【5月15日(木)〜エンディング】
【一条】
「ん、んん……」
フローリングから伝わってくる堅さが痛みに変わって俺の眼を覚まさせた。
まだ生きているみたいだ、だけど今の俺には生きていても何も……
そう思って身体に力を込めてみる、どうせ痛くて動きゃしないと思っていたけど。
【一条】
「ぁ……」
動いた、眼の前で腕が持ち上がった。
全身に力を込めてみると、今まで鉛のように重くどうしようもない痛みで縛られていた身体とは思えないほど簡単に動く。
まだ若干の痛みはあるものの、昨日までの痛みとは比べることもできない程度の痛みでしかない。
【一条】
「治って、きたのかな?」
身体を捻ってみても若干の気だるさがあるだけでこれといって問題になるようなところは感じられない。
どうやら治ってきたと解釈して良さそうかな。
【一条】
「これなら学校、っと、今日は休みだとか云ってたっけ」
確か創立記念日だとか先生が云ってたな、それにまだ無理をする必要もない。
今日1日は大人しくして、明日のテストに向けて体を休めておくか。
【一条】
「折角動けるようになったんだし、テスト勉強でもしておきますか」
あれだけ羽子さんに教えられたんだから大体は覚えているだろうけど当然完璧ではない。
今日1日で後どれくらい詰め込めるのか、それによっては赤点を免れることもできそうかな。
……
【一条】
「うぉ、気が付けばこんな時間」
昼間からずーーーーーっとやり続けた明日の下準備は気がつけば6時をまわるほどになっていた。
いくらすることもないからとはいえ、ここまでしっかりと勉強したのは初めてかもしれない。
ま、その甲斐あって苦手教科である数学以外は自信たっぷりになれたわけだけど。
ぐうううううぅぅぅぅぅ……
【一条】
「そういえばここ最近何も食べてないんだな」
腹がいい加減何かよこせと文句をたれるので久しぶり何か腹に溜まる物でも入れてやるか。
【一条】
「さてさて、何にしたもんかな……」
選択肢はいっぱい、勿論全部冷凍食品だけど。
……
【一条】
「ふあぁぁ……」
数学の最後の詰を終らせると心地良い疲労感と眠気がやんわりと襲ってきた。
こうやって眠いって思えるのも久しぶりに感じてしまう、昨日までのは強制的に寝るしかなかったからな……
【一条】
「もう眠るとしますか……」
欠伸によって生じた涙を拭い去り、そのままベッドに大の字に倒れこむ。
昨日と比べて布団の柔らかさがとても心地良い、長い間ベッドの上にいると柔らかい布団も柔らかく感じなくなってしまっていたから。
ふにゅふにゅとした感触を確かめるように身体全体で布団の感触を楽しんだ後、はぁっと小さく溜め息を1つ。
【一条】
「やっぱり、死のうなんて考えるもんじゃないな……」
昨日の莫迦な考えをさっさと否定し、今何気無くこうしていることのありがたみをしみじみと感じていた。
そのまままぶたを閉じ、吸い込まれていくような気分の中でゆっくりと眠りにつく。
明日は久しい学校、それから久しぶりに羽子さんにも会えるんだな……
……
【一条】
「よし、どこも痛くないな」
眼が覚めてまず自分がしたことは体に違和感が無いかの調査。
身体を動かしてみてもどこにも痛みは無い、完全に治ったと云って良いんじゃないかな。
【一条】
「これで学校……とは云っても、さすがにこの時間は無いよな」
時間はまだ6時になったばかり、さすがに今から行っても学校は開いていない。
何か暇を潰すような物でもあれば良いのだけど。
【一条】
「何か30分くらい時間を潰せる……ぉ、電池切れてる」
枕元に転がっていた携帯を手に取ると、何も表示のされていないブラックアウトした画面が広がっていた。
ここ最近充電した記憶も無いから結構前から切れていたのかもしれないな。
【一条】
「ちょうど良い、時間もあることだし充電してから行くか」
それほど時間は掛からないだろうけど何もしないで待つよりは多少でも収穫がある方が良い。
携帯に充電器を差し込んでそのままコンセントへ、後は何をしたもんか。
ぐるりと部屋を見渡してみてもこれといってやるようなことが思いつかない。
洗濯物は溜まってないし、掃除をするにも……たまには箒じゃなくて掃除機でもかけてやるか。
【一条】
「学校行く前に掃除か、優雅だねぇ」
絶対に勘違い、学校行く前に掃除機かけてどこが優雅だっていうのだろうな?
……
【一条】
「数日見ないだけで結構新鮮に見えるもんだな」
特別変わったというわけではないのだけど、なんだか前に比べるとどこか違うような錯覚を受ける。
【美織】
「あ、おっはよー」
【一条】
「はよう、なんか久しぶりだな」
【美織】
「だね、月曜は教室に戻ったらいきなり帰った、だったもん。
しかも羽子まで連れてってさ、やるね〜♪」
【一条】
「そんなことを考えるような余裕さえもなかったけどな……」
【美織】
「で、もう身体の方は良いの? 某がいうには相当辛そうな顔してたて云ってたけど?」
【一条】
「4日も休んだから体調は万全だよ、今日はテストだしな」
【美織】
「ぁ……」
ポカンと口を開けたままぱったりと止まってしまう、いや、口元がひくひくと動いているか。
【美織】
「できることなら直前まで忘れていたかったよ、その科白は」
【一条】
「大丈夫なのかい赤点の方は?」
【美織】
「い、いいもん、マコと一緒に補習頑張るもん」
【一条】
「俺もお前も赤点確実かい……だけどお生憎さま、俺は赤点にはならないぞ」
【美織】
「へ、へえぇ! な、なんで、あんなに授業さぼって居眠りばっかりしてるマコが、どうして!」
なんかえらい慌てよう、そこまで美織の中で俺の学力という物は地に落ちているのだろうか?
【一条】
「ふふふ、羽子さんにみっちりと教えてもらったから赤点なんて取る気がしないのだよ。
君は寂しく廓辺りと一緒に補習でも受けていなさい」
【美織】
「ずるいよ! どうしてあたしを呼んでくれなかったんだ!」
【一条】
「お前がいると勉強が進まないんだってさ、煩いから」
【美織】
「なんだとぉ! あたしのおかげで今も2人して付き合っていられるというのに!」
【一条】
「吠えてないでさっさと学校行って勉強したらどうだ? 詰め込めるだけ詰め込めば少しは慈悲が」
【美織】
「マコ、行くよ!」
わしっと襟首を捕まえられていきなり走り出された、あまりの衝撃に一瞬息が詰まる。
【一条】
「げほ! ちょ、お前いきなり引っ張るな!」
【美織】
「こっちは追試と補習がかかってるんだ、それくらい我慢しなさい!
テストが始まるまでの残り時間でマコに教えてもらえるだけ教えてもらうから!」
あぁ、俺も道連れなんだ……だけどこの仕打ちはないだろ、嘘でも教えてやろうかな。
……
【音々】
「あ、お2人ともおはようございます」
美織に引き摺られながら教室に入ると、まだ早いためか音々1人しか教室にはいなかった。
【美織】
「おはよう、マコ急ぐよ!」
【一条】
「教室に入ったんだからもう引っ張るなってのにもう」
【音々】
「な、なんだか訳ありみたいですね」
【一条】
「こいつがテストで赤点取らないように今から詰め込むんだってさ」
【音々】
「今からですか、お言葉ですがその、間に合うんですか?」
【美織】
「間に合わないから急いでるんじゃないか!」
ギャーギャー騒いで音々に当たりやがった、いきなり大声出された為に音々の肩がビクンと震えた。
【音々】
「あぅ、す、すいません……」
【美織】
「謝ってもらう必要は無いから姫も一緒に教えてよ、このままじゃ赤点取ってマコに莫迦にされちゃうよ」
【一条】
「そうならないようにこれから教えてやるんだろうが、俺は別に教えてやらなくても良いんだぞ」
【美織】
「なっ! 鬼だ、マコのやつ鬼だ、あたしが惨めな点取って皆に莫迦にされるの見て楽しむつもりなんだぁ……」
えぐえぐといかにも泣いているように見せてはいるけど、絶対に嘘泣きだよな。
【音々】
「まあまあ、私がお付き合いしてあげますから、時間ギリギリまで頑張りましょうよ」
【美織】
「やっぱり姫は良い人だよー、それに比べてあの趣味の悪いネクラ君は外見も中身の全部鬼だよ」
【一条】
「音々も甘やかさないでこいつに現実を知らしめてやるのも良いんじゃないか?
一度痛い目に会えば今度からは考えを改めるだろうし」
【音々】
「う、うぅん、確かにそういう方法もありますけど……」
【美織】
「ふぇ? もしかして姫まであたしを見捨てるの?
そんな悪魔みたいな男の云うことに流されないで、あたしを救ってくれるのはもう姫しかいないんだよぉ」
音々に抱きついて懇願する、懇願というよりは胸に顔を押し付けて楽しんでいるようにしか見えないのだけど……
【音々】
「ひゃう、み、美織ちゃんくすぐったいです……教えてあげますから、は、放してください」
【美織】
「くしし、やっぱり持つべきものは乙女の友情だね、鬼は消え去れ!」
【一条】
「はいはい……」
……
美織に追い出されてしまったので俺は1人中庭を目指している。
今なら羽子さんが花壇の手入れをしている時間だろう、久しぶりに顔を合わせるから気分が少しだけ高揚してきた。
【一条】
「……ぉ」
中庭に出てはみたものの、そこに羽子さんの姿は存在していなかった。
さすがにテストの日ということもあって今日は水やりとかはしないのだろうか?
【一条】
「残念、仕方ない、教室で待つとするか……」
……
【美織】
「むうぅぅぅ……」
俺の横では美織が難しい顔でぶつぶつと経文のような言葉を唱え始めていた、一体どんな教わり方したのだろう?
そんな美織は今はどうでも良い、俺が気になるのはあの一番前の空席、羽子さんの席が今になっても空いてしまっていることが引っかかる。
もうテスト開始まで10分くらいしかないというのに、今になっても羽子さんがいないのはちょっと不自然だ。
【一条】
「……どうしたんだろう?」
【美織】
「もしかすると、羽子は今日も休みかもね」
【一条】
「休み? 今日もってどういうことだ?」
【音々】
「一条さんがお休みしていた間、羽子さんも同じように学校をお休みしていたんです」
【一条】
「ぇ……」
羽子さんが、俺と同じように休んでいたって?
【音々】
「先生は身体の具合がよろしくないと云っていたんですけど、まだ回復していないんでしょうか?」
【美織】
「どうなんだろうね、さすがにちょっとは心配にもなってくるよ。
マコは何か連絡みたいなものはもらってないの?」
【一条】
「生憎俺のところには何も……」
無いと続けようとすると、その前にポケット内の携帯が震えて言葉を遮った。
取り出して着信画面を確認すると、そこには『枯志野 羽子』と表記されていた。
【一条】
「羽子さんからだ………はい、一条ですけど?」
電話に応じるも羽子さんの声が返ってこない、代わりに聞こえてきたのは不規則で荒い息遣いだけ……
【羽子】
「はぁ……はぁ……」
【一条】
「もしもし、羽子さん?」
とても不規則で、荒いはずなのにとても弱々しいそんな息遣い。
次に聞こえてきた羽子さんの消え入りそうな言葉に、俺の世界は止まってしまう。
【羽子】
「たす……け…て、くだ…さい……」
たすけてください、途切れ途切れではあったけど確かにそう聞こえた。
【一条】
「ちょ、羽子さん、助けてってどういうことですか!?」
俺の呼びかけにも羽子さんは応えず、携帯電話が床に落ちるゴトンという音を響かせるだけだった。
【一条】
「羽子さん、羽子さん!?」
呼びかけても応えるわけもなく、どうしようもない不安にいてもたってもいられなくなり俺は駆け出していた。
【美織】
「ちょ、ちょっとちょっと何事!?」
……
【一条】
「はぁ、はぁ……」
息が苦しいが今はそんなことを云っていられない、俺以上に羽子さんはきっと苦しんでいるだろうから。
さっきの声、あの消え入りそうな声は一体何故……
不安は萎むこともなくひたすら大きく膨れ上がっていくだけ、一刻も早く羽子さんの姿を見ないと安心なんてできやしない。
羽子さんが助けを求めてきたということは、今羽子さんはそれなりの状況に置かれてしまっているということだ。
あの声からしてまともな状況であるとは思えない、羽子さんの身に何が起きているのだろうか……
様々な考えが浮かんでは消え浮かんでは消えする中、一心に羽子さんの部屋を目指して足を進ませた。
【一条】
「羽子さん……今、行きますから……」
休ませることなく足を進ませ、ようやく羽子さんの部屋へとたどりついた。
この扉の先に羽子さんが無事でいると信じて、ドアノブを回して羽子さんの部屋へと踏み込んだ。
【一条】
「羽子さん、だいじょう……なっ!」
今まで見たこともない奇妙な現場、白で統一されたベッドが所々赤く染まっている。
くすんだような滲んだようなマーブル模様がシーツの上を赤く染め上げ、白いベッドにとても奇妙な印象を植え付けている。
あれはもう何度も見てきた嫌な色、もう1人の俺が酷く好んでいた頭と気分を最悪にしていく色。
あれは血の色だ……
そんな血で染め上げられたベッドの上で、羽子さんはぐったりと横たわっていた。
【一条】
「羽子さん、どうしたんですか一体!」
ただならぬ状況に急いで駆け寄って横たわる羽子さんの体を起こす。
そんな羽子さんの左腕からはおびただしい量の鮮血が今も流れ続け、少しずつ赤いシミを大きくしていった。。
【羽子】
「ぁ、ぃ、一条……さん……」
虚ろな瞳が俺を捉え、焦点が定まらないのかゆらゆらと視線が揺れる。
急いで羽子さんの腕をネクタイで縛り、119をコールする。
応急処置になれば良いのだけど、これだけの出血を考えるとほとんど意味を成してはいないかもしれない。
【一条】
「一体、何があったんですか?」
【羽子】
「……私は……やはり今でも弱い人間です……」
【一条】
「何を云って……」
ベッドの上に転がっていたカッターナイフ、これを見てしまっては何が起きたのか想像するのは容易いこと。
認めたくない、認めたくはないのだけど……
【羽子】
「あれほど、一条さんに云われたのにも……かかわらず、私は……また自分の腕を……」
【一条】
「どうして、どうしてなんですか!」
【羽子】
「両親と…話し合ったのですが………どうしても上手くいかなくて……
一条さんに相談しようともしたんですが……繋がらなくて……」
【一条】
「なっ!」
【羽子】
「寂しかった、それから1人で心細かった……一条さんの声を聞けば…何とかなるかと思ったんですが……
寂しくて、悔しくて……どうしても抑えられなくなってしまって……」
なんてことだ……羽子さんは俺を頼って連絡をしてきたというのに、俺の携帯は電池が切れていた。
俺がちゃんと携帯の残量を確認していれば羽子さんがまた自分を傷付けることも無かったのかもしれない……
羽子さんの弱さを補ってやれなかった、俺は羽子さんの力になると約束したのに、それなのに。
【羽子】
「莫迦、ですよね……あれほど一条さんに云われたのに、もしもう一度やってしまえば
一条さんがどう思うかもわかっていたはずなのに、それなのに……私は……」
【一条】
「莫迦なのは、俺の方ですよ……」
俺自身の不甲斐無さに、羽子さんの頼ることのできなくなってしまった寂しさに
俺は泣くことでしか感情を表すことができなくなっていた。
【羽子】
「泣かないで、くださいよ……一条さんは何も悪くない。
全部、私が悪いんですから、一条さんとの約束も守れずに……こんな行為でしか、寂しさを補えないなんて」
【一条】
「もう良いですから、羽子さんは悪くはないですから」
抱きしめた羽子さんの身体はなんだか冷たく、少しずつ熱が奪われていくような嫌な感覚が伝わってくる。
【羽子】
「一条さんの体、とても暖かいです……こうしてもらっていると、不謹慎ですけどとても安心できるんです。
これだけの傷を付けてしまっては、もう助からないかもしれないですね……」
【一条】
「な、何を云っているんですか……何を諦めようとしているんですか!」
【羽子】
「……そう、でしたね……最後まで一条さんには怒られてばかりで……なんの成長もしていないですね。
でも、あの電話……あの電話に出てくれて、本当にありがとうございます……一条さん」
【一条】
「なんでそんな、最後の言葉みたいな云い方をするんですか。
まだ終ってない、まだ終ってないのにそんなこと」
【羽子】
「今までありがとうございました、私の弱さに……いつも付き合っていただいて。
それから、約束を破ってしまって……本当に、ごめんなさい……」
笑ったように聞こえたその声を最後に、羽子さんの腕がだらんと落ちる。
【一条】
「どうして……いくら悩んだって、生きていればいつか答えだって出せるのに。
はやまる必要なんて何もなかったのに……どうして……」
力の抜けてしまった羽子さんの体を抱きしめながら俺は羽子さんの耳元でそう呟いていた。
遠くで聞こえるサイレンの音が、なんだか悲しげな葬送曲に聴こえてくるようで……
いつまでもサイレンの悲しげな音だけがしんみりと鳴り響いていた……
〜 N E X T 〜
〜 B A C K 〜
〜 T O P 〜