れていなかったようだ。

【一条】
「あ、あれ……」

オカリナを吹いている途中で俺の手が濡れているのに気付いた
それは紅茶やお湯で濡れたものではなく、俺の体から出た水分、特定すると眼から出たものだった。
俺は突発的に泣いていた、何も悲しいことなんかなかったはずなのに俺の眼から涙は溢れていた。

【一条】
「俺なんで泣いて……」

理由なんてないんだろう、これが人間、完璧じゃないから人間なんだろう。

【一条】
「もう、何やってんだ、泣いたってどうにもならないだろうに」

オカリナを机に置きダンボールに取り掛かる、結構中身もつまってる。
1日じゃ終わらないだろうから、今のうちにやっておかなくちゃな。
ダンボールを開け、服や下着、食器などを次々とに出していく。

……

【一条】
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」

お、終わった、作業開始から2日掛かった、もう明日は学校だっていうのに今頃終了かよ。
タンスや食器棚が向こうの手違いでその日に来なかった、そのせいで今日まで掛かってしまった。

【一条】
「もう、1時か……もう寝なくちゃ」

そのままベッドに倒れこむと、明日のことについて考える。
本当はもう寝た方が良いんだろう、さすがに転校初日から遅刻するわけにもいかない。
それに、学校に来たらまず教員室に顔を出すようにと先方から電話も貰っている。
一体これからどうなることやら、これ以上の考えはもうまどろみには勝てなかった。

……

けたたましい目覚ましの音に眼を覚ます、なんだか寝た気がしない。

【一条】
「7時半、学校まで30分だからまだ余裕はあるな、でも早く行っていたほうが良いか」

ベッドから起き上がり、洗面台の前で顔を洗い歯を磨く、少しはシャッキリとした気分だ。
朝食はパンを一枚かじる、もともと小食だからこれで十分。

【一条】
「さてと、行きますか」

テーブルに置いてあったオカリナをポケットに忍ばせる。
俺はアパートを出てこれからの通学路になる道を歩き始める。
まだ少し早いのか他の生徒の姿は無い、それどころか住民すらいない、静かな街だ。
こんな街のほうが俺には良い、失ってしまうなら印象も薄い方が良かったから。

……

学校に到着した頃には時計はまだ八時になったばかりだった、早すぎたかもしれないな。
それでも俺は教員室に挨拶に行かなければならない、御客様用入り口にあったスリッパを履いて教務室を目指す。
校内地図を頼りにしてきたのですぐに場所は見つかった、中からは既に人の気配がした。

【一条】
「失礼します、今日からこちらに転校して来ました一条といいますが。
先日こちらに来いと云うことだったので参りました」

数人の先生が教員室にいて、その数人は皆俺の方を向いた。

【先生】
「あぁー、話は聞いているよ、隣で校長がお待ちになっているからそっちに行きたまえ」

教員室の隣には校長室と書かれたプレートと少し立派な扉が取り付けてあった。

ノックだけで直には入らない、やっぱり校長だから

【校長】
「はい、どうぞ」

【一条】
「失礼します、今日からこちらに転校してきた一条と申しますが…………」

【校長】
「君が一条君か、初めまして校長の成田です、前の学校の校長から話しは聞いているよ。
なんでも重い病気にかかったとか…………?」

【一条】
「よくご存知ですね」

【校長】
「それでうちの学校に転校、ここを選んでくれたことは感謝するよ。
しかし、とんだ災難だったね、まぁここでまた新しい学校生活を始めてくれたまえ、志蔵くん」

校長が誰かを呼び込む、すると校長室と教員室をつなぐ扉から、ロングヘアーの女性が現れた。

【校長】
「今日から君の担任になる志蔵先生だ、解らないことが有ったらなんでも聞きたまえ」

【志蔵】
「志蔵香野です、よろしくね」

【校長】
「では志蔵先生、一条君を頼みましたよ」

志蔵先生は一礼して、俺を連れ、校長室を後にする。

【志蔵】
「さあて、一条君だったかしら?」

【一条】
「……はいそうですけど」

【志蔵】
「改めて、私は志蔵香野27歳独身、只今彼氏募集中よろしく」

【一条】
「一条誠人です」

【志蔵】
「もう冷たいなあ、ちょっとくらい誘ってくれても良いのに」

【一条】
「誘ってって、あまりこうゆう所にふさわしい言葉じゃないですよ」

【志蔵】
「むー、つまんないの、まぁいいわちょっと付いて来て」

朝っぱらから、それも初対面の人間を誘うなんてとんでもない先生だ。
まずい先生に当たっちゃったかもしれないな。
志蔵先生について教員室に入る。

【志蔵】
「はいこれ」

志蔵先生から渡されたのは白く大きな箱、トップに靴の絵が描いてある、ということは…………

【志蔵】
「今日から君が履く内履きよ、スリッパじゃ落ち着かないでしょ。
サイズも指定どおり注文したから合ってると思うけど、ちょっと履いてみてくれる」

箱から靴を取り出し履いてみる、俺の足にぴったりだった。

【一条】
「ぴったりです」

【志蔵】
「そうよかった、じゃあこれから君を紹介するためにクラスに行きましょうか」

先生の後について校舎を歩く、今までいた学校とは何もかもが違って見える、当たり前か。

【志蔵】
「最初は何も解らないから緊張すると思うけど落ち着いてね、大丈夫よ皆私の自慢の生徒だから。
何人かはやんちゃなのもいるけど、それも愛嬌よ。
私が呼んだら教室に入ってきてね、それまで自己紹介でも考えておきなさいね」

先生は意地悪そうな笑みを見せ、ウィンクをしてみせる。

【一条】
「こういうの苦手なんだよな……」

何も浮かばず天を見上げる、空でも見えればいいんだけどさすがに校舎の中じゃ見えるわけもない。
代わりに見えたのはクラスを示すプレートだけだった。

【志蔵】
「一条君どうぞ」

先生が扉から顔だけ少し出して俺を呼ぶ、促されるまま教室に入っていく。
教室に入ると一斉に生徒の目が一点に集中する、そんなに見ないでくれ。

【志蔵】
「さあ一条君、教壇に立って自己紹介を御願いしますね」

またも先生は小悪魔な笑みとウィンクをする、何も考えてないどうするか?
ここは……無難に済ませよう

【一条】
「初めまして一条誠人です、今日からこの学校でお世話になりますのでよろしくお願いします」

何の捻りもなく無難に終わらせる、ここで気張って失敗したら笑いもんだ。

【志蔵】
「はい、じゃあ一条君は窓際の一番後ろが開いてるからあそこに座ってね」

一番後ろの席に向かうまでも俺は視線を感じる、普通一番後ろの席は最高の席なんだが。
こういう場合は最悪、処刑される囚人みたいな気分だ。
机の間をぬってやっと席にたどりつく、席に着くとそれを待っていたかのように先生が授業を始める。

……

授業を受ける気分にならない、まだ若干の視線をちらちらと感じる。
大体まだ教科書を貰ってない、まだ話したことのない人に見せてとは云えない。
しかたなく授業そっちのけで外を眺める、見えるのは通学路と木立の群れ、のどかな街だ。
そんな風にぼおっとしていると授業終了の鐘が鳴る、まずいなぁ。
転校生に待っているのは大体質問攻めと決まっている、その手の話も俺は苦手だ。
人が集まる前にさっさと退散してしまう方がよさそうだ。
決断と行動は早い方がいい、俺はすくっと立ち上がりその場を逃げだした。

……

重い鉄扉を開けるとそこには蒼の世界が広がっていた。
人を避けるならやっぱりここ、屋上だろう、案の定人は居ない静かな世界だ。

【一条】
「静かで、落ち着くな」

備え付けのベンチに腰を下ろし空を見上げる、プレートではなく蒼い空が見える。
次の授業が始まるまでの間俺は蒼の世界の住人になった。

……

キーンコーン

授業開始の鐘が鳴る、ちょっと長居しすぎたな。
あわてて屋上を後にする、その後校舎の道に迷ってしまい次の授業は15分も遅刻してしまった。

……

鐘が鳴り響き4時限目終了を促す、他の授業終了時にも俺は屋上に足を運んだ。
まだな何も知らない新参者にはこんな所の方がお似合いだ。
今は昼休み、食事をする気分もあまり起きないので蒼い空を眺める。
昼休みは結構長い、その間の時間俺は蒼と一体化する。

鉄扉が開き誰か屋上にやってきた、そんなことは気にせず空に意識をゆだねる。

【男1】
「あぁーあ、まったくけったいやなー」

聞きなれない関西弁に意識が現実世界へと連れ戻される。
声のする方に視線をやると2人の男が眼に入った。
1人は赤い前髪で目が隠れた男、もう1人は180は軽く越えた長身で目の細い男だった。

【男1】
「あん、なんや今日は先客がおるみたいやな」

【男2】
「…………」

2人の男も俺に気付いたのか視線を向ける。

【男1】
「ん、あれ、あいつ……」

【男2】
「…………」

2人とも俺の顔を見るなり何か話があるのかこちらに来る、何かの間違いだ来ないでくれ。
誰とも話す気ないんだから…………

【男1】
「んーやっぱりそうや、あんた今日来たてんこーせーやろ?」

男の顔が間近に迫る、男にそういう行動をとられても嬉しくないぞ。

【一条】
「まぁそうですけど……」

素っ気無く答える、このまま質問攻めにでもする気か?

【男1】
「なんやー、いっつもいっつもすぐ居なくなるからどこいってんのかと思ったらー」

【男2】
「…………」

赤い髪の男はうししと何か企んだ笑いをする。

【男1】
「きさん、わいになーんも挨拶せんとはどういう根性しとんねん、新人はわいに頭下げて
『子分にしてくださーい』とかいったらどうやねん」

赤髪はいきなり怒り口調に変わる。
何だ何だ? ……俺何か癪に触ることでも云ったか?

【男1】
「おい、どーなんや頭下げるんか、下げへんのか?」

【男2】
「……怒」

バギィ!!!

長身の男が赤髪の後頭部をおもいっきり拳で殴る、それにしても凄い音がしたな。

【男1】
「いったーなにすんねん!」

【男2】
「転校生相手に何をやってるんだ」

【男1】
「ただのジョークやないか、何もどつくことないやろーほんまにもー」

さっきのはジョークか、そうだよな赤髪を怒らせるようなことも考えつかないし。
第一まだここに来たばかりの俺が赤髪を知ってるわけもない。

【男2】
「すまなかったな、この莫迦が調子に乗って」

【男1】
「莫迦とはなんや莫迦とは! わいは新人に人の礼儀というもんを教えてやろうとな……」

【男2】
「あれは礼儀じゃなくて仁義だ」

【男1】
「ぐ……まあそうともゆうわな……」

【一条】
「あ……もう良いですから」

このままでは2人の口喧嘩……ではなく漫才が続いてしまうのでここで打ち切った。

【一条】
「ところで2人は……?」

【男1】
「あーすまんかったな、名前も名乗らんと下につくいうのはちょっと無理があったな。
わいの名前は廓 某、好きなように呼んでくれや」

【男2】
「……二階堂 勇……」

赤髪が廓で、長身が二階堂さん、覚えておいても多分もう会うことも無いんだろうな。
しかし…………某って名前はどうなんだろう?

【某】
「あんたは確かー……一条ゆうたな?」

【一条】
「どうして俺のことを?」

【某】
「どうしたもこうしたも、わいあんたと同じクラスやもん、知ってるに決まってるやないけー」

前言撤回、どうやらこれからも毎日会うようですね。
廓を脳内に覚えこませる。

【某】
「それで、なんで授業終わったらいっつもここにおんねん?」

俺が座っていたベンチの横に廓も腰を据える。

【一条】
「あんまり人と話すのは得意じゃなくてね、それに転校生って質問ばっかりされるだろ」

【某】
「あー確かにそうやな、なんかクラスの奴お前探しとったし、あれじゃ教室にはいれんわな」

廓はけらけら笑っている、人事だと思って。

【某】
「それでここに来るちゅう訳かい、ここは昼休みのくせに人がこんで静かやしな」

廓も空を見上げ蒼に意識の一角を預けた。

【一条】
「2人こそどうしてここに」

【某】
「大した意味はあらへん、ただなんか予感みたいなもんがしてな」

【一条】
「予感?」

【某】
「なんかこれから楽しくなる予感ちゅうやつかな?」

【一条】
「何だよそれ」

【某】
「なはははは、ま、これから仲良くやろやないかい、わいらはお知り合いやろ」

廓が差し出した手に俺は申し出を受ける、信頼関係のない、形だけの挨拶を交わした。

【某】
「おっとそろそろ午後の授業始まるやないか、ほんなら行こか」

ベンチに座っていた某と柵にもたれていた二階堂さんが同時に動き出す。

【某】
「一条もぼさっとしとったら5時限目遅れんで」

俺も腰を上げ廓達についていく。
屋上を出る間際にもう一度、蒼く晴れた空に眼を泳がせた。

……

【一条】
「ええ、二階堂さんって同級生、しかも同じクラス!!」

【二階堂】
「……そうだが……」

驚いたなんてものじゃない。
まさか二階堂さんが同級生だったなんて、同級生ならぬオーラというか、雰囲気をかもし出している。
てっきり上級生だと思っていた。

【某】
「な、やっぱりそう思うやろ、おかしいやんなこんなんどう見たっておっさんやで、同級なんて考えられへんよな」

【二階堂】
「……廓……怒」

【某】
「あん? うわ、ちょ、ちょいまち!!!」

廓は二階堂さんに捕まって頭を小突かれている、どうやら二階堂さんの前で見た目の話はタブーのようだ。

【二階堂】
「ポイ……そんな訳でだ、俺のことは呼び捨てでかまわない……」

【一条】
「解った、じゃあ……勇でいいですか?」

【二階堂】
「……かまわんさ……」

【某】
「ふぐぐぐぐぐ……」

二階堂に開放された廓は力なくその場に倒れる。

【二階堂】
「……授業始まるぞ……」

【某】
「げほ、げぇほ、たく自分でやっといてよく云うわい」

【一条】
「お前が悪いんだろ」

【某】
「お前までそんなこというんか、お前かてあの顔で同級なんて……ぅ」

廓はまだ何か云いたげだったが、突然何も喋らなくなる。
後ろに何か感じているんだろうか?

……なるほど

二階堂がおもいっきり廓を睨んでいた、二階堂の殺気を感じたんだろうな、廓は。

【某】
「まぁそんなわけで、よろしく頼むで……」

全く関係ない話で無理やり終わらせた。
このまま上手く逃げ切れるかは不明だな。

……

キーンコーン

6時限目終わりの鐘が鳴る、この鐘は学校終了の鐘でもあったので今日はこれで終わりだ。
それと同時に、とても暇な時間が訪れる。

授業終了の鐘と共に廓はとんずら、二階堂はそれを追いかけていった。
多分、廓は捕まって二階堂に小突かれるんだろうな。

【一条】
「早く帰ってもつまらないし、時間でも潰すか」

帰り荷物をまとめ俺の足はあの場所を目指す。

ギイイ

重い鉄扉を開けて屋上にやってくる、空は昼の蒼さを失い白が強くなってきている。
もう数時間したらこの白も消え、紅が空を支配してさらに数時間したら。
今度は紺が空を手に入れるんだろうな。

【一条】
「それにしてもこの屋上は人影がないな」

今日1日しか居ないので本当はどうだか解らないが、ここの屋上は人気が少ない、少ないと云うより無い。
俺が今日見たのは廓と二階堂だけだ、ここまで人気がないと煙草なんか吸い放題だな。
もっとも俺は煙草は嫌いだ、あんな毒に金なんか払えない。
そんなケチな考えをしていると俺の眼に給水塔のハシゴが見えた。
あれを登れば給水塔の上、つまりこの学校で一番空に近い場所に行ける。
そう思うと俺の足はもうハシゴを上り始めていた。

【一条】
「うーんん……」

塔のてっぺんにつくと盛大に伸びをする、ばれたら大目玉だろうけど幸い教員室からはここは死角になっている。
目の前に広がるのは街の風景と海の色それと空の色だけ、校舎が見えないだけで何かこの街を征服した気分だ。
この街にやたらと高いビルが無いのもそう感じさせる要因なんだろうな。
俺はその場に腰を据え、流れていく時間と移り行く空の色だけを感じて時間を過ごした。

……

空がだいぶ白一色に塗りつぶされていた、もう結構な時間が過ぎたことだろう。
時計を見ると四時半、一時間近くもうここで時間を楽しんでいる。
やることも無く時間を過ごすだけじゃそろそろ味気ないので、ポケットを探る。
出てきたのはオカリナである、俺は立ち上がりオカリナを口に構える。

息を吹き込んでオカリナに生命を宿す、オカリナは産声を上げ俺は指でオカリナをあやす。
2ヶ月間全く吹かなくても覚えていたのは2日前にもう証明されていた。
俺はゆっくりと息の強さを変えたりしてオカリナを自分の下えと引き戻す。
そういえばいつからこの曲を吹いているんだろう、誰かに教えてもらったんだろうか?
大体オカリナを持ち始めたのだっていつかは覚えていない、気が付くとこのオカリナを持ち、この曲を好んで吹くようになっていた。
旋律を奏でながら、過去について振り返ってみるがやっぱり思い出せない。
徐々に曲がスローになっていき、曲の終わりを告げた。
何かこの曲を吹いていると無心になれる、周りに何かがあっても気付かないかもしれないな。

パチパチパチ

【一条】
「!」

突然後ろから拍手が聞こえる、しまった見つかったか。
後ろに顔を向けると、そこには制服を着た少女が1人立っていた。
先生じゃなくて良かった…………

【少女】
「オカリナ上手なのね」

ピンクの髪に真珠色のリボンをした少女が俺のオカリナの腕を褒めてくれている。
こんな時は素直にお褒めの言葉を頂戴しておこう。

【一条】
「ありがとう、それより君はどうして?」

【少女】
「屋上に来たら綺麗な曲が聞こえてきたから見に来ただけよ」

【一条】
「いつごろからそこに?」

【少女】
「5分くらい前かしら、あたしが来たことに全然気付かないんだもん」

確かに全然気付かなかった、やっぱり曲に入ると周りが見えなくなるみたいだ。

【少女】
「あたしも声をかけようと思ったんだけど、曲を聞いていたくなっちゃって」

少女はてへへと笑う、可愛いもんだ。
……名前も知らない少女に何を考えてるんだ。

【少女】
「ところでその曲、なんていう曲なの?」

【一条】
「名前は俺も分からない、小さい頃から吹いてはいたけど名前までは知らない」

【少女】
「それって、もしかしてオリジナル曲なんじゃないの?
すごいじゃない、オリジナルってすっごい難しいんだよ」

【一条】
「いやまだオリジナルかも分からないし……」

【少女】
「いいやオリジナルよ、こんな良い曲が世に出回ってないわけ無いじゃない」

少女はやけに力説している、確かに悪い曲だとは思ってない。
でもオリジナルだとしても創ったのは俺じゃないんだから俺が喜ぶのも何か違うだろうな。

【一条】
「そういえば、君は誰?」

普通初対面の人には遭ったその場で名前を名乗るものだけど忘れていた。

【少女】
「あたし? あたしは宮間 美織、なーにあたしのこと分からないの?」

【一条】
「ちょっと覚えてない……」

【美織】
「こら、一条誠人! 隣に座ってる美少女のことも覚えてないの?」

あー、教室で俺の隣に座ってる子なんだ、しかしそんな近くの人も俺は見てなかったのか。

【一条】
「隣の、でも美女って……」

【美織】
「何よ、どこからどう見ても美少女でしょうが、それともあんたにはあたしが醜く見えて?」

【一条】
「醜くなんかは見えないけど」

【美織】
「それだったら美少女じゃない、世界は美と醜のどちらかだって誰か云ってたわよ」

かなり強引な考えだな、あなたの世界に中間ってものは無いんですか。

【一条】
「解ったよ、自称美少女の宮間さん」

【美織】
「ちっとも解ってないじゃなーい!」

【一条】
「あんまりぎゃんぎゃん騒がないでくれよ、体に悪いぞ」

【美織】
「誰のせいよ、誰の……それよりあなた今日、某達と一緒に居たわね」

【一条】
「ああ……昼休みに2人ともここで知り合った」

【美織】
「へーあの2人がねー、何か某に変なこと云われなかった?」

【一条】
「云われたよ、子分になれとかなんとか……」

【美織】
「やっぱりねー、某のやつ相変わらず新人弄るの好きね」

宮間がくすくすと笑う、弄りはあいつの趣味だったのか

【美織】
「でもどうしていつも休み時間にどこかに行っちゃっうの?」

某にも同じ様な質問をされた気がする、当然某の時と同じ返しをする。

【一条】
「転校生って質問攻めに遭うだろ」

宮間は呆気に取られたような顔をして俺を見る、どうしたんだろう?

【美織】
「はぁ? あんた何云ってるの、もういい年になった学生が転校生ぐらいで騒ぐと思ってんの?
それとも何、あんたは自分がアイドルにでもなったつもりなわけ?」

あ……そうだよな、もう皆そんなことぐらいじゃ騒がないよな、子供じゃあるまいし。

【一条】
「そうか、そんなもんだよな」

【美織】
「ふふ……何てね、他の人は知らないけど悪いけど私はあなたを質問攻めにするわよ」

【一条】
「何だよそれ、お前はアイドルに群がる記者のつもりか?」

【美織】
「そうよ、興味のあることに質問するのは当たり前のことよ」

大きく胸を張って断言する、かなり図々しいぞそれは。

【一条】
「それで何が聞きたいんだ?」

【美織】
「案外素直なのね、じゃあ何でここに転校してきたの?」

宮間は俺の間近まで迫ってそんな質問を投げる、廓みたいな女だな。

【一条】
「転校してきた理由か……」

ポケットに手を突っ込み宮間と距離をとるように歩みを進め、ハシゴの前まで来て宮間に顔をむける。
……ことはなくハシゴを手を掛けさっさと降りる。

【一条】
「じゃあな、宮間さん」

【美織】
「あー逃げたー!!!!!」

宮間が気づいた時にはもう遅い、俺はハシゴを降りて階段も下り始めていた。

……

階段から教室まで走ってきた、早く帰らないと宮間に見つかってしまう。
そうしたらまた、転校の理由を聞いてくるんだろうな。
転校の理由……それは俺にとって酷なでき事だ、気軽に他人に話せるようなものじゃない。
それ以外の質問なら気軽に答えたんだろうけど、あればっかりはどうしてもその場を逃げ出したくなってしまう。
現に今も逃げてきた、俺の感情が理由を話すことに待ったをかけるんだろう。

ガラガラガラ

【?】
「一条君」

後ろの扉が開く音と共に俺の名前を呼ぶ声がする、しまった見付かったか?

【?】
「よかったー、まだ帰ってなかったのね、探しちゃったわよ」

宮間の声じゃない、さっきの状況から推測するも、宮間はこんな機嫌じゃないだろう。
振り返るとそこに居たのは志蔵先生だった。

【一条】
「なんだ先生ですか、探してたって俺のことですか?」

【志蔵】
「そうよ、一条君の教科書が届いたから渡そうと思ったんだけど居なくなっちゃうから」

【一条】
「すいません、ちょっと校舎に迷ってまして色々と動き回ってました」

もちろん嘘、給水塔の上に居ましたなんて云える訳がない。
転校初日から校則違反がばれてはまずいから…………

【志蔵】
「あらあら、云ってくれればお姉さんが案内してあげたのに」

先生は得意の小悪魔的笑みを向ける、まったくなんて先生なんだ。

【一条】
「それで教科書は?」

【志蔵】
「もう、冷たいなー いらっしゃいこっちよ」

……

【一条】
「何だこの量は」

先生からもらった教科書を抱いて教室までの道のりを戻る。
しかし教科書が多い、参考書まで入ってるもんだから高さも重さもかなりのものになった。
俺の視線の先に見えるのは……科学の教科書だ、その上にも何冊も教科書は乗っている。
前方なんて見えてないから障害物の有無も分からない、事故らなければ良いけど…………

【?】
「きゃあ!」

軽い衝撃と悲鳴が聞こえた、考えた側から事故ですか……やっぱり分けて持って来れば良かった。

【一条】
「すいません、大丈夫ですか?」

【?】
「イッターい、もうー何なのよ?」

声を聞く限りでは女の子の声だ、教科書の山の横から顔を覗かせて人物を確認する
後姿だったが眼に入ったものは、ピンクの髪と真珠色のリボン……まさか!?

【美織】
「もーう……気をつけてよね、今度からはちゃんと前を見て…………」

宮間と目が合ってしまう、逃げたいがこの教科書の量じゃ逃げることもできない。

【美織】
「ああー! 一条誠人ー!!!」

烈火のごとく怒っている、当然といえば当然だよな。

【美織】
「あんたさっきはよくも逃げてくれたわね、ここで遭ったが百年目、ただじゃおかないわよ!」

【一条】
「ちょ、ちょっと待て、今は状況が……」

【美織】
「問答無用ー! てりゃー!」

まずい、拳が飛んできたぞ、こんな時は……危ないから避けよう!

ヒョイ、飛んできた拳を横に飛んで避ける。

ところが、手にした教科書のせいで体全部が動いてくれなかった、俺の足が片方残ってしまう。
この場合どうなるかというと……やっぱりああなるよな……

コケッ

【美織】
「うわ、うわわわわわわー…………」

ビターン!!

やっぱりなった、俺の残った片足につまづいて盛大に廊下で転んでしまう。
痛そうだ、鼻を赤くしてうっすら涙ぐんでいる。

【美織】
「うぅー、何するのよー!」

【一条】
「悪い悪い、今は俺の状況が悪いんだこれ見ろよ」

【美織】
「状況……?あ……」

宮間は俺の持っている教科書の山を見て、状況を理解したようだ。

【美織】
「ご、ごめん……」

【一条】
「俺もさっきは逃げちまったから、これでおあいこってのでどうだ?」

宮間がコクンと頷く、まだ薄っすらと涙が浮かんでる、よほど痛かったんだろうな。

【一条】
「俺はこれからこれを教室に持って行かなくちゃいけないから失礼」

宮間に背を向けて、また前方を遮られた視界の中で教室を目指す、今度は注意しないとな。

【美織】
「あ……待って」

【一条】
「うん?」

【美織】
「私も少し持つよ、さっきのお詫びもこめてね」

宮間は俺の視界を遮っていた教科書をいくつか持ってくれる。
視界は前方の廊下を見渡すことができるようになった。

【一条】
「別にそんなことしてくれなくてもいいのに」

【美織】
「いいじゃない、それにまた人にぶつかったら大変でしょ。
私が大人しい女の子だから良かったものの、怖ーいおじさんにぶつかって因縁でもつけられたら厄介でしょ」

【一条】
「大人しい……女の子……?」

【美織】
「何よ、その訝しげな眼は」

【一条】
「大人しい女の子はいきなり拳を飛ばしてきたりしないもんだけど?」

【美織】
「うぅ…………ふん」

宮間はそのまま顔を背けてしまう、恥ずかしがってるんだろう可愛いもんだ。

……

【一条】
「しょっと、やっと教室だよ」

【美織】
「こんなに量が多いんだから何回かに分けて運べばよかったのに」

【一条】
「男ってのはね、結構無茶が好きなんだよ」

【美織】
「何よそれ、カッコつけちゃって」

宮間は訳解かんないといった顔をする、男のロマンなんだよ……女には解らんさ。

【一条】
「それで、俺になんか聞きたいことでも有ったんじゃないのか?」

宮間が手伝ってくれた本当の理由は多分こっちだろう。

【美織】
「聞いてもいいことなの?」

【一条】
「それはされる質問によって左右されるものだけど?」

俺の言葉に宮間の眼が真剣なものに変わった。

【美織】
「それじゃあ……あなたはなんでここに転校してきたの?」

それしかないよな、いくつか候補はあったけどその質問が自然だよな。

【一条】
「なんできたか……か」

俺は窓の外を眺めながら、言葉を捜す。

【一条】
「悪いけど……今は云えないな」

【美織】
「そうなの、わかったわ」

宮間はそれ以上聞き返してこない、聞き返していいか悩んでいるんだろうか?

【美織】
「本人が嫌がっていることを私に知る権利は無いわね、ごめんなさいね」

【一条】
「いや、別にいいさ、それよりそろそろ下校時間だ、俺はもう帰るがあんたは?」

【美織】
「あたしももう帰るわ、ねえ一緒に帰りましょ」

女の子からの申し出を無下に断るわけにもいかないな、ここは一緒に帰るか。
俺と宮間は連れ立って夕日の力で真っ赤に燃えた教室を後にした。

……

【一条】
「初日から色々なめにあったもんだ」

廓や二階堂と出会い、宮間にちょっかいをだされ……初日にしてはハードだった

【美織】
「なーに親父くさいこと云ってるのよまだ若い者が」

若い者って、宮間だって十分に若いじゃないか……

【美織】
「これから毎日あの学校で生活するんだから、あんなのでへばってたら体もたないよ」

【一条】
「毎日あんなのでは困る、宮間さんは元気なもんだな」

【美織】
「元気なのはあたしの取柄だもん」

エッヘンと胸をそり返す、よほど自分の元気に自信があるんだろうな

【美織】
「それよりー、宮間さんてのやめてくれないかな、あたしは目上の人じゃないんだし」

【一条】
「まだ知り合って間もない人をそう呼ぶのは普通だろ?」

【美織】
「なーに云っちゃってるかな、あたし達はもう友達なのよ、友達に敬語は不要でしょ」

友達だって? 俺は逃げ出してあっちは拳を上げたんだぞ、それで友達ってどうなんだ……?

【美織】
「要らないことは考えないで、あたしのことは美織って呼んでいいから、はい呼んでみて?」

【一条】
「……美……織……」

【美織】
「よくできました、あたしもあなたのことマコって呼ぶからよろしくね」

そう云うと、美織は足早に駆け出した。

【美織】
「あたしの家こっちだから、また明日学校でねー」

美織が笑顔で手を振ってくるので振り返しておく。
美織と別れ1人家までの帰路につく、本当に初日だというのに色々なことが起こった。

今日のことは俺の脳内に記憶として閉じ込められるんだろうな。
失ってしまった記憶の水瓶にまた新しい記憶の水を注ぎ込む。
強い記憶は水瓶の中で沈殿していつまでも水瓶の中に滞在することができる。
普通の人はそれが当たり前なんだ、だけど、俺の水瓶は違う…………

俺のはひびの入った水瓶、何時またひびが割れて記憶が流されるとも分からない不安定なもの。
いつか割れてしまうなら瓶の中は空っぽの方が良い。

【一条】
「人付き合いって難しいな……」

そんなことを嘆いた空は、紅に染め上がられた赤光の世界が広がっていた。





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