【4月19日(土)】


今日は土曜日、学校は休みだから家の掃除でもしようと思っていたのに。
朝早くからなんでこの男が家にいるんだ?

【某】
「いい加減機嫌なおせや、ほら今日もとびきりのもん持ってきてやったんやから」

とびきりなんて云ったって結局は酒だ、まだ時間は9時過ぎなんだぞ。

【一条】
「お前が酒好きなのは知っている、けどなまだ午前の朝なんだぞ、まさか今から飲むとか云わないだろうな?」

【某】
「今飲まんのにお前の家にけーへんやろ、今日は1日中飲み明かすでー!」

【一条】
「帰れ!!」

頬におもいっきり拳をぶち込む、もろに頬を打った廓が倒れこむ。

【一条】
「勇ー、こいつの酒好きどうにかして治せないのか?」

【二階堂】
「不可能だな、こいつから酒を取ったらそれはもう廓ではなくなる、ただの莫迦だ」

【某】
「誰が莫迦じゃー!!」

頬を赤くさせたままガバッっと起き上がる、怒っているせいか頬以外の顔前面も赤くなっている。

【某】
「お前ごっつい痛いやないか、わいの二枚目の顔が三枚目になったらどないしてくれんねん。
それから勇、誰が莫迦じゃい、この走攻守三拍子揃ったわいのことを莫迦の一言で片付けんな!」

【二階堂】
「器用貧乏な莫迦、これで良いか?」

【某】
「ちっとも褒めてへんやんけ! もうお前らには酒やらん!」

そっぽを向いてしまう、俺は別に酒は飲まなくても良い、むしろそんなに飲みたくない。
二階堂も酒が無くても缶コーヒーがあるから別に問題無いだろう。
1人で栓を開けてグラスに酒を注ぐ、マジでこの時間から飲む気なのか?

【某】
「皆わいのこといじめよってからに、こんな美味い酒飲めんとは残念やのう」

愚痴りながら酒をあおる、こいつは飲んだくれ親父か?
二階堂も缶コーヒーを開けて飲み始める、部屋に酒とコーヒーの芳香が漂った。

【二階堂】
「一条、お前もコーヒー飲むか? たくさんあるぞ」

【一条】
「悪いな1つ貰えるか、朝から酒なんて年寄り臭いことできるか」

缶コーヒーを1つ受け取って口を開ける、ブラックコーヒー特有の香ばしい匂いが立ち上る。

【一条】
「勇ってよくコーヒー飲んでるよな、しかも決まってブラックのやつ」

【二階堂】
「べたべたと甘いのは好きじゃない、一条はブラックコーヒーはあまり飲まないのか?」

【一条】
「たまにしか飲まないな、もっぱら俺は紅茶を飲んでいるから」

【二階堂】
「だとすると、本当のブラックコーヒーがどんな味か知ってるか?」

【一条】
「苦い……んじゃないのか?」

【二階堂】
「不正解だ、確かに缶コーヒーの場合は苦味が前面に出ている場合がほとんどだ。
しかしな、豆を焙煎するところから始めるとコーヒーの味は苦味なんて存在しないんだ」

【一条】
「苦くないコーヒーなんてあるのか?」

【二階堂】
「焙煎したばかりの酸化が進んでいないコーヒーは苦く無い、焙煎したばかりの豆で入れたコーヒーは酸味が強いんだ。
元々コーヒーの実は果物だから酸味があっても不思議じゃない、挽いたばかりのコーヒーの香りは素晴らしいものだぞ」

【一条】
「物知りなんだな、よっぽどコーヒーが好きじゃないとそこまで知らないだろ?」

【二階堂】
「どうだろうな、まぁ本当に好きなものを手に入れようとしたらそれなりの知識がないとできないからな」

言葉をくぎってコーヒーに口をつける、ブラックのコーヒーと二階堂という構図が怖いくらいピタリとはまっている。
俺も二階堂にならってコーヒーを飲む、口の中に苦味と香りが広がる、二階堂に云わせればこれは偽物の味になる。

【某】
「なんやねんお前ら、ずっとコーヒーの話ばっかりしよって、1人で酒あおってるわいの身にもなれや」

1人で寂しく酒を飲んでいた廓がわめきだす。

【一条】
「俺たちは酒飲めないんだからしょうがないだろ、なんだったらお前もコーヒー飲んだら良いじゃないか」

【某】
「あほぬかせ、なんでわいがそんな苦いだけのもん飲まなあかんねん、酒分けたるさかい一緒に飲もうや」

さっきは分けてやらないとか云っていたくせに、1人で飲む酒が味気ないのだろうな。

【一条】
「しかたないな、1杯だけだぞ」

【某】
「いよ、それでこそ一条や、さあさググッといってもうたれや」

グラスになみなみと酒を注ぐ、2つ渡されたので1つは二階堂の分なのだろう。
1つを二階堂に渡すとそれを待っていたかのように廓が音頭を取る。

【某】
「それじゃ、全員にグラスも渡ったことやし、カチコーンと乾杯しよか」

ほらほらと廓が俺たちのグラスを近づけさせる。

【某】
「ほんなら、かんぱーい!」

【2人】
「乾杯」

カチン!

【某】
「んぐんぐんぐ……ぶはーやっぱり皆で飲む酒は美味いのう、2人ともそう思うやろ?」

さっきまでちびちびとつまらなそうに飲んでいたくせに急に豪快に飲み始める。

【二階堂】
「ほぅ……美味いな」

【某】
「せやろーせやろー、この吟醸香がたまらんやろ、勇もコーヒーばっかりでなく酒の知識も仕入れろや」

【二階堂】
「……」

廓の皮肉を軽く流して酒に再び口をつける、コーヒーと二階堂も似合っていたが酒と二階堂も実にマッチしている。

【一条】
「朝から酒か、明日はどうなることやら……」

【某】
「二日酔いが怖くて酒なんか飲めるかー、どうせ明日は日曜日ぶっ倒れるまで飲むでー」

テンションが最高潮に達している、まずいなこの男と一緒に飲んでたら二日酔いで済むのだろうか?

……

1時間もしないうちに俺はダウンする、こいつらと飲むのは本当に疲れる。

【一条】
「お前たちいつまで飲むつもりだよ……」

【某】
「まだ1時間も経ってへんのにダウンするのはいただけんのう、わいらはまだまだ飲めるでー」

【二階堂】
「……」

化け物共め、1本しか持ってこなかったはずの酒がいつのまにか3本になっている。
1本空になると廓が後ろから新しい酒を取り出す、一体どこから酒は産まれているのだろうか……?

奇術師である廓の特殊能力にはいつもいつも驚かされる。

【某】
「んんん……どうやら3本目も空になったみたいやな、ほんならそろそろ本題に入ろうか」

酒に溺れていた廓が急に神妙な面持ちになる。

【某】
「一条、気持ち悪いかもしれんがしばらく辛抱して起き上がってくれるか」

寝ていた上体をなんとか起こす、今までおちゃらけていた廓の表情からそういったものが全て消えた。

【一条】
「本題って何のことだよ、酒を飲ませに来たんじゃないのか……?」

【某】
「それはあくまでおまけや、今日来た本当の目的はちっと違うねん」

【一条】
「本当の目的? 一体なんだよ?」

【某】
「一条、正直に答えてくれ、お前は今この世界を楽しいと感じているか?」

廓には似合わない質問を投げかけてくる、この世界を楽しいと感じるか……か。

【一条】
「どうなんだろうな、俺にはわからないよ……」

【某】
「嘘……やな」

【一条】
「別に嘘なんかついてないさ、俺には今が楽しいのか楽しくないかなんてわからないよ」

【某】
「ほんなら少し質問を変えよう、お前はわいらや美織とつるんどる時間を楽しいと感じるか?」

【一条】
「……楽しい、かな」

なるほどなと一言呟いて線香を口にくわえた。

【一条】
「そんなこと聞いてどうするんだよ、俺が楽しいか楽しくないかなんてお前には関係ないだろうに?」

【某】
「他のやつやったらそうや、せやけどなこれが一条ということになると話が変わってくるんや」

【一条】
「俺だったらどうなるっていうんだよ?」

【某】
「以前わいがお前を屋上に呼んだことがあったやろ、その時お前この世界に対して自分をなんと云ったか覚えとるか?」

【一条】
「確かあの時は……」

……

【一条】
「俺は男たちをいたぶるのを楽しんでいた、自分の圧倒的な力に酔いしれた、こいつらはなんて弱いんだと……
俺は人間じゃない……怪物なんだよ」

【一条】
「人を痛めつけて、その感触に酔い、相手のぶざまな姿に興奮を覚える、全うな人間は決してこんなことは考えないよな。
でも、それを俺は考えてしまったんだ、精神や思念全てが歪んだ怪物のような考えを……」

【一条】
「俺は……この世界に存在してはいけないのかもしれないな」

……

屋上でのことが思い出される、あれは確かもう1人が覚醒した次の日だったな。

【一条】
「この世界に存在してはいけない、確かそんなことを云ったな……」

【某】
「覚えとったみたいやな、そのことを心配しとったんや……」

線香から小さな煙が昇る、部屋の中の吟醸香と線香の匂いが入り混じる。

【某】
「あの時のお前の顔、酷く暗い物になってたからな、わいはもう駄目かもしれんと思ったわ。
この世界を嫌いになって自分の存在を否定した、この時間の共存を放棄したんじゃないかってな」

それはつまりこの世界からの消滅、万物の最終工程である「死」を迎えること。

【某】
「せやけど、さっきのお前の言葉を聞いて安心したわ、お前にはもうそんな気は無いことが確認できたからな
この世界に生きることが少しでも楽しいと感じる、つまり無関心ではないってことや」

【一条】
「無関心ではないって……どういうことだ?」

【某】
「生きるのに疲れた人間は大抵何に対しても無関心で無気力や、せやから生きていることさえも邪魔になってくる
だけどお前は違う、この世界に関心を持っている、まだまだこの時間との共存をのぞんどるんや」

燃えて灰になった線香が携帯灰皿の中に落ちる、二階堂も飲んでいたコーヒーの缶を置いた。

【二階堂】
「廓、回りくどい云い方は止めろ、一条、単刀直入に聞かせてもらう
お前、死のうなんて考えてはいないだろうな?」

【一条】
「……」

どうして皆俺のことがわかってしまうんだろう、新藤先生にしても、廓にしても、二階堂にしても。

【二階堂】
「……どうなんだ?」

【一条】
「今の俺はそんなことは考えていないよ、俺にも色々とやらなくちゃいけないことがあるようだから……」

やらなくてはいけないこと、俺が今一番しなくてはいけないこと。
それは……己に打ち勝つこと、もう1人の俺の存在を封じ込めること。

【一条】
「俺の中に潜む得体の知れないもう1人の俺、そいつとけりをつけるまで俺は死ねないさ」

【二階堂】
「……」

置いておいたコーヒーに再び口をつける、いつも無表情な二階堂の顔が微かに笑ったように見えた。

【某】
「アホぬかせ、そいつとけりがついた後もお前はわいらと一緒につるんで学校行って卒業まで駆け抜けるんや」

【一条】
「卒業までお前とつるまなくちゃいけないのかよ、色々と問題が多そうだな」

【某】
「ガクッ、なんちゅーことをゆうねん、わいらとおれば退屈せーへんやろが」

【一条】
「それが色々と問題あるって云うんだよ!」

ゲシ!

脳天にチョップをいれた、3人の動きがピタリと静止した。

【某】
「……」

【二階堂】
「……」

【一条】
「……」

【全員】
「くくく、あはははははははは」

3人が同時に笑い出す、明るい雰囲気のまま酒盛りは続いた。

……

【某】
「むにゃむにゃ、もっと酒もってこーい、くーすー」

酒瓶を抱きかかえたまま寝言を云っている、こんな場面漫画でしか見たこと無かったぞ。
もう時間は5時、昼食は廓がコンビにまでおにぎりやらサンドイッチやらを買出しに行ってくれた。
勿論大量のつまみも買ってきた、それを腹の足しに今の時間まで飲んでいた。
まぁ俺は午後からは飲んでいない、廓は相変わらずハイペース、二階堂はじっくりと味わいながら飲んでいた。

その結果ハイペースだった廓が1時間ほど前にダウン、二階堂はまだシラフと同じ状態……
こいつ本当に人類か?

【一条】
「あんなハイペースで飲むからこうなるのは当然だよな」

【二階堂】
「あいつは加減を知らない、2人で飲むとよく1人で先に眠ってしまうんだ」

【一条】
「少しは抑えさせないとこいつ頭やられるぞ」

【某】
「酒や酒やー、周りに海がひろがっとるわー、海、海、酒の海ー」

満面の笑みで夢を見ている、それにしても酒の海って、夢の中まで酒に支配されているのか?

【二階堂】
「気付けばこんな時間か、そろそろ俺たちは帰った方が良いだろうな」

【一条】
「帰るって云ってもこいつ寝たままだし、寝てる人間を連れて帰るのはさすがに辛いだろ」

【二階堂】
「確かにな、無理矢理起こすか……?」

ぐうぅぅぅぅぅぅぅ

突然腹の虫が鳴る、ほとんど昼食は食べてないも同じ、胃が食事を求めている。

【一条】
「腹減ったな、何か買ってくるからそれ食べてから帰ったらどうだ、そのころには廓も起きるだろう」

【二階堂】
「じゃあそうさせてもらうか、俺も一緒に行こう」

【一条】
「別に泥棒に入られて困る物も無いし、廓残していっても大丈夫だよな?」

【二階堂】
「……ビシ」

指が2本、問題無いようなので廓を残して行く、泥棒が来たら……がんばってくれ。

……

【二階堂】
「一条、さっきは軽率なことを聞いてしまって悪かったな」

【一条】
「死ぬ気でいるかってやつか? 別に気にしてないよ、初めのころは……そうだったんだから。
だけど今は違う、廓がいる、勇がいる、美織がいる、そんな今の時間がとても楽しいと感じている。
それが死を確実に切り離すとは思っていないけど、今俺は死にたいとは少しも思わない」

【二階堂】
「一条らしい答えだな、だけど、それは決して間違っていないさ……」

夕日が少しずつ顔を出し始めた街並みをコンビに目指して歩く、大きな影と一回り小さな影。

……ところで、コンビニってどこにあるんだ?

……

【店員】
「ありがとうございましたー」

コンビニでおにぎりや調理パン、酔い覚ましに無添加の果物ジュースを買う。

【二階堂】
「まさかコンビニの場所知らなかったとはな」

【一条】
「勇がいてくれて助かったよ、1人で来てたらたぶん迷子になっただろうな」

コンビニは商店街の方面にあった、川原と反対方向に行くことでたどりつける。
そういえば以前ここらへんで美織に出会ったな、あの日は忘れもしない迷子になった日だ。

【一条】
「勇、ちょっと悪いんだけど川原のほうに寄ってもいいかな?」

【二階堂】
「かまわんさ、特に急いでるわけでもない」

2人で川原に向かう、どうして急に川原に行きたくなったのか?
川原に何があるというのか? その理由はよくわからない。
しかし、自分の中で何か確信めいた物ができ上がっていた、今あそこに行けばきっと……

……

川原にたどりつく、見渡すと川をジッと眺める女の子が1人、確信が事実に変わる。
水鏡の姿が川原に存在していた。

【二階堂】
「珍しいな、ここに人がいるなんて……」

【一条】
「普段は人いないのか?」

【二階堂】
「ああ、ここは地元の人間でも何故かあまり来ないんだよ、そのせいかここの存在を知っている人間も多くないんだ」

【一条】
「地元の人でもあまり……来ない?」

【二階堂】
「理由はわからんが、この辺りに人がいるのを見たのは初めてだ」

【一条】
「だからこそお前たちは決闘場所をここにしたのか?」

【二階堂】
「鋭いな、2人ともあまりギャラリーがいる中では力を出し切れないだろ、もっとも俺は本気になったことは無いが」

【一条】
「そんなこと聞いたら廓が泣くぞ、あいつはどう見たってこの間は本気だっただろ?」

【二階堂】
「いやあれはまだ本気じゃない、力としては八部咲きぐらいだろうな」

どうやら廓は実力をまだ出し切っていないらしい、ちなみに二階堂は何%だったのだろうか?。

【二階堂】
「それで、ここに何か用事でもあったのか?」

【一条】
「用事ってわけでもないんだ、ただ、ここに来たら会えそうな気がしてね」

【二階堂】
「会えそう? それは川岸にいるあの女の子のことか?」

【一条】
「まぁ一応は……」

【二階堂】
「やれやれ、まさかのろけ話を聞かされるとはな、ここで待ってるから行って来い」

ポンと背中を押される、手でごめんの意思表示をして川原を降りて水鏡の元へ向かう。

【一条】
「こんなところで、どうしたんだ?」

俺の声に水鏡の肩がびくっと反応する。

【水鏡】
「あっ……誠人先輩」

【一条】
「こんちわ、今日はいつもと違ってかわいらしい恰好してるね」

今日は土曜日、当然水鏡だって普段着を着ている、ネズのセーターとスカートが紺色の髪に映えていた。

【水鏡】
「からかわないでください、私だって女の子ですから……」

女の子、あえて普通とは云わないでおく、普通の女の子は下着を見られたらあたふたするから。

【一条】
「川原なんかで何してたの? ここって地元の人でも来るのが珍しいんだって?」

【水鏡】
「そのようですね、ですが、だからこそ私はここに来るんです、ここはとても静かで落ち着きますから。
誠人先輩こそどうしてここにいらっしゃったんですか?」

【一条】
「俺はただの偶然、コンビニの帰りにちょっと寄ってみただけで目的は無いよ。
だけど、あえて云うなら君に会いに来たってとこかな」

【水鏡】
「……私に……ですか?」

とても不思議そうな顔をしている、これじゃ口説きに来てるみたいだな……

【一条】
「なんかさ、ここに来たらいるんじゃないかって思ってね、前もこの場所にいたよね」

【水鏡】
「良くご存知ですね、私もここには来たのはまだ2回目なのに」

2回目ってことは前見た時は初めての日だったんだな。

【一条】
「川の方を見てるようだったけど、ここに何かあるの?」

【水鏡】
「あるという云い方では何もありません、ですが、無いと云ったらそれは嘘になります」

なんとも難解な答えをするなぁ、頭の固い俺では少し理解に苦しむところだ。

【一条】
「俺には難しすぎるな、でも水鏡にとって何か大切な物があることはわかったよ
この川に何が眠っているのか、それは俺が立ち入っちゃいけないものなんだろうね」

はっきりとした答えを水鏡が出さなかった時点で云いたくないことなんだと察しがついた。
そのことについて俺がずけずけと足を踏み入れるのは良いことじゃない。

【水鏡】
「1つ聞いてもよろしいですか?」

【一条】
「俺に答えられることなら、どうぞ」

【水鏡】
「先輩は『奇跡』って信じますか?」

【一条】
「……え」

奇跡、俺にとって一番身近であり、そして、一番残酷な言葉。
生きることのために代償として記憶を失った、これは他でもない『奇跡』が起こしたでき事なんだ。

【一条】
「俺は……」

【水鏡】
「……」

【一条】
「……」

【水鏡】
「……」

【一条】
「……信じているよ」

信じざるを得ない、身をもって体験したことが何よりの真実なんだから。

【水鏡】
「たとえそれが、自分にとって都合の悪いことでもですか?」

【一条】
「前にも云ったよね、この世に完璧な器はペットボトルだけだって、『奇跡』だって同じことだよ」

【水鏡】
「わかりました、変なことを聞いてしまって申し訳ありませんでした」

【一条】
「いやいや、今日は水鏡の私服を見れただけで満足だよ」

どこからともなくキザっぽい科白が出てくる、酒が残っているのかな?

【水鏡】
「ふふ、先輩でもそんなこと云うんですね」

口に手を当てて水鏡が微笑む、初めて見る光景だった。

【一条】
「水鏡が笑ったの初めて見たよ、笑った顔も似合うね」

【水鏡】
「もう、本当に先輩は変わった人ですね」

【一条】
「最近自分でも変わってると思うよ、それじゃ俺はこの辺で失礼するよ、また学校でね」

【水鏡】
「はい、また学校で」

水鏡に別れを告げて川原上で待つ二階堂の元へと戻る

【一条】
「悪いな待たせてしまって」

【二階堂】
「なに気にならないさ、人の恋路に他人が介入するのはタブーだからな」

今二階堂はなんて云った? 恋路?……恋路!!!!!

【一条】
「勇、な、何か勘違いしてるぞ、別に俺は、水鏡と付き合ってるわけでもないし」

【二階堂】
「冗談だ、お前の反応が見たかっただけだ」

この男はー!!!!!

廓だったら間違いなく大振りフックが飛び出していたところだが相手が二階堂じゃ……
これは正しい選択だ、ここでカウンターを食らってBAD ENDなんてどこぞのゲームみたいな展開は嫌だ。

【二階堂】
「それじゃ帰るか、そろそろ廓のやつも眼が覚めたころだろう」

帰る間際にもう一度川岸を見ると水鏡はまだ川を眺めていた、時折吹く風に紺色の髪が泳いでいた。
このまま気付かずに帰ればよかった、だけど俺は気付いてしまった。
俺たち以外に川原の上で水鏡に視線を向けていた人物、萬屋 恨の存在を……

【一条】
「勇先に帰っていてくれるか!」

【二階堂】
「一条……」

二階堂に背を向けて萬屋さんの元へ走る。
以前から気になっていた、萬屋さんと水鏡は何か接点がある、まだ推測の域を出ていないが可能性はかなり高いと思われる。

【一条】
「はぁ、はぁ、はぁ、……萬屋さん」

いつもと同じロングコートに黒のフリースと目深に被った帽子、見間違うはずも無かった。

【萬屋】
「一条君か、私に何か?」

【一条】
「今日も川原にいらしてたんですね……」

【萬屋】
「ああ、私にも色々とやらなければならないことがあるのでね」

【一条】
「水鏡の……ことですか……?」

半分は好奇心、半分は疑りを込めて質問する。

【萬屋】
「……なぜそう思うんだね?」

【一条】
「あなたは以前俺の質問に水鏡とは『表面上の関係は無い』って云いました。
ということは表面上ではない、深いところで水鏡と繋がりがあるのではないかと思いました」

【萬屋】
「なかなか言葉の裏を読むのが上手いようだね、詳しいことは云えないが確かに私と彼女は知らない仲じゃない」

【一条】
「やっぱり……」

初めて萬屋さんに出会った時にあらかた予想はついていた、あの2人は何か関係があるんだって。

【萬屋】
「君は水鏡のことをどこまで知っているかね?」

【一条】
「どこまでって云われましても、自分の後輩であることぐらいしかわかりません」

【萬屋】
「やはり何も喋っていないか、まあ当然といえば当然か……」

萬屋さんの視線が天を仰いだ、そこにあるのは夕暮れ時の赤い空と紅に滲んだ雲だけだった。

【一条】
「萬屋さんは水鏡のことを何か知っているんですか?」

【萬屋】
「知らなくはないが君に私から教えるつもりは無い、君も本人が喋ってくれるまで待つ方が良いだろう?」

【一条】
「わかってます、他人からその人の秘密を知ろうとは思いませんよ」

【萬屋】
「ふふ、針も廻りだしたことだし、私が下手に手を出すのは好ましくないな……」

【一条】
「針……?」

【萬屋】
「気にしないでくれたまえ、唯の独り言だ、そろそろ私も失礼させてもらうよ。
それから、ここで私と話をしたことは水鏡には秘密にしてくれ、彼女は私のことを良く思っていないようなんだ」

【一条】
「わかりました、今日のことは2人の秘密ってことで他言無用にしますよ」

【萬屋】
「物分りが良いようだね、それじゃ……」

【一条】
「あっ、最後にもう1つだけ聞かせてもらって良いですか?」

【萬屋】
「君は毎回それだねぇ、かまわんよ何が知りたい?」

【一条】
「あなたは一体……何者なんですか?」

聞いてからしまったと思った、それはあまりにも萬屋さんに対して失礼な質問だ。

【萬屋】
「私は君の味方だ、そして……君の敵だ」

背を向けたまま萬屋さんはそんなことを云う、その声は今まで話していた萬屋さんの声とは違う。
鋭い刃物のような感覚を受ける言葉だった。

【一条】
「俺の味方であり、敵?」

【萬屋】
「心配はいらんさ、今は君の味方だ、全ては針の流れるまま……」

声をかけようとしたが萬屋さんは水鏡の方を指差した。
そこにはもう水鏡の姿はなくなっていた、視線を萬屋さんに戻すと。
……萬屋さんの姿もそこからなくなっていた、

【一条】
「萬屋さんが、俺の……敵……?」

……

敵……自分にとって対立的な立場に立つものを表現する言葉。

【一条】
「萬屋さんにとって俺は敵……どういう意味なんだ?」

萬屋さんには俺の存在が邪魔だということだろうか?
だとしたら、その前の俺の味方だというのがわからなくなってくる。
味方と敵は決して=(イコール)では繋がらない対称の位置に存在するもの。

【一条】
「今は俺にとって味方……」

わけがわからない、萬屋さんがどういったことで俺の敵になり、どういったことで俺の味方になっているのか。
その理由を知っているのは萬屋さん本人だけ、本人に聞けば早いんだろうけど……

【一条】
「たぶん、答えてはくれないだろうな……」

そのことはわかっている、萬屋さんとはまだ知り合って少しだけどなんとなくわかった。
萬屋さんはそう簡単には答えを教えてくれる人ではないと。

【一条】
「謎は増える一方だな……」

以前から解決しない大量の謎の中にさらにもう1つ謎は増えた。
謎の大半は水鏡と萬屋さんが絡んでいる、あの2人の存在が俺の頭の中で解けることの無いパズルを形成している。

【一条】
「いつか、このパズルも解けてしまうんだろうな……」

頭の中のパズルが解けてしまうとまた頭の中は空っぽになる、考えることを全て失ってまた元通り。
この世界に生きる意味を見出すことがこれほど大変なことだとは思わなかった。
記憶を失う前の俺は毎日をただ時間に任せて生きてきた、それは生に対する冒涜、時間軸の浮浪者でしかない。

【一条】
「生きる意味……俺にとって……」

今もほとんど変わらない、しかし違いがあるとすれば昔は時計回りに、今は時計と逆回りに時間軸を彷徨っていた。

……

【一条】
「ただいま」

【某】
「遅かったやないかー、勇だけ先に帰ってきてもお前がおれへんかったら飯食えへんやんけー」

いつもの廓に戻っている、もう酒が抜けたというのだろうか?

【一条】
「悪い悪い、ちょっと人に会ってたら時間忘れて」

【某】
「会ってたって女か! なんやねん一条、1人だけ抜け駆けしよってからに、いっぺん会わせてみ
そこでお前よりもわいの方が素晴らしいちゅーことをその子に見せたるさかい」

【一条】
「残念ながら会ってたのは男の人だよ、お前の興味を惹きつけるような人じゃないから」

【某】
「なんやねん男かいな、まぁわいを出し抜いて一条が女なんかつくれるわけあれへんよな。
いやー良かった良かった、一条に女ができてたらわいもう立ち直れへんかったわー」

この男はどこまで俺を莫迦にするんだ、お前にとって俺はどこまで劣ってるというんだ?

【一条】
「会った人のことは置いといて、食事にしようもう夕飯の時間だ」

【某】
「それもそうやな、勇あれ買ってきてくれた?」

【二階堂】
「……ほれ」

ポンと廓の目の前にカップ麺が落ちる、表示には『人間の限界に到達……天昇蕎麦……火薬味』と書いてある。

【一条】
「これって人間が食べて大丈夫な物なのか……?」

天昇ってことは……死?  火薬味って……爆発?

【某】
「食べれるもんやから売ってんねやろ、飲んだ後にはこれが一番やねん、お湯貰うで」

台所のポットでお湯を入れて廓が戻ってくる、蓋も開けていないのにすでに強烈な匂いがもれている。

【某】
「そろそろ時間やな、いただきやーす」

勢いよく蓋を開封するととてつもない辛味成分を持った匂いが部屋に立ち込めた。

【一条】
「うわ!! 死ぬ、死ぬって!!!!」

窓を開けることにより多少なりとも匂いの粒子を外に逃がす、一時的な回避策でしかないのは重々承知だ。

【一条】
「なんなんだこのおぞましい匂いは?」

【某】
「唐辛子の匂いやろ、それがいろんなもんと混ざって化学反応でも起こしてるんとちゃうか?」

中身を見ると唐辛子の赤一色のなんとも色見の悪い汁に、これまた赤一色の蕎麦が入っていた。

【二階堂】
「致死量限界の唐辛子エキスと唐辛子の絞り汁だけで麺を打てばこんな匂いにもなるさ」

二階堂はこの匂いの中でも冷静だ、それにしても致死量限界の唐辛子ってどのくらいの量なんだろう?

【某】
「これが旨いねん、ズズズズ……くわー!! からーーー!!!」

鼻に脂汗を浮かべながら蕎麦をすすっている、見てるこっちが死にかねない状況だ。
はがされた蓋にこんな表示がしてあった。

「これを食べて胃や腸に問題が起きたとしても私共は謝りません、食べる前に保険に入っておくことをお勧めします」

……完全自己責任とは、とんでもない商品があるもんだ。

……

【某】
「さてと、飯も食うたし時間もそろそろええころやし、わいらはおいとまさせてもらうか」

時間は9時ちょうど、1時間ほど前まで廓は胃が痛いと散々ごねていた。
そりゃあ、あんなもん完食すれば胃がおかしくもなるだろうさ。

【一条】
「もう帰るのか、それよりこんな時間まで家にいて親に怒鳴られないのか?」

【某】
「そんなん心配すんなや、うちは放任主義やねんから」

【二階堂】
「……別に大丈夫だ」

良い親に2人とも恵まれているな、俺とは大違いだ。

【某】
「じゃあまた来週会おうや」

【二階堂】
「……じゃあな」

2人揃って家を出た、二階堂が片づけを手伝ってくれたおかげでとくにすることも無い。
夕食も食べたことだし、今日はもう寝てしまうか。
布団に入ろうとしたところで携帯が着信反応を示していた。

【一条】
「誰だ???」

画面には『宮間 美織』と出ている、そういえば以前番号を教えたような気がしないでもない。
一体俺に何の用事なんだろう?

【一条】
「はい、俺ですけど……?」

【美織】
「あ、マコー、あたしー美人のお姉さんだよー」

自分で美人って云うなよ……

【一条】
「美織だろ、どうかしたのか?」

【美織】
「明日のことで色々と聞いておこうと思ってね」

明日?……ああ! そういえば何か約束をしていたな。

【一条】
「明日の料理のこと?」

【美織】
「それ以外何があんのよ、マコってば何か食べれない物とかあるの?」

【一条】
「これといってない、あえていえば……天昇蕎麦」

【美織】
「何それ? でもそれ以外なら大丈夫ね、そんな危ない名前の料理は作らないから安心しなさい」

もし作れたら家には入れないだろう、あれは核兵器と同類だ。

【美織】
「昼ご飯と晩ご飯どっちの方を教えて欲しい?」

【一条】
「できれば晩飯の方を……」

【美織】
「了解、だったら昼過ぎに行けば良いわね」

【一条】
「明日はお願いします」

【美織】
「はいはーいまっかせなさーい、男の子でも簡単にできるもの教えてあげるから、それじゃねー」

ブツっと電話が切れる、ころっと忘れていたが明日は美織が来て料理を教えてくれるんだった。
そうとわかれば急いで部屋の掃除をしなくてはな。

急遽掃除を始めた、満足がいって布団に入るころにはもう1時をまわっていた。

【一条】
「ふぅ……掃除も終わったし、寝よ」

今度こそ布団に入り眠りにつくことにする。
明日、俺は料理の腕が上がるのだろうか、僅かな不安と期待が眠りに拍車をかけた。





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜