【5月02日(金)〜5月5日(月)】
【一条】
「……」
ぼんやりと天井を見つめたまま時間だけが過ぎる。
全てに対してやる気を失った、器だけが残った抜け殻のような存在。
もう時間は12時を向かえようというのに、俺は朝から何もしていない。
今日は学校だったけど、行く気にすらならない。
……
外はもう夜、結局今日は何もしていない、ベッドから降りてさえいない。
していたのはただ、何も無い天井を見つめていただけ……
……
日付の変化にさえ気が付かない、あれからもうどのくらいの時間が経ったのだろうか。
全ての生気を失ってから2度目の朝、今日から連休に入る。
どうせ連休なんて関係ない、連休だろうがなんだろうが俺には何もすることがないんだから。
……
玄関のチャイムがなんべんもなんべんも喧しく鳴り続ける、玄関まで行くのも面倒なので相手にしない。
やがてチャイムが鳴り止むと1人の男が入ってくる。
【某】
「なんやおるやんけ、なんべんもチャイム鳴らしても出てけえへんからどっか行ったんかと思ったわ」
【一条】
「……」
【某】
「それで、なんで昨日休んだや、風邪でもひいたんか?」
【一条】
「……」
【某】
「おい一条、聞こえとるか?」
男が問いかけてきても返す気にはならない、それよりも男の存在が邪魔だ、早く帰ってくれ。
【某】
「調子悪いんならはよ直せよ、じゃな」
何も答えない屍のような人間に愛想を付かして男は去っていった、これでまた1人静かな孤独な世界が手に入るんだ。
……
夜になっても今の俺には関係ない、辺りが暗かろうが明るかろうがそんなものは意味を成さない。
何もしなくても勝手に過ぎて行く時間にただ身をあずけるだけ。
……
もう何回目の朝だろう、時間の感覚そのものがもうわからなくなっている。
時間が必要なくなってしまった俺には別にどうだって良いことだ。
ベッドで天井を見つめながら、時折腹に痛みを感じるほど空腹になった時だけ適当に何かを胃に放り込む。
男が何人か来て俺のことを哀れむような眼で見ていた、だけどそんなことも俺にとってはどうでも良い。
【一条】
「……」
手を伸ばしてみても二度とつかむことができない嘘、その嘘は俺を再びどん底へと誘っていった。
……
朝と夜のサイクルがうっとうしい、どちらか一方だけならどれほど楽なのだろうか。
今は朝、この朝が現実の物なのか俺が作り出した想像の世界なのか俺にはわからない。
もはや現実世界にいるのか想像世界にいるのかさえわからなくなっている。
ピンポーン
チャイムの音で現実世界だと認識できる、また誰かがやってきたようだ。
来られてもどうせ俺には対応なんてできない、用があるなら勝手に入ってこの屍に告げてやってくれ。
ガチャリと玄関の空く音がして誰かが部屋に入ってくる、誰が来ても反応など全て同じ。
【美織】
「……マコ」
【一条】
「……」
【美織】
「マコ、少しくらい外に出ないと体に毒だよ」
少女は外界との明暗を謝絶していたカーテンをザッと開く、痛いほど眩しい陽の光が眼を襲う。
【美織】
「今日はもう5日、あいつらに聞いたけどずっとこんならしいね……」
【一条】
「……」
【美織】
「何を云っても聞いてないような雰囲気で、魂だけどこかに行っちゃったみたいな感じ」
【一条】
「……」
【美織】
「絶対にそんなことないって思ったけど……本当だったんだね」
【一条】
「……」
【美織】
「……マコ」
どさりと少女の体が半分俺の体に寄りかかってくる
【美織】
「ねえ、眼を覚ましてよ……また前みたいに2人で買い物に行ったりしようよ。
まだあたしはマコに何もしてあげてないんだよ……」
少女の声は涙で震えている、何に対して泣いているのか答えは明白。
彼女は俺に対して涙を流しているんだ。
【美織】
「どうしたら良いの……あたしが……あたししかマコを救えないって云われたのに……
あの子と……約束したのに……」
焦点を失っていた瞳に少しずつ光が甦ってくる。
【美織】
「お願いだよ……あたしを1人にしないでよ……」
少女は俺の胸の上で泣き出した、すると、どこからともなく泣きじゃくる少女の頭へと手が伸びた。
【美織】
「……え」
その手は紛れもない俺の物、そしてそのまま少女の頭をなでる、とても優しく、何度も何度も……
【一条】
「美……織……」
【美織】
「……!」
俺の口は久しぶりに声を発した、それはその少女の名前。
そして……俺がこの世界で唯一心から愛することができる少女の名前。
【一条】
「美織……」
【美織】
「マコ!」
さっきよりも大きく美織は声を上げて泣く、そんな小さな体を両腕で抱きしめる。
【一条】
「……心配かけたね」
それは一時の謝罪と感謝、言葉そのままの意味と、俺を無限の暗闇から救ってくれたことの両方の意味。
最も失ってしまうことを恐れていたこの温もり、美織の言葉で俺は再び温もりを取り戻せたようだ。
……
【一条】
「少しは落ち着いた?」
【美織】
「うん……ありがとう」
美織は体を起こし、涙を指で拭って俺に向き直る。
【美織】
「マコが変だって云うから励ましに来たのに、逆にあたしの方が泣いちゃったね」
【一条】
「美織が泣いてくれたから、俺も現実に向き合うことができたんだよ」
俺も上体を起こして美織と一緒に壁に寄りかかる。
【一条】
「美織の声を聞いて、美織の表情を見て、美織の体温を感じて……
俺が本当に必要としているのは美織なんだって、そう思い出させてくれた。
もう……嘘は必要じゃないんだって……」
【美織】
「……嘘は必要じゃない……水鏡ちゃんのことだよね」
【一条】
「美織、どうしてそのことを……」
【水鏡】
「あの日、屋上で水鏡ちゃんが全部教えてくれたんだ」
……
【美織】
「水鏡ちゃん……それって冗談でしょ?」
【水鏡】
「私はもう宮間先輩たちと一緒にいることはできません、私は存在そのものが嘘ですから」
【美織】
「嘘なんかじゃない、だってあなたはちゃんとこの世に存在してるじゃない」
【水鏡】
「……確かめてみますか」
【美織】
「……あっ」
差し出された手に触れようとして手を伸ばす、しかし、手に触れることはできない。
触れようとすると空気か何かをつかむようにすり抜けてしまう。
【水鏡】
「これが真実、そしてこれが現実なんです……」
【美織】
「嘘だよ、だって前はちゃんと触れたじゃない」
【水鏡】
「……もう遅いんです、私がいただいた時間はもう期限切れなんです」
【美織】
「水鏡ちゃん……」
街の方に水鏡は向き直る、その動作1つ1つがとても痛々しく見える。
【水鏡】
「私が消えたら、たぶん……兄は塞ぎ込んでしまうと思います。
それを救ってあげられるのは宮間先輩、あなただけしかいません」
【美織】
「私にそんなこと……」
【水鏡】
「必ずできますから、宮間先輩はただ1人兄が本気で好きになれた女性なんですから。
その先輩が弱気になってどうするんですか……」
【美織】
「……そうだね、あたしが弱気になってたら水鏡ちゃんにも悪いよね」
【水鏡】
「……宮間先輩」
再び水鏡が向きを変える、その瞳には薄っすらと涙のような粒ができていた。
【水鏡】
「今までありがとうございました、そろそろ私は最後のお仕事をしてきますね……」
【美織】
「本当に……行っちゃうの……」
【水鏡】
「はい、私のことを兄が忘れてしまうくらい、宮間先輩が愛してあげてくださいね。
これから私がすることは、兄を苦しめることにしかならないと思いますから……」
瞳からはもうぽろぽろと涙が溢れていた、その涙の存在も嘘、みんな悲しい嘘。
【水鏡】
「生まれ変われるとしたら……私は兄と先輩の子供として生まれたい……」
【美織】
「水鏡ちゃん!」
最後に水鏡は最高の笑顔で微笑んだ、抱き留めようと手を伸ばすがもうそこに少女の姿は無かった。
紅くなり始めた空が作り出した美織の影法師が1人悲しげに伸びていた。
……
【美織】
「彼女、本当に最高の笑顔だった、自分が消えてしまうっていうのにあんなに良い笑顔で別れを告げて」
【一条】
「それに対して俺なんか笑顔を作ることもできなかった……」
【美織】
「それはしょうがないよ、水鏡ちゃんは最後の最後まであたしやマコの心配をしてた。
そんな少女だからこそ別れ際にあんな顔ができるんだよ……」
【一条】
「水鏡……」
もう失われたと思っていた涙が再び戻ってくる、どうして涙は枯れることが無いのだろう。
【美織】
「……ん」
【一条】
「!」
涙を押し留めるために、美織は唇を重ね合わせた。
【美織】
「……はぁ、マコ、水鏡ちゃんがいなくなったのは紛れも無い事実。
あたしが彼女の代わりになれるなんて思ってないけど、あたしじゃマコの役に立てないのかな」
美織の眼にも涙が溢れていた、それは美織も水鏡のことが好きだった証拠。
【一条】
「……」
美織がしたように、俺も美織の唇を自分の物でふさぐ。
【美織】
「むぅ……ちゅ……んぁ……」
それはお互いを慰めあうようなキス、傷の痛みを共感する者同士だからできる行為。
【一条】
「美織……」
【美織】
「マコ……これだけで終わって良いの?」
【一条】
「これだけって、この先のことを云っているのか? だけど2人ともこんな状態の時に」
【美織】
「こんな状態じゃないと駄目なの、そうでないと2人とも彼女のことを乗り切れなくなるから。
そんなんじゃ、2人とも彼女に泣かれちゃうよ……」
【一条】
「……本当に、良いのか」
【美織】
「あたしはマコの彼女だよ、愛し合う2人に必要なのは言葉じゃなくて行動だよ」
【一条】
「……わかった」
ベッドに美織を横たえた、そんな美織の顔は、これ以上ないというくらい赤く染まっていた……
……
【一条】
「……んうん」
視界がぼやけている、どうやら少し眠ってしまったみたいだ。
【美織】
「マコ、おはよ」
【一条】
「俺寝ちゃったみたいだな、悪い」
【美織】
「ううん……マコの寝顔が見れたからいいよ、かわいい寝顔だったよ」
【一条】
「おいおい……人の寝顔なんかあんまり見ないでくれよ」
【美織】
「ふふふ……ごめんね」
舌を小さくペロッと出して笑う、そんな小悪魔のように美織がとても愛おしい。
【一条】
「……む」
【美織】
「んん……ちゅ……はぁ」
美織の唇をふさいで温もりを求める、外はもう夜という表現がぴったりなほど暗さに満ちている。
【美織】
「ぷぁ……もう、さっきいっぱいキスしたばっかりなのにまだ足りないの?」
【一条】
「さっきって云ってももう結構時間経ったんじゃないのか?」
【美織】
「今が大体10時くらいだから……結構経ってるね」
【一条】
「10時ってそんなに寝てたんだ……それより美織は家に帰らなくて良いのか?」
【美織】
「……どうして女の子にそういうこと云わせるかな、こんな時は大体予測してよね」
【一条】
「……帰らないの?」
【美織】
「帰らないんじゃなくて、帰りたくないの……今日はあたしたちにとって特別な日だから。
そんな日は好きな人と2人でいたいもんだよ」
俺と美織が初めて交わった日、俺も今日は美織とずっと一緒にいたい。
【一条】
「俺からも……帰らないでくれ……」
【美織】
「ふふ……うん」
【一条】
「こんな俺たちを見たら、水鏡のやつヤキモチやくかもな」
【美織】
「だーめ、水鏡ちゃんには悪いけど、マコはあたしのなんだから」
俺の胸に美織が顔を埋める、水鏡、俺たちはもう2人で歩いていけそうだよ……
初めて肌を触れ合わせた夜はしっとりとした幻影の夜、俺たちはお互いの温もりを確かめ合うように。
水鏡の悲しみを忘れるために、いつまでも抱き合いながら夜は更けていく……
〜 N E X T 〜
〜 B A C K 〜
〜 T O P 〜