【5月02日(金)〜5月05日(月)】


人は物じゃない、考えることもすれば意思を持って行動することもできる。
しかし人形にそれらのアクションを起こさせることはできない、何故なら人形に生きていないから。

まるで生きているように動くロボットがあるけどそれは到底人と呼べはしない、だってそれらには意思が無いから。
行動全てに感情が無く、人形には自分の意思で動くということができないようになっている。

【一条】
「……」

だけど人だって、ちょっとしたことで人形にようになってしまうこともある。
人形は心が無いから冷たいと云う人がいるが、心が無い事はむしろ良いことではないのだろうか?

だって心が無ければ、余計なことを考える必要なんて無いんだから。

【一条】
「……」

虚ろな眼差しの向こうには頭にくるほど綺麗な青空と群を成した白い鳥がパタパタと飛び回っていた。

【羽子】
「あ、ここにいたんですね」

聞きなれた声がするも俺は視線を向けようとはしない、用があるのなら向こうからくれば良いんだ。

【羽子】
「お昼休みになった途端に屋上に来て、お昼ご飯食べなくても良いんですか?」

【一条】
「……」

【羽子】
「……一条さん、なんだか朝から元気が無いみたいですよ、身体の具合悪いですか?」

首をフルフルと横に振る、今は1人にしてほしいんだ、早く出て行ってくれ。
あいつと出合うのはいつでも俺が1人の時だった、他に人がいたらあいつも出てきにくいじゃないか。

【羽子】
「ちゃんと私の眼を見て云ってください、本当に身体の方は大丈夫なんですか?」

【一条】
「……えぇ」

今日一番最初に話した言葉がこれだった、とても短くそこに本人の意思なんて微塵も感じられない。

【羽子】
「……今日の放課後、時間がありましたらマスターのお店に来てください、待っていますから」

それだけ云い残して羽子さんは屋上を立ち去った。
やっと1人にしてくれた、これであいつも出てきやすくなっただろうな……

淡い期待をするも、許された時間の中で目的の人物が現れてくれることはなかった。

大丈夫、まだ他の場所もあるじゃないか……

……

待ちわびた鐘の音が鳴り響く、もうこんな意味の無いところで時間を浪費するのはたくさんだ。
さっさと帰り支度を済ませて足早にこの部屋を後にした。

あそこならば、あそこにいればきっとあいつに会えるだろう。

……

【羽子】
「ぁ……」

声をかけようとするも、そのあまりの違いに声をかけそびれてしまう。
おそらく声をかけてはいけない、そんな危険信号じみたものが感じられていた。

昨日までの彼と今日の彼は全く違う、そんなの朝からずっと続いている彼の眼を見ればすぐにわかる。
まるで全てに疲れてしまっているような変化の無い瞳、あんな彼を見たのは今まで初めてだ

【羽子】
「……」

何かあるのかもしれない、何かあるのかもしれないのだけど……

【羽子】
「一条さん……」

【美織】
「あらあら、未来の旦那様に逃げられちゃったの? かっわいそ〜」

【羽子】
「むっ、彼方は首を突っ込まないでください」

【美織】
「まあ待ちなさいな、あたしだってマコの隣に座ってるんだよ、なんか変だなってのは勘付いてるんだから」

【羽子】
「彼方もなんですか」

【美織】
「まあね、これでも隙があったら盗ってやろうって思ってるくらいだから」

くししっと彼女独特のなんだか頭にくるような笑い方をされる、どうしてそうやって私の邪魔ばかり……今はそんなことを云っている場合じゃないか。

【美織】
「あんたマコと喧嘩でもしたの? あの顔相当落ち込んでるよ?」

【羽子】
「わ、私は別に喧嘩なんて……ちょっとヤキモチは焼きましたけど」

【美織】
「へ? マコってば二股してるの? ふうむ、これは中々手ごわいな」

【羽子】
「どうして彼方はそうやって一条さんの品格を落とすようなことを云うんですか。
あれは私がちょっと意地悪をしただけで……」

【美織】
「まああんたの意地悪がどうかは置いておいて、今日のマコがいつもと違うのは明らかだわね。
こんな時は普通正規の彼女が気を使ってあげるものなんだけどねえ」

じとーっといかにも私が役立たずみたいな眼で見られてしまった。

【羽子】
「私だって一条さんが困っているのなら手を貸してあげたい、ですが……」

【美織】
「マコが話してくれない以上、マコの意見を尊重して余計なことはしないってことか。
はぁ、本当に恋人同士なのかあんたたちは?」

【羽子】
「ぇ……?」

【美織】
「いい? 恋人同士ってことはもうただのクラスメイトの関係ではないわけだよ。
相手が困っている時に知らぬ存ぜぬでいる必要は無い、一歩踏み込んで相手に聞くのも許されるわけ。
そうやってちょっと強引にでもお互いを意識しあえるのが恋人同士ってものじゃないのかね?」

指を1本立てて私の前で左右に振って見せる。
ちょっと強引にでもお互いを意識しあえる、か……

そういえば、つい先日までの私と全く逆の立場なんだな……
きっと一条さんもこんなことを考えていたのかもしれない、こうやって私のことを考えていてくれたのかも知れない。

【羽子】
「だけど私にはどうしたら良いのか……」

【美織】
「仕方がないな、敵陣に塩を送るようなことになるけどここはお姉さんが一緒に考えてあげようじゃないか」

【羽子】
「よろしいんですか? でも……」

あまり宮間さんの手を借りたくはない、なんというかそのプライドが。

【美織】
「良いのかなぁ、このまんまあっけなくあたしに取られちゃっても?」

【羽子】
「……わかりました、少しだけ知恵を貸して頂きます」

【美織】
「はいはい、もしマコが元に戻ったその時は……」

私の耳元でボソボソと何かを呟く、一瞬何を云っているのかわからなかったけど。

【羽子】
「え、えぇえ!」

【美織】
「くしし、よ・ろ・し・く・ね」

……

一切の音を遮断され、人の存在さえも拒絶するようなこの川原。
いつものように土手に腰を下ろして流れ続ける水面をぼんやりとした眼差しで眺めていた。

【一条】
「……」

静寂がいつも以上にこの身を刺すような、嫌味さえも感じるようなこの静けさの中。
ここで待っていれば来てくれる、いつだってあいつはここを見ていたんだから。

なんて考えていたんだけど俺の考えは甘かったのか、あいつが姿を見せてくれることはなかった。
夕暮れももう終り、後はただ夜が帳をゆっくりと下ろし始めるだけ。

今日はもう帰ろう、大丈夫、明日から休みじゃないか。
明日は朝から待っていよう、あいつが来た時に俺がいないんじゃあいつにも失礼だから……

……

朝眼が覚めるとすぐに川原へと足を運ぶ。
朝一番から日が暮れてしまうまで、ずっと川原の土手で彼女を待ち続けていた。
今日も来ないならばまた明日、俺の行動にもはや意思なんてものは無くなっていた。

頭の中でここに来るという命令を打ち込み、それを繰り返し繰り返し実行しているだけ。
まるで人形か機械のような、どちらにせよ人間らしさの欠片もなくなってしまっているのは明白だった。

【一条】
「……」

俺自身どこかでそれに気がつくことができなければ、俺はこのまま人形になってしまうのかもしれない……

……

既に時間の感覚なんてものは無くなってしまっている、今日が何日で、何回目の訪問なのかももう覚えていない。
わかっていることは今まで一度もあいつは俺の前に姿を見せてはくれていないということだけ。

【一条】
「……」

前に比べて景色がぼやけている、なんだか薄い膜が被さっているような変な感じ。
瞬いてみても一向に景色のぼやけは取れていかない、一体どうしたんだろうな?

……何度か瞬いているうちに、ぼやける先に不自然な形を捉えた。

あれはもしかすると、あいつが来てくれたのか?

【一条】
「!」

思わず立ち上がって足を進めようとするも上手く動かずにそのまま倒れてしまう。
土手に打ち付けられた身体がぎしりと痛み、同時に視界がはっきりと映されていく。

そこには不自然な形など何も無く、流れる水面に乱反射する煌きだけが視界の中で忙しく動いていた。

【一条】
「くそ……」

涙が溢れてきた、どうして俺がこんなに待ち続けてもあいつは現れてくれないんだ。
もう自分ではどうすることもできない、倒れた身体を立て直すこともできずに俺は眼を閉じた。

次に眼を開いた時、そこに広がっているのが真っ白な何もない世界だったらどんなに楽なことか……

……

【声】
「一条さん、一条さん!」

近いはずなのにとても遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。
声と連動してゆさゆさと体を揺すられる感触、薄っすらと目を開けるとそこにはよく見慣れた顔が。

【羽子】
「良かった、眼を覚ましてくれました……」

視界の中いっぱいに羽子さんの顔、なんだか酷く動揺して不安に支配されてしまったような顔をしていた。

【羽子】
「こんなところで倒れるなんて、何があったんですか?」

【一条】
「くっ……」

【羽子】
「あ、急に立っては駄目です、私の肩を支えにしてください」

羽子さんに肩を貸してもらってゆっくりと立ち上がる、足がぴくぴくと震えていまいち力が入らない。
羽子さんの肩が無かったら1人で立つことさえも今はできなくなってしまっているだろう……

川岸に視線を移すものの、やはりそこには誰もいない。

【羽子】
「顔色が悪いですよ、何度電話しても繋がらないですし、ちゃんとお食事はしていますか?」

【一条】
「それどころじゃ、ないんですよ……」

【羽子】
「それどころって、まさか金曜日からずっと」

【一条】
「……」

弱々しくコクンと頷く、作り笑顔でもできれば良かったんだけどそんな元気さえももう残ってはいない。

【羽子】
「どんな事情があるのかはわかりませんが、これでは一条さんの身体が先に参ってしまいます。
とりあえず何か食べて体調を元に戻さないと」

【一条】
「そんな暇は……」

【羽子】
「駄目です……今日だけは一条さんがなんと云おうとも許してあげないですから」

羽子さんに肩を支えられたままゆっくりと連れられていく。
俺1人ではもう羽子さんを振り解くことさえもできないだろう、今になって気付かされる自分の状態に情けなくなってきた。

……

【羽子】
「待っていてください、すぐに何かご用意しますから」

羽子さんに連れてこられたのはいつものマスターの店、最初に俺を見たマスターの顔、なんか幽霊でも見たみたいな顔してた……

【羽子】
「はい、はい……わかりました、うぅん……」

【男性】
「焦らない焦らない、私は少し出てくるから後は全部羽子ちゃんにお任せだ……君も2人きりの方が良いだろう」

奥の方でこもっていたためによく聞こえなかったけど、マスターと羽子さんの声がした。

【羽子】
「あつ……うぅ……んしょ……」

【一条】
「……」

羽子さんの声がぼんやりとだけど耳に届いてくる、もしかすると俺はそんな声に救われているのかも?

【羽子】
「……お待たせしました」

厨房の奥から羽子さんが持ってきてくれたのはおにぎりだった。

【羽子】
「その、形は悪いですけど、食べてください、お願いします……」

持ってきてくれたおにぎりを1つ手に取って口に運ぶ。
お世辞にも綺麗な形とはいえないのだけど、なんだかとても温かい感じ……

羽子さんが慣れない手つきでおにぎりを握る姿が頭の奥でぼんやりと思い描かれた。

【一条】
「モソモソ……」

衰弱した身体におにぎりが受け付けるとは思わなかったけど、案外身体は受け付けてくれた。
いつもなら簡単に食べられるものでも身体が弱っているために倍以上の時間をかけて全てを食べ終えた。

【羽子】
「一条さん……どうしてこんなになるまであんなところで」

【一条】
「羽子さんには、関係の無いことです……これは俺とあいつのことですから」

【羽子】
「関係無い、ですか…………まるで先月までの私を見ているみたいですね」

【一条】
「何がですか……」

【羽子】
「1人で悩み続けて、いつまでも自分1人の中に閉じ込めて……今の一条さんはなんだかあの時の私みたいです」

俺のがさがさの手に羽子さんの柔らかい手が重ねられた。
とても温かく、今まで感じることの無かった温もりを分け与えられたような……

【羽子】
「何があったのか話してほしいとは云いません、でも……1人で悩み続けるようだったら私にも頼ってください。
そうでないと、私を変えてくれたお礼ができないじゃないですか」

【一条】
「っ……」

また涙が溢れてきた、だけどこれは今までの涙とは全く違う感情を持った涙。
栓の壊れてしまった浴槽のようにただ流れ続けるのではなく、ちゃんとそこには意味が存在していた。

……俺は今まで何をしていたんだ。

あいつが、水鏡が俺に何も語らずに消えたということは、俺が聞いてはいけないことだったんだ。
水鏡が川原で俺の声を聞いて驚いた時、そこで全て気付くべきだった。

それなのに俺は……こんなになるまで自分を追い込んで、羽子さんにまで心配をさせて。

【一条】
「うぅ……」

【羽子】
「ぁ……」

感情が抑えきれずに俺は羽子さんに抱きついていた、どうしてもすがるものが欲しかった……
何かにすがりでもしないと、このまま俺自身が全て壊れてしまうようだったから……

【羽子】
「初めて、頼っていただけましたね……」

いつもの2人とは対照的に羽子さんが俺の身体をギュウッと抱きしめた。
とても柔らかく、花の香りがふわりと香る羽子さんの身体がとても温かい。

そろそろ俺も認めなければいけないのだろう。
水鏡の消失、あれがどうやって起きたのかは俺にはわからない、だけどきっともう水鏡に会うことは叶わない。

さようならって云われたのだからさようならって返すのが礼儀だよな……

「さようなら水鏡、だけど……またな」

胸の中で小さく呟きながら、俺はあいつに別れを告げた。
いつかまた会うことがあったら、その時こそありがとうって云ってやろう。





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