【ouverture『Blut von Opfer』】


【小出】
「……」

ボロボロになった小出さんの姿が痛々しい。
一体何がどうなって今こうなっているのかはわからないが
一つだけ云えることがあるのだとしたら。

今の彼女は真っ当な状態ではない。
恐らくあの人型と同じか、もしくはもっと悪いかのどちらかであることは間違いないだろう。

【モニカ】
「あれが、行方不明者か?」

【刀満】
「あぁ……」

【モニカ】
「最悪のケース、とまでは行かないにしろ、どちらも同じようなものだな」

【刀満】
「さっきの人型とは?」

【モニカ】
「違う。 やつらは人型でしかないが、こいつはその人本人に間違いない」

モニカは手にした剣を消滅させ、腰を落として戦闘体勢に入る。

【モニカ】
「出方を伺った方が良さそうだ、刀満、奴から眼を離すな」

【小出】
「……」

戦闘体勢に入ったモニカとは対照的に、小出さんは何の構えも見せていない。
虚ろな視線で俺たちを見つめ、なんとか立っているという感じで力が無い。

【刀満】
「なあ、彼女危ないのか?」

【モニカ】
「さあな、とりあえず普通でないことだけは確かだ。
あいつ等が何をしたのかはわからんが、場合によっては……」

【刀満】
「どうするつもりだよ……」

【モニカ】
「みなまで云わせるな」

【小出】
「……」

睨み合いが続く、まだ5分と経っていないであろうにこの長時間経過したような重い雰囲気。
痺れを切らすのはたぶん間違いなくモニカの方だろうな。

【モニカ】
「……」

【小出】
「……」

【モニカ】
「……行くぞ!」

予想通り痺れを切らしたモニカは小出さんに向かって獣のごとき速さで距離を詰める。
小出さんは僅かに両腕を挙げ、モニカを迎え撃つ体勢を取った。

が、そんなものがモニカに通じるはずもなく。

【モニカ】
「はっ!」

素早く懐に潜り込み、身体を浴びせながら足を狩る。
ドサリと小出さんの体が倒れ、馬乗りになったモニカが小出さんの首を押さえつけた。

【モニカ】
「どうだ……」

【小出】
「……」

小出さんの腕がモニカの腕を掴むが、モニカの手が小出さんの首を離れることはない。
人型の力は人のそれを軽く超える、モニカの力では簡単に引き剥がされてしかるべきなのだが。

【モニカ】
「駄目、か……」

モニカは後に飛びのき再び戦闘体勢に移り、小出さんはむっくりと何事もなかったかのように起き上がった。

【小出】
「……」

それでもあちらからの動きは全くなく、ただ呆然と立ち尽くし、虚ろな視線で俺たちを見つめている。
確かに普通の状態ではない、普通の状態ではないのだが……

【刀満】
「……」

【モニカ】
「厄介なものを生み出してくれたな」

【刀満】
「どうなんだよ、彼女……」

【モニカ】
「おかしくなっているとはいえ、紛れもない生身の人間だ。
何とか元に戻すような策を考えていたのだがな」

【刀満】
「無い、のか?」

【モニカ】
「今の所はな、だがあいつから手を出してこないというのは少し妙な話だ。
奴等がこの状態にしたというのなら、全く手を出さないというのは少々ふに落ちん」

【刀満】
「それって、元に戻せるってことじゃないのか?」

カリスにこんな状態にされても、小出さんの中で危害を加えてはいけないと
自制心のようなものが働いているのかもしれない。

【モニカ】
「どうだろうな、まだ奴に交戦の意思があるかどうかはわからないが
もしあるのだとしたら、その時は……」

【小出】
「……」

【モニカ】
「動いた」

それまでほとんど動きを見せなかった小出さんがふらふらした足取りで俺たちとの距離を詰めてきた。

【モニカ】
「お手並み拝見といこうか」

今度はモニカが何の構えも取らずに小出さんを受け入れる形を取った。
徐々に二人の間の距離が縮まり、距離がゼロになるとさっきとは間逆にモニカが小出さんに押し倒される。

【小出】
「……」

小出さんの両手がゆっくりとモニカの首に伸び、細い首を包み込むように締め上げている。

【モニカ】
「ぐっ……な、なるほどな……」

苦しげな声をあげ、首を締め上げていた小出さんの腕を払い、腹を思い切りしたから蹴り上げる。
小出さんはモニカに弾き飛ばされ、二、三歩下がったところに尻餅をつく形で倒れこんだ。

【モニカ】
「例え非力だといえど、人を襲うことに変わりはないということだな」

再びお互いに立ち上がって対峙する。
後ろから見てもわかる、モニカの考えはもう固まっているようだ。

【モニカ】
「……刀満?」

モニカが手を構えるのよりも早く、俺はモニカの前に手を出して彼女を遮った。

【モニカ】
「何の真似だ?」

【刀満】
「まだ、決を急ぐには早いんじゃないか?」

【モニカ】
「甘いな、例え奴にまだ人としての自制心の意識が残っていたとしても。
これがカリスを討つことによって解けるものだとしても、今が最善の時間だ」

【刀満】
「だけど、可能性があるのなら……」

【モニカ】
「それを甘いというのだ。 考えてもみろ、奴を討って解決するにしても
肝心要の奴が姿を現さないのでは意味が無い、まさかそれまでこいつを放っておくわけにはいくまい」

【刀満】
「そうかもしれないけど、だからって……」

【モニカ】
「どけ、例え僅かであれ可能性があったとしても、こいつの存在は害でしかない」

【刀満】
「なら、俺に少しだけ時間をもらえるか……」

【モニカ】
「お前に何が出来る? お前ならこいつを解放出来るとでも云うのか?
そうでないのなら下がっていろ、出来ぬことはどうやっても出来んのだ」

【刀満】
「出来ないと決め付けるほど俺は潔い方じゃない」

【モニカ】
「お人好しめ、それこそが命を奪うということを知らん奴の戯言だな」

【刀満】
「少し、黙ってろよ」

【モニカ】
「フン」

モニカに口調と目で威圧をかける、最もそんなものでモニカが尻込みするなんて思っちゃいないが
一旦時間を割いてはもらえるようだ。

後は、俺がどこまでやれるかどうかだ……

【小出】
「……」

【刀満】
「小出さん、何があったかなんて俺にはわからない。
だけど、君もこのままじゃいけないことぐらいわかるんだろ?」

【小出】
「……」

【刀満】
「俺のこと、わからないかな……?
君と同じクラスメイトの、何回か話したことあるじゃないか」

【小出】
「……」

小出さんは頷くでもなく首を傾げるでもなく、虚ろな瞳で俺を見つめていた。
何か大きなショックでも与えれば、元に戻るのだろうか?

【刀満】
「自分がおかしいことをしてるってわかってるんだろ?
なんでこんなことをしなくちゃいけないのか、自分でもわからなくなってるんだろ?」

【小出】
「……」

【刀満】
「正気に戻るんだ! でないと、君は殺されるんだぞ!」

小出さんの肩を掴み、前後に大きく揺さぶってみた。
あまり良い方法とは勿論云えないが、これで元に戻るのだとしたら少しだけ耐えてもらおう。

【小出】
「……」

肩を揺さぶるたびに、小出さんの首がかくんかくんと力なく揺れる。
揺さぶってみても小出さんの瞳にはっきりとした定まりはない。

ただ、僅かに開いていた口が微かに動いた。
そしてだらりと下がっていた腕が少しずつ上がり始め……

【小出】
「……」

【刀満】
「なっ! ぐぅ……!」

小出さんのでは俺の首を捕らえ、力強く俺の首を圧迫し始めた。

【刀満】
「こい、で、さん……」

【小出】
「……」

俺の途切れ途切れの声になど何の反応も示さず、手に込められる力は少しも弱まる気配を見せずにいる。

【刀満】
「がっ!」

やがて立っているのが困難になり、俺は小出さんに押し倒された。
先ほどのモニカと同じように、馬乗りになられて首を締め上げられる。

ギリギリと嫌な音がしそうなくらいに、強く、そして確実に。

小出さんは俺を殺しにきていた……

【刀満】
「正気に……もど……って……」

【小出】
「……」

【モニカ】
「フッ!」

ドゴ!

【小出】
「……っ」

小出さんの重みが無くなり、首を締め上げる圧迫感と息苦しさも徐々に引いていく。
モニカが小出さんの身体を蹴飛ばし、俺から無理やり引き剥がしたからだろう。

【刀満】
「げほっ! えほっ!……」

【モニカ】
「だから云っただろ、お前はお人好しだと。
やらねばやられる、こいつはもはやそういう存在なんだ」

モニカが俺と弾かれた小出さんの間に割って入った。
俺はまだ息苦しさが抜け切らず、モニカを止めようにも体が動かない。

【モニカ】
「もう口出しはするな、はっ!」

一瞬の眼が眩むようなまばゆい輝き。
それが失われた後のモニカの姿はあの時と同じ、初めて助けてくれた時と同じ
本来のモニカの姿になっていた。

【モニカ】
「お前には同情する、いや、むしろ私が早く奴等を討てなかったせい、かもしれんな……」

モニカは剣を呼び出し、鞘を投げ捨てて小出さんに狙いを定めた。

【刀満】
「モニ、カ……止めて、くれ……」

【モニカ】
「……出来ん頼みだな」

【小出】
「……」

一瞬の静寂の後、モニカが動いた……

【小出】
「……!」

モニカの剣は小出さんの服を引き裂き、その刃はたやすく心臓を貫いていた。
小出さんの体から溢れ出る鮮血が剣を伝い、モニカの手を赤く染めている。

剣を引き抜くと殺傷部からは勢いよく血が噴き出し、その返り血がモニカのシャツとモニカの顔を紅に染め上げた。

【小出】
「ぁ……ぅ……」

初めて小出さんから人間らしい声と、絶望を認識したようなくらい表情が現れた。
しかし、それももう遅い、遅すぎた……

心臓を貫かれた小出さんに助かる見込みなど一寸もなく、血を滴らせながらその場に崩れ落ちるだけだった。

【モニカ】
「……」

返り血で紅に染まったモニカ、剣を振ると鮮血がぴしゃりと地面に跳ねる。

【モニカ】
「立てるか?」

聞いておきながら返答も待たずに俺を無理やり立ち上がらせた。
モニカからは普段の彼女の香りに混じり、気分を悪くする血生臭さが鼻をつく。

【モニカ】
「帰ろう、ここに長居するわけにはいかない」

【刀満】
「……あぁ」

決して助かることのないクラスメイトを一人その場に残し、俺たちは公園を後にした。
怖くなるほどの静寂、これが。

人が死ぬ、ということなのだろうか……?

……

【刀満】
「ぅ……す、少し待ってくれ」

モニカから距離をとり、一番近くにあった排水溝に向かって思い切り胃の内容物を吐き出した。
ぼちゃぼちゃと気持ちの悪い異物が排水溝を流れて消えていく、なんだか夢中にいるような妙な感覚だ……

【モニカ】
「……すまない、と云った方が良いか?」

【刀満】
「モニカは、最善の策を選んだだけなんだろ……」

【モニカ】
「あぁ、それが被害を抑えられる最も早い解決の一つだったからな。
だが、これで私は人殺しだな……」

【刀満】
「……」

人殺し、ポツリと呟いたモニカの発言に、俺は何も云い返すことが出来なくなってしまった……
人を殺すのはいけないことだ、そんな当たり前のことはわかっているつもりだった。

しかし、それが危害を加える存在だということが明らかだった時ははたしてどうなのだろうか?

ぐちゃぐちゃに混ざり合ったものは決して一つにまとまることはない。
俺の頭で現状を考えることは不可能、結論はそこに行き着いた。

【刀満】
「行こうか……」

【モニカ】
「あぁ」

俺と違ってモニカは何一つ迷っていたり悩んでいる様子など見せることがない。
なるほど、これが俺とこいつの住む世界の違いってやつなのかな?

……

【モニカ】
「おい、起きなくて良いのか?」

【刀満】
「ん、ぅ……」

寝ぼけ眼にモニカの顔が広がった。
どうやらもう朝になってしまったらしい、いつの間に寝てしまっていたのだろうか?

【刀満】
「……」

【モニカ】
「そろそろ千夜が来るぞ、今の内に起きておかないとまた酷い起こされ方をすることになるが?」

【刀満】
「……悪い、なんだか今日は体調が優れないみたいなんだ」

【モニカ】
「なるほどな、ではその旨千夜に伝えておけば良いか?」

【刀満】
「悪い、頼めるか?」

【モニカ】
「気にするな、千夜にも起こす必要はないと云っておくさ。
もう一度ゆっくりと休め、今のお前にはそれが一番良い選択だ」

最後にモニカはおやすみと云って部屋を後にした。

【刀満】
「……」

いつもと変わらない、いつも通りのモニカの姿。
シャツはこれ以上ないくらいに真っ白、勿論血の匂いなど微塵も感じられず
ボディソープの花の香りが柔らかく漂うだけだった。

だけど、彼女は昨日の夜のモニカと同一人物。
小出さんの返り血で服と顔を紅に染め上げ、血の匂いを漂わせたあの女のこと同じ人物なのだ。

【刀満】
「……」

今日の寝覚めが最悪な理由など勿論わかりきっている。

俺は。

モニカを恐れていた……

……

【千夜】
「おはよー、今日も勿論刀満のやつは起きてないわね」

【モニカ】
「その件だがな、今日は起こさないでほしいとのことだ」

【千夜】
「へ? だけど起こさないと学校に遅刻するよ?」

【モニカ】
「体調が優れないらしい、今日は病欠ということで伝言を頼まれているしな」

【千夜】
「あらま、風邪でも引いたの?」

【モニカ】
「さあな」

知らぬ存ぜぬを演じておこう。
本当は何故刀満の体調が優れないかなど容易に予測は出来る。

【千夜】
「じゃあ仕方ないか、二人で朝ご飯食べよ」

【モニカ】
「そうだな」

やはり、刀満にとってもこの世界の方が日常なのだ。
いくらそこに私が入ったことにより、私が刀満の日常に干渉したからといっても
刀満の日常は刀満の日常であり、私の日常とは似て非なるところだけしかありはしないのだからな。

【千夜】
「そういえばさ、昨日橘禰と何か揉めたんだって?」

【モニカ】
「揉めたわけではないさ、あいつが一方的に私を疑っただけだ」

【千夜】
「ふぅん、橘禰にも云ってあるけどあんまり危ないことしたら駄目だよ。
刀満ってば、ああ見えて案外気を配ることだけは良くしてくれるから」

【モニカ】
「ただのお人好しなだけだと思うがな」

そう、近くにいて呆れるくらいのお人好し。
あれだけ自分自身の死を身近に感じていながら、それでもなお考えを変えようとしない
あの神経はある意味尊敬に値するかもしれんな。

【千夜】
「ぶっきらぼうに見えて、案外中身は打たれ弱いんだよねあいつ。
だから、なんかあったら話くらい聞いてあげなよ」

【モニカ】
「それは千夜の役目ではないのか?」

【千夜】
「私じゃ無理無理、どうせ本当のことなんか話してくれないもの」

【モニカ】
「それでは尚更私に話すとは思えんがな」

【千夜】
「どうだろうね、まあ進んで話そうとはしないだろうけど
もしなんかあったらってことだよ。 あ、その時は後で私にも教えてね」

【モニカ】
「千夜に話さないのならそれを千夜が知るのはルール違反だろう?」

【千夜】
「それもそうか」

初めからこんな結果になるとわかっているような笑みを浮かべ、千夜は紅茶をすする。

……やはり、刀満は私なんかと共にいるよりも、千夜と共にいる世界の方が相応しい。

【千夜】
「朝ご飯も済んだし、私は一人寂しく学校行こうかな。
刀満の看病でもしてサボるのも良いけど、モニカがいるんならお役ご免だしね」

【モニカ】
「止してくれ、それに看病なんて刀満が嫌がるだろ?」

【千夜】
「あいつ照れ屋だもん♪」

刀満のことは何でもお見通しなんだな……

【キャスター】
「次のニュースです、一昨日から行方のわからなくなっていた
『小出 愛良』さん17歳が今朝遺体で発見されました。
場所は小出さんの鞄が見つかったのと同じ公園で、心臓を鋭い刃物で刺され、ほぼ即死だったとのことです」

【モニカ】
「……」

【千夜】
「小出さん殺されちゃったんだ……
刀満も心配してたし、可哀想……」

【モニカ】
「……そうだな」

可哀想なことに変わりはない、しかし、だからといって彼女を放っておくわけにはいかなかった。
大を救うための小の犠牲という言葉は私は大嫌いだが、仕方ないということが存在するのなら……

【モニカ】
「……」

例え存在したとしても、それを正当化することは出来るはずがない。
少数であろうと犠牲が出ていることに変わりはなく、それによって救われた大多数には重い枷が生まれるのだから。

しかし、私は自分の行為に迷ってはいけない。
もし私に迷いが生じたのなら、私がしたことはただの生者に対した冒涜にしかならない。

【モニカ】
「そろそろ行かないと、遅れるんじゃないか?」

【千夜】
「おっと、まずいまずい。
そんじゃ刀満のことよろしくー、いつまでも起きてこなかったら鉄拳一発で飛び起きるからねー」

【モニカ】
「気をつけて行けよ」

気をつけて、か。
はは、私がそんな言葉を云える存在ではないというのにな……

……

朝食が終わり、千夜も学校へと向かい、刀満はいまだ起きてこず。
一人になった私は退屈しのぎにテレビをつけていた。

もっとも、テレビなんて見ていない。
それ以上に今は頭で考えることがたくさんあるんだ。

【モニカ】
「……」

私らしくないな……
こんなことを考えるようでは、奴らを討つことはおろか、自分を騎士だと名乗ることも出来なくなってしまう。

【モニカ】
「走りにでも行くか……」

何もせずに考え事をするだけは私の性に合わない、やはり私は常に動き回っていた方が良い。
余計なことを考えて信念を疑うようなら、何も考えずに剣を振るう方が私らしい。

【モニカ】
「刀満のためにも、早く奴等を討たねばならんな……」

……

【刀満】
「ふぁ……んうぅー!!」

グーッと背筋を伸ばしてコキコキ首を捻る。
寝ぼけ眼に夕暮れの赤が鋭く刺さる、朝二度寝を始めて今の今まで眠ってたのか。

【刀満】
「はぁ……久しぶりにゆっくり寝たな」

休日でさえこんなに眠らないのに、学校もある平日にこんな眠るなんて
お釈迦様が見てたら天罰の一つでも降らせてくれそうだな。

グウゥゥ……

さすがに朝も昼も食わずにずっと寝てると腹が減るな。
時間ももう夕飯の時間だし、夕飯くらいしっかりとしたもん食べるか。

【刀満】
「モニカのやつ、昼はなんか食ってくれたのかな?」

腹が減ったと起こしに来なかったということは何かしら自分で食べたのだろうけど
あいつは食事に関して面倒くさがりなとこがあるからなぁ……

またパンでも食べて適当に済ませたんじゃなかろうな?

【刀満】
「あれ……モニカ?」

下に下りてくるといると思っていたモニカの姿がない。
部屋で寝ているのかとも思ったが玄関を見て納得、モニカの靴がない。

【刀満】
「また走りにでも行ったのか、全く元気だねぇ」

となると、帰って来るころには腹ペコである率が高そうだ。

【刀満】
「腹に溜まるもんでも作ってやるとしますか」

さてさて、冷蔵庫の中には何があるかな?

……

【刀満】
「コトコト煮込めばまあ完成だな」

火を弱火にし、鍋の中にローリエを二枚ぶち込んですぐに蓋、後一時間も煮込めば美味しく食べられるだろう。

【刀満】
「んー、あいつが来てから料理も手が込み出したな」

姉さんがいたころに作っていた料理はとにかく食べれれば良いが第一、第二に腹に溜まること。
その下からは全部あってもなくてもどうでも良いような感じだったから
簡単で腹に溜まるそこそこ美味いもので十分だった。

だけどモニカは俺の作った料理一つ一つに感動とまではいかないが
少なくとも姉さんよりも感謝の意が見て取れた。

やはりそういった人には色んなものを食べてもらいたいものだ。
……料理人でもない素人料理のくせに何云ってるんだろうね。

【刀満】
「……」

モニカのやつが帰ってきたら、まずはイの一番にしなければいけないことがある。
それはモニカに対し、謝ることだ。

俺は昨日モニカを恐れ、今日もその恐怖を引きずったままだった。

『モニカは人殺し』

そんな結果と事実だけがずっと俺の中で抜け切れずに居座り続けていた。
確かに小出さんを殺したのはモニカだ、それは間違いない。

だからといってモニカが何の迷いも持たず、無感情のままに小出さんに止めを刺したということはありえない。
もしそうだとしたら、モニカは最初から何の躊躇もなく小出さんを刺していたはずだ。

それにあいつ、最初は小出さんを助けようとしていたんだ……

だけどそれが出来なかったから、被害が広がる前に自分自身が汚れ役を引き受けた。

勿論これは俺が自分の都合の良い様に解釈をしただけで、実際モニカが
何をどう考えて行動していたかなんてわからないが、ただ……

あれこそがモニカ。

『モニカ・ヴァン・シモンズ』という女性の信念であり、彼女の全てなのだろう。

それを俺が恐れるということは、あいつの全てを否定することに他ならない。
あいつには散々助けてもらったのに、それではあんまりだ。

【刀満】
「あいつはまた、お人好しとか云うんだろうな」

こんな考えをしているとまたあいつにそう云われそうだな。
お人好し、か……今まで全く自分がそうであるなんて思いもしなかった。

基本自分が一番の人生できてたはず……いや違うか、姉さんが全てを狂わせてくれたんだな。
そういった意味では一応姉さんにも感謝、今度帰ってきたら食べたい物二つくらい作ってやろう。

【刀満】
「だけど、どうやって謝ったもんかな?」

……

トントントントン……

【刀満】
「遅い」

テーブルを指で叩く回数が次第に多くなり始めた、いらいらが少しずつ蓄積されてきた証拠。
時計の針はもう7時、あたりが暗くなり始めて後30分もすれば真っ暗になるだろう。

【刀満】
「どこほっつき歩いてるんだあいつは」

人が折角美味い飯作って熱い風呂沸かして謝罪の言葉まで考えて待っているというのに。
これじゃまるで亭主の帰りを待つ世話女房じゃないか。

【刀満】
「仕方ない、あいつが帰ってくるまで寝ちまおう」

さすがに腹が減ったと起こしに来るだろうさ、まったく、今日は寝てばかりだな。

【刀満】
「……実は帰ってきて寝てたりとか、しないか」

姉さん、今はモニカが使っている部屋を覗いては見たものの中にモニカの姿はない。

【刀満】
「相変わらずらしくない部屋だなこりゃ、うん?」

可愛らしい人形が並んだデスク、その中央に端正な字で書かれた手紙が置いてある。

【刀満】
「これはモニカの字、か?」

たぶんそうだろう、姉さんはもっと走り書きで場合によっては判別不能なことがあるもんな。

【刀満】
「刀満へ……なんだなんだ、俺宛か?」

正直読んで良い物かどうか悩んではみたものの、おれ宛なんだからそのうち読むことになるんだよな。

……読んじまうか。

【刀満】
「わざわざ手紙で何伝えようってんだ? 何々?」

【モニカ】
『やっと起きたか、平日の長寝はあまり関心せんが今日は仕方あるまいな。
あんな物を見たとあっては、さすがにお人好しの刀満でも自分が置かれている現状を理解出来ただろう?

私はお前とは住んでいる国はおろか、存在する世界そのものからして対極にいる存在だ。
そんな私が、この世界の日常に生きてきた刀満に干渉してはやはりいけないようだな。

私が恐いだろう? お前の知り合いを何の躊躇もなく屠り、血を浴びた私の姿。
元々刀満が絶対に交わらない世界を見たんだ、私に恐怖を覚えるのも当然
むしろ遅すぎたのかも知れん……

私は私のあるべき世界で生きるのが相応しい、刀満に甘えを見せたのは私の落ち度だった。
だがもう心配は不要だ、今日限りで私はここを去る。

だからといって、奴等を取り逃がすようなへまはせん、心配するな。
奴等は必ず私がこの手で息の根を止める、それこそが刀満に対する一種の恩返しかもしれんな。

短い間の宿ではあったが、お前のお人好しには感謝しているよ。
だが、そのお人好しも程ほどにな。

刀満、お前の街の安静は必ず私が勝ち取ってみせる。
申し訳ないが、この服だけは頂いて行くぞ。

刀満に母聖樹の加護があらんことを……』

【刀満】
「おいおい……」

手紙を読み終えた俺は転げ落ちるようにして階段を駆け下り、靴を履くと弾丸のように外へと飛び出した。

【刀満】
「あの莫迦……」

人があれだけ用意してやったのに、さらばで済まされちゃちと困る。
せめて今日の飯ぐらいはあいつに食べてもらおう。

それから、出て行くにしても一言ぐらい謝罪の言葉と俺からの別れの言葉をかけさせろってんだ。

……

【刀満】
「モニカっ!」

街灯が灯る紺色の世界に向かって少女の名を叫ぶ。
人通りにあいつが紛れるわけがない、あいつが行くとすれば路地を一本入った人気の無い所だ。

彼女の名を叫び、返事が無いとまた移動。
もう結構な時間走り回っているが、いまだ彼女からの返答は聞こえてこない。

【刀満】
「はぁ、はぁ……あいつどこ行きやがったんだ、人がこんなに探してるっていうのに」

そもそも、どうして俺はモニカに対してここまで真剣になっているのだろう?
あいつは手紙で任せろと云っていたじゃないか、だったら全てをモニカに託せば良いんじゃないのだろうか?

しかしそれをしない、それはつまり俺が……

【刀満】
「……やっぱり、お人好しってことか」

それしかないだろうな。
残念ながらあいつに恋愛感情は無い、好きな女を一人では行かせられないなんて科白は寝言でも云えそうにないな。

【刀満】
「くだらないこと考えるより足を動かせってか……」

【声】
「あら、そんなに急いでどこかへお出かけですか?」

【刀満】
「!」

気持ちが焦る俺とは裏腹に、のんびりとしたこの口調。
だが振り返って見ても声の主の姿はない、まさか幻聴だろうか?

【声】
「上ですよ上、少し視線を上げてください」

声の云うとおり視線を上げると、俺の身長よりも高い塀の上に声の主の姿があった。

【刀満】
「……カリス」

【カリス】
「今晩は、刀満さん♪」

右手をフリフリと軽く振り、まるで友人にでも出会ったかのような笑みを浮かべたカリスの姿は酷く幻想的で。
それでいてなんともいえない不気味さを兼ね備えた、一種の美術品のように世界に映えていた……





〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜