【5月07日(水)】
【美織】
「それで、昨日の晩ご飯は上手くできた?」
【一条】
「まぁ、見た目以外はな」
【美織】
「見た目なんてどうでも良いんだよ、あれは調理に慣れてもらう為に教えたんだから。
それじゃあ今日はもう少し手の込んだ物を教えてあげようか?」
【一条】
「昨日の今日でそれはちょっと無理なんじゃないかな……」
【美織】
「あはは、それもそうかもね」
昨日の料理のことで盛り上がる、あれは初めて俺が食べれる物を作れた瞬間だったな。
【一条】
「このまま少しずつでも料理の腕が上がっていけば良いんだけどな」
【美織】
「うーん……それだとあたしは、ちょっと困るかな」
【一条】
「どうして美織が困るんだよ、腕が上がれば美織が心配する必要もなくなるだろ」
【美織】
「そうなったらあたしが作る楽しみがなくなっちゃうじゃない。
未来の旦那様にはあたしの料理を食べてもらいたいんだもん」
照れ隠しのように頬をポリポリと掻きながら呟く。
【一条】
「未来の旦那様って、まだそうなると決まったわけじゃないだろう」
【美織】
「良いの、あたしの中じゃもう決まってるんだから、あたしの旦那様はマコってね」
少々気が早いような気がするんだけど、美織が俺のお嫁さんになるってことだよな……
【一条】
「俺なんかを旦那に選んじゃって良いのか?」
【美織】
「初めては本当に好きな人とって文句があるでしょ、ファーストキスも初体験もあたしは心から好きな人を選んだはずだけど?」
この子は結構大胆なことをサラッと云うな、それが美織らしいといえば美織らしいか。
……
授業は滞りなく進んで気が付けば4時限目は終了して昼休みに入っていた。
【美織】
「マコ、購買にパン買いに行こうよ」
【一条】
「今日はパン食か、じゃあパン買って屋上に行くか」
【美織】
「さんせーい、それじゃ善は急げ、購買にゴー!」
……
購買で一戦交え、戦利品を手にしながら屋上を目指す。
【一条】
「何回行ってもあそこは戦場だな」
【美織】
「それはそうだよ、皆好きなものが買いたくて必死なんだもの、けど今日は結構良い物が買えたじゃない」
【一条】
「運が良かったな、いつもならすぐに売り切れてもおかしくないのにな」
俺が買ったのは焼きソバとハムカツ、美織はツナサンド、いつもの俺たちでは到底買うことなどできないパンたちだ。
【美織】
「長い人生好期が訪れることだってあるよ、そんなことより早く食べよ」
2人でパンの包みを破ってパンにかじりつく、麺とソースの味が素っ気無いパンの味によく合っている。
【一条】
「美織は今日の放課後は暇?」
【美織】
「時間なら空いてるけど、何か用でもあるの?」
【一条】
「簡単にできる料理の本でも買いに行こうと思ってるんだけど、俺が見てもどれが良いかなんてわからないから。
美織に見てもらえれば俺に合う本が見つかると思ってさ」
【美織】
「料理の本なんか買わなくても呼んでくれればあたしが教えてあげるのに」
【一条】
「それにしたって毎日頼むわけにもいかないだろ、美織の都合だってあるんだから」
【美織】
「あぁそっか……わかった、マコでも作れる料理がいっぱい載った本探してあげるよ」
【一条】
「ありがとな、今日も何かおごろうか?」
【美織】
「いらないよ、あたしはマコとデートできるだけで十分だよ」
【一条】
「今日のも別にデートって雰囲気じゃないけどな……」
……
食後の休息がとても心地良い、横になっているのもあるけど何より頭の後ろの感触が心地良い。
【一条】
「頼んでもいないのに悪いな」
【美織】
「そんなことないよ、あたしのはお気に召しまして?」
【一条】
「気持ちが良いよ、それに美織の顔がすごい近い」
今どうなっているかと云うと、俺の頭が美織の太股の上にある……膝枕ですね。
【一条】
「美織に膝枕してもらうのもこれで2回目か、前は美織に気絶させられたんだっけ」
【美織】
「あ、あれはマコがあたしの下着を見るからいけなかったんでしょ、自業自得だよ」
【一条】
「自業自得って云われてもね、あの時は2人ともこんな関係になるなんて思ってもいなかったな」
【美織】
「そうだよね、未来って不思議だよね……」
昼休み終了の予鈴が鳴り、美織の太股の上から頭を起こす。
【一条】
「午後も授業か、なんか憂鬱だな……」
【美織】
「年寄りみたいなこと云わないの、あと少しの間なんだからしっかりしなさい」
ポンと背中を押されて教室に戻る、屋上から出る瞬間、ふっと足が止まった。
【一条】
「……」
視線の先にあるのは屋上の西側、以前は水鏡がよく陣取っていたが今となっては主は誰もいない。
主人を失った屋敷が寂しく感じられるように、西側だけが空間が違うような悲壮感を覚えた。
【美織】
「……マコ」
【一条】
「……悪いな、ちょっと考え事してた」
【美織】
「早くしないと授業に遅れちゃうよ、次の授業、片襟先生だから遅れたら当てられるよ」
【一条】
「そいつはまずいな、あの先生遅れてきたらピンポイントで当てるからな」
授業で当てられるのはまずい、いつも真面目に受けてないのがばれてしまうからな。
前に中村が当てられて最後まで1対1で授業させられてたっけ。
急いで教室に戻る際、もう一度西側を見る。
何度見ても屋上であの少女の姿を見ることはできなくなっていた……
……
連日の美織とのデート……もとい買い物。
今日も美織は腕を絡めてくる、もうバカップルと云われても何も云い返せない。
【美織】
「この近くの本屋さんっていうと、結構奥に入っちゃうかな、それでも良い?」
【一条】
「どこの本屋でも料理書くらい置いてるんじゃないのか?」
【美織】
「その辺の本屋さんにあるのは大概手の込んだ料理ばっかり載ってる本になっちゃうんだ。
ここの奥の本屋さんは品揃えが良いからマコが探してるような本もあると思うの」
【一条】
「だったらそっちの方が良いな、手の込んだ料理なんか俺がやったら材料の無駄遣いだ」
【美織】
「って云うと思った、だから奥の本屋さんなの、アンダスタン?」
【一条】
「納得いたしました」
えっへんと小さく胸を反る、まいったかとでも云わんばかりだな。
【一条】
「このまま真っ直ぐ行けばその本屋あるんだろ、だったらゆっくりと行くか」
……
【一条】
「これなら俺にもできそうなのがいくつかあるな、美織恩にきるよ」
【美織】
「どんなもんよ、少しはあたしの凄さがわかった?」
またえっへんと胸を反る、今度はさっきよりもやや大きく反っている。
【美織】
「これからどうしよっか? 今買った本見てマコの家で晩ご飯でも作っちゃおっか?」
【一条】
「美織が良ければそうしてもらえるか、今日は見た目も良い料理が食べられそうだ」
本を鞄に詰めて周りの店を見ながら足を進め、様々な人とすれ違って行く。
【一条】
「……え?」
すれ違って行った人物の中にあり得ない顔を見つけた、あの顔を俺は知っている。
とっさに振り返るとその顔の人物の後姿、地面にまで届く長い髪をした少女の姿があった。
【一条】
「……まさか!」
美織の腕を解いて少女の後姿を追う、すでに少女は視界にははいっていない、急がないと……
【美織】
「ちょ、ちょとどうしたのよ?」
後ろで美織の声が聞こえるがか待ってはいられない、来た道を引き返しながら少女の後姿を探す。
【一条】
「くそ! どうしてこんなに人がいるんだ!」
それほど人なんていないはずなのに急いでいると多く感じてしまう、周りが見えていない証拠だ。
【一条】
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
もうだいぶ戻ったはずなのに少女の姿は見つかっていない、どこかですれ違ってしまったんだろうか?
再び踵を返して道を戻る、すれ違ったんなら戻ってみればきっと出会えるはず。
……
【一条】
「水鏡! どこにいるんだ水鏡!」
大声を出して呼びかける、しかしそれに答える返事は無い。
周りの人が何事かと俺の方を見ている、関係の無い人物が反応しないでくれ。
【美織】
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……マコ!」
【一条】
「美織、お前ここに来るまでに水鏡を見なかったか!」
【美織】
「見る訳無いじゃない、それに水鏡ちゃんは……」
【一条】
「見たんだよ、地面につくほど長い髪をして、顔だって水鏡の顔だったんだ!」
美織の肩をつかんで説明をする、消えたと思っていた水鏡が生きているんだ、きっと美織も喜ぶに違いない。
【美織】
「何……云ってるの……?」
思っていた反応と美織の反応は違った、喜ぶどころかどこか悲しんでいるように見える。
【一条】
「美織は嬉しくないのか、美織は消えてなんかいなかったんだ、あいつはまだ生きてるんだよ!」
【美織】
「……っ!」
パチン!
【一条】
「……な」
美織の平手が頬をぶつ、一瞬何が起こったのかわからなくなる、何故美織が俺をぶったのかがわからなかったから。
【一条】
「な、何をするんだ!」
【美織】
「今ので少しは眼が覚めた?」
美織の眼を見るだけで今の美織の心理状態がわかる、美織は今怒っている、何故だ?
【一条】
「み……美織?」
【美織】
「マコはまだ認められないの? 水鏡ちゃんがどうして私たちに別れを告げたかわかる?」
【一条】
「どうしてか……だって?」
【美織】
「普通なら別れなんか告げるはずがない、彼女は別れを告げることでマコがどうなってしまうかわかっていたから
だけど、彼女は別れを告げた、マコにはなんでだかわかる?」
【一条】
「そ……それは……」
【美織】
「水鏡ちゃんはね、マコに前を向いてもらいたかったんだよ、自分の為に後ろを振り返らないで前だけを向いてくれるように
自分が鎖になってマコにそれを断ち切らせる為に、水鏡ちゃんはあたしたちに別れを告げたんだよ」
【一条】
「……」
【美織】
「それなのに、マコは事実を認めようとしない、鎖を断ち切って現世を去るはずだった彼女を束縛した
彼女をさらなる鎖でがんじがらめにして、彼女の想いを無にしているの……」
【一条】
「……っ」
膝が震えだしてその場に膝をつく、力を失った人形が崩れるように弱々しく足は崩れた。
【美織】
「あたしたちの為に、あたしたちが水鏡ちゃんのことを乗り越えられるように、水鏡ちゃんは自らを障害にしたの」
【一条】
「そう……だったのか……」
【美織】
「マコ……水鏡ちゃんは心からあなたのことを好きだった、マコはそれに答えなくちゃ駄目だよ」
美織がそっと俺のことを抱きしめる、こんな人前で抱きつかれると恥ずかしくなるんだが……
と思ったのに周りには誰も存在せず、まるでこの時を待っていたかのように辺りは俺たち2人だけの空間ができ上がっていた。
……
【一条】
「俺は……水鏡を裏切ってしまってたんだな」
【美織】
「裏切ったと云うよりは、認められなかっただけだよ、それだけ水鏡ちゃんのことをマコは好きだったんだよ」
【一条】
「そうだったのかもしれないな、でも勘違いしないでくれ、水鏡の好きはお前の好きとは別物だから」
【美織】
「あら、どう違うのかしら?」
意地悪っぽく聞いてくる、俺はこんな質問が一番苦手なんだよな。
【一条】
「恋愛感情が有るか無いか、俺とおまえの間に有るのは愛で、水鏡との間に有ったのは恋なんだよ」
【美織】
「恋って恋愛感情無いの?」
【一条】
「愛の1歩手前が恋なんだ、1歩を踏み込めないから恋は実らない、俺と水鏡はそんなところかな」
珍しく美織が驚いたような顔をしている、キョトンといった表現がぴったりだ。
【一条】
「ど、どうした、そんな驚いた顔して?」
【美織】
「そこまでわかっていながらなんでもっと早くあたしに気付いてくれなかったのよー!」
【一条】
「急に怒るなって、俺だってここまでわかってることの方が不思議なんだから」
【美織】
「問答無用! 言い訳なんて聞きたくなーい!」
……
【一条】
「そんなにつんつんするなって、かわいい顔が台無しだぞ」
【美織】
「お世辞云うんじゃないわよ、どうせあたしなんて気付かれないくらい魅力のない女なんだから」
【一条】
「それは俺が鈍感だっただけだろ、美織だって俺が鈍感なの知ってるじゃないか」
【美織】
「鈍感男に恋と愛の違いなんかわかる訳無いでしょ、こんの詐欺師!」
【一条】
「お前そこまで云うか! それはいくらなんでも酷いんじゃないかい」
【美織】
「じゃあ云い直すわよ、こんのペテン師!」
うわ! 意味変わってないし もう美織の中で俺のイメージは悪人像でしかないんですか……
【一条】
「美織のそんなこと云われたらもう駄目かもしれない……」
ガックリと両肩を落とす、後ろから見たら浮浪者にでも見えるかもしれない。
【美織】
「……なーんてね」
浮浪者に救いの手が差し伸べられた、つんつんした態度が嘘のようになくなっている。
【美織】
「もう、マコってば変なところで冗談通じないよね、あたしが本気でそんなこと云うと思った?」
【一条】
「あのね……俺で遊ばないでくれよ、へこみやすいんだから」
【美織】
「へこんだらその時はあたしが慰めてあげるから大丈夫だよ」
まったく、美織には敵わないな。
……
【美織】
「ここでお醤油を1回しして蓋をして蒸らすの、時間にして1分くらいかな」
【一条】
「そんな細かい時間なんてわからないぞ」
【美織】
「大体で良いのよ大体で、1秒遅れたからって株が大暴落するわけでもないんだから」
【一条】
「株だって1秒そこらで大暴落するとは思えないけど」
【美織】
「例えなんだから良いの……なんて云っている間にもう1分くらいだよ、バターを入れたら火を止めて余熱で溶かす」
【一条】
「急に云うな! 火を止めてバターを入れて……後は?」
【美織】
「バターが溶けたらでき上がり、お皿に盛って温野菜でも添えれば立派な晩ご飯になるよ」
美織先生の指導の下、第2回お料理教室が開催。
本日の課題は豚肉料理、豚は生で食べると非常に危険と教えられた。
【一条】
「生か火が通ったかはどうやって見分けるんだ?」
【美織】
「串か何かを指して中から透明な肉汁が出れば焼けた証拠、子供でもわかるから大丈夫だよ」
【一条】
「なるほどね、これから豚を食べる時は気を付けないと」
【美織】
「初めて聞いたって感じだけど、今まで豚はどうやって食べてたのよ?」
【一条】
「豚なんか食べなかった、加工食品とか楽な物ばかり使ってたから」
【美織】
「あぁーなるほどね、ふふ」
【一条】
「はは……
【2人】
「あはははははは……」
……
【美織】
「この辺でもう大丈夫だよ」
【一条】
「いや駄目だ、美織が家に入るまでついて行く」
【美織】
「それってスト……」
【一条】
「それ以上云うな、へこむから」
【美織】
「ふふふ、ごめんごめん、星が……綺麗だね」
見上げた空は一面の暗黒世界、その中に宝石でも散りばめたように幾千の星が輝いていた。
【一条】
「昔誰かが星空のことを海って云ってたけど、まんざらでもなさそうだな」
【美織】
「昔の人は皆詩人だったんだね……星の海か」
【一条】
「それから、俺たちを結び付けてくれた少女が還る場所でもあったんだ……」
【美織】
「うん、そうだね……少女が眠る海、あの子きっと幸せになれるよね……」
【一条】
「なれるさ……俺の妹なんだぞ」
【美織】
「その俺のってのが心配なんだけどなぁ」
がく、どこまで俺は駄目兄貴だって云うんですか美織さん。
そんな他愛もない話しをしているうちに美織の家の前についてしまった。
【一条】
「今日はありがとうな、本屋のことや料理のこと、それから……水鏡のことも」
【美織】
「水鏡ちゃんとは約束したからね、どんな時でもマコのことを支えてって
それが水鏡ちゃんがあたしに残したお願いなんだから」
踵を返して家の扉を開ける、扉を閉める前に一言「お休み」と満面の笑みで残していった。
美織の家から帰る途中に再び空を見上げる。
【一条】
「不甲斐無い兄貴で悪かったな、だけど、もう俺は大丈夫だ。
もうお前の幻影にすがったりはしない、それがお前の願いなんだよな、そうだろ……水鏡」
きらめく星空に眠る少女に向かって、俺はあの時の別れを告げた……
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