【4月22日(火)】


【一条】
「……」

今日も目覚ましは鳴りやがった、頭にきたのででたらめに色々と部品を抜いてみた。
一応針は動いているが、もう鳴ることは無いだろう。

【一条】
「最近の時計って丈夫なんだな……」

……

【美織】
「それで時計に八つ当たりしたの?」

【一条】
「うん」

【美織】
「もう子供じゃないんだからどうしてそんなことでムキになるかな」

【一条】
「あの時計少し俺に恨みがあるんだよ、だからどれだけ部品とってもベル鳴らすんだ」

【美織】
「目覚まし時計がベル鳴らすのは当たり前でしょ、いいじゃないそのおかげで毎日寝坊しないんだから」

美織に時計の話をしてみるとそんな返しをされた。

【一条】
「そんなもんかねぇ、そうだとしたら俺はただの……」

【美織】
「莫迦」

【一条】
「……」

ムギィ!!

【美織】
「いひゃいいひゃいいひゃいー!!」

両頬を引っ張ってやる、そのせいで上手く発音が取れていない。

【一条】
「お前はどうして俺のことを小莫迦にするんだ!」

【美織】
「ごみぇん、ごみぇんってびゃー」

両腕をじたばたさせて痛みから逃れようとする、こんな場面ではもっといじめてみたくなるんだ……

【一条】
「……」

頬に上下の動きも付けてみる。

【美織】
「や、ひゃめてー、いひゃいってー!!」

なんか面白いぞ、人の顔ってこんなにも色々と変化を見せる物だったんだ。
次はどんな風にしてやろうか……?

【美織】
「いいひゃげんに、しりょー!!!!」

【一条】
「ふぐぅぅぅぅ!!」

堪忍袋の緒が切れた美織から強烈な平手打ちをもらう、あ、お星様……

【一条】
「ぐうぅぅぅぅぅ……」

【美織】
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……まったくもう」

頬をさすって痛みを紛らわせている、心なしか顔が赤くなってる……?

【美織】
「女の子の顔を気安く触るんじゃないの」

【一条】
「男の頬を思いっきりひっぱたかないでくれ、意識が飛ぶだろ……」

【美織】
「男なんて別に良いの、女の子と違ってお肌もデリケートにできてないし、男は顔より中身でしょ」

見た目とかそういった問題じゃなくてだ、俺は意識のことを云ってるんだけど……

【一条】
「見た目より、中身か……」

【美織】
「だーけーどー、マコは中身よりの見た目の方が良いかもね」

【一条】
「どういうことだよ?」

【美織】
「だってー、マコって中身すっごいくらーいじゃない」

【一条】
「誰が暗いって」

【美織】
「ふぎゅ!」

ポニーテールを引っ張ると重心が後ろにずれてしまったせいかバランスを崩しかける。

【美織】
「もう、くだらない悪戯しないの」

【一条】
「そっちこそ俺を根暗呼ばわりしないでくれよ」

【美織】
「良いじゃないのー、聞き方を変えればマコは褒められてるんだよ」

【一条】
「どこをどう聞いたら根暗が褒められてるって云うんだよ?」

【美織】
「中身よりも見た目って云ったでしょ、後は自分で解読してみなさい」

満面の笑みを残して美織は駆け足で先へ行ってしまった。

【一条】
「中身よりも……見た目……?」

つまりどういうことだ? 中身よりも外見で俺には勝負しろって云うのか……?
……俺を廓と一緒にするな!!!!!

……

【某】
「おはよーさん」

【一条】
「お早う、廓って男は顔と中身どっちだと思う」

【某】
「はぁ? いきなりおかしなこと聞くんやな、せやなー……」

軽く上を向いて考えているが、あっという間に視線が戻ってきた。

【某】
「そりゃーもう顔に決まってるやんけ!!」

親指を立て、白い歯を見せて笑う、なんか思っていた通りの答えだな。

【一条】
「どうして?」

【某】
「どうしてって云われてもなぁ、他のやつはどうだか知らんけどわいの顔には一切の欠点が見つからへんやんけ。
この顔に勝てる輩はそうおれへんで、この顔を使わんかったら神さんに罰が当たるで!」

うわぁ、この男はよく恥ずかしげも無く自分を褒められるな。

【一条】
「云ってて恥ずかしくないか?」

【某】
「恥ずかしいわけあれへんがな、だいたい恥ずかしがってたら負けやで、男は何事にも自信持たなあかんで。
自分にしてもそう、それから、異性に対してもや」

【一条】
「異性に対して?」

【某】
「男は後手に回ったらあかん、男の魅力は攻めにあるんやから、恋も、行為もや」

最初は良いことを云っていると思ったのに、最後の最後でこの男は……
だけど、そうなのかも知れないな……

……

恒例作業ともなった昼休みの屋上訪問、今日も人っ子1人居ない静かな世界だ。
西に目を向けてみたけど水鏡の姿は無かった、俺を苦しめる謎の少女……水鏡。
色々と聞きたいこともあったんだけど居ないんじゃしょうがない、屋上の中央でごろりと仰向けに寝転がる。

【一条】
「最近……どうしたんだろう……」

どうしたとはもう1人の俺のことだ、最近ぱったりと表に出てこなくなった。
勿論出ない方が良いけど、あれだって俺のことを苦しめる謎の1つなんだ。
なんで俺がああなってしまったのか、突き止める手がかりも眠って出てこないとなるともう手詰まりだ。

【一条】
「八方塞だよ……」

空に1つぼやくと同時にギイィと屋上のドアが開く音がする、誰か来た?
仰向けになっているせいで空しか見えない、体勢を戻すのも面倒なのでこのままでいいや。

【美織】
「やっほう」

視界から半分以上の空が消え、代わりに美織の姿が目に入った、よりによって頭の方に立つなよ……

【一条】
「美織……パンツ見えてる……」

水鏡の時と同じだ、目線が低いこともあって美織のスカートの中の白い下着が見えていた。

【美織】
「え、ちょ、ちょっと、ど、どこ見てるのよ、エッチ!!」

慌ててスカートの裾を押さえて下着を隠す、顔はもう恥ずかしさで真っ赤に紅潮している。
やっぱり女の子はこうでなくちゃな、水鏡は下着が見えても少しも気にしてなかったな。

【美織】
「もうぅ、マコのスケベ!!」

【一条】
「そっち側に立つなよ、俺は寝てて目線が低いんだから」

【美織】
「だったらあたしが来たらすぐに起きなさいよ!」

珍しく美織が慌てている、こんな美織を見るのは初めてだな。

【一条】
「美織でも恥ずかしがるんだね」

ゆっくりと上体を起こして立ち上がる。

【美織】
「うぅ恥ずかしいよう、もうお嫁に行けない、責任取ってよねー!」

【一条】
「俺がお前を嫁に貰えっていうのか?」

【美織】
「嫁にって……バカー!!」

【一条】
「あぐあぁ!!」

朝の再現ですか? あ、違った、今度は左の頬にだ……

……

【一条】
「……う、ん」

何か頭の下にもこもこした柔らかい感触がある、俺は何をしているんだ?

【美織】
「あ、気が付いた?」

視界が美織の顔で一杯になる、しかもかなり俺との距離が近いぞ、これってもしかして……膝枕ですか?

【一条】
「うわ、何してるの?」

上体を起こそうとしたら額に手を置かれ静止されてしまう。

【美織】
「急に動いちゃ駄目、気を失ってたんだからもう少しこのままでいるの」

【一条】
「だってこの体勢って少しまずくない?」

【美織】
「あたしは別に気にして無いよ、マコは膝枕とか嫌い?」

【一条】
「……嫌いじゃないです」

【美織】
「だったら良いじゃない、役得なんだからもうすこし堪能してなさい」

そこまで云うならお言葉に甘えて、状態をまた美織の太股の上に戻す、もこもこした感触だ。

【一条】
「俺ってどうなってたの?」

【美織】
「えぇーっと、云い難いんだけど……気絶しちゃったの」

【一条】
「気絶? なんでまた」

【美織】
「あれ? もしかして記憶……飛んじゃった、あたしがその……」

美織がバツ悪そうに頬をポリポリと掻いた、美織が俺に何かしたっけ?……あぁ!

【一条】
「もしかして、平手打ち?」

【美織】
「……うん……まさかあのまま気を失っちゃうなんて思わなくて、その」

【一条】
「そうなんだ、ふーん」

【美織】
「ふーんって、マコ怒ってないの?」

【一条】
「なんでまた俺が怒る必要があるの?」

【美織】
「だって、あたしマコを逝かせかけたのよ、普通だったら怒るんじゃないの……」

【一条】
「普通の人だったらね」

【美織】
「え? それってどういう……?」

【一条】
「さっき美織も云ってたよね、役得って、美織が膝枕してくれてたんなら俺は満足だよ」

【美織】
「もう、莫迦……」

【一条】
「くくく……」

【美織】
「ふふふ……」

【2人】
「あはははははははは」

笑いあった、人間のみにすることを許された行為『笑う』、人間って天神に一番近い生物なのかもしれないな。

【一条】
「それにしても、膝枕なんて久しぶりだな」

【美織】
「彼女とかにしてもらえば良いのに」

【一条】
「その彼女が居ないから困ってるんだろ、膝枕なんてお袋ぐらいしか……」

【美織】
「お母さんにまたしてもらえば?」

【一条】
「よしてくれよ、それに、もししてもらうにも俺にはもうお袋は居ないんだ……」

【美織】
「あ、ごめん……嫌なこと思い出させちゃったね」

【一条】
「別に、お袋が死んだのだって物心付く前の話だ」

【美織】
「そうなんだ……マコは、寂しいって思ったこと無いの……」

【一条】
「あるよ、だけど今は違う、あったって云った方が正しいかな」

【美織】
「……どうして今は寂しくないの……?」

【一条】
「理由なんて無いさ、俺が寂しんだところでお袋が戻ってくるわけじゃない、いつまでもずるずると引きずって殻に閉じこもるのは嫌なんだ
事実を正面から受け止める、お袋のことに関しては俺にはそう考えることができたから……」

あくまでそのことに関してはだ、他のことは俺には正面から受けきる強さが無い、記憶のことや影のこと……

【美織】
「マコは……強いんだね……」

【一条】
「強くなんか無いさ、冷たいんだよ、俺は……」

【美織】
「そんなこと無いよ、冷たい人間はそんなこと考えられない、考えることさえしないんだよ」

美織の顔から余裕が消える、どうして美織がそこまで親身になって俺のお袋のことを考えてくれるんだろう?

【美織】
「冷たいのは……あたしの方だよ……」

【一条】
「え……」

とても小さくか細い声で美織は呟いた、それは俺の耳にすらはっきりとは聞き取れなかった。

【美織】
「あ、そろそろ時間だね、残念だけどお終い」

【一条】
「美織、次の授業ってなんだっけ?」

【美織】
「確か……山家先生の古典だったと思うけど?」

【一条】
「山家先生か……美織、次の時間サボっちゃわないか?」

【美織】
「えぇ! それ、本気?」

【一条】
「本気も本気さ、たまには屋上でサボるのも良いんじゃない? 俺もこの体勢が名残惜しいし」

美織の太股はスカート越しでもほんのりと暖かさが伝わって、もこもこした感触も思いのほか気持ち良い。
できればこの状態をもう少し保ちたいんだけど……無理だよな。

【美織】
「……良いよ」

パァっと美織が笑顔になる、予測していた答えとまるっきり反対の答えだった。

【一条】
「美織?」

【美織】
「こんなに天気が良いのに部屋の中にいたらお日様に悪いじゃない、次の時間、あたしもここでサボるよ」

【一条】
「さいですか、だったら俺も起き上がって……」

【美織】
「だーめ、このままが良いってさっき云ったでしょ、ずっとしていてあげるわよ」

展開が良い方にばかり転がる。

【一条】
「だけど美織は辛くない、人の頭って結構重いだろ」

【美織】
「ぜーんぜん、あたしのなんかで良かったらいつでもしてあげるわよ、だけど、エッチなこととか考えないでよね」

……それは少し無理かもしれない、なるべく考えないように……

午後の授業を1時間だけ投げ出し、2人で春の太陽の下ずっと膝枕の体勢のまま時間を過ごした。

6時限目が始まる前に教室に戻ると山家先生がまだ残っていたのでちびちびと小言を云われたが。
俺も美織も軽く笑ってごまかした、先生には更なる小言を呼びこむ起爆装置になっちゃったんだけどな……

……

いつもと違って屋上には行かず、学校を出る。
昼休みと五時限目を屋上で過ごしたおかげで屋上に行く気が起きなかった。
そんな時はもう1つ俺が行ける場所がある、行ける場所というよりはオカリナを吹ける場所と云った方が良いか。

【一条】
「……」

人間世界から隔離されたような静けさに包まれているもう1つの世界、それがこの川原。

【一条】
「今日は……俺だけか……」

川原に来るといつも決まって水鏡が川岸でたたずんでいたが今日は水鏡の姿は無かった。
水鏡の指定席、川岸から川の方をいつも向いているが一体何を見てるんだろう?

【一条】
「あそこって何かあるのか?」

気になったので水鏡がいつも立っている場所に俺も行ってみる。

【一条】
「……?」

これといって変わったところは無い、川岸から見えるのは水の流れと水底の小石や植物だけ。
今まで気が付かなかったがこの川は透明度が高い、こんな都会の川なのに珍しいな。
それくらいしか発見はなかった、水鏡はこの景色に何を見ていたんだろう?

【一条】
「……俺が考えたってわかるわけ無いな」

あっさりと諦めて当初の目的であるオカリナを吹くことにする。
川原のゆるい斜面まで下がってオカリナを口にする、周りの雑音が無いと音も違って聞こえる。
存在する音はオカリナの音、吹く風の音、流れる水の音、それから俺の呼吸音だけだった。

……

いつもよりも吹き終わった後が心地よい、ごろんと土手に寝そべると赤く染まり始めた空が世界を支配する。

【水鏡】
「誠人先輩」

頭上から水鏡の声がしてがばっと上体を起こす、また下着を見せられちゃかなわない。

【一条】
「や、今日も来たんだ」

【水鏡】
「誠人先輩も、今日は屋上じゃなかったんですか?」

【一条】
「ちょっとした気分転換だよ、ここは音の響き方も屋上とは全然違うからね」

【水鏡】
「屋上のコンクリートの様な硬さがここにはありませんから、音が柔らかく伝わってます」

【一条】
「柔らかくか、あれ? 水鏡はオカリナの音聞いてたの?」

【水鏡】
「はい、ここに来たら先輩がちょうど吹いていらしたので、上の方で聞いていました」

水鏡が俺の横に腰を下ろした、俺と違って水鏡は女の子なんだからハンカチぐらい敷いたら良いのに直に腰を下ろしていた。

【一条】
「別に近くまで来てくれても良かったのに」

【水鏡】
「お邪魔かと思いまして……」

【一条】
「邪魔なわけないだろ、聞いてくれる人がいると俺も気が引き締まるんだ」

【水鏡】
「お邪魔って云うのは……そういう意味ではないんです」

【一条】
「それって……どういうこと?」

【水鏡】
「誠人先輩のオカリナを吹く様子です、先輩の周りの空気と云いますか、空間が少し違うんです」

【一条】
「空間が違う?」

どういう意味なんだろう、俺の周りは何か変なのだろうか?

【水鏡】
「オカリナを吹いている間の先輩はとても寂しそうな感じがするんです、吹き終わった後は普通なんですが
吹いている間だけは、先輩の背中、凄く寂しそうに見えるんです……」

【一条】
「……」

【水鏡】
「……すいません、少しでしゃばりすぎました」

【一条】
「いやいや、そういった感想を素直に云ってくれるのはとてもありがたいよ。
だけど、俺ってそんなに寂しそうに見える?」

水鏡はコクンと1つ頷いた。

【一条】
「そうなんだ、俺ってオカリナと相性悪いのかな?」

音は悲しんでいて俺自身は寂しそうにしている、感情がストレートに出る音楽には俺は向いていないようだな……

【水鏡】
「そんなことはありません、先輩のオカリナの音はとても綺麗です、相性が悪かったら音は歪んでしまいますから」

【一条】
「ありがとう、お褒めの言葉として頂いておくよ」

少なくても水鏡は俺とオカリナの相性を良いと思ってくれているらしな。

【一条】
「水鏡って……」

【水鏡】
「……どうかしましたか?」

水鏡にはどうしても1つ聞きたいことがあった、昨日の屋上での一言。

何故俺の過去を知っているのか?
情報が漏洩することなどありえない、どこでその情報を手に入れたのか聞きたいのだが……

【一条】
「俺と以前どこかで遇ったことあったっけ?」

ストレートに聞くことができない、少し変化球気味に遠回しにしか聞けなかった。

【水鏡】
「……それは……」

【一条】
「……」

【水鏡】
「……無いと思います」

だろうな、思ったとおりの答えが返ってくる。

【水鏡】
「私が覚えている限り先輩と面識はありませんでした、先輩の様な方なら忘れるはずがないですから」

【一条】
「それは俺には変な特徴がありすぎるってこと?」

少し意地悪に訊ねてみる、どんな反応をするんだろう。

【水鏡】
「い、いえ、そういうわけじゃ……」

あ、慌ててる、水鏡でも慌てることがあるんだ。

【一条】
「悪い悪い、ちょっと意地悪だったかな?」

【水鏡】
「誠人先輩」

ムスッと少し拗ねちゃった、拗ねた水鏡もなんかかわいいな。

【一条】
「くくく……」

そんな水鏡の姿を見ているとふいに笑みがこぼれてしまう。

【水鏡】
「先輩? 何かおかしなことでもありましたか?」

【一条】「いやごめん、拗ねた水鏡もかわいいなって思ってさ」

【水鏡】
「もう、からかわないでください」

今度は少し顔を赤くしてツンとそっぽを向いてしまった、これもまたなんとも云えずかわいらしい。

【一条】
「そんなに怒らないでくれよ、かわいいって褒めてるんだからもっと堂々としたら良いのに」

【水鏡】
「私はあまりそういったのには慣れてないんです、かわいいなんて云われたこともありませんから」

【一条】
「それじゃあ俺がその1人目なんだ、水鏡の初めては相手は俺か……」

【水鏡】
「先輩、その云い方は少し卑猥だと思います」

【一条】
「男は皆そんなもんだよ、だけど、少し俺らしくなかったかな?」

【水鏡】
「先輩の本性はそれなんですか?」

【一条】
「な、そういう解釈をするんですか……」

意地悪してるつもりが逆に一言で返されてしまった、しかも俺の本性は変体扱いされている。

【一条】
「……」

【水鏡】
「……」

【一条】
「……私が悪かったです」

【水鏡】
「……はい」

やけに勝ち誇った顔してるぞ、水鏡にも話術では敵わないみたいだ。

【水鏡】
「負けた先輩に1つ質問させてもらいます」

【一条】
「どうぞ……」

何を聞かれるやら、いくつか質問を考えてみたが水鏡の放った科白は再び俺の思考を停止させた。

【水鏡】
「先輩のオカリナ、どうして途中で曲を止めてしまうんですか?」

【一条】
「……え?」

一体何を云ってるんだ? 今まで俺は途中で曲を止めたことは無い、ちゃんと最後まで吹いているんだぞ。

【一条】
「俺はいつも最後まで吹いているけど……?」

【水鏡】
「確信は持てますか?」

【一条】
「……」

確信などあるはずが無い、だいいち俺はこの曲のことを知らないんだ、物心付いた時にはすでに吹けるようになっていた不思議な曲。
誰もこの曲のことを知らなかった、それなのに、水鏡の科白は……

【一条】
「水鏡、君はこの曲のことを何か知っているのかい?!」

【水鏡】
「……思い出してください、その曲の続きを、私が云えるのはここまでです」

水鏡を引き止めてどういうことか聞き出さなくては、呼び止めるために声を発しようと咽に力を入れる。

「待って」

……声は出ない、前に水鏡と出会った時のように、全ての動きが止まってしまった。

機能が停止した肉体をよそに、水鏡は俺の前から姿を消した。

……

【一条】
「……」

家で夕食を食べても、風呂に入っても、テレビに耳を傾けても全く心ここに在らず。
川原での水鏡の言葉、水鏡の言葉に俺の心は持っていかれてしまった。

【一条】
「水鏡は……どうして……」

帰路につく間そのことだけを考えていた、云われてみると以前から少し気になっていた。
あの曲は俺の中では未完成、記憶と共に曲も失われているんじゃないか、そんな風に思うことは何度かあった。
今までは漠然とただそんな気がするんじゃないか、それだけだったのに、水鏡の言葉で全ては確信に変わった。
曲はまだ終わりじゃない、曲の中から忘れられた音符、それは確かに存在する。

だけど……

【一条】
「どうして……水鏡はそのことを……?」

結局はそこに行き着いてしまう、なぜ水鏡はあの曲が未完成なことを知っているのだろう?

……

【水鏡】
「……思い出してください、その曲の続きを、私が云えるのはここまでです」

……

私が云えるのはここまで、ということは水鏡は曲の全容を知っているんだろう。

【一条】
「……聞いたところで、答えてはくれないだろうな……」

水鏡に訊ねたところで答えが帰ってくるはずがない、前置きで云えるのはここまでと云ってるんだから。

【一条】
「水鏡……君は……」

何度となく考えた水鏡の謎、俺が狂ってしまったことや俺の過去を知っていること。
そして今回の曲の件、謎だらけの水鏡の存在が一向に浮かび上がってこない、彼女は一体……

【一条】
「答えは……俺自身で見つけるしかないんだ……」

最終的な答えはいつもこれだ、俺が自分で見つけに行かなくては、宝は歩いてきてはくれないのだから。

キンコーン

【一条】
「ん?」

突然チャイムが鳴る、時間はもう9時をまわっているというのにこんな時間に来客か。
……考えられる人物は廓か二階堂のどちらか。

玄関の扉を開けて来客を確認する、さぁて一体どっちだろうな?
廓の可能性が一番高いと思っていたので予想は廓にたてる、しかし、扉の先には予想もしなかった人物の姿があった。

【萬屋】
「こんばんは」

【一条】
「よ、萬屋さん!」

頭の中で9割方廓、残り1割を二階堂と予想していたので萬屋さんの出現は全くの予想外だった。

【一条】
「ど、どうしたんですか、俺の家になんか来て?」

それ以前にどうして俺の家を知っているのだろう? 
……そうか、探偵にはこれくらいわけのない仕事だよな。

【萬屋】
「少し君に話したいことがあってね、夜分にすまないが訊ねさせてもらったよ」

【一条】
「萬屋さんが……俺に……話ですか?」

【萬屋】
「あぁ、そろそろ君の中じゃ整理がつかなくなってきただろうと思ってね」

【一条】
「……とりあえず、中に入りませんか? あまり綺麗とは云えませんけど立ち話もなんですから……」

【萬屋】
「そうかい? それならお言葉に甘えさせていただくよ」

相変わらずのロングコートにフリース、それに目深にかぶった帽子の人物を部屋に招きいれた。

【一条】
「それで……話って……?」

【萬屋】
「まぁまぁそうあせりなさんな、コップを2つ用意してくれるかい?」

【一条】
「? はい、わかりました」

コップ2つなんて何に使うんだろう? コイン落としでもやるんじゃないだろうな?

【一条】
「お待たせしました」

【萬屋】
「ありがとう、それじゃ話をする前にこれで一杯やろうか」

コートの中から一升瓶がするりと出てくる、コップ2つってまさか……

【一条】
「それって……酒ですか……?」

【萬屋】
「日本酒だよ、一条君も少しくらい酒飲めるだろう?」

【一条】
「少しくらいなら……」

【萬屋】
「少しくらいで良いんだよ、さ、2人で乾杯でもしようじゃないか」

酒を注いだグラスを渡される、酒なんて飲んだら話し合いどころじゃ無いんじゃ……

【一条】
「お話の方は……?」

【萬屋】
「話は逃げやせんよ、それに、少しくらい酔ってないと本音は出てこない物だ」

【一条】
「はぁ……」

【萬屋】
「それじゃ、乾杯」

【一条】
「頂きます」

カキンっと、グラスとグラスが軽く衝突して音が鳴る、萬屋さんが1口酒を飲んだのを見て俺も1口頂く。

【一条】
「あ、美味い」

香り高い水が咽を通り抜けると同時に舌に淡い味を残していく、舌に残った味も僅かな時間だけその場に留まり跡形も無く姿を消す。
まるでその季節季節を生きている草花のような一瞬の晴れ舞台、開花と表現するのがぴったりな酒だ。

【一条】
「これ、美味いですね」

【萬屋】
「ふふ……だろ」

2人は会話も無く、もくもくと酒を咽の奥に流し込んでいった

……

【萬屋】
「さてと、そろそろ本題に入らせてもらって良いかな?」

萬屋さんのグラスが空になると同時に話題を振ってくる、そうだ、萬屋さんは酒を飲みに来たんじゃない。

【一条】
「はい、俺に話したいことって?」

【萬屋】
「色々とあるんだが、先に1つ聞いておく、一条君にとって水鏡はどういった存在だね?」

【一条】
「水鏡……ですか……」

どういった存在と云われても、俺にとって水鏡は謎以外の何物でも無いんだよな。

【一条】
「正直に云わせてもらうと……わからないんです」

【萬屋】
「わからないとは?」

【一条】
「水鏡のことがわからないんです、先日まではごくごく普通の後輩って感じでしか無かったんです」

【萬屋】
「先日までってことは」

【一条】
「今は違います、今は彼女の存在そのものが俺にとってわからない物なんです、俺は彼女との面識はありませんでした。
だけど、水鏡は俺の過去を知っていたんです、この街に来るのは初めてで水鏡が俺のことを知っているはずなんてないのに。
それから、俺の中で水鏡の存在がとても不安定でぼんやりとした感じのものになってしまったんです」

【萬屋】
「なるほどね、面識の一切無かった人物が己の過去を知っているとなれば不思議にも思うわな」

【一条】
「萬屋さん、水鏡はどうして俺の過去を知っているんですか?」

【萬屋】
「当事者でない私に答えられる訳が無いだろう、もっとも水鏡は答えてくれないだろうがね」

【一条】
「……そうなんです」

空になったグラスの底を見つめても答えは見つかるはずが無かった。

【萬屋】
「水鏡のことだから後は自分でみたいなことを云わなかったかね?」

【一条】
「間接的にですけど、そんな感じのことは云われました」

【萬屋】
「どうやら少しずつ紐が緩んできたようだな、箱の中身が明らかになるのもそう遠くは……」

萬屋さんの声は聞き取ることができなかった、とても小さく、聞かせる気が無いように感じられた。

【萬屋】
「では、君に二択で答えてもらいたい、君は奇跡や現実世界ではありえないことは信じるかね?」

【一条】
「俺は……信じますよ」

前に水鏡に似たような質問をされた気がするな……

【萬屋】
「ほう、それを聞いて安心したよ、これで今日の目的は果たせそうだ」

【一条】
「今日の……目的?」

懐から4つ折りの紙をすっと差し出した、なんだろう?

【一条】
「……これ……」

開いてみるとそこには音符が書かれていた、最初はなんだかわからなかったが途中まで音符を見ていくうちに
これが何を示しているかわかった……

【一条】
「これは! あの曲の……」

それは紛れも無い俺がいつも吹いている曲の楽譜だ、手書きで書かれているので題名なんかは書いてはいなかった。

【一条】
「萬屋さん……どこでこれを……?」

【萬屋】
「……」

萬屋さんは目を伏せて何も語らない、いや、語らないんじゃなくて語れないんだ。

キンコーン

またチャイム、萬屋さんに背を向けて玄関まで人を確認しに行く、正直今は誰も来て欲しくない、萬屋さんが居るからな……

【一条】
「どちらさま?」

【某】
「わいやでー、一条ー」

扉の外に見知った顔が1つ、よりによってここで廓登場かよ。

【一条】
「今日は何?」

【某】
「暇やから遊びに来たんや、おじゃましまーす」

良いとも云ってないのにずかずかと入ってくるな! 今俺は取り込み中なのに……
……萬屋さんのことどう説明しようか……

【某】
「なんやマコ、今日は1人寂しく飲んでたんかいな、水臭いでー呼んでくれたらすっ飛んで来たんに」

【一条】
「1人寂しく?」

廓の背中越しに視線を飛ばしてもそこに萬屋さんの姿は無かった。
萬屋さんの姿が無くなった場所の後ろの窓が開いていた、もしかして窓から飛んだのか!!

慌てて窓の外を見るが萬屋さんの姿は無い、家の中に隠れるようなところも無いので萬屋さんはここから飛び降りた可能性しかなくなる
飛び降りれない高さじゃないけど……少し高すぎると思う。

【某】
「1人酒なんて寂しいことせんとわいが付き合ったるさかい飲も飲も、うわなんやこれ初めて見る酒やな」

萬屋さんが使って空になったグラスに酒を注いできゅうっと一杯飲み干した。

【某】
「うわ、うま! こんな美味い酒1人で飲むなんてずるいで!」

1人で飲んではいないがここは1人って云った方が丸く収まるか。

【一条】
「お前に云ったら全部飲むだろ……」

【某】
「つれないなぁ、そんなこと云わんと一条も飲も、ままぐぐっと」

消えてしまった萬屋さんの代わりに廓と酒を飲み交わす。
日付が代わるころまで廓と酒を飲んだ、平日なんだからこんな遅くまで人の家に居るなよ……

萬屋さんが残していった楽譜が気になったが今日は深く考えるような体力が残っていない。
明日、萬屋さんに出会ったら改めて聞いてみよう。
思考が停止すると深いまどろみの中へと全てが飲み込まれていった。





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜