【Rondo of the fox】
女性は袖口からハンカチを取り出し、薄っすらと額に浮いた汗を拭く。
まるで作法の教科書通りといった感じのその完成された動きに、思わず見とれてしまった。
【女性】
「こんにちは」
【刀満】
「……ぁ、こんにちは」
柔らかく大人っぽい笑みを見せた女性の挨拶に、すぐさま返事を返すことが出来ず。
どうにもこういった綺麗で礼儀正しい人は苦手だな、周りの女性は千夜や姉さんみたいなのばっかりだったからかな?
【刀満】
「えぇっと、ご参拝ですか?」
【女性】
「それもありますが、残念ですがそれは副産物的な第二目的ですね。
最重要の目的は、ちょっと人を訪ねに来たんです」
【刀満】
「この家の人に、ですか?」
【女性】
「はい」
再び女性が柔らかく微笑んだ、そのつど背中越しに僅かに見える
薄黄金色したふさふさの尻尾飾りが揺れる。
折角着物で美しくまとってあるのに、何故あんな物を付けているのだろうか?
【女性】
「千夜様はいらっしゃいますか?」
【刀満】
「蔵の掃除をしてると思いますけど、千夜の知り合いなんですか?」
【女性】
「知り合いかどうか、というとちょっと難しいですね。
私は以前にもお会いしているのですが、千夜様が覚えているかどうかはわかりませんね」
【刀満】
「あいつそういったことはよく覚えてますから、大丈夫だと思いますよ」
【女性】
「どうでしょうね、お会いしたのももう結構前のことですから。
それで、千夜様はどちらに?」
【刀満】
「じゃあ俺がご案内しますよ、どうぞ」
【女性】
「ありがとうございます」
柔らかな笑みと軽いお辞儀、まさに作法の世界から抜け出てきたみたいなきっちりとした人なんだな。
だけどあの千夜に、こんな礼儀正しいお知り合いがいるとはね。
きっとこの人にしてみれば、千夜の日常態度なんて見るに耐えないのじゃないかな?
【千夜】
「こーらー、サボってないでちゃんと掃き掃除しなさいよ」
【刀満】
「サボってるわけじゃない、お前にお客さんだよ」
【千夜】
「私に?」
千夜のところへ女性を案内すると、女性は一歩前に出て軽く頭を垂れた。
【女性】
「初めまして、と云った方が良いでしょうかね?」
【千夜】
「ぁー、えぇと………どちら様ですか?」
【刀満】
「なんでも昔千夜と会ったことがあるんだと、覚えてないのか?」
【女性】
「たぶん無理だと思われますよ、なにぶん昔のことですから」
女性ははなからわかっていたのか、落胆した様子はなかったが
ふさふさした尻尾飾りは少しだけ寂しそうに左右に揺れた。
改めて後ろから見ると、どう見ても尻尾飾りだよな。
尻尾飾りは良いとして、なんで着物を着た上からあんな物を付けているのだろうか?
【千夜】
「ぁー、すいません、ちょっと記憶に残ってないですね……
お名前教えてもらえますか?」
【女性】
「名前、と云われるとちょっと困ってしまいますね。
千夜様が呼びたいように呼んでもらって構わないですよ」
【千夜】
「そんなこと云われてもさ、それに千夜様って、なんでまた様付け?
私そんな知り合いいないはずなんだけどなぁ」
顎に指を当ててうんうんと記憶をフル稼働で掘り起こしているのだろう。
なんだかうんうん唸り、頭を軽く左右に振るが、納得いく答えは見つからなかったようだ。
【千夜】
「まぁ今は良いや、それで、私に何かご用ですか?」
【女性】
「御用、といえば御用ですね。
悪い云い方をすればお節介、良い云い方をすれば守護、といったところでしょうか」
【千夜】
「ごめんなさい、全く何が云いたいのかわからないんですが……」
【女性】
「でしょうね、たぶん千夜様にとっては身に覚えのないことでしょうから。
ですが、私のとっては大事なお役目でもありますので」
【千夜】
「なんかどんどんこんがらがっていくよ……
お客さんである以上突っぱねるわけにもいかないし、とりあえず立ち話も面倒だから中にでも」
【モニカ】
「千夜、こっちの掃除は終わったぞ。 次は、っと、客人か」
【女性】
「あの方は……もしかすると……あの、少しよろしいですか?」
【モニカ】
「私に、か?」
【女性】
「えぇ、貴女にです」
女性に呼ばれるも、当然モニカは出会ったことがないような顔で首を小さく捻っていた。
【モニカ】
「で、私に何か用か? 生憎私には心当たりがないのだが」
【女性】
「それは勿論そうでしょうね、私も貴女のような方とはお会いしてことがありませんから。
それに、出来ることならめぐり会いたくもなかったです」
表情に笑みは崩さないものの、口調は常に穏やかではあるものの
モニカに向けられた言葉はそれらとは全く逆のベクトルを向いていた。
【モニカ】
「ほう、初対面であるくせに随分と攻撃的な言葉を吐くのだな。
千夜の客人でなければ、小一時間ほど言葉遣いを教えてやりたいところだ」
【女性】
「ふふ、言葉遣いに関しては間に合ってますのでご心配なく。
それに、言葉遣いでしたら私が貴女に教えてあげましょうか? 貴女の口調は刺々しいですよ」
【モニカ】
「生憎私はただの女ではないのでな」
【女性】
「ただの女ではないのではなく、ただの人間ではない、の間違いではないのですか?」
一瞬、ほんの一瞬だけ女性の言葉から笑みや穏やかさが消える。
そして尻尾飾りが一瞬大きく揺れると、女性はモニカの背後へと回っていた。
【モニカ】
「なっ! くっ、ぅ!」
【刀満】
「モニカ!」
突然のことでモニカは対処しきれておらず、女性はモニカの片腕を背中へと捻り上げて動きを封じていた
【女性】
「奇襲成功、ですね。
大人しくしていた方が良いですよ、こう見えても私、結構怖いんですよ?」
【モニカ】
「微笑みながら云われても説得力ないな、脅しをかけようとしても無駄だぞ。
貴様が思っている以上に、私も怒ると怖いのだからな!」
素早く膝を折り、二人の身長差によって甘くなった腕の捻りを解く。
身体を沈ませながら女性の足元を削ぐように水面蹴りをうった。
着物を着ている割に女性の動きは軽く、モニカの水面蹴りを後に飛んで難なくかわす。
蹴りを打ち込んだモニカも距離をとるためにそのまま前に飛び込んで素早く体勢を立て直した。
【女性】
「あらら……逃げられちゃいましたか」
【モニカ】
「どうやら千夜に用事、というだけではないようだな。 本当の目的は私か?」
【女性】
「まさか、貴女のような方がこの場所にいたのは全くの偶然、そして予想外の出来事です。
勿論悪い意味ですので、ご心配なく」
【モニカ】
「何も心配などしておらん……刀満! 千夜と共にこの女から離れていろ!」
【刀満】
「お前はどうするつもりだよ」
【モニカ】
「無論、こいつを討つ。
こいつが何者かはわからんが、少なくとも私には完全敵視の目をしている」
【女性】
「まぁ、その発言は少々困りますね。 それではまるで私が悪者に聞こえてしまいます。
悪者は貴女です、私にとっても、千夜様にとっても、それから彼方にとってもなんですよ?」
女性は俺にちらりと視線を向けるが、すぐにモニカへと視線を戻す。
【女性】
「悪しき存在は、消すべき存在ということです!」
【モニカ】
「っと、それだけ清楚で上品な外見をしているくせに、随分と荒っぽい攻撃をするのだな」
【女性】
「荒っぽいというのは間違いです、これが私本来の戦い方。
さすがに噛み付くことは出来ませんが、これでも十分致命傷を与えられるんですよ」
【モニカ】
「やれやれ、自分のことを棚に上げて、私を化け物扱いするとはな。
貴様の方がよっぽど化け物だ、しかもカリス等よりも性質が悪い」
【女性】
「その方がどんな方かは存じませんが、貴女の知り合いということであれば
その方も私の手で消さなければなりませんね」
【モニカ】
「殺れるものなら殺ってもらいたいものだ、やつ等は私にも目障りな存在だからな」
【女性】
「それは追々ということで、それよりも、まずは目の前にある障害を
みすみす逃がすわけにはいきませんからね」
【千夜】
「ちょ、ちょっと二人とも! 何初対面同士で喧嘩なんかしちゃってるのよ!」
【女性】
「喧嘩ではありませんよ」
【モニカ】
「あぁ、そんな生易しいものじゃない。
こいつは厄介な存在だ、今この場で叩いておかねば後々面倒になる」
【女性】
「その言葉は、そっくりそのままお返しいたしますよ」
【千夜】
「刀満、あの二人止めてきてよ! あのままじゃ怪我するよ」
【刀満】
「止めに入ったら俺が怪我する……怪我じゃすまないかもしれないな」
あの女性がモニカをどう捉えているかはわからないが
モニカはあの女性を、カリスと全く同じ扱いで捉えているようだ。
つまり、カリスと同じく、討つべき存在であるということ……
【女性】
「ご心配なく、お二人に手を出したりはしませんので」
【モニカ】
「そんな口約束、信じられると思うか?」
【女性】
「貴女に信じていただかなくてもよろしいんですよ。
私の狙いは貴女一人ですからね」
【モニカ】
「ふふ、それは好都合だ。
それくらいの気持ちでないと、殺る側としても良心があるのでな」
【女性】
「あまり直接的な表現はどうかと思いますよ」
【モニカ】
「こんな状況を作り出した張本人がいう言葉か?」
【女性】
「確かに、それはいえてますね」
もう殺気を隠そうともしないモニカとは対照的に、女性は笑みを浮かべて余裕を見せ付けている。
精神コントロールが上手いのか、はたまたモニカでは役不足と認識しているのか?
【モニカ】
「長話はもう止してもらおうか、生憎今日は暇じゃないんだ」
【女性】
「そういうことでしたら、私が暇にしてさしあげますよ!」
先に動いたのは女性の方、着物の帯に挟んでいた扇子をモニカに向かって投げつけた。
【モニカ】
「ふっ!」
投げつけられた扇子を顔を動かして避ける。
しかし、それが一瞬の隙であり、女性にとっては好機でもあった。
【女性】
「フェイク、ですよ」
【モニカ】
「そんなものはよめている!」
女性の動きをよみ、誘いだと見破ったモニカは後方に向かって裏券を打ち込んだ。
【女性】
「ふふ、残念。 云ったじゃないですか、そちらがフェイクなんですよ」
【モニカ】
「!」
モニカの裏券は何もない空を切り、女性に背を向けてしまったモニカには大きな隙が生まれた。
【女性】
「はい捕まえた、今度は逃がしませんよ」
先程と同じように片腕を取り、今度は空いた手をモニカの首へと回す。
【モニカ】
「がっ、ぐ!」
【女性】
「何も派手な動きが致命傷を与えるわけではありませんからね。
このまま締め落とすことも可能ですよ」
【モニカ】
「ぁ、が、うぐぅ!」
【女性】
「どうですか、苦しいでしょう?
このまま続けられるよりも、舌を噛んで楽になった方がよろしいんじゃないですか?」
【モニカ】
「くっ……あ、まい!」
ガツ!
【女性】
「あぅ!」
首を絞ることに集中していたため、足元へと警戒が疎かになっていた。
女性の脚の甲めがけ、思いっきり踏みつけることで絡めから脱出した。
【モニカ】
「えほ、えほ……回りくどい戦法を」
【女性】
「あつつっ、野蛮な戦い方ですね」
【モニカ】
「ふぅ、貴様の方こそいつまでそんな善人ぶった振る舞いを続けるつもりだ?
そんなことをせずとも、私を殺しにかかろうと思えば出来るのではないか?」
【女性】
「……力の差を知れば、引いてくれると思ったのですが上手くいきませんね。
ならば、少々荒っぽい手も講じなければなりませんね」
女性の尻尾飾りがまるで生きているかのようふるふると動き
同時に女性の髪には奇妙なクセが出来ていた、それはまるでピンと立った耳のように見える。
【モニカ】
「ようやく善人ぶるのを止めたか、なら私も少々本気を出すしかないか」
【女性】
「参りますよ」
ヒュ!
【モニカ】
「っつ、抑えてはいても殺気だけは隠せないか。
的確に私の心臓を狙ったようだが、突進力だけでは私を刺せんぞ!」
【女性】
「それはごもっとも、ですが基礎体力を考えたらどうですか?
少なくとも、先にばてるのは貴女の方ですよ」
【モニカ】
「……さすがに、こんな状況でも笑っていられるだけはあるな」
女性の突進力に、今のモニカでは避けるのが精一杯のようだ。
あの身体では正面から受ければ死につながるのは明白。
あいつ、どうやって切り抜けるつもりなんだ?
【刀満】
「モニカ、お前」
【モニカ】
「口を挟むな!」
モニカの怒鳴り声に、それだけ今は余裕のない状況だということを嫌でも伝えてくれる。
【千夜】
「刀満、あの二人、何してると思う?」
【刀満】
「……殺し合い、じゃないか?」
【千夜】
「だよね……私もそう思う」
それだけ云い残すと、千夜は二人から距離をとりながら
隙を見て家の中へと駆け込んだ。
いや、意識的にあの女性が千夜に入りやすいようにモニカの気を引いたと云った方が良いかもしれない。
【女性】
「あら、失礼しました。 ちょっと服を裂いてしまったようですね」
【モニカ】
「くぅっ、借り物の服だというのに……」
【女性】
「服の心配よりも、お体の心配をした方が良いんじゃありませんか?」
【モニカ】
「貴様に心配される必要など、ぁ!」
女性の言葉に気をとられすぎたのか、モニカの片足がバランスを崩して折れてしまう。
【女性】
「これで、お終いですね!」
ヒュ!
ガキィ!!
【女性】
「なっ!」
【モニカ】
「悪いが、フェイクを使えるのは貴様だけではないのでな」
モニカの心臓へと伸びる女性の手を止めたのは、モニカが呼び寄せた愛刀だった。
【女性】
「どこにそんな物を……」
【モニカ】
「さぁな、『魔法』とでも思っておけ!」
素早く刀を鞘から抜き、女性の胸元めがけて一直線に刀を突き立てた。
【女性】
「あ、ぐっ!」
刀は胸から背中を貫通し、女性からは苦悶の声が僅かに漏れる。
女性から刀を引き抜き、倒れこんだ女性はピクリとも動かなくなった
【刀満】
「ぁ、モニ、カ……」
【モニカ】
「近づくな! やはり、カリス以上に性質が悪い」
【女性】
「あらら、やっぱりばれちゃってましたか」
【刀満】
「!」
倒れた女性はピクリとは動かないものの、それとは別に女性はモニカの背後から
少しばかり残念そうな顔をしながら再び現れた。
【モニカ】
「やれやれ、面倒な性格をしているな」
【女性】
「お生憎様ですが、幻惑は私の得意分野ですからね。
でも貴女も人が悪いですよ、そんな物をどこからともなく取り出すなんて」
【モニカ】
「だが、これで五分といったところか?
先に云っておくが、もう貴様の突進は掠りもせんからな」
【女性】
「でしょうね、ならば私がもう一段階力を出せば五分ではなくなりますから。
小さいくせに能力は私と互角に渡り合えるなんて、ちょっと腹立たしいですね」
【モニカ】
「体のサイズ=強さ、とでも思っているのなら、貴様もとんだ阿呆だな」
【女性】
「お喋りはもう止めましょうか、あなたの話を聞く限りでは
敵は貴女だけではなさそうですし」
女性は身体をかがめ、今までの余裕のあった笑みをかき消し
眼を鋭く尖らせてモニカを睨みつける。
【モニカ】
「一発勝負、ということか。
ならば私も、受けてたとうじゃないか」
モニカはモニカで顔の真横で柄を水平に構え、独特な構えで女性と対峙する。
どうやら、勝負が決まるのはもうすぐそこのようだ……
【女性】
「ふっ!」
【モニカ】
「っ!」
ヒュン!
【女性】
「っ! な、何?!」
モニカに向かって一直線に距離を縮めた女性の動きが急に止まる。
女性の眼の前を何かが通り抜け、そのまま奥の林へと掻き消えた。
今のは、一体……?
【千夜】
「あなたたちぃ……」
【女性】
「せ、千夜様!」
本殿から姿を現した千夜が手にしていたのは、千夜愛用の弓。
もしかして、さっき通り過ぎたものって……
【千夜】
「殺生御法度の神社の眼の前で、何堂々と殺し合いをしてるのよ……」
【女性】
「ですが千夜様、この女の子をこのままに」
【千夜】
「煩い!」
ヒュン!
ガツン!
【女性】
「ひっ!」
問答無用で射った矢は、女性の近くにあった狛犬へと突き刺さった。
女性は急な状況の変化からか、矢を射られた恐怖からか、その場にぺたんと座り込んでしまった。
【モニカ】
「やれやれ、邪魔してくれたな……」
ヒュン!
ドス!
モニカの顔の真横を通り過ぎ、後ろにあった木に深々と矢が突き刺さる。
突然のことで反応できていなかったモニカはややあってからようやく突き刺さった矢を確認した。
【千夜】
「あんたも動くな!」
【モニカ】
「ぁ、あぁ……」
【千夜】
「神社の前で堂々と殺生、しかも私がいる眼の前でとはね。
そこのあんた、あんた何者なの? 正直に云わないと……」
ギリギリと引かれた弓の矢は女性を捉えている。
こいつはいよいよ拙い状況だ!
【刀満】
「アホかお前は! 殺生厳禁でお前が一番殺生に近いじゃないか!」
慌てて千夜の手を止めさせ、物騒な矢だけを強引に奪い取った。
【千夜】
「何で止めた! 矢返せ!」
【刀満】
「落ち着けっての! とりあえず色々と治まったから、次はお前が落ち着け!」
……
【二人】
「妖怪ぃ?」
俺と千夜はお互いに顔を見合わせ、互いの顔色を伺った。
が、どうやら俺も千夜も同じような顔をしていたようだ。
【刀満】
「妖怪って云うとなんだ、猫又とか雪女のあれか?」
【女性】
「幅広く云うとどこまでも広がっていきますが、同一と解釈してもらって結構ですね」
【千夜】
「妖怪っていきなり云われてもねぇ……
悪いけど私は刀満に比べて現実主義者なんだよね、神社の娘なんだけどさ」
【刀満】
「それだと俺が夢見がちみたいに聞こえるから止めろ。
俺だって幽霊だの妖怪だの、非現実の類は信じちゃいなかったよ」
【女性】
「その科白から推測しますと、今では信じているということでしょうか?」
【刀満】
「うーん、あんま認めたくはないけどな。
あいつがいることが一種の超常現象みたいなもんだから」
俺と千夜は女性から話を聞いているが、モニカのやつは入り口に背を預けたまま会話に入ろうとはしない。
やはりさっきまで殺し合いを行っていた同士、簡単に輪に入ることは出来ないってことかな。
【女性】
「確かに彼女の存在は超常現象と呼べるかもしれませんね。
あの刀、どこから取り出したのか非常に気になりますから」
【千夜】
「それで、あなたは何の妖怪なの?」
【モニカ】
「狐の化け物だろ?」
顔はこちらに向けず、声だけがこちらに向かって聞こえてきた。
一応俺たちの話は聞いてるみたいだな、だったらこっちに来れば良いのに、強情だなぁ。
【女性】
「まあ彼女の云うとおりですね、私は狐の妖怪です」
【刀満】
「するとその尻尾飾りは」
【女性】
「飾りではなく、本物の尻尾ですよ。 私の自由意志で動かせますからね」
女性は尻尾をピンと立てて軽く撫で、フリフリと本物の尻尾であることを理解させるように振って見せた。
【千夜】
「ふぅん、お飾りじゃないんだ」
【女性】
「ひゃふ!」
【千夜】
「わわ、ちょっと何?」
【女性】
「ぁ、すいません。 他の方に尻尾を触られるのは慣れていないものですので。
あまり触らないでいただけるとありがたいのですが……」
千夜が尻尾に触れると甘い声をあげ、くすぐったいような驚きの顔をしていた。
どうやら本物の尻尾と見て問題ない、かな?
【女性】
「失礼しました、こほん。
とりあえずこれで私が妖怪であるということが多少なりとも理解していただけたと思うのですが」
【千夜】
「その尻尾がお飾りじゃないことはなんとなくわかったかな。
人間にそんなフサフサした尻尾は生えないし、妖怪ってことになっちゃうのかなぁ」
【女性】
「急に信じろといわれても無理な話でもありますからね、徐々にそう認識してもらえれば結構ですよ」
【刀満】
「これでようやく話を進められるな。 2、3聞きたいことがあるんだけど良いですか?」
【女性】
「なんなりとどうぞ」
【刀満】
「なんでまた千夜なんかを訪ねてきたんですか?」
【女性】
「それは最初にお伝えしたと思いますが……では改めてお伝えしますね。
私の目的は、千夜様を守護するためにここに参らせていただきました」
【千夜】
「守護なんて云われてもさ、私が困っちゃうよ。 そんなご先祖様じゃないんだから」
【女性】
「千夜様をお守りする、それが今の私に科せられている全てだと云ってもですか?」
【刀満】
「おいおい、なんだか随分と大きな話になってきてるぞ。
妖怪が千夜にそこまで尽くす必要があることなんですか?」
【女性】
「あるんですよ、千夜さまの血が関係していますからね」
【千夜】
「血って、私の血はごくごく普通の陽性AB型なんだけど」
【女性】
「そういうことではなくて、血筋が、ということです」
血筋、その言葉を聞いた千夜の眼が僅かに泳いでいた。
千夜の血筋、それを大昔まで遡った場合、たどり着く人物は……
【女性】
「千夜様にも心当たりがあることと思われますよ。
それに千夜様がお住みになっているこの地、ここも非常に良く計算された立地だということはご存知ですか?」
【千夜】
「いや、何にも聞いたことないけど」
【女性】
「ここはこの街で唯一妖と魔の波が相殺しあい、全ての陰・負の波が天へと抜ける場所なんです」
【刀満】
「それって良いことなんですか? もっと噛み砕いて説明してもらえると……」
【女性】
「つまりですね、唯一無になれる空間であり、ありとあらゆるマイナス要素の通り道ということになります。
無の空間というのはそこにはバランスが存在しない、すなわち対等の世界です。
波長に何の乱れも生じないため、そこで行う陰陽術は非常に研ぎ澄まされたものになるんです」
【千夜】
「マイナス要素の通り道っていうのは?
聞く限りだととてもじゃないけど良いことではないように聞こえるんだけど」
【女性】
「マイナス要素とは云っても、千夜様に直接害はありませんよ。
世界には陽と陰の力が存在していて、陽には陽の突入口と脱出口が、陰には陰の突入口と脱出口があるんです。
ここは陰の脱出口がある場所なんです、役目を終えた陰の力が抜け出ていく場所ですね」
【刀満】
「それがここにあると何か良いことがあるんですか?」
【女性】
「先程も云いましたが、千夜様の血筋が関係してくるんです。
突入口と脱出口は一つでも欠けてはならないもの、それを昔から守り続けているのが千夜さまの血筋になるんです」
【千夜】
「あのーもしもし、私今まで何一つそういったことに興味もないし、何かした記憶もないんだけど」
【女性】
「ご心配なく、何も特別なことをする必要はありませんよ。
脱出口を守る力になっているのは千夜様の命なんです、千夜様がご存命である限り脱出口は壊れません」
【千夜】
「ちょ、ちょっと待ったたんま! な、なんで私の命なのさ!?」
【女性】
「脱出口を守る力は子孫へと受け継がれるんです、つまり先代の守り手は千夜様の母君だったんです。
千夜様が生まれることによって役目が千夜様に移ったというだけのことですよ」
【千夜】
「だからなんで私の命なの、何で勝手に移るの、私そんなこと認めてないぞ!」
女性の説明を受けるものの、要領を得ない千夜は女性に文句をぶつけた。
千夜にとってみればいきなり貴女の命が重大な何かに関わってますよって云われてるんだもんな
まあ、怒って当然といえば当然か?
【女性】
「千夜様に子孫が出来次第、守り手の力は継承されますから。
それまでは我慢していただかないと、千夜様の死はこの街のバランス異常につながりかねませんので」
【千夜】
「なんで私の命程度で街規模の話になるのよぉ……それに子孫なんて私まだ要らないよ」
【刀満】
「あの、少し良いですか?
それって千夜が子供生む前に、交通事故とか急な病気で死んでしまった場合ってどうなるんですか?」
【女性】
「血筋が途絶えてしまったら、ということですね。
その場合、あまり良い解決法ではなありませんが脱出口の位置を変える必要がでてきます。
ただ、この地は一番脱出口に適した地ですので、動かすと多少の不都合が出るのは避けられないかと」
その多少がどの程度の多少なのかは見当も付かないが、とりあえず千夜が死んでは困るということは良くわかった。
【刀満】
「くれぐれも早死にして俺の生活に迷惑かけるなよ」
【千夜】
「人が一大事だって時に、呑気に縁起でもない話をするな!」
バカン!
いたた、まあ今の科白は確かに無神経だったか……すまんな。
【女性】
「話の本筋が少しずれてしまいましたが、私が千夜様を訪ねた理由は千夜様の守護をするため。
千夜様の血筋を絶やさないためということでお解かりいただけましたか?」
【刀満】
「なんとなくね、とは云ってもね。
突然の事故や病気なんか防ごうと思っても防げるものじゃないと思うんだけど」
【女性】
「えぇ、予期しない・できない事故や病気でしたら私がいる必要はありませんからね。
ですが、もっとそれ以上に予測することが出来る問題が現状起こってしまっていますので」
【刀満】
「それって、なんなんですか?」
【女性】
「たぶんご存知だとは思うのですが、ここ最近巷で怪事件が起きていることは?」
【刀満】
「ええ、勿論知っていますよ。
それも一番新しいのはごく近場で起きていますからね」
カリスが引き起こしているであろう例の事件のことだ。
僅かにモニカの顔がこちらを向くが、俺と眼が合うとすぐに視線を元に戻して興味ないことと装った。
本当は誰よりも興味があるくせに、強情を通り越して子供みたいだな。
【刀満】
「まさかとは思いますが、それに千夜が狙われてるってことなんですか?」
【千夜】
「は、え!? 私死んじゃうの!?」
【女性】
「いえ、さすがにそこまで予測することは不可能です。
ただ、その怪事件が起きてから、色々と不安定な波が感じられるんです」
【刀満】
「不安定な波……具体的にはどういうことなんですか?」
【女性】
「私たち妖怪は基本的に表の世界に出てくることが少ないんです。
それは殆どの妖怪はその地に縛り付けられ、守り神かもしくは疫神として封じられているからなんですが……
例の事件以来、少々その絡めが弱くなり、疫神を封じる力が弱まっているところがちらほらとあるんです」
【千夜】
「それって最後にはどうなっちゃうの?」
【女性】
「疫神が放たれ、今以上に怪事件が多くなることは確実です。
特に千夜様、あなたの血筋はそういったものを寄せ付ける場合が多いんです」
【刀満】
「なるほどね、そうなった場合に千夜を守るのが貴女の使命だ、ということですか?」
【女性】
「そうなりますね」
【千夜】
「うわぁ、そんな微笑みながら云われると危ないのか危なくないのか全然わからないよ……」
【モニカ】
「わからなくはないさ、千夜にとって死の危険は確実に近づいているということだ」
今まで頑なに会話に入ろうとしなかったモニカだが、ようやく重い腰を上げ
ゆっくりした足取りで俺たちの側へと歩み寄った。
【モニカ】
「この女の云うことの細かいところは私にはわからんが
この街に色々とバランス異常が起きていることは間違いない」
【刀満】
「それってモニカにもわかるのか?」
【モニカ】
「おいおい、少し考えれば容易にわかることだろう。
何故別世界の私がここにいる? 何故妖怪であるこの女がさも当然のように表世界に出ている?
つまりは、私やこの女の存在自体がすでにバランス異常の一つということさ」
【女性】
「まあ、貴女のような方でもわかるということは、非常に拙い現状と見ても良いかもしれないですね」
【モニカ】
「何が云いたいんだ貴様は、喧嘩を売っているのか?」
【女性】
「いえいえ、妖怪と同等の感覚を得ていると褒めているんですよ」
【刀満】
「あんたら、喧嘩するとまた千夜に射られるから止めとけって。
で、この話でどうやら一番重要なのは千夜みたいだけど、お前どうするよ?」
【千夜】
「どうするって云われてもねぇ……現実主義者だった私にいきなりあれもこれもって云われてもさ。
全部整理しないと、全部整理したからって納得できるとは思えないけどね」
【女性】
「嫌でも納得していただく日がそのうち訪れますよ。
出来ることなら来て欲しくはないのですが……」
初めて女性が視線を泳がせ、申し訳なさそうに声のトーンを落としていった。
【刀満】
「なんかとんでもない話になってきたな。
もう掃除がどうこうなんて云ってる場合じゃないんじゃないか?」
【千夜】
「はぁ、仕方ない。 刀満今日はもう帰って良いわ。
なんか頭の中ぐちゃぐちゃで掃除どころじゃないよ……」
【刀満】
「だろうな、とりあえず今日一日ゆっくりと整理するんだな。
モニカ、帰るぞ」
【モニカ】
「あぁ……良いのか、付き添ってやらんで?」
【刀満】
「大丈夫だろう、あいつは俺と違ってそういうとこ真面目だから。
変に悩むかもしれないけど、自分の答えだけはちゃんと出すやつだからさ」
……
【千夜】
「……」
刀満たちが帰ってもう一時間くらい過ぎただろうか?
私はずっと本殿の入り口に腰を下ろし、頬杖をつきながらぼぉっと景色を眺めていた。
【女性】
「落ち着かれましたか?」
【千夜】
「うーん、多少はね。
だけど別に掃き掃除なんてしてなくても良いのに、どうせまた掃除するからいいよ?」
【女性】
「千夜さまの邪魔にならないようにしていようとは思ったのですが。
何もしていないのは少し苦手でして……」
【千夜】
「妖怪にしては随分と家庭的なのね。
はぁー、私の命が街のバランスを支えているとはねぇ……」
身体を投げ出し、本殿の眼の前で仰向けに寝転がった。
神様の前でこんなことしたのは何年ぶりだろうか、これでも一応は神社の娘だから遠慮してたんだけどな。
【千夜】
「血筋、か……」
血筋を大昔まで遡れば、たどり着くのは陰陽師『安倍晴明』
陰陽師だったご先祖様はそりゃ妖怪の類にも好かれたろうけど……
そんなとこまで私に受け継がれなくて良いのに、それもこんなに時代がたってからって。
【女性】
「千夜様、ひとつよろしいですか?」
【千夜】
「何?」
【女性】
「あの子、先程の殿方と一緒にいたあの子のことなんですが。
彼女、何者なんですか?」
【千夜】
「モニカのことね、何者かどうかは私もよく知らない。
色々と訳ありな子みたいだけど、少なくとも敵じゃないだろうね」
【女性】
「ですが千夜様、その装いこそがフェイクかもしれないということも……」
【千夜】
「モニカが私の死に一番近いってこと? はは、それはないと思うけどね。
モニカとさっきやりあった感想としてはどうだったの?」
【女性】
「……出来ることなら、もう手合わせ願いたくない相手ですね。
私の全力をもってしても、本気の彼女に勝てるかどうかは……」
【千夜】
「へえ、モニカってばやるぅ」
【女性】
「感心している場合ではないです、今はないとしてもいつ敵対心が生まれるかはわかりません。
そうなった場合、もっとも危険なのは彼女です、千夜様と顔見知りなのならば尚更に」
【千夜】
「あんたはまだモニカを信じてないんだね」
【女性】
「昨日の敵は、というような考え方は持ち合わせていませんので。
まだまだ彼女には注意しておいて害はないと思いますが……」
【千夜】
「生真面目だねぇ、自分でも真面目だと思ってる私以上だよ」
寝ていた体を起こし、ぐぅーっと背筋を伸ばして大きく息を吐く。
【千夜】
「うぅーんん、悩んでもしょうがないか。
どうせ悩んでたって嫌でもその日は来るみたいだし、この際当たり前と思った方が気も楽かな」
【女性】
「申し訳ありません、私がお伝えしなければ悩む必要はなかったのですが……」
【千夜】
「だけど伝えてくれなきゃ確実に私は死んじゃうんでしょ?
こうやって訪ねてくれたのも血筋からくる縁なのなら、受け入れるのが一番かな。
あなた、住む場所とかは?」
【女性】
「私は妖怪ですから、その気になればどこでも寝泊りできますが?」
【千夜】
「じゃあウチに棲む? その方が色々と守ってもらうのにも良いと思うけど」
【女性】
「え、ですが……よろしいのですか、これでも私は妖怪ですよ?」
【千夜】
「妖怪だ妖怪じゃないなんて関係ないわよ、部屋も余ってるからあなたが良いんなら
棲んでもらっても構わないのだけど、お父さんたちにはお手伝いさんって説明すればなんとかなるでしょ」
【女性】
「あ、でも、ご迷惑じゃないですか?」
【千夜】
「私を守りたいのなら、私の側にいるのが一番良いと思うんだけどな?」
いわゆる殺し文句というやつだ、こう云ってしまえば彼女に選択権はなくなるからね。
【女性】
「……わかりました、千夜様がそう仰って頂けるのなら、仕える私が拒むわけにはいきませんね」
【千夜】
「それじゃ、これからよろしくね」
【女性】
「よろしくお願いします」
二人とも笑みで答えた、その後、私は大事なことを聞き忘れていることにも気がついた。
【千夜】
「そういえばあなた、まだちゃんと名前を聞いてないわよ。
名前、なんていうの?」
【女性】
「名前、ですか……私は一応唯一無二の妖怪ですから、個別的な名前は持っていないんです。
ですからその、できることなら千夜様が今名付けてくれませんか?」
【千夜】
「え、私が……」
弱ったな、私はこういうのが一番苦手なんだよね。
これからその名前で呼ばれるわけだから、訳わからない名前を付けるわけにはいかないし。
うぅむぅ……
【千夜】
「確か狐の妖怪だったよね……難しいなぁ」
あれこれと考えるものの、どうにもしっくりくるものが見つからない。
一体どうしたら良いっていうのよ……
【千夜】
「あぁーもう! よくわかんないよ。
変な名前付けられても困るだろうから、この際……
【千夜】
「『橘禰』って名前で満足してくれないかな?」
橘禰、それが彼女を守護する者に与えられた初めての名前だった。
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