【ラフスケッチのままで】


【月花】
「やっほー、渡ー」

中途半端に能天気な声が、受付で券の整理をしていた俺の耳へと届いてきた。

【月花】
「1年ぶりだね、元気にしてた?」

【神谷】
「まあなんとか生活はしているかな、だけど平日だっていうのによく来てくれたな」

【月花】
「昔好だよ、それに、主催が渡っていうのなら、来ないわけにはいかないよ」

【神谷】
「そうか、ありがとう……来客は多いほうが、彼女も喜んでくれると思うよ。
そういえばさっき浩徳も来たんだ、今ならまだいるんじゃないか?」

【月花】
「あいつとももう1年ぶりか、よし、それじゃあ久しぶりに顔合わせでもしてくるね」

月花から渡された券を受け取り、大手を振って混雑する人の群れへと消えてしまった。

【神谷】
「ふう……賑やかになってきましたよ、蓮見さん」

俺が整理を続ける券、そこには『絵画展 諏訪蓮見』と名が打たれていた。
前々から俺が計画してきたものが、ようやくこれで形になったんだ。

式場準備から式場費まで全て俺の負担なので、それほど大きな個展ではないのだけど。
それでも結構なお客さんが入っているので、あの人も満足しているんじゃないだろうか。

本来であれば個展をするのであれば本人も携わるのかもしれないけど、残念ながら当人である諏訪さんはもうこの世にいない。

遡ること1年前のあの日、諏訪さんは自らの手で自らの時間に幕を下ろしたんだ。
決して忘れることなど出来ないあの時間、俺は諏訪さんの1番近くで諏訪さんの最後を見守っていた。

あの後保健室で偶然にも残っていた先生に諏訪さんが急に倒れたと伝え、救急車で運ばれたのだけど、当然間に合うはずも無く……
死因は心臓麻痺、普通心臓麻痺というと、とても苦しげな顔をして最期を迎えるそうだけど。
諏訪さんの顔は、そんな最期の瞬間を過ぎ去ってもなお、表情を崩すことは無かった。

まるで良い夢でも見ているような、とても幸せそうな死に顔だった……

【男性】
「すいません、彼方が主催者の方ですか?」

【神谷】
「あ、はい、主催者は私ですが…ご来場ですか?」

【男性】
「それもありますがもう1つ、こちらをどうぞ」

紺の背広にシャープな眼鏡が印象的な男性が渡してくれたのは小さな名刺。
名刺には『週刊まほろば 絵画担当記者  柊 寛人』と、肩書きと名前が記されていた。

【記者】
「こちらの絵画展を拝見させてもらったのですが、大変素晴らしいの一言です。
よろしければ少し取材などをお願いしたいのですが、よろしいですか?」

【神谷】
「え……俺がですか、ですが素人ですから大したことも云えないですし」

【記者】
「たとえ素人でも、彼方の眼力はとても優れていると思いますよ。
それにこういったのは変に慣れている人より、慣れていない人の方が素直でわかりやすく伝えられるものなんですよ」

【神谷】
「はぁ…わかりました、ですが後で大したこと云えなくても怒らないでくださいよ」

【記者】
「はは、政治家でもないんですから無茶なこともきつい事も何も云いませんよ。
彼方が思った通り、素直に話していただければこちらも満足ですから」

……

記者の人と2人で個展を回りながら、記者は質問を、俺は応答を繰り返していく。
どうして個展を開こうと思ったのかとか、絵を描いた人はどんな人だったのかとか、そんな簡単な質問の連続。

【記者】
「なるほど、それでは彼方と諏訪蓮見さんという方は、学校の同級生だったんですね」

【神谷】
「ええ、ほんの1年前の話ですよ」

【記者】
「……しかし、残念ですね……こんな素晴らしい絵を描いた人が、もうこの世にはいないなんて。
あ、失敬……気に障ったのでしたら、申し訳ない」

失言をしてしまったと思ったのか、記者は軽く頭を下げ、少し困った顔を見せていた。

【神谷】
「それももう1年も前の話です、気にする必要はありませんよ……」

【記者】
「そうですか……それでは最後に1つだけ伺わせてください。
今日のこの個展の中で、彼方が1番好きな絵はどれなんでしょうか?」

【神谷】
「今日の中で、ですか……」

好きな絵、か……勿論全部好きなのだが、その中でもこれはというのはどれだろう?
2人で歩みを進めながら、順繰りに絵を見つめながら答えを探す。

『朝顔』、『森林浴』、『桜道』……もう何度も眼を通した作品だけど、この中で1番というのは。
やっぱり、俺にはあれ以外選ぶことなんて出来ないだろうな。

【神谷】
「どれもとても好きな作品ですけど、中でも一番を選ぶとすれば………これでしょうね」

2人で足を止めた先にある作品、それは彼女が生涯で一番最後に書き上げた作品。
『諏訪 蓮見』、それがこの作品のタイトル……

【記者】
「何か特別な思い入れでもあるんですか?」

【神谷】
「ええまあ、これを描いている時、彼女と少し訳ありだったんですよ……」

【記者】
「そうなんですか……」

それ以上記者の人が聞いてくることは無かった、覚ってくれたのだろうか?

【神谷】
「ですが、私が本当に好きな絵は、これじゃないんですよ」

【記者】
「どういうことなんですか?」

【神谷】
「私が1番好きなのは、彼女のラフスケッチなんです。
でもさすがにラフスケッチを展示するのはちょっと躊躇われてしまって」

俺の言葉に、記者はただうんうんと頷くだけだった。
深く踏み込んではいけない、まるでそのことを心得ているように、記者の人は自分の手帳にペンを走らせていた。

……

【記者】
「今日はどうもありがとうございました、ご協力感謝します」

【神谷】
「こちらこそ、大したことも云えなくて申し訳ないです」

【記者】
「いえいえ、本当はこの場で謝礼を渡せれば良かったのですが、飛込みだったので申し訳ない。
後日改めてお送りいたしますので、住所をお願いできますか」

記者の差し出した手帳に、サッと住所を記入する。

【記者】
「お手数をおかけします、来週の号で特集されると思いますので、発売したら手に取っていただけると幸いです。
何か問題がありましたら名刺に番号がありますのでご一報ください、それでは、色々とありがとうございました」

深々としたお辞儀と、とても丁寧な握手を交わし、記者は会場を後にした。
記者が帰った後、会場の方に目を向けると、そこにはまだ多数のお客さんが絵を閲覧している姿が見て取れた。

【神谷】
「………俺のわがままで、申し訳ありません。 ですが、彼方の絵はやっぱり大好評ですよ…蓮見さん」

会場に目を向けながら、ぼんやりとさっき記者に云った科白を思い出していた。
1番好きなのは彼女のラフスケッチ、それは……

……

諏訪さんの死後、俺は諏訪さんの部屋へと訪れていた。
もう主の帰ってこない部屋には、今でも多数の絵が置き去りになったままだった。

【神谷】
「……」

絵を眺めていると、様々なことが頭の中をまわり始める。
この絵を描いている時、一体諏訪さんはどんなことを想いながら描き上げていったんだろうか?
この絵を描いている時、諏訪さんはどんな感情で自分のことを考えていたのだろうか?

1人で悩み続け、こうして日の目も浴びずに描き続けられた多数の絵画たち。
こいつらを描きながら、諏訪さんは一体何を……

【神谷】
「おっと……」

1つずつ絵を眺めていると、なにかの拍子に当たったのであろうか。
机の上に並べられたスケッチブックの1つが、机の上からドサリと落ちてしまった。

そのスケッチブックを拾い上げ、パラパラとページを流して見る。
やはりスケッチブックなだけに、とても簡単に描かれた物だけが目に付くのだけど……

何ページか捲っているうちに、俺の手が自然と止まってしまう。
それはラフではありながら、他の物よりも細かくしっかりと描き込まれた一枚のスケッチ。

しかしこのモデル、このモデルはどこかで……

【神谷】
「俺……なのか……」

描かれていたのは男性の顔、見た瞬間にどこかで見たことがあると思ったのだけれど。
やはりこれは、俺の顔だよな?

そのページの下部にはタイトルなのであろうか? 『ワタル』と記されていた。
ワタル = 渡 、やはりこれは俺と見て間違いないのだろう。

【神谷】
「諏訪さんが、俺の……」

どうしてなんだろうと思い、そのページの裏を捲ってみると。

『愛しい人』と、とても綺麗な字で書かれていた……

【神谷】
「!」

それを見てしまったら、もう堪えることなんて出来はしない。
俺はスケッチブックを抱きしめながら、大粒の涙を流していた。

まさか諏訪さんが、俺にそんな感情を持ってくれていたなんて……
まったく、2人ともアプローチが下手くそなんだな……

その日から俺は、諏訪さんを『蓮見さん』と呼ぶように変えていった。

……

【月花】
「何ぼぉっとしてるの?」

あの時のことを思い出していると、突然の月花の声に現実へと思考は戻ってくる。

【神谷】
「え……」

【月花】
「主催がぼぉっとしてたら駄目じゃないか」

【浩徳】
「まあ良いじゃないですか、私たちと違って、神谷は特別な思い入れがあるのですから」

【月花】
「それもそっか……ねえねえ、さっき背広の人と2人でいたけど、何してたの?」

【神谷】
「ああ、なんでも雑誌記者の人なんだって」

持っていた名刺を取り出して2人に見せると、2人とも同時になるほどと頷いた。

【浩徳】
「しかしなんでしょうね、1年ぶりにお2人と再会しましたけど。
神谷、君は随分と変わりましたね」

【月花】
「だよね、私も今日会ってびっくりしたんだから」

【神谷】
「? 俺太ったか?」

【月花】
「そーいうことじゃなくてー、なんだかさ、学校にいた時に比べてとても生き生きしてるって云うのかな。
なんだか不思議、あの頃と同じ渡だとは思えないよ」

そういうことか、そんなことは当然じゃないか、だって。

【神谷】
「蓮見さんが、さ」

あの人が最期に俺に伝えてくれた想い、それは残された時間を精一杯生き続けること。
こうしている間にも俺の命は少しずつ減っている、だけど、それでもう暗くなることは止めにしたんだ。

諏訪さんにあんな笑顔で約束されてしまっては、気持ちが変わって当たり前だよ。

【月花】
「蓮見さんか………つらくないわけ、ないよね」

【神谷】
「そりゃな、だけどさ、いつまでも辛い辛いって云ってたら、またあの人に怒られるような気がしてさ」

【浩徳】
「あの神谷がここまで変わったんですから、あの人は凄い方だったんですね。
さて、我々はこれで失礼するよ」

【月花】
「うん、それじゃあまた、暇な時間があったら遊び来てね」

【神谷】
「あぁ」

会場の外まで浩徳と月花を見送り、手を振る2人に俺も手を振り返した。
2人の姿が見えなくなると、まるでそれを待っていたかのように太陽の光が俺をキラキラと照らし出した。

【神谷】
「俺はなんとかやっていけてますよ」

真っ青な空を見上げながら、眩しい太陽に少しだけ眼を細めて呟いた。
それはもう絶対に伝わることの無い人への、俺からのメッセージ。

【神谷】
「2人して気持ちを出すのが下手なんですから、やっぱり俺たちは似た物同士なんですね」

太陽の光が雲に遮られて揺れる、それはまるで空が笑っているような、とても不思議な光景に見える。

【神谷】
「もう遅くなっちゃいましたけど、云わせてください……」

ゆっくりと眼を閉じて、ぼんやりとした光の中へ向けて。

【神谷】
「……俺も、気持ちは同じですよ、蓮見さん」

云い終わって再び眼を開ける、そこにはさっきまでと変わらない景色の姿。
いや、今も光の形は変わり続けているのかな。

【神谷】
「残された時間がある限り、俺はあがいて見せますよ、それが、彼方との約束ですからね」

振り返ってもそこにあの人がいることは無い、だけど、あの人の想いはいつだって俺の中にある。
それを無駄にしないためにも、俺は約束を果たしていこう。

【神谷】
「心残りがあるといえば、蓮見さんこそ、一度だって俺の名前を呼んでくれたことは無かったですよね」

名前はおろか、苗字でさえ呼ばれたことは無い。
いつだって『君』と呼ばれ続けていた、最後の最期でもあの人は俺を君と呼んでいたな。

だけど、あのラフスケッチ。
あの中では一度だけ、俺のことを『ワタル』って呼んでくれていましたね。

それだけでも、俺は満足なんですよ。

【神谷】
「仕事、戻りますね」

踵を返して会場の中へと戻る、そこには『絵画展 諏訪蓮見』と書かれた看板が、とても誇らしげに。
まるであの頃の諏訪さん自身のように、とても誇らしげに立てかけらていた。



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