【好きなる連立方程式】
【成平】
「ぅぅぅ……さむ……」
ハァッと吐き出した息が白い靄となって世界に主張を始めた。
そんな主張は長く受け入れられるわけもなく、あっという間に無かったことにされてしまった。
はらはらと柔らかく降る綿雪が、肩と頭に積もる前にぱぱっと払い落としていく。
水雪でなくて本当に良かった、これなら僕だけでなく振袖を着た女性たちも困ることは無いだろう。
【成平】
「しっかし、遅いなぁ……」
集合時間を決めた張本人がまだ到着していない。
あの人は人が決めた時間にはルーズだけど、自分が決めた時間には少々しかルーズではない。
まぁ、ルーズであることには変わりないのだけど……
公園の噴水中央から伸びる柱時計はすでに12時を回り、次の日へと時間をまたいでいた。
今日は日だけでなく、年も一緒にまたいでしまったわけだけど。
【成平】
「うぅうぅ、もう一枚くらい下に着るべきだったかな……」
僕が予想した以上に今年の夜は寒かった。
もう一枚着てたぶんちょうど良い程度、その一枚が無い僕にはこの寒さに放置は堪えるよ。
【成平】
「仕方ない、何か温かい物でも……」
【?】
「よ、お待たせ」
【成平】
「ひぅ! ぁ、あつ!?」
突然首後に感じるありえない熱さに思わず変な声が出てしまった。
【?】
「ぁ、ごめんごめん。 やっぱり首筋じゃ熱かったか」
振り返るとそこにいたのは僕を呼び出して時間を指定した張本人。
生徒会会長……改め、革命会総帥・ヒ呂尋々その人だった。
【成平】
「な、何したんですか!?」
【尋々】
「いやなんだ、自分で指定しておきながら寒空の下に待たせちゃったから。
私からのささやかな罪滅ぼしというか、施しというか。 まあ良いや、温かいのどうぞ」
会長から受け取った缶には粒たっぷりお汁粉って書いてある。
粒たっぷりお汁粉って、お汁粉は漉し餡で作るんだけどなぁ……
まあどうでも良いかそんなこと、地方によっても解釈の違いはあるだろうしね。
【尋々】
「んく、んく……ぱぁ、雪降る寒空の下でお汁粉、なんか負け組みな感じがするよ。
お汁粉は炬燵やヒーターに当たりながらぬくぬく食べるもんだよね?」
【成平】
「それは人それぞれだと思いますよ僕はどこだろうと温かければ良いですけど」
【尋々】
「冬に冷たいお汁粉なんて御免よ。 大体ナルヒラ君は情緒を楽しむってことに欠けてるのよね。
人の人生はどんなくだらない事にでもどれだけ拘ったかで格が決まるものだよ」
【成平】
「すると、会長はどんなくだらない事にでも真剣に拘ってきたと?」
【尋々】
「勿論さ。 私が行ってきた改革の中に、一つでも手を抜いたものがあったかしら?」
そう云われるとなんに対しても会長は真剣だったと思うけど。
真剣だからって何しても良いってことにはならないわけで、目的は手段を正当化出来ちゃいけないわけだし。
【成平】
「もう長くないんですから、これ以上無茶はしないでくださいよ?
無茶のしすぎで内申点下がりに下がって留年、なんてことにはならないでくださいね」
【尋々】
「留年して君ともう一年って考え方もあるけど、さすがにそれはないからね。
私は一年って決められた中で壊せるだけ壊した、後処理までするつもりは毛頭無いよ」
つまり会長は最初からやりたいだけやって後のことは知らないで乗り切るつもりだったってことか。
次期会長は大変だぞこれは、なんせしこたま壊された廃墟に新しくなんか作れって云われるんだから。
【成平】
「あ、ところで会長、振袖なんですね」
いつもの服装は割と大雑把で、これといってお洒落に気を使ってはおらず
特別な日だろうと普段通りの服しか着ない会長が振袖とは珍しい。
【尋々】
「はぁ、やっと指摘してくれたか……あのさちょっと良い?
女の子が、しかも君の彼女である私が普段じゃしないようなお洒落してきてるんだよ?
まず第一にそこを指摘しないとダメ! 女の子は誰だって褒めてもらいたくてお洒落するんだから」
お、おぉぉぉー、あの会長が女の子らしいもっともな意見を云ってる。
しかも僕は怒られてるみたい、これが普通の男女のごく自然な会話なのかな?
【成平】
「ぁ、えぇと、すいません」
【尋々】
「謝罪なんてどうだって良いよ、で、どうなのさ?」
【成平】
「どうって、何がで……」
すか? と云おうとしたが、会長の眼が少し本気になっているので尻尾は飲み込んでおいた。
これはやっぱり、似合っているかどうか、どこか変じゃないかを聞いているんだろうなぁ。
【成平】
「あの、正直に云っても良いんですか?」
【尋々】
「君が上手い世辞を云えるような男だとは思っていないよ。
見たままの感想で良い、君の感想が聞きたいの」
【成平】
「……似合ってると思いますよ、その、何一つ違和感が無くて逆に不自然なほどに」
【尋々】
「それ、褒めているのか?」
【成平】
「勿論ですよ、だけどどうして違和感が無いんだろう……ぁ」
【尋々】
「……ナルヒラ君、今失礼なこと考えたね?」
ぅ、やっぱり鋭い……実際僕は今会長にとって非常に失礼なことを考えた。
どうして会長に違和感が無いのか、きっと会長が小さいからだろう。
女の子の中でも一際小さい会長が振袖なんて着ると、なんか七五三みたい……
とはお金詰まれても云えるわけ無いのだけどね。
【尋々】
「はぁ、私と付き合うようになってからちょっと甘やかし過ぎたかな。
やっぱりナルヒラ君はナルヒラ君らしく、私の足元を這いずり回っててもらった方が良かったかな?」
【成平】
「そんなぁ、勘弁してくださいよ……」
【尋々】
「……はは、冗談だよ。
彼氏彼女は常に対等の立場、私の持論だけど最低限それだけは守り続けるつもりだよ」
会長はニカっと口と眼元に笑みを作り、心配するなと意思表示をしてくれた。
はぁ、やっぱり僕はいつまでも会長にこうやって振り回されるんだろうなぁ……
【尋々】
「クシュ!」
【成平】
「やっぱり振袖って寒いんですか?」
【尋々】
「多少はね、だけど私だけじゃなく、どうして黄泉のやつ来てないんだ?」
会長に呼び出されたのは僕だけでなく、副会長の黄泉先輩も呼び出されていた。
だけど、その副会長がまだ姿を見せていない。
会長と違って、いつも指定された時間の10分以上前にはそこにいるのに
今日は指定時間を30分も過ぎたのに姿が見えていない。
【尋々】
「さては、振袖着付けられなくて逃げたか?」
【成平】
「いや、副会長はそういうの出来ない人とは思えないんですけど」
【尋々】
「うん、実際私が黄泉に着付けを教わったくらいだから、着れないってことはまず無いだろうね。
だとすると……なんだあいつ、誘拐でもされたか?」
【成平】
「またえらく飛躍した考えですね」
【尋々】
「だって学生の分際であんなに胸大きいんだよ?
その手の業界の人からしたら咽から手が出るほど欲しい人材じゃないかな、あいつ顔も良いし」
確かに、副会長がそういった映像に出ればかなり売れるんじゃ……
って、何考えてるんだ僕は!
【尋々】
「あぁもう、寒空にいつまでも待ってたら風邪引くし、メール入れて私達は先行こうか」
【成平】
「いいんですか? 置いて云っちゃって?」
【尋々】
「大丈夫大丈夫、こっちから探すのは簡単だからね。
きっとおっぱいお化けって叫べば怒り心頭で私たちを見つけるはずだから」
わぁ……副会長、くれぐれも今どこなんてメールを返さないでくださいね。
……
【尋々】
「初詣行くぞ!」
学校も休暇に入り、実家に帰る準備をしている年末のこと。
予告も無く僕の部屋を訪れた会長は、開口一番にそんなことを云い出した。
勿論僕に断る権利は無く、強制参加をさせられてしまったわけだ……
出来ればそういうことは前もって云っておいてほしかったけど、相手が会長なんだからともう諦めているが本当のところかな。
【成平】
「行くって二人で、ですか?」
【尋々】
「今のところはね、女性陣にはまだ声かけてないし、カプセル怪獣どもを引き連れるつもりは無い」
【成平】
「あ、そうなんですか」
会長なりの気遣いとは勿論思っていないけど、僕はちょっとだけ嬉しかった。
実家に帰れば会長にはしばらく会えないし、その前にこうやって会えることがちょっと嬉しい気分になった。
……で、時間が流れてこの状況というわけだ。
会長が声をかけた女性陣、とは云っても副会長と美香月さんと縫宇ちゃんしかいないわけだけど。
縫宇ちゃんは波斯先輩と一緒に家族で初詣、美香月さんは寒さに弱いのでパス。
一応男性陣にも僕が声をかけたのだけど。
波斯先輩は縫宇ちゃんと、閣下はすでに里帰り、若旦那は新春の初舞台があるからということで全員都合付かなかった。
唯一付いたのは副会長だけど、その副会長もいまだ連絡が返ってこない。
【成平】
「会長って毎年初詣とか来てるんですか?」
【尋々】
「まぁーね。 お、意外だなって顔してるね」
【成平】
「それはまぁ、寒いからあんまり進んで行きたくないのが普通なのでは?」
【尋々】
「私も昔はそうだったんだけどさ、毎年黄泉が誘ってきて一緒に行っているうちに
気がつけば自然と行くようになっちゃって」
【成平】
「あ、副会長の影響だったんですか」
【尋々】
「そう、知らず知らずの内の私の頭に初詣に行けって命令を刷り込んだということさ。
だというのに、とうのおっぱいお化けは何をしているんだまったく」
ガコガコと携帯を弄くり回し、副会長のいないイライラを何かにぶつけているようだ。
【尋々】
「今年はナルヒラ君がいるから良いけど、いなかったらどうするつもりだったんだ。
一人寂しく初詣なんて、何が楽しくてやってられるんだか」
【成平】
「会長はどんなことでも楽しくないと気が済まないですからね」
【尋々】
「……」
【成平】
「あれ、どうしました?」
【尋々】
「あのさ、いい加減慣れてくれないかなぁ。 会長会長って、私には私固有の名前があるんだよ。
その、なんだ……あの時、ヒロミって呼べって、云ったでしょ」
【成平】
「ぁ……」
会長がすっと視線を外す、僕にこのことを指摘するたびに同じ反応を返している。
あの時、つまりは僕と会長が付き合うようになったの日に、会長は自分をヒロミと呼べと云ってきた。
それは二人が一線を越えた証であり、僕が会長に並んだ免許皆伝のようなものだ。
だけどそれは二人でいるときに限定され、第三者がいる場合には普段どおり会長と呼ぶことになっていた。
勿論それは会長が決めたことではなく、僕自身が自分で決めたことであり、普段からそう呼んでも良いとは云われたけど……
どうしても僕は会長のことをヒロミとは呼べないことが多い。
それが会長にとっては不満らしく、いつもいつもこうやって指摘されている。
【尋々】
「黄泉なんかがいるときはそれでも良いけど、二人のときくらい名前で呼んでほしいんだけど……」
普段どことなく女の子らしくない会長だけど、二人のときは時折こんな風になる。
その度に僕は嬉しいような、どうしたら良いのかわからない困惑で応えが遅くなってしまう。
【尋々】
「私の方が年上だから、さん付けはまあ許してあげるにしても。
二人のときに会長って呼ばれるのは、なんだか寂しいんだよね」
【成平】
「すいません……」
【尋々】
「そこで謝らない、謝るよりもまず私をヒロミって呼ぶこと。 云ってごらん」
【成平】
「……ヒロミ、さん」
【尋々】
「よし、じゃあ今日この先、会長って一回呼ぶたびに私から君に罰を与えます。
罰の内容は、その都度その都度お楽しみにね♪」
全然楽しみではないですよそれ……
……
普段は少しも人がいないくせに初詣となれば話は変わる。
有名どころの比ではないが、ここでもそれなりに人が訪れているようだ。
僕と会長は人ごみに飲まれて押し潰されないように、ぴったりと寄り添いながら少しずつ進んで
お参りを済ませた。
だって、会長が飲み込まれたらこの中から探すのはまず不可能……小さいから。
【尋々】
「さぁて、次の罰はと……ナルヒラ君、お神酒買ってきて」
【成平】
「お神酒って、会……ヒロミさんまだ未成年じゃないですか」
【尋々】
「硬いこと云わないお正月から、私が買いに行ったらまず断られるんだから。
さっき会長って呼んだ罰だよ、ほらほらさっさと行ってきなさい」
そりゃ会長なら間違いなく断られるけど、僕でもダメだと思うんだけどなぁ……
【尋々】
「ぉ、どうだった?」
【成平】
「よくわからないけど、買えました」
う、うぅん、良いんだろうかこれは……
【尋々】
「買えたんなら結構結構、頂戴♪」
くれくれと両手を差し出してくる、だけど、これ、渡してしまって良いんだろうか……
【成平】
「……」
【尋々】
「どした?」
【成平】
「……んく!」
【尋々】
「あぁあーーっ!!!」
紙コップに入ったお神酒を一気に飲み干した。
濁りがあってもったりした飲み口、舌の奥から頭へと抜けていくような浮遊感。
とても甘くて、それでいて鼻から抜けていく香りはどことなく清清しい。
だけど、途端に頭の上の方でクラクラとするような妙な気分。
やっぱりお酒は苦手だよ……
【尋々】
「こらぁ! なんでナルヒラ君が飲んじゃうのよ!」
【成平】
「ヒロミさん未成年だから……」
【尋々】
「私よりも年下の君がそういうこと云う!?
あぁーもう、もう一回買ってきなさい!」
【成平】
「ぁぁ、うぅ……」
ぁ、やっぱりもうダメ……
……
【尋々】
「気分はどう?」
【成平】
「どことなく浮いてる様な感じです……」
【尋々】
「まったく、一杯で潰れちゃうくらいなら飲まなければ良かったのに」
結局僕はあの後気分が悪くなり、屋根のある休憩所で会長に介抱してもらっている。
座ってると気持ち悪くなるということで、膝枕までしてもらってだ……
【尋々】
「私が飲むって云ったのに、横取りした罰だねこれは」
【成平】
「すいません……」
【尋々】
「ふふ、まあ君の弱点もわかったことだし、今日は何より神様の御前だ。
君への意地悪はこれくらいにして、ゆっくり気分を落ち着けたまへ」
会長がそっと僕の頭を撫でた。
普段が破天荒なせいか、時折見せるこういった優しさがいつも以上に優しく思えてしまう。
【尋々】
「黄泉に感謝しておきな、あいつがいたらこんなことしてあげてないよきっと。
それにしてもあいつにはがっかりだ、いまだ連絡さえ返してこないとは」
【成平】
「都合が悪いんじゃないですか……?」
【尋々】
「まさか、これはやっぱり本格的に成人向けビデオの線を疑った方が」
ブブブブブ……
【尋々】
「ん、電話……噂をすればあいつからだ、無事みたいだね。
もしもし、どうした今になって。 もうお参りは済んで……んぅ? なんか聞き取り辛いわね」
会長は時折うんうんと相槌を打ち、最後にお大事にと云って早々に電話を切った。
【尋々】
「黄泉のやつ、風邪引いたんだってさ。
今まで寝てたから連絡も出来ず受け取れずなんだって」
【成平】
「風邪なんですか……じゃあ仕方ないですね」
【尋々】
「約束をすっぽかすようなやつには一度お灸をすえないと。
ナルヒラ君、実家に帰るのはもう一日延期してもらうからね」
にっと口に笑み、眼にはウィンクと何かをたくらんでいる時の会長の顔になっていた。
【尋々】
「どうする、今日のところはもうお終いにしようか?
それとも、もう少しこのままでいた方が良いかしら?」
【成平】
「……もう少し、膝貸してください」
【尋々】
「はいはい」
外は雪も降るくらい寒いのだけど、僕と会長の間にはそういった感じは感じる素振りも見せず。
僕は少しでも長くこの状態が続けば良いなと願っていた。
……
【尋々】
「あ、おーい」
【成平】
「おはようございます。 あ、おめでとうございます」
【尋々】
「硬い挨拶はノンノン、それよりも7分の遅刻だよ。
いつもなら怒るところだけど、昨日は私が遅刻したから大目に見てあげるよ」
【成平】
「ぁ、何か温かい物でも奢りましょうか?」
【尋々】
「よろしく」
今日は会長と一緒、副会長の部屋へと昨日の文句を云いに行くことになった。
勿論それは建前で、本当は副会長の看病というのが目的だったりする。
【成平】
「だけど会……ヒロミさん寒くないんですか?」
会長は昨日の振袖姿とはうってかわって、今日はよりにもよってミニスカートだ。
膝下をゆうに超えるマフラーをだらっと垂らした、こう云っては悪いが昨日よりもらしい格好をしていた。
【尋々】
「寒いは寒い、だけどこれくらいはまだ普通じゃない?
雪国じゃさすがに無いだろうけど、雪もたいして積もらないこの辺じゃ普通の格好だと思うけど」
子供は風の子ってことだろうか?
【成平】
「昨日のお返しってことじゃないですけどどうぞ、甘酒です」
【尋々】
「お酒ダメだって云ったくせに、甘酒は良いんだ」
【成平】
「普通の自動販売機に入ってたから許可します。
それとも僕のコーヒーの方が良かったですか?」
【尋々】
「こっちで良いよ……んぅー、甘いね。 温まるよ。
ところでナルヒラ君って、黄泉の部屋に行ったことは?」
【成平】
「無いですね、副会長がどこに住んでるのかも知らないです。
急ぎの用事があるってこともなかったですし」
【尋々】
「となれば、あいつの部屋に初めて男が入るんだ。
あの身体で彼氏の一人もいないんだから、なんか不思議というか笑っちゃうよね」
【成平】
「ヒロミさんはよく副会長の部屋に?」
【尋々】
「まね、他に行く所といったら君の部屋しかないし。
あいつとは小学校からの付き合いだから、遠慮も気遣いも何一つ必要ないしね」
いくら付き合いが長いといっても少しくらいは遠慮もしてくださいね……
【尋々】
「女の子の部屋に入るのは初めて?」
【成平】
「そうですね……縫宇ちゃんの部屋になら入ったことがありますけど」
【尋々】
「幼馴染だったね。 幼馴染って恋に発展しやすいって云うけどさ。
私と付き合ってるってことはあれは嘘だね」
自分の一例だけで決めれることじゃないと思うんですけど……
【尋々】
「ナルヒラ君、今のうちに覚悟しておきなさいよ。
外から見ただけでもわかるけど、脱いだらそれはもう息が止まるわよ」
【成平】
「な、何の話をしてるんですか?」
【尋々】
「何って、黄泉の胸だよ。
汗かいて着替えることがあったら君が手助けしてあげるんだからね」
【成平】
「へ、何で僕が!?」
【尋々】
「あいつは私には触らせてくれないのさ。
昔直接胸を触りすぎたのがきっと影響したんだろうね、ま、頑張ってくれたまへ」
こ、これは弱ったことになってしまうかもしれないぞ……
……
【尋々】
「おーっす、来てやったぞー」
隠してあった鍵を勝手に見つけて勝手に開けて勝手に入り込む。
今の都会でこんな傍若無人が許されて良いのだろうか?
【黄泉】
「っんう……」
ベッドで眠っていた副会長が、会長の喧しい到来にもそもそと起き上がった。
【尋々】
「てっきり仮病かと思ったら、本当に風邪引いてるみたいね」
【黄泉】
「そんなことで、嘘ついてもどうにもならないでしょう……
こんな日に何しに来たのよ……」
寝ぼけ眼で眼鏡を探し、眼鏡を付けると現在の状況を少しずつ飲み込んでいく。
【黄泉】
「……風見君?」
【成平】
「はい、あの、大丈夫ですか?」
【黄泉】
「えぇ、さほど熱があるわけじゃないし……ダルさと、咽の痛みくらいだから。
お正月なのに、ヒロミに無理矢理連れてこさせられた?」
【成平】
「まあそんなところです」
【尋々】
「失敬な! 無理矢理ではなかったじゃないか!」
【黄泉】
「ヒロミが有無を云わせなかったのなら、それは無理矢理と一緒よ……」
副会長はベッドから立ち上がり、風邪気味でどことなく覚束ない足取りでキッチンへと向かう。
【黄泉】
「お茶で良い? それともコーヒーか紅茶?」
【成平】
「ちょ、休んでなきゃダメですよ。
どこに何があるか云ってくれれば僕が淹れますから」
病気の副会長をベッドまで戻し、眼の前にあったお茶を僕が淹れる。
【尋々】
「革命会でのお茶酌みがこんなところで役に立つとはね」
【黄泉】
「……二人とも、こんな年始に実家にいなくて良いのかしら?」
【成平】
「僕は帰ろうと思えば2時間で帰れますから」
【尋々】
「私もいつだって顔出せるし」
【黄泉】
「はぁ、二人揃って自堕落ね……風見君はヒロミの影響かな?」
それも少なからずはあるでしょうね……
……
僕たちが来てからの副会長は、いつもより多少は反応が遅かったりするものの
普段となんら変わらない印象を受けた。
さすが副会長といったところだろう、ズボラな会長とは大違いだ。
【尋々】
「ほらこれ、去年黄泉に振り回されて仙台まで行った時の写真だよ」
【黄泉】
「振り回したんじゃなくて、ヒロミが付いて行くってきかなかったんでしょ」
【尋々】
「だってすること無いんだもん。
次は……うわ、また急に古くなったわね」
写真の中では会長と副会長が体育着で旗を握っていた。
【成平】
「これいつのなんですか?」
【尋々】
「確か中学二年の体育祭の写真じゃないかな?
まだ黄泉の胸がちっさいころだからあってると思う」
【黄泉】
「人の胸で時間を測らないでくれるかしら……」
【尋々】
「ね、不思議だと思わない。 このちっさい胸が時間かけてこうなっちゃうんだよ。
人体の神秘ってどうしてこう不公平なんだろうね」
うん、確かに人並みだった副会長の胸が、今ではこれだもんな。
だけどそれ以上に僕が不思議なのは会長の方。
【成平】
「会長、このころから成長止まったんですか……?」
【尋々】
「んぐ! ひ、人が気にしてることを君はズバッと……
た、たぶん私はこのころ黄泉に呪いをかけられたのよ。
だから私の生長するぶんは全部黄泉の胸に取られちゃって……」
【成平】
「申し訳ないですけど、云ってて悲しくないですか?」
【尋々】
「ナルヒラ君、そういうことを私に向かって云うんだ?」
ロングマフラーを器用に僕の首に巻きつけ、思いっきり後ろに引っ張られた。
【成平】
「はぐ!」
【尋々】
「ふん、いくら君だって私の傷を抉ることは許さないよ」
【黄泉】
「やれやれ、付き合ったからといってヒロミの性格が変わるわけもないか」
ハァッと肩を落とし、少し冷めてしまった残りのお茶をすする。
【尋々】
「なんだかイライラする、それもこれも全部君のせいだ!
良いこと、私はこれで帰るけど、君は残って黄泉の看病をしていなさい」
【黄泉】
「私は別に看病が必要なわけじゃ……」
【尋々】
「あらそう、じゃあ皆で姫初めでもする?
お相手は私とナルヒラ君、黄泉は自分で自分を慰めてなさい」
【黄泉】
「人の部屋でふしだらなことするな!」
【尋々】
「おー怖い怖い、だけどあんまり体力使うとまたぶっ倒れるわよ。
そういうことでナルヒラ君、黄泉の看病よろしく」
去り際、会長が僕の耳元でこんなことを囁いた。
【尋々】
「Bは勿論許可、今日だけはAも許可してあげるわよ。
だけどもしCまでいったとしたら、覚悟しておきなさいよ」
会長、それは80年代の人じゃないと通じないですよ。
それにAもBも僕はしないですからね。
……
【成平】
「……」
【黄泉】
「……」
本当に会長が帰ってしまった後、僕と副会長の間にはなんともいえない壁が出来てしまった。
元々僕と副会長の繋がりは間に会長があるからこそ成り立っていたのだと思う。
その仲介業者がいなくなってしまうと、僕と副会長の間には気まずさしかなくなるわけで……
【成平】
「……」
【黄泉】
「居辛い?」
【成平】
「ぁ、そういうわけじゃ……」
【黄泉】
「ないわけないよね。 私と風見君がこうやって二人きりになるのは今回が初めてでしょ?
私はヒロミと違って話が上手いわけじゃないし、莫迦なことも考えない。
こんなときに話す話題も見つからない、つまんない女でしょ?」
【成平】
「静かで良いと思う人だっていますよ。
それに会長は時として煩すぎるときもありますから」
【黄泉】
「だけど、君はそんなヒロミと付き合った。
ああ見えて一見迷惑な中に、時折見せる違うあいつがきっと君には惹かれる存在だったんだろうね」
【成平】
「なんか恥ずかしいですね……」
【黄泉】
「ふふ、やっぱり私はダメね。
いつだって主張が弱くて、いつの間にかもうチャンスは過ぎていて。
こんなときだけは、いつも直線的なあいつが羨ましくもなる……」
【成平】
「……」
今までこんな副会長は見たことが無い。
前にもこれと似たような状況を僕は見たことがある。
普段のその人が、いつもなら絶対に見せない弱々しい感情。
これはそうだ……文化祭の日、屋上で会長が見せたものに似ていた。
【黄泉】
「ふぅ……こんな状態のときにあいつが来るからちょっと疲れちゃったかな。
ちょっと横にならせて貰っても良い?」
【成平】
「どうぞ」
【黄泉】
「お言葉に甘えて……ぁ」
立ち上がった副会長の足がかっくりと折れ、バランスを崩して僕にしなだれかかってきた。
【成平】
「とと、だ、大丈夫ですか?」
【黄泉】
「……えぇ、ごめんなさい。
風邪のときに急に立っちゃいけないわね……」
【成平】
「今日はゆっくり休んでください。
明日の朝まで、僕が看病してあげますから」
【黄泉】
「そんな、ヒロミが云っていたことなんて聞く必要ないよ?」
【成平】
「会長が云っていたからじゃないですよ。
なんとなく、なんとなくの気まぐれですよ」
それは勿論嘘だ。
副会長も即座に僕の嘘と感づいたようだが、それを嘘だとは口にしなかった。
【黄泉】
「そう……」
それだけを云い残し、副会長はベッドに潜り込み、ゆっくりと眠りに付いた。
僕の看病はまだ始まったばかり、今日は徹夜の覚悟でいなきゃいけないかな。
……
【成平】
「んが……」
眼をぐしぐしと擦り、きょろきょろと辺りを見回した。
いつもとは全く違うこの見慣れない内装は……あぁそうか、副会長の看病中だったんだ。
【成平】
「って、僕はいつの間に!」
熱は無いって云ってたけど、濡れタオルを額にかぶせたり
時折顔の寝汗を拭いたりしてあげていたのだけど、いつの間にこんなことに?
3時くらいまでは覚えているのだけど、その先の記憶はどうにも曖昧で自信がない。
その辺りの時間で眠ってしまったと考えて良さそうだろう
【成平】
「副会長……って、いない!?」
ベッドの中はものけのから、掛け布団がきちんと半分に折られ、その上に昨日着ていた寝巻きが
これまた丁寧に畳まれていた。
それなのに肝心の家主の姿が無い、一体どこに?
【黄泉】
「あ、お目覚めね」
【成平】
「一体どこに行ってたんですか、心配したんですよ」
【黄泉】
「今日は燃えるゴミの日だから出しに行っただけだけど?」
【成平】
「風邪引きなんですからそういうのは僕に云って下さいよ」
【黄泉】
「あら、気持ち良さそうに寝入ってたから起こしちゃ悪いかなと思って。
それにもう風邪を心配してもらう必要はなさそうよ、ダルさもないし咽も痛くない」
【成平】
「そうやって油断したときが一番危ないんですよ?」
【黄泉】
「それもそうだね、だけど昨日はありがとね。
タオルかけたりしてくれてたみたいだし、一応聞いておくけど、ヒロミみたいに変なとこ触ってない?」
【成平】
「なっ! そ、それは酷いですね……」
【黄泉】
「ふふ、冗談。
私も回復したし、昨日のお礼も込めて朝食、ご馳走するよ」
そう云って副会長は朝食の準備へと取り掛かった。
……
【成平】
「朝食、ありがとうございました」
【黄泉】
「どういたしまして、今日はちゃんと実家に帰りなさいね。
親御さんも元旦に会えないから寂しがってるわよ」
【成平】
「どうでしょうね、それじゃ、失礼します」
【黄泉】
「また学校でね」
風見君に別れを告げ、彼が帰って一人になった部屋。
ベッドに身を投げ、ふぅっと小さく息を吐く。
【黄泉】
「……」
そっと唇に指を当てる。
あの一瞬の、柔らかな感触を思い出すかのように……
【黄泉】
「これくらいは許しなさいよ、ヒロミ……」
あいつがいないからこそ出来て、だけどあいつがいたからこそ出来たことでもある。
あの小さい幼馴染にお礼を云うことなど片手で数えられるほどしかないのだけど……
【黄泉】
「ありがとう……それと、ごめんね」
お礼と謝罪、どちらもヒロミにはほとんど云わないこと。
私一人、当人のいない部屋に響いた声は私の耳だけに届いて役目を終えた。
【黄泉】
「私も、実家帰らなくちゃ」
なるべく早く、今は少しでも早くこの部屋を出てしまいたい。
彼の残り香があるこの部屋に、今の私では耐えられない。
【黄泉】
「ふぅ、行ってきます」
誰にも伝わらない部屋に向かって、挨拶を投げかけた……
FIN
〜 B A C K 〜
〜 T O P 〜