【エピローグ・ 再会の言葉はただいま】
ポーンという電子音が鳴り、自動販売機が飲み物が注ぎ終わったことを知らせてくれる。
透明な扉を開け、取り出した紙コップには熱々の紅茶が並々と注がれていた。
「どうぞ」
その紙コップを俺の横で車椅子にこしかけた少女へと手渡した。
「ありがとうございます」
少女、憐はまだ熱い紅茶に息を吹きかけ、舌が火傷しない程度に冷ましてから口をつけた。
「おいしいです、とっても……」
憐は柔らかく微笑み、両手で紙コップを抱くようにしっかりと指を絡ませた。
俺が記憶を取り戻してから今日でもう2週間になる、憐は肉体的にも精神的にも参っていたらしく、退院にはまだ少し時間がかかるらしい。
車椅子も本当は使わなくても良いんだけど、もし万が一のことを考えて俺が使うように説得した。
肉体的にも、そして精神的にも、そこまで憐を追い詰めてしまったのは他でもない俺だ。
俺がもっと早く過去を取り戻せば、俺がもっと早くに怖さを取り払えれば、そしてなにより俺が憐のことを忘れてしまわなければこんなことにはならなかった。
彼女が純粋だったため、彼女が一途だったため、『俺』という存在は彼女に枷のような働きをしていたのかもしれないな……
「どうか、されましたか?」
「え……」
「難しい顔をされています、悩み事でしたら私に愚痴っても良いですよ」
考えごとに没頭してしまっていたせいだろう、悩んでいると捉えた憐は俺を心配そうな目で見つめていた。
「いや、なんでもない、なんでもないですよ……病室に戻りますか」
「はい」
車椅子の取っ手を押し、病院の白く輝く廊下をキコキコと音を立てながら進んでいく。
窓からは日差しが差し込み、縁側で昼寝でもするにはもってこいの天気だった。
「あの、よろしいですか?」
「なんですか?」
「毎日のように病室に来てもらって、毎日のように私の相手をしていただいてありがとうございます。
ですが、あの……辛くないですか? 私のところになんて来ていたら、自由な時間も持てないんじゃ……」
それは自分のこと以上に他人のことを気にかける憐の性格から出た言葉、自分よりも俺の心配を、か……
「いらぬ心配ですよ、辛いなんてこともあるはずがない」
「でも……」
顔を少しだけ後ろに向け、顔色をうかがうように少しだけ上目遣いに俺を眺めていた。
心配そうなその顔に、できる限りの笑顔で応えてやった。
「今は俺のことより自分のこと、早く退院できることだけを考えていれば良いんですよ」
安心できるように、少しでも彼女の枷になりうるものは取り除けるように。
憐は少しだけ驚いたような顔をしていたが、すぐに表情を戻して優しく笑みをもらした。
「優しいんですね……最堂さんは」
「……」
最堂さん、か……
病室まで戻る途中、ちょうど来たところの観澄さんと宇崎にでくわした。
「よっす、元気にしてた?」
「観澄さん、じゃなかった……澄ちゃん」
「やっと慣れてきたね、最堂さんは今日もお見舞い?」
「まあね、この時間帯は仕事も無くて暇だから」
俺の記憶は完全に戻っている、それなのに観澄さんは俺のことを最堂と呼び続けている。
わざと、観澄さんはあることを隠すためにわざと俺のことを最堂と呼び続けていた。
観澄さんと目が合うとなにやら目で合図を送ってきた、『話がある』そんな感じの合図。
「悪い、少しだけ出てきます」
「一仁、憐を病室まで送ってあげてほしいんだけど」
「わかりました」
宇崎に車椅子の取っ手を譲り、病室へと押して行く後姿を眺めていた。
「屋上で、良いかな?」
その提案に文句もなかったので、小さく頷いて2人で屋上へと向かう。
屋上の扉を開け放つとそこには誰もおらず、あまり聞かれたくない秘密の話をするにはちょうど良い状況だった。
2人で手すりを背にしてもたれかかり、ぼんやりと視線を空に映した。
「まだ、戻ってないんだね……」
「みたいだな」
「折角ハモちゃんが戻ってきたのに、今度は憐までも……」
「原因は全部俺にあるんだ、申し訳ない……」
最堂ではなくハモちゃんと呼ぶのが普段のこと、憐の前でだけは最堂と前の呼び方をしている。
当然これにはわけがある、どうして憐の前でだけ呼び方が違うのかというと……
今の憐の頭の中に、『六乃宮ハモン』という男は存在していない。
俺が過去の記憶をなくしてしまったのと同じように、憐も過去の記憶を失ってしまっていた。
肉体的ストレス、そして精神的ストレスが積み重なった反動だろうと医者の先生は言っていた。
『六乃宮ハモン』、その男を待ち続けていたということも、その男を捜し続けていたということも。
その男がようやく戻ってきても、憐はその男が誰なのか覚えていなかった。
記憶が戻って憐の部屋を訪ねたあの日、憐が最初に俺に言ったことは。
「あの、知らない人に抱きしめられるのはとても恥ずかしいんですけど……」だった。
憐には何がどうなっているのか見当もつかなかったことだろう。
見ず知らずの男にいきなり抱きしめられて、その男は急に泣き始めるんだから。
「名前は、なんていうんですか?」
俺は『六乃宮ハモン』と名乗ることがためらわれてしまい、『最堂セラ』と名乗ってしまった。
きっと『六乃宮ハモン』と名乗っていても、結果は何も変わってはいなかっただろう。
「これじゃ、何も変わっていかないよね……」
「いや、そうでもないんじゃないか?」
「どうしてさ?」
「精神的ストレスから来たものならいつかは元に戻る、いつかはあいつの記憶も戻ってくるさ」
失った記憶はいつの日か必ず戻ってくる、実際に体験した俺が言うんだから間違いない。
「なんか説得力に欠けるね、だけど、そう考える方が良いよね」
「あぁ……」
どれくらいの時間がかかるのかはわからないけど、きっといつかは全てが元に戻る。
全てが戻ってくるその日まで、今度は俺が待ち続けよう、だって俺はまだ、約束を果たしていないんだから。
あいつが戻ってくるまで、もう少しの間だけ君でいさせてもらうよ。
俺の中のもう1人『最堂セラ』、君があっての今の俺だ、君には感謝している。
「あ、いたいた、おーい」
小さく手を振る少女が屋上に現れた、その少女はどこをどう見ても憐に間違いなかった。
憐の後ろでは宇崎が申し訳なさそうに頬をぽりぽりとかいていた。
まだあんまり無茶しちゃいけないって言われてるのに、宇崎に無理言って行かせてもらったな。
「彼女、大事にしてあげなよ……がんばってね」
パチンとウインクを1回して、トテトテと憐のもとへと行ってしまった。
憐と一言二言言葉を交わし、宇崎を連れて屋上を去っていく、気でも利かせてくれたのかな。
「最堂さん、1つ聞きたいことがあるんですけど」
「なんですか?」
「さっき宇崎さんが言ってたんですけど、六乃宮さんって方をご存知ですか?」
「六乃宮って、宇崎がそんなことを言ってたんですか」
うっかり口を滑らせたな、あれほど憐の前でその名前は出すなって言ったのに。
「六乃宮さんっていう方、お会いしたことはないはずなんですけど……」
「けど?」
「なんていうんでしょう、なんだか懐かしいような名前なんです、どこかで接点があったような。
私の勘違いかもしれないんですけど、なんだか不思議な感じがするんです……」
「……」
なんだ、何も心配することなんてないじゃないか。
顎に指を当てて何かを考える手いる憐を、俺は正面からギュウッと抱きしめた。
「きゃ、さ、最堂さん……?」
全ての反応が遅れてやってくる、振るえ、驚き、羞恥その他にも色々。
「今は、何も言わないで……」
そんな憐を安心させるように、俺は少しだけ腕の力を弱くした、すると憐の方も俺の背へとゆっくり腕を回してくれた。
「優しい方ですね……最堂さん、私の中の六乃宮さんも、こんな感じなんですよ」
大丈夫だ、憐は全てを取り戻して再び俺たちのもとへと戻ってくる。
というか戻ってきてもらわないと困るんだ、あの約束、それを果たさなくては俺は戻ってきた意味がない。
3年前、あの公園で2人で交わした約束。
『川崎 四年後にこの公園でまた』、記してあるのはそれだけだけど、他にもまだあるんだ。
約束したのよりまだ1年程早いけど、それ位の誤差は憐だって許してくれるさ。
だから今は言わない、憐が全てを思い出したら、それが俺たちの本当の再会なんだから……
「2人が再会したら、まず私を抱きしめてほしい、今まで待たせたぶんだけ強く……それから」
「ただいまって……」
約束だよ。
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