【symphony 『princess knight』The second movement】


二人揃ってびしょ濡れになった服を太陽の熱で自然乾燥……
と、上手くいかなかったので近くのコインランドリーにとりあえずモニカの服を全部放り込んだ。

勿論俺のシャツを着せてからだ、今のモニカなら俺のシャツを着るだけでも
上手く全部隠れてくれている。
濡れてて気持ちが悪いかもしれないが、まあ我慢してもらおう。

【刀満】
「……」

【モニカ】
「お前は自然乾燥か、意地張らずに刀満も乾かせば良いのに」

【刀満】
「全部乾かしたら俺が裸になるじゃないか、そんなことしたら捕まるよ」

上半身くらい裸でもきっとお巡りさんは捕まえないはずだ。
ここ海だし、きっと違和感なく映ってると思う……思いたい。

【モニカ】
「しかし、世界は広いと云うが、まさにその通りだな。
この海の広さを前にしたら、私のしていることなんてどうせ小さなことなんだろうな」

【刀満】
「どうした、モニカらしくもなく悲観的になって?」

【モニカ】
「考えてもみろ……私がこの世界に来てしたことと云えばなんだ?
刀満のクラスメイトを屠った、それだけじゃないか?」

【刀満】
「それだけじゃないだろ、毎日見回りして犠牲者を出さないようにしてる。
それだって立派な仕事としてこの世界に貢献してるじゃないか」

【モニカ】
「刀満がそう云ってくれるのは有難いのだが、結局私は目的を全く果たせていない。
カリス達は討てず、奴等が生み出した眷族も増え続ける一方だ。
倒しても倒しても、それと大体同じ数増えるのだからこのままでは埒があかんさ」

【刀満】
「となるとどうしたもんか、掃討作戦でもするかね?
モニカと俺、後千夜もきっとやらせろって云うだろうし」

【モニカ】
「千夜を巻き込むのは得策じゃない、あの妖怪ならともかくとしてだ。
それに、当たり前のように刀満が数に入っているが、いい加減刀満も引き際を見分けたらどうだ?」

【刀満】
「ここまで来てまだそういうこと云うか、モニカが誘った、俺は乗った。
だったらもう議論するのも莫迦莫迦しいだろ」

あの時、力を差し伸べたのはモニカだ、その力を受け取ったのは俺だ。
モニカは手を差し伸べる義務はなく、俺も受け取る義務はなかった。

それでもモニカは手を差し伸べ、俺はその手をとった。
これは二人の思惑が合致したことに他ならない、それを今になっての文句は通じないさ。

【モニカ】
「……すまんな、折角刀満が気を使って私を連れ出してくれたのに
ここでこんな会話をする私は最低だな、今の話は忘れてくれ、少なくとも今する会話じゃない」

【刀満】
「今じゃなくたってもうその会話はしねえよ、俺はこう見えて強情なんだ。
一度そう決めたら目的達成までは死ぬまで頑張るつもりだからな」

【モニカ】
「刀満の科白とは思えんな、いや、私がそんな面しか見ていなかっただけか」

【刀満】
「そういうことだな、だから俺は俺なりに入瀬の願いも叶えようと思う。
俺なんかにどうできる問題でもないとも思うけどさ」

【モニカ】
「そういう気持ちがあるだけでも、十分だよ。
だけど無茶だけはするな、あくまでも刀満はこっちの世界の人間なんだからな」

【刀満】
「俺が無茶できるようなとこなんてねえよ、俺なりに頑張るだけさ。
だけど俺だって、いないよりはマシ程度にはなるだろう?」

【モニカ】
「どうだろうな?」

【刀満】
「なんだよそれ」

真面目に話してたつもりだったのに、最後の最後で空かされた。
こんなことがあるから、俺はまだ身体半分日常に残せているんだろうな……

……

モニカの服が乾いたので、モニカに着替えを済ませて着ていたシャツを返してもらう。
多少パリパリしているものの、太陽の自然乾燥も案外莫迦にできないな。

【刀満】
「まだ泳ぐには早かったけど、今度は泳げる時期にでもまた来るか?」

【モニカ】
「あのなぁ、そんな時期まで奴等を討てないなら私のプライドが崩壊してしまうぞ。
そこまで長期間にわたって奴等とあいまみえるつもりなど私にはない」

【刀満】
「それもそうだな、じゃあどっかの室内プールでも行くか?
海も見たことないってことは、モニカ泳げないだろ?」

【モニカ】
「莫迦にするな、海で泳がなくとも泉で泳いだことぐらいあるさ。
もっとも、刀満にしてみれば泳げるに入らないくらいかもしれんがな」

【刀満】
「じゃあ俺が教えてやろうか? これでも無駄に泳ぎは出来る方だぞ」

【モニカ】
「だから、行けるかどうかもわからんのに仮定の話を先に進めるな。
もし万が一にもそんなことになったら、その時私から刀満に話を振る、それで良いだろ」

うぅむ、きっとこいつのことだからその時になっても話なんて振ってこないだろうな。
そもそも俺は一つ大きな見落としをしていた。

……水着、持ってるわけないよな。

さすがに俺が買いに行くわけにはいかない。
もしそうなったら、俺もその時千夜にでも頭を下げて頼むしかなさそうだな。

【モニカ】
「これからの予定は、何か決まっているのか?」

【刀満】
「さすがに俺の中ではもう出尽くしてるんだよな。
なんかしたいこととか見たいものでもあれば連れてくけど、どっかあるか?」

【モニカ】
「特にはないな」

だよな、そう云うと思ったよ。
となると手詰まりの俺にはもう行くところもないわけで、帰るっていう選択肢しかないわけだ。

帰っても良いんだけど、帰った後の時間の消費が……
あれこれと頭を捻っているうちに、頭の片隅にあったあることが思い出された。

【刀満】
「モニカ前に機会があったら国の料理作ってくれるって云ってたよな?」

【モニカ】
「そんな話もあったか、私の料理が食べたいとでも?」

【刀満】
「モニカの料理というか、モニカの国の料理は食べてみたいな。
これでも基本一人暮らし、料理の知識はいくらあっても困らないからな」

【モニカ】
「私の料理などで良いのか? 世辞にも上手いとは云えんぞ?」

【刀満】
「そんなの折込済みだよ、だけど作り方がわかれば俺には出来る」

【モニカ】
「遠回しに私がやるよりも上手く出来ると云っているのも同じだな。
私が教えながら刀満が作るほうが良いんじゃないか?」

それじゃ何にも面白くないんだよ。
多分覚束ないであろうモニカの料理を見るのが楽しみなんじゃないか。

【刀満】
「俺がやってもしょうがないだろ。
それに俺まだモニカが一人で料理するとこ見たことないし」

【モニカ】
「……はぁ、仕方がない。 今日だけだぞ」

……

【刀満】
「それで、何作ってくれんだ?」

【モニカ】
「私の国の家庭料理だ、もっとも材料は同じでないから近い物しか出来ないがな」

【刀満】
「案外日本は似てる物入れるだけで結構同じになったりするから大丈夫だろ。
って、モニカはこっちの食べ物ほとんど知らないんだったな」

【モニカ】
「刀満が作ってくれた物から元の味を導き出すしかないさ。
もしかすると、とんでもなく不味い物になるかもしれんがな」

【刀満】
「その時はその時だろ、で、メインになるのは肉か? 魚か?」

【モニカ】
「肉なのだが……なんて云うのだろうか、野性味のある味の肉。
といって、刀満が一番に思い浮かべるのは何だ?」

【刀満】
「野性味のある味の肉? いきなり難題だな……」

ポピュラーな牛・豚・鳥はこの時点で排除された。
その他の肉というと猪なんかは結構クセがあるのだけど、そんなもの売ってるとは思えないし。

【刀満】
「羊……ぉ、マトンなんてどうだ? 野性味というよりは、クセの強い香りがある肉なんだけどな」

【モニカ】
「じゃあそれが一番近いだろうな、他にはいくつか薬草の類がいるのだが」

【刀満】
「薬草なんて日本じゃ売ってねえよ、ハーブか何かならいっぱいあるから
一つずつ匂い確かめて近いやつ使うしかないな」

がらがらとカートを押してモニカを案内する。

なんだろう、普段一人で押している時は何も気にならないのに
モニカがいるだけで変に気になってしまう。

そもそも誰かとうこうやって晩飯の買い物をするのは久しぶりだ。
両親がまだ家にいたころは母親と連れ添って夕飯の買出しに来たけど、いなくなってからは常に一人だな。

姉さんはあんなだし、千夜を連れてくるのも何か違う。
やはりあれだ、誰かを養うということは好きになるとこうも充実するもんなんだな。

姉さんには何食べさせても反応が鈍いし、千夜は養ってくれる親がいるもんな。
そこに来てのモニカの宿借りは、俺を充実させるのに十分だった。

うん、これで俺は良い主夫になれそうだ。

……えぇと、何を考えてたんだったかな?


【モニカ】
「クン……これとこれ、これは……うっ、こんな強い香り私の国にはないぞ」

パクチーだ、慣れないとあれはきついからな。
一つ一つ香りを吟味、時折その香りに顔をしかめているが近い物は結構あるみたいだ。

【モニカ】
「こんなものか、後は……葡萄酒は、あるのか?」

【刀満】
「葡萄酒って甘いやつだろ、甘口ワインぐらいなら売ってると思うけど」

カートを押してワインやらビールやらの酒売り場で、二番目に安い甘口ワインを選んでおく。

【刀満】
「他には?」

【モニカ】
「これで十分だ、私に何品作らせるつもりだお前は」

【刀満】
「2、3品作ってくれても良いんじゃないのか?」

【モニカ】
「私はそんなに作れる種類がないんだ。
今日一日でそんなに作ったらあっという間に手詰まりになるじゃないか」

そんなに少ないのかよ……
だけどそれって、裏を返せばまた作ってくれるってことになるよな?

【刀満】
「じゃあモニカの料理はメインだな、後は俺が2品くらいなんか作るよ」

【モニカ】
「メインが刀満の料理に容易く負けるというのも、私としてはイタイのだがな……」

それはまあ、仕方ないじゃん、ねぇ?

……

【刀満】
「しっかしいつ見ても似合ってるな、似合いすぎてるって云った方が良いのか」

【モニカ】
「フン、なんとでも云えば良いさ」

エプロンに三角巾、前と同じ格好をさせたのだけどこれが恐ろしいまでにぴったりとくる。
まさに初めてのお手伝いといった感じだ、今日はこいつの方がメインなんだけどな。

【刀満】
「モニカの料理って時間かかるのか?」

【モニカ】
「私の手際が悪いのだから時間はかかって当然だが
わざわざそんなことを聞いて、私を落胆させて楽しいか?」

【刀満】
「ちょ、包丁向けんな! あんまり時間かかるものだと、俺が今一緒に作ってもしょうがないだろ」

【モニカ】
「それもそうだな、私の手際の悪さを考えても……一刻あれば何とかなるだろう」

二時間か、中々ロングランな調理だな。

【刀満】
「ちょうど食べごろになるころ俺も作り出せば良いか。
さてさて、そんじゃあお手並み拝見といこうか」

【モニカ】
「先に云っておくが期待するなよ、って云わずもがなか」

前置きをきっちりと置いてモニカがまな板へと向かう。

【モニカ】
「クリウス一つがこれくらいだから、大体の大きさは……」

聞きなれない単語はお国の言葉なんだろう。
……おいおい、随分と莫迦でかく肉を切るんだな。

【刀満】
「そんなでかくて火が通るのかよ?」

【モニカ】
「心配するな、多少生でも死にはしないさ。
確かこのに刀満が……あったあった」

切ったマトンに小麦粉をまぶす、心配なのはあれが本当に小麦粉かどうかというとこだな……
粉をまぶしたマトンを今度はフライパンへ、なんだちゃんと調理出来てるじゃないか。

【刀満】
「やれば出来るじゃないか、ちゃんと焼く前に粉もまぶしてるし」

【モニカ】
「見様見真似だよ、国でこうやっている者がいたからな。
そいつに教わった物だから、美味くなかったらそいつのせいだな」

【刀満】
「モニカの手順ミスの間違いだろ?」

【モニカ】
「外野は黙ってろ!」

そんな怒らなくても良いじゃないか……
この後一体どんな調理をするのかと思ったのだけど、この先は驚くほど簡単に事が進んでいった。

軽く両面を焼いた肉を鍋に移し、そこにワインを注ぎいれる。
家にあった野菜をいくつか切って中へ、後は数種類のハーブを入れて。

【モニカ】
「月桂樹……よし、これで下拵えも全て終わりだな。
後は弱火で半刻も煮込めば完成だよ」

【刀満】
「随分と簡単な料理だな、モニカの国独自の隠し味とか何かないのか?」

【モニカ】
「刀満がどこまで私の国の味に順応出来るかわからないからな。
とりあえず、この国の物でも簡単に再現出来そうな物を選んだんだが……」

【刀満】
「モニカなりの配慮ってことか」

日本で名前を付けるとすれば、マトンの赤ワインにといったところだろう。
牛肉でやることはよくあるけど、マトンに臭いがどこまで料理に馴染んでいるかの興味がある。

【モニカ】
「私の番はこれで終わりだな、ここからは刀満に選手交代だ」

【刀満】
「はいよ、とはいうもののあと一時間もかかる料理する気もないんだよな。
良い時間になるまで、前作ったケーキでも食べるか?」

食事前にケーキを食べるというのもどうかと思うのだけど
千夜もそういうこと平気でやるからきっと大丈夫だよな?

……

ピンポーン

【千夜】
「お邪魔ー♪」

俺がでる前に千夜が入ってくる、もうこの家の日常なので何も驚かない。
それ以前に、今日は俺が千夜を呼びつけたんだからな。

【千夜】
「おーやってるねやってるね」

【刀満】
「もうほとんど終わってるけどな、後10分ってとこか」

【モニカ】
「な、何だ二人とも、話が見えてこないぞ?」

【千夜】
「モニカが料理を振舞ってくれるから来いって刀満に呼ばれたの」

【モニカ】
「なっ! 刀満、何勝手なことをしているんだ」

【刀満】
「折角モニカが料理するんだから、千夜も呼んだ方が面白そうだろ?」

皆で食べる方が美味しい、ではない。
一人でも多い方がなんか面白そう、と俺の頭は理解していた。

…………酷い。

【モニカ】
「はぁ……刀満にも云っておいたが、期待はするなよ」

【千夜】
「普段料理しないモニカの料理なんだから、私だってそれ相応の覚悟はしてるわよ」

【刀満】
「酷ぇ……」

それははなから美味いという可能性を排除した意見です……

【刀満】
「ま、どうなったか皆で食べてみようや。 もう良い頃合じゃないのか?」

【モニカ】
「うん……」

モニカが鍋を開け、煮汁を一口舐めた。
……渋い顔はしていない、てことは大丈夫か?

【モニカ】
「こんなところだな、確かクリームの類が買ってあったと思うのだが」

【刀満】
「これだな」

【モニカ】
「これをこう盛って、煮汁を少し浮かべて、最後にクリームを」

砂糖の入っていない生クリームを最後にひとまわし。
なんだかどこかで見たことのある料理になったな。

【モニカ】
「ふぅ、これで完成だ」

【千夜】
「滅多に料理しないって云ってた割には見た目は良いね」

【モニカ】
「味は保障出来んがな……それと、二人にはクセが強いかもしれない」

肉に鼻を近づけてみると、なるほどこれは嫌いな人は天地がひっくり返ってもダメだろうな。
元々マトンは好き嫌いが激しいが俺は気にしない、千夜はどうだかしらないけど。

【刀満】
「どれどれ……うん、俺は別に大丈夫、マトンが嫌いなやつには無理だろうな」

【千夜】
「あー、これは人選ぶかもね。 だけどこれなら私も大丈夫、良い味じゃない」

【モニカ】
「そうか、それなら良いのだがな。
ふむ……完全に同じとは云わんが、ある程度近くは出来たようだな」

【刀満】
「本場はこれとどう違うんだ?」

【モニカ】
「若干こっちの方がクセが強いか、もう少し肉の臭いが抑え目だよ」

【刀満】
「ラムで作ればもっと近くなったのかもしれないな。
作り方もいたって簡単、今度からは俺にも作れるな」

【モニカ】
「刀満には悪いが、あまりこの料理は作らないでくれ。
郷に入っては郷に従え、この国にはそんな言葉があるらしいじゃないか」

【千夜】
「また小難しい言葉覚えたわね、普通はお国の味が恋しくなるものだけどね」

【モニカ】
「それだけ刀満の味が舌に合ったという事さ。
何を食べても新鮮な気持ちでいられるのは良いことだから」

【刀満】
「俺の料理にそう云ってくれたのはモニカが初めてだよ。
そう云われると、明日は腕によりかけて何か料理がしたくなるな」

何回も云うようだが、俺の料理にしっかりと
良い感想いってくれるのはモニカだけなんだよ……

【千夜】
「だけどモニカの料理も普通にいけるよ。
さすがにやり慣れた刀満には劣っちゃうけどね」

【刀満】
「これで俺が負けてたらもうやってらんねえよ……
ほとんど初めての料理のくせに、これだけ味を再現できたんならたいしたもんだけどな」

【モニカ】
「……」

【刀満】
「どうした、何か気に入らない点でもあったか?」

【モニカ】
「いや何、ただな、剣を振るう以外で褒められることなんてほとんどないから。
良いものだな、人に剣以外のことで喜んでもらうというのも……」

……なるほど、やはりモニカであろうとも多少はそういうことも考えてるのか。

本当はただモニカの料理を食べてみたいだけだったのだけど、これは思わぬ形で
モニカの気持ちに変化を付けさせて上げれたみたいだな。

……

早めの夕食が終わったので、今日は見回りもいつもより早い。
まだ夜は更けきっておらず、尾びれにどこかまだ明るさを携えて俺たちを見下ろしていた。

【刀満】
「こんな早くに来て良いのかよ?」

【モニカ】
「恐らくダメだろうな、だが今日は見回りが主ではないんだよ。
あまり良いことではないが、今日の見回りは一種のおまけだ」

【刀満】
「モニカがそんなこと云うなんて珍しいな、じゃあ今日の目的って何なんだよ?」

【モニカ】
「千夜の家に行くぞ」

【刀満】
「千夜の? ならなんでさっき行くとか云っておかなかったんだよ。
二度手間になるじゃないか」

【モニカ】
「用があるのは千夜じゃない、あの狐の方にさ。
あんなやつでも一応は千夜を守護するもの、伝えておいて悪いことはないだろう」

【刀満】
「何を伝えるつもりだよ?」

【モニカ】
「私が追っている敵の数、それとあいつが死んだこともな」

【刀満】
「そういうことか」

入瀬が死んだことは俺とモニカしか知らない事実。
千夜の脅威になる可能性である入瀬が死んだことは、橘禰さんの耳に入れておいても良いことだ。

【刀満】
「ならとっとと見回り終えて千夜の家に……あ、しまった」

【モニカ】
「どうした?」

【刀満】
「今日買い物したついでに買おうと思ってた明日の朝飯のパンがない。
悪い、先に千夜の家に行っててくれるか、一っ走りパン買いに行ってくるわ」

【モニカ】
「無理して一人で来なくても良いぞ、何ならそのまま家で待っててもらっても構わんが」

【刀満】
「またなんやかんやと橘禰さんと喧嘩するからダメ。
俺が行ってまた喧嘩してるようだったら明日の朝飯抜きだからな!」

【モニカ】
「気の締まらない脅し文句だな」

ほっとけ……

……

【刀満】
「何とか買えたか」

コンビニやスーパーで売ってる既製品の食パンではなく
ちゃんとパン屋で焼いたパンを食べるのが俺の決まり、これだけは譲れない。

この時間まで食パンが売ってるなんてまさに奇跡だよ。

【刀満】
「さってと、もう一走りいきますか」

バキィッ! ドガ!!

【刀満】
「うん?」

なんだろうか、路地の奥の方から音がする。
何かと何かがぶつかるような鈍い音、どこぞの世界の人が喧嘩でもしているのだろうか?

【刀満】
「触らぬ神に祟りなし……」

そう自分に云い聞かせ、路地から向き直ろうとした瞬間。

【刀満】
「っ!!」

路地先で僅かに開放された小さな交差路、そこを黒い影が横切った。
極々普通の一般人が通り過ぎたようにも見えた、だけど感覚はその答えを否定していた。

あれは、カリスたちが生み出した副産物、人型だ。

【刀満】
「……」

好奇心は身を滅ぼす、よく云ったもんだ。
滅ぶわけになどいかないが、このまま見過ごしてしまうのもいかがなものか。

本能ではかかわってはいけないとわかっているが、俺の足は路地の奥へと向いていた。

ガスッ!! バキバキバキ!

生々しい音は大きくなり、路地の曲がり角すぐ先から聞えていた。
路地の壁を背に、少しだけ顔を出して様子を伺ってみた。

【男1】
「そうら、まだ足りないかぁ!?」

【男2】
「……」

街灯の僅かな明かりの中に映し出されていたのは、二人の男性。
ガタイの良い男性と、すらりとしたホスト風の男性。

ガタイの良い男性が人型に襲われている……という風にはどうにも見えなかった。
男性の方が押している、馬乗りになって人型を殴りつけていた。

確かにモニカも人型と互角に渡り合ってはいたけど
あの人間離れした力を、こうも容易く組み伏せられるものなのだろうか?

【男2】
「ん……?」

ホスト風の男性が俺に気付いたのか、ちらりと視線を向けた。
顔がこっちを向ききる前に素早く顔を戻し、急いで路地を戻る。

【男2】
「……」

【刀満】
「!」

路地を抜けるよりも早く、男性は路地の入り口から現れた。

【男2】
「このことは、他言無用でお願いしますよ。
我々もことを大事にはしたくないんですよ、お分かりいただけましたか?」

男性は優しい声で、穏やかな笑顔で告げた。
俺は小さく頷き、後ろも振り返らずに走ってその場を後にする。

男性は優しく、顔も笑顔だったのだが……その全てに寒気を感じていた。
あの人にかかわってはいけない、本能は正直にそれを訴えかけていた……

……

コツコツと靴を鳴らし、男性は路地の裏へと戻っていく。

【男性2】
「食事は、終わりましたか?」

【男性1】
「あぁ、今さっきな」

ガタイの良い男性はむっくりと立ち上がり、首をグリグリ回し、大きく息を吐いた。

【男性1】
「お前どこへ行っていたんだ?」

【男性2】
「いえいえ、ちょっとご挨拶に伺っただけですよ。
他言無用をお願いするためにね」

【男性1】
「見られたのか?」

【男性2】
「見られたからどうだというわけではありませんよ。
唯一つ、気になる点はありましたけどね」

【男性1】
「お前が何を考えているのかなんて俺に興味はない。
腹も膨れたことだ、とっとと寝てしまおう」

【男性2】
「お休みなさいませ、ではまた明日」

くるりと踵を返し、またコツコツと音を鳴らして路地を後にする。

【男性2】
「僅かに漂った匂い、勘違いだと良いんですけどねぇ」

男性はポツリと呟き、夜が支配を終えた世界へと溶け込むように消えていった。






〜 N E X T 〜

〜 B A C K 〜

〜 T O P 〜