【4月30日(水)】


昨日は今までで一番暇な休日だった。
来客者は誰もなく丸1日1人で時間を過ごした、誰も来なかったことが俺にはありがたかったりする。
2日前、俺は美織に告白をした、それは残念な結果に終わってしまったけどそれもしょうがない。
これからの俺の課題は今まで通り美織と接することができるかどうか。

【一条】
「今まで通り友達の関係を続けられれば良いんだけど……」

そう上手くいくとは思えないんだよな、2人ともよそよそしくなるのが眼に見えてる。

【一条】
「なるべく早く戻れるように努力しないと……」

これからするべきことは決まった、俺もいつまでもうじうじしてられないもんな。

……

【某】
「おっはよーさーん」

【一条】
「おはよ、朝からテンション高いな」

【某】
「何を云っとんねん、わいなんかよりお前の方がテンションも人生も薔薇色やろ。
ちょうど昨日は休日やし、美織とながーい初夜を迎えたんやろ、それでどんな感じやった?」

【一条】
「勘違いしてるみたいだけど、俺は美織とは付き合ってないぞ」

【某】
「はぁ? お前この前呼び出した云うとったやんけ、あれもしかして美織とちゃうかったんか?」

【一条】
「呼び出したのは美織だよ、美織の前でちゃんと告白もした、了承してくれなかっただけだ」

【某】
「うそお! そんな莫迦な話しあれへんやろ、エイプリルフールはとおに過ぎとんのやぞ!」

【一条】
「だから本当の話だって、美織にはふられたよ」

【某】
「ちょお待てや、美織のやつなんて云ってお前をふったんや?」

言葉なんかなかった、あったのは美織の流した涙、言葉なんかよりもずっとこたえたんだよな……

【一条】
「何も云われなかった、告白した後何も語らず屋上から去られた」

【某】
「……はぁ?」

【一条】
「別に驚くこともないだろ、何も云われなかった、つまり無言の拒絶さ」

【某】
「一条……」

ポンと肩に手を置いて、はぁっと大きな溜め息をついた。

【某】
「あんまり焦って答えを出すのはいただけんな、何も云わないだけで拒絶されたとか考えるのは焦りすぎやで」

【一条】
「だってさ、そのうえ美織は泣いてたんだぞ、泣かれたらもうそれは拒絶以外の何物でもないだろ」

【某】
「泣いてたか……」

頭を捻って何かを考えているけど、答えが変わるわけ無いんだぞ。

【某】
「(どうやらこの男、涙が持つ意味に気づいてへんみたいやな、これも試練かもしれんな……)」

【一条】
「どうかしたのか?」

【某】
「いや、なんでもない、これもお前の試練やさかいどうにか乗り切るんやぞ」

背中をバンバン叩かれた、試練てなんのことなんだか……

……

【某】
「おはよーさーん」

【美織】
「お早う」

眼にはいった美織の姿を正視することができない、早くも後遺症が出てきたようだ。

【美織】
「マコ、お早う」

【一条】
「……あぁ」

挨拶さえもできない、先日までできていたことが今日になるとできなくなってしまった。
これが失恋した人間が超えなければならない壁、取り戻さないといけないのは平常。
俺が取り戻すのにどれだけの時間が掛かるのかはわからないけど、取り戻さないと2人とも堅苦しいだけだ。

……

【某】
「お前ちょっと意識しすぎとちゃうか?」

【一条】
「しかたがないだろ、まだ2日しか経ってないんだから」

【某】
「んなことゆうても美織の方はいつもとなんら変わらずやったぞ、それに比べてお前は」

【一条】
「気持ちの切り替えが遅いんだよ、そのうち元に戻るさ」

【某】
「元に戻ればええけど、多分元には戻れへんやろな」

うぅ……その可能性も無いわけじゃないけど。

【一条】
「普段通りに戻してみせるさ、俺が戻らないと美織にも迷惑かけそうだからな」

【某】
「(あかん、全くわかってない、元に戻るって普段通りに戻ってどないするっちゅーねん)」

【一条】
「何か云ったか?」

【某】
「なに、独り言や……ま、一条も準備しとったほうがええぞ、近いうちに確実に変わるさかいな」

【一条】
「近いうちに何が変わるっていうんだよ?」

【某】
「それは自分で確かめてみんとな、まぁ一条自身のことに関わることやから嫌でもわかると思うわ」

この男は何かに気付いている、俺の気付いていない何かに……だからなんのことなんだよ。

……

四時限目が終わって教室から逃げるように屋上へとやってくる。
月曜日も同じ行動をとったな、だけどあの時とは決定的に違う所がある。
俺の気持ち、月曜日と今の俺の気持ちは対極の位置関係にあるんだ。

【一条】
「こんなに天気は良いのに、俺の心は黒雲だよ」

いらいらするほど良い天気だ、あの日と同じ快晴の空が酷く憎らしい、たまには雨でも降れってんだ。
食事をする気にもなれず屋上の中央に仰向けで寝転がる。

太陽の日差しが眼に刺さって眩しい、夏じゃないんだからこんなに強い日差しなんか出るなよ。

ギイィィィ

屋上の扉が開く音、前はここで美織が現れたっけな、まさか今日も美織が来るんじゃないだろうな?
美織が来たら寝たふりでもすれば良いか、仰向けになったまま眼を瞑った。

トテトテと近づく足音、どんどん足音が大きくないりやがて俺の頭付近でピタリと止まった。
眼を開くと飛び込んできたのはスカートの中から覗く水色の下着と快晴の大空。

【一条】
「だからどうして頭の方に立つんだよ」

慌てて起き上がる、俺の側まで来ていた人間は水鏡だった。

【一条】
「頭の方に立つと下着が見えちゃうんだから、水鏡は恥ずかしくないの?」

【水鏡】
「誠人先輩、今日はいつもより暗いですね」

下着の話には触れない、本当に恥ずかしくないのか?
それにしてもいつもより暗いって、意外と毒舌家だな。

【一条】
「暗くなんかないだろ、まだ今日は話してもいないのにそんなことわかるの?」

【水鏡】
「わかりますよ、私には誠人先輩が暗くなってる理由がわかりますから」

【一条】
「それじゃあ、俺が暗くなった理由って何?」

【水鏡】
「宮間先輩のことじゃないんですか?」

ぐぅ……なんで水鏡には隠し事ができないんだ。

【一条】
「その口ぶりからすると、水鏡は月曜日の屋上で何があったか全部知ってるんだね」

【水鏡】
「……コクン」

【一条】
「そっか、水鏡も屋上にいたんだ……」

【水鏡】
「すいません、立ち聞きするような形になってしまって」

【一条】
「いいよいいよ、誰かに聞かれる可能性が無いわけじゃなかったんだから、ベンチの方で話そうか」

水鏡を連れてベンチに腰掛ける、腰掛けたベンチは日差しとは対照的にひんやりとした冷たさを持っていた。

【一条】
「それで、他人の眼から見ても俺ってどこかおかしいかな?」

【水鏡】
「はい、先輩は先日のことを気にしていますか?」

【一条】
「気にしていないって云ったら嘘になるよ、俺は本気だったからね」

【水鏡】
「先輩は、これからどうしていくつもりですか?」

【一条】
「とりあえずよそよそしくならないように努めないとね、そうしないと俺も辛いから
だけどさ、1回関係が壊れてしまうと修復するのって難しいんだよな」

【水鏡】
「……先輩は、宮間先輩との関係は壊れたと思いですか?」

【一条】
「あれじゃあ壊れたって云うしかないだろ、泣かれちゃあ俺には退くしかないんじゃないかな」

【水鏡】
「男の方がそう簡単に退いてしまって良いんですか? それで本気だったって云えるんですか?」

【一条】
「……ぅ」

水鏡の言葉が身を切り裂く、本気で好きになった相手のことをそう簡単に忘れてしまって良いのか?
忘れなくてはいけない、しかし、そんなことができるようならその人物は人ではなく聖徒だ。

自分が本気で好きになった人間のことは忘れようとしてもいつまでも忘れることなどできない。
それが……人を『本気』で好きになるということ。

【水鏡】
「教えてください、誠人先輩にとって宮間先輩は通過点でしかないんですか?
通過点をそのまま過ぎ去るのか? それとも今でも宮間先輩のことが好きですか?」

【一条】
「退けるわけ無いだろう……俺には美織しかいないんだ」

【水鏡】
「ふふ、誠人先輩ならそう云ってくれると思ってました、それは先輩が本気だったことの証明ですね」

【一条】
「俺は今でも美織のことが好きだよ、今回は駄目だったけど、いつか美織が俺に振り返ってくれるまで
俺は美織のことを好きでいるよ、今でも俺は本気なんだから」

【水鏡】
「宮間先輩は幸せな人ですね、誠人先輩にここまで好きになられて」

【一条】
「俺なんかに好きになられても喜ぶ人なんていないと思うけど……」

【水鏡】
「そんなことないですよ、女性は本気で自分を好きでいてくれる人を待ってるんです
誠人先輩の想いが宮間先輩に伝わることを私は応援します」

【一条】
「はは、ありがとう、一体いつ振り向いてくれることになるやら……」

【水鏡】
「大丈夫ですよ、本当に宮間先輩との関係が壊れてしまったのなら、先輩も宮間先輩のことを好きでいることは不可能です。
今でも誠人先輩と宮間先輩の関係は壊れてなんかいませんよ」

確かにそうなのかもしれない、俺のどこかで関係が壊れていないことはわかってたのかもしれない。
美織が泣いてしまった事実、それが俺の中で関係の崩壊に直結させてしまっていたのかもな。

【水鏡】
「関係が壊れていない以上、先輩の想いは伝わりますよ、宮間先輩は素敵な方ですから」

【一条】
「その素敵な方に俺が見合うのか少し疑問だね、俺は素敵とかそういったのには無縁だから」

【水鏡】
「いいえ、先輩も素敵な方ですよ……」

【一条】
「水鏡に云われるとなんだか照れるな、そう云ってくれるなら俺も自信を持たないと駄目だな」

【水鏡】
「そうですよ、先輩と宮間先輩はお似合いなんですから、ファイトファイトです」

両手に軽く拳を作ってググッと力を入れる、水鏡がこんなことをするのを見るのは初めてだ。

【一条】
「そういえばさ、俺のことばっかりじゃなくて水鏡はどうなの?」

【水鏡】
「どう……とはなんのことですか?」

【一条】
「俺の恋路の話ばっかりじゃなくてさ、水鏡の方はどうなの? 水鏡も好きな人とかいるの?」

【水鏡】
「わ、私ですか……私は……その」

いつも冷静な水鏡にしては珍しくおたおたと慌てている、この慌てようからすると……

【一条】
「水鏡にもいるんだね、好きな人が」

【水鏡】
「……はい」

【一条】
「それで、その人のことは本気で好きなの?」

【水鏡】
「……はい」

よほど恥ずかしかったのだろう、顔が真っ赤になった。

【一条】
「赤くなっちゃって、水鏡ってそういうところがすごく可愛いもんな、もてるでしょ?」

【水鏡】
「わ、私はもてませんよ……宮間先輩みたいに美人じゃないですから」

【一条】
「美織みたいだからってもてるわけじゃないだろ、俺だって美織のことを外見で好きになったんじゃないんだから」

【水鏡】
「意地悪です、誠人先輩は……」

【一条】
「ごめんごめん、だけどさ、水鏡は外見も内面も申し分ないんだから思い切って告白してみたら?」

【水鏡】
「いいえ……私はこれで良いんです、私は想い続けるだけで良いんです……」

酷く寂しげな口調、告白したくても告白できない何かが水鏡の好きな人にはあるんだろう。

【一条】
「そんな寂しいこと云うなって、水鏡が好きでいてくれているのにそれに気付かない男は重罪だな、鞭打ちだな」

【水鏡】
「案外御自分では相手から好かれていることに気付かないものですよ、恋は盲目なんて言葉もありますから」

盲目か……俺は自分の気持ちにすら盲目だったんだな。

昼休み終了の予鈴が鳴り響く、五時限目は体育だったよな……こんなところでぼぅっとしてる場合じゃない!

【一条】
「次の時間体育だから俺はこれで、さっきは色々とありがとね」

【水鏡】
「先輩のお役に立てたのなら私も嬉しいです、宮間先輩のこと諦めないでくださいね」

【一条】
「諦めろっていわれても俺は諦めないよ、俺は結構往生際が悪いんだから」

あんまり良い意味でその言葉は使わないんだけど、まあいいか……

……

屋上の静けさの中、少女はいまだベンチに腰掛けたまま。

【水鏡】
「私のお役目はここまでですね」

誰もいない屋上にポツリと言葉を投げかける、空から返事はなかった。

【水鏡】
「本当に、とっても素敵ですよ……先輩」

……

午後の授業はなんとかよそよそしくならないように接することができた、これも水鏡のおかげだな。

【美織】
「ねえ、マコ……ちょっと良いかな?」

【一条】
「時間は空いてるけど、人前じゃ話せないようなこと?」

【美織】
「うん……できれば屋上で話したいんだけど」

屋上でか、この前と同じ状況だ、違うのは呼び出す側と呼び出される側が違うこと。

【一条】
「わかった、先に行ってるから」

普段通り接することはできてもまだ普段通りの会話をすることはできない、必要最低限の言葉だけを交わして屋上へと向かう。

……

屋上に出てそのまま給水塔の上へと上る、案の定そこには誰もいない。
今日は美織から俺を呼び出した、一体何を云われてしまうのやら。

【一条】
「……」

オカリナを取り出して吹く、そういえば初めて美織と出会ったのはここだった。
ここでオカリナを吹いていると突然後ろから声をかけられて、その声の主が美織だったな。

初対面の俺にやたらと質問をぶつけてきて、俺が逃げて、途中で鉢合わせになって。
今考えると凄い出会いだったんだな、そのころから俺は美織のことを好きだったかどうかはわからない。
それから美織と一緒にいる時間が俺の気持ちを動かしてくれた、全てを拒絶していた俺の心を……

【一条】
「……ふぅ」

パチパチパチ

吹き終えると同時に後ろから聞こえる拍手、初めての出会いと全く同じ……

【美織】
「相変わらず上手だね、オカリナ」

【一条】
「これくらいしか俺にはとりえが無いからね、オカリナの感想を云うために呼んだんじゃないだろ?」

【美織】
「うん、この前マコが屋上で自分の過去のことについて話してくれたじゃない」

【一条】
「過去のことって記憶のことか?」

【美織】
「そのことだよ、その時あたしがずるいって云ったでしょ」

【一条】
「ずるいって云ってたけど、あれはどういう意味だったんだ?」

【美織】
「聞いたままの意味だよ、マコだけ自分のことを話すのはずるいよ、あたしもマコには聞いてもらいたいことがあるんだ。
そのために今日呼び出したんだから」

【一条】
「なるほどな……俺が聞くのには意味があるんだな」

コクンと美織が頷いた、俺が美織にだけ話したように、美織も俺に聞いて欲しいのだろう。

【美織】
「私ね……お父さんいないんだ……」

前に美織のお袋さんに教えてもらったな、美織がまだ小さいころ事故で亡くなったとか。

【美織】
「まだあたしが小さいころに事故で死んじゃったんだ、あたしには理想のお父さんだった。
だけど、理想であると同時にあたしにとってもっとも嫌いな人物だった」

【一条】
「どうして親父さんのことが嫌いなんだ」

【美織】
「昔そのことでいじめられたんだ、あたしにはお父さんがいないってさ……悔しかった。
あたしは悪くないのにどうしてあたしがいじめられなくちゃいけないの?
そう思うと、あたしにはお父さんを悪者にするしかなかった……」

【一条】
「……」

【美織】
「おかしいよね、お父さんは何も悪くないのに……ううん、何も悪いことなんて無かった。
悪いのは……あたしだよ」

【一条】
「美織……」

【美織】
「あんなのお父さんじゃない、あんなのあたしのお父さんじゃない、そう云って小さいころは過ごしてきた
小さいころのあたしにはお父さんは憎むべき以外の何物でもなかったの」

【美織】
「そのことをあたしはなんて思ってたと思う?」

【一条】
「……なんて思ってたんだ?」

【美織】
「……汚点だよ、あたしが産まれてきて人生最大の汚点、実の親でもあるお父さんに対して汚点扱いだよ。
あたしって悪い人間だよね……」

【一条】
「汚点って……」

【美織】
「前にマコが自分はお母さんがいないって云ってたでしょ、その時あたしがマコのことを強いって云ったの覚えてる?」

以前美織にそんなことを云われた気もするな、あの時確か美織は自分のことを……

【美織】
「自分の両親の死とちゃんと向き合って自分なりの答えを出して、そんなマコがあたしにはとても強く感じられた。
あたしみたいに事実から逃げて自分が苦しまない答えを無理矢理作り上げて、そんなあたしって冷たいよね……」

【一条】
「……冷たくなんかないさ」

【美織】
「……え?」

【一条】
「美織は冷たくなんかないさ」

【美織】
「どうしてよ、あたしはお父さんのことを汚点だと思っていたのよ、肉親でもある人をそんな風に考えるなんて。
冷たい以外のなんだって云うのよ!」

【一条】
「じゃあ聞くけどさ、どうして美織は親父さんを悪者にする答えを作り出したの?」

【美織】
「それは……」

【一条】
「前に美織が云ってたよね、冷たい人間は考えることさえしないって、だとしたら美織がそんな答えを出すわけが無い」

【美織】
「……」

【一条】
「美織は親父さんのことが好きなんだろ、でなければいじめられて悔しいなんて思わないさ。
君は冷たい女なんかじゃない、両親のことを心から考えられる優しい女の子だよ」

【美織】
「ま……マコ……」

美織の眼に薄っすらと涙が湧いてくる、辛かったんだろうな、親父さんのことで悩んで大好きな親父さんのことを悪者にして。

【一条】
「それから美織に謝っておかなければいけないんだけどさ、前に美織を家まで送っていった時。
お袋さんに全部聞かせてもらっていたんだ、どうして美織が家に人を招かないのか、どうして美織はいつも明るく振舞っているのか」

【美織】
「そう……なんだ……お母さんやっぱり話してたんだ」

【一条】
「もう自分に苦しむのは止めるんだ、そうでないと親父さんも安心できないだろ」

【美織】
「ううぅ……うわああああぁぁぁぁ……!」

両手で顔を覆い、膝をかがめて美織は泣き出した、これまで内に秘めた苦しみを解き放ったかのように。
大声を上げて泣いた、十数年の苦しみが美織を苦しめていた、そんな泣きじゃくる美織に俺は近づくことなど許されない。
美織が自分の力で苦しみを出し切るまで、俺は美織のことを見守っていよう。

……

【美織】
「ごめんね……それから、ありがとう」

【一条】
「礼を云われることをした覚えは無いよ」

【美織】
「あたしから離れてずっと見ていてくれたでしょ、きっと側にいられたらあたしは優しさに負けちゃってたと思うから」

【一条】
「あれだけ泣いたんだ、もう美織は苦しむ必要なんて無いんだよ、それじゃあ俺はこれで」

【美織】
「ちょっとどこ行くのよ、まだ話は終わってないのよ」

ハシゴにかけた手をおもわず離した、親父さんのことを俺に話すのが目的じゃなかったのか?

【一条】
「話したいことって親父さんのことじゃないのか?」

【美織】
「それもあったけど本当は違うの、もっと大事なこと……」

【一条】
「大事なこと……?」

くるりと街の方へと体を向けて美織は語る、街は薄い夕暮れの色にもう染まり始めていた。

【美織】
「ねえ……マコはさ、どうしてよくこの場所に来るの?」

【一条】
「どうしてって云われてもな、ここは滅多に人が来ないで静かだしそれに……」

【美織】
「……それに?」

【一条】
「この屋上の景色が好きなんだよ、ここは街を一望できるし、なにより空が近いだろ。
空が近いってことはそれだけ空と一体になれるだろ、雲の流れ、風の音、夕日の光、そんなものが一番身近に感じられるから」

【美織】
「夕日の光か、ここは何も遮る物が無いから夕日も綺麗だよね」

美織の云わんとしていることがわからない、一体そんなことを聞いて何になるっていうんだ?

【美織】
「最近思うんだ、あたしはどうして自分に正直じゃないんだろうって、前から気付いてたのに認めなくて
それを認める勇気がなくて、ずっとあたしの中だけで閉まっておこうって思ったけど、やっぱり無理だった。
考えないようにしても自分の中でどんどんと想いは膨らんでいっちゃって、もうあたしには抑えることなんてできなかった」

【一条】
「……」

【美織】
「そんな時だったよ、マコと一緒に買い物に行ってあの映画を見て
映画の中の2人はお互い心に傷を負っていながらも自分の気持ちにはとっても正直で。
あたしもこんな風に気持ちを正直に出せたらって思った、あたしなりに自分の気持ちに正直にしたのがあのキスだったんだ」

【美織】
「あれで決心なんて付いたはずだったのにさ、いざその場面になってみると気持ちを打ち明けることができなかった。
だから、今日はあたしの本当の気持ちを伝えようと思ったの」

俺の方に美織が向き直る、それと同時に夕日が世界の全てを紅く染めていった。

【美織】
「あたしは、マコのことが大好きです」

【一条】
「!……」

サッと吹きぬける風が美織の笑顔と告白を運ぶ、夕日を背に浴びた状態でも美織の笑顔ははっきりと見えた。

【一条】
「どうして……だってこの前……泣いてたんじゃ?」

【美織】
「あたしは泣いていただけで答えを出した覚えは無いよ、これがあたしの本当の気持ち
この前のマコに対する正直な答えだよ」

【一条】
「……美織!」

とっさに駆け出していた、次に気付いた時、俺は美織の体を抱きしめていた。

【一条】
「美織!……」

【美織】
「マコ……」

【一条】
「今の俺にもう冗談だったでは済まないぞ?」

【美織】
「云ったでしょあたしの本当の気持ちだって、好きな人の前でそんな大層な嘘なんてつけないよ」

力一杯に美織の体を抱きしめる、もう手にすることは二度と無いと思っていた人の温もり。
この温もりを確かめるように、この腕の中から消えてしまわないように、きつく美織の体を抱きしめた。

【美織】
「ちょっと痛いよ、でも嬉しいな、心から好きな人にここまでしてもらえて、夢みたいな気分だよ」

【一条】
「それは俺も同じだ、だったら夢か現実か確かめてみようか……少し顔上げてくれるか……」

【美織】
「……」

軽く上がった美織の顔が赤くなっている、これから俺が何をしようとしているのか悟ったのかもしれない。
眼を閉じた美織の体がふるふると小刻みに震えている、そんな美織を安心させるように精いっぱいの優しさで再び美織を抱きしめた。

【美織】
「……ふぅ……ちゅ……」

柔らかい唇の感触が自分の唇を通して伝わってくる、幻なんかではない現実の感覚。
俺の腕に抱きしめられていた美織の腕が俺の腰に回る、美織も俺のことを放さないようだ。

【美織】
「はぁ……ふぁ……ん……ひぁ……」

前にも美織とキスはしている、しかしあの時と決定的に違う所がある。
それはお互いが自分の本当の気持ちで唇を交わしているということ、お互いに愛が存在しているということ。

【美織】
「んん……むぅ……ちゅ……はぁ」

熱い吐息と夕暮れの光の中で、2人は恋人になった、長いトンネルはやっと出口にたどり着いたんだ。

……

どれだけ長い間キスをしていたのだろうか、夕日が最高に紅くなった時間からもう随分経っている。
時間を忘れてしまうほど2人はお互いの存在を確かめた、互いに相手を心から求めている証拠だ。

【美織】
「マコってさ、キス上手なんだね」

【一条】
「そんなことはないだろう、俺は恋の話とかは全く経験が無いんだから」

【美織】
「あたしと同じなんだね、前のマコとのキスさ、あれあたしのファーストキスなんだよ」

【一条】
「俺だってあれがファーストキスだったさ、しかし2回目のキスはえらくディープなキスだったな」

ディープなキスという表現がなんだかおかしい、2人ともくすくすと笑みがこぼれた。

【美織】
「あたしね、いつかマコとこんな関係になりたいって思ってた、だけどどうしても決心がつかなかった」

【一条】
「俺もさ、美織を好きだってわかったのは告白する前日だぞ、たぶんもっと前から美織のことは好きだったんだろうけど」

今は後ろから美織を抱きしめる形で給水塔に背を預けている、手すりが無いので地べたに座って出っ張りに背を預ける恰好だ。

【美織】
「あのね、あたしがマコの気持ちに答えようって決めたのは水鏡ちゃんのおかげなの」

【一条】
「水鏡が?」

【美織】
「水鏡ちゃんに云われたんだ、あれだけ長くマコと一緒にいてまだマコのことを信じれないのかって。
正直そう云われてショックだった、あたしにはマコを好きでいる資格なんて無い、あたしみたいな勝手な女じゃマコには合わない」

【一条】
「そんなこと……」

【美織】
「だけどさ、どうしてもあたしはマコを諦められなかったんだ、マコのことが大好きだったから。
そしたら水鏡ちゃんが自分に正直になるように励ましてくれたんだ」

【一条】
「そうだったのか、実は俺も昼休みに水鏡に励まされたんだ、水鏡にはほどほど頭が上がらないな」

【美織】
「だよね、あの子自分の想いがそこで断ち切られるのも解っていたのにあたしを励ましてくれたんだよ。
あたしには水鏡ちゃんみたいな真似はできないな……」

【一条】
「水鏡の想いがそこで断ち切られるってどういうことだ?」

【美織】
「ほんっとーに鈍感ね、解らないやつは解らなくてけっこうよ、水鏡ちゃんもかわいそうに」

呆れたといった感じで美織は頭を振っている、俺の何が鈍感だって云うんだ?

【美織】
「それで、マコは水鏡ちゃんに何云われたの?」

【一条】
「男が惚れた女のことを簡単に諦めて良いのかってさ、あの言葉が無かったら俺は美織とこうなることも無かったんだな」

【美織】
「なんだか天使みたいな女の子だね、あたしとマコのことをくっつけてくれた恋結びの女の子」

【一条】
「そうかもしれないな、だとしたら恋結びの天使に感謝しなくちゃな」

【美織】
「そうだよね……あなたの分も、あたしがんばるからね」

【一条】
「何か云ったか?」

【美織】
「ううん、なんでもないよ」

くすくすと笑う美織の笑顔がとても眩しい、求めることを許されなかった俺がようやく手にした笑顔。
この笑顔が失われないように、俺は美織のことを愛していこう……

……

【美織】
「それじゃあまた明日ね、バイバーイ」

【一条】
「また明日な」

恋人になって初めて美織とともに帰路を歩いた、お互いにギクシャクすることもイチャイチャすることもなくいたって普通だった。
別れてしまうとなんだか少し物悲しい気分になる、これが恋人って物なのかな……

……

【一条】
「……」

真っ暗な部屋の中、今日1日で劇的に変化した自分の立場を考えていた。
水鏡に励まされて、美織に告白されて、美織と恋人同士になって、キスをして……

【一条】
「全部水鏡のおかげだな……」

俺が美織と恋人同士になれたのは全て水鏡のおかげだ、今度水鏡にお礼をしないといけないな。

【一条】
「……水鏡」

ぼそっと呟いただけのはずが何か引っかかった、本当は結構前から少し不思議な感じはしていたんだ。

【一条】
「水鏡……どこかで聞いたことがある名前なんだよな」

水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡、水鏡

頭の中で名前がぐるぐると回り始める、どこかで聞いたはずなのにそれがどこかは覚えていない。
薄っすらと頭のどこかで引っかかっているのは確かなんだ、一体何に引っかかっているんだろうか?

【一条】
「……止めよう、もう過去に縛られるのは終わりなんだ」

失ってしまった過去よりも美織と作るこれからを考えなくちゃいけないよな。
眼を閉じるのを待っていたかのように、眠気は体を支配していった。





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜