【4月18日(金)】


ジリジリと目覚まし時計が朝を伝える。
先日ギアをいくつか捨てたはずなのにこの目覚まし時計は生きていた。

「俺みたいなやつも壊せないのかよ」

時計のベル音がそう云っているような気がした。
無性に腹が立つ、頭にきたのでもう一度背中を開けてさらに1つギアを抜いてやる。
けたたましく鳴っていた音がピタリと止まった。
どうやら重要部を抜いたようだ、お前はもう声を発することさえできはしない。

【一条】
「これがお前の声帯にあたる場所か、今日からはゆっくり声を休めるんだな」

殉職したはずの時計に余計な仕事をさせてしまった、今日からはゆっくりと休むがいい。
時計との第二決戦も俺の圧勝だ、動かない物に負けるはずもないんだけど……

23秒 対戦相手戦闘不能によりTKO

【一条】
「俺の実力を見たか……」

ははははは、何やってるんだろう俺、莫迦か……
時計相手に勝ち名乗りを上げても何も嬉しくない、他人が見てなかったからいいものの。
誰かに見られてたら間違いなく頭おかしくなったとか云われるだろうな。

【某】
「時計に勝ってもなんにも……」

【一条】
「黙れ!」

【某】
「うぶ!」

いつものように廓の使い魔が俺の脳内に進入してきたが自己防衛機能が働いたようだ。
もう廓の使い魔は俺には効かなくなっていた。

時計と廓との頭の中での戦いで無駄な時間を費やしてしまった。
もう着替えを済ませないと遅刻決定になってしまうな。
パンをかじって家を飛び出す、勿論オカリナを忘れはしない。

……

今日も美織に出会った、いつものように学校に行くまでの道でばったり。

【美織】
「おっはよー」

【一条】
「おはよ」

【美織】
「おっ今日は元気だね、昨日みたいな沈んだ雰囲気ないよ」

【一条】
「そらどうも、今日は朝から連勝で気分が良いんだ」

【美織】
「連勝って朝から何に勝ったのよ?」

やば、口から滑ってしまった、時計と廓の幻影に勝ったなんて云えるわけもない。

【一条】
「何に……勝ったんでしょう……?」

【美織】
「はぁ? あたしがそんなの知るわけないでしょう、あんたが勝ったって云ってるんだから」

【一条】
「ロボットと……悪魔にです……」

なるべく近い物を選んでみた、さて美織はどんな反応をするか? 何云ってるのとか云いそうだな。

【美織】
「なんだ、夢の話なの」

【一条】
「はい? ゆ、夢……?」

【美織】
「だってそうでしょう、この近くにロボットなんていないし悪魔なんか存在すらしない
それに勝つには頭の中で妄想するか、もしくは夢の中でしかありえないでしょ」

美織の性格からして何が云いたいかわかる、簡単に云うと俺は……

【一条】
「俺は妄想癖って云いたいのか?」

【美織】
「あったりー、マコは今の世界に欲求不満だから常に何かを妄想してるのね、うっわやっばー」

【一条】
「勝手に欲求不満とか決め付けないでくれよ」

【美織】
「欲求を満たすのは妄想の中だけにしておきなさいよ、自分の周りに何人も女の子をはべらせるとか
世界で自分だけが女の子からキャーキャー云われる国を作るとか、女の子に飛びかかるのは妄想でやってね」

なんか勝手に色々と俺の評判を落としてくれているみたいだ。
このままでは女に飢えた悲しき男にとられてしまうではないか。
ここは1つ切り返しを打ってみよう、逆ベクトルで相殺することができるかもしれない。
なんて云えばいいだろうか?……

【一条】
「美織って胸大きいよね」

【美織】
「なっ!?」

まずい、かなりまずいぞ、何を云ってるんだ俺は! どこかに頭でも打ちつけたか?

【美織】
「まーこーとー」

美織の眼が烈火のごとく怒っている、逆ベクトルのはずが直流電流のようになってしまった。

【一条】
「いや……その……ばいばーい」

背を向けて一気に走り去る、今日は二日酔いもすっかり抜けて十分に走ることができる。

【美織】
「待ちなさーい!」

否定したい、凄く否定したいけどそのために今走るのを止めたら美織につかまって何されるかわからない。
とりあえず学校まで逃げてそれから考えよう。

【美織】
「待てって云ってるでしょー、この巨乳好き!」

後ろからヘンタイと何度も聞こえる、どうやら学校につく前にけりをつけないと大変なことになりそうだ。
前に向かって走っていた軌道を修正して美織の方へ走る。

【美織】
「マコの巨……うわわ、ちょっとちょっと」

全力で走っていた美織が逆走してくる俺を見て慌てている、それなりにあった距離もどんどんと小さくなる。

【美織】
「マ、マコストップ、ストップーぶつかるー!」

ここはちょうど俺から見ると下り坂、俺は止まれない、かくいう美織もどうやらブレーキをかけられないようだ。
こんな場合どうなるか、答えは簡単……

ドカーン!

まぁそうなるわな、見事に正面から2人はぶつかった。
しかし、少々状況がおかしい。

【美織】
「痛たたたたた……」

【一条】
「ぐうぅぅぅぅ……」

2人とも倒れている、それは正しいのだがその倒れ方が少し変だった。
普通坂道で正面からぶつかった場合、下ってきた側の人が上っていた人に覆い被さるような感じになるのではないだろうか?
ところが、今の状況は俺の背中に冷たい感触がある、これは多分硬いアスファルトが背にあるからだろう。
それに体の上が重いうえに暗い、何かが体の上に乗って視界をさえぎっているようだ。
このことから推理すると……俺が美織に覆い被られているということになる。

!!!!!

【美織】
「いったいなーもう、いきなり逆走してくるんじゃないわよー」

俺の視界は美織の顔でいっぱいだった、視界の隙間から太陽の光が差し込んでひどく美しく見える。
まじかに迫ったことで美織からはシャンプーというか石鹸というか、そんな感じの香りがした。
美織はまだこの状況に気付いていないみたいだった。

【一条】
「わ、悪かった、それよりその……そろそろ……」

【美織】
「そろそろっ何が……あ……」

美織と視線が直線で繋がった、さっきまで痛がっていた顔が急に変わる。
眼がいつもよりも大きく見開かれ、口を呆然といった感じでポカンと開けている。
心なしか頬も少し上気しているのか僅かにピンク色に見えた。

【美織】
「ちょちょちょちょっと何してるのよマコ、早くどきなさいよ!」

【一条】
「どきなさいって云われてもそっちがどいてくれないと俺にはどうしようもないんだよ」

【美織】
「あたしが下にいるのにどうしてどけないのよ、覆い被さってないでどきなさーい!」

どうやら急なでき事に状況がまだ完全には理解できていないようだ。
美織は俺の方が覆い被さっていると思っているらしい。

【一条】
「と、とりあえず落ち着け、ゆっくりでいいから今の状況を理解しろ」

【美織】
「今の状況ってあたしのことをマコが押し倒して……押し倒して?
あれ、なんであたしの方が上になってるの?」

【一条】
「知らん、理解できたならどいてくれ、この体勢はちょっとまずい」

人の視線もそうだがなによりも俺のあれのほうもあまり大人しくはしてくれない。
もし変化を遂げたところを美織にバレでもしたらそれこそどうなるかわかったもんじゃない。

【美織】
「ご、ごめん、すぐどくから」

覆い被さっていた重みがさっと退いた、立ち上がる時に美織の白い下着がスカートからチラリと覗いた。
やけに心臓の鼓動が早い、下着が見えたからじゃない。
もっと前から、美織にぶつかって覆い被さられている状況に気付いた時から鼓動は早くなっていた。
今は俺の上に障害は無い、はずなのに心臓の鼓動は大人しくなってはくれなかった……

ゆっくりと立ち上がる、頭に衝撃を受けていた場合のためだ。

【一条】
「とんだ朝だな、おっかけっこして激突して」

【美織】
「そ、そうだね……」

美織が少しおかしい、言葉の歯切れがいつもと違って悪い。
視線もどこかぎこちなく宙を彷徨い、俺と眼を合わせることが無かった。
顔色もさっきよりさらにピンク色が濃くなっている。
不謹慎かもしれないがそんな美織がとてもかわいらしく思えた。

【美織】
「は、早く学校行きましょ、も、もうそんなに時間も無いし……」

【一条】
「あ、あぁ……」

俺もおかしかった、美織と偶然とはいえああいった状況になった。
平常心を保つことができない、何も考えることができない、言葉を紡ぐことができない。
普段とは違うこの感じ、これがなんなのか俺にはわからなかった。

……

顔をまともに見ることができない。
いつもは何の気なしに見ている顔だというのに今日は見ることができない。
見ようとしてもどうしても視線を逸らしてしまう。
顔が熱い、どうしたというのだろう? ああいった状況になったのは事故、たんなる偶然なんだ。
それなのに、心臓の鼓動が治まらない、胸の奥が熱い、外にさえ聞こえそうなほど心臓が大きく鳴っている。
治まって、そう願うばかり、それなのに治まってはくれない。

表面上の驚きで鳴っているんじゃない、これはもっと深い、深いところにある何かの効果で鳴っている。
もしかして、あたしは……

……

学校にたどりつく、2人の間に一切言葉は無く、あるのは2人の間の近づ離れずの微妙な距離だけだった。

【某】
「おはよーさーん、ん? どないしたんや2人とも、顔赤いで?」

【2人】
「別にそんなこと無い、何かの間違い」

同時に同じことを口にした、そのせいで弱くなっていた顔の熱が再度燃え出した。

【美織】
「あ、ああああああたし、お、お手洗い!」

顔を真っ赤にしながら美織は教室を飛び出した、ずるいぞ、俺だって1人になりたいじゃないか!

【某】
「なーんしたんやろな、美織のやつ?」

【一条】
「さ、さぁ……今日は調子でも悪いんだろ」

【某】
「あーぁ、なんやあいつ今日あれの日なんか、きついようなら休めばええのに」

あれの日? 何のことだかわからないが何かあるんだろう。

【某】
「それで、一条はなして赤いんや、お前にはあれの日なんてあれへんやろ」

【一条】
「えーっとだな……最近暖かくなったから……かな?」

【某】
「暖かくなったってまだ四月やぞ、そこまで体内環境が整備不良な体なわけやないやろ」

はい、その通りです、まだまだ決して熱くありません。
どうにかして良いごまかし方は無いのか……風邪、はありきたりだよな。

【一条】
「け、景気付けに朝から少し酒を……」

酒なんか朝から飲めるか、酒の臭いさせて授業受けてたら退学くらいかねないぞ。
駄目だ、自然なごまかし方が思いつかない……

【某】
「なんや奇遇やな、実はわいも朝から酒飲んでんねん」

はい? またこの男は何を云い出した?

【某】
「フンフン……アルコール臭が少ないってことは缶のカクテルかチューハイでも飲んだな?」

【一条】
「アルコールの弱いチューハイを少し……」

【某】
「ビンゴやな、まさか一条が朝から酒飲むとは思わんかったわ、ちなみにわいはテキーラ1杯飲んできたで」

【一条】
「朝からそんな強い酒飲んだら授業にならないぞ……」

【某】
「かめへんかめへん、1日くらいだれとっても成績なんて変わらへんって」

廓に合わせて会話を進める、まさか酒の話でごまかせるとは思わなかった。
しかしこの男は朝から酒をかっくらうのか、将来体が心配になるような生活をしてるんだな。
ホームルームが始まる前には美織も戻ってきた、顔はさっきよりは薄くなっていたがまだピンクの色を残していた。

……

授業中も美織とは何度か視線が交差した、交差したというか一瞬交わるとすぐにどちらかが視線を逸らしていた。
やっぱり朝のことを意識しすぎているんだろうか? あれはただの事故だ、偶然が生んだ事故なんだ。

偶然……はたしてあれは本当に偶然だったのだろうか?

考え方によってはあれは確信犯、あの状況を意図的に作り出したと云えるんじゃないだろうか?
本当は俺は美織の元に行くつもりは無く学校に向かっていたはずなのだ。
それが美織の一言で予定を変更して美織の元に戻り、衝突した。
全てはあの状況を作り出すため、美織の体を押し倒すため……
何故に美織を押し倒す必要があるのか、それはもう1人の意思、自らの欲望を満たすためだけの自己主張。
全て、もう1人の俺が作り上げた背徳的シナリオ……

【一条】
「そしてそれは……深くに眠る俺の本当の……」

もう1人の俺、その存在はとてつもなく大きく黒い、いうならば俺の影……
その存在がある限り俺は悩み続ける、ありとあらゆる想像が可能性として考えられる。
これを怖くないと云ったら嘘になる、怖い、現実から逃げ出したいほど怖い。

【一条】
「怖い……だけど……それじゃ駄目なんだよな……」

見上げた空は雲が五割ほど存在する天気上「晴れ」の状態になっていた。
昼休みの屋上が牢獄のように感じる、一切の人間を拒んで囚人だけを招き入れる檻。
檻の中でもがく小さな生き物、それが今の俺だ。
オカリナを取り出して口にくわえる、音を鳴らせない……
今の心理状態ではオカリナが吹かせてはくれないようだ、吹けたとしてもとてもじゃないが良いものは産まれない。
諦めてオカリナをしまい、屋上に寝転がる。

【一条】
「……誰か来たな」

音が存在しない屋上は他の人の出入りが筒抜けになる、誰かが階段を上がる音が聞こえる。
誰が来ようが関係無い、この牢獄に招かれた他人には興味など無かった。

眼を閉じているせいで誰が来たかはわからない、誰にせよ寝ている人間を起こしたりはしないだろ。
視界が暗いのは当然だがさらに視界が暗くなる、誰かが目線の上に立ち太陽光を遮ったようだ。
まぶたを上げると飛び込んできたのはまたしても下着と見覚えのある顔だった。

【水鏡】
「……」

水鏡は俺の視線上に立ち尽くして視線を交差させている、下着が見えているのは気付いているのか気付いてないのか?
朝の美織とは違い水色の下着、男として至福なんだろうけど今はそんな気分じゃなかった。

【一条】
「水鏡か、どうしたのこんなところで?」

【水鏡】
「……」

何も喋らない、ただ立って俺と視線を混じわせるだけだった。

【一条】
「あの、とりあえずしゃがんでくれない、そのままだと下着見えてるから……」

【水鏡】
「……」

しゃがんだ、けど、よりによって俺の頭の方にそのまましゃがんだせいでさっきよりも下着が丸見えになっている。

【一条】
「うわわわわ……」

慌てて上体を起こした、水鏡には羞恥心が無いのだろうか?

【一条】
「下着隠して、あ、あっちのベンチに行こうか」

見えている下着を隠そうとしないので2人でベンチに移動する、また顔が熱くなってきたぞ。

【水鏡】
「……」

【一条】
「……」

言葉が続かない、元々水鏡はよく喋る方じゃないがさすがに沈黙は辛い。

【一条】
「……」

【水鏡】
「……あの」

何か喋ろうとしたら水鏡から言葉を発してくれた。

【一条】
「どうしたの?」

【水鏡】
「いえ、今日はオカリナは吹かないんですか?」

【一条】
「今日はオカリナが吹くなってさ、今の状態の俺じゃ吹かれても迷惑なんだって」

【水鏡】
「そうなんですか、確かに今日はいつもより冷静ですね」

【一条】
「冷静ってどのへんが?」

【水鏡】
「普通男性は女性の下着が見えていたら教えたりはしません、黙ってその状況が終わるまで身動きせず集中します」

【一条】
「それは冷静っていうのかなー?」

冷静というよりは、得潰し、下手したら男好きととられるかもしれない……

【一条】
「云っておくけど俺は断じて男好きじゃないから」

【水鏡】
「……?」

首をかしげている、どうやら水鏡は深くは考えていないようだ。

【一条】
「そういえば、よく屋上の西側にいるよね、どうしてあんな狭い方に行くの?」

【水鏡】
「……見えるんですよ」

【一条】
「見えるって、何が?」

【水鏡】
「大事な物です、西側からじゃないと見えないんです」

大事な物、西から見える景色に水鏡が大事というような物はあっただろうか?

【水鏡】
「先輩こそ、なぜオカリナを吹いているんですか?」

【一条】
「なぜって云われても理由は無いんだ、物心ついた時にはもうこのオカリナを持っていてあの曲が吹けるようになっていた
あの曲しか吹けないんだけど、あの曲を吹いているとなんかこう落ち着くんだ……
そういえば、俺まだ名前名乗ってなかったね、俺は一条 誠人、学校の中級生」

【水鏡】
「誠人……先輩」

うっかり忘れていた、まだ水鏡には名前さえも名乗っていなかった。
こっちは名前を聞いていたのに返すのを忘れていた。

【一条】
「ごめんね、名前わからなかったからどう呼んで良いか迷ったんじゃない?」

【水鏡】
「いえ、それは特に問題はありませんでした、だけど、先輩のオカリナ……」

【一条】
「音は綺麗だけど俺は悲しんでいるってやつ?」

コクンと1つ頷いた。

【一条】
「なんとなくわかってるんだ、どうしてそんな風に見えちゃうのか、なぜ悲しんでいるのか……」

見上げた空から一筋の光が射していた、この光が釈迦様が垂らした蜘蛛の糸のように見えた。

【一条】
「隠したものが存在する限りその人間は変わることはできない、それは自分を偽っていることになるから
だけど、人は隠し事を持たないことは決してない、人間は完璧な器ではないんだから……」

【水鏡】
「完璧な器ではない……」

【一条】
「そう、完璧な器ではない、それが人間の証明、完璧な器なんてペットボトルくらいじゃない?」

【水鏡】
「……ペットボトル、悲しい世界ですね……」

【一条】
「……本当に……」

空から射していた光が途中で途切れた、ちょうど蜘蛛の糸を登っていた悪人が天国への道を遮断されたかのようだ。
俺が求めているものは逃げ場、誰にも迷惑をかけないですむ孤島の聖域。
もう1人の存在を封じ込めるための力場が必要だった、完璧な器でない人間が身を守るための手段。

ギイィと屋上の扉を開ける音が聞こえる、またしても来客のようだ。

【美織】
「あっ、こんなところにいた、お昼ご飯も食べないで何してるのよー」

来客者は美織だった、美織がこちらに近づいてくると同時に水鏡が立ち上がった。

【水鏡】
「マコ先輩、失礼します」

そそくさと水鏡は屋上を後にした、突発的な予定に無かった行動のように俺にはとれた、美織を避けている?
水鏡と美織が交差する、特に変わったところも無く美織と水鏡が入れ替わった。

【美織】
「あの子どうしちゃったの? 急にいなくなっちゃって?」

【一条】
「美織、お前水鏡のこといじめてないよな?」

【美織】
「どうしてあたしが会話もしたことも無い後輩をいじめなくちゃいけないのよ」

それはそうか、美織と水鏡が面会しているところを見たことは無い、美織の発言からも接触は無いものととれる。
だとしたら水鏡は美織を避けているわけじゃなく、他の用で屋上から去ったことになる。
しかし、どうも納得がいかなかった、あの水鏡の行動は間違いなく予期していなかったもの、突然の行動だったはずだ。

【美織】
「あたしよりもいじめたとしたらマコの方でしょ、マコはちっちゃい子趣味のロリコン変態男なんだから」

【一条】
「き、貴様ー!」

隣に腰掛けていた美織に飛びかかる、はたから見たら俺が襲っているふうに見られかねないな。

【美織】
「うわわわわ、ちょっとやめてよ、あたしが悪かったって」

【一条】
「俺はロリコンじゃない、そんなこと云うのはこの口かー!」

【美織】
「や、やめてやめて、ふきゅ、くうぅぅぅぅぅ」

口は災いの元、少し痛い目にあえば大人しくなるだろう。

……

【美織】
「口が痛ーいー」

【一条】
「自分で蒔いた種だろ、自分の発言には責任を持ちなさい」

【美織】
「わかりましたー……でも、あの子不思議な子ね、マコと普通に話せるなんて」

【一条】
「それは俺が普通じゃないって云ってるのと同じだぞ」

【美織】
「あんたのどこが普通なのよ、いっつも不機嫌そうな顔してクールに振舞ってるのか知らないけど
男はもっと明るく、いつでも莫迦なことやってるほうがお似合いよ」

【一条】
「そんなのは廓だけで十分だ、それから俺はクールにしてるんじゃなくて暗いんだ」

【美織】
「まーたそうやって自分をいじめるんだから、自虐はあんまりいい趣味じゃないわね」

【一条】
「もう1回口つねってやろうか?」

【美織】
「遠慮しておくわ、だけど、あたしはそんなマコも結構好きだな」

【一条】
「そりゃどうも、美織って趣味悪い?」

【美織】
「な……に……か……い……っ……た……か……し……ら?」

【一条】
「痛い痛い痛い、や、やめろ口が曲がるー!」

逆に口をつねられた、しかも俺がやった時よりもかなり強い。

【一条】
「いたたたた、口が引き千切れるだろ」

【美織】
「千切れたら病院でも行けばいいじゃない、あたしが救急車呼んであげるから派手に泣き叫んでね」

この女には勝てない、口喧嘩では美織のほうが1枚も2枚も上手のようだ。

【美織】
「まったく、あたしは結構良い趣味してるんだから」

最後の方はほとんど聞き取ることができなかった、美織が自分だけに聞こえるように呟いた言葉のように思えた。
それにしても、朝から昼前までの態度とは180度美織の接し方は変わっていた。
互いに避けあっていたような空気は無くなり美織の方から近寄ってきてくれた。

美織の方も気持ちの整理がついたようだ、これなら俺もいつもと同じように接してやらないと失礼だよな。
2人の間をさえぎっていた見えない小さな壁がここで消滅した……

……

いつもと同じように接しれば良い、何も難しいことなんか無いはずだ。
それなのに、いつもどのように接していたのかがわからない、頭の中が真っ白になっている。
今までこんなことは無かったはずなのにどうしてこんなことになっちゃったのだろう?
あたしの中で小さな何かが変わり始めている、これは……何?

不思議な気持ち、もやもやして、ふわふわして、とっても熱くて、

これが人を……まさか、そんなことって……

変わり始めた何かを隠すために今は全てを偽ろう、この変化が確信に変わるまで、たとえそれが無意味なことだとしても……

……

【一条】
「なんで俺はこんなところにいるんだ」

ここは以前夜にオカリナを吹いた川原、そこに無理矢理連れてこられた。

【某】
「あんまみれへんもんみれるんやさかい、一条お前ラッキーやで」

連れてきた張本人が何を云ってるんだか。

【一条】
「別に見たくも無い、帰らしてもらうぞ」

【某】
「まぁ待てや、こういったもんは見届け人が必要なんや、一条は歴史の目撃者になれんねんで」

【一条】
「お前が負ける歴史の目撃者になんかなりたくない」

【某】
「きっついなー、まだわいが負けると決まったわけやあれへんがな、今度なんかおごるさかい見とってくれや」

見てるだけでおごってもらえるなら割が良い、観戦させてもらうか。
なんで川原にいるのかというと、放課後に話はさかのぼる。

……

【某】
「一条、これから川原行くぞ」

【一条】
「いきなりだな、何か川原に用事でもあるのか?」

【某】
「ふっふーん、聞いて驚くなよ、勇のやつが久々に決闘を了承してくれたんや。
もう嬉しくて嬉しくて今からもうわっくわくやで」

【一条】
「あの勇がねぇ、怪我しない程度にしておけよ」

鞄に筆記具をしまって教室から出ようとする、ところが首根っこをつかまれたせいで動くことができない。

【一条】
「廓放してくれよ、今日はスーパーで野菜と冷凍食品を買わなけりゃならないんだ」

【某】
「冷凍食品くらい今度わいがこうたるわ、そんないつでも手に入るような冷凍食品見るより
わいらの決闘見る方がずっと価値があるで、そうとわかればはよ川原行くで」

首根っこをつかまれたままずるずると廓に引きずられながら川原まで連行された。

……

そんなこんなで今川原にいる、俺たちが到着するよりも早く二階堂は川原に来ていた。

【某】
「勇ー、準備ができとったら始めようやないかい、わいらの因縁もついに第3回戦。
今回は過去の2回のようにはいけへんからな、覚悟しとき」

廓が懐から小さな水筒を取り出して中身を口に含んだ。
含んだ水分を両手のひらに向かって霧状に吹き付けた、よく時代劇で刀の目釘を酒で湿らせて気合を入れることがある。
今の廓が含んだのはたぶん水だろうが廓流の気合の入れ方なんだろう。

【某】
「さーて準備オーケーや、どっからでもかかってこんかい!」

二階堂も着ていた上着を脱ぎ捨てて両手をポケットに突っ込む、あれが廓が以前話していた二階堂の構え方。
普通はポケットに手を突っ込んだままじゃ勝負にならないが二階堂はこれで十分に強いらしい。

【某】
「毎度毎度相手待ちかいな、ほんなら今回もわいが飛びこんだるわ!」

2人の間にあった距離があっという間に縮まる、廓のスピードはかなり速い。
廓が喧嘩をしているところは1回しか見たことがないが、あの時とは比べ物にならないくらい今日は早かった。

【某】
「せいやー!」

スピードに乗ったまま廓は右のフックを繰り出した、それに対して二階堂は廓の体を中心に右へ軸移動して拳を避けた。

【二階堂】
「……」

【某】
「相変わらず避けるのが上手いのう、今度はこれならどうや?」

フックで捻られた体を戻すと同時に逆回転をかけて裏拳を放つ。

【二階堂】
「……」

俺みたいなやつなら確実に頬に拳をもらっていただろうが二階堂はそれをしゃがんでかわす。
かわした後二階堂が後ろに飛んで廓との距離をとった。

【某】
「ええでええで、やっぱお前とやるとわくわくするわー!」

開いた距離を詰め、左のストレートを出す。
それを読んでいたかのように二階堂がカウンターでケンカキックをおみまいする。

【某】
「おおっと、危な」

ケンカキックに対して体を横に回転させ、地面を転がって靴底を避ける。
転がったまま体勢を立て直し蛙飛びのアッパーを繰り出す、常人離れした廓だからこそできる技だ。

【二階堂】
「……ふ」

上体を僅かに後ろに反らすだけでアッパーを空ぶらせる、二階堂の反射神経も常人レベルではなかった。
飛んだことで僅かに廓に隙が生まれた、蹴りを廓の腹に打つのかと思いきや自分に対して左側に大きく飛びのいた。
絶好のチャンスだったはずなのに二階堂は自らチャンスを潰した……2人意外はそう思うだろう。

【某】
「ぶふぅぅぅぅぅぅぅぅ」

飛んで着地するまで無防備だと思っていた廓が口から緑の液体を霧状に吹きつけた。
あのまま二階堂が蹴りをおみまいしようとしていたら顔面にもろに食らっていたことだろう。
それにしてもあんなものいったいいつ廓は口に含んだというのだろうか?

【某】
「やっぱりかわされたか、上手く含めたと思ったんやけどな」

【二階堂】
「……」

廓が口についた液体を拭ってニヒルな笑みを浮かべる、二階堂は一向に表情を変えることは無い。
未だ二階堂はポケットから手を出していない、あれだけの猛攻を避けていながら手を出さないというのはもう人間技じゃない。

【某】
「たまにはそっちから仕掛けてきたらどうや?」

【二階堂】
「……」

廓が言葉巧みに二階堂を誘う、今度は二階堂が廓との距離を一気に詰める。
何かカウンターを狙っている廓に二階堂はかまわず攻撃を仕掛ける……またしても二階堂は予想を裏切った。
廓の眼の前まで来た二階堂は蹴りをくわえると思いきやまた後ろに大きく飛びのいた。
飛びのくと同時に廓が体を沈め足払いをみまう、どうやら二階堂はこのことも読んでいたようだ。

【二階堂】
「……」

廓の隙に二階堂がポケットから手を出して腕をかまえる、破壊力抜群のアックスボンバーだ。

【某】
「それについてももう対抗策があんねんで!」

アックスボンバーで向かってくる二階堂の腕の下に向かって廓は飛び込み全前転で危機を逃れる。

【某】
「今回はわいの勝ちや!」

飛び込んだ体勢を立て直して二階堂に向き直る、この時二階堂は背中を向けた無防備状態だった。

【某】
「ほらほらほらほらほらー!」

二階堂が向き直る一瞬の隙に廓はラッシュをかける、左右のフック、ボディーブロー、ストレート。
今度ばかりは二階堂も避けることができずに廓の猛攻を両腕で作った壁で防いでいる。
勝負あったな、あの状態じゃさすがの二階堂でも反撃はできないだろう。

【某】
「これで終いやー!」

普段蹴りを使わない廓が二階堂の足にローキックを打つ、それを二階堂はガードすることができなかった。
苦し紛れに二階堂が廓の顔面に拳を叩き込む。

【某】
「おおっと、悪あがきはみっともないで」

顔を僅かにずらして拳を避ける、ところがそれが2人の勝敗を分けた。
二階堂は避けられた腕を急に曲げて顔面にエルボーをぶちあてた。

【某】
「ふがぐ!」

エルボーを予測していなかったであろう廓はもろに顔面を打ってしまう。

【二階堂】
「……」

その一瞬の勝機を二階堂が逃すはずも無い、素早く廓の後ろに回って腕と足を廓の体に絡みつける。
あの体勢はコブラツイスト、しかも頭蓋骨締めまで加わった拷問式のコブラツイストだ。

【某】
「ぎぃやぁぁぁぁ痛い痛い痛い痛い! ギブ、ギブアップやー!」

ギブアップの声を聞いて二階堂はストレッチを解く、力なく廓はその場に倒れこんだ。

【某】
「くっそーまた駄目か! どうして毎度毎度勝てへんねん!」

大の字に寝転がったまま大きな声で叫ぶ、今回で廓の3連敗だ。

7分41秒 拷問式コブラツイストでギブアップ

今までで一番長い2人の決闘はここに幕を閉じた。

……

【某】
「いっつー、まーだ痛みとれへんわ、勇どっかの骨折ってへんやろな?」

線香をくわえたままそんなことを訊ねる、二階堂はコーヒーを飲みながらふふっと笑うだけだった。

【一条】
「それにしても、2人とも強いな、廓のスピードも、勇の回避能力も」

【某】
「こいつ前から逃げんのが上手いねん、わいがどんだけ小技で攻めても一個もあたらへんねん」

【一条】
「そういえば廓、お前さっき口から緑の液体吹いたろ、あれ何?」

【某】
「あれはプロレス界でゆう毒霧っちゅーやつや、まぁ目潰しみたいなもんか。
相手にバレへんように口に含んで相手に吹きかけるんや」

【一条】
「毒霧、俺にはいつ含んだのかなんてわからなかったのに、勇はどうしてわかったんだ?」

【二階堂】
「廓の口がいつもよりも膨らんでいた、ケンカキックをかわした後に含んだんだろ?」

【某】
「なんやそこからバレとったんかいな、かなんなー」

あの僅かな時間でよくそこまでできるもんだ、できる廓も凄いがそれを見切った二階堂も凄い。
この2人には勝てるはずも無い、それなのに、俺の中に潜む黒い影はこの2人さえ恐怖する強さを持っている。
はたして俺はいつまであらぶる獣を体の中に封じ込めて置けるのだろうか……?

……

【某】
「じゃーなー」

2人と別れる、毎回決闘の後は2人でラーメンを食べに行くらしい、互いの健闘を称えあっているんだろう。
その中に俺が入るのはタブーだ、そう思って誘いは断って帰ることにした。
川原からの帰り道、ついでだから商店街に寄って食べる物を買っていこう。
商店街まで戻ってスーパーに向かう、今日は冷凍食品の安売りがあるから逃すわけには行かない。
時計を見ると5時半、後30分でスーパーは戦場へと移り変わってしまう、その前にスーパーにたどりつかなくては。

……

今日は完敗だ、予定の半分も買うことができなかった、今週は生の野菜で生活していくしかなさそうだ。
スーパーの袋を2つ持ってスーパーを出る、少し歩いていると見覚えのある人間がいた。

【一条】
「水鏡じゃないか、君も今日は買い物してたんだ」

【水鏡】
「あ、誠人先輩」

袋を1つぶら下げた水鏡が前を歩いていたので横に並ぶ。

【一条】
「水鏡もよくここに買い物に来るの?」

コクンと水鏡は頷く、あまり喋るのは得意ではないようだ。

大した会話も無く2人で歩く、水鏡とこうやって一緒に帰るのは初めてだ。

【一条】
「水鏡、良かったらその袋俺が持とうか?」

水鏡が何を云っているのといった感じで俺を見ていた。

【一条】
「せっかく知ってる男がいるんだから荷物くらい持たせても良いと思うが」

【水鏡】
「そんな、悪いですよ……」

【一条】
「俺は別に悪くは思ってないよ、むしろ嬉しいかな」

【水鏡】
「嬉しい……ですか?」

【一条】
「うん、俺って人から頼りにされたりすること無いから、こういう場面で頼りにしてもらえると嬉しいかな」

【水鏡】
「……そういったものなんですか?」

【一条】
「世間一般ではわからないよ、あくまで俺の考え、水鏡の荷物持たせてくれる?」

戸惑っていた水鏡だったがしばらくするとおずおずと荷物を差し出してくる。

【水鏡】
「あの……お……お願いします……」

【一条】
「ほいきた、慎重に運ばせていただきます」

荷物といってもスーパーの袋1つ分、大した重量も無くこれなら問題なく運べそうだ。
それでも水鏡は俺の方に申し訳なさそうな顔でちらちらと視線を向けていた、俺のことを気遣ってくれているのだろうか?
2人の間にほとんど会話は存在しなかった、しかしそれは窮屈ではない、とても落ち着いた世界ができていた。

……

商店街から俺の家まで帰るには学校の前を通って逆の道を進むことになる。
いつも俺や美織、廓と二階堂が通学してくる道になるんだが水鏡も同じ方向に進んでいる。
水鏡も通学路はこれなのだろうか?

【一条】
「水鏡の家ってどの辺なの?」

【水鏡】
「……」

水鏡が黙ってしまう、家のことは触れて欲しくないことだったか、俺は何をやっているんだ。

【一条】
「なんか悪いこと聞いちゃったみたいだな、ごめん」

【水鏡】
「いえ謝らないでください、あ、この辺で私は別れますから」

持っていた袋を受け取って水鏡は駆け出した。

【水鏡】
「先輩、今日はありがとうございました、失礼します」

夕焼けが映える街の中を水鏡が駆けて行く、夕暮れと対照的な紺色の髪が水鏡の存在をアピールしている。
水鏡が消えた道をしばらくの間見つめていた、夕暮れが夜に変わるまでの僅かな時間、その瞬間まで俺は彼女の消えた道を眺めていた。

……

夕暮れが蝕み始めた公園に、場違いな男が1人ベンチに座っていた。
男は懐から懐中時計を取り出して時間を確認する。

【萬屋】
「六時三十分……ようやく廻り始めたか……」

ため息を1つつくと男は立ち上がり、公園から川原に向かって歩みを進める。

【萬屋】
「さてと、このIとXの世界の中でどれだけ時間を埋めることができるのか……
I上に存在する決して交わることのできない2つの点、一体どんな結果が生まれることやら……」

人がいない川原を見つめながら男は呟いた、誰も気が付かないところで、世界は少しずつ変化を見せていた。





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