【八章・ 再構築】
「ケホ、ケホ……」
咳をするたびに咽の奥がいがいがと痛い、少し風邪気味なのかもしれない。
今日も空模様は最悪、バシャバシャとではないけど雨は一向に降り止む気配を見せないでいる。
最近はずっとこんな天気が続いている、たまにはパァッと晴れて欲しいのだけど、空模様は意地悪だ。
「……クシュ!」
くしゃみまで次いで出てきた、肩がぶるりと震えて肌寒さだけを残していく。
結構厚着をしてきたつもりなんだけど、表面が雨で湿ってしまうとそれほど効果が無いみたい。
隣の公園からコーンと鐘の音が聞こえる、時計に視線を移してみると針は2時を示していた。
10時くらいから街に来ているから、もう4時間近く色々と街中を歩き回っている。
夜、というか眠りについたのが朝の5時だったので、眼が覚めたのは9時を少しまわったくらいだった。
ぼけーっと目覚まし時計を眺め、学校に遅刻していることに気付くと、なんだか学校に行く気がポンッと削げてしまった。
それから遅めの朝ご飯を食べて、いつものように街に繰り出している。
今回は初めて学校に何の連絡もしなかった、どんどん素行が悪くなっていくよ。
これで早くも6回目、これだけ一定期間に集中して休んでいると、今度のテストは相当頑張らないとまずいかもしれない。
それどころか、出席次数不足でテストさえ受けさせてもらえないかもしれない、出来ることなら留年は避けたいな。
もし私がこれで留年したら、あいつの頭を一発くらい叩かせてもらわないと気が済まない。
私が好きで探しているのに、いつの間にかあいつが悪者になっている、いつまで経っても見つからないからやきもきしている証拠。
「いい加減見つからないと、私だって怒っちゃうよ……」
私の呟きなど聞こえるわけもないが、どこかであいつに聞いていて欲しかった。
そうでも考えないと、なんだか絶対に会えないような気がしていたから、あいつは前から人の心知ってか知らずかだったから。
そのまま街中をもう1周、これで今日5週目、まわり終わるころには時間は4時近くなってしまっていた。
当然のごとく雨は降り続いている、降水確立80%、ほぼ確実に降ると言っていい予報は見事に的中している。
さすがにさっきよりは少し穏やかになり、しとしとと、なんだか悲しげに雨は降り続けている。
だけど、今日は本当に寒い、風はほとんど吹いていないのに私の体は寒さを訴えるように小さく震える。
これだけ厚着をしているのに、今日はいつもよりも服が濡れていないのに、今日はいつにも増して肌寒い。
今日はこれくらいにして早めに帰ろう、そしてお風呂で温まって早く寝よう。
きっと睡眠不足もこの肌寒さに関係しているんだろう、たまには日付が変わる前に寝よう……
そんなことをぼんやりと考えていると、顔がポォッと温かくなり、なんだか目の奥が霞むような変な感じがする。
街の色が少しずつ淡い色に変わり、やがて色という概念全てを超越した白一色の不思議な景色に変わった。
ドシャ!
服が雨に濡れたアスファルトに沈み、じくじくと服が周りの雨を吸い上げていく。
傘は私のやや前方で逆さになり、本来雨に濡れることのない内側を容赦なく雨は濡らしていた。
痛い、膝と体がとても痛い、服をまとっていても痛みはほとんど和らがず、私の体にダイレクトに近い状態で駆け抜ける。
長い髪がばさっと弧を描くように広がり、その髪を雨が濡らして1本1本の髪が複数の髪にまとめられる。
視点がとても低く、人の足元ばかりが視線の先には移る、頬が地面に触れているから低くて当たり前。
何が起こったのか瞬時に判断することは出来なかったけど、この頬に当たるアスファルトの冷たさ、嫌でも何が起こったのかをわからせる。
アスファルトとは対照的に私の顔はとても熱くなっていた、それと同時に訪れる息苦しさ。
「はぁ、はぁ……」
体が動かない、意識してもどうしても命令が身体の先まで送られない。
やがて視界がぼやけ始め、今見ているものが何なのか判別することも出来なくなっていく。
そして私の上から聞こえてくる女性や男性の声、何を言っているのかまでは判断できない、なんだか声も遠くなり始めているし。
全ての感覚が鈍くなり、やがて消えていく、私が最後にそう考えた途端、私の意識がぷっつりと途切れてしまった。
ブラックアウト……
……
「……」
カウンターの裏側で頬杖をつき、ぼぉっと鈍く輝く店の照明を眺めていた。
澄んでいるわけでもなく、ぼんやりとぼやけているわけでもない、例えるならば琥珀のような不思議な色。
時折ゆらりと輝きが揺れ、また輝きが元に戻る、特別見ていて楽しい物ではない。
俺だって好き好んであんな照明を見続けているわけじゃない、他に視線を移す場所がなかったから仕方がない。
「悩み事ですか? 六乃……いえ、最堂さん」
一仁さんは六乃宮と言おうとしたのをグッと堪え、最堂と言いなおした。
眼の前にいるのは『最堂』と言う男であり『六乃宮』ではない、とわかってはいるものの、やはり言ってしまうものなのだろう。
俺が逆の立場だったらどうなるかわからないが、一仁さんには俺は一体どっちで映っているのだろうか?
「……なんでもありませんよ、ご心配なく」
「そうですか……」
なんだかギクシャクした会話、勿論原因は俺であろう。
先日一仁さんと観澄さんに教えてもらった『六乃宮ハモン』という人物の存在。
そしてその『六乃宮ハモン』というのは、記憶を失う前の俺ではないだろうかと言う仮説のせいだ。
なるべく考えないようにしていたのだが、仕事の合間にちょっと気が抜ける時間があるとどうしても考えてしまう。
俺はもう過去を振り払ったんだ、今更過去について考える必要なんてないだろう。
頭の中ではそう思っているものの、実際可能性というものを聞くと、人間どうしてもその僅かな可能性を考えてしまう。
過去はもういらない、そう決断したのは他でもない俺だ。
だけど、今になってまた過去というものを考え始めるということは、俺のあの決断はなんだったんだ?
まったく、ズルイというかなんと言うか……
それでも、俺には『六乃宮ハモン』を名乗る気は毛頭ない。
たとえ俺が『六乃宮ハモン』その人であったとしても、俺は今まで通り『最堂セラ』を使い続けるだろう。
何故なら、俺の頭の中にもう以前の記憶は何1つ残っていないからだ。
『六乃宮ハモン』である、しかしそのころの記憶は何1つない、これで本当に『六乃宮ハモン』であると言えるのだろうか?
聞く人によって答えは変わるだろうが、俺はNOと答えるだろう。
外見だけ同じで、中身は全く違う、例えは悪いが言ってみれば福袋だ。
福袋は外見からは全く同じ、しかし中身は千差万別、それらが外見が同じだからと言う理由でイコールで結べるだろうか?
きっと大半の人が否と答えるだろう、それと同じ……本当に例えが悪いな。
普段はカランコロンと大人しくなる鐘が、カンコーンと激しく鳴り響く。
勢いよく扉を開けて入ってきたので、最初はガラの悪い酔っ払いか何かだと思ったけど、よく見ればその人は観澄さんだった。
傘をささなかったのであろうか、髪の毛が雨に濡れて少し固まっている。
さらには走ってここまで来たのであろう、肩でゼェゼェと荒く呼吸をし、息を落ち着けようと必死に呼吸をしていた。
「水出しましょうか?」
「いえ……はぁ、結構です……はぁ」
はぁはぁと洗い息遣いが次第に収まる、収まった途端に今度は一仁さんの肩を強く揺すり始めた。
「ねえちょっと、大変なんだよー!」
「や、ちょっと、落ち着いてください……俺の肩を揺する前に状況を説明してください」
ガクガクと首が前後に動くが、そんな仲でも一仁さんは酷く冷静だ。
「憐が……憐が……」
「三田村さんが、どうかしたんですか?」
「街中で、倒れたって……」
「!」
揺すり続けていた観澄さんの手がピタリと止まり、そのままうつむいて固まってしまった。
その事実を聞いた一仁さんも、うつむく観澄さんを見続けるだけで、その先の行動に移せないでいた。
「それは、確かな情報ですか……?」
「……うん、さっき憐の携帯から、病院から連絡が入ったの。
医者の話だと、疲労の蓄積による限界、風邪をひいて熱があったのも要因だろうって」
うつむいていた観澄さんが顔を上げ、俺の顔を正面に捉える。
俺と観澄さんの視線が交差する、観澄さんの眼は、とても悲しげに泣いていた。
「憐が……倒れたんです……」
「聞こえていましたよ……」
「……それだけ……なんですか……?」
「……」
それ以上俺に何をしてくれっていうんだ? 俺なんかに何を要求するっていうんだ?
「お気の毒に……」とでも言えば良かったっていうのだろうか?
「憐は、ずっと彼方を探してた……学校も休んで、毎日街に出て彼方を探していた。
……お願いします、病院へ行ってあげてください」
「俺が行っても、何も出来ませんよ……」
「何も出来なくても、良いんです……彼女は、彼方がそばにいてくれるだけできっと」
観澄さんは泣きながら俺に願いを告げる、しかし、俺の返答は首を横に振るだけだった。
「どうして、ですか……」
「前にも言ったとおり、俺は『六乃宮ハモン』ではありません、それだけのことです。
関係のない者が会いに行っても、何の意味もありません」
「彼方はハモちゃんじゃない……どうして……そこまで否定するの……」
「確証がない限り、認めることは出来ません……」
俺の返答が不満なのか、観澄さんは首を振り……
「どうしてそうやって過去から逃げるの!」
怒鳴り声に近い声で、俺に声をぶつけてきた。
眼に溜まった涙はボロボロとこぼれ、頬に涙の筋がはっきりと残っていた。
「確証なんてなくても良い……彼方は私たちの友達だった、『六乃宮ハモン』じゃない。
彼方はわからなくても、私たちには彼方が彼だという自信がある……過去がわからないんだったら私たちが教えてあげるから。
だから……お願い……憐に会いに……」
「観澄……」
口を両手で覆い、涙をこぼしながら、観澄さんは再度俺に行動を求めた。
最後の方はもう声が続かず、途切れ途切れだったけど、何を言いたいのかは言わなくてもわかる。
最近女の子を泣かせてばっかりだ、あんまり女の子に泣かれるのは好きじゃない。
首を縦に振ればそれで良い、ただそれだけなのに、俺の首が縦に振られることはなかった……
「申し訳、ありません……」
深々と頭を下げ、俺は彼女の再三の申し出にも応じることはなかった。
「う……ぅ……」
口を覆っていた両手はいつしか顔全体を覆うように変わり、彼女は嗚咽をもらしながら泣いていた。
店内が一瞬の静寂に包まれ、次の瞬間にはざわざわと小声で飛び交う声が聞こえた、まずい、今は営業時間中だ。
仕事中に私情を挟んでしまうとは、まだまだ仕事をする考えに落ちがあるようだ。
「皆さん、お騒がせして申し訳ありません」
一仁さんが他のお客に向かって深々と頭を下げた、一仁さんはほとんど関係ないのに、本当は店員である俺がしなければいけないことだというのに。
「店長、お騒がせしました……観澄、帰りましょう」
泣き続ける観澄さんの肩に手を沿え、一仁さんは泣き止むように軽く肩を擦った。
「お客様方、真に申し訳ありませんが、本日の営業はこれで終了とさせていただきます。
お代は結構ですので、どうか今日のところはお引取りを願いたく存じます……」
今度は前河さんがお客さんに向かって深々と頭を下げる。
皆名それで納得してくれるのか不安だったけど、皆「また来ます」や「仕方がないですね」と言葉を残して店を出て行った。
前河さんの人柄がなせることなのか、俺のやりとりを見たら居心地が悪くなったのかは定かではないが……
「申し訳ありません、営業妨害もいいとこですね……」
「いえいえ、たまにはこんなことも起きますよ、そちらのお客様はまだ落ち着かれませんか?」
「はい、まだみたいです……」
「では牛乳でも温めて持ってきましょう、お2人はそちらに座ってお待ちください、それから最堂君」
お客が居なくなったテーブルのグラスを片付けていると、前河さんに呼び止められた。
「君はもう今日は帰っていただいて結構ですよ、後は我々でやっておきますから」
「え、それじゃあ悪いですよ、洗い物もありますし」
「幸いにもそこまで込んでいませんから我々で十分処理できますよ、それから、明日は休業にしますから。
ゆっくりと休んでまた明後日から仕事への復帰、頼みますよ」
前河さんはいつものように微笑を浮かべている、しかし今の微笑、裏に1つ意味が隠されていそうだ。
「今は私の言うとおりに従ってください」、そんなことを言っているような感じが前河さんから感じられた。
「わかりました、では、お先に失礼します」
「はい、お疲れ様です」
前河さんに一礼をし、俺は早めの閉店を迎えた店を後にした。
……
「どうぞ」
泣きはしなくなったものの、まだ肩を小さくして目を真っ赤に晴らせた観澄の前に、前河さんがカップを置く。
カップからは湯気がモアモアと立ち上りほんのり甘い香りが漂っていた、ホットミルクだろう。
「ありがとう……ございます……」
まだ半べその状態でカップを取り、フーフーと軽く息を吹きかけてから口をつけた。
「あち……」
ホットミルクなんだから熱くて当たり前だろ、と思うんだけど、泣き止んだのを見てちょっとホッとしている自分がいた。
観澄が落ち着くのを待ってから、店長さんは話を切り出した。
「最堂君は、ずっと悩んでいたんですよ……」
「え……?」
「お2人は彼がどうしてこの地に来たのかは聞いていると思いますが……」
確か、あの手帳に書いてあることを確かめたかったから、ではなかっただろうか?
「前、彼にそのことを相談されましてね、あの手帳に書いてあることを確かめたい。
だが、いざそのチャンスが訪れたら知ることが怖くて仕方ない、自分の知らない自分に触れるのが怖くて仕方なかったそうです」
「そう、だったんですか……」
「そんな彼に私と、厨房に居る久我瀬さんは選択を迫りました、過去を知りたいのか、知りたくないのかと。
彼の選択したのは後者でした……過去にとらわれず、今の自分つまり『最堂セラ』として生きて行くこと選択をしました」
そこでふぅっと一息ついて間を取り、さっきよりもずっと真剣な眼で俺たちに告げた。
「彼はあの時に過去の全てを捨てたんです、君たちが言う『六乃宮ハモン』という過去の全てを。
その決断を下すのは彼自身辛かったでしょう、それでも彼は悩み、その決断を決めた。
しかしそんな決断をした彼の前に、君たちが現れた、彼の過去を知っているであろう君たちがね」
「俺たちが、ですか……」
「彼にとって、君たちの登場は誤算だったでしょう、君たちが現れなかったらもう過去に悩むことはなかった。
ですが皮肉なものですね、彼はようやく過去を諦めることが出来たのに、君たちに出会ってしまい再び過去を考えなければならなくなった。
ようやく枷を外すことが出来たのに、再び枷は彼に戻ってきてしまった……
捨てても捨てても戻ってくる、とても怖いことだとは思いませんか?」
「……」
俺も観澄も何の発言も出来なかった、店長さんが何を言わんとしているのか、まだ把握しきれていない。
「観澄さん……彼はずっと1人で悩み、1人で決断を下しました、それはとても勇気がいることでしょう。
もう過去に縛られたくはない、確証がない限り自分と認めないとは言っていますが、きっと本心は別の所にあるんでしょう」
「え……どういう、ことですか……」
ちびちび飲んでいたホットミルクから口を離し、店長さんの言葉に疑問を投げる。
「彼は自分のこともそうですが、それ以上にその……憐さんと言いましたか、その人のことを考えているんだと思いますよ」
「そんなことない……だったら、あんな冷たいこと……」
「ああでも言わないと負けてしまうと思ったんでしょう、情というものにね。
彼自身も言っていました、今の自分は前の自分ではない、外見は同じでも中身は全く違う別人だと、全くその通りです。
そんな彼が、その子に会いに行って何か進展することがあるでしょうか? 一目見てまずその子は喜ぶでしょう、しかし次はどうですか?」
「どうって、言われても……」
「彼には何も応えることがで来ません、その子に何を言われても黙っているしかない、もしくは自分が違う人物だと言ってしまうかもしれない。
前者にしても後者にしても、1番傷付くのはその子自信です、それが長い時間待っていたのならなおさらにね。
一目会えば彼女は喜ぶかもしれない、ですがその先に待っているのは絶望、悪い言い方をすれば彼女にとってそれは裏切りに近いです。
彼女を傷付かせるのがわかっている以上、会いに行くのはマイナスにしかならない、そう考えたんじゃないですか?」
店長さんの回答を聞き、俺はやっとそういうことかと納得することが出来た。
俺とは違ってまだ納得しきれていない観澄はなおも食い下がろうとするが、観澄よりも先に店長さんは言葉を続けた。
「彼方方の情に流されてしまうことで、お互いが傷付く結果になってしまう、それならばいっそ会わない方が2人にとって最善である。
彼はそういった考えをする人ですよ……彼の気持ちも、わかってやってください」
「……確かに、六乃宮は昔からそういうやつでしたね」
「一仁……それはそうかもしれないけど、それじゃあ憐は……」
「……今の三田村さんに必要なのは当時の六乃宮だ、今の最堂さんが会っても何の意味もない。
そして六乃宮がいない間、三田村さんを支えたのは他でもない彼方です、今は彼方しか三田村さんのそばにいることは出来なそうですね」
俺は自分が何をしなければいけないのかを考えるために、スッと席を立ち、店長さんに頭を下げた。
「状況が変わったら連絡をください、では」
……
「あ、一仁」
一仁は私を置いて1人で店を出て行ってしまった、あいつ本当に私の彼氏って自覚あるの?
急いで残ったホットミルクをのどに流し込む、まだ底の方は熱かったので一瞬咽の奥がびっくりした。
「観澄さん」
追いかけようとして席を立った私を店長さんが呼び止める、前から後ろへ急な方向転換で転びそうになった。
「なんですか?」
「色々とご無礼な発言失礼いたしました、憐さんのことを一番に考えているのはよく伝わりました。
ですが私も最堂君には信頼を寄せています、彼の気持ちを代弁出来ているとは思えませんが、決して彼は冷たい人ではありませんから」
深々と頭を下げられてしまった、店長さんが頭を下げる理由なんてどこにもないんだけど。
それに、一方的に私の意見をハモちゃんに押し付けようとした私が悪いんだから。
「私もわかっていますよ、ハモちゃんはもっとずっと良い人だって……付き合っていた2人を見ていればわかります。
なんとかして記憶、取り戻せないんでしょうか……」
「可能性がないとは言いませんが、今の彼に思い出させようと言うのはあまりにも辛いでしょうね……」
「そうですよね……」
記憶なんてどうやったら戻るのかわからない、頭を叩いて戻るんなら何回でも叩いてやるけど、そんな漫画みたいなことはありえない。
例え記憶を蘇らせる方法があったとしても、ハモちゃんがそれを望まなかったらそうするしかないんだし。
「2人とも元に戻って……ほしいです」
折角泣き止んだのに、私の眼から再び涙が流れる、ボロボロではなくツウッと一筋流れるだけだったが泣いていることに変わりはない。
人前で泣くのに慣れていない私は急に恥ずかしくなり、素早く手で涙の跡を拭い取った。
「私も、失礼します」
「お気をつけて……」
……
夜はまだ序の口、そんな感じの暗い空が頭上に広がっている。
鈍く光る電灯がぼんやりと俺の頭上で俺を照らし出している、公園のベンチにこしかけたまま俺は全く動けずにいた。
かれこれ1時間くらいずっとこうしているだろうか、すでに雨は止み、雲の隙間からは時折明るい月が顔を覗かせる。
あのままアパートに戻る気も起きず、フラフラとたどり着いたこの公園で時間を潰していたら1時間も経っていた。
公園に備え付けられた旧式の時計が小さくコーンと2回鳴る、深夜ということもあってかほとんど聞こえないような小さな音。
「はぁ……」
溜め息だけがさっきから出続けている、深夜に公園で溜め息ばかりついて、警察に見つかったら職務質問確実だな。
じゃあやめて黙っていれば良いと思うかもしれないが、意識せずに出ているからもうどうしようもない。
溜め息の要因なんて考えるまでもない、さっき観澄さんに言われたこと全てに対してだ。
色々言われたけど、1番こたえたのは「どうしてそうやって過去から逃げるの」だったな。
彼女の言うとおり俺は過去から逃げた意気地なしだ、間近に迫った過去を捨てて自分が1番楽な方を選んだ、今になって皺寄せが来たわけだ。
もしかすると、記憶がなくなって今1番悩んでいるのは当人である俺自身なのかもしれない。
もう忘れたから悩むことはない、そう考えていた時点ですでに俺は甘かったのかもしれないな。
いつか俺の過去を知る人物に遭遇するかもしれない、そうなったら過去は嫌でもまた俺の前に戻ってくる、考えればそれぐらいわかることじゃないか。
それさえも考えておかなかったなんて、浅はかと言うかなんと言うか……
「はぁ……」
また出た、ここに来てから一体もう何回目になるのかわからない溜め息は俺の口から飛び出していった。
「……最堂さん?」
俺を呼ぶ声、こんな深夜にこんな人気のない場所で、しかも俺のことを知っている人物に会う、可能性で考えたら恐ろしく低い気がする。
暗くて顔まではよくわからなかったけど、この声を聞けば誰だかわかった、声の主は一仁さんだろう。
「こんな所で何してるんですか、風邪引きますよ?」
電灯の明かりの射程内に入り、声の主である一仁さんの姿がぼうっと浮かび上がった。
「まだ、アパートに戻る気が起きなくて、普段は仕事してる時間ですから」
「なるほど、隣良いですか?」
「どうぞ、俺の隣に座っても楽しくないと思いますよ」
ははっと乾いた笑いを見せると、一仁さんはにいっと軽く微笑んで俺の横に腰を下ろした。
「さっきは観澄のやつが失礼なことばかり言ってすいません、後で言っておきますから」
「気にしないでください、観澄さんの言っていたことが全て正しいんです、俺は逃げているだけなんですから……」
「少し無神経な発言かもしれませんが、最堂さんは今でも過去を知りたいと思っていますか?」
「……」
「申し訳ない、気分を害されてしまったのなら謝ります……」
無言を俺が嫌がっていると捉えたのであろう、一仁さんは軽く頭を下げて謝罪をした。
「謝る必要はありませんよ……過去、ですか……正直、迷っているんです。
俺は以前過去を捨てる決心をしました、その時はそれで満足していたんですが、一仁さんたちに出会って、俺が何者であるかの可能性に近づいて」
「俺たちは、会ってはいけなかったのかもしれませんね……」
「そんなことはありませんよ、一仁さんに会えたことで俺は自分が誰であるのかの確信に近づいた。
ですが……今になって過去の自分を知ることが、怖いんですよ」
「怖い、ですか?」
「可笑しかったら笑ってください、この歳で怖いなんて言うのは正直恥ずかしいんですけどね。
だけど俺の中に俺が知らないもう1人の俺がいる、そう考えると、過去を知ることでそれらを知ってしまうのが、少し怖いんですよ」
俺……俺……俺となんともわかりづらい言い方、口下手な俺にはあんまり良い表現が思いつかない。
きっと聞いている一仁さんも整理に苦しんでいることだろう、口下手と言うのは何のプラスにもならないな。
「最堂さん、明日俺と街にでも行きませんか?」
「は? どうしたんですか急に?」
「悩みすぎると余計ドツボにはまります、こういった時は街に出て気分を変えたほうが良いですよ。
大丈夫です、くっついていくのは俺1人、あのうるさいのは遠慮させますから心配しないでください」
うるさいのって言うのが誰だかは聞かないけど、きっと観澄さんのことだろう。
もし間違ってたら観澄さんに怒られるな、だからあえて断定はしないでおいた方が良いだろう。
一仁さんの誘い、これはきっと俺が心配をかけさせてしまったせいなのだろう。
ここで俺が断るのは、一仁さんの好意を踏みにじることにしかならなそうだ……
「……わかりました、お付き合いしますよ」
「ありがとうございます」
俺の返答に満足したのか一仁さんはもう一度にいっと微笑を俺に見せ、明日会いましょうと残して公園を去っていった。
少しだけ肌寒くなってきたので俺もそろそろアパートに帰ることにしよう、朝になって風邪引いたじゃ一仁さんに悪いしな。
……
「すいません、俺から誘ったの私事を手伝ってもらっちゃって」
2人でまた朝に再会し、適当に街中をぶらぶらとまわった後、一仁さんが用事があるというので図書館にやってきた。
特に用事もないので俺はこれが図書館初体験、一仁さん曰く学生には重宝しているらしい。
なんでも大学のテスト勉強に使う資料がないので図書館で少し調べていきたいらしい。
一仁さんの手には両手で抱えた本が4冊、それとお手伝いの俺の手にも2冊持たれている。
大学生ってこんなにたくさん調べないとテストまずいのか、俺が大学生だったらまず投げ出してるな。
と言うかまず入れないよな、受験勉強とか嫌いそうなタイプだし。
「あ、ここに置いてもらえますか」
部屋のやや隅のほうに空いている席があったので、一仁さんはそこを拠点として調べ物をするようだ。
そこは周りが壁と本棚に囲まれ、集中するにはもってこいの場所だった、それなの机に椅子が2つある。
きっと人目を気にするカップルも利用するのだろう、ここならイチャイチャしてても誰にもわからなそうだしな。
「なるべく早く終わらせますから、退屈かもしれませんが申し訳ない、なんだったら俺の前で寝てても良いですよ」
「いいえ、適当な本でも読んで暇つぶしをしてますよ、終ったら声かけてください」
一仁さんはテストの勉強を始めた、話しかけては邪魔になるので俺は本棚を1つ1つじっくりと見ながら暇を潰せそうな本を探す。
なんか小難しいタイトルの本がたくさんある、読めばすぐに眠れそうなので重宝しそうだけど、開かない可能性がとても高い。
大学生の利用率が高いと言うのも納得だ、これだけ専門書が揃っていれば大抵のものは調べることが出来るだろう。
もっとも、俺にはほぼ縁がない場所として確定しそうだ。
そうやって本棚を見ていると、小説コーナーで手ごろな短編小説を見つけたので、これでも読んで時間を潰すことにしよう。
立って読むのも他の人に迷惑なので、空いていた一仁さんの前の席に移動し俺も本を読み始めた。
選んだ小説はそれほど難しい話でもなく、サクサクと展開が進むので割りと早く読み終わってしまった。
俺が本を読んでいる最中も、一仁さんの方は分厚い資料を4冊も広げて勉強中、なんか親父の部屋もこんな感じで本がいっぱいあったな。
「ちょっとお手洗いに行ってきます」
「わざわざ断る必要なんかないですよ、どうぞ、場所は……」
「あ、大丈夫です、わかりますから」
「え……」
一応一仁さんに断りをいれ、お手洗いへと俺は向かう。
この図書館は結構広いつくりで、一度エントランスを抜けて反対側に行かないとお手洗いはない。
静かな図書館では、俺の歩く一歩一歩がコツコツと音を立てる、この角を右に曲がるとお手洗いが……
……ちょっと待った。
「どういう、ことだ……」
曲がった角の先には確かにお手洗いがあった、しかし俺が驚いているのはそんなことではない。
俺はどうして、お手洗いの位置を知っているんだ……?
ここに来たのは今日が初めてだ、中の見取り図も見ていなければ場所も聞いていない、それなのに俺にはお手洗いの場所がわかっていた。
人は初見の場所でどこに何があるのかを知る術は限られる、そのどれにも該当しない俺の場合は一体……
……
手をひらりと後ろに1回だけ振る最堂さんの後姿が部屋から消える。
ここに来たのは今日が初めてだって言ってたのにあの人さっき、お手洗いの場所がわかるって……
「やはり彼方は、六乃宮で間違いないんですね……」
頭から記憶は失われても、頭のどこか深くに決して消えることのない刻み込まれた何かがあるのだろう。
そう考えれば全て納得だ、彼がどうして初めて来たこの場所の位置を正確に知っているのか。
何故ならここは、彼と三田村さんが、2人でよく訪れていた場所なんだから……
内ポケットから携帯を取り出し、登録名からある人の番号をコールする。
図書館での携帯はあまり行儀が良いとは言えないが、今回だけ大目に見てもらおう。
数回のコール音の後、目的の人物と電話が繋がった。
「宇崎です、突然で申し訳ないんですが、少し教えていただきたいことがありまして……」
……
一仁さんの調べものが終わり、俺たちは図書館を後にしてまたぶらぶら。
さっきの図書館の中でのことはとりあえず考えないことにした、折角一仁さんが誘ってくれたんだ、余計な考えはしないほうが良い。
考え出したらずっと頭の中でそればかりを考えてしまう、俺のとても悪い癖、過去のことにしたってそうだ。
っといけないいけない、また考え出すところだった……
「そろそろ昼時ですね、食事でもしますか?」
「良いですね、場所は一仁さんに任せますよ」
「そうですか、それじゃあ……大学にでも行きますか」
一瞬「はい?」っていう顔をしたら、一仁さんはニヒルに笑って「一般人でも入れますから」と続けた。
案内されて訪れたのは一仁さんが通っているという大学、今日は土曜日だというのに結構な人が出たり入ったりしている。
「今日って土曜ですよね、休みじゃないんですか?」
「大学はほぼ毎日のようにやっていますよ、とはいっても通常は休みですから大方サークルの人たちでしょう、学食はこっちですよ」
一仁さんが先頭に立って導いてくれる、何回か人とすれ違ったけど俺が部外者だと気付く人はいなかった。
それはそれでセキュリティー上に問題があるような気もするが、大学というものをよく知らない俺にはこれが普通なんだと思うしかない。
やがて学食に到着し、俺は海老のカレーを、一仁さんはてんぷらうどんを注文した。
味は悪くない、どころか普通の店でも通用するような良く出来た味だった。
それにも驚いたが、それ以上に土曜で休みなのに学食が開いているということにもっと驚いていた。
……
昼食を終え、再び2人でぶらぶら、なんだか今日はとてもゆったりと時間が流れている気がする。
大学の周りをまわりながら、一仁さんと他愛もない話しをして過ごしていた。
いつの間にか2人の足は大学を抜け、近くの公園へとたどりついていた。
『公園』と表現するにはいささか小さく、遊具はブランコが2つあるだけ、どちらかというと『広場』の方が良いだろう。
誰も利用者のいないブランコが、時折流れる風にキコキコと小さく音を立てていた。
とても殺風景でつまらない場所だけど、なんだろうか、このどこかで感じたことのある懐かしさのようなものは……
無意識のうちに広場の中央まで歩を進め、辺りを1回ぐるりと見渡した。
次の瞬間、ほんの一瞬だけど、頭の奥でピリッと微力な電気が流れるような奇妙な感覚がする。
慌てて左手で頭を押さえた、しかし痛みはすでに存在せず、妙な感覚だけがいまだ存在し続けていた。
「最堂さん、ここがどこだかわかりますか?」
「ここは……公園、ですか?」
「名目上は一応公園となっていますがそんなことはどうでもいいことです、ここは彼方にとって特別な場所なんですよ。
もっとも、彼方には見当もつかないでしょうが……」
「俺にとって……?」
一仁さんも中央まで歩を進め、俺を少しだけ追い抜いてこちらに振り返った。
「彼方はここである取り決めを行い、そしてこの地を去った。 確か、3年ほど前の出来事らしいですよ……」
「待ってください、俺はこの公園に」
「初めて来た、確かに彼方はここに初めて来たでしょう……ですが、彼方はすでにここに来ているんですよ、何度も。
最堂さん……いや、六乃宮」
「!」
眼鏡の奥にある一仁さんの目が変わる、それまで穏やかだった目は一瞬にして真剣なものへと変わっていた。
変わったのは目だけではなく、呼び方までもが変わっていた。
「今までは確証が不十分でしたから抑えておきましたが、今でははっきりと断言できます。
彼方は『最堂セラ』であると同時に、『六乃宮ハモン』でもあると」
「……確証は、なんなんですか?」
「図書館ですよ、彼方はあの図書館は初めてだと言っていました、間違いありませんね?」
言葉ではなく、首を一度だけ縦に振って応える、何故だか声を出すのがためらわれてしまった。
「初めてあの図書館に入った人が、どこにお手洗いがあるかなんてわかるはずがありません。
案内しようとしたら彼方はそれを断って1人で行ってしまった、あの図書館を利用したことがある人のしるしです。
そしてここに来てからの彼方を見ていて、どこか初めてではないように見えました、あなた自身そんな感じがしているんじゃありませんか?」
「……」
何も返答できない、できるはずがない、何故なら一仁さんの言っていることが全てが的を射ているのだから。
「そんな感じがして当然です、ここもそれからあの図書館も、六乃宮にとって縁ある場所なんですから」
「縁ある……」
「関係しているのはどちらも三田村さんです、図書館はよく2人が待ち合わせをしていた場所。
それからここは、彼方と三田村さんがある約束を交わした場所でもあるからです……手帳の一節、もう気が付いているのでしょう?」
「……」
「怖いというのは結構です、誰だって怖い物の1つくらいはあるでしょう、ですがそれに他人を巻き込むのはいけません。
彼方の過去に縛られて苦しむ人がいるんです、そろそろ解放してあげたらどうですか?
三田村さんと、それから、過去の彼方である『六乃宮ハモン』の記憶を……」
突如突きつけられた言葉と視線のナイフ、それから逃れるように1歩、また1歩と足を後ろに進める。
しかしそれも長く続かない、足は止まり、全く動くことができなくなってしまった。
「俺は……」
『六乃宮ハモン』ではない、『最堂セラ』だと言おうとしたが、言葉が口から出ることはなかった。
代わりに、俺の頭の中にいくつかの映像が連続的に映し出された、咄嗟に目を閉じるが映像が止まることはない。
突然の出来事で思考がついていかない、そんなことなど関係ないように映像はかわるがわる頭の中に浮かび上がってくる。
どれもこれも俺の記憶にはない、だけど、どこかで感じたことのある不思議な映像の数々。
誰だあの細い眼鏡の男は? 何故俺は車に乗って男と話しをしている? あのヴァイオリンを弾いているのは誰だ?
何処だこの場所は? 何故君は俺の横で笑っているんだ? どうして俺たちはこの公園にいるんだ?
何故こんなにも……君の映像が多いんだ!!
「うあ……!」
めまぐるしく変わる映像に気分が悪くなり、頭を抱えてしゃがみこんでしまう。
頭を圧迫するような、何かを詰め込んでいくような、全てを元に戻そうとするような、表現できない痛み。
変わり続ける映像はまるでパズルか何かのように1つ1つ確立されていき、やがてそれらは大きな『あるモノ』として変貌をとげていく。
「あぁ……ぐぅ……」
映像と一緒に何かが俺の頭の中に入っていく、何かとはそれらの映像が表す『概要』とでも表現したら良いのだろうか。
頭のどこかで埋もれてしまっていた映像たちはやがて全てを出し切り、全ての概要を俺の頭の中に確立させた。
全ての映像が終ったことで、完成されたのはある女の子の立体像だった。
その子はとても楽しげに笑っている、あの頃と同じ、あの笑顔のままで……
その女の子の名前は『三田村 憐』、俺の彼女であり、俺が今でも待たせ続けている大切な人。
憐は俺の視線に気付いたのか、俺に向かってにっこりと微笑み、俺に手を差し伸べてきた。
伸ばされた手に応えようとこっちも手を伸ばそうとした瞬間、少女の姿は周りの景色と同化するように溶け込んで消えてしまった……
少女の消失と入れ替わるように目を開けると、そこに広がるのはさっきと同じ公園の景色。
そこで俺は膝をつき、痛みを感じるほどに強く自分の体を抱きしめていた、今までの想いを二度と失ってしまわぬように。
俺は、過去の記憶全てを思い出していた……
「大丈夫、ですか……?」
うずくまって変な声を出していた俺に、一仁さんが心配そうに声をかけてくる。
「敬語は止めてくれ、宇崎……」
「六乃宮! おまえ、記憶が」
全部は言わなかったけど、何が言いたいかなんて誰だってわかる、俺は1つだけ頷いて肯定を表現した。
「そうか、良かった……急に苦しみだしたから」
「色々と心配かけた、もう1人の俺に意気地がないばっかりに」
一仁さん、いや、もうこれからは宇崎と表現した方が良いだろう。
宇崎との再会も重要なことだが、それ以上に俺にはしなければいけないことがある……
「宇崎、憐がいる病院の場所わかるか?」
……
病院の階段を駆け上がり、宇崎の言っていた部屋番号を探す、部屋番号は『406』。
すれ違った看護婦さんに「廊下は走らないでください」、と注意を受けたものの、今の俺は聞く耳持たず。
左から順番に病室を確認していく、406、406……あった!
1番右端の病室、そこが捜し求めていた『406』号室だった。
使用している人を示すネームプレートには『三田村 憐』とはっきりと書き示されていた。
「はぁ、はぁ……」
部屋の前で荒い呼吸を整える、一体どんな顔で憐に会ったら良いんだろう?
その前に、確か昨日憐は倒れたんだった、もしかするといまだに危ない状態かもしれない。
そんな状態で俺が会って良いのか? 俺がいて何かしてやれるのか?
考えても考えても何もまとまらない、記憶が戻ったばっかりのせいかまだよく整理ができていない。
考える必要なんかない、考えたってその通りに行動できるほど俺は役者じゃない。
荒かった呼吸はすでに元に戻り、憐に出会う決心も固まっている。
二度目の再会『最堂セラ』としてではなく、『六乃宮ハモン』として、俺は意を決して病室の扉をノックした。
「どうぞ」
あまり力強くなくノックに応じるその声、それまま紛れもない憐の声だった。
扉を開けると、ベッドの上で半身を起こしている憐の姿が目に入る、病院の服を身にまとい、とても儚げなその少女。
「……」
視線が合うと憐はにっこりと微笑んだ、あの立体像と同じ、とても柔らかく、とても優しげな笑顔。
彼女はいつも俺のことを想っていた、それだというのに彼女にとった態度はなんだ、そんな俺に彼女はあんな顔をしてくれる。
もう見ているのが辛くなり、俺は憐の体を抱きしめた、今までの全てをわびるように強く、それでいて優しく。
小さい体から伝わる体温、まるであの時、屋上で初めてキスをしたときのようなこそばゆいような感じ。
抱きしめられた瞬間にビクッと憐の肩が振るえ、突然のことで驚いたような顔をしていた。
「あ、えっと……」
何かを言おうとしたのだろうがその先が続かず、かわりに俺の背に自分の腕をまわした。
抱きしめるようにではなく、添えられるようにまわされた両腕、ほっそりとした腕の感触が俺の背から伝わってくる。
「色々と、ごめん……」
謝ることしか出来ない、このくらいのことで今までのことが清算できるとは思わないが、俺には謝ることしかできない。
頬から伝わる冷たさ、泣いている、涙が頬を伝って手の甲へと落ちた。
もう絶対に失わない、もう絶対に忘れない、そしてもう絶対に悲しませない。
今まで寂しい思いをさせたけど、これからは俺がそれを償っていこう。
やっと、長い間離れ離れになっていた俺たちは再開をした。
温かい陽光が窓からさしこみ、抱き合った2人の姿をじんわりと照らし出していた。
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