【4月21日(月)】


ジリリリリリリリリ

目覚まし時計が鳴っている、おかしいぞ、この前さらにギアを1つ捨てたというのに。

【一条】
「タフな時計だな……これでどうだ」

内部からネジを1つ失敬してゴミ箱に放り投げる、今度こそあいつも息を吹き返さないだろう。
何度もゾンビのごとく復活する時計との勝負もこれで幕となるだろうな。

【一条】
「寝た気がしないな……」

昨日床に入った後も美織のことを考えていた。
夕暮れの部屋で美織のことを抱きしめた、何度も何度もそのことがフラッシュバックして眠るどころじゃない。
学校で美織に会ったらどんな顔したらいいんだろう? いっそのこと今日は休もうか……

【一条】
「休んだって一緒だよな……」

今日休んだってその次の日に絶対に美織とは顔を合わせなければならない。
どうしたって美織と会わないなんてことはできないんだから大人しく学校に行こう。

……

家を出る前に鏡に向かって不自然じゃない表情の練習をしてみたがどうも上手くいかない。
引きつったような顔になったり、危ない顔になったりして結局駄目だった。

【一条】
「がんばれ俺、間違っても声が上ずったりするなよ……」

自分に暗示をかけるように呟いてみる、まぁ気休めにしかならないんだけどね。
だけど、どうして俺は美織のことを抱きしめてしまったんだろう?
あれから良く考えてみるとおかしなところがある、なぜ美織は俺に手を上げなかったのだろうか?

以前耳に息を吹きかけたときは怒り心頭で俺を追い掛け回したというのに、あのときは抵抗すらしてこなかった。
突然のことで何もできなかったのか、もしくは……正直考えたくないが。

もう1人の俺の存在に脅えていたか

どちらにしても美織の行動と合致してしまうからどうしようもないんだよな。
一体どうしたもんか……

【美織】
「どっかーん!!」

【一条】
「ぬおぁ!!」

背中に大きな衝撃、強く背中を押された、勿論そんなこと予測していなかったので地面と激突する。

【一条】
「くうぅぅぅぅぅぅぅぅ」

顔がとても痛い、正面から地面とディープキス、口の中に砂と血の味が広がる。

【美織】
「あ……」

よろよろと立ち上がって俺を倒した要因を探すと……最悪な展開だな。

【一条】
「いきなり背中を押すとはとんだご挨拶だな……」

【美織】
「い、いやーまさかあんな綺麗に倒れるなんて思ってもみなくて」

まだ心の準備もできていないというのに美織と遭遇してしまった。

【一条】
「朝からずいぶんとハイテンションなんだな」

【美織】
「あたしがハイテンションなんじゃなくてマコがテンション低いのよ、少しはあたしの元気を見習ったらどうなの?」

【一条】
「元気すぎる俺を想像してみろ、多分無理だとは思うけど……」

【美織】
「あたしみたいに元気なマコか……ああぁ駄目だ、あたしと同じようなマコじゃ調子狂っちゃう」

【一条】
「だろ、俺は今のままでいいの、これが俺であってそれ以外は俺じゃないんだから」

それ以外か、今もう1人の存在を否定した、云い換えれば自分そのものを否定したも同じこと。

【美織】
「マコは今のくらーい方がいいみたいね、そうじゃないと皆おかしくなっちゃうわ」

【一条】
「別に暗くはないだろ、おかしくなるのは廓だけで十分だ」

【美織】
「あはは、そうかもね」

美織は昨日のことを微塵も感じさせないいつもの美織だった、だから俺も声が上ずったりすることはなかった。
昨日のことを気にしてないようなら俺も楽だ、いつもどおり美織に接することができそうだな。

……

なんの変化もないいつもの態度、声をかけることができなかったから手を出してみた。
結果はマコが痛がっている、悪い方向に流れてしまったようだ。
だけど、マコはいつもと同じだった、それなのにあたしだけおかしな態度をとるわけにもいかない。
いつもと同じように、昨日のことを気にしてはいけない、それがどんなに大切なことだとしても、今はそっとしておこう。

互いにいつもどおりを装って今日がスタートする、そう、いつもどおりを装って……

……

【某】
「おはよーさん、最近お前ら一緒の来とるな」

【一条】
「偶然だろ、学校までの道もほとんど一緒だから毎日遇っても不思議じゃないさ」

【某】
「せやけどわいとは全然一緒にならんやんけ」

【美織】
「あんたが早すぎるのよ、学校始まる一時間も早く来て何の意味があるのよ?」

【某】
「よくぞ聞いてくれた、わいが早く来る理由それはずばり……!!」

【一条】
「遅刻が怖いから朝早く起きて来てるとか云わないだろうな?」

【某】
「いやー、もう桜も散り始めたなー」

図星のようだ、突然話題を変えすぎじゃないかい?

【一条】
「桜の季節ももう終わりだ、俺がここに来たときは満開だったな」

【美織】
「もうマコがここに来てから2週間ぐらいか、早いねー」

【某】
「何年寄り臭いこといっとんねん、まだ2週間や、この学校の謎を知るにはあと数ヶ月は必要やぞ」

【一条】
「この学校って何か謎あんの?」

【美織】
「あたしは知らないわよ、ここに謎らしい謎は無かったと思うけど」

【某】
「この学校にはな、地球に存在する3794の謎の内20〜30がこの学校のどこかに……」

【一条】
「つまるところ口からでまかせだったわけだ」

【某】
「なっ! どうしてばれたんや!」

【2人】
「誰でも気付くわー!!」

二段構えの衝撃が廓の額と後頭部におみまいされた。

【某】
「そ、そんなにおこらんでも……」

【美織】
「はぁ、信じたあたしが莫迦みたいじゃないの」

【一条】
「廓の口から出る言葉に信じて良い事なんてあるのか?」

【美織】
「9割方信じた方が莫迦見るわね……」

九割方って……ほぼ100%こいつの云ってることは信じれないようだ。

【一条】
「しかしまぁ3794の謎って誰が見つけたんだか」

【美織】
「え? それって本当なの?」

【一条】
「ああ、確か何かの本に書いてあったと思うけど……」

記憶が無いから確信は持てないけど、誰かがあったって云ってたような、誰だっけな……?

……ああ! 思い出した、新藤先生だ。

以前病院で先生がそんな話をしてくれたっけ、ネス湖のネッシーだのチュパカブラだのと。

【美織】
「へぇー、マコってそっちの方も興味があったんだ」

【一条】
「俺は特に妙味無いよ、だけど、俺の恩人の人がそういうの好きでね」

【美織】
「マコの恩人?」

何か考えをめぐらせているようだが当然解るはずもない、新藤先生のことは誰にも話していないんだから。

【一条】
「俺のことはどうでもいいんだよ、それよりこいつどうする?」

【美織】
「授業が始まればそのうち眼が覚めるでしょ、放っておきなさいよ」

机に突っ伏したまま廓は2時限目まで起きなかった。

……

【一条】
「大量大量、今日はなんて良い日なんだ」

今日は月曜日、購買でスペシャルが出る日だ、800円もするあれを手中に収めるのはそれなりの苦労が……無いんだよな。
先日、廓と二階堂の決闘を見た時に廓は何かおごるって云った、それを今日利用させてもらったわけだ。
いやいや云っていたが自分の口から出た言葉には責任を持たないとな、それでスペシャルが俺の手の中に。

【某】
「たく、何も今日おごらせんでも良いやろが」

【一条】
「なるべく高い方が気分が良いだろ、代わりにクリームパンおごったろ?」

先週と同じクリームパン、あれは俺にとって敗北の味なんだ、廓も味わえ。

【一条】
「ただいま、おっちょうど勇もいることだし、勇今日の飯は終わった?」

【二階堂】
「いやまだだが?」

【一条】
「良いタイミング、これ1つあげるわ」

二階堂の机の上にハンバーガーをポンと落とす。

【二階堂】
「これは?」

【一条】
「廓のおごってくれたパン、俺1人じゃ3つも食べれないからお裾分け」

【某】
「ちょっと待てー!! 3つ食べれへんのになんでスペシャルおごらせたんや!!!」

【一条】
「金を出すのは俺じゃないんだからなるべく高い方が良いと思ってね、そんなわけでそいつは受け取ってくれ」

【二階堂】
「悪いな、頂戴する……」

【某】
「ああぁぁー、1個分損したわー」

【一条】
「そんなにしょげるな、いつかまた良い事あるって」

【美織】
「あーもう、今日も良いパンは全部売り切れ、やんなっちゃう」

ぶつくさと文句をたれながら美織が購買から戻ってきた、手にはパンを持っていなかった。

【一条】
「どうしたのさ、パン買わなかったの?」

【美織】
「買おうにもパンが無いんじゃない、後1歩のところで完売するなんて、これじゃお昼抜きよー」

シクシクと泣いている、今日は本当に都合が良いな。

【一条】
「これでも食って元気出せ」

眼の前にピザトーストを置くと美織の眼の色がパァっと変わった。

【美織】
「ホント! 貰っちゃって良いの?」

【一条】
「1人じゃ食いきれないからあげるわ、調理パンだから腹も膨れるだろ」

【美織】
「ありがとー、それじゃお言葉に甘えて、いっただきまーす」

パンにかじりつく、女の子なんだからもう少しおしとやかに食べたら良いのに。

【某】
「いーちーじょーうー!!」

【一条】
「おごった物に対して女々しいぞ、これは俺が食うから心配するなって」

【某】
「2個分の無駄な出費……破産するわー」

パン2個で破産する経済状況ってまずいんではないんですかい?。
残ったサンドイッチを俺も食べる、購買で売ってるものにしては美味い、これがスペシャルの力なのか。

……

【一条】
「今日も屋上は貸切状態か……」

相変わらずの人気の無さ、ここで見たことある人物は美織に音々、廓、二階堂それから水鏡だけ。
それ以外の生徒がここにいるのを見たことは無い、立ち入り禁止とかじゃないだろうな?

【一条】
「人が少ない方が俺にとってはありがたいけどな」

いつもどおり給水塔に登って街に視線を向ける。
そういえば、前に水鏡が西側から大事な物が見えるって云ってたな。
給水塔の上からだと全部見えるんだが、あえて西側だけに注目してみた。

【一条】
「……一体何が大切だって云うんだろう??」

そこから見えるのは佇む家々や木々の群れ、特別珍しい物は見えないな。
後は小さくあの川原が見えている、だけど大事な物が川ってことは無いだろう。

【一条】
「俺なんかにわかるわけ無いか……」

水鏡の心を読めるわけがない、頭を振るって自分のしようと思っていたことに意識を集中させる。
当然のことながら、ここに来た理由はオカリナを吹くことなんだけど……

屋上で吹くのは久しぶりだ、屋上の静寂と一体になってオカリナの音を紡ぐ。
今までと変わらないオカリナの音、音それ自体は澄んでいても音を作る人間は澄んでいない。
水鏡の科白が頭の中に思い出される、なぜ水鏡はそんなことがわかったんだろう。
俺はどこかで悲しんでいる……紛れも無い事実なんだろう。
オカリナが終わると屋上は一段と静寂が身に突き刺さるように感じた。

【一条】
「……あれ……俺……どうしたんだろう……?」

頬に冷たい筋ができ上がる、触れてみるとそれはしっとりと湿り気を帯びた1本の筋。
頬を伝う涙が残した軌跡、俺は無意識の内に涙を流していた、前にもこんなことがあったな。
あの時はそれを水鏡に見られて必死で弁解しようと何度も試みたっけ。

……結局そのことを水鏡には説明してなかったな。

【一条】
「もう忘れてるよな、俺が泣いてるところなんて」

【水鏡】
「誠人先輩」

【一条】
「はいぃ!!」

心臓が止まるかと思った、まさか今回も水鏡が俺の前に現れるとは。

【一条】
「ど、どうしたのこんなところで?」

上ずってしまった声をなんとか平常に持ち直して振り返る、ここで俺は1つミスをした。

【水鏡】
「先輩……泣いてらしたんですか?」

しまった、声だけに気を取られて涙の痕を拭い去るのを忘れていた。

【一条】
「いや、これは……」

【水鏡】
「隠さなくてもいいです、先輩だって人間なんですから泣くことだってあります」

腰を下ろしていた俺の横に水鏡も揃って腰を下ろした。

【水鏡】
「人間は強い生き物じゃないです、何かに感激したり、何かに脅えたり、不意に泣いてしまうことだって不思議なことではありません」

ポケットからゴソゴソとハンカチを取り出して俺の頬にできた涙の奇跡をふき取ってくれる。
普段の俺なら止めてくれとか云いそうだが、どういうことか水鏡の行為に拒絶を示すことはなかった。

【一条】
「なんか恥ずかしいな、女の子の前で泣いてるところを見られるなんて」

【水鏡】
「すいません、余計なところを見てしまいました」

【一条】
「水鏡が謝る必要なんて無いさ、俺が勝手に泣いていただけなんだから」

【水鏡】
「癇に障るかもしれませんが宜しいですか?」

【一条】
「よっぽどのことじゃないと俺は怒らないから、どうぞ」

【水鏡】
「……以前も……泣いていらっしゃいませんでしたか?」

【一条】
「……やっぱり覚えてたんだ」

忘れたと思っていたのは俺だけで水鏡はしっかりと覚えていた、そりゃそうだよな。

【一条】
「あれが水鏡との初めての出会いだったね」

【水鏡】
「……そうですね」

表情をうかがうことはできなかったがなんとなく水鏡の声が重いような感じがした。

【水鏡】
「誠人先輩はあの時、なぜ泣いていらしたんですか?」

【一条】
「なぜって云われると困るんだけど……理由ははっきりしないんだ」

【水鏡】
「はっきりしない……?」

【一条】
「うん、あの時も、それからさっきも特に何か悲しいことがあったりした訳でもないのに無意識に泣いていたんだ。
おかしいだろ、普通は何か感傷的なことがあったりして涙は出るはずなのに、俺にはそれが無かった」

【水鏡】
「……」

【一条】
「最初の時は学校から帰る人や部活をしに行く生徒を見ているだけだったのに、そんなことで泣いてしまっていたんだ。
そんな日常的な光景を見ているだけで俺の眼からは涙が落ちていた、俺にはそんなことをする権利が無いから……」

権利なんてあるわけない、俺は人間の器としてあまりにも危なっかしく、とても脆いものだから。

【水鏡】
「……誠人先輩」

不意に隣に座っていた水鏡が俺の頭を抱きしめた。

【水鏡】
「怖がらないでください、大丈夫です、誠人先輩ならきっと大丈夫ですから」

【一条】
「水鏡……」

水鏡の抱擁はとても暖かく、とてもやさしさに満ち溢れたものだった。

【水鏡】
「大丈夫、大丈夫ですから、自分を見失わないでください……」

【一条】
「……ありがとう……っ……」

また涙が溢れてくる、今の俺はとてつもなく弱い存在、他人の前でこんな弱い自分と対峙したのは初めてだった。

……

【一条】
「ははは、今日は変な所ばかり見られてる気がするな」

【水鏡】
「そんなことはありませんよ、これも人間の証です」

【一条】
「人間の証か……水鏡、俺も1つ聞いても良いかな?」

【水鏡】
「なんでしょう?」

【一条】
「水鏡にとって、人間ってなんだと思う?」

【水鏡】
「人間……ですか……? 難しい質問ですね」

困ったような表情を見せてしばし考えをめぐらせる、一体水鏡の中ではどんな考えがまわっているのだろうか?

【水鏡】
「今の私にはちょっと答えられません、漠然と人間そのものを考えるのは難しいです」

そうかもしれない、この世に人間の本質がわかる人がいるとは思えない、人は皆、時間の彷徨い人なんだ。

【水鏡】
「どうして、そんなことを聞いたんですか?」

【一条】
「なんていうかな、人間がなんだが解れば自分が自分でいられる気がしてね……」

【水鏡】
「どういう意味ですか……?」

【一条】
「俺はね、他の人と違ってちょっと心身共に不安定なんだ、そのせいで時折考えちゃうんだよ自分の存在理由を」

心は失ってしまった記憶、身は体の中にいるもう1人の自分、その2つが俺を苦しめる。

【一条】
「自分はこの世界に存在しても良いのだろうか? 何のために俺はここに存在しているんだろうってね。
そう考えるとむしょうに怖くなるんだ、人間の存在そのものが、俺という個人そのものが……」

【一条】
「いつか俺は壊れてしまうんじゃないか、水が並々と入った瓶を割れば水は全てを力に変えて流れ出す。
俺もそんな瓶と同じになってしまうのか、自分の存在に脅えるなんて変なのかもしれないけど
俺はそんな考えを思い浮かべてしまうんだ」

はははと苦笑をしてみせる、前者は心、後者は影を表している。

【水鏡】
「……」

【一条】
「笑ってくれてもかまわないよ、自分でも何を話しているんだか解らなくなってきた」

【水鏡】
「先輩は……」

【一条】
「うん?」

【水鏡】
「誠人先輩は……優しい人なんですね」

【一条】
「どういうこと?」

それに対する答えを聞く前に水鏡は立ち上がった。

【水鏡】
「誰でも先輩のようになってしまったら自分を恐れてしまうと思います、だけど心配しないでください、先輩ならきっと大丈夫です」

水鏡は励ましてくれている、そう思っていた。

しかし、次の一言で……

俺の体は凍りついた……

【水鏡】
「誰だって過去の記憶を失ってしまっては、脅えることしかできないんですから……」

【一条】
「え……?」

体が動かない、あまりのでき事に俺の中で全てが止まってしまった。
思ってもいなかった一言、俺を見えない鎖でがんじがらめにする言葉の拘束具。

体が流れを取り戻した時、そこにはもう水鏡の姿は無かった……

……

いくら考えてもわからない、なぜ水鏡は俺の秘密を知っているのだろうか?
記憶を失ったことはここでは一切公言していないのに、水鏡はそのことを知っていた。
俺が記憶を失ってしまったことを知っているのは親父と新藤先生の2人だけ、情報が漏れるはずは無いんだ。

【一条】
「いったいどうして……」

宝箱の鍵穴がまた増えた、当然それを開けるための鍵はまだどこか俺の知らない所で彷徨っている。

【一条】
「どうしてこうなっちゃうんだろうな、謎を紐解こうとすると余計謎は濃さを増していく。
いつまでたっても一向に解決しないんじゃ俺ももたないぞ」

考えることが多すぎて休まる時間が無い、たまには何も考えないでのんびりと1日を過ごしてみたいと思う。

【美織】
「マコ」

【一条】
「なんだ美織か、何か用?」

【美織】
「用ってほどのもんじゃないよ、一緒に帰ろうと思ってさ」

【一条】
「そっか、別に寄る所も無いし、一緒に帰るか」

【美織】
「うん」

並んで学校までの道を逆に歩く、美織と一緒にいても考えるのは水鏡のことだった。

【一条】
「美織、少し相談に乗ってくれるか?」

【美織】
「マコからそう云うなんて珍しいね、あたしで力になれることだったら力になるよ」

【一条】
「ありがとう……変な事かもしれないんだけど、美織って問題に直面したらどうやって解決する?」

宝箱の鍵を見つける手立てが欲しかった、他人の知恵を借りるのもルール違反じゃないよな。

【美織】
「問題に直面したらか……あたしは自分のやれることと考えられる可能性は全部試すかな。
それでも駄目だったらそのことは考えないようにする、あたしの理解を超えたものをあたしが解決するのは不可能なんだから」

なんとも美織らしい、真っ直ぐでサバサバした考えだ。

【一条】
「つまり自分の限界にぶつかったら潔く諦めろってこと?」

【美織】
「そんなところね、無理なことをいつまでもうじうじと悩むのはあたしらしくないし、だいいち楽しくないじゃない。
一度きりの人生楽しく生きなきゃ損だよ、人の価値はどれだけ生きているうちに楽しむことができたかなんだから」

【一条】
「楽しく生きる、美織らしいな」

【美織】
「何も考えないでただいたずらに生きても良い事なんて無いよ、若いうちは楽しめるだけ楽しむ、あたしの信条なんだ」

【一条】
「美織って何も問題無さそうで羨ましいな」

【美織】
「あーそれってシンガーイ、あたしだって悩み事の1つや2つあるわよ」

【一条】
「本当に?」

【美織】
「本当よ……だけど、そのことについてはもう考えれないんだ」

さっきまで明るかった美織の表情にサッと影が差した、どうやら美織の問題は自分ではどうすることもできないことらしいな。

【一条】
「そんな暗くなってたら美織らしくないぞ、予定を変更して喫茶店でも行くか?」

【美織】
「……そうだね……よし、今日こそ『マロン』に行こう」

【一条】
「マロンってこの前行きそびれた喫茶店のことか」

【美織】
「そう、あこのイチゴパフェ食べに行こう、前はマコがドタキャンしたせいで行けなかったんだから」

【一条】
「俺がいなくても3人で食べに行けば良かっただろうが」

【美織】
「だーめなの、あの2人がパフェ食べてるところなんか想像できる?」

【一条】
「あいつらが喫茶店でパフェ……」

……考えるのが怖い、廓はなんとか想像できるが、二階堂は……
考えたら二階堂の使い魔が俺を粛清にしやってきそうだ。

【一条】
「無理でした……」

【美織】
「でしょ、あいつらはそこらへんでラーメン食べてる方がお似合いなのよ」

【一条】
「納得……ちょっと待てよ、俺も一緒に行くってことは……」

【美織】
「当然、マコもイチゴパフェ食べるのよ」

それはいかんだろ、もういい歳の男が喫茶店でパフェ食べるなんて、誰かに見られたら俺はもうお終いだ。

【一条】
「い、嫌だ! 俺はまだ人から冷たい眼で見られたくない!」

【美織】
「なーに焦ってるのよ、マコならあの2人よりもマシに見えるから大丈夫よ」

あいつらよりマシに見えるだけで本質的なところは何1つ良くないじゃないか。

【一条】
「俺帰るわ!」

【美織】
「待て! 逃げるなー!!」

首根っこをムンズと捕まれて捕獲されてしまう、あぁ俺の未来はここで潰えた、もう商店街に顔出せないよ……

……

【美織】
「命拾いしたわね」

にははと悪戯っぽく笑ってみせる、なんとかこれからも商店街を歩けそうだ。
『マロン』のイチゴパフェは相当の人気商品らしく俺たちが来た時には売り切れ間際だった。
美織が1つ注文したところで天の導きか、最高のタイミングで完売した。

【一条】
「もう諦めていたよ……」

【美織】
「だけど残念だな、マコがパフェ食べてるところ見損ねちゃった」

【一条】
「見てくれなくて良い、どうせもう食べることも無いだろうし唯一のチャンスを逃したな」

【美織】
「そう云われるとどうしても食べてるところが見たくなるのよね」

【一条】
「人間の悲しき性だな、代わりに俺が紅茶を飲むところでも見てろ」

【美織】
「そんなのつまんないー、昨日マコの家で見ちゃったもん」

昨日という単語を聞いて急に恥ずかしくなる、当然夕暮れの時間のことだ。
なるべく意識しないで来れたが2人になってしまうとどうしても思い出されてしまう。

【一条】
「昨日は本当にありがとう、おかげで突然の過労で倒れることも無いだろう」

【美織】
「あれぐらいで喜んでくれるならあたしも嬉しいよ、また教えに行ってあげようか?」

【一条】
「いや……まだ来られても、少しくらいは上達してからにしてくれないか」

【美織】
「それもそうだね、あ、パフェきたみたい」

【店員】
「お待たせしました、当店の一押しイチゴパフェになります」

【美織】
「ありがとうございまーす」

「ごゆっくり」と店員は云い残して奥に引っ込んでいった。

【一条】
「へぇー、意外と綺麗なもんだな」

よくショーウィンドウで見るメガホンのような器の中に、クリームと苺が何層にもなって見た目にも鮮やかな色彩だ。
てっぺんには縦割りにされた苺とチューブで搾り出されたクリームがまるでアートの様になっていた。

【美織】
「綺麗なだけじゃないの、味だって最高なんだから」

スプーンでクリームと苺を絡めて口へ運ぶ。

【美織】
「うぅーん、いつ食べてもここのは一味違うわねー」

【一条】
「どこで食べてもパフェなんて同じじゃないの?」

【美織】
「それは素人の考え、厳選された苺、クリームの甘さの加減、トッピングの使い方。
それら全てのバランスが確立されてるの、いわば苺とクリームのバランスが黄金比なのよ」

空いている手で拳を作って力説されてもなぁ、俺には甘い物はよくわからないから……

【店員】
「お待たせしました、紅茶のお客様」

【一条】
「あ、俺です」

店員はまた「ごゆっくり」と一言残して奥に引っ込んだ。

【美織】
「ここはケーキが美味しいお店なのになんで紅茶しか頼まないかなぁ」

【一条】
「俺はあんまりケーキとかの柄じゃないだろ、正直この店の中にいるだけでも少し浮いてるだろ」

【美織】
「そんなことないよ、このお店ってねよくカップルで賑わってるんだよ、だから男の子がいても全然不思議じゃないの」

それはあくまでカップルの話だろ、俺たちはカップルじゃない。

【一条】
「そんなもんかねぇ、それよりも、美織のほうこそ何か飲み物頼まなくていいの?」

イチゴパフェにはアイスクリームが入っている、それなりの量があるから暖かい物がないと腹が冷えるぞ。

【美織】
「パフェと他の物を一緒に採るのは邪道よ、コーヒーなんかで余計な味を加えたら失礼でしょ」

【一条】
「失礼とかそういう問題じゃ……」

【美織】
「あたしにとってはそういう問題なの」

こういったところで人間性格が出る、美織は自分で決めたら一直線で1つの答え意外は追求しないようだ。
苺とクリームとアイスを美織は胃に納めていく、女の子はどうして甘い物に目がないんだろう?
紅茶を口にしながらそんな考えをめぐらせていた。

【一条】
「甘い物か、俺にはほとんど無縁の物なんだろうな……」

【美織】
「そう思うんだったら少し食べてみたら、はい」

スプーンに苺……クリーム……アイスを上手い具合に乗せてこちらに差し出す。

【一条】
「いや、俺はいいって……」

【美織】
「食べもしないで自分とは無縁って決め付けちゃ駄目、ほら」

これはどうも美織の性格上、食べないことには終わらせてもらえなそうだな。

【一条】
「わかったよ、少しもらえるかい」

【美織】
「ふふふ、はい、あーん」

よりによって食べさせられるんですか、さすがに恥ずかしすぎてそんなことはできないぞ。

【一条】
「自分で食べれるから、男の俺にこんなところで恥ずかしい思いさせる気か?」

【美織】
「あーん」

させる気みたいですね、逆らって自分に利益があるわけでもなさそうだし、早く食べないと視線が注目しだす。

【一条】
「……あー……うぐ、むぐむぐ……」

大人しく美織に食べさせてもらうかっこうになる、人生でここまで恥ずかしいと思ったことはない。

【美織】
「どう、マコも美味しいと思うでしょ?」

【一条】
「んぐ……あら、美味い……」

甘すぎずかといって甘さが足りないわけでもなくそれぞれのバランスが取れていて、思っていたよりもずっと美味い。

【美織】
「でっしょー、マコも少しは甘いものの良さが解った?」

【一条】
「少しはな、だけどこれ1つ全部食べるのは俺には無理だな」

【美織】
「多分そうだろうね、女の子向きの味だし男の子はちょっときついかな」

美織は美味しそうにパフェを減らしていく、その様子を見ていて少し気恥ずかしくなる。
俺がスプーンに口を付けたってことは、美織とは間接キスになるんだよな……

……当の美織は全然気にしていないみたいだけど。

……

【店員】
「ありがとうございました」

店を出るともう空には赤みが濃く色を染めていた。

【一条】
「腹の方は大丈夫なの?」

【美織】
「当然、あれくらいでお腹壊すような柔な体じゃないわよ」

両腕に軽く力を入れてガッツポーズをとる、そういった仕草も美織らしい。

【美織】
「それよりも本当に良いの、おごってもらっちゃって」

【一条】
「昨日のお礼だよ、それほど高くもないし、こういったところでは男がおごるのが普通だろ?」

【美織】
「どうなのかな、まあいいや、ごちそうさま」

ペロッと舌を出して子悪魔の様に微笑する。

【一条】
「さて、もう遅いし帰るとしますか」

【美織】
「うん」

すると美織は俺の片腕に自らの腕を絡めてきた。

【一条】
「うわ、な、何?」

【美織】
「おごってもらったお礼だよ」

お礼にお礼で返されたら次はどう返せばいいんだよ、それよりもこの体勢はまずくないか……

【一条】
「誰か知り合いに見られるかもしれないぞ?」

【美織】
「別に良いじゃない、見せ付けてあげれば」

【一条】
「見せ付けてあげればってあなた……」

俺はかまわないんだが美織の方は少し体裁が悪くなると思うんだけど。
以前デパートで同じようなことがあったけどあの時は互いに私服だったから良かったものの、今は制服なんだぞ。

……

【美織】
「あたしはこの辺で、じゃねー」

結局わかれ道まで美織とは腕を絡めたままだった、少しは俺が男だって意識してくれよ。
こっちは心臓の鼓動が上がってるっていうのに。

【一条】
「……」

1人の静けさが訪れると同時に1つの謎までも甦ってきた。

【一条】
「……水鏡」

水鏡という少女、俺を狂わせる不思議な少女、俺の秘密を知っていた不思議な少女。
彼女は一体何者だというのか、どこかで俺と面識でもあったのか?
そんなはず無いか、それだったら名前くらい知ってるよな。

【一条】
「答えはどこにあるんだよ……」

無数の鍵と鎖でがんじがらめにされた水鏡という人物、開ける鍵も鎖を断ち切る物も無い。

【一条】
「俺には水鏡を知るすべなんか1つも無いんだよな……」

赤みがさらに増した空に向かって、自分の無力を嘆いてみた。
空は俺の愚痴をただ、黙って見つめてくれるだけだった……





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜