【4月14日(月)】


机に突っ伏したまま、ぼんやりと空を眺めていた。
今日の朝は辛かった、まさか目覚ましの電池が切れているとは……

そのため、学校まで全力疾走を余儀なくされ、何とか間に合いはしたものの何故か教室には入れなかった。
そこをアシストしてくれたのが廓の存在。

あいつがいてくれたおかげで、俺は今平然と授業を聞く振りをしていながら空を見ている。
かわりに昼食のパンをおごることになったけど、それくらい安いもんだ。

と、思っていたのが大きな間違いだった……

……

廓にパンをおごり、自分用のクリームパンを手に屋上に出るとそこには美織の姿があった。

【美織】
「マコー、どうしたの浮かない顔して、もしかして某にスペシャルおごらされたの?」

【一条】
「おごらされた、昼飯に800円も使わせやがって」

【美織】
「某がパンおごれって云った時点で予想はしてたけど、相変わらず策を練るのが上手いやつね」

【一条】
「まったくだ、美織も気付いてたんなら忠告してくれよ」

【美織】
「駄目よ、人は人生の波に揉まれて成長するんだから、良い社会勉強だったでしょ?」

【一条】
「もう廓のことは信じない……」

【美織】
「今まで某を信じてたことが全ての間違いだったのよ」

廓を無闇に信じるのはもうよそう、いつかあいつをはめてやる。
美織が座っていたベンチの横に腰を下ろして買ってきたパンにかじりつく。
このクリームパンの味は一生忘れない、これは俺の敗北の味だ。

【美織】
「それにしても先生もよく気付かなかったわね、あれにはあたしも驚いたわ」

【一条】
「……本当に気付いてないんなら良いんだけどね……」

【美織】
「どういうこと?」

【一条】
「なんかあえて気付いてないような振りをしていた気がするんだよな」

【美織】
「何でそんなことする必要があるのよ?」

【一条】
「後々そのことで揺すられて多額の紙幣を渡すことになったり……」

美織の顔がキョトンとしている、同じことでも考えていたか?

【美織】
「あんた●曜サスペンスとかの見過ぎなんじゃない? そんなことが現実にあったらそこら中死体の山ができるじゃない」

呆れ顔で見られる、それほどまでに莫迦な考えをしていたようだ。
それから俺は●曜サスペンスとかの類は見ないぞ。

【一条】
「たかが遅刻1回でそこまで飛躍したら日本も終わりだろうな」

【美織】
「大丈夫よ、そこまで莫迦な考えあんたくらいしかしないから」

ボロクソ云われてる、俺の頭の中はつねに金と死体でも漂っているのだろうか?

……

パンを食べ終わってすることなく空を見る、雲ひとつ無い真っ藍な世界が広がっていた。
こんな良い天気の日はオカリナを吹くに限る、ポケットに手をいれオカリナを探す。

……あれ

ポケットをいくら探っても中にオカリナは入っていない、どこかで落としたか?
でもあれは焼き物だ、落とせば否が応でも音が鳴るはずだ、ということは落としたんじゃない。
俺は今日のことを振り返ってみた、今日は朝から慌しかっ……それだ。
答えは簡単、朝急いでいたからポケットに入れ忘れたようだ、

【一条】
「時間が無いからって貴重品くらい確認してから来いよな……」

【美織】
「貴重品って何か忘れたの?」

【一条】
「オカリナ忘れた……」

【美織】
「……は?」

【一条】
「オカリナだよ、いつも俺が吹いてるやつ」

【美織】
「……はぁ」

【一条】
「……どうした?」

【美織】
「深刻な顔してるから何を忘れたのかと思ったら、心配したあたしが莫迦だったわ」

【一条】
「あれは俺にとって大事な物なんだ、あれがないと……」

【美織】
「別に死ぬわけでもないでしょ、1日くらいオカリナにも休暇を上げなさい」

オカリナに休暇上げてどうするんだ……そう云いたかったがどうせ美織に一喝されるので止めた。
そりゃあ死ぬことは無いが身につけてないとなんか落ち着かないんだよな。
オカリナも無しにこの空の下にいるのは贅沢だ、教室に戻ろう。

【美織】
「あれ、どこ行くの?」

【一条】
「することも無いから教室に戻って寝る」

【美織】
「待って、私も一緒に戻るから」

美織が俺の横に並んで屋上を後にする、その時俺の目はとらえてしまった。
ここの屋上は入り口から西と東にスペースができている、普段俺たちが使うのはベンチがあってスペースの広い東側を利用している。
西は東側の半分程度しかなく、ベンチも無いのであまり人は使用しない。
それ以前に屋上を使う人間がこの学校にはほとんど存在しない。
その西側に1人の来客がいた、それは俺が自分を見失ってしまうあの紺髪の少女だった。

【一条】
「あ……」

少女を視界にとらえると俺の足が動かなくなった。

【美織】
「どうしたの急に立ち止まって、何かあったの?」

異変に気がついた美織が俺の視線と同じ方向を追う。

【美織】
「あれ、珍しいね西側に人がいるなんて、それであの女の子がどうかしたの?」

【一条】「……」

【美織】
「ねぇマコ聞いてんの? マコ、おーい」

少女は手すりに前向きに肘をついて街の方を見ていた、まだ俺のことには気付いていないようだ。
あの少女と話がしたい、あの少女と話をしなければならない。
しかし、俺の足も、咽も、全てが少女を前に動こうとしない。
体が彼女との交わりを避けている? そんな風に感じられた。

【美織】
「おーい、マコってば、聞こえてるー、聞こえてたら3回回ってニャンって云いなさい」

耳にノイズが走る、俺の頭を揺さぶる酷く耳障りなノイズだ。
ノイズの元を断ちたい、でもそれは少女から眼を離すことになるそれはできないことだ。
体が拒絶する以上、見る以外の行動は俺に許されてはいないんだ……

【美織】
「どうしちゃったのよー、もしかして何かの発作とかじゃ……」

キーンコーン

休み終了の鐘が鳴る、鐘の音と共に少女がこちらに振り返った。
少女の視線が俺を刺す、俺の心臓は張り裂けそうなくらい鼓動を早めている。
俺の存在に気付いた少女は一瞬驚いた表情をしたがすぐに無表情に戻り屋上を後にした。
少女が俺の前を通り過ぎる際、俺の眼と少女の眼が交差する。
俺は心臓に痛みを覚えた、まるで針で刺すような鋭い痛みだった……

【美織】
「マコー! 起きてー! こんなところでおかしくなっちゃ駄目ー!」

突然の美織の声で俺の思考が回復する。

【一条】
「……あれ……俺は何を……」

【美織】
「良かったー、元に戻った、もうびっくりするじゃないいきなり眼が虚ろになっちゃうんだもん」

【一条】
「眼が虚ろ……俺はどうしたっていうんだ……?」

少女の姿を見たとたん俺が俺じゃないような感覚にとらわれた。
美織の声は聞こえていた、それなのに俺の全神経は美織には傾かなかった。
少女に魅入っていた、それが俺の全てを表すのに相応しい表現だと思う。

【一条】
「頭が……痛い……」

【美織】
「次の時間休んだ方が良いわよ、保健室まで連れてってあげるから行きましょう」

次の時間はそうした方が良さそうだ、今の状況は俺の頭では全てを整理することはできない。
1人の少女に魅入ってしまった……ただそれだけでは無いような奇妙な引っ掛かりを感じていた。

……

【美織】
「失礼しまーす」

保健室の中は病院と同じような白を基調とした造りになっている、どこの学校でも大体同じだよな。
美織が保健の先生を探すが部屋に先生の姿は無かった。

【美織】
「先生いないみたいね、とりあえず先生が戻ってくるまであたしが側にいてあげるから。
マコはベッドに横になってて」

【一条】
「そんな重病人みたいなことしなくても座ってれば大丈夫だって」

【美織】
「だーめ、またさっきみたいにおかしくなったら大変でしょ、ほらほら文句云わないで大人しく寝る」

【一条】
「わかった、わかったから背中を押すな」

ぐいぐい背中を押すのでしかたなくベッドに横になった。

【一条】
「あーぁ、遅刻は免れたのに1時間欠席ですかい、けっきょく同じになっちゃったな」

【美織】
「やっぱり世の中上手くできてないのね、作ったツケはかならず返さなきゃならないのよ」

【一条】
「なぁ……美織……俺はさっきどうなってたんだ?」

【美織】
「どうなってたって、覚えてないの?」

【一条】
「覚えて無くはないけど、それは俺の記憶でしかない、無意識のうちに捻じ曲げているのかもしれないだろ」

俺の体がどうなっていたかは自分が一番良く知っている、でも俺はそれを認めたくないんだろう。

【美織】
「なんだか急に立ち止まってあの女の子のことを見ていたのよ、その後あたしが何云っても聞こえてないみたいでさ。
女の子がいなくなるといつものマコに戻ったんだけど、何かちょっと変だったよ」

【一条】
「……変?」

【美織】
「うん、女の子を見ていたマコはまるで別人みたいだったの、でも雰囲気はマコの物だったから
2重人格って訳でもないと思うの」

【一条】
「別人……2重人格……」

【美織】
「ねえマコ、あの女の子のこと何か知ってるの?」

【一条】
「何回か顔を合わせたことがあるだけだ、話したことすら無い」

そうなんだ、俺はあの少女とは話したことも無い、それがまた俺の頭を掻き回す。
話したことでもあればそれで少女に魅入ってしまったのかもしれない。
しかし俺は少女と話したことがない、少女に魅入ってしまう理由が見つからないのだ。
容姿に魅入っていたのならなおのことおかしい、今まで何度か遭っているが今までは自分を失うほど少女に魅入りはしなかった。

【一条】
「本当に、訳わからないな……」

ベッドに腕を広げ大の字になる、このまま考え事を白で塗りつぶせたらどんなに楽なことか。

【美織】
「もう余計なこと考えないの、また頭痛くなるでしょ、この時間はゆっくり寝なさい」

【一条】
「悪いがそうさせてもらうよ、保健の先生が来たら六時限目始まる前に起こしてくれるよう頼んでくれないか?」

【美織】
「了解、とは云ってもたぶん起こすのはあたしになるだろうね」

最後に美織が何か云っていたが、俺の耳には聞き取ることができなかった。

……

六時限目が始まる前に美織に起こされた、先生が戻ってこないからずっといてくれたらしい。
寝たおかげで頭の痛みはなくなっていた、美織と一緒に六時限目を受けるために教室に戻る。
そのまま六時限目を受けたが頭に授業内容など一切はいってこい、頭の中ではあの少女のことでいっぱいだった。

……

学校からさっさと退散する、学校にいるとあの少女に出会ってしまいそうで怖い。
荷物をまとめて一目散に教室を飛び出した。
靴を履き替え校門を出るとそこには廓と二階堂の姿があった。

【某】
「おう一条、今日はえらい早い撤収やな」

【一条】
「たまには俺だって早く帰るさ」

【某】
「そういや一条、お前五時限目はどこに行っててん?」

【一条】
「体調が悪かったから保健室に、美織にも付いて来てもらって悪いことしたな」

【某】
「なんや美織と保健室で2人っきりかいな、ええシチュエーションやなあ、それで2人はどこまでいったん?
もうしかして最後までいったんじゃ、いやー、一条君だいたーん!」

自分の体を抱きしめてくねくねと体を震わせている、何を妄想し始めたんだこいつは!

【一条】
「1人で盛り上がってるところ悪いんだが、俺は寝てたから何も起きなかったぞ」

【某】
「寝てたってことはその隙にあんなことやこんなことされとるのかもしれんねんぞ
 初体験が女に襲われたって男のプライドズタズタやな、ご愁傷様」

【一条】
「だから何も無いって云ってるだろー!」

……

電気も消されたベッドの上で、俺はぼんやりと考えていた。

俺は一体どこで踏み外してしまったのだろうか?
2人と一緒に帰ったから? 屋上で倒れてしまったから? 朝遅刻しそうになってしまったから?

……違う、どれも当てはまらないな。

踏み外す要因なんて無かった、しかし、実際俺は踏み外してしまった。
もう思い出したくもない、狂気に魅入られたあの瞳の色、あれは常人のそれじゃない……

俺は、俺は一体なんなんだ?

人を傷つけ快楽を得る怪物、そんな表現がぴったりではなかろうか?

この日、俺は初めて自分を恐ろしいと感じた。
この手が、この口が、この眼が、俺の全てが狂気を求めていた。

帰り道、俺は初めて人を傷つけた……





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜