【五章・ 交差 〜過去と今、私と彼方〜】


「ハモン!」

私の眼が捉えたその姿、その姿は見間違うはずもない、ハモンの姿だった。
だけど振り返って叫んだ私に、その後姿は微動だにしなかった。
どんどんと前に進み、私との距離は開き続けていく。

「ハモン!……ハモン!」

「ちょ、ちょっとちょっと、どうしたのよ?」

「ハモンが、今ハモンがすれ違った!」

「えぇ、そんなまさか……」

私の剣幕に驚いているのか、澄ちゃんはたじろいでいた。
さっきまで見えていた後姿はもう人混みに紛れて全く見えていない、私はあの後姿を追うように進路を変える。

「わわ、ちょっとたんま! もう信号赤になって危ないよ!」

澄ちゃんにギュウッと腕をつかまれ、進路の変更を阻まれてしまった。

「放してよ、急がないと見失っちゃう!」

「その前に急がないと車に轢かれるの!」

戻ろうとする私の腕をずるずると引っ張り、進行方向の横断歩道を渡りきらされた。
まるで私たちが渡りきるのを待っていたかのように、信号は赤へと変わってしまった。

「で、何の話だったっけ?」

「戻ってきてるんだよあいつ、またこの街に帰ってきてるんだよ」

私はもう完全に有頂天、澄ちゃんの手を取ってブンブンと上下に振るう。
あんまりにも強くやるせいか、上下するたびに澄ちゃんの体がガクガクと変な動きをした。

「あいつって、ハモちゃん……だよね?」

「そうだよ、戻ってきてるんなら連絡の1つでもしてくれれば良いのに」

「……」

唇に指を当て、澄ちゃんはなにやら思案の顔をしていた、時折うーんという悩み声も聞こえてきた。
一体何を悩んでいるんだろう?

「ハモちゃんが戻ってくるのって確か当時から4年後だよね、まだ4年には少し早いよ?」

「何か特別な事情でもあったんじゃないのかな?」

「ふむ……」

再び同じポーズ、わからない、一体何をそこまで悩む必要があるのだろう?

「それじゃあハモちゃんが帰ってきてるとして、どうして何の連絡もないんだろう?
彼、憐のベル番は勿論知ってるよね?」

「勿論」

「だったらどうして連絡がないのかね?」

「うぅーんと、携帯の番号しか教えてなかったから、どこかでなくしたりして番号わからなくなっちゃったんじゃない?」

「ふむ……」

まただ、これで三度目、いい加減にしないと私でもちょっとムッときてしまう。

「ねえ澄ちゃん、さっきから何をそんなに悩んでるの?」

「憐がさっきすれ違ったっていう人、本当にハモちゃんなのかな?」

え、何を言っているの? あいつはハモンに間違いない、私があいつを見間違うはずなんてない。
それは澄ちゃんが1番良く知っているはずじゃなかったの?

「どうして、あいつはハモンに間違いないよ」

「断定すること、出来る? その人自身が『ハモンである』と認めたの?」

「それはないけど、あれは絶対、絶ぇっ対ハモンだよ」

声が少しだけ大きくなった、そんな私に構うことなく澄ちゃんは次の言葉を続けた。

「それじゃあ1番の疑問、憐があれだけ名前を呼んだのに、彼が振り返りもしなかったのは何故?」

「声が、聞こえなかったんじゃないかな……?」

「それはない、確かに人は多いけどあれだけの声だよ、聞こえないことはまずない。
現に、全く関係のない人が不思議そうな眼で憐のこと見てたんだから」

これが疑問の全て、返答をどうぞ、といった感じで澄ちゃんは私に返事を求めてくる。
確かに、名前を呼ばれたら誰が呼んだにしろ振り向いたりキョロキョロ辺りを見渡したりするよね。
だけどあの後姿にそんなアクションはなかった、ただ真っ直ぐと交差点を進行方向に歩いて消えてしまった。

「憐、こんなこと言いたくはないけど、本当に見間違いってことはないの?」

「ない、確証は何もないけど、あれは絶対にハモンだよ……」

自分でも何むちゃくちゃなこと言ってるんだろうって思う、だけど、あれは絶対ハモン以外の誰でもない。
そんな確証も何もない自身だけが、私の中でふつふつと湧き上がっていた。

「自信満々だね、よし、それじゃあプラス思考で考えますか、何の確証もないけどね。
どうする、これからハモちゃん探すって言うんなら付き合うよ?」

「お願いしても、良いかな……?」

「まかせなさい、もし本当にハモちゃんだったら、私もいくつか言いたいこともあるしね」

え、澄ちゃんがあいつに? 何言うつもりなんだろう?……まさか告白!? 

「駄目ー!、取っちゃ駄目ー!!!」

「うわわ、急になんなの、危ないから腕を振り回さないでよ」

「澄ちゃんのお願いでも絶対駄目なんだから!」

「はぁ?」

慌てふためき続けた私は澄ちゃんからお説教、とほほ、恥ずかしいよぅ……

「まったく、人の彼氏を取るような悪女に見えるのか私は?」

「ご、ごめん、なさい……」

今はどんな弁解をしても言い訳にしかならない、私が1人で妄想して1人で暴走しちゃったんだし。
それに良く考えたらそんな可能性は万に1つもない、澄ちゃんには宇崎君が居るじゃない。
そんなことも忘れるほどに私は妄想していたの……?

なんか顔熱いよ、私何考えてるんだろ?

「で、ハモちゃんはこっちに向かっていたで良いの?」

「あ、うん、このまま交差点を真っ直ぐ、その先は何もわからないけど」

「あらららら……それじゃあ早くも行き詰まりじゃないのさ」

交差点を渡るところまでは見たんだけど、その先はどっちに行ったのか皆目見当も付かない。
右か左かこのまま真っ直ぐか、3択っていうのは基本的に当たらないんだよな……
あ、どこかのお店に入ったって可能性も考えたら10択……20択も軽く越えちゃうよ。
仮に20択で考えたとしても、1÷20で確立0.05、当たらなくはないけどとても当たるとは思えない。

「どこかのお店って考えはこの際捨てた方が良いかもね、右左直進の3択。
しかも直進の信号でこっちに渡ったってことは、左に行く可能性も消えるわね」

「あの、どうして?」

「もし反対側に行きたいんなら、直進の信号を渡る必要性がなくなっちゃう、逆に2回分無駄になるだけ。
もう1回待てば斜めの信号が変わって1回で行けるってわけ」

「なるほど」

「こんなことで感心しないの、考えれば誰だってわかるって、選択肢は2択になったけど憐はどっちが良い?」

真っ直ぐ行けば大型ショッピングセンターに面した1番人の出入りが多い路地。
右は私たちみたいな若い人に人気のあるお店が並んだ、いわゆる『裏』と呼ばれる路地になる。

オシャレとか流行とか、そういったものにほとんど興味のなかったあいつが裏に行くとはちょっと思えない。

「真っ直ぐ、行ってみよう」

「了解」

2人揃って辺りを見渡しながら、他の人から見たらちょっと挙動不審に思えるかも知れないから控えめに。
直進路を先まで行くと、全く違う通りにぶつかる、ここはちょっと年配の人が好みそうな古風なお店が多い。
骨董品、お茶、置時計専門店、ガラス工房、お漬物、そんな店がずらっと並んでいる。
さすがにここを好んで訪れるとは思えない、ガラス工房辺りは好きそうだけど……

その路地をそのまま左に抜け、可能性から否定された左側の路地へと戻ってみよう。

……

あの後も散々歩き回ったけど、結局ハモンを見つけることは叶わなかった。
突き合せちゃったお詫びとして、今こうして澄ちゃんにお茶とケーキをご馳走している。

「別に私が好きで付き合ったんだから奢りなんてなくても良いのに」

「好きで付き合ったにはいささか遅い時間だよ」

すでに時刻は8時、バスの時間まで30分以上あったのでそれまでの場繋ぎ。
私は6時くらいでもう良いって言ったんだけど、澄ちゃんは私に付き合ってくれた。

「友達が悩んでいるのに助けないんじゃ呪われるからね」

「あのさ、私は呪いなんて出来ないよ、まだ死んでもいないし」

「そりゃそうだ、それに憐は友達じゃないしね」

「えぇ!」

そ、そんな言い難い事を面と向かって、しかも笑顔で言いますか。
私はずっと友達だと思ってたのに、私の思い込みだったなんて……死にたい。

「大親友、だもんね」

「はぇ?」

思わず言葉にならない返事、思考回路が一瞬どこかに飛び、すぐに戻ってきて今の言葉を整理する。
普通は言った方が赤面するものだけど、澄ちゃんは余裕顔、逆に私のほうが赤面しちゃった。

「す、澄ちゃん……」

「おやおや、赤くなっちゃって、可愛い」

くすくすと意地悪な笑みを浮かべながら、紅茶に口をつけた。
くそぉ、いつか私もやり返してやるんだから、今に見てろぉ……

っていうか、さっきの死にたいって前言撤回ね。

「そういえばさ、ハモちゃんの携帯に1回くらいかけてみた?」

「あ、まだ……」

なんでそんなこと忘れるかな、だけどあんまり期待は出来ない。
一応、登録された名前の中から『六乃宮 ハモン』の名前にあわせて電話をかけてみる。
プップっという接続音の後、普通なら入るであろうコール音は入らず、聞いたことのある女性の声が流れてきた。

『おかけになった番号は、現在使用されていません、お確かめの後……』

「駄目だね、番号自体もうないって」

予想通りの返事、私の番号がわからなくなるくらいだから電話自体もうなくなっているんだろう。

「手がかりが少なすぎるねえ……」

「ホントに、見つかるのかな……」

テーブルに突っ伏し、頬をテーブルにつけたまま澄ちゃんに尋ねてみる。
見つかるよって言ってほしかったけど、澄ちゃんの返答は首を小さく傾げるだけだった。

「ごちそうさま、それじゃあまた明日ね」

バスの時間が近くなったので、お店の前で澄ちゃんとお別れをする。
いつもみたいに振ってくる手を振り返し、バス停に駆けて行く澄ちゃんの後姿を見送っていた。

「私も、帰ろうかな」

すっかり辺りは暗くなり、これ以上探しても見つかる可能性は皆無と言っても良さそうだった。
だけど、あいつが帰ってきてるなんて思ってもみなかったな……

あの約束、まだ覚えてくれているのかな?

「覚えてるよね、絶対……」

今日は絶対って何回も言っている気がする、絶対なんて本来はありえないんだけどね。
昼間とは違った賑やかさに包まれ始めた大通りを、1人浮かれ気分でコツコツと歩いていた。

……

「え、六乃宮のやつが?」

昼食のうどん片手に、宇崎君が目を白黒させる。
何時の間にとか言われたけど、とりあえず席についてからゆっくり話そうよ。

「それで、あいついつの間に帰ってきたんですか?」

「うーん、どう言ったら良いのかなぁ……」

返答に困っていると、澄ちゃんが助け舟を出してくれた。

「いつかはわからないけど、憐が昨日ばったり会ったんだって、私は見れなかったけど」

「へぇ、そうなんですか」

「ただし、まだちょっと怪しいんだけどね」

「怪しい、ですか?」

言葉をどう解釈して良いのかわからず、宇崎君は首をかしげた。

「まだ本人である確証がないのよ」

「もう、またそういうこと言う、あれは絶対にハモンだってば」

「とまあ憐はそう言うんだけど、私はまだ信じれていないのよ、憐が呼んでも振り返らなかったみたいだしね」

う、またその話を出す、確かに名前を呼ばれたら振り返らずとも、辺りを気にするくらいあっても良いのに。
そういった動作が全くない、それが澄ちゃんには腑に落ちたいみたい、私も少し気にはなるけど。

「確かに少し不思議ではありますね、三田村さんはあいつの顔を見たんですか?」

「うん、すれ違いざまにちょっとだったけど」

「間違いなく、六乃宮の顔でしたか?」

「間違いないよ」

はっきりと断言する、ここで自信たっぷりに答えないと疑い始めてしまうかもしれないから。

「じゃあその人は六乃宮でしょうね、振り返った云々よりも、三田村さんが顔を見ているんですから」

「他人の空似ってこともあるんじゃないの?」

「100%ない、とは言えませんが可能性はほぼないと思いますよ」

「どうして?」

私と澄ちゃんの声が見事にハモる、澄ちゃんがどうしてとたずねるのは普通だけど、何故だか私までたずねてしまっていた。
もしかすると、私もどこかで違う可能性を考えていたのかもしれない。

「長い間待ち続けていた人物ですよ、それが他人の空似だったでは、盛り上がりに欠けてしまいますよ」

クスクスと楽しげに笑い、湯気に眼鏡を曇らせながらうどんを食べ始めた。
私と澄ちゃんは予想外の答えに消沈してしまい、2人で顔を見合わせてやれやれといった笑いを浮かべた。

でも盛り上がりに欠けてしまうって、別にドラマじゃないんだから……宇崎君って作家志望なのかな?

「ねえ憐、今日も捜してみる?」

取替えっこしたエビカレーにスプーンを伸ばし、口に運びながら質問される。
「みる?」の辺りですでにカレーが口の中に入り、もむもむと口が動いていた。

「うん、そのつもり、見つかるとはあんまり思えないけど」

「そっか、じゃあ今日も付き合うよ」

「そういう話なら、俺も付き合いましょう」

真っ白に曇ったレンズを拭きながら宇崎君も協力を申し出てくれた、だけどこれは私の私事だ、あんまり2人に迷惑かけちゃうのも……

「迷惑かけちゃ悪い、とかそんなこと考えたでしょ?」

スプーンをビシッと私の目の前に突き出し、何でもお見通しといった感じでくるくるスプーンを回した、お行儀悪いよ。

「憐が好きでやるように、私等は私等で好きなようにやるんだからなんも気にしなくて良いよ、でしょ?」

「勿論」

私の考えは全てよまれている上に、念押しまで先にされてしまった。
つくづくこの2人には敵わない、少し意地悪だったりするけど、とても大切な友達だよ。

「我々はそろそろ行きましょうか、第3講義室でしたよね」

「寝てたらぶつからね」

澄ちゃんは宇崎君と2人の時は強気のくせに、どうして私と2人だと照れるんだろう?
普通そういうのって逆じゃないのかな?

「憐も居眠りして遅刻なんかするなよー」

失礼な、私は今まで一度だって居眠りなんてしたことないよ!
だいいち、今日は午後からお休みだよ、また先生が出れないんだってさ。

暇になっちゃったなー、と自動販売機でジュースを買っていると私に気付いた楓さんが手を振っていた。

「よっす、暇してるの?」

「はい、今日も午後から暇になっちゃって」

その返事を待ってましたといわんばかりに、楓さんは表情を崩した。

「どう、ティータイムでも楽しまない?」

「喜んで」

今日も食堂は私と楓さんの2人だけ、他の調理師さんはもう帰ってしまった。
ぷかーっと白い煙が立ち上り、もあもあと散らばって上へと上がっていく、やがてそれらは溶け込んで見えなくなった。

「彼氏君戻ってきたんだ、良かったじゃん」

「はい、だけどまだ顔合わせはしてないんですけどね」

「で2人して顔合わせた途端に照れちゃって会話もまともに出来ず、喋りだそうとしたら2人して同時になっちゃってまた照れると。
中々に初々しいのう」

楓さんはケラケラ笑っている、なんかもう楓さんの中では展開が確定されてるみたい。
まあそうなりそうな感じは物凄いあるんですけど……だって楓さんに言われただけなのに私照れてるもの。

「なーに私に言われて照れてるのさ、そんなんじゃ感動の再会中に倒れるよ?」

「べ、別に照れてなんか……」

「ふふ、どもってるどもってる」

愉快そうに笑ってはいるけど、当人じゃないからそんなふうに出来るんだよ。
もし楓さんが私と同じ立場になったら、絶対に同じになるに決まってるんだから。

「なんにせよ良かったじゃない、散々待たせた彼氏君帰ってきたんだから。
後はアッパーカットなり、延髄蹴りなり、好きな技でも決めてやんなさい」

「い、いいですよ、だいいち私あんまり手荒なの好きじゃないですし」

「おやおや、それじゃあ関節技にしよっか、アルゼンチンバックブリーカーとかどう?」

「あの……そのアルゼンチン何とかって、なんですか?」

「肩に相手を抱えて、足と首持ってバキバキへし折る技だよ」

両手をブンブン振って否定する、私にはそんなもの教えられても出来ないよ。
前から思ってたけど、楓さんって結構バイオレンスナ人なんですね……

「女同士でする会話じゃないわね」

「楓さんが1人でしてるんじゃないですか」

「それはごもっとも」

「もう……ふふ」

「あはは」

2人に自然と笑みがもれた、やっぱり歳が近いととても親しみやすい。
困った時に一緒にお茶をしてくれる年上のお姉さん、楓さんは私にとってそんな存在だった。

そろそろ澄ちゃんたちの授業が終るころなので、私はいつものようにエントランスへと赴いた。
すでに2人は到着しており、私はパタパタと2人の元へ駆け寄る。

「お待たせ」

「私たちも今来たとこさ、さあて、1人フラフラしてるいけない子でも探しに行こうか」

コキコキと首を鳴らし、ぐいーっと軽く伸びをする、なにも澄ちゃんがそこまで張り切らなくても。
ほら、横で宇崎君が困ったように頬をかいているじゃない。

3人揃って昨日と同じ交差点に立つ、時間はさすがに同じではないけど。
この交差点を私たちは直進、そしてハモンは逆から直進してきた。

「確か昨日はこのまま直進して、でしたね?」

「うん、結局会えなかったけどね」

「そんじゃ今日は左から流してみようか、どうする、個人個人で探す?」

「いや、散会するともし見つけた場合に支障が出ます、それに3人固まっていた方が視野も広がるでしょう」

ばらばらになれば探せる領域は広がる、かわりに正確性という面では少し難が出てしまう。
3人揃って探すとなると、正確性は十分にあるだろうが、広範囲を調べることは困難になる。
どちらにしても一長一短、だけど私たちにタイムリミットというものは設けられていない。
今日明日中に探せというのならばらばらの方が良いかもしれないけど、その内見つかるだろう程度の考え方だから後者で十分だ。

というような考えを、僅かコンマ数秒のうちに宇崎君はしてしまったんだろう。

「店の中を探す、というのは今日も避けましょう、きりがないですから」

「膳は急げ、ローラー作戦でゆっくり潰していこうか」

急げなのかゆっくりなのか、どっちなのさ?

……

「疲れたぁ〜……」

テーブルに上半身をぐたーっと寝転ばせ、体全体で状況を表現している。

「お行儀悪いよ、他のお客さんも見てるんだから」

「とはいっても、何の収穫もないし、お腹空いたし……」

やっぱり今日も見つからなかった、あれこれと色々まわったけどあいつの姿を見つけることは出来なかった。
気が付いたら時間はもう7時、皆お腹空いてきたということで今日は喫茶店で休憩をすることに。

「残念ですね、こうなったらエリアを広げてみましょうか?」

「あの、もしかして2人はまだ探すの?」

「何か疑問点でも?」

「憐のことだから、何が言いたいのか大体予想出来るけどね」

「どういうことですか?」

ぐでーっと伸びていた体を起こし、頬杖を付きながら宇崎君に説明を始める。

「つまりだね、私たちは好きで憐に付き合ってるんだけど、憐はそれで迷惑かけてるんじゃないかって思ってるわけよ。
たぶん次に言おうとした台詞は、『これからは私1人でやるから良いよ』、どう?」

私の視点に指をあわせくるくると指を回し始める、まるで催眠術でもかけるみたいな感じ。
弱ったな、とことん澄ちゃんには敵わない、私の思考どころか台詞までピタリと当てられてしまった。
どう返したら良いのかわからず、私は視線を外して頬をポリポリとかいた。

「やーい、図星だー」

「あんまりいじめない、優しい人ですね三田村さんは、観澄とは大違い」

「んなっ! それじゃあ何か、私は優しくないって言うのか!」

「少なくとも三田村さんほど優しくはないでしょうね」

「なにをー!」

パカパカと宇崎君の頭を叩く、なんかはたから見てたらじゃれあってるようにしか見えない。
こういうのをなんていうんだっけ……バカップル、だったかな?

「2人とも、あんまり外のお店でじゃれあうのは……」

「じゃれあってなーい!」

うわぁ、止めようとしたのに、やぶへびだぁ……

……

「はぁ……」

もう溜め息しか出てこないよ、あれからも澄ちゃんと宇崎君(主に澄ちゃん)はじゃれあい続けた。
宇崎君はほとんど相手にしないようにしてたみたいだけど、相手にしないとそれを澄ちゃんがまた怒る。
それがほぼエンドレスで続き、もうどうしようにもないほどバカップルになっていた。
恋人が出来てから澄ちゃん変わりすぎじゃない……?

「随分と遅くなってしまいましたね、観澄、バスまでどのくらい時間がありますか?」

「えっと、30分ってとこかな」

「バイクの方が早いですね」

「え、宇崎君免許持ってるの?」

「まあ一応原付から普通自動車、大型バイクまでなら、大学にもバイクで通ってますよ」

そういえば宇崎君って毎日どうやって学校に来てたのか不思議だった。
バスじゃないって澄ちゃんに聞いてたから電車か、可能性は低いけど自転車のどっちかだと思ってた。
まさかバイクとは、高校時代はそういった話の輪に入ってなかったからちょっとびっくり。

「そういうならお言葉に甘えようかな、寒いんだからあんまりスピード出さないでよ」

「遅いとあきますよ?」

「私をあんたと一緒にするな!」

もう、どこまで2人のバカップルは続くのよ……

「熱々だね、邪魔者はこの辺で退散するね」

「1人で大丈夫ですか? なんでしたらこいつと一緒に送り届けますが?」

「大丈夫、明かりはたくさんあるから問題ないよ、ばいばい」

笑顔を作って手を振る、澄ちゃんは大手で振り返してくれ、宇崎君は軽く笑みを浮かべてくれた。
そのまま踵を返して2人の前から遠ざかる、そしてもう一度溜め息。

「私にも、あんなころがあったのかな……」

ポツリと呟いた言葉には、誰も返してなどくれない。
夜に移ろい始めた世界に言葉は溶け込み、そのまま誰の耳に止まることもなく消えていく。
1人とはそんなもの、とても悲しく、とても寂しい……

「ハモン……どこにいるの……」

意識など全くしていないのに、不意に漏れてしまった言葉。
自分の口から出てしまった言葉が、なんだか震えているようなことに気付く。
そして頬にふれるこの感触この冷たさ、必死で否定しようとしたけど、そんなことは叶わない。

私、泣いている……

……

次の日、また次の日と時間は流れ、最初にハモンを見つけてから1週間近くが経っていた。

折角の日曜日だというのに、私は机に向かってお勉強……していた。
机の上に置かれたレポート用紙、それはまだ半分も書かれていないのにそこでペンは止まっていた。
『人の意見に私の意見をぶつけ……』そんな中途半端な所で止まっている。

明日までに最低3枚はまとめることと言われていたけど、とても終わりそうじゃない。
どうしても集中できない、何行か書き続けるといつのまにかペンは止まり、ジィっとペンを見つめている。
ハッと気が付いてまた書き始めるんだけど、気が付くとまた同じ状況、だからもう書こうともしない。

今日まで私は毎日街に出てあいつを探した、だけどあれからというもの1回もあいつを見つけられていない。
絶対にあいつだと思った顔も、今ではぼんやりと薄れてしまってはっきりとはわからない。
あの時私が見た人は、ハモンとはまったく関係のない別の人、そんな風に思えてならなかった。

ころーんとシャープペンシルを転がし、完全にレポート作業を放棄する。
空いてしまった片腕で頬杖を付き、もう片方の手で机に立てられた写真立てに手を伸ばす。
笑った私と、変に照れすぎのあいつ、今まで何度も見ていたのに、その時はなんでもなかったのに。
どうして今になって見ると、とても寂しい気持ちになるんだろう……

「……」

写真立てを胸に押し当て、それをきつく、きつく抱きしめた。
そしてまた不意に溢れる涙、最近になって、なんで泣いてばっかりなんだろう……?

昨日のような僅かに頬を伝うような涙ではない、涙は瞳からこぼれ、ぽたぽたと私のスカートの上へと降り注ぐ。
スカートの上に薄っすらとシミが滲み、また新たな涙が少しずつ少しずつシミを大きくしていった。

「ハ……モン……」

もうはっきりと言葉が繋がらない、こみ上げる感情が私の言葉を寸断する。

「会い……たいよ……」

会いたい、それは今の私が願う1番の想い。
もうすぐそこまで近づいているというのに、後1歩が足りていない。
いや、足りないのではなく、私にはこれ以上近づくことが出来ないのかもしれない……

そんな考えもサアっと消え、さらに強く私は抱きしめた。
痛みを感じるほどに、しかしそれさえも気にならないほど、私の想いは強くなっていた。

PrrrrrPrrrrr……

携帯電話の着信、抱きしめていた力が一瞬にしてなくなり、私は我に帰った。
なり続ける携帯を手に、出ようと思ったがしばしの戸惑い、今出てしまうと泣いていたのがばれてしまう。
着信の相手は澄ちゃん、よりによって1番まずい相手、どんなに繕っても絶対にばれてしまうだろう。

今出るのは吉ではない、と直感的に判断をした私は着信音をただ聞き続けていた。
やがて着信音が消え、部屋の中に静寂が立ち込める、澄ちゃんの性格上かけなおすとしたら早くても30分後。
それまでに気持ちが落ち着けば、私から電話をかけなおそう。

「もしもーし、観澄ちゃんだよ〜」

とっても気の抜けた声が電話越しから漏れる、この声を聞くとなんだかやる気が抜けるなぁ。

「私、さっき電話してくれたみたいだけど……」

一応落ち着いてはいるものの油断は出来ない、なるべく悟られないように注意しながら話す。

「出ないなんて珍しいね、なんかお仕事?」

「ううん、大学のレポートまとめ、音楽聴きながらやってたから聞こえなくて」

「うわ、レポートって響き嫌……」

電話向こうの澄ちゃんがどんな顔をしているのか手に取るようにわかる。
きっと渋い顔をしているに決まっている、レポートやらの長文製作が澄ちゃん1番苦手だから。

「それで、何か用事?」

「いや、もし暇だったら遊びにでも誘おう思ったんだけど、無理かな?」

「ううん、大丈夫、ちょっとつまっちゃって休んでた所だから、どこに行けば良いかな?」

……

「おーい、こっちこっち−」

澄ちゃんが指定してきたのは公園、というにはいささか無理があるほど小さな広場。
ブランコが2つ設置されているものの、他にはこれといって目を惹くものはない。
大学の近くにあるから、よく2人の待ち合わせ場所としても利用されている。

「お待たせ、あれ、宇崎君は?」

てっきり居るものだと思っていた、だけど公園には澄ちゃん1人の姿しか確認できていない。

「私がいつもいつもあいつといる訳ないでしょうが、プライベートってものがあるんだから」

「それもそうだよねごめん」

「っていうのは強がりで、ほんとはあいつも一緒に来るはずだったんだよー……」

急に弱々しく声をあげ私に擦り寄ってきた、何々、どうなってるの?!

「ど、どうしたの……なんか、らしくないよ?」

「だってだってぇー、あいつは鬼だよー……」

私に抱きついて胸に顔を摺り寄せる、なんともくすぐったく、なんとも恥ずかしい、とりあえず1つ1つ順を追って話してみようよ。
で、聞いてみたんだけど、まだあんまりわからない、とりあえず宇崎君が途中で駄目になったってことはわかった。

「ドタキャンはいけないことだってあれだけ言っておいたのに、あいつ聞いてもいなかったな。
このペナルティーは高くつくよ、償いは何でやらせようか」

さっきまでの弱々しさはどこにいったのか、すでに澄ちゃんの頭は宇崎君に対する罰でいっぱいだった。

「まあまあ、宇崎君も悪気が合ったわけじゃないんだから」

「悪気が合ったらあいつのバイク売り飛ばしてるよ」

「……鬼だね」

「鬼だよ、あはは……」

「もう、ふふ……」

あれだけ怒っていた澄ちゃんの笑顔に、つられて私も笑ってしまった。

「それで、予定とか決まってるのかな?」

「特にはない、ただ街中ぶらぶらして服でも見てこようかと思ってた、つまんなかったら遠慮なく言って良いから」

「前にもそういうこと言って、私が意見したら怒ったよね?」

「そう? そうだったかな?」

完全に覚えてるくせに惚けられた、普通なら怒るところだけどなんだか澄ちゃんには怒る気にさえならない。

「そんな昔のことは水に流して、急がないと休日なくなっちゃうよ」

「わわ、押さないでよー……」

後ろ肩をぐいぐいと押され、なんだかもうなすがまま。
街中に行ってからの澄ちゃんはいつも以上に行動的だった、お気に召す服を見つけては値切る。
店員さんの言い値を巧みな話術で下げていき、いつの間にか半値近くになってるから驚きだよ。

その後も喫茶店でお茶をしたり、レコードショップでクラシック音楽のCDを探したり、なんだかよくわからないアクセサリーのお店に入ったり。
澄ちゃんにくっついて回ってたけど、なんだか久しぶりにゆっくり出来た感じ。
ここ最近、毎日あいつを探してばっかりでゆっくりする時間なんてなかったもんな。

「お、良い笑顔、良きかな良きかな」

「え、私笑ってた?」

「まあね、最近あんま笑ってなかったからさ、これでも心配してたんだよ」

笑ってなかったわけではない、私はちゃんと笑っていた、だけどそれは全て見せ掛けだけの表面上のもの。
自分では誤魔化せてるつもりだったけど、あっさりと見破られてしまっていたようだ。

「憐は素直なんだから作り笑顔とか似合わないよ、今みたいに笑ってる方が可愛いし」

「か、可愛いとか言われても……」

「照れてる照れてる……たまにはさ、肩の力抜いて自分のことを考えるのも良いんじゃない」

「え……?」

もしかして、今日澄ちゃんが私を誘ったのって、私の……ため?

「ねえ澄ちゃん、それは……」

「はいはい難しい話はこれで終わり、質問等は受け付けません」

ピッと指を立てて私の言葉を遮った、こういうときは素直に従った方が友人関係が拗れなくて良い。

「残念……澄ちゃん」

「んぅ?」

「……ありがとう」

何の返答もない、ただ澄ちゃんは私に笑い返す、どうやら私の考えで合ってたみたい。

「さてと、次はどこに行こうか?」

「私はどこでも、澄ちゃんにお任せ」

いつものように顎に指を当て、なにやら思案のポーズ。
きっと決まったら声をかけてかけてくれるだろうと思い、私は何気なく人の流れを見ていた。
改めて見てみると、都会にはいろんな髪の色が存在する、朱、緑、白、そして黒、こんなに種類が多いのはこの国だけじゃないのかな?

「……あ」

そんな群衆の中、どうしてこんなたくさんの中から見つけてしまうのだろう?
あのブロンドの混じった髪、毎日探しても見つけることの出来なかったあいつの姿を見つけてしまった。

「ハモン!」

「あ、憐!」

次の瞬間、私は駆け出していた。
今度は見失わない、今度見失ったら次はいつチャンスが来るのかわからない。
必死であの姿を追い続け、ついに私の手の届く所まで彼は近づいていた。

手を伸ばせば届く位置、私はその後姿の腕に自分の手を伸ばし、グッと掴む。
やっと、つかまえることが出来た……!

「あ、あの!」

緊張しているのか声が上ずってしまう、一体何を言えば良いんだろう?
振り返った男性の顔、やっぱり間違えるはずがない、私がずっと待ち続けた男性。
六乃宮ハモンの顔に、間違いなかった。

「……」

私と同じ状況なのか、ハモンは私の顔を見たまま何も喋らなかった。

「憐、いきなり走られると、あ……」

澄ちゃんも顔を見た途端言葉を失った、たぶん私と同じ状況。
3人の間の沈黙、その沈黙を最初に破ったのはハモンだった、しかしそれは……

「君は……誰?」

「え……?」

予想出来る応えの中に存在しなかった返答、ちょっと、何を言っているの?

「私のこと忘れちゃったの、憐だよ……」

「憐、さん……いや、俺の知り合いにそういう名前の人は……」

またも予想外、本当にどうしちゃったの? まさか本当に忘れてしまったの?

「ハモン、どうして……」

「ハモン……いや、俺の名前は」

「彼方、名前はなんていうの?」

「……俺は最堂、最堂セラですけど?」

「!」

どういうこと? 今彼が言ったことは、どういうことなの!?

「お2人が探している人とは俺は別人ですよ、急ぎますからこれで」

グッと掴んでいた手にはもはや力は入らず、スッと離れてしまった。
そのままセラと名乗った男性は行ってしまう、一度もこちらを振り返ることなく、姿は見えなくなった。

「他人の空似、私も本人かと思ったけど……違ったみたいだね」

澄ちゃんが何かを喋っているけど、私の耳には届いてこない、私の頭の中はそれどころではなかった。

あの顔はハモンに間違いない、だけどその人物はハモンではなかった、どうしてそうなるの?
どういうこと、説明が欲しい、誰か説明してよ!?

「嘘、嘘だよ……だってあの顔は、あいつは……」

膝の力がなくなり、ガックリとその場にへたり込む。
頭の中をぐるぐるといろいろな物が飛び交い、その全てが私を苦しめる。

私の思い違い、勘違いなの?
そんなのあるわけない、あの顔はハモンに間違いないのに、それなのに……

「いや……いやいやいやいや……」

セラと名乗った男性の顔が頭に蘇る、その顔は私がずっと待ち続けたハモンのそれと同じ。
しかしそれは、ハモンではない……

「どうして、どうしてなの……」

もう何も見たくない、もう何も聞きたくない、もう何も考えたくない。
両腕で耳を隠すように頭を抱え、私は叫んでいた。

私の中で何かが、砂で出来た城がもろくも崩れていくような、そんな嫌な感じが体を支配していった。





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