【4月25日(金)】
【一条】
「んぁ……?」
じりじりと身体を温める熱気と、瞳を刺すように光り輝く陽光によって眼が覚める。
【一条】
「ふあぁぁぁ……」
欠伸によって出てきた涙を拭い去り、今の現状を覚醒の済んでいない頭で少しずつ整理していく。
まずここはどこか? ここは学校の屋上、さらに云えば給水塔の上だ。
何故ここにいるのか? 昼飯を食べ、まだ時間があったのでそのままここでゆっくりと。
今何時なのか? 今は……昼休みなどとうに終り、5時限目ももうすぐ終わろうかという時間だ。
【一条】
「……寝過ごしちまったんだな」
柔らかいベッドの上ではなく、固いコンクリートの上で寝ていたから背中が少し痛い。
ちょっと寝転がって空を見ていた気がするけど、いつの間にか眠ってしまっていたんだな……
【水鏡】
「お早うございます」
【一条】
「!」
慌てて体を起こすと、授業中だというのにもかかわらず、水鏡の姿があった。
【水鏡】
「固いコンクリートの上で太陽を全身で浴びながら、よく眠れましたね」
【一条】
「いつごろから見てたの?」
【水鏡】
「昼休みの途中からですよ、私が来た時にはもう先輩は眠っていましたから」
【一条】
「そうなんだ……それで、どうして授業中なのにここにいるの?」
【水鏡】
「先輩がいつまでも起きないから、私もここに残りました」
【一条】
「あのさ、そういったときは起こしてくれれば良かったのに……」
起き上がって水鏡の隣へと腰を下ろす、水鏡はいつもと同じように街の景色を眺めていた。
【水鏡】
「先輩、何か良いことでもありましたか?」
【一条】
「ん、なんで?」
【水鏡】
「最近はいつも悩んでいるようでしたけど、今日はなんだかそんな感じがしませんから。
あの先輩と仲直りできたんですか?」
【一条】
「仲直りというか……付き合うことになった」
【水鏡】
「そうなんですか、良かったですね。
となると、私とここで2人というのが知られてしまったら、先輩は色々と大変ですね」
【一条】
「う、うぅん……かもね」
羽子さんがその程度で怒るとは思えないけど、もしかしたら怒られるかもしれない。
羽子さん興奮すると俺の言葉なんて全く聞いていないもんな。
【水鏡】
「先輩にも、ようやく意志がみつかったんですね……」
【一条】
「俺がどうしたって?」
【水鏡】
「いえ、こっちの話ですよ」
いつも表情の見えない水鏡の表情が、その時だけは何故だか、笑っているような感じがした……
【水鏡】
「それでは私はこれで、6時限目の授業ちゃんと出てくださいね」
【一条】
「はいよ、だけどもう少しだけこのままで……」
【水鏡】
「彼女さんと、がんばってくださいね」
【一条】
「おう」
長い髪をなびかせながら、水鏡は給水塔の上から去っていく。
その後姿に、以前彼女を川原で見た時のような、奇妙な寂しさが浮かんでいるよう見えるのは、俺の気のせいなのだろうか……?
……
【水鏡】
「……」
まだ時間帯も時間帯ということで、街の中を歩いているのは私1人。
周りには同じ制服を着た生徒は1人もいない、まだ6時限目の授業中なのだから当然といえば当然だろう。
先輩に別れを告げた後、そのまま学校を後にして今に至る。
先輩には6時限目は出てくださいと云ったけど、云った本人は出ることはおろか、学校に残っていることもなかった。
【水鏡】
「4月25日……」
ポツリと今日の日付を呟いてみた、そっか、もうそんなに時間が経っていたんだ……
【水鏡】
「先輩は、もう大丈夫なんですよね……」
誰が聞いているわけでもないのに、私の口からはポツリポツリと言葉が漏れてくる。
【水鏡】
「結局、私は何の役にも立てなかった……ううん、違うのかな」
きっと違う、私が役に立てなかったのではない。
私の力なんてなくても、先輩は自分で解決できたんだ。
私が余計なことをしてしまっていたら、もしかしたらこんな結果になることはなかったのかもしれない。
【水鏡】
「そうですよね……先輩には、私の助力なんて頼らなくても自分自身の力で解決できる強さがあるんですよね。
そんな力がある中に、私なんかが入り込んで良いわけがない……」
だけど……
【水鏡】
「おかしいな……これで良いはずなのに、なんでなんだろう」
私の中でざわざわと疼くこの感情、今まで一度も感じたことのない、初めて感じるこの感情は。
【水鏡】
「……!」
私がこの感情を考える暇もなく、耳にばさばさと激しい羽音が聞こえた。
音の主は上空からスッと私の前へと降り立ち、きょろきょろと忙しなく頭を動かしていた。
真っ黒な身体がとても印象的な、一羽の鴉……
【水鏡】
「もう……忙しない子なのね」
私が近寄ってみても飛び立つ気配は無い、むしろ私が近寄ってくるのを待っているように感じる。
【水鏡】
「……よしよし」
鴉の側でしゃがみ込み、ゆっくりと手を差し出してみる。
最初は興味なさげに視線を外していたけど、ややあってから鴉は私の手の平をくちばしで軽く突いてきた。
くすぐったいような、ちょっとだけ痛いような、なんだか変な感じ。
【水鏡】
「私は、彼方たちのように動くことはできないんだね……」
手の平を返し、鴉の頭を優しく撫でた。
今までこんなことをしたことはなかったけど、鴉は逃げることなく私の手を受け入れてくれた。
私が手を放すと、鴉は2、3歩小さな足を進め、黒い翼を広げて空の彼方へと飛び立っていった。
翼があるということは、なんて素晴らしいことなんだろうか……
……
一切の音が遮断され、そこに人がいることさえも疑ってしまうような空間に男が1人。
目深に帽子を被り、長いロングコートが音無き風にヒラヒラと舞っていた。
【男性】
「……」
男が川原への視線を宙へと移すと、漆黒に輝く羽根を羽ばたかせた一羽の鴉が空を舞っていた。
その姿を確認すると男は左腕を伸ばし、鴉はその腕めがけて降下を開始する。
腕の直前でばさばさと慌ただしく翼をばたつかせ、速度を落としてからゆっくりと男の腕へとその身体を下ろしていく。
まるで宿木にでも止まるように自然に、鴉は何の違和感も無く男の腕で羽根を休めていた。
【男性】
「……ふぅ」
男は深く溜め息をつき、ジッと鴉の顔を睨みつけていた。
鴉もまた負けじと男の顔を見つめるが、そこには睨みつけるといったような感情は全く存在してはいなかった。
【男性】
「……」
男が大きく腕を振る、すると鴉は再び大空へと翼を羽ばたかせて陽光の彼方へと飛び去ってしまった。
鴉の姿が見えなくなると、男は川原の静寂から逃げるようにその場を立ち去った。
【男性】
「なるほどな……私もお前も、舞台に上がりきることはできなかったということか」
男の口元がにぃっと釣り上がる、まるで何かを楽しんでいるようなその笑みの先に、男は何を考えているのだろうか?
【男性】
「主役1人とヒロインが1人、それだけで全てが上手く回り始めている。
後は、番狂わせでもない限り私の勝ちは無いのだろうな……」
懐をゴソゴソとあさり、金色に輝く懐中時計を取り出した。
懐中時計が指し示す時間は6時20分、実際の時間とは大きな開きがあった。
しかし、この時計は何の狂いも無く、この時間で何も間違ってはいなかった……
【男性】
「ふぅ……舞台もそろそろ終焉間近だな、さて、一体どんな動きを見せることやら」
男が立ち去った後も、そこには恐ろしいほどの静寂が居座り続けていた。
……
【羽子】
「むぅ……」
【一条】
「……」
羽子さんは小さく不満の声を漏らし、上から目線で俺を見つめている。
俺はそんな視線に合わせることができずに下ばかり向いていた。
【羽子】
「はぁ……昨日の今日でもうこれですか、まったくもう」
口調はもう呆れきっている、何に呆れているのかというと俺が午後をサボってしまったことについてだ。
水鏡が去った後、6時限目に出ようとしたんだけどちょっと眠気が来てしまい、そのまま二度寝をぐうぐうと。
眼が覚めた時はもう放課後、欠伸をしながら教室に戻るとそこで待ち構えていた羽子さんに捕まってしまった。
そのまま羽子さんはうむを云わさずに俺をマスターの店まで連れてきて、お説教……
【羽子】
「特別テストもあるんですから、今の時期の授業をサボってほしくはないのですが」
【一条】
「サボるつもりはなかったんですが、良い天気で気持ち良かったんで気を抜いたらいつの間にか」
【羽子】
「今度から屋上は立ち入り禁止にしてもらうよう生徒会に提出した方が良いかもしれませんね」
【一条】
「い、いやそれは勘弁願いたいですね、屋上はゆっくりできる唯一の場所なんですが……」
【羽子】
「小煩い私がいないから、ですか?」
【一条】
「そういうことじゃなくてですね、なんて云うんでしょう、落ち着ける場所とでも云いましょうか。
羽子さんも中庭が立ち入り禁止にされたら嫌じゃないですか?」
【羽子】
「それはまあそうですが、私は中庭で授業をサボろうとは考えないですから。
それに比べて、一条さんが落ち着けるというのはゆっくりとお昼寝ができるとかそういうことなんじゃないんですか?」
まいったな、完全にばれてるわ……
【羽子】
「こうなったら、私がずっとついているしかないんでしょうか……?」
頬杖を付き、大きく溜め息を吐きながら1つの提案を出した。
【一条】
「それはそれで良いような悪いような」
【羽子】
「一条さんを校正させるということと、一緒にいたいということを考えればそれで良いのですが。
ずっと私がついていてはクラス中に変な噂が広がるかもしれませんから……」
【一条】
「この際盛大に公言したらどうですか?」
【羽子】
「そ、それは駄目です……は、恥ずかしいじゃ、ないですか……」
さっきまで威勢の良かった羽子さんも、急に下を向いてもじもじとしてしまう。
そんなに俺と付き合っていることがばれると恥ずかしいだろうか? まあ年頃の女の子ってそんななのかもな。
【羽子】
「と、とにかく、一条さんは私との約束を破りすぎです。
この埋め合わせをしていただけないともうお勉強とか見てあげないですよ」
【一条】
「1人で赤点補習ですか……羽子さんの鬼」
【羽子】
「鬼じゃありません、一条さんの為を想っての厚意です。
って、埋め合わせをしようという気は無いんですか?」
【一条】
「埋め合わせって何させるつもりなんですか?」
【羽子】
「そうですね……」
顎に指を当て、ゆっくりと眼を閉じながら思案にふける。
【羽子】
「あ、そうだ……明後日の日曜日は空いてますか?」
【一条】
「空いてますけど、まさか朝から勉強漬けに付き合えなんて云われても断りますよ」
【羽子】
「そんなことは云いませんよ、明後日のお休み、私の為に時間を割いてください。
私のわがままを、1日一条さんが聞いてくれる、そんなことで良いですよ」
可愛らしく指をくるりと回す、そんなことならお安い御用なんだけど……
羽子さんのわがままって一体なんなんだろう?
【一条】
「俺にできないことを云わないでくださいね」
【羽子】
「それは心得ていますからご安心ください」
【一条】
「わかりました、それが償いになるのならば1日羽子さんのわがまま聞いてあげますよ」
軽く受けてしまったけど、後で後悔しないだろうか……?
【男性】
「羽子ちゃんも大胆な子になったね、これも一条君が原因かな?」
【羽子】
「大胆ってそんな、私は別に……前からこういった子でした」
【男性】
「ははは、子供の頃から羽子ちゃんを知っている私にはとても前と同じには見えないけどね。
以前は男の子の話題なんて微塵も無かったのに、いつの間にか一条君に甘えるところまで来ているなんてな」
【羽子】
「甘えてなんかいませんよ!」
【男性】
「一条君、羽子ちゃんは口ではこう云うけど、心の中では間逆のことを考えていると思うよ」
【一条】
「羽子さんって結構素直じゃないですからね」
【2人】
「あははははは」
俺とマスターが一緒に笑い出す、置いてきぼりにされた羽子さんは小さく「うぅーっ」と唸っていた
……
【羽子】
「一条さん……」
【一条】
「なんですか? 随分と暗いですね、お腹痛いですか?」
【羽子】
「そうではなくて! 一条さんまで、一緒になって笑わなくても良いじゃないですか……」
羽子さんをアパートに送る途中、少し拗ねたような声で文句をぶつけてきた。
【羽子】
「マスターの手前、本当のことは云えないですけど……私だって年頃の女の子です。
好きな男性に甘えたいと思うのは、恥ずかしいことですか……」
そっと羽子さんの手が俺の腕を掴む、それはいつもの羽子さんではあまり考えられないような女の子らしい行為。
【羽子】
「か、勘違いはしないでくださいね……私がこんなことをするのは、一条さんと2人だからなんですからね」
今度は照れたような声、それを示すように俺と眼を合わせようとはしなかった。
【一条】
「……そうでしたね、羽子さんも他の子と同じ、普通の女の子ですもんね」
【羽子】
「か、からかわないでください……ぁ」
どうしても視線を合わせてくれないので、俺は羽子さんの身体を包み込むように抱きしめた。
いつもならこんなことをしたら放せと暴れてくるが、辺りがもう暗いということもあってか羽子さんに抵抗の意思はなかった。
【一条】
「怒らないんですね」
【羽子】
「甘えたいって云い出したのは私ですから、今日は特別ですよ……」
俺に対して厳しいことを云うように見えて、やっぱり羽子さんも女の子なんだと時間できた1日だった。
〜 N E X T 〜
〜 B A C K 〜
〜 T O P 〜