【rhythm of jitterbugfing】


玉間を後にした私の足取りはいつも速い。
一刻も早くここから離れてしまわなければ、もしかすると聞こえてしまうかもしれないから。

あの後、王が何を云うのかなど嫌でもわかる。
何度も何度も口にされようとして、直前で私の方からその言葉を打ち切って逃げているのだから。

【モニカ】
「はぁ……」

玉間からある程度離れ、直角の二股に折れた廊下の右に
曲がってすぐの壁に背を預け、小さくため息を吐いた。

これもいつもと同じ、もはや決まりきった動作と云っても良いかもしれない。

【モニカ】
「全く、一体いつ認めてもらえるんだか……」

そんなのはもうわかりきっている。
永遠に認めてもらえるわけがないのだ……

【モニカ】
「……」

ジッと手を眺めてみた、侍女のアネリスの手と比べると私の方が幾分か
大きく、繊細とはお世辞にも云えそうにない。

この手は剣を握ることが出来る。
しかし、この手は本来であればそんなことは出来ないように出来ている。

それが出来るようになったんだから、私はそれを褒めてやりたい。
だけど私以外にこの手を褒めてくれる人などいない。

【モニカ】
「空しい、か……」

アネリスにも云われた。
彼女はふざけて云っていたんだろうけど、実際あれは結構応えた。

【モニカ】
「止めよう、こんなことを考えるなんて私らしくない」

頭をぶんぶん振るい、いつものあの場所を目指す。

気持ちに迷いが生まれた時、物事の整理を付けなければならない時。
そんな時は決まってあの場所に向かう。

石廊を進み、光の差し込む一角を抜けた。

冷たい印象を与える石造りは微塵もなく、抜けるような空の蒼さと
木々の青々しさがどこまでも続いていた。

【モニカ】
「……」

空の海を歩き、木々の陸地を目指す。
この場所はそんな比喩さえも現実になるくらい美しい場所なのだ。

【モニカ】
「この国が平和になったら、私は……」

世界がこの景色のような世界だったら、それは嬉しくもありまた辛くもある。
それは私が……

【?】
「また、ここに来ていたのか」

後ろから聞こえてきた声に振り返る、当然そこには見慣れた顔が一人。

【モニカ】
「シリウス兄さん」

シリウス・ヴァリン・シモンズ。
私の兄であり、私の指揮する騎士団の全権を持っているのがこの兄である。

最近は国内の雑務をこなしているせいか戦場に出てこないが
剣を握れば私では太刀打ち出来ないくらいに腕も立つ。

【シリウス】
「また父に何か云われたな?
大方、そろそろ戦場に出るのは止めろといったような話かな?」

【モニカ】
「どうしてそれを」

【シリウス】
「僕自身、父からお前を説得するように云われたからさ。
早く戦場に戻って、モニカを団長から外してくれって」

【モニカ】
「そんな……」

【シリウス】
「そんな顔をするな、心配しなくても今すぐに僕が戦場に戻ることはないさ。
だけどモニカ自身、いつかは団を離れることを考えていた方が良いよ」

【モニカ】
「どうしてですか、私は騎士、それも騎士団の長です。
たとえどんな事があったとしても、団長がその職務を投げ出すなんて」

【シリウス】
「それは一般的な団長の場合さ、モニカの場合は一般的な団長じゃない。
僕が何を云いたいのか、父が何を云いたいのか、モニカだってわかるね?」

【モニカ】
「私が……」

云いたくない、この言葉だけは云いたくない……

【モニカ】
「私が、女だからということですか……?」

【シリウス】
「自分でそう云えるのなら、僕はこれ以上何も云わないさ。
ただ、いつかは決断する日が来るということだけは覚えておいて欲しい」

【モニカ】
「わかって、います……」

兄から視線を外し、兄からは私の顔が見えないように振り返ってあの景色を見渡した。
勿論景色が見たいわけではなく、私の表情を見られてしまわないように。

泣いているところなど、絶対に見られたくはないのだから……

……

【モニカ】
「はぁ……!」

身体を弾かれたように飛び上がり、肩でぜえぜえと息をする。
鼓動を落ち着けながら二度三度辺りに眼を配る。

もう見慣れた刀満の姉君の部屋だ。

【モニカ】
「また、この夢か……」

額に浮いていた汗をグイと拭い、再び布団の上に倒れこむ。
背中にも浮いていた汗がひんやりと身体を冷やしたが、今はそれが妙に心地良い。

この夢を見たときはいつもこうなっている、そしてその先の行動も全て同じ。
額の汗を拭い、ベッドに倒れこみ、背中の汗に心地良さを覚える。

この一連の動きがもうインプットされているかのように全く同じように起こる。

【モニカ】
「これで二度目……どうしてここ数日で同じ夢をまた……」

しかも今の夢、前に見た夢のちょうど続きだったな……

【モニカ】
「全く、嫌なところで区切ってくれたな」

ベッドから起き上がり、カーテンを開けるともう陽は天辺へと上り詰めようとしていた。

【モニカ】
「昼の時間か、何か軽く食べて走りにでも行こうか」

おっと、刀満に頼まれていたことも忘れずに伝えておかなければな。

……

【モニカ】
「はっ、はっ、はっ」

走っていた足を止め、グーッと背筋を伸ばしてストレッチ。
この時間ではさすがに人なんて数えるほどしかいないか。

【天空】
「んっ、おやおや……」

【モニカ】
「本当にいたのだな、てっきりその場で付いた嘘だと思ったのだが」

【天空】
「目的が果たされるまでは、早々ここを離れるわけにはいきませんよ」

【モニカ】
「本性を知られているのになんだその口調は?
昨日私と殺し合いをした人間の口調とは思えんな」

【天空】
「世間体というものがありますから、それに私は子供相手の道化人。
子供達の前で荒い口調を使うわけにはいかないんですよ、ご理解ください」

【モニカ】
「ふんっ、好きにしろ」

【天空】
「ところで、こんなところまでわざわざ足を伸ばすということは
私に何か用がおありなんでしょう?」

【モニカ】
「あぁ、昨日はゆっくり話も出来なかったからな。
いくつか聞きたいことがあるし、教えておかなければならないこともあるからな」

【天空】
「共闘している以上、必要な情報は渡しますよ。
ではまず何から聞きたいですか?」

……

入瀬と交えてから、今日が最初の登校になる。

入瀬の死は未成年者ということで、世間に公にはされていないのだが
ここの生徒ということで俺たちはすぐに知らされることになった。

ここ数日、ほんの僅かな期間でこのクラスから二人の生徒が消えた。
しかもそのどちらもが俺に関係しているあたりが後味悪い。

【千夜】
「先生たち大変だね」

【刀満】
「そりゃこの短期間で二人だもの」

【千夜】
「職員室じゃ電話が引っ切り無し、上へ下への大慌てみたいだよ。
なんでもここの生徒が無差別に狙われてるんじゃないかって話もあるみたい」

【刀満】
「それは、全くの偶然なんだけどな」

朝から今の今まで、学園は平常を装ってはいるものの
そこかしこに今の混乱を物語る要因がいくつも見え隠れしていた。

【千夜】
「そういえばさ、今日は午前中で終わるらしいよ。
さっき先生がそう云ってるの聞いたし」

【刀満】
「当然といえば当然だな、勉強嫌いの俺としては有難いことだよ」

千夜の言葉通り、先生は今日が午前放下であることを告げ
いそいそと職員室へと戻っていった。

【千夜】
「部活もするなって話だし、一緒に帰る?」

【刀満】
「だな、そうだ、千夜も一度天空さんに会っておくか?
橘禰さんの話も千夜が直接通しておいたほうが、後で間違いもないだろうし」

【千夜】
「気軽に会える人だったら一応会っておこうかな、ここから近いの?」

……

【千夜】
「ぱぱっと済ませてくるからね」

二人で天空さんに会いに行く途中、馴染みのケーキ屋があるということで
いつも世話になってる橘禰さんへのお土産を千夜が買うそうだ。

俺もモニカに何か買っていこうかと思ったけど、折角だから自分で作ったものを食べてもらいたい。
殆ど主婦になりきってしまった俺には、そっちに考えがいってしまう。

【刀満】
「千夜の科白じゃないけど、いつでも嫁に行けそうだな……」

自分でこんなことを云い出すなんて、俺もいよいよか?

店の中では千夜がショーケースを眺めてあれこれと首を捻っていた。
店員さんとの会話を絡めながらなので、もう少し時間がかかりそうだ。

【刀満】
「……」

ジっと自分の手を眺めてみた。
俺は数日前、この手に初めて人を『切る』感触を覚えてしまった。

刃が肉に食い込む、生々しくも痛々しい感触。
あの一回だけでも俺は参ってしまいそうだったのに、それをモニカは続けている。

当然モニカだって人間、あの感触を感じないわけがない。
それでもなお剣を持つことを止めようとしない、きっと相当の覚悟を持っているに違いない。

【刀満】
「俺とそう変わらないくせに、大した奴だよ……」

俺はモニカのようにはどう頑張ってもなれはしない、モニカも俺にそれを望んでいない。
ならば、俺に出来ることってなんなのだろうか……?

【男性】
「考え事ですか?」

【刀満】
「は?……っ!」

射抜かれたような衝撃とはまさにこれのことだろうか?

人の行きかう歩道、車が走る車道、その様々な交差する中でもはっきりと確認できた。
反対の歩道でこちらに笑みを向ける、ダークスーツ姿の男性。

数日前の夜、本能的にかかわってはいけないと悟ったあの男性。
その人だった。

【男性】
「私との約束、守ってくれているようで有難いですね」

【刀満】
「……」

あんなにも遠いのに、男性の声が聞き取れる。
決して大声を出しているわけではない、ほんの数十センチの距離で話しているようにはっきりと聞き取れた。

【男性】
「聞き辛いですか? では……」

男性は車道の進行方向とは逆を指差した。
そっちに何かあるのか? 当然俺はその指に従って顔を向ける。

【男性】
「これくらいの距離で、よろしいですか?」

【刀満】
「なっ!?」

慌てて視線を反対に向けると、さっきまで反対の歩道にいたあの人がもうほんの数十センチの距離まで来ていた。
あの僅かな時間の中で、一体どうやってこれだけの距離を。

【男性】
「あまり驚かれないでくださいよ、どんなに考えても理解できないものというものは存在するのです。
それを考えるのは無駄というものですよ」

【刀満】
「ぁ、ぁ……」

【男性】
「前にも気になっていたのですが、彼方はもしかすると……」

笑顔を浮かべながらも、寒気を覚えてしまうような瞳でじっと眼を見つめられる。
ピンで留められた蝶のように、身動き一つ封じられてしまったような錯覚に襲われた。

【男性】
「おかしいですねえ、この匂いから察するに近くにいても良いんですが」

【刀満】
「な、何がですか……?」

【男性】
「いえいえ、こちらの独り言ですよ。
今日は驚かせてしまって申し訳ありませんでしたね、また出会うことがありましたらどこかで」

丁寧にお辞儀をし、微笑を浮かべて手をひらひら。
そのまま街の雑踏にまぎれるように脚を進めていく。

ただ、最後に一言。

【男性】
「狐の類には、ご注意を」

【刀満】
「ぇ……」

とだけ云い残していった。

【千夜】
「や、お待たせ。 ん、どしたのなんか固まってるよ?」

【刀満】
「ぁ、いや、なんでもない……」

【千夜】
「そう、じゃあ行きましょうか、帰るの遅くなるとまた橘禰が文句云ってくるしね」

……

【天空】
「おや、昨晩はどうも。 今日は来客が多いですね」

【刀満】
「昨日は失礼しました、腹は大丈夫ですか?」

【天空】
「若干の痛みはありますが、この程度どうということではないですよ。
数時間前になりますけど、彼女もここに訪れたんですよ」

【刀満】
「それってモニカのことですか?」

【天空】
「ええ、ジャージ姿がとてもお似合いでしたよ、良くこの世界に馴染んでらっしゃる。
それで、わざわざここへ来たということは私に何か?」

【刀満】
「はい、モニカが来たということはもうあいつから聞いているかもしれませんけど。
橘禰さんのことはもう知ってますか?」

【天空】
「そういえばそんなことを云っていましたね。
『狐の化け物がいるが、そいつは協力者だ』 ということでしたが、それが?」

【刀満】
「で、こいつがその橘禰さんの、なんて云ったら良いんだ? 雇い主か?」

【千夜】
「家族だよ、家族。 初めまして、安部 千夜です」

【天空】
「ご丁寧にどうも、天空です。
彼の友人ということは、貴方にも彼と同じように何か特別な力が?」

【千夜】
「その辺は私にはちょっと、詳しいことは近いうちに橘禰に話してもらいますんで。
ですから、もし橘禰を見かけても襲わないであげてください。
彼女が居なくなると、色々と面倒なことが起きてしまいますんで」

【天空】
「ご心配なく、そういった理由を聞いたのであれば手は出しませんよ。
失礼覚悟で聞いておきますが、その件の女性が最近の事件に関わっているということはありませんか?」

【千夜】
「関わっていないということはありません、勿論犯人という意味ではないですよ。
刀満とモニカが深く関わっているのと同じレベル、それだけははっきりと云えます」

【天空】
「なるほど、ならば彼女の云っていた協力者というのも信憑性がありますね。
疑ってしまって申し訳ありません、職業柄簡単に信じれないものですから」

天空さんは被っていた帽子を取り、深々と頭を下げた。

【千夜】
「いえいえ、頭なんて下げないでください。
私の用はそれだけです、今度は橘禰をつれてきますので、詳しいお話はそのときにお願いします」

【天空】
「わかりました、私は殆どの時間ここに居ますから、お好きなときにどうぞ」

……

【男性】
「フフ、そういうことでしたか」

刀満や天空達から百メートルほど離れた木に背中を預け、男は笑みを浮かべていた。
ここからではとても聞こえるはずがない彼らの声が、男には全て聞こえていた。

【男性】
「どうりで彼からあんな匂いがするわけですか、それもこれで納得。
だとすれば、自ずと私の行動も決まってきそうですね」

背中を預けていた木を離れ、ゆっくりと歩き出す。
その口元は、湧き上がる興奮を抑えられないのか小刻みに震えていた。

震える口元が作り出した微笑。

今後の展開を想像するだけで、彼の口元は笑みを抑えることが出来なくなってしまっていた……

……

【刀満】
「ただいまー、って、うわ!?」

【法子】
「お帰りー……」

帰ってくるなりなんだこの現状は?
姉さんが玄関からすぐの廊下で寝てやがる、しかも案の定スカートの類は無しでだ。

【刀満】
「あのなぁ、お客が来たらどうするつもりだよ」

【法子】
「今は刀満しか住んでないからそう来ないでしょう?
それよりも、お水飲みたい」

廊下に寝転がったまま、くれくれと催促を促した。

【刀満】
「まったく、だからあれほど飲むなって云ったのに」

ほんの少しでも二日酔いになるんだから飲むなって云ってるのに、どうして聞いてくれないんだろう?
とりあえず廊下で寝ていた姉さんを引っ張って居間に移す、乱暴だけどこれで我慢してもらおう。

【刀満】
「ほら」

【法子】
「ありがとぉ……」

受け取った水を一気に飲み干し、ケフっと一息ついた。

【法子】
「うーん、リフレッシュ!」

【刀満】
「そりゃ良かったな、それよりも早く下穿いてくれよ。
千夜が来るんだからくれぐれもその格好だけは止めてくれ」

【法子】
「ぁあ、モニカちゃんから聞いたよ。 何か祝ってくれるんだってね」

【刀満】
「そ、毎度通りのお帰りなさいパーティーだろうな。
なんか持ってきてくれるらしいから、出来るだけ物が食べられるようにしておいてくれよ」

いつも姉さんの帰省パーティーは俺と千夜が2品ずつ作ることになっている。
なので、俺もエプロンを腰に巻いていそいそと料理の準備。

【法子】
「刀満ー、お風呂入る」

【刀満】
「どうぞどうぞ、頭と顔洗ってすこしはしゃっきりしてくれ」

【モニカ】
「お、お帰り。 戻ってくるなりそんな格好してどうした?」

【刀満】
「ただいま、この格好なんだから料理作るに決まってるだろ。
……折角だ、モニカも手伝え」

前に用意してあったモニカ用のエプロンをモニカに放る。

【モニカ】
「はぁ、姉君のためだ。 云っておくが出来ないことは頼むなよ」

おろ、これは予想外。
どうせやだって云われて終わると思ったのに、自分からエプロンして頭まで纏めてやがる。

【モニカ】
「で、何をすれば良いんだ?」

【刀満】
「そうだな……」

モニカでも作れて、絶対に失敗しない料理となると……






〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜